翌日、俺は先日の問題行動に対する処罰を受けることとなった。
処罰の概要が記載された書類がトレーナー寮の自室に届き、俺は一通り目を通す。
その内容は、
俺は一瞬、目を疑った。
俺は、第三者からウマ娘に対する暴力行為と捉えられてもおかしくない言動を取ったという自覚があった。
本来職の罷免を免れない行為であったと記憶している。しかし、こうして一週間の謹慎処分で済まされたということは。
「……理事長か、あるいはURAか」
一連の騒動が公になるのを恐れたのか、あるいは不足気味の人材が失われることを危惧したのか。
はたまた、別の理由か。
俺はおそらく、権力を持つ人間に匿われた。理不尽と呼ばれるほどの大きな圧力で、事実がもみくちゃにされた。
外部から情報を得る手段がない以上、この処罰に至った理由は推測の域を出ないのだが。
まぁ何となく、こんな感じだろう。
一週間の謹慎処分。ダイヤのレースは二週間後だから、まだ余裕は……。
「…………何考えてんだよ」
担当ウマ娘との契約破棄は、既に決定事項。
俺は一体、何を考えようとしていたんだ。
思考を放棄するように、俺はベッドに身体を投げ出す。
過去の面倒な縁が生み出した状況から、ようやく抜け出せるんだ。
理事長にさっさと辞表を突き出して、こんな学園からおさらばしよう。
この学園はダメだ。
ウマ娘なんて嫌いだ。
だってこの世界には、余計な思い出が多すぎる。
***
ベッドの上でそのまま意識を手放し、俺が次に目覚めたのは真夜中だった。
昨日から俺は飯も食わず服も着替えず、風呂にすら入っていない状態だった。
さすがに不快感を覚えたため適当にシャワーを浴びた後、俺は買い置きしてあったカップ麺を乱雑に漁る。
何も考えずお湯が沸くのを数分間待っていたら、唐突に玄関からインターホンが鳴った。
こんな深夜に、しかも謹慎期間中の俺を訪ねてくる人間なんているのか。
おそらく部屋を間違えたのだろう。俺は無視して、やかんの前に立つ。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン……。
先程から連続して音が鳴っている。どうやら本当に、俺の部屋を訪ねてきたようだ。
仕方ないから玄関へ足を運んで、はいはいと扉を開ける。
「…………あ? 理事長?」
玄関先で立っていた人の姿には見覚えがあった。
比較的小柄で、少女と形容してもおかしくない年齢の、栗毛の女。
トレセン学園理事長──秋川やよい。
「訪問。夜分遅くにすまない。君と話がしたくてここに来た」
「……俺、謹慎中ですよ?」
「うむ、当然把握している。故に、わたしは忍びで足を運んだ」
確かに、俺の目の前にいるのは理事長一人だ。普段は必ず傍で控えているたづなさんの姿が、今日に限っては見当たらない。
「要求っ。早く中に入れてくれないか? たづなに見つかってしまう。それに、夜は冷えるからな」
俺が返事をする前に、理事長は扉の隙間から猫のようにスルッと入ってきてしまった。
たづなさんに無断でトレーナー寮へ来たのか。後でどうなっても知らないぞ。
今の俺に子供を追い出す気力は残っていなかったので、仕方なく扉を閉めて理事長の後に続いた。
「清潔。過酷な業務に従事する中でも、部屋の掃除を怠らないとは良い心掛けだ」
「そりゃどうも」
俺の場合、片付けるようなものがほとんど無いからなんだけどな。
「おお! これは、カップラーメン!」
「なんだ、食ったことないのか?」
「何度か食べようと思ったが、毎回たづなに止められる」
理事長は年相応か、それよりも幼い子供のように瞳をキラキラさせてカップ麺の容器を眺めていた。
「食うか?」
「うむ!」
理事長の純粋すぎる笑顔に、俺は毒気が抜かれたような気がした。
