部屋に戻ってきた彼は開かれたアルバムを一瞥するように見ると、ああ……と、ため息交じりに呟いた。勝手に棚を漁ったことに言及することもなく、適当にベッドの傍にあったクッションを持ってきてそれに腰を下ろした。
「勝手に見てごめん」
私は後ろめたくて謝った。
「別に。見ても大して面白くないだろ」
「烏間の写真は少ないなとは思った」
「俺、写真うつり悪いから、アルバム係の人と選んだらNGが多くなった」
「そうか……」
「冗談だよ」
「……」
「そんな目で見るなって」
まんまと騙された私を面白いのか愉快そうに笑った。
「あー、雨やむまで時間潰す気なら、授業どこまで進んだか教えてほしいんだけど」
「え、あ、学校に……」
「はいストップ。言いたいことは分かる」
彼はみなまで言うなと手のひらを突き付ける。
「いや俺だって休みすぎっていう自覚はあるんだよ。まぁ二日三日寝込んだだけであとは体調は元通りだったし。でもさぁ……休んだら休んだ分だけ学校に行きづらくなるんだよ。そしてダラダラこうしていたら十日経っちゃってヤベェなって。今焦ってんのよ」
「……先生から体調不良でずっと休んでるってことになってたけど?」
烏間はやっちまったという顔を片手で押さえた。
「……墓穴掘ったわ」
「よかった。学校来るんだな」
それでも登校の意志があってよかった。安心した。
「……予定ではある。でも一週間ちょっと休んでるからマジで授業に付いていけなさそうでヤバい。教えて」
「わかったよ。教科書ある?」
そうして私は烏間の勉強を教えることになった。授業で習った範囲を教えるとどんどん表情が青ざめていき、これに加えて情報と家庭科も期末範囲だと教えると机に突っ伏した。
「これが絶望ってやつか」
「じゃあ一から詰め込んでいくから」
***
いつの間にか一時間程時間が経っていた。すっかり髪は乾き、目の前の烏間はワークとにらめっこをしている。始めたときは新しい数学の公式に「英単語を混ぜるな。英語で因数分解するぞ」なんて意味不明な文句を垂れていたが、喋りながら解いてるところを見る限り、基礎はそこまで苦戦しては無かったみたいだ。今は応用問題と必死に戦っている。
雨音とペンを走らせる音が沈黙を強調する。烏間とは無言の空間でいることが気まずい間柄ではないが、やっぱり聞いておきたいことがあって緊張していた。タイミングを窺うけど切り出し方が分からない。キリのいいタイミングというのが分からなくて、口をパクパクさせてしまう。
「見すぎ。なに?」
そんな葛藤を見透かされ、ノートに視線を落としたまま指摘された。
「……聞きたいことがあるけど烏間は言いたくないことかもしれない……」
「じゃあ内容による。言ってみ」
「……来なくなった理由、聞いてもいい?」
途中式を書いている烏間に手が一瞬止まり、すぐに続きを書き始めた。それを言った後、烏間はしばらく無言だったものだから答えたくないのだと察して、他の話題に切り替えようとした。さっきの本の話題とか。
「あー…………………………式守に気持ち知られた」
たっぷり間を置いて出た言葉は、彼にとって一番避けていた事実だった。
「傷つけたままじゃいけないってわかってるのに、式守にどうやって顔を合わせていいか分からなくて。そしたら段々と心が苦しくなってさ、なんかわかんないんだけど学校とか友人が敵に見えてきたんだよ」
一つ言葉を紡ぐ度に、ポロポロと彼から言葉が零れてくる。
「そしたら色々悪いことが頭の中でグルグルしてどうしようもなくなって。それを受け入れるのにちょっと日数かかってるわけ」
はは……と、自嘲的に笑う烏間。
その笑顔の裏で痛めた心を想像した。
私の立場で言えば、和泉くんに好きだと知られることだ。好きだった静かな空間も、穏やかに流れる心地いい時間も全て壊れる。ひた隠しにしていた想いすらも暴かれ、変わらないままの関係すらも失われる。
それを烏間は味わった。
「……っ、えっと、なにか出来ることがあったら何でもする」
烏間に対して出来ることはないかと、そう口走った。
「無いね」
即答だった。
「だって狼谷には分かんないだろ」
「……! 分かるよ」
「……」
烏間らしくない棘のある言い方に少しムッときてしまって、意地になった私は反応した。だって私は知っていたから。烏間が関係を壊さないようにしていたことを。辛くても押し殺していたことを。でもその苦しみすら無駄に終わった。
その喩えようのない想いを私は汲みたかった。癒えるまではいかないにしても、分かち合ったら緩和されると思ったから。
「だからなにか吐き出──」
せめて吐き出して抱えてる想いとか、愚痴を受け入れるぐらいは私にも出来る。そんな私の思いあがった気持ちと言葉は、この状況を前に消えていった。
気が付いた時には視界に天井が入っていて、体が横になる感覚も後からやってくるぐらいに自然に倒れていた。片手で私の両手首は押さえつけれれ、杭を打たれたようにびくともしない。逃げられないように両脚の間に足を入れられる。
──私は烏間に押し倒されていた。
「分かってないだろ」
聞いたこともないような、低く冷たい声だった。
「これが
「……!」
「俺のことすげーいい友達って言ってたな。壊れたな。今」
生気の籠っていない顔で見下ろしていた。
「なぁ、何が分かってたんだ狼谷。綺麗に失恋してまた和泉と話せるのに、全部壊れてもう戻れない俺の何が分かるってんだよ」
静かな激情を込めた瞳が私に訴えてくる。
「……ずっと……羨ましいって思ってることすら知らなかったくせに」
「……っ」
彼の瞳に私の顔が鏡のように映る。そしてそれは次第に輪郭がぼやけていく。
私は烏間と似た者同士だと思っていた。お互いに想い人に気持ちを伝えられなくて、その気持ちを共有できる友人だと思っていた。でもそれは勘違いで仲いいと思ったのは私だけだったのかかもしれない。
お互いの熱が伝わるほど近くにいるのに、私と烏間とで果てしない距離があるように感じた。
「……っぁ」
お腹の上に乗せられた手に力が籠められて、声が漏れ出た。一瞬にして根を張ったように押さえつけられ、ポンプのように押された分だけ息が漏れる。痛くはない、ほんの少し息苦しいだけ。
「……なぁ、危機感なさすぎだろ。男は狼って言葉知らない?」
烏間に言われずとも私も分かっている。この状況を誰がどう見ても子供同士がじゃれあっているなんて牧歌的な感想は出てこない。
「年頃の男子高校生の部屋にホイホイ上がりこんで、何かあるとは思いませんでしたは危機感なさすぎるだろ」
「っ、それは」
「信じてるから? 男女の友情が成立しないのは俺の失恋が証明してるのに? ……言葉にしなきゃ伝わらないんだよ」
彼の目が細くなる。目には見えないけれど、確かにそこにあった一線が幻だと言わんばかりに。
「だから……嫌なら早く拒絶してくれ」
──熱が、近づく。