最近どうも寝つきが悪くて、夜中に目が冴えてしまうことが多くなった。
相変わらず毎夜のように悪夢にうなされ、強い幻覚に見舞われる。
最近一層、俺はおかしくなり始めた。
「……なぁ、ミライ。最近、眠れないんだ」
『時差ボケじゃない?』
「まさか、もうずっと日本にいるんだよ?」
一人きりの空間にいると俺は自ら望んで……嬉々として幻覚を受け入れるようになった。
幻覚は過去の未練。
つまり、幻覚を見ている間は過去に戻れる。
『何か悩みごと?』
「悩み……ああ、そういえば最近ウマ娘を担当することになったんだ。だけどまだ、チーム名が思い浮かばなくてさ」
壊れた心の隙間を埋めるように、俺はミライに縋る。
『なんだ、そんなことで悩んでいたんだ。あるじゃん、私達にぴったりの名前が──』
心地の良い声音に耳を傾ける。
俺は辛い現実から目を背けて、全身を思い出の世界に委ねた。
「……っ。ぅ、うぁ……っ」
でも、全てを投げ出そうとする寸前に幻覚は霧散し、強い頭痛と吐き気に襲われる。
ここ数日、俺は廃人のような行為をひたすら繰り返していた。
寮に引きこもって、仕事に手をつけていない。
担当ウマ娘から連絡が何件か届いていたが、俺は返信することが出来なかった。辛い現実から身を守るために、スマホを壊してしまったからだ。
どうしよう、どうしよう。
担当ウマ娘のメイクデビューの出走届けを出さないと。
ああ、でもその前にチーム名を決めなきゃ。
だけどなかなか良い案が思い浮かばない。
きっと頭を使いすぎて疲れているんだ。
少し寝よう。
そしたらまた、俺は彼女に逢えるかもしれない。
…………。
……。
***
最近、兄さ……トレーナーさんと連絡が取れない。
メッセージを送信しても既読すら付かないし、電話をかけても一向に繋がる気配がしないのだ。
「トレーナーさん……」
私のせいだ。私が約束を破ったばかりに、こんな事態になってしまったのだ。
トレーナーさんは今、学園中から歪曲した非難を浴びせられている。
私の前に顔を出さないのは、きっと人前に出るのが怖くなってしまったからだ。
トレーナーさんに指示されたトレーニングメニューをこなした後、私は脇目も振らずに部室へと戻る。
ジャージから制服に着替えた後、私は特に用事も無く門限ギリギリまで部室に居座る。
仕事で忙しいトレーナーさんのことだ。もしかしたら、部室に足を運ぶ機会があるかもしれない。
ここ数日、私はこんな感じで生活を送っていた。
手にしたスマホからメッセージを送信する。
『トレーナーさん。今、お忙しいですか?』
『良ければお話がしたいです』
当然、返事は無い。
電話に切り替えるも、残念ながら繋がらない。
「……はぁ」
私はがっくりと肩を落とした。
最後にトレーナーさんと顔を合わせた時、とても思い詰めた表情をしていた。
きっと、私が原因で苦しんでいるんだ。
そう思うといてもたってもいられなくなって、私は部室を飛び出した。
***
「──トレーナーさんの寮、ですか?」
「はい。よろしければ、教えて頂けないでしょうか?」
部室を飛び出したその足で、私は理事長室へ向かった。
秋川理事長とたづなさんは忙しなく業務に勤しんでいたが、私の訪問を快く受け入れてくれた。
私は手短に用件を説明する。
「……そういえば最近、トレーナーさんの姿を見かけませんね」
「そうなんですか?」
「はい。いくつか連絡を送ってはいるのですが、一向に返事が無くて……」
突然音信不通になってしまったトレーナーさんのことを、たづなさんも心配していたようだった。
「……理事長」
「うむ」
たづなさんと秋川理事長が目配せすると、業務を中断して席から立ち上がった。
「同行。わたし達も彼のことが心配だ。寮にいるかは分からないが、一度確認しに行こう」
「はい!」
理事長達の同意を得て、私はトレーナーさんが住む場所へと向かった。
***
トレーナーさんが住む寮は、学園から徒歩数分という距離にあった。
私は二人の後に続き、ついにトレーナーさんの部屋の前に立つ。
「ここが、トレーナーさんのお部屋です」
ごくりと、緊張で唾をのむ。
彼がいる保証なんてどこにも無いけれど、きっとここにいるだろうという漠然とした期待を胸に、インターホンを鳴らす。
しばらくして、部屋の奥から物音が聞こえてきた。
トレーナーさんがいる。それだけで、胸が高鳴った。
玄関の扉がゆっくりと開く。
「どちら様で……」
くたびれたスーツ姿のトレーナーさんが、寝ぼけ眼を擦りながら部屋から出てきた。
私は数日ぶりの再会に心が踊った。
トレーナーさんは以前よりも少しだけ
「あ、あのっ。トレーナーさん、私っ──」
トレーナーさんは、緊張で裏返った声を発した私を見下ろす。
すると、彼の死んだ魚のような目に生気が宿った。
花が咲いたように、表情が蘇る。
「──ああ! よく来てくれたね、"
私は一瞬、自分の耳を疑った。
彼は今、私の姿を見てなんと言った?
