中学時代にした喧嘩の仲直り編です。
四季が夏に入るのを嫌がり、ぐずついた天気が続く日々だった。
窓を叩く雨の音は絶え間無く、上履きの裏が湿って廊下のフローリングと擦れる音が授業後に響く。いつしかその音に耳は慣れて、雲一つ無い晴天が恋しくなるほど梅雨が長引いていた日の放課後。
予報では夕方には小雨になっていると言っていた天気は、朝から変わらず大粒の雨が降っており、未だに降りやむ様子はなかった。
「「あ」」
そんな鬱屈とした日に式守と烏間の二人は、昇降口でばったり鉢合わせた。互いに顔を合わせないように避けて帰ろうとしたところを、偶然出くわしたものだから両者思わず声が出てしまった。
「「……」」
一瞬の沈黙が流れた後、烏間は自然体を取り繕って下駄箱から靴を取り出し履き替えた。式守はそれを見て烏間から視線を外し、いつ止むかも分からない雨雲に視線を戻した。
普段ならば一言二言なにか会話をしているはずの時間。しかし喧嘩した後の気まずい沈黙がその時間を流してしまう。
「……よし」
そんな中、式守が覚悟を決めたように一言呟くと、手に持っていた学生鞄を頭に乗せて、雨空の下を躊躇なく駆け出した。
「ちょ、待て待て待て!!」
烏間は式守の行動に驚き、急いで自分の傘を取り出して、式守を追いかけた。器用に水たまりを避けて走る式守に対し、傘で視界が遮られている烏間は派手に水飛沫を上げてしまう。靴中の不快な感触で、顔を顰めつつ、追いつこうと懸命に走る。
走ってる最中に何度か呼びかけて、式守は烏間が追いかけてきたことに気付くと、足を止めて振り返った。烏間はすぐに追いついて式守が濡れないようにすぐに傘の下に入れた。
「……」
「……あー……その」
相合傘の下、物理的な距離は近くなったものの、お互いがギクシャクしていて素直になれない時間が訪れる。
「……傘、どうしたんだよ。あのクラスで流行ってるって言ってたやつ。忘れた?」
「……烏間には関係無いでしょ」
式守が口を尖らせ、あの日烏間に言われた言葉を返して、拗ねた子供のようにそっぽを向いた。その様子をみて烏間はとある可能性に辿りつき、目が細くなった。
「……誰かに隠されたとか?」
幼馴染の式守でさえ、聞いたことがない低い声だった。
烏間は出来るだけ感情を抑え、表情を変えないようにしているつもりだが、逆に感情をそぎ落としたその表情が怒りを滲み出していた。
「いや違う違う。ただの諸事情だから」
「……ならいいけど」
あまりにも珍しく怒るものだから、式守は傘を女の子に渡したことをぼかして明かした。式守はすぐ顔に出るので、嘘をつくのが下手なのは烏間は知っており、今言ったことは嘘ではないことに一安心してこれ以上聞くのはやめた。
「じゃ、これ持って」
「……?」
烏間は式守に傘を差し出した。式守は雨避けにしていた鞄を肩にかけて、烏間の言う通りに空いた片手で差し出された傘を持った。
「それじゃ」
「ちょっと待った!!」
今度は烏間が、鞄を頭に乗せて雨の中に飛び出していこうとしているのを、式守は烏間の体を鞄で叩いて止めた。
「帰……いや、持ち主が雨に濡れてるのに私だけ使ってるのは申し訳ないでしょうが」
一緒に帰ろうと言えないのは、未だあの出来事を引きずっているからだろう。だから式守は咄嗟にもっともらしい理由を口にした。
「それは式守に迷惑をかけるからダメだろ」
「迷惑?」
「……今、俺学校で浮いてるからさ。一緒に帰ったら何か言われるだろ」
烏間がバスケ部を辞めたおまけとしてついてきた悪い噂のレッテル。それが広まって今や学校で烏間に話しかける人は先生か物好きなクラスメイトしかいなかった。
烏間が危惧しているのは、その噂で式守に迷惑をかけるかもしれないからだった。
「だからさ……ってなんで怒ってんの?」
「色々」
その理由を聞いて式守は自身の感情を隠すことなく怒りを顔に出した。
「烏間のことよく知らないくせにただ噂で嫌ってる人達が好きくないし、その噂に尾ひれをつけて面白がってる人はもっと好きじゃない」
