体内に蓄えてた熱を冷ますように、冷えた風が屋上に吹き抜ける。暖房の効いている校内と、説法のような授業で冬眠に入ろうとしていた体にはいい刺激だった。
……いや寒いわ。(11月中旬)
流石にこの時期でシャツとブレザーだけで凌ぐのはキツくなってきた。明日から下にパーカーでも着てくるか。校則的には地味な色のならオッケーなんだっけ……もっとオレンジとか赤いの着たいな。
「あ、狼谷」
屋上の扉が開かれた音がして振り返ると、この寒空の下に呼び出した張本人がやってきた。
「悪い、待たせた」
制服を着ているからか、この前偶然会ったはずなのに随分と久しぶりな気もする。けど見慣れない大きな紙袋を持っていた。
「それなに?」
狼谷の持っている紙袋を指差すと「はい」と言って紙袋ごと手渡される。中を覗くとあの時貸してたパーカーが入っていた。神かな?
「教室で渡すのは憚れたから昼休みに屋上に呼び出したんだけど……結構寒いな」
「そういや朝のお天気お姉さんも師走並みの冷え込みって言ってた……よっと」
シャツの上からパーカーを着て、その上からブレザーを羽織る。おぉ……ぬくぬくで暖かい。午後一の授業は睡魔の悪魔と戦うことになりそうだな。
「うわパーカーめっちゃいい匂いする。いい柔軟剤使ってんねー」
「そうなのか? 柔軟剤の匂いはあんまり気にしたことなかったな……でも」
急に狼谷が近づいて、パーカーのフードの当たりをスンスンと嗅ぐ。
「烏間が自分の家と同じ匂いするのは少し不思議な感じだな」
「あ、あのさ。急に近づいて匂い嗅ぐのはちょっとドキッとす……しないけど驚くからあんまりしないでほしい」
「ん、ごめん」
「……というかまだ紙袋になにか入ってない?」
袋の重みを感じて中を見ると、コンビニで売ってるような果物ゼリーが紙袋の底にゴロゴロとあった。しかも全部違う味。
「ゼリー? しかもなんかいっぱい」
「えっと……それはお礼と餞別というかんじで……」
「餞別? なんの?」
「……引っ越すんだろ、烏間」
……?
「勝手に聞いてごめん。烏間がそれを黙ってるってことはあんまり知られたくないことなのは分かるし、その行動を尊重したいけど黙って見送るっていうのは私には出来なくて。せめてなにか渡したいなって」
……??
「──あっちに行っても元気でな」
「いやちょっと待て」
なんか狼谷が儚げな笑顔を浮かべてるけどついていけない。
「引っ越し? なんで?」
「……え?」
***
「あはははははは!!」
「そ、そんなに笑わなくても……!」
なぜ狼谷がそんな勘違いをしていたか事情をきくと、どうやらあの日の母親との会話を断片的に聞いていたらしく、俺が転校するのだと勘違いしていたらしい。そんなすれ違いがあるのかと思わず笑ってしまった。
「いや、引っ越すかどうか話してたのは卒業した後の話、するとしてもまだ全然先」
「……なんか、笑ったの見て勘違いだってわかったよ」
そう言って狼谷はフェンスに体重を預けてそっぽを見た。
「いやー行きたい大学絞ったら全部こっから通学二時間ぐらいあるわけ。それで親から大学の近くに引っ越して一人暮らししろって言われたけど、俺が嫌だーって言ってる最中。多分狼谷が聞いたのその話」
「一人暮らししたくないのか?」
「えっと……俺、母と父と俺の三人家族で、父親は単身赴任でまとまった休みしか家に帰れないのよ。それで俺が一人暮らししたら、母親あの家で一人ぼっちだろ? それは寂しいだろ」
家に帰ったら電気が点いてないない真っ暗な廊下とか、テレビを消したら無音な家はそれはそれは孤独を駆り立てられるもので。独りは辛いってことは子供のころからよく知ってる。大人でもそれは変わらないと思うから家にいたいんだけども親が反対してくるんだよなぁ。
「……そうか」
「……んー?」
