これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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15:宝石の覚悟

 声を張り上げて泣いたトレーナーさんはその後、疲れてしまったのか私の胸の中で眠ってしまった。

 

 このまま彼の温もりを感じていたいけれど、きっとこの姿勢では寝づらいだろう。

 

 私は少し体勢を動かして、トレーナーさんの頭を膝の上に乗せてみる。

 

 頬を伝った涙の跡、泣き腫れて赤くなった目尻、あどけなさの残る無防備な寝顔。

 

 目元にかかる彼の前髪を払って、私は彼の頭を撫でるように手を添えた。

 

「……」

 

 彼の過去を聞いて、彼が抱えているものを知って、彼の未練を悟った。

 

 彼の精神を極限まで追い込んだ原因は私にある。

 

 期待を裏切って、トラウマを掘り起こして、汚名を着せて、苦しめた。

 

 彼を支えたい。これは私の嘘偽りない本心だ。

 

 でも彼のことを本当に思うなら、私は彼の隣にいるべきではない。いてはいけない。

 

「……()()()。私、嬉しかったです」

 

 私のわがままに付き合ってくれて、本当に嬉しかった。子供の頃の口約束を守ってくれて、涙が出るくらい嬉しかった。

 

 ありがとうございます。

 

 本当に、ありがとうございます。

 

「私……()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()

 

 ウマ娘の走りは、人々に夢と希望を与える。彼の最愛のウマ娘、ミライがそうであったように。

 

 私はミライから夢をもらった。彼女の走りに憧れを抱いた。そして彼からは、夢を叶える力を授かった。

 

 でも。

 

 私はそんな彼に絶望を植え付けた。トラウマが眠る土を不躾に掘り起こし、水を与え、瞬く間に開花させてしまった。

 

 ごめんなさい。

 

 本当に、ごめんなさい。

 

「兄さま。私の家に、素敵な別荘があるんです。緑に満ちて、綺麗な海を一望できる。穏やかで、静かな場所なんです」

 

 そこなら、彼の心を苦しめるものは何もない。彼の壊れた心に安らぎをもたらしてくれるはずだ。

 

「よろしければ、私と一緒に来ませんか? ……なんて、冗談です」

 

 何を聞いているんだろう。彼の隣に私がいては、何も変わらないというのに。

 

 トレセン学園を退学した後は、普通の学生になろうかな。心理学を勉強して、誰かの心に寄り添えるカウンセラーを目指してみるのもわるくない。

 

「兄さま、本当にごめんなさい」

 

 二ヶ月という短い期間だったけれど、私の人生の中で最も充実していた時間だった。

 

 せめてもの恩返しとして、功績にも栄誉にもならないけれど、メイクデビューの勝利を届けたいと思っている。

 

「本当に、ありがとうございました」

 

 

 

***

 

 

 

 悪夢にうなされずに眠れたのは何年ぶりだろうか。驚くほど熟睡できたような感覚がして、身体がとても軽かった。

 

「おはようございます、トレーナーさん」

 

 目を開けると、ダイヤが俺の顔を真上から覗き込んでいた。

 

 枕の感触が普段と異なる。なるほど、俺はダイヤの膝を枕代わりにして眠っていたのか。

 

「よく眠れましたか?」

「うん……おかげさまで」

「そうですか、良かったです」

 

 俺の返事を聞いて、ダイヤが柔和に微笑んだ。

 

「今、何時か分かるか?」

「少し待ってくださいね……六時五十分です」

 

 ダイヤは制服のポケットからスマホを取り出して、俺に現在の時刻を教えてくれた。

 

「ありがとう……そうだ。早く、チーム名を決めないと」

 

 日付が変わり、メイクデビューの出走登録期限が数時間後にまで迫っていた。

 

「トレーナーさん、そのことなんですけど」

「……? どうしたんだ、そんな改まった表情をして」

 

 ハンガーに掛けられたスーツに手を伸ばす俺に、背後から声がかかった。

 

 普段よりも少し大人びて、どこか神妙な面持ちのダイヤ。

 

「トレーナーさん、私──」

 

 ダイヤの方を振り返る。そして彼女は、きょとんとする俺に胸の内を明かしてくれた。

 

「…………そう、か」

 

 ダイヤの気持ちを聞いて、しばらく考えた後……俺は彼女の決意を尊重することにした。

 