「俺が噂通りに暴力事件を起こしたかもしれないのに?」
「烏間はそんなことする人じゃないでしょ。それにもし傷つけたり、泣かせたりしたらちゃんと謝るもん」
式守の言葉を聞いた瞬間、烏間は無意識に涙が溢れそうになった。
誰か一人でも自分を理解してくれる人がいるだけで、ここまで救われるなど烏間は思っていなかった。しかし、烏間はそれを堪えて、代わりに頬を緩めた。
「……気にしてないってことでいいか?」
「うん。……ん」
式守は持っている傘を烏間の方へ寄せると、烏間は大人しくその中へ入った。隣に並び、烏間は傘を持とうとするも、式守は持ち手を離さず抵抗した。
「傘持つ」
「いい」
「持つって」
「いいから」
「……」
「……」
烏間が無言でグーを構えると、式守も構えてグーを出した。お互いが譲れないときに決まってするじゃんけんだ。
「「じゃんけん、ぽん」」
運に愛されている烏間がじゃんけんに負けるはずがなく、イカサマしないかぎり式守が絶対に負ける。
案の定、あいこにもならずに勝った烏間は、傘を持って式守が濡れないように片側へと傾ける。
「今日は勝てる気がしたのに……!」
「まだまだよのう」
それでも式守がじゃんけんにこだわる理由は、本人が負けず嫌いなこと以外には無い。一度でも烏間からじゃんけんで勝利をもぎ取りたいからだ。
傘の所有権が烏間へと移り、二人は再び帰り道を歩き始めた。
「烏間」
「なに?」
「あの日なにがあったかは教えてはくれないの?」
「無理」
「なんで?」
「もう終わったことだから」
「誤解されたままでいいの?」
「俺は無実ですって言って一人で回るのダサいだろ」
「手伝うけど?」
「そっちの方がもっとカッコ悪い。……大丈夫。もう俺の中で決着付いたことだから」
「……烏間がそう言うんだったら、もう何も触れない」
「……助かる」
「……」
「……」
二人の間の静寂を埋めるように雨音が紡ぐ。先程よりは気まずい空気は緩和されたがいつも通りではない。
((何か当たり障りのない世間話が欲しい……!))
同じことを考え、絞り出して話題を先に提供したのは式守だった。
「空手、高校いったらやめる」
「え、まじか」
そこそこな爆弾発言だった。
「うん。確かに空手始めて強くなれたし、全国にも行けるけど、やりたいことが出来たから」
「やりたいことって?」
式守の空手の実力は全国にも行くほどの腕前だ。それを辞めてやりたいことが出来たというのはよっぽどのことなのだろう。
「え、と。笑わないで聞いて欲しいんだけど」
「うん」
式守は恥ずかしそうに俯き、絞り出すように呟いた。
「…………可愛い、女の子になりたい……」
「へーお化粧するとかそういうやつ?」
「……笑わないの?」
「笑うなってそっちが言ったじゃん。やりたいことならやればいいし、可愛くなりたいって全然変じゃないだろ」
「……ありがと。勇気出た」
「どういたしまして。ていうか式守って元々か……」
「か?」
「……髪質固くて、クセ強いだろ? 全部ストレートにすんの?」
「可愛い」という言葉が喉につっかえて出てこなかったことを一瞬疑問に思ったが特段気にせず、誤魔化すように話を続けた。
「うん。だから最近はトリートメントとかオイルとか見てるけど、どれがいいかよくわかんない。それに値段が高い……!」
「どういうの?」
「えっと、これとか、最近はこれが売れてるらしいけど……」
式守がスマホを操作して、毎日にらめっこしていたページを烏間へと見せる。
「これ男性にも効果ある?」
「無い事は無いんじゃない?」
「じゃあさ。俺これ買って使ってみるから、式守はこっち買えば? 俺も髪のクセ強くて朝大変だから、こういうの使ってみたかった。それでお互い使った感想共有したらいんじゃね?」
「ホントに!? 神じゃん……!」
「あ、髪だけにってことか。ふふっ、おもろ」
「…………………………」
「そんな無言になることある?」
式守は感情を失くした顔で無言になって歩き始めた。烏間はそれに苦笑いしながら歩幅を合わせる。二人の間の気まずい空気はすでに晴れていた。
