恵美を受け入れる覚悟を決めた俺は藍と向き合っていた。あいつと約束していた条件を達成するためだが、よくよく考えると一ヶ月くらいでこれは俺としても、紹介してくれた碧にしても心苦しいな。
もう少しゆったりでもいいんじゃないかと甘いことを考えていたが、俺はもう一度告白めいたことはした時、あのバカ猫はそれに対してすごく嬉しそうに幸せそうに頬を染めつつ、きっぱりと言ってきた。
「──お断りします」
「な、お前……」
「藍さんを中途半端にしたまま、お付き合いはしたくありません。それが大好きなご主人様の命令であっても、それをされるくらいなら実家に帰らせていただきます」
「……はぁ、わかったよ」
先延ばしは許されないということで碧にも連絡を取って同席してもらった。
──だいたいの事情は察知しているようで、藍は少し、いやすごく落ち込んだ様子で俺と碧の向かいに座っていた。切り出さなきゃいけねーのは俺だが、空気が重い気がする。
「藍……俺は」
「……わかっていました、こういう日が来ることは」
「そうか」
「あなたの家に女の人の気配がした時から……ずっと、あなたは優しいから、傍に置いていてくれるだけだと……」
「それは美化しすぎだろ」
買いかぶりすぎだ。俺はセフレが欲しかったから、それで都合がよかっただけ。ほんの少しだけ藍にも申し訳ねーとか、もうちょっとなんとかしてやりたかったって気持ちはあるからこうして一方的な破棄じゃなくて彼女に首を振る時間をあげていた。それでも俺はもう、エサをやるつもりもないから、これはエゴでもあるんだが。
「元はと言えば……私のせいだ、本当にごめんなさい」
「碧」
「そうです、どうして蒼山さんを紹介したんですか?」
藍と三人の話し合いが設けられる前に、碧は俺んちにやってきて頭を下げた。碧にもそこそこ懐いていた恵美も流石にこれにはご立腹だったようで言葉をぶつける。その問いかけに対して、一番の戦犯でありつつ、逆を返すと失う前に恵美という存在の大切さに気づかせてくれた後輩でもある。俺はその一点があるため割と大目に見てやるつもりだった。
「……あのね、えっと……怒らないでねセンパイ」
「ご主人様、この人犯してしまいましょう」
「セフレもダメなんじゃないのか」
「いいんです、セフレはダメですがこういうのを……わからせ?」
「そんなものわかってほしくはねーけどな」
過激な恵美に碧はまるで今からケダモノに食われるような表情で絶望していた。この後輩はなんだかんだで俺とヤルの気持ちいいから好きですよなんて思わせぶりなことを言うタイプなんだがこういう顔は面白くて俺はちょっとだけノリ気のフリして立ち上がった。俺は恵美のゴーサインが出る以上罪悪感の欠片もないからな。
「ちょ、ちょちょっとセンパイ! レイプは犯罪ですよ! 私合意してません、ノー!」
「相応の報いですよ碧さん」
「恵美ちゃん、誰に似たんですか、お姉ちゃん悲しいよ!」
「誰がお姉ちゃんだ」
「というかまだ私何も言ってないのにぃ」
確かに、と俺は元の場所に座って恵美を撫でる。気分は猫を膝に乗せて撫でるセレブ気分だ。しかも毛並み最高だからな、この猫。ただまだ怒ってるけど、こいつは何かを察知してたらしい。
──そんな睨みつけられる中で冷や汗をかきつつ、碧は事の顛末を語り始めた。
「実はね……藍ちゃんを紹介した理由が、その……なんと言うか」
「──
「あ、ハイ……そうデス」
「当て馬……なるほどな」
「で、でもね、こう後腐れなくすためにセンパイが気に入りそうな女の子かつ、こうセフレはあんまり……みたいな子を紹介したつもりなの」
恵美の言葉に必死な言い訳だ。つまりはセフレじゃなくてちゃんとした恋人関係、というか寂しさを正しく埋めてくれるような相手を探してる女をあてがって、俺は新しい女とセックスしてっていう中で恵美の嫉妬を煽って、そうすることで俺たちの関係を進めようという厄介な恋のキューピッドだったってわけか。
「でもね、まさかここまでセンパイが藍ちゃんに刺さるなんて思わなくて……」
「計算ミスとは、碧にしちゃ珍しいな」
「う……だから、本当に、恵美ちゃんには申し訳ないことしました……ごめんなさい」
「……ま、まぁ、私としてはこうしてご主人様に愛でてもらっているので、碧さんの作戦は成功といえばそうなんですし、感謝はしています」
「じゃ、じゃあ……!」
「ご主人様、いいですよヤッて」
「おう」
「おう、じゃないよセンパイ! これは立派な性犯罪な上に性的虐待だよ!」
何が性的虐待だ、ってあれか。恵美にそういう行為を見せるのがダメってやつな。それは確かにまずいかもしれないな、今はヤッていいとか言ってる恵美だが急に冷静になって嫉妬してくる可能性は捨てきれない。それに俺はちゃんと冗談だってわかってるから安心しろ。俺はな。
「えっ」
「えぇ……恵美ちゃん?」
「な、
「むぅ」
「俺が目の前で他の女とヤルの特等席で見たいっていうんなら止めねーけど」
「それは……嫌です」
「よし」
というわけで落ち着きつつある恵美を宥めつつ、碧に今後のことを訊ねる。結局お前のちょっとした計算違いのせいで藍との関係結構めんどいことになってるんだからな。一応、恵美の手前はわかったってすぐ頷いたし、そっちの方向に進みつつあるけどさ。俺だってあいつのことを嫌いなわけじゃないし、傷つけて──あいつのカレシみたいに都合が悪くなって捨てるのは、よくねーってことくらいは俺にだってわかる。
