これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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XX:キタサンブラック 2

「──ち、違うんです兄さまっ、これは……っ」

「何をしていると、聞いているんだ」

「……自主トレーニング、です」

 

 あたしが親友のダイヤちゃんを自主トレーニングに誘った日のこと。

 

 ターフの上で休憩していたと思ったら、突然やってきたトレーナーさんがダイヤちゃんに厳しい口調で言及してきた。

 

 動揺し、何故だかとても思い詰めたような表情を浮かべたダイヤちゃんに、トレーナーさんが有無を言わせぬ物言いで畳み掛ける。

 

「俺との約束、覚えているよな?」

「それ、は……」

「忘れたとは言わせない」

 

 あたしは二人の間に漂う不穏な空気を肌で感じていた。あたしは周囲を見渡す。一体何事かと、トレーニング中だったウマ娘やトレーナー達の視線を集めてしまっていた。

 

「……お前には失望したよ。今日付けで、俺はお前のトレーナーを辞める」

 

……え? ()()()? 契約破棄ってこと?

 

 今の状況の中で、契約破棄に至る理由なんて一体どこにあるというのだろう。まさか、自主トレーニングが原因であるとは言うまい。

 

「ま、待って下さいッ! 約束を破ってしまって、本当にごめんなさい……」

 

 興味が失せたと言わんばかりに立ち去ろうとするトレーナーさんを、ダイヤちゃんが必死の形相で引き留める。

 

「俺はもうお前を信用できない。信用に足らないウマ娘を、育てることは出来ない」

 

 突き放すようなトレーナーさんの言葉を受けて、ダイヤちゃんの表情が青ざめた。まるで、絶望のどん底に突き落とされてしまったかのように。

 

 親友の悲しそうな表情を見て、あたしはいても立ってもいられなくなった。

 

「──ちょっと待って下さい!」

 

 立ち去ろうとする彼の進路に割り込んで、あたしは大きく両手を広げる。

 

 絶対に行かせない。そんな気持ちを身体にこめて。

 

「トレーナーを辞めるって、一体ダイヤちゃんが何をしたって言うんですか!?」

「口を挟むな。お前には関係ない」

「いいえあります」

 

 あたしの良心が、彼の言動を否定している。

 

 だからあたしは自分の気持ちを素直に伝える。絶対に引いてはいけない。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「今の話、自主トレが原因で契約を破棄するみたいな感じに聞こえるんですけど?」

「そうだ」

 

……なんで、なんでそんな平然と答えられるの? 

 

 なんで自主トレが契約破棄に繋がるの?

 

 トレーナーさんの背後でダイヤちゃんが泣いているのに、どうして彼女の言葉に耳を傾けてくれないの?

 

「それってあんまりじゃないですかッ!?」

 

 あたしは彼の言動に対して声を荒げた。

 

 彼がダイヤちゃんのトレーナーだというのなら。せめてしっかりと話し合って上で、それで……。

 

「……」

 

 しかし、トレーナーさんはあたしの言葉を無視して横を通り過ぎようとする。

 

「っ。少しは人の話に耳を──」

 

 いよいよあたしも冷静さを失って、彼のことを強引にでも引き止めようと手を伸ばした。

 

 その結果。

 

 

 

「──部外者は黙っていろッ!!」

 

 

 

 あたしは彼の怒気を孕んだ強烈な罵声と共に、身体の重心が崩れるほどの勢いで背後に押っ付けられてしまった。

 

…………え?

 

 何が起こったのか分からず、あたしはただ呆然と尻もちをついて、トレーナーさんのことを見上げた。

 

「何も知らないガキが、ふざけやがって……」

 

 一般的な人間がどう足掻いても、ウマ娘の身体に秘める怪力に勝つことはできない。たとえ彼があたしに暴力を振るってきたとしても、正当防衛として返り討ちにすることができる。

 

 それなのにあたしは、眼前で深い憎悪に染まった表情の人間に対して恐怖を抱いた。

 

 どうして彼がこんなに怒り狂っているのか理解できない。正気を失った彼の形相が、言動が……たまらなく怖い。

 

