恵美が出ていく前の日、確かに俺はあいつと水着を買いに行った。
様子がおかしいと思ったのは、突如やってきた藍を送って、二人きりになった時には既にそうだった。助手席で暗い顔をしていたのは妬いてるのか、まだ勘違いしてるのかと思ってたけど、もっと思い詰めている風なのは確かだった。
「恵美?」
「……はい」
「信じろ──って言ったって、俺がセフレとして藍を抱いてるのは事実だし、あいつが俺をご主人様だなんて言ってるのも事実だ」
「みたいですね」
「だから信じるのはどうか自由でいいけど、俺は藍と会ってたわけじゃねーんだ。たまたま出くわしたっつーか、なんだ……」
「それは蒼山さんにも聞きました」
赤信号に止まり、シンと静かになる車内に俺は息を吐いた。言い訳がましいと思われたかな、と言葉を探していると恵美はスマホの角を人差し指で撫で、じっと下を向いたまま俺を呼んだ。ご主人様ではなく、珍しく名前を呼ばれたせいで少し、驚きつつしばらくは変わらない信号から目を外した。
「なんだ」
「私はやっぱり、子どもなんでしょうか」
「そうだな、どんなに身体は育ってても、高校生って俺からみりゃ子どもだよ」
「……ですよね」
「けど……」
「けど?」
「いやなんでもねーよ」
けど、だからってあんまり甘えてこられると俺だって我慢の限界はあるんだからな、と言おうとして口を噤んだ。これはあまりに大人として最低で気持ち悪い発言だからな。碧辺りにはとっくに知られてることだけど、特に藍とヤるようになってからは一緒のベッドで寝てるからな、起き抜けには色々とある。
──とまぁまた話題が途切れたため、俺は次の話題を探す。話し掛け続けてねーと、なんだか不安だったから。
「ああそうそう水着な」
「なんですか?」
「あんまり俺狙いの派手なやつとか選ぶなよ」
「──ダメでしょうか」
「ダメなんだよこれが、家の庭とか風呂でイチャイチャそういうプレイするってんなら別だが」
「いいですね、それ」
「目的忘れてねーかそれ」
くすっと笑った恵美にほっとする。男ウケしそうな水着で誘惑してくれんのは眼福もんだしで悪い気はしないが、オススメはしない。残念なことにこの世界には俺以外の
「お前はオロオロすんのが関の山だろ」
「……否定はできません」
「じゃあ、その肌を俺だけに見せるわけじゃねーんだってこと、ちゃんと頭に入れとけよ」
「なんか、えっちな言い方ですね」
「犯すぞ」
「今日は見られると恥ずかしい下着なので、ダメです」
「なんだ、エロいの履いてるのか?」
「えっちなの履いてたら見てほしい時ですよ」
確かにそういう見方もできるな? 地味な下着なのか、とか考えながらわかってくれたようで安心しつつ水着を選んだ。ついでにシャツとかパーカーとかホットパンツとか、そういう肌を隠すのも一緒にな。文句ありげだが、ナイトプールだけじゃなくて昼からほぼ一日水着なんだ、セパレートのやつだけじゃ風邪引くだろ。
「なんだ……過保護なのかと」
「脱がれるより脱がす方が興奮するクチではある」
「……もしかして誘いましたか?」
「冗談だよ、さて帰るか」
「はい、行きましょうか」
──こんな感じで水着を選んで、買って、帰って、いつものように一緒に寝て、んで行ってらっしゃいと見送られたはずだったんだ。
なのに、帰ってきたら恵美が消えてた。正確には消えたってわけじゃなくて、直筆の置手紙が残されていたため出て行ったってことになるんだろうが、とにかく大半のものが部屋には残されていたが、恵美はこんなメモみたいな短い文章を残して俺の前から消えた。
『もうあなたの傍にいられません』
そこに焦りや驚きはあったが、冷静に考えれば──こう言うと今までの俺が冷静じゃなかったみたいになるため使いたくないが、冷静に考えるとこれは本来四ヶ月程前にあるべき状態だ。勝手に雨宿りして勝手に出て行く。それが正しい行動だったのを、一瞬探さねーと、と思ってしまった。
「……そうだよな、出て行きたいって思ってくれるほうが、自然なはずなんだよな」
元々拾ったは拾ったが、飼う予定なんてなかったさ。一宿一飯で、恩なんて感じることなく、ありがとうの一言もなく去ってしまう。もしくは追い出す。それを四ヶ月前にすべきだったんだ。だってのに、なんでこんなに虚しい独り言なんだと乾いた笑いをこぼすといいタイミングで恵美から電話が掛かった。
『センパイ!』
「碧、どうした」
『仕事中に恵美ちゃんから連絡あったのに気づけなかった。出てったの……私のせいだ』
「誰かのせいとかじゃないだろ、出てく気になった、それだけだ」
『それで済ませていいわけない、センパイだって同じでしょ?』
出てく気になった、それで全部だ。それでいいに決まってんだろ、俺はあいつの保護者でもなんでもねーんだからな。ただ捨て猫を拾って愛着が湧いて飼った気になっただけ、懐かれたからついエサを与えてやっただけ。あいつが出て行くって言うんなら止めるような理由なんて、あるはずがねーんだよ。
『そうやって、自分の気持ちから逃げるんだ。ホント──子どもみたい』
「生憎、そんな罵ったって悦ぶような性癖はしてねーよ」
『私が捜しても意味ないんだよ? センパイじゃなきゃ、意味がない』
「捜すって、おおげさだな」
そんなに恵美を気に入ったならお前が拾ってやればよかったんじゃねーか、なんて言いかけてそれが碧の怒りを買うことくらいわかりきっていたため、ため息で全てを処理する。