疑問を問いかける間も無く、トレーナーさんは饒舌に喋りかけてきた。
「しばらく姿を見せないから、心配していたんだ。なぁ"ミライ"、俺はずっと待っていたんだよ」
ミライ?
私はサトノダイヤモンドだ。トレーナーさんは一体、何を言っているのか。
困惑する私をよそに、トレーナーさんは続ける。
「早く次のレースの作戦会議をしよう。次の相手は日本の強豪が大勢いるんだ。戦う前に、入念な準備をしないとね」
おかしい。トレーナーさんは目の前の私を真っ直ぐ見つめているが、
私の背後に控える二人も、トレーナーさんの豹変ぶりに言葉を無くしていた。
「こんなところで突っ立っていないで、早く上がると良い。風邪を引いてしまう」
いよいよ支離滅裂な言動に、私達は異変を察知し始めた。
動揺して棒立ちする私だったが、急に身体の重心が前へと傾く。
「えっ?」
突然トレーナーさんに手首を掴まれ、身体を強く引っ張られたのである。
「い、いやっ」
得体の知れない恐怖心を覚え、私はトレーナーさんの手を振り払う。
突然の出来事で力加減を忘れてしまい、勢い余って今度はトレーナーさんが姿勢を崩してしまった。
トレーナーさんが尻餅をついて、背後に倒れ込む。
「……ぇ、ぁ、ご、ごめんなさいっ」
慌ててトレーナーさんを起こそうと歩み寄る。
しかし、
「お、お前……ミライじゃないな」
「え?」
「ちっ、近寄るなっ」
尻もちをついたまま、過呼吸気味にトレーナーさんが後ずさる。
こんな痛々しいトレーナーさんの姿を、私は見たことがなかった。
彼は一体、何を見ているのだろう。何を私に重ねているのだろう。
これではまるで会話にならない。その様子ははっきり言って、異常だった。
「……たづな」
「はい」
私の動揺をよそに、後ろで待機していた二人が動いた。
秋川理事長の合図でたづなさんが動いた思ったら、次の瞬間、トレーナーさんの意識がぷつりと途絶えてしまったのだ。
たづなさんが、トレーナーさんに何かをしたのだろう。
「驚愕……まさか数日で、ここまで急激に悪化していたとは」
「救急車を呼びますか?」
「いや、無理に環境を変えてしまうとかえって危険だろう。他の者に見られるのもあまり好ましくない。たづな、彼をベッドに」
「はい」
意識を失ったトレーナーさんを軽々と横抱きにして、たづなさんは部屋の奥へと消えていった。
「あ、あの……これって…………」
「ひとまずわたし達も入ろう。話はそれからだ」
秋川理事長の口ぶりから、トレーナーさんがおかしくなった原因に心当たりがあるようだ。
彼女の後に続いて、私はトレーナーさんの部屋へお邪魔する。
トレーナーさんの部屋はきちんと整頓されていた。いや、散らかすような物が何もないと言った方が正解か。
「……っ。これ、は…………」
私は視界の隅で、くの字にひしゃげたスマホを見つけてしまった。連絡がつかなかった原因が分かって安心した部分もあったが、それよりもやはり押し寄せる不安の方が大きかった。
「あの、理事長。トレーナーさんが急におかしくなってしまった原因に、心当たりがあるようですが……」
「左様。サトノ君、君は彼からどれだけ事情をうかがっている?」
「いえ、私は何も……」
どうやらトレーナーさんは私に隠し事をしていたようだ。
誰にでも明かしたくない秘密はある。頭では分かっているんだけど、何でだろう。心がモヤモヤした。
「たづな、彼女に説明を」
「宜しいのですか?」
「彼女は彼の担当ウマ娘だ。知っておいてもらう必要がある」
トレーナーさんの様子を見守っていたたづなさんが、あたふたする私の元へやって来た。
「サトノダイヤモンドさん。少し長い話になりますが、宜しいですか?」
「はい……教えて欲しいです。トレーナーさんのこと」
私はトレーナーさんのことが知りたい。出来れば本人の口から直接聞きたかったけれど、わがままは言っていられなかった。
