翌日、阪神レース場に到着した俺達は関係者入り口から中に入った。
移動中、ウマ娘達のレースを観戦に来た人達と多くすれ違った。今日は午後から重賞の中でも特別格の高いGⅠレース──宝塚記念が開催されるため、万単位規模の観客がレース場に訪れていることだろう。
阪神レース場入り口の正面広場はもうお祭り騒ぎ。屋台やグッズ販売など、多大な賑わいを見せていた。
俺はレースを直前に控えるダイヤを気遣いながら、控室へと送り届ける。
「見ていて下さいね、トレーナーさん」
「ああ、ちゃんと見てる」
ダイヤとは一旦ここで別れ、別行動となる。
次にダイヤと顔を合わせるのは、レース前に行われるパドック会場でのウマ娘紹介だろう。
パドックとは、出走ウマ娘達のコンディションを観客が確認する目的で設けられた時間である。
メイクデビューは第四レース目に予定されており、ダイヤがパドックに登るまで余裕がある。
時間を潰す目的で、行く当てもなく会場内をぶらついていると。
「──あ」
俺は偶然にも、顔見知りのウマ娘と出会った。
「……キタサンブラック」
「……こんにちは」
濃い鹿毛をツーサイドアップにまとめ、燃えるようなルビーの瞳を持ったウマ娘──キタサンブラック。
彼女が会場にいる理由はすぐに分かった。親友の応援だろう。東京から兵庫までとても距離があるというのに、友達思いな優しいウマ娘だ。
数日前のダイヤとはまた違う。居心地の悪さを感じた。
「その……この前はすまなかった」
とりあえず、以前の不祥事を謝罪する。他愛無い話題から入って、俺は適当に場を繋げた。
「メイクデビューで一着になったって……ダイヤから聞いたよ。おめでとう」
「……あ、ありがとうございます」
空気がギクシャクしているというか、やはり彼女は俺のことをよく思っていないのだろう。
会話が続かず、助け舟を求めて視線を彷徨わせていると。
「──ああ、キタサン。なんだ、ここにいたのか」
癖毛を背後で束ね、左側頭部を刈り上げた特徴的な髪型の渋めな中年男性が、人混みをかき分けてやって来た。
「トレーナーさん」
「一人で行動するとはぐれるだろうが」
「ご、ごめんなさい……」
口に咥えた棒付きの飴を転がしながら、ため息を吐く男性。キタサンブラックにトレーナーと呼ばれているということは、彼がチーム・スピカの……。
「んで、この人は?」
「え、えっと……親友のトレーナーさんです」
中年男性の意識が、俺の方へ向いた。頭のてっぺんから足の爪先までを一瞥し、ふむ……と唸る。
「先日はお騒がせしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
先日の一件で、俺はウマ娘はもちろんトレセン学園に所属するトレーナー達からも冷ややかな視線を向けられていた。
実害を被ったキタサンブラックを育成するチーム・スピカのトレーナーだ。本当は誰よりも最初に謝罪するべき相手だった。
良い印象を抱かれていないだろうと思っていたが、彼の反応は意外なものだった。
「いや、俺達の方こそすまなかった。他のチームの方針に首を突っ込んじまって。迷惑をかけた」
何故か逆に頭を下げられてしまった。加えて、彼の隣に立つキタサンブラックからも。
「ごめんなさい。ダイヤちゃんを自主トレーニングに誘ったのは……あたしなんです」
「ダイヤから聞いたよ……あの時は強く怒鳴ってしまって、すまなかった」
彼女達が頭を下げる理由は全くない。胸に強い罪悪感が込み上げてきた。
「本当は真っ先に謝罪に赴くべきだったんだが、なかなか見つけることが出来なくてな」
騒動を起こしてからの二週間、俺はほとんど学園に出勤していなかった。
「いえ、そんなことは……」
「俺が言える立場じゃないが……あんたも若いのに、結構苦労してるんだな」
チーム・スピカのトレーナーから労いの言葉をかけられて、俺はなんと返せばいいのか分からなくなってしまう。
「これ、やるよ」
彼が俺の手のひらに何かを置いた。
蹄鉄の形をした棒付きの飴だった。
「……どうも」
「そういや自己紹介がまだだったな。チーム・スピカのトレーナーをやっている沖野だ。よろしくな、新人」
「はい。よろしくお願いします」
結構インパクトのある見た目だが、中身は案外気さくな人だった。
沖野トレーナーを見て思い出した。そういえば確か、今日の宝塚記念の出走表にチーム・スピカのメンバーの名前があったような気がする。
「あんたの担当ウマ娘……サトノダイヤモンドだったか。キタサンから聞いたが、今日のメイクデビューに出走するんだろ? 応援してるぜ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、俺達は迷子になった他の奴らを探しにいってくる」
「し、失礼します」
沖野トレーナーは、最後まで律儀に頭を下げるキタサンブラックを連れて、人混みの中へと消えていった。
手持ち無沙汰だった俺は、何となくスマホで宝塚記念の出走表を確認した。格の高いレースの出走表は、検索するまでもなく候補に上がる。
ファンからの人気投票で出走ウマ娘が決定する宝塚記念には、チーム・スピカのみならず、チーム・リギルやチーム・カノープスといったそうそうたる面子が集結していた。
