最近、幼馴染の態度がどこかよそよそしい気がする。
避けられているというかなんというか、学校で会っても会話が発生しなかった。廊下ですれ違っても、気まずそうに会釈して通り過ぎられる。
俺もちょっと避けてたところはあったけど、式守の方からああいう態度になるのは変だった。
しかも突然だ。
不安とか悩みごとなら和泉がなんとかするから、別に俺が気に掛けるようなことでもない。和泉が俺に相談してきたらなんとか頑張るけど、今のところは無い。
だから俺が今考えるべきことは。
「俺が知らぬ間になんかしちゃった場合だよなぁ……」
「心当たりは?」
「無いし、するわけないし、するほど顔を合わせてない」
という相談を狼谷と昼飯を食べながらしていた。
とりあえず昼休みに狼谷を屋上へ呼び出し、そこで打ち明けた。天気は今にも崩れそうな曇り空で、雨を恐れ屋上で昼を食べる生徒はいなかった。周りに聞かれたくない相談をするには好都合だった。
狼谷はいつもと変わらず大盛のコンビニ弁当を広げてもぐもぐと俺の話を聞いている。
「でも私、式守さんのことよく知らないから」
「だよなぁ……あ、これは美味い」
「そういえば烏間が弁当って珍しいな」
今日は久々に親が弁当を作ってくれた。炭水化物とたんぱく質が詰め込まれた茶色多めの弁当。
「俺、文化祭で倒れたろ? ちゃんと栄養摂りなさいって親から持たされてさ」
「美味しいか?」
「俺のために作ってくれたんだからそりゃうめぇよ」
うちの親は不器用で料理は苦手だから、基本夜しか作らない(残業で遅くなるなら俺が作る)し、朝も簡単なトーストだ。そんな親が作ってくれたんだから愛情マシマシで美味い。……ちょっと焦げてるけど。
「……それじゃないか?」
「弁当?」
「違くて、文化祭で倒れた事。それが式守さんから……いや、それが理由で避けるのもおかしな話だな」
狼谷も口に出して、途中からおかしいって気づいたらしい。心配してくれるのはまだしも、心配し過ぎて避けるかって話。
「体調管理ができない人間とは話したくない……ってコト?」
「さすがに式守さんはそんなこと思わないだろ」
「うん冗談。でも文化祭きっかけならそれぐらいしか思いつかなくないか?」
まぁもっともらしい理由が出ないならそれがいい。俺が何かしたって訳じゃなければいいや。
「……てかさ。狼谷それなに食ってんの? さっきから緑が見えないんだけど」
「ハンバーグカツカレー弁当と唐揚げ」
「重っっっも。え、待ってデザートも食うの?」
床に置いたビニール袋からプリンが覗いていた。さっきのやつにプリンを添えたらそれはもう小学生が考えた最強の献立だろ。
「いや、これは烏間に買ってきた」
「俺に?」
狼谷はプリンとプラスチックのスプーンを取り出して、俺に差し出してきた。
「思い返したら烏間から結構貰ってるからそのお返し」
「あー……別に気にしなくていいし」
「じゃあ貰ってくれないと私の気が済まないし寝れない」
「……ずっるいわぁ。ならいただきます」
「ふふ。ありがとう」
なんか腑に落ちないが素直に受け取った。後でいただこう。
「もしそこまで式守さんのこと気になるんだったら素直に聞いてみたらどうだ?」
「『なんで俺を避けてるんですか?』って? いやダサいだろそれは」
「でも式守さんなら邪険には扱わないと思うし、聞かれたらちゃんと答えてくれると思うけど」
それはまぁ狼谷の言う通りではある。式守は義理堅いから真正面から聞けば、誤魔化さないで答えてくれるかもしれない。
しかし、それは相手が俺じゃなければの話。きっと本当に隠したいことがあるのなら俺には話さないだろう。
「……ちょっと考えてみる」
それでも聞いてみないことには始まらないかもしれない。それに……。
「『頼ってもらえないのは寂しいからな』?」
「エスパーか?」
心の中で思っていたことを狼谷に代弁させられた。
「私の最近の経験談と悩みさ。どうやったらその人にもっと頼ってもらえるのかなって」
「へー狼谷って結構頼ってもらえるイメージだったから意外」
「……鈍感って言われない?」
「別に。俺は結構人の心の機微には敏感な方、あっ……!」
そうか和泉のことか! デリカシーなかったわ俺……。
