幼馴染が絶対に負けるラブコメ   作:ぽんしゅー

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優しさとエゴ

 

 雨上がり特有の、何らかの化学物質と水分が混じった形容しづらい臭いが漂う。アスファルトヘこみに出来た水たまりを避けつつ狼谷は先ほど聞いた話を反芻していた。

 

(引っ越し……? いつ? そんなこと、一言も……)

 

 帰り間際で聞いてしまった会話。どのような事情によるものか不明ではあるが、その会話をしていた事実に衝撃を受けていた。

 

(前から話は出ていたのか……? だとしたら言ってくれても……)

 

 そう考え少し不服な思いを募らせるも、半ば諦めのようにため息を吐いた。もし本当にそうなら烏間は黙っているだろうな、と。

 

「……」

 

 もう二度と会えないわけではない。連絡も取れないわけでもない。ただ距離が遠くなるだけ。

 

 けれど、もう一度会える保証もない。烏間の方から断とうとしまえば、縁は断てる。

 

 もし烏間が何の便りも出さずに引っ越してしまえば、もう会える手掛かりはない。

 

 それは一人の友人が消えるようなものだ。その事実に胸を締め付けられる。言いようのない不安と焦燥で心臓が落ち着かない。

 

(なんだろう……この気持ち……)

 

 その気持ちの名前を求めようとした瞬間。

 

 ガシャン!! と思考の外から雑音が聞こえてきた。完全に油断していた狼谷は、体を跳ねさせ、物音から咄嗟に距離を取った。

 

 狼谷が音が出た方向を見つめると、大型犬が一匹黙って狼谷を見つめていた。

 

「……」

 

 家の門扉を揺らすように突撃してきた犬が一匹。尻尾を揺らし、今にも狼谷に飛びかからんと門扉に寄りかかるように前足を乗せ、後ろ足で立っている。

 

「「……………………」」

 

 狼谷は黙って大型犬を見つめ返していた。決してビビっているというわけではなく、どこか親近感というか似た雰囲気を狼谷は感じ取っていた。傍から見ると犬と黙って見つめ合っている少しシュールな光景である。

 

「カラ……いきなり飛び出してどうしたの? ……って」

 

 飼い主が家から出てくると、カラと呼ばれた犬は主人の元へと戻っていく。そして主人の姿をみて驚いた狼谷は家の表札に書かれた名前を口にした。

 

「式守さん……?」

「狼谷さん? なんで、こッッ……!?」

 

 式守は二度衝撃を受けて、その後に続く言葉が切れた。

 

 一度目の衝撃は狼谷がなんでこんなところにいるのか。

 二度目は狼谷のその姿に驚いていた。

 

 今一度狼谷の恰好を説明すると、

 

 烏間のパーカー謎の体液(※涙)付き、濡れた制服が入ってる袋、髪は風呂に上がったまま梳かしていないため少しぼさついている。

 

「じ、事後ッ……!? か、烏間とどういう関係ですか……!? え、いやでも……っ!?」

「誤解だ」

 

 式守のIQが叩き出した結論はピンクだった。混乱してぐるぐる目をした式守の誤解を解くのには少々時間を取られ、口下手な狼谷は懸命に言葉を尽くした。

 

 

 ***

 

 

「そ、そういうことだったんですか……すみません恥ずかしい勘違いを……」

「いや、私の恰好も紛らわしかったから……」

 

 このような状況になった経緯を説明(押し倒された時のことはいわずに)し、式守の誤解は無事に解けた。式守はカラを宥めながらも熱くなった顔を手で仰ぎながら自身の勘違いを恥じていた。

 

「その……烏間と会ったんですよね……?」

「うん」

「えっと……どんな、様子でした?」

 

 少し後ろめたい様子で彼女は聞いた。

 

(……なんて答えるべきなんだろう)

 

 烏間は元気には振舞えるかもしれない。けれどそれは元気とも言い切れない曖昧な状態だ。だからといって真実を伝えるのは、烏間に気が引ける。

 

「……」

「……すみません。困らせました」

 

