特別仲が良いというわけではない。むしろ最初の頃は仲良くなれないかもと思ったぐらいだ。
いつも自信満々で、周りを気にかけていて、少し変わっている。こう一括りにするのもどうかと思うけどいわゆる陽キャというイメージが強くて、彼と関わるのはエネルギーが必要だなと思って避けていたところもある。
ここまで仲良くなったのは本当にいつの間にかとしか言いようがなくて、劇的な出来事はあんまりない。強いて言えばお互いに失恋のことを知ったぐらいだ。
「狼谷はさぁ、自分のこと好きじゃなさそうだよね」
二年の春頃、教室の清掃をしていた時にそんなことを言われた。ほうきの先っぽに顎を乗せ、ジトっと私を見ていた、正直自分のことが好きか嫌いかなんてわからないから正直に「分からない」と答えた。
「俺が狼谷だったら死ぬほど自分のこと好きになってる自信あるわ」
「なんで?」
「顔が良い。皆に好かれてる。運動神経も良い。ナチュラルにイケメン行動が出来る。こんなん自己肯定感高すぎて皇帝になるね」
「それが理由なら烏間も結構当てはまってるだろ。そもそも私にならなくても烏間は自分のこと好きだろ」
「……俺はほら結構加工してるからさ。眉毛整えたり、姿勢正したりとか。狼谷はなんか突然生えてきた無形文化遺産って感じじゃん? ……妬ましいわぁ」
……烏間は結構わかりやすい。大体こうやって私を褒めたとき、次に出てくる言葉は"お願い"だ。
「真面目に授業受けてた狼谷にお願いなんだけどさぁ」
ほら来た。
「歴史のノートちょっと見せてくれない?」
「寝てた?」
「寝てた」
「わかった。掃除終わったら貸すよ」
「よっしゃ」
普通にノート貸してだけでもいいのに、なんで一度私を持ち上げるんだろう。ノートを貸すだけでへそを曲げる心の狭い人間だと思われてたら心外だな。
なんてことを思い出して、黒板の文字を板書した。彼が学校に来て、ノート貸してほしいって言われても困らないように。
土曜日 晴れのち曇り さそり座最下位 部活は休み。
ふと思い立った私は本屋へと足を運んだ。店頭には映画化された作品の小説や賞を獲った作品が陳列され、私はそれらを眺めながら店内を散策した。
特に何か欲しい本というのは今は無くて、読みたい本を探すために本屋に来ているという感じだ。ネットで探せばレビューの高いものを見つかられるかもしれないが、ふと目に入ったタイトルに興味を持って、読みたいものを探したい。
それを前に烏間に話したら「マッチングアプリで出会う女性より、偶然バッタリ会った女性の方が魅力的に感じるってこと?」と言われた。うん……まぁ……当たらずとも遠からずというか……その例えは無かったなとは思った。
作家順に並べられている棚を見ると、気になったタイトルがあったので手に取った。
裏のあらすじを要約すると、家族でもない、恋人でもないけれど、一人の男性と過ごす時間が生き続けるよりどころとなった女の人となったお話。中を少し見ると、一人称で視点は進み、会話文は多め。読みづらそうな表現は無さそうな文体。しかも帯には一昨年に賞を受賞したらしい。とりあえずこれを読むことにしよう。
これを購入するとして、もう一冊買うかどうかだが、隅まで店内を歩き回って今回はやめておいた。目星をつけたものはすぐに無くなるとは思えない本だし、複数買ってそのまま読まずに……というのは避けたかった。
カウンターでお金を払い、袋はもらわずにそのまま店を出た。予報では午後から曇りのはずだったけれど、今にも降ってきそうなほど重い雲が空を覆っている。少し嫌な予感がして早歩きで家へと向かった。
私の予感は思ったよりも早くやってきた。
肌にぽつぽつと水滴が落ちる感覚がして、ああ雨が降ってきたなと感じたのも束の間、バケツをひっくり返した大雨が降ってきた。
本が濡れないように咄嗟に服の中にいれて、雨宿りが出来る場所を探して走った。乾いたアスファルトを一瞬で水浸しにするほどに激しい雨で、少し走っただけでも服がびしょ濡れになって服が肌にくっつく。