テーブルの椅子にちょこんと座る理事長の前で、俺は沸騰したお湯を容器の中にいれる。
蓋をして三分待つ間に、俺は理事長に問うた。
「……それで、こんな時間に何しに来た」
どうせ、ロクな話ではあるまい。
「確認。生徒会長のシンボリルドルフから、君のことを聞いた。ウマ娘に手を上げたという話は……事実か?」
「事実だ。何なら、我を忘れて外道に堕ちるところだった」
「把握」
意外だった。学園のウマ娘達を誰よりも大切に思っている理事長のことだから、もっと気性を荒げるものだと思っていた。
子供相手にブチ切れた短気で屑な俺とは違って、理事長は本当にできた人間だ。ふつふつと湧き上がっているであろう感情を、全て理性で律している。
「本人達からも事情は伺っている。片方の生徒が泣きじゃくって、あまり会話にならなかったがな」
「……そうですか」
今更罪悪感に浸ってどうするんだよ、俺は。
「本人は契約の継続を強く懇願していた。わたしが言うのもアレだが、彼女の話に耳を傾ける気はないか?」
「契約には責任が伴う。一度それを曲げたらおしまいだ」
俺は彼女に条件を提示し、相手が了承した上で契約を結んだ。情に絆されて蔑ろにしていいものでは決してない。
「承知。契約違反を犯したのは生徒の方だ。理事長という立場をもってしても、二人の事情に介入することは出来ない」
しかし。
「……と、まぁここまでは理事長室で話せば済む内容だ」
彼女なりの配慮なのだろう。誰の邪魔も入らない空間で、対話する機会を設けたということが。
「──”ミライ”のことを、未だに引きずっているのか?」
「……知らないな、そんなウマ娘は」
「隠す必要はない。この空間には、わたしと君しかいないのだから」
「……」
秋川の瞳に強く見据えられて、俺は言葉を詰まらせる。
喉の奥がからっからに乾くほど考え込んだ末に、俺はとりあえず話を逸らすことにした。
「三分経ったぞ。ほら、割り箸」
「うむ、頂こう」
完成したカップラーメンを秋川の前に差し出す。
箸を二つに割って、容器の蓋を開けながら秋川は言う。
「既に引退したチーム・アルデバランのチーフトレーナーから、君の事情は大方聞いている。彼女は君のことを、高く評価していた」
「……そうですか」
言いながら、秋川は両目を輝かせて麺を啜る。
「美味ッ!」
夢中になって食べる姿を見て、無意識に俺の口元が綻んだ。
──ねぇトレーナー! これ、すっごく美味しいよ!
……はぁ。目の前の子供に、俺は一体何を重ねているんだか。
「……俺は」
そして。
気付けば俺は。
「あの時、選択を間違えた」
自分の中に封印していた記憶を、ポツポツと、語り始めていた。
「俺があいつを……ミライを育てなければ、彼女があんな悲惨な最期を迎えることは無かった」
かさぶたになった古傷を自らの手で掻きむしる。
これ以上苦痛で、不快なことはない。
「俺だけが、ミライの夢をへし折ることが出来た」
それでも、心の傷を声という形に変えてしまうのは。
「俺だけが、ミライを落ちこぼれのウマ娘に育てることが出来た」
目の前で失われた一つの命に。
「俺だけが……ミライを救うことが出来た」
償いをしたかったのかもしれない。
「それは結果論に過ぎない」
「違う。
「それは、君の特異な”体質”のせいか?」
「そうだ」
俺は分かっていた。
ミライが自身の身体を破壊しかねないほどの才能を秘めていることに、最初から気付いていた。
才能が花開いてしまうその前にミライの心をへし折って、競走とは無縁の人生を歩ませてあげようと思った。
しかしそれが叶う寸前に、俺の方が彼女の熱意に折れてしまった。
走り抜けた先に見える景色が救いようのない破滅と分かった上で、俺はミライを育成した。
これを人殺しと言わずして、何という。
「……そうか」