「……ごめん」
「いや謝られるとこっちが困るんだが……それに勘違いしてると思うし」
「ごめん最後の方聞き取れなかった」
「いや何でもない」
「まぁとにかく、狼谷のアドバイスを参考にさせてもらって、俺なりに式守と話してみる」
「ああ、頑張ってくれ」
昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。教室に戻って、午後の授業を受ける準備をしないとな。狼谷に相談して良かった。
……あとは、俺がちゃんと式守と話せるかどうかだが。
***
放課後のHRが終わって窓越しの空模様を見る。朝からの崩れそうな天気はそのままで、今にも雨が降りそうだった。日直の仕事が終わったら土砂降りになってそうなので、学校に折り畳みの傘を置いといて正解だった。
今日はもう一人の日直が熱で休んでいるので、未だに教室で駄弁っているクラスメイト数人を半ば強制的にパシリ、教室の掃除を手伝わせた。文句を言いながらもしっかり最後まで付き合ってくれたし、掃除が終わったらクラスメイト達はとっとと退散した。手伝うために残ってくれたんだと思うと滅茶苦茶良い奴らだと思う。
最後の仕事として日誌を開く。【本日の出来事】を記述する欄に『特になし』と書くと日誌を閉じた。戸締りと消灯をして誰もいなくなった教室を後にした。
廊下の窓から見える生徒たちの中にあの二人の姿は見えない。もう先に一緒に帰ったんだろうか。式守が一人で帰ってたらあわよくばという感じで話かける心づもりだったので、タイミングを逃した。その機会はまた明日以降かな。
……なんか俺、ストーカーっぽいな? やばい、これ以上タイミングを見計らうのはやめよう。あくまで偶然、運良く会ったら話すことにしよう。時間が経ったら悩みなんてとっくに解決してて、本人自体が忘れてるかもしれないし。
『なにか悩み事あったら、絶っっっっ対に! 相談に乗るから! 言えるようになったらちゃんと言って!』
今になって数か月前のあの言葉を思い出した。
「…………」
思わず、昇降口で靴を履き替えてる手を止めた。
ふと嫌な直感と、ある考えが頭を過ったからだ。
俺は式守だから言えなかった……
「──ぁ」
おそらく、それだけはどうか違っていてくれと祈っていた。
祈りつつも思考を放棄出来なかった。
──
……文化祭だ。文化祭が終わってから式守の態度は変わっていた。
だったらいつ、どこで知った?
……最終日、俺のクラスに来た。知っていたら顔を出しに来ないはずだ。
なら最終日から文化祭が終わるまでに、誰かからどこかで……。
「……」
スマホを取り出した。式守とのメッセージ履歴を見る。その文言の内容ではなく送ってきた時間を。
俺が倒れたと知って心配するメッセージが届いたのは後夜祭が終わった後だ。その時に倒れたことを知ってその時に送信したかもしれないし、文化祭が楽しくて後でいいかとなった可能性もゼロではない。
でも、俺が知る式守ならメッセージを飛ばすより先にお見舞いに来ると思った。そして
だって実際には来ていないから。
「……は」
ただの思い込みかもしれない最悪な点と点が繋がっていく。違うと思いたかった。あまりにも出来過ぎている。
そして頭にその考えを否定する方法が思い浮かんだ。
確認だ。あの日あの時式守がどこかにいたか知る人物に心当たりがある。
後先考える前に指がメッセージを入力していた。そんな出来過ぎた話があるものかと。文字を入力し終えて、送信ボタンの上に指を動かす。
しかし送信した先のことを考えると、一瞬躊躇してしまった。
今の俺は不安でどうしようもない。きっと望んだ結果を見て安心したい。……でも、もしこれで結果が望んだものではないとしたら、もう覆せない証拠になってさっき思っていたことが事実になってしまう。
……それでも押した。
これから不安を抱えて過ごすのと、リスクがあっても今ここで確認を取って安心することを天秤にかけたら、後者のが重かった。
最悪の事態は考えないことにした。……考えたくなかった。
送ったメッセージにはすぐに既読がついた。
「……あ」
そして俺はつくづくお節介焼きの神に
「──式、守」
両手を広げられないぐらい狭い、下駄箱の一本道の空間。