今日は運が悪いのか、信号に引っ掛かって、今いる場所に避難する頃にはすっかり濡れ鼠になってしまった。
ツイてない。
シャッターが閉まった店の軒先でそう思った。今日の星座占い最下位は伊達じゃない。今度はお天気お姉さんではなく占いを信じよう。
軒先に男性が避難してくる。バッグから出したハンドタオルで水滴を拭っていた。
「あー……やっべ……」
私と同じか少し大きいぐらいの身長で。目は綺麗なオレンジで。髪は最後見たときより少し伸びていた。
私の視線に気づいたようで、彼がこちらを向いた。
「……あ」
そして私だと認識したら顔を一瞬タオルで隠した。そして仕切りなおすかのように顔を見せて「久しぶり」と挨拶した。
「久しぶり……烏間……」
その言葉を学校で聞くのを待っていたのに、何も出来ない歯がゆい気持ちでモヤモヤしていたのに。まるで何事もなかったかのように、あっけらかんと彼は挨拶した。
「まじか、奇遇じゃん。あ、タオル使う? まだ全然使ってないから」
「あ……いや、烏間が先に使った方がいい」
「いいんだよ俺は雨に滴るいい男なんだから。むしろバフなんだわ」
「じゃあ……遠慮なく。……ありがとう」
烏間はいつもと変わらない調子で話しているのに、調子が狂う。……だって学校来てないんだぞ? 何かあったんだろ?
「なぁ見て。俺、オールバックもいけると思わん?」
そんな気持ちも知らないで、烏間は雨で濡れた髪を全て後ろに流してなんちゃってオールバックを作ってドヤ顔している。
「似合うよ」
「やっぱ? ちょっと今度ワックスで固めてみよっかな……」
「……」
……こんなやり取りをずっと待っていたはずなのに、いざ目の前にいると頭の中で言葉がうまくまとまらない。
何を話したらいいのか分からない。でもここで黙っていたら気まずい空気のまま終わってしまう。彼が振ってきた話題を拾って勇気を出して口を開こうとした時だった。
バシャッ!! と、目の前を猛スピードで車が走り去り、水たまりを思い切り撥ねていった。走り去った車の方を見ると、ハザードランプを二回点滅させていた。
「「……」」
お互いビショ濡れになった状態で無言になる。さっきまで普通に会話出来ていた烏間ですら口を開いていなかった。
「……なんかごめん。今日占い最下位だったから……」
「いや、別に謝ることじゃないだろ……」
沈黙に耐えきれなくなって私が謝罪すれば、烏間は首を横に振った。
「っ……くしゅん!!」
ずぶ濡れになって体が冷えてきたのか、クシャミが出た。それを合図にするみたいに烏間も身震いをした。手先が赤くなって微かに震えているのに気付いた。そういえば今日は十月でも少し気温が低い日だとお天気お姉さん言っていた。このままだと風邪を引いてしまうかもしれない。
けどどうしよう。タクシーを呼ぶお金も無いし……。
「──……あのさ、良かったらうち来る? ここから近いんだよ」
烏間からの突然の提案だった。このまま体が冷えたら風邪をひくかもしれないという心配から出た言葉なんだということはわかっている。
でも私は異性の家に上がるという意味を、ほんの一瞬だけ考えた。私だっていつまでも子供のように無邪気ではない。そういう事をしている本や映画は見てきたことがあって、家に上げるという行為には様々が意図と下心が隠れていると学んだ。
……いや、でもありえないだろ。だって烏間とそういう想像が出来ないし、そもそも私たちにそういう感情は無いはずだ。
「……なんて、冗談。そのタオルあげるから風邪ひかないように帰れよ」
じゃあ。と言って烏間は背を向ける。雨で濡れている地面と濡れていない地面が境界線となって、その隔たりを超えようとする。
──手を伸ばして、烏間の手を掴んだ。咄嗟のことで烏間も、私自身も驚いた。
「……行く」
ここを逃したらきっともう会えない気がする。そんな予感だった。