胸の内で整理していた言葉が、いつの間にか声に漏れていたようだ。
赤裸々な俺の本心を聞いた秋川が、深く、静かに頷いた。
「自主的なトレーニングを一切許さない徹底した管理主義。ウマ娘達の自主性を尊重するわたしでも、不思議と共感できる」
「そんなんじゃない。俺はただ、臆病なだけなんだ」
俺の手の届かないところで、大切なものを失うのが怖い。
今まで取ってきた行動は全て、臆病な自分自身を殻に閉じ込め、守るためのものだった。
「俺は屑だ。ダイヤが走る未来を諦めさせるために、いくつもの策を講じた」
徹底的に自由を拘束し、息苦しさを覚えさせ、俺は
律儀に契約が継続された場合を想定して、彼女が一番不利になるようなコンディションのメイクデビューを用意した。
全ては、彼女の才能を開花させないために。
「……なるほど。そして、全ての策を跳ね除ける可能性すら想定して、彼女の身体を完璧に作っていたわけか」
「……」
俺はそんな出来た人間じゃない。
屑なんだ。
契約破棄を仕向けたなどと格好つけ、いざ実際に約束が破られたらトラウマを重ねてしまって、我を忘れて怒り狂う。
指導者としても、人間としても。
俺は屑なんだ。
俺は精神的に不安定な部分がある。ただ理解はしていても、自分で制御することが出来なかった。
「……これは蛇足だが、二年間失踪していた君の居場所を特定したのはわたし達ではない。彼女だ」
「ダイヤが?」
「相当慕われているのだろうな。君に対する彼女の執着心は、雇用関係の域を明らかに逸脱している。昔馴染みに抱く以上の感情を持ち合わせていることぐらい、とっくに理解しているだろう?」
「それ以上の感情で行動を起こせば、誰も報われないくそったれな結末を迎えるだけだ」
身をもって経験した人間の言葉だ。
せいぜい心に刻んでおけ。
「……変な方向に話が逸れたが、要は俺に、ダイヤとの契約を継続して欲しいってことだろう?」
「左様。こうして話をするために、わたしが君を擁護した」
「……余計なことを」
こんな屑の世話を焼く必要なんて、微塵もないだろうに。
「君は今、精神が非常に不安定な状態だ。そんな中、わたし達は君を強引に復帰させてしまった……。この騒動の全責任はわたしが持つ。せめてもの償いだ。少しでも君の負担が軽くなるように、腕の良いカウンセラーを紹介しよう。これの礼も含めてな」
秋川はいつの間にか、カップラーメンを完食し終えていた。
「馳走になった。とても美味しかった。良ければまた、こうして食べさせてくれ」
「……もう少し明るい時間帯にしてくれ」
「うむ!」
唐突に現れて、嵐のように爪痕を残していった秋川やよい。
大胆でわんぱくな一面を持ちつつ、確固たる信念と人に寄り添う優しさを兼ね備えた彼女はまさしく、理事長という器に相応しい人物だ。
俺は秋川を玄関まで見送りにいく。
「溜め込んでいたものを吐き出すと、少しは楽になるだろう? ……根本的な原因を作ってしまったわたしが言うのも、お門違いか」
「……そんなことは」
しかし、こんな年下の少女に気遣われるというのは面目が立たないな。
「確認。一週間後、もう一度君の答えを聞く。今度はもう引き留めるような真似はしない。金輪際、君の余生に関与しないことを誓う。……新星。こんな状況に追い込んだ上でも君に期待してしまうわたしを、どうか許して欲しい」
最後に重くのし掛かるような言葉を残して、秋川は俺の部屋を後にした。
「……俺の飯」
秋川の訪問に意識を奪われていたせいか。
俺はまだ空腹のままだ。
湯を沸かしなおす間に、俺は今後のことをぼーっと考える。
今回の事態は俺だけの問題が解決すれば終わり、というわけではない。
今後俺は、ウマ娘に暴行を振るったトレーナーという印象で認識されることだろう。身体に刻み込まれた刺青のように、簡単に消えるものではない。