その数歩先に、式守がいた。
「……どうしたのそんなとこで突っ立って」
避けているのになんで話かけてきたんだと思った。でも、今の俺はそこを深く考える脳は残っていなかった。
「……式守」
「なに?」
そのまま何も知らないでいてほしい。どうかあっけらかんと返してほしい。
「──後夜祭の時、どこにいた?」
動揺していた。正確には動揺を隠した表情だった。
聞かない方がよかったのかもしれない。そのまま俺が黙っていれば、と。でも頭に浮かんでしまったことを、考えないように忘れるのは無理だった。
「……私、ずっと後夜祭に参加してたよ?」
その言葉を信じたい。信じたかった。でも分かってしまった。
嘘だって。
そして追い打ちをかけるようにスマホが振動する。宛先はあの日式守がどこにいたか心当たりがある人物の和泉からだった。
『あの日の後夜祭、式守って参加してた?』と、その返信の内容が、スマホの待機画面に映し出された。
どうか俺の勘違いで、式守が言ってたことが真実であってほしかった。
祈った。
『式守さんは途中で抜けてたよ。烏間くんのお見舞いに行ってたって後で聞いたかな』
……………………なんだ。
「ははっ、ははは……」
「……烏間?」
思わず笑ってしまっていた。
すでに全部終わってしまっていたんだ。
もう…………俺が守りたかった関係はもうどこにもないんだ。
──もう、頑張らなくてもいいんだ。
「……式守……今は、追いかけてこないでほしい」
「え……?」
俺の残った最後の理性で、この後式守がするであろう行動に釘を刺した。
「……ごめん。式守」
もう、耐えきれなかった。
「…………好きになって、ごめんなさい……」
俺は走って逃げ出していた。背後から声が聞こえた気がした。でも無視した。
俺はどういう顔をしていたんだろうと、さっきの式守の表情を見て思った。でも分かったのはまた式守を傷つけてしまったということ。
今は、ただ逃げたかった。頭に流れてくる感情と思考の奔流を振り切りたかった。それに飲まれてしまったら、どうにかなってしまいそうだから。
走った。息も切れたことも忘れて。
走った。何も考えたくなくて。
走って、そして辿り着いたのは誰もいない公園だった。
公園の真ん中で立ち止まると、地面が遠いのか近いのか、体が暑いのか寒いのか分からないこんがらがった感覚に陥る。
「はぁ……! はぁ……! うっ……っぉえ……!」
荒くなってしまった呼吸を整えてる最中に吐き気がきて、木の下に走ってそこに思いっきり吐いた。
「ぉえっ……ぁはぁ……! うぇっ……!」
浅い呼吸すら許さないように息継ぎの合間に、吐き気がこみ上げ、吐瀉物が喉を窒息させる。喉の奥に指を突っ込んで拒絶反応で無理矢理吐き出させた。
吐瀉物の中には昼に食べた弁当の具も見えて、親に申し訳なくなった。
「っっ…………! おえっ……! はぁ……はぁ……うっ!」
苦しみから解放させられた瞬間に、再び吐き気が襲い掛かる。
もう立っていられる体力も無く、地面に膝をついた。走ってボロボロの体をいたぶるように横隔膜が痙攣する。胸の中で風船を膨らませられているような、張り裂けてしまいそうな痛みが怒涛する。死んでしまいそうな地獄のような苦しみがしばらく続いた。
吐き気が収まりつつあると、額から雫が落ちた。自分の汗かと思ったが、土を叩く水滴を見て雨が降っているのだと気づいた。いつの間にか土砂降りとなっていた空は制服をずぶぬれにすることなど容易く、一歩も動けない俺はただ濡れていくのを受け入れた。
「……はは」
……本当に、本当にバカみたいじゃないか。
必死に隠した想いは呆気なく知られて、大切なものは簡単に壊れ、式守を傷つけた。一年半も頑張ったものは全部無駄だった。こんなあっさりと終わってしまうなんてとんだ笑い話だ。
でももう頑張らなくていいんだ、頑張って取り繕って、辛くて痛い思いをしなくていい。これで前に進めるはずなのに。
「……っあはは」
なんで涙が出るんだ。
心臓が痛い。体に力が入らない。消え去ってしまいたい。
そんな激情が巡り巡っているのに笑顔だった。条件反射のように、鏡で練習した笑顔が取りついて離れない。
なんでこんなに苦しい?