 彼が一歩近づいてくる度に、あたしは背後に後ずさる。

 

 そしてついに、あたしとトレーナーさんの距離が手の届く位まで縮まって……。

 

 

 

 

 

「──そこまでだ」

 

 

 

 

 威圧感を剥き出しにした制止の声が、彼の動きをピタリと止めた。

 

「……おや、君は選抜レースの時の」

「……お前は」

 

 あたしのことを助けてくれたのは、トレセン学園で生徒会長を務める無敗の三冠ウマ娘──シンボリルドルフ。

 

 少し息を荒げていたのは、彼女がトレーニング中だったからだろう。異変を察知して、駆けつけてくれたのかもしれない。

 

 トレーナーさんとルドルフ会長が少しだけ言葉を交わした後、彼は冷静さを取り戻したように去っていった。

 

「……君、怪我は無いかい?」

 

 尻もちをついて呆然としているあたしに、ルドルフ会長は優しく手を差し伸べてくれた。

 

「一体何があったのか、説明してくれないか?」

「は、はい……えっと、あたしとダイヤちゃんが…………あ」

 

 自分で言って、あたしは親友のことを思い出す。

 

 あたしのことよりも、突然の契約破棄を突きつけられ、トレーナーさんの背後で涙を浮かべていたダイヤちゃんのことが心配だ。

 

「ダイヤちゃん……っ」

 

 あたしは慌ててダイヤちゃんに視線を向ける。

 

「ぃ、いや……だ、め…………契約破棄だけは、そんな……っ」

「……ダイヤちゃん?」

 

 明らかに様子がおかしい。表情がどこか虚で、ぶつぶつと何かを呟いている。

 

 あたしは慌ててダイヤちゃんに駆け寄って、彼女に声を掛けた。

 

「に、兄さま……ご、ごめんなさい。いや、行かないで…………っ」

 

 ダイヤちゃんは横に立つあたしのことが見えていないのか、覚束ない足取りで彼のことを追いかけようとする。

 

「ま、待ってよダイヤちゃんっ!」

 

 あたしは慌てて彼女の腕を取った。今、彼の元へ行ってしまったら、さらに傷つけられてしまうかもしれない。

 

 あたしは自分の良心に従って、ダイヤちゃんを引き留める。

 

 しかし。

 

「──離してッ!!」

 

 明らかに冷静さを失って取り乱したダイヤちゃんが、大声を上げてあたしを拒絶した。

 

「行かないと……っ。私のせいなのッ、私が兄さまとの()()を破って、自主トレなんかしたからッ!!」

「え、約束って……?」

 

 ダイヤちゃんはあたしの制止を強引に振り払って、彼の背中を追いかけようとする。

 

「だ、だめだよダイヤちゃんっ。今あの人のところに行ったら……っ」

「邪魔しないでよッ!!」

「……っ」

 

 こんなに感情を爆発させたダイヤちゃんを、あたしは見たことが無かった。

 

 結局、とんでもない力で暴れるダイヤちゃんを抑えるため、ルドルフ会長を含む他のウマ娘達の手を借りることになってしまった。

 

 

 

***

 

 

 

 周囲を巻き込むような騒動を起こしてしまったあたし達は、秋川理事長やたづなさんに事情を説明することとなった。

 

 理事長室にいるのは二人の他に、事の背景を知らないあたしと泣きじゃくるダイヤちゃん、そして、あたしを助けてくれたルドルフ会長の三人。

 

 まともに話が出来ないダイヤちゃんの代わりに、二人の会話を一番近くで聞いていたあたしが事情を説明した。

 

「「…………」」

 

 あたしの説明を受けて、秋川理事長とたづなさんが顔を青ざめさせながら絶句していた。

 

 その反応を受けて、あたしは異変を悟る。

 

 あたしは何か、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

 

「理事長」

 

 先程からあたしの話に黙って耳を傾けていたルドルフ会長が、重たい表情を浮かべる秋川理事長に声を掛けた。

 

「私はことの一部始終を見ていただけですが、彼がウマ娘に暴力を振るう瞬間を目撃しました。彼はウマ娘の競走生活を支える指導者として言語道断、あるまじき行為を犯したと判断します」