未だそっぽを向いて返事する狼谷にちょっと含めた相槌をする。持っている紙袋で狼谷の膝辺りを軽く叩く。ガサッと音を立てて中のゼリーが動く音がした。
「なに? ……安心したの?」
なんて揶揄うようにいうと、ジットリとした目を向けられた。
「……少しは」
「はは、嬉しい」
「それと……ちょっとやらかしたかもしれない」
「なに?」
「式守さんに勘違いしたまま言ってしまった……」
「あー……マジ?」
「まじ」
「マジかぁ」
それ……え~……マジ? ちょっと語彙力無くなっちゃうぐらい面倒くさいことになったな。
「……まぁ、このまま言わなくてもいずれ気づくでしょ」
「私があとで誤解といておくから」
「あざす」
「というかその式守さんのことは──」
「はいはい大丈夫それも色々ちゃんと終わったから。終わらせてきたから」
狼谷に式守に告白してきた顛末とその結果を話した。
説明している間は狼谷は何も口を挟まず聞いてくれて、話し終えると少し悲しそうな目をしていたけど、それを俺の目が捉えると隠すように瞼を閉じて「そうか」とだけ呟いた。
「俺は狼谷じゃないからさ。……当たり前だけど」
似ていると思っていた。同じ失恋の痛みを知っていると思っていた。
けど違う。俺は狼谷のように優しくはなかった。俺はもっと意地汚くてドロドロしたものを持っていて、それを認めたくなかったし、見て見ぬふりしてきた。
「悔しいって思ってたんじゃねぇのかな。俺は多分。ずっと」
「他人事みたいに言うんだな」
「自分の気持ちがわからなくなると、他人事みたいな言い方になるんだよ」
悔しい気持ち、正当化したい想い、否定したい醜い心、傷つきたくなくて誤魔化した感情。
人の心は一面ではなく多面的でなおかつミルフィーユのように層になっている。それが多いほど、どれが本当の気持ちなのか分からなくなる。挙句の果てに自分を責める層が増して、どんどん自分が嫌いになっていく。
ならまぁそれでいいじゃないかと。
無理に自分を否定する必要はない。一本芯が通っている人はカッコいいけど、出来ないなら柔軟に生きていけばいい。嫌いな自分は嫌いなまま許容していけばいいとこの失恋で学んだ。
「ともかく! 俺はこの度の失恋を経て、一つ決めたことがある!」
なんか湿っぽい空気を変えるように手を叩く。そう今までは事後報告でこっからが大事だから。
「なに?」
「もう二度と恋しねぇ!!」
「そこまで思いつめなくても……」
「いやだって俺二年ちょっと失恋引きずってたんだぞ? 俺がまた誰かを好きになってみろよ。……絶っっっ対に重たくなる自信がある!!」
「うわ声大きい」
今後永遠にということはないかもしれないけど、しばらくは人のことを恋愛対象として見れないし、好きになってくれる人も現れないだろう。無理してカッコつける必要もなくなったのは気が楽だけど。
「……てかなんで引っ越し祝いでゼリー? いつも昼にウイダーとかそういうのばっか食べてたから?」
「本当は好きなものでも渡せれば良かったけど、烏間が好きなもの知らなかったから」
「まぁ形が残るモノを買わなくてよかったな。空気がヤバくなってたかもしれないし」
それにしても好きな食べ物か……。
「イチゴ」
「え?」
「好きな食べ物。イチゴ風味とかじゃなくて本物の果物のイチゴ」
小さい頃、イチゴ狩りで口いっぱいに頬張るのが夢だったぐらいには好き。
「イチゴ……イチゴか……ふふ」
「なんだよ」
「いやなんか、可愛いなと思って」
「……言っておくけど旬の果物が好きなだけでたまたま頭に浮かんだのがイチゴだったってだけだからな?」
「今度持ってこようか? イチゴ」
「学校に? なにそれおもしろ」
狼谷が懐からイチゴ八個入りのパック出してきたら爆笑する自信ある。絵面が面白すぎるもん。
「とりあえずこのゼリーどうする? 狼谷の勘違いだった以上俺が受け取る理由は無いけど」
「でも全部私が食べるのもな……」