 今の俺の精神状態では、彼女の指導に当たることなんて到底できない。

 

 今後彼女と一緒にいても、一方的に迷惑をかけてしまうだけだろう。

 

 我ながら、ずいぶんと面倒なものを抱えてしまったものだ。

 

「トレーナーさん。最後に一つだけ、()()()()を聞いていただけないでしょうか」

「ああ、言ってみろ」

 

 そして俺は、ダイヤから最後のわがままを聞いた。

 

「……っ。ダイヤ、それは……」

 

 彼女から飛んできた予想外の一言に、俺はわずかに動揺する。

 

「私はウマ娘です。せめて、せめてトレーナーさんに着せてしまった汚名だけは、私自身に雪がせて下さい」

 

 ダイヤが俺に向けて、深々と頭を下げてきた。

 

「その名前を背負うことの意味が……分かっているのか?」

 

 自分から余計な枷を掛けるような行為だ。

 

 そんな重圧を背負ったところで、君には何のメリットもないはずだ。

 

「理解の上です」

 

 それなのに、君はどうして……。

 

「どうかお願いします。私にあなたの心を、支えさせて下さい」

 

 彼女のわがままの意図を考える。その言葉の意味を考える。

 

 まだ、答えは出ない。

 

「……ああ、分かった」

 

 しかし、教え子のわがままに耳を傾けることも、指導者には必要なのではないだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 メイクデビュー前日、俺はダイヤの最終調整を済ませ、午後から阪神レース場へと出発した。

 

 移動手段はいくつかあったが、外部からの干渉を避ける意味で車を選択した。

 

 東京都府中市から約六時間かけて兵庫県宝塚市へと移動し、俺達は阪神レース場付近の旅館に宿泊する。

 

 俺とダイヤで別々の部屋を借り、荷物を整理した後、ミーティングがしたいと言って俺は彼女を部屋へと呼んだ。

 

 午前中に行った最終調整の様子を見て、メイクデビューの作戦を話し合う必要があった。

 

 俺の問題行動が原因で、二週間という貴重な時間を無駄にしてしまった。当初予定していたスケジュールが完全に狂ったため、現状、ダイヤがメイクデビューで一着を取れる期待値は絶望的と言えた。

 

 不十分なステータス。

 

 脚質的に不利な地形。

 

 未経験の初公式レース。

 

 不安要素が三拍子揃えば、絶望的と評した理由が一目瞭然だろう。

 

 それでも、俺は彼女のわがままに応えなければならない。

 

「大まかな作戦は、この前部室で話した通りだ」

 

 俺は、以前ダイヤに伝えた作戦内容を再度語った。

 

──レース序盤から中盤にかけて、バ群の中団を維持。第三コーナーからの下り坂を利用して勢いをつけ、スパートをかけて最終直線を走り抜ける。

 

 距離と地形の関係上、逃げや先行を得意とするウマ娘が多く出走する。レース経験の少ないウマ娘達だ。前半にハイペースな競り合いが生じることはまず間違いない。少々他力本願な作戦になるが、勝ち筋が絞られている以上高望みはできない。

 

 そして、それはダイヤに対しても同様だ。

 

 選抜レースの様子からして、現状のダイヤは存外掛かりやすい。高度な駆け引きや戦術を教えても、かえって足を引っ張るだけだ。

 

 基本的なレース運びと、それに伴う注意点を軽く説明する。

 

「ここまでで何か、詳しく聞いておきたいことはあるか?」

「大丈夫です」

 

 最悪、俺はダイヤの感覚に身を委ねてしまっても良いと考えていた。これも一つの正解ではあるのだが、逆に困惑を招きかねないと思い、伝えることはしなかった。

 

 俺はメイクデビューの出走表と、出走ウマ娘の特徴を調査した書類に目を落とす。

 

 俺の予想通り、出走ウマ娘の大半が逃げや先行を得意としていた。

 

 レース経験が無いダイヤの場合、巧みなコース取りは期待出来ない。出走するウマ娘の傾向的に終盤で垂れ、抜け出せない壁になってしまう可能性がある。

 

 最悪、戦略や駆け引きなんて全部投げ捨てて、自慢のスタミナに物を言わせてコースの大外を回ってもいい。

 

 ゴール板を通り過ぎる瞬間に、バ群の一番前にいれば良いのだから。

 