「……無論。だが、彼女は何一つ外傷を負っていない」

「程度が重要なのではありません。暴力を振るったという事実を重く受け止めるべきなのです」

「…………彼の処遇はわたしが判断する。事態の鎮火に協力してくれたことを感謝する。君はもう下がって良い」

「しかし……っ」

「君が納得できないのは重々承知だ……だが頼む。ここはどうか、わたしに免じて欲しい」

 

 秋川理事長の独断まがいの対応に不満を抱いたルドルフ会長だったが、込み上げてくる感情を律した様子で理事長室を後にした。

 

 重苦しい雰囲気が、四人となった理事長室に漂う。

 

 ダイヤちゃんの泣き声だけが響く空間で、最初に口を割ったのは秋川理事長だった。

 

「……後悔、先に立たずか」

「なんのことですか?」

「失敬。こちらの話だ。君が気にする必要はない」

 

 秋川理事長は脱力した様子で、ソファーの腰掛けに体重を預ける。

 

「に、兄さまは……」

 

 兄さま……ダイヤちゃんのトレーナーさんのことだろうか。

 

 泣きじゃくって上ずった声音で、ダイヤちゃんがポツリとこぼす。

 

「もう……私のトレーナーを辞めてしまったのでしょうか」

「分からない…………だが十中八九、彼は指導者の立場を放棄するだろう」

「そ、そんな……っ」

 

 大粒の涙を浮かべながら、ダイヤちゃんは俯いてしまった。

 

 先程から話を聞いていたが、あたしにはどうしても理解できないことがあった。

 

「あの、どうしてトレーナーさんはダイヤちゃんとの契約を破棄してしまうんでしょうか。トレーナーさんはさっき、自主トレが原因だって言っていましたけど」

 

 あたし達はウマ娘だ。少しでも強くなるため、少しでも速くなるため、人一倍走っていたいと本能的に思ってしまう種族だ。

 

 そんな向上心の塊のようなあたし達の行為が、一体どうして契約破棄に繋がるのだろうか。

 

「…………それが、二人の()()()()だったからだ」

「……え?」

 

 契約条件……? 自主トレをしないことが……え、なんで?

 

「今回の騒動の場合……残念だが、非があるのはサトノ君だ」

「……」

「この件に関して、理事長としてはこれ以上関与することが出来ない。担当契約は当事者間の問題だ」

「…………はい」

「一応、彼を説得できるように動くつもりではいる。この事態を招いた原因の一端がわたしにもあるからな。だが……あまり期待はするな」

「……お願いします、理事長」

 

 この場にいる全員がことの重大さを受け止める中、あたしだけが事情を把握できずに浮いてしまっていた。

 

「彼と再会できたのは奇跡に近い。サトノ君も半端な覚悟では無かったはずだ。なのにどうして、契約条件を反故にしてしまったんだ」

「そ、それは……」

「あの……その、契約条件って一体何なんですか?」

 

 あたしは少しでも事情を掴もうと、秋川理事長達に疑問を投げかけた。あたしの疑問に対して答えてくれたのは、契約の背景を全て把握しているであろう秋川理事長だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが、担当契約を承諾した彼がサトノ君に課した唯一の条件だ」

「……………………」

 

 その瞬間ようやく、あたしは自身がしでかした過ちの大きさを理解した。

 

「とりあえず、一度彼には冷静な思考を取り戻してもらう必要がある。目撃者が複数いる以上、一週間程度は学園から距離を置いた方が良いのかもしれない」

 

 あたしの視界が真っ黒に染まっていく。

 

 ダイヤちゃんのトレーナーさんが怒り狂ったのは、信頼していた教え子に裏切られてしまったから。

 

 ダイヤちゃんが取り乱してトレーナーさんを引き留めようとしたのは、約束を反故にしたことを強く後悔したから。

 

 じゃあ、ダイヤちゃんはどうして約束を破ってしまった?

