01:星の消失
『──東京レース場で開催される今年最後のレース。来場者数十万人越え、ウマチューブLive同接百五十万人以上という異例の注目を浴びたジャパンカップ』
日本で初めて開催された国際招待競走、ジャパンカップ。海外で活躍するチームを招待し、トゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘達と熱戦を繰り広げるこの舞台に今、世界中の期待が注がれている。
もとより最も格の高い"GⅠ"に分類されるため、注目度は非常に高いレースであった。
しかし先ほど実況者が語った通り、今年のジャパンカップに対するそれはまさしく異常。
『なんと言っても今年のジャパンカップには、
『ええ! かくいう私も──』
何度もレース場に足を運ぶ私でも、今回ばかりはさすがに足が竦む。観客の流れはまるで嵐の中の荒波だ。
背中に負ったお気に入りのバッグのショルダーベルトを、私はぐいっと握りしめる。
「──ダイヤちゃん、早く行こ!」
「えっ、ちょっと……っ!」
尻込みする私をよそに、親友のキタちゃんは私の手を強引に引いて荒波の中へ飛び込んだ。
人混みの中で揉まれること数分、キタちゃんのおかげで私達はホームストレッチの先頭に立つことができた。
本格化を迎える前の、小柄な体型だった私達は尻尾を興奮気味に揺らしながら柵から身を乗り出す。
私の目の前では、数々の重賞を手にする優駿ウマ娘達がターフの上でゲート入場を控えていた。
「あっ!」
私はそんなウマ娘達の中から、血眼になって彼女を探す。
海外で活躍する彼女の姿をこの目で見る。それが私の唯一にして最大の目的だった。
当然、彼女はすぐに見つかった。
いや、探すまでもなく私の視線は彼女に吸い寄せられた。
陽光を浴びてきらめく、黒鹿毛の髪。彼女は自身の晴れ舞台を鮮やかに彩る勝負服に身を包み、精神統一を図っている。
『──アルデバラン。今世界でもっとも勢いのあるアメリカのチームがついに、日本の大舞台に上がります』
私の瞳は彼女に釘付けだ。彼女を直接見れたという感動も相まって、私は掛かり気味になっていた。
あ、今こっち見た!?
私の熱烈な視線に気付いたのか、彼女はこちらを向いて軽く手を振ってくれた。
「いま、あたしに向けて手を振ってくれた……っ」
「いや、絶対私だよ!」
「あたしだって! 絶対目があったんだから!」
「それは違うよキタちゃん。ぜっっっっったい私!」
多分、彼女が手を振ったのは私に向けてでもキタちゃんでもないだろう。このような勘違いは日常茶飯事だ。多分、誰もが一度は経験したことがあるのではないだろうか。
『待ちに待った一番人気の紹介です。本レースの大本命、主役と言ったら彼女しかいないでしょう。チーム・アルデバランの肩書きを背負って──"ミライ"が日本の盾に挑みます』
彼女の名は──ミライ。その人気と功績から"星"という二つ名を持つ世界的なアイドルウマ娘が今日、日本のレースに出走する。
『間もなく各ウマ娘の出走準備が整います。ついに実現した夢の舞台。その幕が今、上がります!』
世界中の期待を一身に受け、ミライがターフを駆け抜ける。
「わぁ…………」
すごい、なんて凄いのだろう。
その優雅な走りはまるで、夜空を旅する流星のよう。二つ名の通り、目を離せば一瞬で見失ってしまいそうなほど、彼女は速い。
自身の影すら踏ませない圧倒的なスピードはまるで、大逃げをしながら追い込みをかけるかのよう。
目が離せない。五感のすべてを集約して、私はミライのレースに没入する。
「──あぁ」
彼女と同じウマ娘に生を
「いつかこの舞台で、私も……っ!」
強い憧れを抱くのは必然のことだった。
***
「──訪問ッ! わたしはトレセン学園理事長、秋川やよいだッ!」
部屋の支柱からぶら下げたロープの輪を、手綱を強く握りしめるように掴む。あとは首をかけて、足場の椅子を蹴る。そして、このくそったれな世界からおさらばする……はずだった。
「……あ?」
俺は自分の耳を疑う。
来客? このタイミングで?