ただ、俺だって一言くらい嫌味を言いたい気持ちにもなる。私のせいだって言ってたが、俺は恵美が出て行く原因がわからないような間抜けじゃない。
「……どうしてもって言うんならお前が捜せ」
『センパイっ』
「誰のせいだよ、誰が面倒なセフレを寄越してきたからこうなったんだろうな」
『……う、それはそうだけどさ』
何がどうなって出てくことになったのかなんてわかんねーけど、少なくとも確実なのは藍が俺のセフレになったのが原因だ。だがそれで軽い付き合いだったならきっと恵美は文句は言いつつも甘えられるとばかりににゃあにゃあ鳴いて俺に寄ってくるだろうが、藍はそうはいかなかった。セフレではなく、ペットになりたいとか言い出してきたんだ。そして極めつけは昨日ばったり出会ってしまったことだ。
「とにかく、俺は……そこまで面倒は見る気はない」
『わかってるけど、私が行っても意味がないんだって』
「じゃあ放置しろ」
それ以上何かを言われる前に俺は電話を切ってやった。イライラする、こんなにイライラするようなことでもないはずなのに、めちゃくちゃイライラする。物に当たり散らしてしまいたいくれーだ。ただ、それをするのを躊躇うほどに、家がキレイだった。机も、ソファも、きっと俺の部屋だって。
「……なにしてんだよ、バカが」
他に誰もいない独り言が届いてほしいやつに届くわけもなく、そして届ける方法を失った状態じゃもうどうしようもなかった。行く宛なんてあったのか、ネカフェかそれともあれだけ居心地が悪いだなんだって言ってた家に戻ったのか──いや、行先を気にするなんて、俺がすることじゃない。
「腹減ったな……ってそうか、そうだよな」
当然飯なんて作ってあるはずもない。今まで帰ってきたら笑顔で出迎えてくれたあいつが全部やってくれてたんだ。最初は別にそんなことしなくていいって言ってたのに、いつの間にか頼りっぱなしになってたんだな。風呂も、毎日家がピカピカなのも、全部恵美がいてくれたからだ。
──だが戻っただけ、そう思えば大丈夫だと言い聞かせながら冷蔵庫を開けるとそこにはズラリと美しく整頓されたタッパーが並んでいた。一つ一つにメモが貼ってあって、あいつの字で何が入ってるかを記してあった。
「……恵美」
風呂も覗いたらピカピカにしてあって、俺は逆にそれが恵美のメッセージであるように感じた。立つ鳥跡を濁さず、そんな感じではなくて。物も相当残ってるし、自分が確かにここで一緒に生活していたんだと、この冷蔵庫を把握していたのも、掃除をしていたのも、冷凍庫にアイスが詰まってるのも、全部自分がやったんだと言っている気がして。
なのにスマホは置いてってるところがあいつのめんどくささを象徴してるよ。わがままで、寂しがりで、頑固で、俺を振り回してくる。
「ふざけんなよ……あいつ!」
行く宛がねーとするなら、ネカフェか。そうは言うがあいつは普段からそんなにお金を持ちたがらねータチだったから、そこまで持ち合わせがあるとは思えない。自分で管理してる通帳ん中を切り崩せば、どうってことないだろうが。すると、家に帰ったか。一体いつからいなくなったか予測はしきれないが、風呂洗ってあったしそんなに時間は経ってないはずだ。すると、この時間から家に帰るのもリスクがあるだろう。碧に連絡をしても来てないって言ってたしな。
「はぁ……はぁ……ここでもねーか、まぁそうだよな」
俺がたどり着いたのは、最初に出逢ったコンビニの近く、だが当然そこに不機嫌そうなブロンドの捨て猫がいるわけもなく、何を期待していたんだと苦笑いをした。
待っててくれるとか、あいつが俺から離れるわけがないとか、甘いことをもしかして考えていたのかもな。
──バカだな、俺は、あれだけそれはないとか言っておいて、いざいなくなって後から気づくんだから。
『もしもし』
「……おう、碧」
『センパイ……?』
「俺が捜索できる範囲にはいなかった。もしかしたらネカフェとかで泊まって、翌朝に家帰るとかかもな」
『あー……じゃあ、そうなると』
「ああ、話すのも無理そうだな」
方法があるとすれば、九月に学校の前で出待ちする不審者になることか? 俺一人じゃ絶対に無理だからな、そん時はせめてお前もいてくれねーとマジで捕まる。
碧にそう伝えると痛々しい笑いと共に肯定される。
「……キツいこと言って、悪かった」
『ううん、私が……ちょっとだけミスったのが悪いから』
「読み違えたか、珍しいなマジで」
お前の後悔はせいぜいカレシにでも慰めてもらえ。俺はそれを最後に電話を切ってほぼ無意識にアイスを補充するためにコンビニへと入った。もしかしたらコンビニにいるかも、なんて淡い期待をして。買い物をしてる最中も、ものを見て思うことが恵美が好きだったなとか、恵美が興味深そうに見てたなとか、オススメされたなとかそんなんばっかりだ。
「一緒にプール行くんじゃなかったのかよ、恵美」
いつの間にか、俺は。自分が思っていた以上に栗原恵美という存在がデカくなってたことに気づいた。気づかされた。
──いなくなって初めて気づくなんて、クサすぎて笑えもせず、俺は熱帯夜の晴れた夜空を見上げて、大きな息を吐き出した。アテもなくブラブラしていたらアイスも溶けちまうため、肩を落としつつも帰るかと歩いている最中に俺のスマホに連絡が来た。その内容に俺は驚かされることになるのだった。