 

 ダイヤちゃんがトレーナーさんとの約束を破って、自主トレーニングを行ってしまったのは。

 

「全部、あたしの……せい…………?」

 

 強引にダイヤちゃんを自主トレに誘った、あたしの所為だ。

 

 

 

 

 

 二人の仲をズタズタに引き裂いてしまったのは誰でもない……あたしなんだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 「──すまなかった」

 

 あの時の騒動から一週間後。ダイヤちゃんのトレーナーさんが突然教室に入ってきて、あたしの前で深々と頭を下げた。

 

 彼の言動に、あたしは困惑していた。

 

「ウマ娘のパートナーであるトレーナーとして、俺は君に対してあるまじき行動を取った。すまなかった」

 

 どうして彼が頭を下げているのか、あたしには理解出来なかった。

 

……なんで? なんでトレーナーさんがあたしに謝るんですか?

 

「……」

 

 先週の騒動に居合わせた複数の目撃者が噂を流したのか、現在では歪曲した事実が学園中に蔓延しており、彼は非難の的となってしまっていた。

 

 トレーナーさんは何も悪くない。本当に非難されるべきなのは、ダイヤちゃんを強引に自主トレに誘ったあたしなのに。

 

 彼に誠意を込めて謝らなければならない。でもその前に、どうしても確認しておかなければならないことがある。

 

「……あの。一つ、聞きたいんですけど。あなたはまだ……ダイヤちゃんのトレーナーですか?」

 

 トレーナーさんがまだ、ダイヤちゃんとの担当契約を継続しているのか。それだけがずっと気になっていて、この一週間、あたしはろくに寝付けなかった。

 

「そうだ」

 

 トレーナーさんの返答から、彼はダイヤちゃんとの担当契約を破棄していないことが分かった。

 

「そうですか……良かったです」

 

 あたしの胸に大きな安堵が込み上げてくる。

 

「あの……顔を上げてください、トレーナーさん。ダイヤちゃんは、何も悪くないんです」

「……ああ」

 

 あたしの所為なんです。全部、あたしが悪かったんです。だから、あたしに頭を下げないでください。

 

「あの、もうすぐ授業が始まるので……」

「ああ、もうそんな時間か……本当に、申し訳ない」

 

 先程から、教室にいる生徒達がトレーナーさんに対して鋭い非難の視線を飛ばしていた。

 

 謂れのない中傷を受ける彼の姿をこれ以上見たくなくて、最もらしい理由をつけてあたしは彼を守ろうとする。

 

「ダイヤ、少し良いかな」

 

 トレーナーさんは去り際に、彼の担当ウマ娘であるダイヤちゃんの名前を呼んで廊下へと出た。

 

 あたしはホッと胸を撫で下ろして、自分の椅子に腰掛ける。

 

 しばらくして、ダイヤちゃんが廊下から戻ってくる。

 

「ダイヤちゃ──」

 

 慌ててダイヤちゃんに声をかけようとしたけれど、彼女の様子を目の当たりにしてあたしは躊躇してしまった。

 

 胸元に両手を押し当てて、ダイヤちゃんは過呼吸気味に思い詰めた表情を浮かべていた。

 

 この数分間で、二人の間に一体何があったのだろうか。

 

 ただ一つだけ分かるのは。

 

 あたしの身勝手な行動が、二人の関係を修復困難な状態までぶち壊してしまったこと。

 

 それだけだった。

 

 

 

***

 

 

 

 消灯時間を迎え、栗東寮のみんなが寝静まった夜。

 

 あたしは同室の子を起こさないようにベッドから起き上がって、机の引き出しを漁った。

 

 引き出しから小さな木箱を手に取って、中身を取り出す。

 

「……ミライさん」

 

 三年前。あたしが憧れのミライさんから貰った、ガーベラの耳飾り。

 

 時間が経って少し劣化してしまったけれど、あたしはこうして今でも大切に保管していた。

 

 心が不安定になったとき、あたしはこうして彼女の形見に安定を縋る。

 

「あたし、親友が一番大切にしていたものを壊してしまったんです」

 

 耳飾りに後悔を語りかけても、当然返事なんてくるわけがない。

 

「ミライさん。あたしは……どうしたら良いんでしょうか」

 

 多分今のあたしが何かをしたところで、火に油を注いでしまうだけ。

 

 どうすればいい。何をすれば、あたしは二人の関係性を修復できる?