 狼谷の沈黙を察し、式守は目を伏せた。主人の元気のない姿にカラがと心配そうに喉を鳴らすと、式守は「大丈夫だよ」と言って頭を撫でて宥めた。

 

「……元気ではあったよ。でも……なんだろ……無理をしている感じというか……。少なくとも、私の知ってる烏間じゃなかった」

「そう、ですか……ありがとうございます。話してくれて」

 

 嘘ではない。けれど本当のことも言っていない。そんな微妙な言い回しだったが、それでも彼女の心を揺さぶるには十分だったようで、俯いていた顔を上げて、狼谷を見た。

 

「……待つ、って辛いですね」

「あの──」

「いえなんでもありません! 雨上がりで地面がぬかるんでるので気を付けて帰ってくださいね!」

 

 では。と言って式守は家に戻ろうと踵を返した。外に出てきたカラも烏間の匂いだけど本人じゃないと理解するとスンッと大人しくなって家に戻ろうとする。

 

(そっか式守さんは、烏間から式守さんへの好意がバレたことを私が知らないと思っているのか)

 

 桜色の髪が揺れるその背を見ながら狼谷は考えた。

 

 二人のこの問題に介入すべきか、否か。

 

 烏間に檄を飛ばしたのは成り行きではあったが、今この瞬間は狼谷は事情も知っていて、少なくとも小さな気持ちを漏らす程には式守も悩んでいるのだ。

 

 二人の友人として相談の気持ちに乗りたいが、もし自分が突っ込んだことでこんがらがって二人の気持ちをないがしろにしてしまうと思うと狼谷は口を噤んでしまいそうになる。

 

(いや、烏間はもう大丈夫なはずで、あとは時間が……解決してくれるかもしれないから私がこれ以上首を突っ込むのは……)

 

 

 

 ──そういえば、この前言ってた引っ越しのことなんだけど。

 

 

 

「……ッ、式守さん!」

「はいっ!? ……な、なんですか?」

 

 脳裏に聞こえた声が狼谷を突き動かした。突然出た大声に式守は背筋が伸びながらも、玄関の扉に手をかけながらも振り返る。

 

「烏間がなんで学校に来ないのか、式守さんがなんでそんな悩んでいるか知ってる」

「……!」

「だから相談に乗れるかもしれない」

「……狼谷さんは優しいですね」

 

 式守は花を慈しむように狼谷に優しく笑いかける。

 

「でも、これは私たちの問題なんです。今は任せてもらえませんか?」

 

 ドアノブから手を放し、狼谷の方へと体を向ける。相談に乗ろうとしてくれた優しい友人へ誠意を見せるために。

 

「狼谷さんが信じられないからこう言ってるわけじゃないんです。……ただ、今は烏間を待つことしか出来ないですし、それが最善だと思っています」

「……」

「烏間は優しいんです。……ずっと、関係を壊さないようにするために自分を傷つけてた。だから今は烏間が答えを出すのを待ち続けます」

 

 強がっていると狼谷は感じ取った。本当にそうならさっきの小さな本音は吐き出さないはずだと。けれど、彼女はその弱さを隠そうとしていた。似ているとも思った。

 

「式守さんは、烏間の引っ越しのことを知ってるの?」

 

 ただ式守が烏間の答えが欲しいというのであれば時間がない。烏間が引っ越してしまうのであれば、時間は関係を修復する薬ではなく、制限時間つきの爆弾だ。時がきてしまえばもう二度と元には戻れない。

 

「……引っ越し? 烏間が?」

 

 案の定といった感じで式守は目を見開き驚いていた。

 

「……知らなかったです」

「盗み聞きみたいな感じだけど、烏間とそのお母さんが会話の中に『引っ越し』て単語が出て……」

 

 自分が言っていることは身勝手な願望であり、お節介である。本人たちがそう望むのであれば幾人とも口を挟んではならないと狼谷は理解している。それでも感情が抑えきれなった。

 

 答えを出そうとしている二人が手遅れになるのだけは嫌だ、と。

 

「私は……二人の昔のことは知らないし、今も全然知らないけど……気が付いたら全部終わってたっていうのにはなってほしくない、から」

 