──ああ、そうか。好きになったことが間違いだったんだ。
好きにならなかったら、傷つけることもなくて、
好きにならなかったら、関係を壊すこともなかった。
恋は罪悪であると言う。
ならきっとこの苦しみは、恋したことへの罰だ。
俺が、全部、悪い。
「あははっ……! ……うっ、あぁ……ああ……」
でも、今の俺に出来ることは、笑いながら泣くことだけだった。
……………………なんて惨めで、滑稽なんだろう。
五度目のスマホのアラームを止めた。
画面に映る文字列を見ると、遅刻は確定だった。それでも彼は中々起き上がれなかった。眠気は無いはずなのに、ただぼんやりと虚空を見つめている。彼の頭の中では、昨日のことを反芻し続けている。もうどうにもならないことをただひたすらに思考する。そうして無意味な時間を過ごしていた。
ようやく、上半身を起こせたのは五度目のアラームから数十分が経った頃だった。自身でも分かるぐらいに髪は跳ねていて、今日は手ごわいことを察してため息が漏れた。立ち上がってカーテンを開けると、軽快な朝の日差しが部屋の闇を払っていく。まだ冴えない彼の瞳孔は、鬱陶しい朝の光を拒絶するように小さくなった。
重い体を引きずり、洗面所へと向かう。
「……」
洗面所の鏡に映る自分から目を逸らしながら、顔を洗って寝癖を直していく。
淡々と朝の支度を終わらせて、ハンガーにかけてある制服に袖を通した。
(……息苦しい)
制服を着終えると、烏間は首を絞められているような窒息感に襲われてネクタイを緩めた。昨日まで着ていたものとは思えない、まるで鉛のように重い制服が彼の足取りさえも重くさせる。
リビングに向かうと、テーブルにはトーストとジャムの簡単な朝食が置いてあった。親はすでに仕事へ行ったため家を出ており、いつも通り烏間一人だけの食卓だった。彼は立ったままイチゴジャムをトーストに満遍なく塗っていく、遅刻していると分かっていても、急ぐ様子はない緩慢な動きだった。
ジャムを塗り終わってトーストを口に運んで咀嚼する。
(……疲れる)
一口でギブアップした。食べて補充されるエネルギーより、食事に使うエネルギーの方が今は大きかった。トーストを皿においてラップをかけ、カバンを持ってリビングを出た。
リビングから玄関まで続く廊下は、いつもより長く感じた。断頭台に向かう罪人のように彼は下を向いて、重い一歩を踏みしめて歩いた。
玄関で靴を履き替え、扉の前に立つ。
またいつもの日々が始まる。
(……なんか、ダメだな。こんなんじゃ心配される)
自身を客観視した烏間は自分を叱咤した。
気持ちを奮い立たせるため、一度、目を閉じて深呼吸をした。
(……? ……??)
だが、いつまで経っても緊張して、煩いぐらいに心臓が脈打っている。肩に力が入っているが、ドアノブを掴んだ手はいつまで経っても力が入らない。呼吸が苦しい。困惑が彼を襲ったがなにをどうしてもそれは変わらない。
やがて諦めたように、ドアノブから彼の手が滑り落ちた。力なく腕をだらんとさげ、そのまま玄関でしゃがみ込んだ。
顔を俯かせ、立ち上げる気配は無かった。
──彼は幸運な人間だ。臆病な自分の憧れとなるような人間が昔から存在した。
だから彼は強かった。自分の弱い心を隠して強がれる程度には、強くなれてしまった。
しかしその分、理由を失った時の反動も大きくなる。
知らぬ間に彼を蝕んでいた甘い毒は全身へと回り、心すらも侵された。
もう手遅れだった。
(……なんか、学校行きたくないや……)
花を手折るようにポキリと、容易く彼の心は折れてしまった。
「んじゃHRは以上。授業中に寝るなよ」
烏間のクラスでは朝のHRが終わり、席を立って一限の準備をしている。
そんな中、職員室へと戻る担任に狼谷は話を聞きにいった。
「先生」
「ん? どうした狼谷」
「その、烏間は」
「体調不良だ。熱が長引いているらしい」
「……そうですか」
「ああ。学校に来たら勉強教えてやれよ」
そう言って担任はその場を切り上げ、職員室へと踵を返した。口にしてはいけない事柄でデリケートな問題だと察していたからだ。
だけど狼谷は察していた。スマホを開きいつまでも既読のつかないメッセージを見て、諦めて教室に戻った。
自分の席まで歩き、その一つ後ろの席を見た。
(…………私のこと、頼ってくれるんじゃなかったのか?)
ちょっと変わってるけど、人のために動く誰よりも優しい男の子。
今、その席には誰も座っていない。
「…………嘘つき」
烏間が学校に来なくなって、すでに十日が経過していた。
しばらく投稿空きます。