 

 

 

「…………トレーナーさん、教えてくれませんか?」

 

 

 

 あたしの欠点を長所として肯定してくれたあの人なら……身勝手なあたしの悩みに寄り添ってくれるのだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 六月末、阪神レース場で開催されるGⅠレース──宝塚記念に出走するゴールドシップさんを応援するため、あたし達は東京都府中市から兵庫県宝塚市までやってきた。

 

 会場は午前中にも関わらずもの凄い人だかりが出来ていて、あたしはこの中を進んでいくのかと少しばかり億劫になっていた。

 

 チーム・スピカとしてメンバーの応援をすることはもちろんだけれど、今日は午前の第四レース──メイクデビューに親友のダイヤちゃんが出走する。親友の応援も、忘れてはならない。

 

 目下の目的まで、あたしは一緒に応援に来ていた方々と屋台を回ろうかなと考えていると……。

 

「あ、あれ……皆さん、どこへ行っちゃったんですか?」

 

 いつの間にか荒波のような人の移動にのみ込まれてしまったようだ。あたしはテイオーさん達を見失ってしまう。

 

 有り体に言うと、あたしは迷子になってしまった。

 

 まだまだ時間に余裕があるため、あたしは焦らず会場内をぶらつくことにした。

 

 焦燥に駆られて走ってしまうと、あの時のように誰かに衝突してしまう可能性がある。

 

 三年前と似たような状況に陥って、あたしは懐かしさで頬を緩めていると。

 

「──あ」

 

 あたしは偶然にも、顔見知りのトレーナーさんとばったり出会った。

 

「……キタサンブラック」

 

 どうしてトレーナーさんがこんな場所に……なんて野暮な質問はしない。

 

 彼はダイヤちゃんのトレーナーさんだ。メイクデビューに出走する彼女の引率と応援のために決まっている。

 

「……こんにちは」

 

 相変わらずスーツ姿に薄手の革手袋を着用した、少し変わったファッションだなと内心で思いながら、あたしはトレーナーさんと当たり障りのない挨拶を交わした。

 

 ギクシャクとした居心地の悪さを感じてしまうのは、きっとあたしに負い目があるから。

 

「その……この前はすまなかった」

 

 重苦しい雰囲気を払拭しようとしたのか、トレーナーさんの方からあたしに話しかけてくれる。

 

「メイクデビューで一着になったって……ダイヤから聞いたよ。おめでとう」

 

 てっきり叱責の言葉を予想していたため、斜め上からの褒め言葉にあたしは返答に困ってしまった。

 

「……あ、ありがとうございます」

 

 とりあえずあたしは、当たり障りのない返事で乗り切った。

 

 空気が重く澱んでいて息苦しさを覚えていたあたしは、目の前に立つトレーナーさんから目を逸らし、視線を彷徨わせて助け舟を求めた。

 

「──ああ、キタサン。なんだ、ここにいたのか」

 

 すると、あたしの願いに答えてくれるかのように、背後から耳馴染みした男性の声が届く。

 

「トレーナーさん」

 

 人混みをかき分けてやってきたのは、あたしが所属するチーム・スピカの代表責任者である沖野トレーナーだった。

 

「一人で行動するとはぐれるだろうが」

「ご、ごめんなさい……」

 

 沖野トレーナーはため息をこぼしながら、相変わらず棒付きの飴を転がしている。彼も一人ということは、他の方々とはぐれたのだろう。

 

「んで、この人は?」

「え、えっと……親友のトレーナーさんです」

 

 あたしは簡単に、ダイヤちゃんのトレーナーさんのことを紹介する。

 

 沖野トレーナーは彼の容姿を一瞥して、ふむ……と唸る。そして、沖野トレーナーが何かを言おうとした矢先。

 

「先日はお騒がせしてしまい、大変申し訳ありませんでした」

 

 ダイヤちゃんのトレーナーさんから謝罪の言葉が飛んできた。あたしの肩がびくりと跳ねる。

 