***
最初にたづなさんから聞かされたのは、トレーナーさんが複数の精神疾患を併発しているとのことだった。
私はあまりの衝撃で言葉を失った。以前まであんなに優しく熱心に接してくれていたのに。生じたギャップに頭がおかしくなりそうだった。
「トレーナーさんが精神疾患と診断されたのは、つい最近です」
「最近……も、もしかしてっ」
トレーナーさんが精神的に追い詰められた原因に、私は心当たりがあった。というか、私が原因そのものだった。
「悪化してしまった一要因としては考えられるかもしれませんが、根本的な原因は別にあります」
「別?」
「はい、それも二つ。一つはトレーナーさんが以前、二年間失踪していたことと深い関係があります」
そういえば、と私はハッとした。
私の隣にトレーナーさんがいることが当たり前になっていたせいで、過去に私が血眼になって彼を探していたということをすっかり忘れていた。
辛く心細い過去を忘れ去ってしまうほど、私にとって今が幸せだったということだろうか。
「サトノさんは、"
そういえばトレーナーさんもさっき、私を見て"ミライ"という名前を口にしていたっけ。
「当然知っています。知っていますが……」
世界最強のウマ娘として名を馳せた"ミライ"なら知っている。トレーナーさん以外には公言していないが、私の密かな憧れだった。
しかし、"ミライ"とトレーナーさんの精神疾患に一体何の関係が?
「二年前の凱旋門賞で発生した故障事故……一般的に"星の消失"と呼ばれる出来事に、トレーナーさんは不幸にも、現場で立ち会ってしまったそうです」
"星の消失"による困惑と衝撃は、今でも鮮明に覚えている。
「私も本人から聞いたことではないので、少し憶測が混じってしまうのですが」
不幸にも世界一のアイドルウマ娘が逝去した、悲しい出来事だった。
「トレーナーさんが失踪し、精神疾患に陥ってしまった原因は……"星の消失"で
「そうなんですね……………………え?」
え、は? え……?
私は耳を疑った。
たづなさんが放った言葉が、理解出来なかった。
「サトノさんが驚かれるのも無理はありません。規約上、ミライさんはチーム・アルデバランのチーフトレーナーと契約を交わしていましたので」
私が聞きたいのは、そういうことじゃない。
「と、トレーナーさんとミライさんって、お知り合いだったのですか……?」
「はい。彼はアメリカへ留学後、才能を買われてチーム・アルデバランに所属した過去をもっています」
「……」
「以前引退されたチーフよりうかがった話ではありますが、ミライの育成はチーム・アルデバランのサブトレーナーであった彼に一任されていたそうです」
ああ、ダメだ。頭が真っ白になる。
「…………」
たづなさんが、この期に及んで冗談を口にする人だとは思えない。
つまりトレーナーさんは本当に、ミライさんの……。
「“星の消失"後、おそらく悲しみに耐えられなかったのでしょう。トレーナーさんはライセンスを放棄し、行方不明になってしまいました。その後の流れは、サトノさんもご存知かと思います」
以前、食堂でトレーナーさんと雑談した時のことを思い出す。
サブトレーナー時代、彼はとあるウマ娘の面倒を見ていたと口にしていた。あれがまさか、“星"のミライだったなんて誰が想像できよう。
「失踪したトレーナーさんを捜索する際、何か手掛かりになるかもしれないと思い、一通りの身辺調査をさせて頂きました。残念ですが、留学中……彼のご両親は不幸にも震災に巻き込まれ、亡くなられていました」
「……………………」
これもまた初耳だった。私は家の者に協力を仰いでトレーナーさんの身元を特定することに成功したが……親族が死去しているという情報までは教えられていなかった。
「加えて、トレーナーさんには親戚という繋がりがありませんでした。おそらくご両親の婚姻の際に、いざこざが生じたのかと」
「………………じゃあつまり、トレーナーさんは」
不幸に不幸が重なる、とはまさにこのような事を言うのだろう。