「懇願ッ! この扉を開けて欲しい! 君に用事があってここに来たッ!」
それはそうだろう。用事がなければこんなへんぴな場所に来るはずがない。
世間の視線から逃げるために、罪の意識に苛まれる自分を守るように。人里離れた山奥の、朽ちかけた山小屋で暮らす俺に用事だなんて。
たいそう変わった人間なんだろう。
山小屋にはインターホンが無い。バシバシッ! と、立て付けの悪い扉を殴りつけるような音が響き渡る。
扉が壊れるだろうが。
俺は内心で毒づく。しかし、俺は無視する。
俺は決意を固めるのに……この輪に自らの首を差し出すのに、二年の年月を要した。
そんな俺の覚悟を、赤の他人に容易く揺るがされてたまるか。
──バシッ、バシッ! グギィ、バキッ、バシバシバシッ! グチュゥッ!!!!
……それにしても騒がしいな。他人の家だというのに、ノックに一切の遠慮が無い。
「ええい、強行ッ! たづなッ!」
「はい」
一向に返事をしない俺に痺れを切らしたのか、来客の女が誰かの名前を呼ぶ。”たづな”らしき人物が女の言葉に短く答えると。
「──ッ!」
玄関の扉が……吹き飛んだ。
蹴り飛ばしたのだろう。空間を隔てる壁が無くなる。俺は少しギョッとして、開放的になった我が家の入り口に視線を向けた。
「初めまして。トレセン学園で理事長秘書を務めております、駿川たづなです♪」
全身緑色の事務服に身を包んだ女が、涼しい顔をして立っていた。
駿川たづな。その名前には聞き覚えがある。しかし果たして、それはどこで耳にしたか……思い出せない。あるいは、思い出したくないのかもしれない。
「失敬ッ! 強引な手段を用いてしまってすまないッ! 改めて、わたしはトレセン学園理事長ッ! 秋川やよ……い…………んぁ?」
理事長と言うには少し小柄な、少女と形容してもおかしくない年齢の女──秋川やよいが扇子をタンッと開く。
そして同時に、あんぐりと目を見開く。
当然だろう。なにせ目の前でいま、人が死のうとしているのだから。
「──た、たづなぁッ!!!!」
秋川の慌てふためく声に、緑色の事務服女──駿川たづなが即座に応じる。瞬きをした次の瞬間、俺の眼前には駿川の姿が。
一瞬、駿川が消えたように見えた。人間離れした脚力で地面を蹴ったと思ったら、勢いそのままに身体を掴まれ地面に叩きつけられた。
部屋中に土埃が舞い上がる。何が起こったのか理解が追い付かない。気付いたときには、俺は呆然と天井を見上げていた。
「手荒な手段を取ってしまい、申し訳ありません」
そんな俺の顔を、駿川が覗き込んでいた。そのせいで頭に被っていた帽子が落ちそうになり、駿川は慌てた様子で帽子を押さえていた。
……俺は死ねなかった。
後悔が込み上げてくる。二年間かけて固めた決意がこれでは水の泡だ。
「……なんてことを」
なんてことを、してくれたんだ。
この日、俺は全てを終わらせるはずだったのに。
赤の他人が、余計な邪魔を。
「──アルデバラン」
秋川の突然の言葉に、俺の心臓が大きく跳ね上がる。鏡を見るまでもなく、自分がいま最悪な表情を浮かべているのがわかった。
「無双。かつて"ウマ娘"達の頂点に君臨
チーム・アルデバラン。この世界において、その名を知らないものはいない。
別世界の名を冠し、その魂を受け継いで運命をなぞるように大地を駆ける。人間には存在しない生体器官と超人的な脚力をもつ──ウマ娘。
今や国民的スポーツ・エンターテイメントとも言える『トゥインクル・シリーズ』で人気を博す、ウマ娘達の頂点に君臨していたチーム。それが、秋川が言ったチーム・アルデバランだ。
アメリカ合衆国のマンハッタンに本拠地を構え、他の追随を許さない圧倒的な実力をもって、彼女達は世界中を魅了した。
色々な意味で世間話として話題が尽きず、雑談のネタには持ってこいなチーム・アルデバラン。
「……知らないな」
俺は秋川の脈絡のない話題に対して、しらを切った。