「いや、俺達の方こそすまなかった。他のチームの方針に首を突っ込んじまって。迷惑をかけた」

 

 あたしが発端となって起こった騒動については、当然沖野トレーナーの耳にも入っていた。

 

 もちろんこっぴどく叱られたし、散々後悔もしてきた。

 

「ごめんなさい。ダイヤちゃんを自主トレーニングに誘ったのは……あたしなんです」

 

 この会場には先日の教室のように、彼を非難する視線は一切ない。

 

 だからあたしは改めて、彼に深く頭を下げた。今更謝ったところで、手遅れなのは変わりないけれど。

 

「ダイヤから聞いたよ……あの時は強く怒鳴ってしまって、すまなかった」

 

 彼の怒りは至って真っ当なものだ。あたしは彼が悪いとは微塵も思っていない。

 

「本当は真っ先に謝罪に赴くべきだったんだが、なかなか見つけることが出来なくてな」

 

 トレーナーさんと沖野トレーナーがしばらく話している間、あたしはじっと彼のことを見つめていた。

 

 とても落ち着いた様子で、時たま頬をかきながら苦笑を浮かべている。そんな彼の表情に、あたしは今まで感じたのことの無かった()()()を覚えた。

 

「──それじゃ、俺達は迷子になった他の奴らを探しにいってくる」

 

 彼から踵を返した沖野トレーナーが、再び人混みの中へ歩み出した。

 

「し、失礼します」

 

 あたしも今度ははぐれないように、しっかりと沖野トレーナーの後に続く。

 

 トレーナーさんの姿が見えなくなる寸前にも深々と頭を下げて、あたしは彼の元から去った。

 

「ふむ……」

「どうかしたんですか?」

 

 人混みの中を進む途中、あたしの隣で沖野トレーナーがおとがいに手を当てて何やら考え込んでいた。

 

「あいつの顔、どっかで見たことあるんだよな……」

「そうなんですか?」

「ん、ああ…………ダメだ、思い出せん」

 

 彼はダイヤちゃんのトレーナーさんだから、沖野トレーナーの同業者として顔を合わせた機会があるのかもしれない。でも確か、沖野トレーナーは彼のことを新人と呼んでいたし。うーん……。

 

「……お、迷子発見」

 

 二人揃って頭を悩ませていると、両手に大量の食べ物を抱え込んだスペシャルウィークさんがこちらに向かって歩いてきた。

 

「あ、トレーナーさん!」

「……スペ、お前到着早々買い込みすぎだろ」

「ふひまふぇん」

「口に食い物を運ぶ手を止めろ……はぁ、まったく」

 

 これで沖野トレーナーを含めてチーム・スピカの三人が揃った。あとはテイオーさんと、スズカさんの二人。

 

 ゴルシさんは午後の宝塚記念に出走するため、すでに控室で待機しているはずだ。

 

「ゴルシの宝塚記念まで時間あるし、ひとまず自由行動にするか」

「……結局ですか?」

「そう伝える前に全員がどっか行っちまったんだよ」

「……あ、あはは」

 

 あたしも人のことは言えないので、苦笑して誤魔化した。

 

 さて。

 

 ダイヤちゃんがエントリーしたメイクデビューの出走まで、あと一時間ほど。

 

 親友の晴れ舞台を、一番良い場所で応援したい。

 

 あたしは少し早いけれど、ターフのホームストレッチへ足を運んだ。

 

 

 

***

 

 

 

……はずだったんだけれど。

 

「──ええっと、この食材が売ってるお店は……」

 

 何故かあたしは、広場で屋台を開いて小銭を荒稼ぎするゴルシさんに買い出しに駆り出されてしまった。

 

 控室で大人しくしていると思っていたけれど、全然そんなことは無かった。

 

 彼女はあろうことか、兵庫県の郷土料理である明石焼きを観客に振る舞っていた。

 

──ん? ああキタサン、オメェ丁度良いところに来たな! 屋台が意外と盛況で材料が切れそうなんだよ、つーわけでひとっ走り頼むわ。

 