それからも二人は他愛もない話をしながら帰路についた。その間、お互いに好きな食べ物の話になり、式守は甘いものがあまり好きじゃないと言い、烏間も甘いもの自体はそんなに食べないと答えた。そして、その答えに対して式守は少しだけ驚いた表情をした。
「烏間ってもっと甘党なのかと思ってた」
「いや、食べられないこともないって感じ。でもコーヒーとか砂糖入れないし」
嘘である。
烏間はコーヒーにガムシロと砂糖を入れなければ飲めないし、なんならブラックコーヒーは飲み物としての選択肢に入っていない。なぜこんな嘘を吐いたかというと、烏間の脳内にある『ブラックが飲めるのはカッコイイ』というイメージからきたもので、つまるところカッコつけだ。
「あ、じゃあさ。ちょっと行ってみたいカフェあったから今度そこ行こ? コーヒー美味しいって言ってたんだけど一人じゃ大人っぽくて入れなくて……」
「え゛っ、あ、うんわかった」
身から出た錆である。式守とカフェに行くために烏間がブラックを克服するために頑張るが、それはまた別の話。
そんな雑談を二転三転、話題を変えながら話していると、式守がふと何かに気づき烏間の肩に注目する。
「……ねぇ、肩濡れてない?」
式守が指摘した通りに、烏間のシャツの肩が濡れて透けている。
「あー、傘小さいから」
烏間の言う通り、傘の大きさは一人入るには十分だが、二人入るには少し狭い気もする大きさだった。
「ほらこっち寄って」
「ちょっ!?」
まぁその問題も密着すればいい話だと式守は思い、烏間の腰を掴んで自分側に強引に引き寄せた。
「もっと寄らないと濡れるでしょ。風邪ひくよ?」
そしてここぞとばかりのイケメンスマイル。耐性の無い女の子は一発で落ちるし、何なら男子も落としてしまう。これを天然でやっているから恐ろしい。
「……さっきさ。可愛い女の子になりたいって言ってただろ? ならこういう王子様ムーブもやめんの?」
「あ!? 確かにあの漫画の子こういうことは絶対にしないかも……!」
「いや、無理に変える必要は無いと思うけどな。そういうのって優しさからくるものだからやめなくてはいいと思うけど……まぁ、男子にはやらない方向で」
「だよね。ちょっと控えよ……」
少し照れ臭くなって烏間は笑った。彼の顔が赤くなってることに自覚は無かった。
「それにしても可愛い女の子になることがやりたいことかぁ……」
「逆に烏間はやりたいことないの?」
「無い」
「即答って」
「なんかまだ将来とかわかんないから、今はそれを決めるときまで生きられたらそれでいいかなって。あと身近な人が幸せならそれでいい」
「じゃあ、いつかやりたいこと見つけられるといいね。ていうか絶対見つけてよ。応援したいし」
「難しいこと言うなぁ。じゃあいつかその時が来たら頼るわ……あ」
いつの間にか持っていた傘を叩く雨音は静かになって、アスファルトの上に出来た水面は凪いでいた。
「雨、止んだね」
「やっぱお天気お姉さんしか勝たん」
烏間は傘を畳み、空を見上げた。
「でもやっぱ、青空は見えないか」
「そろそろ見たいよね」
「ずっと曇りか雨だもんなぁ。いつか晴れるって分かっても辛いんだよなぁ、特に朝とか」
「分かる。この時期の湿気は憎たらしい」
「だよなー」
雲の切れ目すら見えない曇天の下、二人はまた隣で話し合いながら帰り道を歩いた。
仲直りというには曖昧なやり取りだった。しかし元々幼馴染という関係性自体が曖昧なものであり、その線を大切にしたいからこそ、正面からぶつからない方がいいという事はお互いに分かっていた。
大切にしすぎたからこそ、お互いに踏み込めないものが生まれてしまった。
雨は止んだ。地はいつか固まるものだと思って二人はぬかるみの中を歩いた。
「烏間」
「なに?」
「傘、ありがと」
「どーも」
烏間くん(中学時代)
容姿端麗だが性格が残念。
式守さんの幼馴染でラッキーボーイ。
ブラックを飲めるようになるため、コーヒーを沢山飲んだらお腹を壊した。
次回は本筋に戻ります。