 狼谷の脳裏に過ったのは自分自身と烏間の失恋だった。お互いに気づいたときにはもう遅く、伝えることすら出来なくなってしまったもの。

 

「……ごめん。私のエゴだ」

 

 気持ちを大切にしてほしいと言ってくれた式守だからこそ後悔をしてほしくない。だけど式守が“待つ”という選択肢を出したのであれば、その選択肢を取るまでに至った気持ちをないがしろにしたくないというジレンマが狼谷のなかで生まれていた。

 

 吐いた言葉の通り、関係に口を出すのはエゴとも言うべきものなのかもしれない。

 

「……狼谷さんにそこまで言われちゃったらしょうがないですね」

 

 ただ無碍にもできなかった。なぜなら式守はそのエゴが狼谷の優しさから来るものだと分かっているから。

 

 そして式守も本当の気持ちは自分でも理解はしていた。

 

「──烏間と会って話してみます」

 

 だから彼女も本当は動いてもいい理由が欲しかったのかもしれない。

 

 

 

 ***

 

 

 

(とは言ったけど……)

 

 自室に戻った式守はスマホの画面と睨めっこしながら唸っていた。理由は明確だった。

 

(どう連絡しよう……?)

 

 烏間への送るメッセージに小一時間悩んでいた。しがらみのない時期であれば式守も何の気もなしに連絡は取れていたものの、今となっては踏み切った勇気が必要なのである。

 

 しかも昔は男子嫌いであった式守は、数えるほどしか男子と連絡をとったことがあらず慣れていない。幼馴染の男の子から、自分のことを好いている男子へシフトチェンジした烏間への連絡などもっての外である。

 

 こういう時に参考になるのは昔の自分である。式守はトーク履歴を眺めかえし、烏間との昔のやり取りから最初の文言を抽出しようとした。

 

(……私が烏間の立場だったらこんなの死にたくなる……)

 

 烏間の気持ちを知った今、液晶の画面に映る何気ないやり取りの一文も、他愛無い会話の些細な符号すらも苦い想いが隠れていると気づく。遡れば遡るほどどれだけ彼の心を殺すことをしてきたのかを自覚する。

 

「はぁ……」

 

 崖から身投げするようにベッドへと倒れこみ、うつぶせのまま考え込む。

 

(……なんか、なんか……嫌だなぁ……。烏間が私に抱いていた想いは、私が断って諦めさせなきゃいけないものだし、それをしなきゃ誰にとっても誠実じゃないことは理解してる。……それでも烏間には自分を責めてほしくない)

 

 式守の脳裏にあの日の告白が蘇る。

 

(好きになってごめんなさい、か。……誰かを好きになるのは間違いなんかじゃないし、その気持ちを否定する権利なんて誰にもないよ。でもそれを私が言う権利はない。『好きになった気持ちを否定しないでほしい』なんて私が私じゃなかったら言えるのに。……いや、やっぱり無理か。だって烏間は慰められるの嫌いだもんね……)

 

 ひとえに『全部諦めてくれ』と烏間を切り捨てないのは誠実さか同情からか、それともこれまで築いた関係からだろうか。

 

(『ずっと傷つけてごめんなさい』『気持ちに気づけなくてごめんなさい』って謝りたいけど、烏間が謝罪を望んでいなければ私のただの自己満足、罪悪感の消化に過ぎないし、それにまた烏間を傷つけてしまうかもしれない)

 

 

(だったら、なんて言うべきなんだろう……)

 

 

 気持ちは言葉にしないと伝わらない。だけれど言葉に出来ない気持ちも多々ある。限られた言葉を振り絞って伝えてみても受け取り手が誤解してしまうことだってある。

 

 メッセージを入力しようとした指は、画面に触れる時間よりも宙を彷徨っている時間が多く、絞り出した一文すらも数秒後には空白になっている。

 

 ──ただ、話をしたいだけならそこまで考える必要はないと式守に教えてくれたのは一件の通知だった。それと同時に現在進行形で開いているトークルームに新着のメッセージが届く。

 

 

『時間ある?』

 

 

 悩んでいたのが馬鹿らしいぐらいに稚拙で簡素な五文字だった。

 

 

 

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