 あたしは昔から困っている人を放っておけない性格なので、ゴルシさんからの頼みを断ることが出来なかった。

 

 そんな経緯で、あたしは阪神レース場を離れて周辺の商店街を駆け回っていた。

 

「急がないと、ダイヤちゃんのレースが始まっちゃう……っ」

 

 しかも厄介なことに、ゴルシさんは材料に対するこだわりが強く、購入する店舗の名前まで指定してきた。

 

 あの人レース前なのに一体何をやっているんだろうか。重賞レースの中でも特別格の高い、GIレースだというのに。

 

……いや。多分そんな奇想天外で自由奔放な性格だからこそ、ファンから絶大な人気を得ているのかもしれない。

 

 宝塚市を奔走すること数十分。あたしは頼まれた食材を買い揃えて、ゴルシさんのいる屋台へ大急ぎで戻る。

 

「はぁっ、はぁっ……ゴルシさん、戻りました…………」

「ん、さんきゅー。これ駄賃」

 

 息が絶え絶えになったあたしに、ゴルシさんは買い出しのお礼として明石焼きを差し入れてくれた。

 

「……ふぅ。ありがとうございます」

 

 あたしは息の入りには自信がある。乱れた呼吸を素早く整えて、ゴルシさんからお駄賃をもらった。

 

「あ、これ、とってもおいしいです!」

「ったりめーだろ。なんつったって、本場に弟子入りしたんだからな!」

「そうなんですね……ぁっつ」

 

 明石焼きを頬張りながら、あたしは周囲を見渡す。

 

 

 

 そういえば先程から、少し疑問に思っていたことがある。

 

 

 

「ゴルシさん。先程からこの広場……人が少なくありませんか?」

 

 あたしが阪神レース場を離れる前までは、むせ返るような熱気に満ち満ちた密度であった。

 

 しかし今はどうだろう。もぬけの殻と言うか、店主の姿が見当たらない屋台もいくつかある。

 

 この時間帯に、観客がこぞって注目する催しがあったのだろうか。正直、記憶していない。

 

 不思議に思いながら、あたしは明石焼きを一つ頬張る。

 

「ん、ああ。なんか復活したらしいぞ、()()()()()()

「なるほど、そうなんですね……」

 

 ふわふわの生地に包まれたタコの食感を楽しんだ後、ごくんと飲み込む。

 

 

 

 

 

「…………………………ん"ん"ッ!?」

 

 

 

 

 

 ちょっと待て。今ゴルシさん、さらっとなんて言った?

 

「……アルデ、バラン?」

「なんだオメェ、知らねぇのかよ」

 

……アルデバランって。あの”星”のミライさんが所属していた、あのチーム・アルデバランのこと?

 

「まぁ、アタシとしては商売客を横取りされて文句の一つでも言ってやりた──」

「すみません失礼します」

 

 あたしは残った明石焼きをゴルシさんに渡して、一目散に会場へ駆け込む。

 

 二年前、”星の消失”と共に表舞台から姿を消したあのチームが帰ってきた?

 

 ありえないとあたしの理性が否定する。しかし、広場に人っ子一人いない異常な光景が、彼女の言葉に妙な説得力を持たせていたのは確かだ。

 

 会場入り口に近づくにつれて、あたしは事態の異常性をヒシヒシと痛感することとなった。

 

「……入れない」

 

 ターフの観客席まではかなり距離があるというのに、入り口から尋常じゃないほどの密度で人々が停滞している。

 

 観客席を目指す人々の言葉に耳を傾けると、あちらこちらから過去の記憶となった名前が飛び交っていた。

 

 本当に……あのチーム・アルデバランが復活したのかもしれない。

 

 ということは。

 

 

 

 

 

……もしかしたら、()()()が。

 

 

 

 

 

 

 胸の鼓動が手綱を引き裂いて暴れ出す。叶わないと思っていた約束が、現実になる瞬間が来たのかもしれない。

 

 あたしは逸る期待に決意を固めて、荒れ狂う波浪の中へ飛び込んだ。

 

「すみませんっ、通してっ! 通して下さいっ!」

 