「狼谷なら全部食べれるだろ」
「わざわざ沢山ゼリー買って、全部食べるのはなんだか私が食いしん坊みたいじゃないか」
「え、いまさら」
「え」
なんでショック受けてんだよ。むしろ気にしてた方が意外だわ。
「じゃあ一個貰うわ。残りはバレー部の人らに配りな」
「そうする」
袋の中から桃のゼリーを取り出して蓋を捲る。
「あ」
「ん、なに?」
「家に帰ったら食べると思ってたからスプーン貰ってない」
「言うの遅いわ。もう開けちゃったんだけど、どうやって食べんだこれ」
「……吸う?」
「……………………」
……じゅる……じゅる……。
「カブトムシになった気分」
「まだあるぞ烏間」
「餌付けすんな。……教室戻ってスプーン持ってるやつ探すか」
「教室戻るなら私も戻る。ここ寒い」
「だよなーいきなり寒くなりすぎ」
そうして狼谷と共に少し寒くなった屋上を去った。教室に戻って待っていたのはゼリーをめぐったじゃんけん大会だった。
もちろん優勝した。俺に運ゲーで勝てると思うなよ。
***
放課後のチャイムが鳴ると、疲れがどっとやってくる。久しぶりの学校はかなり疲れる。充足感からの疲労と精神の摩耗からの疲労が半々で、プラマイで言うとギリプラス。
教室の窓から空を見れば、もう茜色が空の一角を占領し始めていて、雲も夕焼けと同じ色に染まっていく。
鞄を持って教室を出る。正門へと行くがてら他の教室を覗けば、机を囲んで駄弁っている生徒がいるし、廊下から外を見れば部活動に励んでいる人もいて、俺と同じように特に残る用事も無く帰る人もいる。
俺一人が死ぬほど落ち込んだところで変わらなかった日常。自分に無頓着な世界に戻ってきたと安心する。下手に励まされるよりも、こういう変わらないものが自分にとってのエールになる。
だけどそんな平らな道を歩くような日常にも、躓いてしまいそうな石は置いてあって。
それは例えば振られてしまった相手と廊下ですれ違うような偶然が発生することとか。
「「……」」
お互いに相手に気づいているはずなのに、どこか気まずい様子で目を逸らし、気づいてないフリですれ違う。胸にチクリと刺した罪悪感を誤魔化すように足早になって距離をとる。
これが漫画だったらこのあとの学生生活はスキップされて、数年後の結婚式でお呼ばれされて再会した時には「好きになって良かった」なんて時効になった言葉を吐くんだろう。でも漫画と違ってこれからも日々は紡がれ、さっき感じた罪悪感もいずれ慣れて心の痛みに鈍感になっていく。
そうして友達からのカテゴライズから外れて、疎遠になってしまった関係をアルバムで思い出すぐらいがちょうどいい。
それがいい。それでいい。
好きになったことは間違いで、それに殉じた想いも悪く、伴った行動は関係を壊した。
だからせめて罰が欲しい。
自分を責めるのは悪いことだとか、失恋を乗り越えて前に進むべきだとか言って、その通りに前に進めたら素敵だとは思う。
けど俺は心臓を取り出して滅多刺しにしたいぐらいの虚無感とか、明かりの無い部屋で静かに泣いた悲しみを知っている。
好きになった人が楽しそうに恋人と話すたびに、意識していた自分がなんだか馬鹿馬鹿しくなったり、一緒に過ごした思い出が色褪せるようになってしまったり、好きな人の恋にそんな事を思ってしまって勝手に傷つく傲慢で最低な自分を呪いながら夜を明かした日も知っている。
でも俺はそんな自分を許容したい。そういう事を思ってしまったのも紛れもない自分自身なのだから。
赦せない自分を許したい。
きっと俺はこんな重くて面倒くさくてカッコ悪い自分も好きだから。
帰りに寄った本屋であの幼馴染が負ける漫画の続きを買った。
今回で最終話とするのが書き始めた当初の予定でしたがまだ続きます。ここで失恋の話はここで一区切りで、ここから普通の日常系ラブコメになるはずです。おそらくきっと。多分。いけたらいく。