別れと言ったら大袈裟かもしれない。でもなにか手遅れになるようなものがあって、それを見逃してしまったら、今までのような関係はなくなってしまうんじゃないかと。そう思った。
「あー……いや、冗談っていうか。今のは俺のお茶目ジョーク的なノリで……」
「……──っくしゅん!!」
烏間の言葉を消すように大きなくしゃみが出た。烏間はどこか可哀想なものを見る目で私を見た。恥ずかしい。
烏間が「う~」とか「あ~」など言葉にならない言葉を発したのち、歯切れの悪そうな顔をしながら言った。
「……古着のパーカーしかないけどいいか?」
そうして、運の悪い巡り合わせによって私は烏間の家へと向かうことになった。
「……その、手離してくれると助かる。走りづらいから」
「あ、ごめん……」
***
「ただいま」
「お邪魔します……」
烏間に案内されて家の中に入る。……返事が返ってこない。親御さんはいないんだろうか。
「誰もいないから、とりあえずそこのバスルーム入ってて。すぐに替えの服持ってくる」
烏間の言いつけ通りにバスルームへと入る。数分もしない内に烏間が先程言っていた物を紙袋にいれて持ってくる。
「服は脱いだら袋に入れて持っといて、あとタオルとドライヤーそこにあるから適当に使っといて。……俺は二階の部屋にいるから。終わったら声かけて」
「わかった。……あ、これ」
私は雨で濡れないように守っていた本を服の中から取り出した。肌に触れていたからかほんのり温かい。
「これ一緒に部屋に持って行ってくれ」
「あー……うん」
烏間は少し躊躇したように空中で手を彷徨わせると、人差し指と親指だけで本を持った。
「失礼だな。別に汚くないぞ」
「……そっちが気にしないなら気にしないけど」
「……?」
「……まぁいいや。ちゃんと体温めろよ」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
烏間も烏間で気まずいんだろう。さっさと浴びよう。烏間が部屋からいなくなったことを確認し、服を脱いで風呂場へと入った。
「……」
蛇口を捻り、温かいシャワーを頭から被る。なにもせず、ただひたすらにお湯の温度に体を慣らしていいく。下を向くと湯の流れに従順な髪が顔を閉じ込めるように垂れる。この閉塞感が自分の内面と向き合う時間をくれる。
……今更だけど家に上がってシャワーを浴びてるなんてさすがに迷惑すぎたか……? いや、でもあのままだったら風邪を引いてしまうし……。それに、友達として家に遊びに来るのは問題ない。それは普通……だと思う。
そもそもなんであの時烏間を引き留めた? ……それは漠然とした予感がして咄嗟に体が動いたから。
じゃあ本心は? なんで会えないことが、もしくは関係が変わるかもしれないという予感に従った?
それは……。
「……………………」
……私の感情に従うなら、それは寂しかったから。
自分の事が大好きでナルシスト、だけど周りのために頑張る優しい男の子。たまに授業中にウトウトした時に椅子を軽く蹴ってくる後ろの席のクラスメイト。大切な……友人。
だけど今は学校に来ていないのが私の心をぽっかりと空けていた。それがきっと寂しいってことなんだ。
私が烏間のことをなんとか出来るとは思わないし、詳しい事情も知らない。無理に来て欲しいとは言わない。
でもただそれだけは伝えたい。君が学校に来なくて寂しがっているクラスメイトがいるって。
……待っている、って。
だからあの時感じた予感に従ったのは、きっと何も伝えられずに居なくなられるのが一番辛いからと私が思ったから。
「…………」
自問自答を終えて、私はシャワーを止めた。
もう十分な程に体は温まっていた。
***
烏間の家にあったパーカーは私よりも大きく、ぶかぶかで袖が余るので腕をまくった。烏間が二階の部屋にいると言っていたのを思い出し、二階まで上がり部屋のドアの前まで来た。
バサバサドタガタバシャパリン。
そんな音が扉を隔てた向こう側に鳴っている。……パリン?