 力加減を調整しながら、あたしは必死に観客席への道を切り開く。幾度となく背後に押し戻されるも、あたしはめげずに前へ進んだ。

 

 確かめなければならない。伝えなければならない。

 

 色々な感情が複雑に混ざりあって生じた原動力を頼りに、時間をかけて荒波の中を無我夢中でかい潜った。

 

「はぁ、はぁ……何とか着いた」

 

 骨の折れる苦労の末、あたしはターフを一望出来る三階観覧席にたどり着く。

 

『──一着は九番、サトノダイヤモンドです!!!!!!』

 

 アナウンサーが親友の名前を大大と叫んだ。残念ながら、あたしはダイヤちゃんの晴れ舞台を見届けることが出来なかった。

 

 その瞬間、地鳴りのような歓声が湧き上がって会場全体が震え上がる。

 

 突然の爆音に耳を抑えながらも、あたしは会場内にいるかもしれないあの人をガラス越しに探した。

 

『──チーム・アルデバランがいまッ!! 強烈な印象を刻みつけたウマ娘と共に、競走の世界に凱旋しましたッ!!!!」

 

 アナウンサーの言葉で会場のボルテージが限界を突破して、もはや収拾がつかない事態に突入する。

 

 かくいうあたしも、あの人がいるかもしれないという期待で盲目的になってしまっていた。周囲の喧騒を置き去りにして、あたしは大衆の中から、過去の記憶と合致する人物を血眼になって探す。

 

「……あ、ダイヤちゃ──」

 

 その途中、ターフの上に毅然とした姿で立つ親友の姿があたしの視界に入った。

 

 ダイヤちゃんは観客の声援に応える様子は一切見せず、おもむろにホームストレッチの方へと歩みを進める。

 

 ダイヤちゃんが誰かと話をしていた。相手は地面にしゃがみ込んでしまっているのか、周囲の観客に阻まれてしまってこちらからは確認できない。

 

 しかし偶然にも人混みの中に隙間が生まれ、人より優れたウマ娘の視力が、ダイヤちゃんと話す相手の姿を確かに捉えた。

 

 ダイヤちゃんに抱きしめられる、トレーナーさんの姿を。

 

 

 

 

 

 ダイヤちゃんを抱きしめ返す──()()()の姿を。

 

 

 

 

 

「………………………………なん、で?」

 

 

 

 どうして気付かなかった。

 

 

 

 どうして気付けなかった。

 

 

 

 あの人のまとう雰囲気が違いすぎた。

 

 

 

 あたしの記憶に刻まれたあの人とは、表情がまるで別人だった。

 

 

 

 三年という時間で、人は過去の面影を微塵も残さないほど変わってしまうものなのか。

 

 

 

 加えてあの人は以前、海外を活動拠点にしていると言っていたから?

 

 

 

 二年前にあの人が所属していたチーム・アルデバランが、表舞台から姿を消してしまったから?

 

 

 

 あたしはきっとフィルターをかけていた。あの人があたしの前に現れるはずが無いと、無意識の内に決めつけてしまっていた。

 

 

 

 あたしはその場で呆然と立ち尽くし、ガラス越しに二人の絆が固く結ばれる瞬間を見つめていた。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 叶わないと知りながら、決めつけておきながら。結局あたしは心のどこかで、愛しい記憶に淡い期待を寄せてしまっていた。

 

 

 

 もしかしたら、成長したあたしのことを迎えに来てくれるんじゃないかって。

 

 

 

……でも、気付いた時には全てが手遅れだった。

 

 

 

 どうすればいい。

 

 

 

 あたしはどうすればいい。

 

 

 

 あたしはあの人に選ばれなかった。選ばれる権利なんて残っていなかった。

 

 

 

 あの人が選んだ相手は、独りよがりな運命を感じていたあたしではなかった。

 

 

 

「…………っ」

 

 

 

 あの人が手を差し伸べた相手は、彼の心を追い詰める元凶となったあたしではなく、

 

 

 

 

 

 

 

──あたしの一番大切な、親友の女の子だった。

 

 

 

 

 

 

 

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