親族を亡くし、最愛の担当ウマ娘を喪い、異郷の地で天涯孤独となってしまったトレーナーさん。
トレーナーさんの境遇を鑑みれば、彼が狂ってしまった理由が痛いほど理解出来た。
彼が一番辛かったとき、誰でもいい。誰かがそばにいてあげられれば……。
これは私の憶測に過ぎないが、先日私のしでかした行為がトレーナーさんの辛い記憶を蘇らせる引き金になってしまったのかもしれない。
二年という長い時間をかけ、やっとの思いで抑え込んだ辛い過去を。
私は愚かにも、呼び覚ましてしまったのかもしれない。
「わ、私が今まで、トレーナーさんにしてきたことって……」
家の力を駆使して居場所を特定し、過去の口約束を交渉材料に取り上げて強引に契約を持ちかけ、あまつさえ身勝手に約束を破って不要な批難を浴びせてしまった私の行動は。
全て、彼に対する追い討ちだったのだ。
どこまでも傲慢で自分本位な言動に、おこがましいと分かっていても絶望してしまう私がいた。
「サトノさん、あなただけの責任ではありません。業界復帰を強要したURAも、それに賛同した理事長や私にも、責任の一端があります。私達は彼という利益に目が眩み、慮ることを怠りました。これが、もう一つの根本的な原因になります」
「……」
不安と後悔で胸が一杯で、私の視界は真っ暗だった。
「今後、私達は全力を上げて彼をサポートしていく予定です。せめて彼が……普通の生活を送れるようになるまでは、必ず。これは、私達が申し上げるのもおこがましいのですが……サトノさん。トレーナーさんの担当ウマ娘として、どうか彼を支えてあげて下さい」
支える? 私が?
彼の全てを壊してしまった私に今更、何が出来るというんだろう。
たづなさんの言葉に、私は返事をする余裕なんて残っていなかった。
***
「……ぁ、れ? ダイヤ?」
「目が覚めましたか?」
目が覚めると、ベッドで横たわる俺の隣に、担当ウマ娘のサトノダイヤモンドが腰掛けていた。
そういえば以前にも、似たような状況があったような気がする。
やがて寝ぼけていた思考がハッキリとしてきた。
最近寝つきが悪くて意識が混濁しているが、ダイヤや理事長達が俺の部屋に訪れたことはぼんやりと覚えている。
そして何となく、俺は自分が取った行動を思い出した。
「……すまなかった。最近、ちょっと自分をコントロールするのが難しくて」
相変わらず言い訳がましいが、そのせいでダイヤに多大な迷惑をかけていた。
加えて気が動転し、彼女に強く拒絶されたような記憶も残っていた。
あまつさえ、ダイヤを別の誰かと錯覚して接していたような……。
そういえば、今何時だろう。時間帯によっては、寮の門限があるダイヤを戻してあげなければいけない。
「ダイヤ、俺のスマホを知らないか?」
普段はスマホがあるため、掛け時計を部屋に置いていなかった。普段は枕元に置いて眠るのだが、あいにく周辺には無い。
「……こちらに」
遠慮がちにダイヤから渡されたそれは、確かに俺のスマホだった。
正確には、俺のスマホ
「……」
俺は目が点になった。
画面がバッキバキに割れて、くの字にひしゃげている。ガラケーじゃあるまいし。
見るも無惨な姿に成り果てたスマホを見て、俺は乾いた笑みを浮かべるしかない。
多分、俺がやったんだろう。これに関しては全く記憶が無いのだけれど。
「すまない。今何時か、教えてくれないか?」
「二十三時です」
「えっと……寮の門限、とっくに過ぎてるぞ?」
「許可は貰っています」
「そうか。なら……良いか」
この言葉を最後に、会話が途切れる。
気まずい。
前回のように逃げ道が無いから、余計にそう感じるのだろう。
何か、何か話題を……。
俺が必死に頭を働かせていると、キキィ……とベッドの軋む音が静寂な部屋に響いた。
「……ダイヤ?」
これは一体どういうことだろう。四つん這いになったダイヤが俺ににじり寄って来た。
「ごめんなさい」