「……ああそうだ。ダイヤ」

「はい、なんでしょうか?」

 

 俺はダイヤを手招きする。

 

 そこで俺は、彼女にこのレースに臨むにあたっての()()()()()を話した。

 

 俺の言葉を聞いて少し困惑するダイヤだったが、最後は笑顔で頷いてくれた。

 

「……以上だ。俺はこの二ヶ月で、出来る限りのことはやったつもりだ。後はなるようになるさ」

「ふふっ、はい!」

「良い返事だ」

 

 本番を目前に控えても、ダイヤは笑顔を絶やさない。

 

 メイクデビューへの期待と不安を胸に、ミーティングは解散となった。

 

 

 

***

 

 

 

 深夜、俺はここ数日で溜まった仕事を消化していた。

 

 たづなさんに仕事の一部を肩がわりしてもらっているが、数日分が溜まるとそれなりの量になる。

 

 空き時間に適度に消化しなければ、どんどん積み重なって手が付けられなくなってしまう。

 

 部屋の時計に目を向けると、すでに日付が変わっていた。

 

 思った以上に没頭していたようだ。そろそろキリの良いところでけりをつけないと、明日の活動に支障をきたしてしまう。

 

 パソコンの電源を落として部屋の照明を消そうとした時、不意に入り口の扉がコンコンコンッと叩かれた。

 

 こんな時間に誰だろう。不思議に思い、俺は部屋の扉を開けた。

 

「……ダイヤ?」

 

 扉の前に立っていたのは、旅館浴衣に身を包んだ担当ウマ娘のダイヤだった。

 

「トレーナーさん、その……」

「眠れないのか?」

「……はい」

 

 レース前夜は、緊張して中々寝付けないウマ娘も多いという。いや、ウマ娘だけではない。人間だってそうだ。

 

「あ、あのっ! トレーナーさんさえ良ければ、その……」

 

 言い出し辛そうに身をよじるダイヤ。その後に続く言葉に、俺は黙って耳を傾ける。

 

「私と……添い寝してくれませんか?」

 

 そいね、添い寝か。

 

 さすがにそれは、トレーナーとウマ娘という関係から逸脱しているのではないだろうか。

 

 それに俺がいると返って寝られないような気もするし。

 

「だ、ダメなら全然良いんですっ」

 

 体裁を考えるばかりで一向に口を開かない俺を前に、居心地の悪さを感じてしまったのか。ダイヤは掛かり気味に身体を翻す。

 

「失礼しまし──」

「ま、待てっ」

 

 そそくさと去ってしまいそうだったダイヤの手を、俺は咄嗟に掴んでしまった。頭の中では未だ、葛藤の結論が出ていないというのに。

 

 必死に思考を巡らせて、俺は次に口にする言葉を吟味する。

 

「……落ち着くまでなら」

「……っ!」

 

 俺は結局、ダイヤの要求をここで否定してしまえば明日のレースに支障をきたしてしまうんじゃないかと正当化して、渋々受け入れることに。

 

 ぱぁっと、分かりやすくダイヤの表情が明るくなった。

 

「枕っ、持ってきますね!」

「あ、おいっ……」

 

 落ち着くまでと言っただろう……まぁ良いか。

 

 枕を抱きかかえたダイヤが、ブンブンと尻尾を振って俺の部屋に入ってきた。

 

 照明を消すと、一気に視界が暗くなった。窓からかすかに差し込む月明かりを頼りに、俺は畳に敷かれた布団に入った。

 

「お邪魔します」

 

 一人部屋ということもあってか、余分な布団が用意されていなかった。俺が床で寝ると言ったらダイヤが怒ったため、仕方なく二人で枕を並べる。

 

 二人で寝ることを想定していないから当然、狭くて身動きが取りづらい。けれど、どんな時よりもダイヤの温もりを強く感じた。

 

「……こっちを見てはくれないのですか?」

「知らん、さっさと寝ろ」

 

 俺はダイヤに背を向けるような姿勢を取っていた。

 

 これが、大人としての最大限の妥協ラインなのだ。

 

「こうしていると、昔を思い出しませんか?」

「いつの話だよ……」

 

 俺がダイヤに昔馴染みとして接していた時のことだろう。うろ覚えだが、そんなこともあったような気がする。

 

「……意地悪です」

 