「俺は今、忙しいんだよ。赤の他人と世間話に耽る余裕なんてないんだ。だから、早急にお引き取り願いたい」
アルデバラン。おうし座の一等星、だったか。
確か意味は……。
「戯言」
俺の要求に対し、秋川は短い言葉で一蹴した。
「二年前、"星の消失"と共に、とあるサブトレーナーが行方不明になったという噂が話題となった」
「初耳だな」
「ならば紹介しよう。彼はトレーナー養成校を卒業後、アメリカへ留学。在学中の成績を評価され、齢二十でアメリカ最強を誇るチーム・アルデバランのサブトレーナーに就任。そこで四年間の経験を積んだ天才だ」
「それは凄いな。そんな人間がいるのか」
しかしそれが一体、どうしたと言う。
「"星の消失"によって、自然と表舞台から姿を消したチーム・アルデバランだが。……しかし今もなお、ウマ娘達の憧憬の象徴として輝き続けている。それ故ッ!」
秋川は扇子をパンッと広げ、俺に向かって突きつけた。
「──懇願ッ! "星"を育て上げたトレーナーの手腕をもって、トレセン学園に在籍するウマ娘達を導いて欲しい!」
秋川が、俺に向かって凄い勢いで頭を下げた。
さすが、トレセン学園──日本ウマ娘トレーニングセンター学園の理事長。ウマ娘達を想うその心意気には感服する。
「断る」
しかし残念だ。秋川達は一つ、根本的な勘違いをしている。
「な、何故ッ!?」
「“星の消失"とか、チーム・アルデバランとか何か知らないが、残念ながら人違いだ。悪いが他を当たってくれ」
こんな山奥で腐っている人間が、そんな輝いた人間に見えたのか? だったらその目は節穴だな。
「え、あ、あわわっ……」
俺は秋川の言葉を適当にあしらって、二人を部屋から追い出そうとする。
俺の心にさざ波を立てる嵐には、早急にお引き取り願おう。
二人を玄関まで追いやる。
「ぎ、疑問ッ! 何故自らの輝かしい過去を否定する!? その才能があれば、どれほどのウマ娘が救われることか──」
「俺はウマ娘なんて嫌いだ。もう二度と、関わりたくない」
「……ッ」
……しまった。つい勢いに任せて、余計なことを。
失言を口走った罪悪感からか、俺は秋川の顔を直視出来なかった。
「……遺憾」
そんな俺のザマを見かねたのか、秋川はぽつりとこぼす。
「今の君を見て、彼女は──"ミライ"はどう思うだろうか」
──"ミライ"。秋川がこぼした名前に、俺の身体は過剰な反応を見せた。
心臓が握り潰されそうなほど締め付けられ、呼吸を奪われる。全身から脂汗がブワッと吹き出したかと思えば、視界が激しく揺さぶられて平衡感覚を失った。
「──ッ!?」
俺はなりふり構わず便所へ駆け込んで、胸の中から込み上げてきたものを思い切り嘔吐した。
吐いて。
吐いて。
息が絶え絶えになりながら、また吐いて。
胃液をしぼり出すまで吐き続けた俺は、乱れた呼吸を何とか整えてその場から立ち上がる。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
俺の様子を見に来たのか、駿川が慌てた様子で駆け寄ってきた。駿川に身体を支えられる。
身体の中のものすべてをぶち撒けて、吐き気はおさまった。しかし、視界をぐわんぐわんと揺さぶられ、俺は立つことすらままならなくなる。
「至急ッ! たづな! 彼を早く──……」
そして視界が暗転し、俺は意識を手放すのだった。
***
チーム・アルデバラン。ウマ娘の頂点に君臨する者達の中で、一際輝く存在がいた。
自身の影すら踏ませない圧倒的な実力と、見る者すべてを魅了するカリスマ性を備えた一人の少女。
エクリプスの再来と呼ばれ、瞬く間に世界の"星"となったウマ娘。
その名は──ミライ。
数々の偉業を成し遂げた彼女に、多くの人々が心を奪われた。多くのウマ娘が憧れを抱いた。
彼女に憧れ、目標とするウマ娘がいるのであれば、一つ助言をしてあげよう。
その先に待つのは、救いようのない──破滅であると。