加えて、この二ヶ月で築き上げてきた担当ウマ娘との関係にも亀裂を入れてしまった。もはや、以前のように接することは出来ない。
山積みの問題を前にして、身から出た錆とはいえ俺は頭を抱えざるを得なかった。
正直、担当ウマ娘の契約違反という比較的正当な理由で、俺はこのまま失踪するべきじゃないかと思う。
なぜなら、契約とは情に絆されて蔑ろにしていいものでは無いからである。
色々と、俺の中で整理する時間が必要だ。
俺が俺と、向き合うための時間が必要だ。
***
メイクデビュー当日、俺は地下バ道で落ち着かない様子のミライを見守っていた。
「やばいトレーナー。緊張しすぎて、吐きそう……」
パドックでの衣装披露を終え、レース本番まではまだ時間があった。
桃色のブルマに無機質なゼッケンを身につけて、二人揃って出走の時を待つ。
チーム・アルデバランという肩書きもあり、ミライは当然本レースの一番人気におされた。
会場に押しかけた大半の観客が、ミライの華々しいデビューと今後の活躍に胸を躍らせていることだろう。
そんなミライがまさか、模擬レースで万年びりっけつだった落ちこぼれのウマ娘だとは夢にも思うまい。
「落ち着いて。トレーニング通りに走れば、ミライは必ず一着になれる」
俺は緊張で青ざめるミライの背中をさすりながら、激励の言葉をおくった。
「ほら、深呼吸」
「すぅううううう〜………………はぁあああああ………………」
爆発寸前の心臓に手を当て、深呼吸を繰り返すこと数回。次第にミライは平常心を取り戻していく。
「ふぅ…………。ありがと、トレーナー」
「ああ」
緊張で表情筋が凝り固まっているのか、ミライの笑顔はまだ硬い。このままでは、レースに多少なりとも影響が出るかもしれないな。
「ねぇ、トレーナー」
「うん?」
「ありがとね」
ミライが急に振り返り、俺に向けて礼を言ってきた。
突然どうした、そんな改って。
「落ちこぼれだった私を、ここまで連れてきてくれて。私、本当に感謝してる」
「……そうか」
「模擬レースで負け続けて、癇癪を起こした私を見捨てないでくれて。私、本当に嬉しかった」
なんだよ、まるで愛の告白みたいだな。
「告白……そうかもしれないね。あはっ」
……しまった。声に出ていたか。
「……あくまでこれはデビュー戦だからな。一世一代の大勝負ってわけじゃないんだぞ?」
「あははっ。分かってるよ」
こいつ、トレーナーの俺をからかって楽しんでいるのか?
「……でも、それくらい思い入れの強いレースになるかも。私、レースには一生縁が無いのかなって思ってたから」
遠い目をして、苦渋を舐めた過去に想いを馳せるミライ。
そんな彼女の姿を見て、俺の胸に罪悪感が込み上げてくる。
「私、ようやくスタートラインに立てるんだよね?」
「……ああ」
負の感情を紛らせるように、俺は夢へ向かって駆け出すミライの背中を押す。
「応援してる。精一杯、走ってこい」
出走の時間が迫っている。
ミライがターフに足を踏み入れるその瞬間まで、俺はトレーナーとして彼女の背後に控える。
ターフへ繋がる地下バ道の先は、輝かしい光で満ちていた。熱気がこもった歓声が溢れ、俺の鼓膜をぼんやりと揺らしている。
「トレーナー。私、世界一のウマ娘になるっていう夢があるの」
いつの日か、ミライが涙をこぼしながら打ち明けた壮大な野心。
「世界一のウマ娘になって、私ね」
夢の終点へと行き着く片道切符を切って、ミライは光の中へと歩みを進める。
「──みんなが憧れるようなウマ娘になりたいんだ!」
大きな夢と希望を背負って、ミライはターフの世界に降り立つ。
「行ってくるね、トレーナー!」
最高の笑顔を浮かべる少女を送り届けてから間もなくして。
──俺は、伝説の幕が開ける瞬間に立ち会ったのだ。