「そんで、碧は飼ってくれるかもって思った男にもう一度フラれる経験をさせるようなひどい先輩になるんだろうな」
「それは……えっと、私からも話して、あの恵美ちゃん」
「なんですか」
「あの子のこと、もうちょっとだけ許してあげられない?」
「あの野良犬さんのことを、ですか?」
野良犬って呼ぶなよ藍のことを。許してあげてっていうのは、急に捨てるんじゃなくてちゃんと段階を踏んでってことな。俺もこれには賛成なんだよな。あんまりトラウマこじ開けるような真似はしたくないっつーか、もっとヒドく言ってしまうと俺が加害者になりたくねーんだよ。
「頼むよ恵美」
「ご主人様が……そこまで言うならいいですけど」
「恵美ちゃん!」
「でも、このままズルズルと一年とかは絶対に嫌です。私は浮気を許しません。セフレも浮気です」
「ああ、わかってるよ」
頭を撫でると鼻を鳴らす恵美が今の俺には愛おしくてしょうがなかった。なんか、なんとなくだけどこうやって浮気を許さないって言ってれるってのは嬉しくなるな。浮気してもいいからとか、セフレいてもいいからって縋られるよりも、こうやって私一人いれば充分でしょって顔でいてくれた方がいいな。その方が、ああ俺だって本気で応えなきゃって気分にさせられる。我ながらなんて都合のいい頭なんだと笑っちまうけど。
「──というわけなんだ」
「正直に言えば、泥棒猫にかっさらわれた……と言いたいくらいですが」
「後から来たのは藍だけどな」
「……ご主人様に愛玩されたのは、わたしが先のはずでは?」
「あーそういう」
「あ、藍ちゃん……?」
「長月さんは、一度ご主人様の慰み者になる悦びを知るべきです、お仕置きです」
「なんかデジャヴなんだけど」
どうして俺が碧を犯す方面で話をまとめるんだ。しかも俺は藍に慰み者にされる悦びを教えたつもりはないんだが、そもそも俺優位に見せかけてこいつ跨って腰振ってくるくらいなのでむしろ藍優位とも言えるんだよなってこんな性事情はさておくとして、俺は藍にもう一度だけ伝えた。
「俺は、藍のご主人様にはなれないし、藍を飼うつもりはない」
「……はい」
「けど、都合が悪いから捨てるってのは、ちょっと違う。俺はそういうやつだってお前に思われたくないってエゴだけど」
「本当に、優しい……あなただからこそ、わたしはセフレで終わりたくないって思えました」
「ごめん……中途半端なやつで」
「いえ、わたしはどうやら中途半端なあなたをもっともっと素敵にするためのスパイスだったようなので」
「だとよ碧」
「……ごめんなさい」
いつもは自信満々のはずがしょぼんと落ち込んだ先輩を見てちょっと満足したのか、トゲトゲした言葉たちを引っ込めてゆっくりと息を吐いた。そして黒いノースリーブニットから伸びる、見惚れるほどに美しい腕を伸ばして俺の手に触れてきた。恋人繋ぎのように指を絡めてまるで俺の感触を確かめるように。
「わたしはまだまだ、躾の足りない駄犬です」
「お、おう……」
「あなたがいないと、リードを引いていただけないと……まだ」
「そうか」
俺がいつリードを引いたのかというツッコミは多分野暮なんだろう。藍は、捨てられた反動からか自分が誰かにリードを引かれないとダメな女だと思いこんでいるようだが、俺はそうじゃねーと思ってる。こいつに必要なのは傷を癒やすための男とセックスじゃなくて、誰かに愛されることを肯定できることだ。そういう意味だと躾の足りない駄犬というのは百歩譲って納得するよ。
「──はぁ、怒られるのはお前も一緒だから碧」
「えっ、私なの?」
「当たり前だろ、恵美はわがままなんだからな」
「藍ちゃんは?」
「藍は、お前が責任取るはずの問題だろ」
「ですからご主人様の女にしてしまえば──」
「私、一応同棲してるカレシいる上に結婚予定なんだけど」
「自分だけ幸せになろうとしてるなんて、そんな人生は壊してあげてください」
「俺はこいつには感謝しっぱなしだからな、そこは許してやれ」
「はい、長月さんの末永い幸せを願っています」
「……絶対ミスってるよ私ぃ〜」
どうやら藍は猫を被っていたらしい、犬だけど。俺はそんな藍を飼うのではなく預かる決意をした。いつか誰かに愛されるのを肯定できるようになるまで。もうお互い言いたいことを隠すとか、セフレみたいな割り切り方はしない。俺にとって唯一無二なのは当然、恵美ってことになるんだろうが、俺が頑張ってどっちのペットも扱えばいいんだろうみたいなやけくそ感覚だ。
「いつかあなたが自慢できるほどにいい女になって、幸せになってみせます」
「……もういい女だよ、充分すぎるくらいにな」
「なにせセンパイが気に入った女の子だからね、そこは自信持っていいよ」
「はい」
こうして俺は藍とのセフレ関係を断ち切って、新しい里親が見つかるまでの預かりという藍の言葉にするとそういう関係になった。徹頭徹尾、犬としての立場を崩すつもりはないところがなんとなく藍らしくて笑えてきた。
──後で恵美には拗ねられて、その機嫌を直すために色々と手を尽くした結果なんだが、まぁ多くは語らないでいいよな。確実に言えることは、今まで抱いた誰よりも、充足感と幸福感のまま恵美を抱き枕にして眠りについたってことくらいか。