「だ、大丈夫か?」
「え!? 出るの早っ!? ……ちょっと待って」
慌てた様子で返答する烏間。……待っている間にもどっかぶつけた音したけど本当に大丈夫だろうか。
「ど、どうぞ……」
「お、お邪魔します……」
恐る恐る烏間の部屋に入る。元の部屋がどのくらい散らかっていたのかは分からないが、想像していたよりも片づけられていた。部屋の中央には小さな折り畳み式のテーブルがポツンと置かれていた。押し入れや本棚を隠すカーテンが軒並み閉まっているのは目を瞑ろう。
「……いつもは片づいてるんだけど」
言い訳するようにバレバレの嘘を吐く烏間が微笑ましく感じて、微かに笑った。
「俺もシャワー浴びてくるから。座って待っててくれ。買ってあった本はテーブルの上に置いてあるから」
烏間はそう言うと部屋から出て行った。座って待っててくれなんて言ったもののソワソワする。
好奇心で本棚のカーテンを開けると、巻数がごちゃごちゃになって並べられている漫画たちと、惨状とも呼ぶべき整頓をされている小説群。うわ。と思わず声が出てしまった。けど烏間が学校で本を読む姿を見たことはないから少し新鮮だった。
私もインドアで本を読むほうだから、本棚に並べてあるタイトルは大体見覚えがある。そして烏間の読む本に傾向があるのがわかった。特定の作者の名前が多かったからだ。その人の書く作品は様々だが、文章の比喩が独特だったのを覚えている。何を食べたらこんな表現が思いつくんだろうと読んでて思った。この後の沈黙を回避する話題が一つ出来た。
「……?」
本棚を眺めていると端に追い立てられ、雑多に並べられた雑誌の中、装丁の立派なアルバムを見つける。それは烏間が通っていた中学の卒業アルバムだった。
……魔が差す。というのはこういうことなんだろう。罪悪感と好奇心を悪魔に抓まれ引っ張られている感じ。
手に取って側面の埃を叩いて落とす。ページを開くと、アルバム特有の密着していた厚紙同士がペリペリと剥がれる音がする。
クラス一人一人の個人写真が載っているページを開き、烏間を見つける。いつもはしない真顔がやけにじわじわときて口角が少し上がってしまった。
次に学校行事のページを開いて写真を眺める。烏間を見つける前に式守さんの写真を見つける。……この頃の式守さんって髪短かったんだ。体育祭や修学旅行、合唱コンクールに写る式守さんは、学年を重ねる度に髪が伸びていき、三年の卒業式の写真には見慣れた彼女が写っていた。そのまま学校行事のページが終わり、各部活動の様子が撮られたページが載っていた。
……烏間の写真が全然ない。
ページを捲り返し、やっと見つけたのは二年の体育祭で走っている烏間だけだった。部活動の集合写真にすらも写っていない。中学ではバスケ部に入っていたのは聞いていた。でも引退する前に部活を辞めたのは知らなかった。
ペラペラと捲り、最後に卒業アルバムのある寄せ書きを見る。
白紙だった。
ペンの染み一つない、汚れを知らない聖域。私は気軽に踏み入ってはいけないものに、土足で上がってしまった気がした。
その時ストンと、嫌な腑の落ち方をした。自覚したと言ってもいい。
式守さんには負けるだろうけど、私が一番烏間と仲が良いと思っていた。私が一番烏間のことについて知っていると。彼が思っていることを当てられるぐらいには近い距離にいると思っていた。
でも本の趣味や、バスケ部を辞めた理由も彼の口から聞いたことはなかった。ましてや好きな食べ物も、普段何しているかも知らない。
「──……なに見てんの……?」
部屋に戻ってきた彼のことを、私はなにも知らなかった。