宝塚記念の出走時間は午後の第十一レースに予定されている。午前にも関わらずこの賑わい具合だ。午後は会場内をろくに歩けないほど混雑するだろう。
俺は予定よりも少し早く、パドック会場に移動した。
***
パドック会場には出走するウマ娘達を間近で応援しようと集まった観客の他に、俺と同業のトレーナーや記者関連の人達がちらほらと見て取れた。
現在は第二レースのジュニア級未勝利戦に出走するウマ娘の紹介が行われていた。
普段なら未勝利戦やメイクデビュー、オープン戦に出走するウマ娘達のパドック会場にはあまり人は集まらない。おそらく、午後に開催される宝塚記念に出走するウマ娘の姿を良い位置で見ようと陣取りしているのだろう。
トゥインクル・シリーズに出走するウマ娘達のレベルは、未勝利戦といえど非常に高い水準にある。どのウマ娘達も気合に満ちていて、次こそはと闘志を燃やす姿に思わず目が奪われてしまう。
……パドックといえば。
昔、人生初の公式レースでガチガチに緊張したミライが、平坦な場所で躓いて盛大に転んでいたことを思い出す。あれがもう、何年も前のことになるのか。
視察そっちのけで思い出に浸っていると、いつのまにか第四レースに出走するウマ娘達の紹介が始まっていた。
***
『──続きまして第四レース、メイクデビューに出走するウマ娘達の紹介です』
パドック会場から響くアナウンサーの声に、俺は耳を傾ける。
午後に控える宝塚記念と比較すると注目度は低いが、それでもメイクデビューは特別なレースだ。先程までの未勝利戦よりも多くの視線が注がれていた。
周囲の観客は、これからのレースを担う逸材が登場するかもしれない瞬間に期待を膨らませている。
『九番人気を紹介します。三枠五番ジョウショウバトル』
俺はダイヤの登場を待ち望みつつ、出走ウマ娘達のコンディションを確認していく。
先程紹介されていた未勝利戦クラスのウマ娘達には劣るが、決して油断できない仕上がりだ。
レースでは基本的に、人気が高いウマ娘ほど上位に入着する傾向がある。事前に出走表に記載されていたが、今回ダイヤは四番人気におされていた。
『六番人気、四枠八番タガノジーニアス』
『持続力に自信があるウマ娘です。終盤のスパートに期待が持てそうですね』
アナウンサーの紹介と解説による評価が会話形式で放送される。観客はそれを聞きながら、ウマ娘達のコンディションを確認するというのがパドックでの一般的な楽しみ方だ。
『続きまして四番人気、五枠九番サトノダイヤモンド』
そしてついに、パドックの奥からゼッケンを装着し、体操着に身を包んだ担当ウマ娘のダイヤが現れた。
俺達の前に姿を見せたダイヤは、初レース前とは思えないほどの落ち着きを払っている。
『とてもリラックスした様子ですね。四番人気なのが信じられないほどの仕上がりです』
優雅な所作をもってその場でくるりと回り、静かに笑みを浮かべている。
紹介が終わるまでパドックの上で佇むダイヤだったが、観客の中に紛れる俺の姿を見つけたのか、はにかみながら小さく手を振ってくれた。
俺もダイヤに手を振りかえす。俺の反応を見て、ダイヤは満足そうに微笑んでいた。
「…………え?」
テンポ良く次のウマ娘の紹介へ行くと思っていた矢先、パドックにいた観客の一人が動揺したような声を漏らした。
「お、おいっ。メイクデビューの出走表見てみろよ……」
「どうした急に」
「良いから見ろって」
落ち着きのない観客の男性に催促されるまま、彼の隣にいた男性がスマホの画面を確認した。
「……は?」
おそらく彼は今、ダイヤの名前が記されたメイクデビューの出走表に目を落としているのだろう。
そんな二人の異変に釣られるように、少数ではあるが周囲の観客が同様のアクションを起こす。
そして、パドックに居合わせた観客の誰かが……ぽつりと呟いた。
「…………
それはかつて”星の消失”と共に表舞台から姿を消したチームの名前であり、歴史にその偉業を深々と刻みつけた世界最強の象徴であった。
誰かの呟きが波紋のように広がり、会場のどよめきが指数関数的に膨れ上がる。
「嘘、だろ……?」
一同騒然となってしまえばもはや収拾がつかない。
「「「──っ……!!」」」
出走ウマ娘の紹介そっちのけで観客達が暴走する事態へと発展した。
本来出走ウマ娘の解説を行う際、同時に所属するチーム名を紹介する決まりとなっていた。
しかし、今回に限ってそれが行われなかったのは、このようにパドックという場が成立しなくなってしまうと考えたからだろう。
残念ながら、既に手遅れではあるのだが……。
どよめきが会場全体に広がってしまうのは、もはや時間の問題だ。
歓喜に打ち震える者や、その場で放心する者、慌ててカメラを回す者がいれば、会場を勢いよく抜け出してしまう者など。
様々な反応が飛び交う中、騒動の中心であるダイヤは依然、強かな覚悟に満ちた様子で静かに佇んでいた。
「……」
そんな彼女の勇姿を、俺は会場の隅からひっそりと眺める。
俺は未だに、彼女の
──私にあなたの心を、支えさせて下さい。
俺は未だに、彼女の言葉の意味を考えていた。
こんな。
こんな……
君は一体、何をしようとしているんだ?