ダイヤの謝罪が一体何に対するものなのか分からないまま、俺の全身が温もりに包まれた。
「……え」
「驚かせてしまって、すみません」
後頭部にダイヤの両腕が回り、視界が年齢に反して豊満な身体に埋もれてしまう。
俺は今、ダイヤに抱きしめられていた。
「たづなさんから、全てをうかがいました」
「……それは」
ダイヤの言動から察するに、俺の後ろめたい過去を知ってしまったようだ。
となると当然……。
「ミライさんの……担当トレーナーだったのですね」
ミライのことも。
「お、俺はそんな……っ」
──そんなウマ娘は知らない。
などと、言い張るつもりか。
「………………ああ、そうだ」
認めなければ。
それは過去を否定することと同じ。
「いつの間にか、すごい方になっていられたのですね」
「……すごくなんて無いよ」
俺はただの落ちこぼれで、ミライを殺した屑で。
「ごめんなさい」
「どうしてダイヤが謝るんだ?」
「全部……私を思っての行動だったのですよね」
それは、ダイヤの自由を完全に拘束したトレーニングを組んだことに対するものだろうか。
「……考え過ぎだ」
「それなのに私は、トレーナーさんの気持ちを汲み取れず自分本位な行動ばかり……本当に、腹が立ちます」
ダイヤに施した教育は、俺の弱さの表れ。
お前が謝る必要なんて、これっぽっちもない。
「トレーナーさんのことを本当に思うなら……私は約束通り、契約を破棄するべきなのかもしれません」
「……」
ダイヤの曇った表情を見て、俺はその言葉を否定することが出来なかった。
何より俺自身が。
ダイヤが契約を、自発的に取り消すように仕向けた節があるのだから。
「最低だって分かっています。おこがましいのは承知の上です。それでも、それでも私は……っ」
ダイヤの宝石のような瞳が、俺の濁り切った目を射抜く。
覚悟と決意を強く固めた凛々しい表情に、俺の視線が吸い込まれる。
「──あなたに、支えて欲しいんです」
俺を抱擁するダイヤの両腕に、わずかに力がこもった。
「そのかわり、私があなたを支えます」
「……え?」
「私の人生を捧げます。どんな時もあなたのそばにいます。決して一人にはさせません。これで……私が望むものと、対等になりますか?」
もう傲慢に望むだけの存在ではないのだと、強かな眼差しが訴えかけてくる。
「……それだけでは、足りませんか? でしたら──」
俺の返事が無いことに不安を抱いたのか、一転して消え入りそうな声が発せられた。
「……十分すぎる。ていうか少し重い」
「お、重いですか……でも、本心です」
「別に何もいらん。たかがトレーナー契約に自分の人生を差し出すな、バカげてる」
「で、でもそれじゃあ……私はトレーナーさんに何も」
ダイヤの性格からして、これは俺が納得するまで絶対に引かないな。
「元気に走る姿を見せてくれれば、それで良い」
「……」
「まぁでも……嬉しいよ。こんなしょうもない俺を、支えるって言ってくれて」
これでダイヤは納得してくれるだろうか。
彼女にここまで言わせておいて申し出を断るのは、男が廃る。
というかそもそも、俺はダイヤとの契約を継続している。
「レースを間近に控えているというのに、面倒ごとに巻き込んでしまったな。担当ウマ娘のメンタルケアを怠るどころか、俺がケアされる立場になるなんて……はは、情けない」
俺ってつくづくトレーナーという職に向いていないな。指導者なんて器じゃない。
「情けない。情けないよ……」
人肌の温もりを感じたのは、何年ぶりだろう。
乾ききった俺の心に、ダイヤの優しさが染み込んでくる。
静かに肩を震わせる俺に気付いたのか、ダイヤは無言で身体を包み込んでくれた。
今だけは、彼女に甘えても良いだろうか。
俺を支えてくれると言った彼女に、弱さをさらけ出しても良いのだろうか。
そんなことを考える間もなく。
俺は今まで押し殺してきた感情を爆発させるように、声を上げてなきじゃくった。