 素っ気ない俺の反応に、背後でダイヤがふてくされてしまったようだ。

 

「もう知りません」

 

 より一層、ダイヤの体温を強く感じる。気付くと俺の腹に華奢な腕が回されていた。

 

 俺の背中にダイヤの身体が密着して、身動きが取れなくなってしまった。

 

 残念ながら、大の大人でも本気を出したウマ娘の力には抗えない。

 

 もう抵抗することは諦めた。ダイヤが落ち着くまでの辛抱だ。

 

「……」

「不安か?」

 

 急に押し黙るダイヤに、今度は俺から語りかける。

 

 最近なりを潜めていた俺の体質が、先程から彼女の不安定な心情をダイレクトに伝えてきた。

 

「……はい」

 

 不安になるといつだって、自然と人肌の温もりを求めてしまう。過去の俺がそうだったように。

 

「さっきまでは平気だったんですけど。真っ暗な空間に一人でいると、その……」

「大丈夫……って言っても、不安は払拭できないよな。実は俺も、ずっと不安だったんだ」

 

 ダイヤは不安が原因で目が冴えており、この調子では当分寝付けそうに無い。どうせ寝れないのなら、俺の雑談にでも付き合ってもらおう。

 

「あいつが……ミライがいなくなってから、俺はずっと不安だったんだ。あいつがいない世界で、どうやって生きていけば良いのか分からなかった」

 

 ミライというウマ娘は、俺にとって"星"そのものだった。

 

 "星"に照らされた道を、俺はひたすら歩んで来た。

 

 けれど"星"が輝きを失った瞬間に、どこを目指して歩いていたのか、その道すらも見えなくなって。

 

 星が崩れ、"星屑"だけの存在に成り果てたものは、自分で自分を照らすことは出来ない。

 

「だから俺は逃げた。気が狂うくらい泣いて、死んだように息をしてた」

 

 失踪した後の二年間はよく覚えていなかった。でも、ずっと不安に怯えていたような気がする。

 

「情けない話、俺は誰かに慰めて欲しかったんだと思う」

 

 俺は誰かに、心にぽっかりと空いてしまった穴を埋めて欲しかった。

 

「まぁ察してると思うけど、そんな機会が来ることはなくてさ。情けない話、首を吊って死のうとしたよ」

「……」

「そんな心境の中で、俺はダイヤと再会した」

 

 全部を投げ出して楽になろうとした矢先、俺の人生に転機が訪れた。

 

「初めは強情なダイヤに、随分と手を焼かされたよ」

「あ、あの時は必死でっ」

()()()()()

「え?」

 

 今になって思えば、俺は嬉しかったのだ。

 

「こんな俺でもまだ、誰かに必要とされているって分かったから」

 

 誰かに必要とされることが、たまらなく嬉しくて。

 

 あれだけ荒んだ心が、満たされてしまったのだ。

 

「だからまぁ、その、なんだ……お前がそばにいると、不安が吹き飛ぶんだ」

 

 ダイヤが隣にいてくれるだけで、()()()()()()()()()()()()()()のだ。随分気付くのが遅れてしまったが。

 

「不安を抱えているなら、遠慮なくぶつけてくれ。今度は俺が支えてみせるから」

「……」

「ダイヤ?」

「…………」

 

 何だ、寝たのか。あっさりだな。

 

 自分の本心に向き合うような、小っ恥ずかしい一人語りになってしまった。

 

 退屈過ぎて寝てしまったんだろうな。いや待て。よくよく考えると俺は、ダイヤの不安を何も解消できていないじゃないか。

 

……はぁ。

 

 顔が熱くて目が冴えた。せっかく寝付けたダイヤを起こさないように、仕事の続きでもしよう。

 

 しかし残念ながら、俺は眠っているはずのダイヤにがっちり拘束されて布団から出られなかった。

 

 そして知らぬ間に、俺は深い眠りについていた。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 そっか。

 

 私は、兄さまのことを支えられていたんだ。

 

 それを知ることが出来ただけで、この二ヶ月間にはとても大きな意味があったと言える。

 

 押し寄せてくる不安を紛らわせるように、私は兄さまの温もりを求める。

 

(あったかいなぁ)

 

 

 

 兄さま。

 

 

 

 私、頑張るよ。

 

 

 

 

 

 頑張って、あなたにもらった希望をお返しします。

 

 

 

 

 

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