高倍率の入学試験を突破し、トレセン学園の門を叩いたウマ娘達に訪れる次なる試練。
選抜レース。
チーム未所属のウマ娘のみがエントリーできる、トレセン学園の一大行事。
選抜レースは一年に四回開催され、その一回目の開催が三日後まで迫っていた。
ウマ娘達はこのレースに出走し、スカウト目的で観戦するトレーナーに対して実力を示す。
URAが運営するトゥインクル・シリーズにエントリーするにはトレーナーと契約を交わし、チームに所属する必要がある。
そのため、ウマ娘達にとっては今後の運命が決まるといっても過言ではない。それほどまでに重要なレースなのである。
「──午後の授業では、三日後に開催される選抜レースのターフを使用して行います。体操着に着替え、トラックに集合して下さい」
私──サトノダイヤモンドは今、担任の先生の言葉を右から左に流していた。
いまいち授業に集中することが出来ない。三日後に重要な選抜レースが控えているというのに、私は一体どうしてしまったのだろうか。
「……兄さまの嘘つき」
原因は当然分かっている。今朝、八年ぶりに再会したバカな兄さまのせいだ。
──俺が君を、一番強いウマ娘にするよ。
兄さまは、私と交わした約束を忘れてしまったのだろうか。
そんなはずはないと、私は脳裏をよぎった可能性を否定する。
兄さまは約束を反故にするような人じゃない。
──トレセン学園には俺よりも優秀なトレーナーが沢山いる。強くなりたいのなら、俺以外を頼れ。
でも。
八年越しに再会した兄さまは、まるで別人だった。
保健室で、兄さまの昏く濁った瞳に私が映った。
全てを諦観し、絶望に染まったような表情を浮かべていた。
仮に兄さまが変わってしまったとしても、私は再会出来ただけでこの上なく嬉しかった。
二年前、兄さまが突如失踪したという知らせを受けた時、私は足元が崩れ去るような感覚に陥った。
あの頃は正直、生きた心地がしていなかったと思う。
兄さまが渡米した後、彼の身に一体何があったのだろうか。今度あったら、兄さまの口から聞いてみよう。
「──ちゃん、ダイヤちゃんっ!」
「……えっ!?」
机に頬杖をついてぼーっとしていると、不意に隣から声を掛けられた。
「ダイヤちゃん、どうしたの?」
私の様子を気にしてくれたのだろう。
ツーサイドアップが魅力的な、濃い鹿毛のミディアムボブ。溢れ出る情熱を灯したようなルビーの瞳を持つ少女。
私の幼馴染であり、親友であり、ライバルであるウマ娘。
──キタサンブラック。通称、キタちゃん。
「ううん、何でも無いよ。心配してくれてありがとう、キタちゃん」
「本当かなぁ。ま、ダイヤちゃんがそういうなら大丈夫だよね!」
困っている人を放っておけない人情派ウマ娘。"お助け大将キタさん"は、今日も天真爛漫な笑顔を浮かべて元気いっぱいだ。
「あ、それよりもダイヤちゃん! 早く食堂に行こ! 席が無くなっちゃうよ!」
「うん、そうだね」
キタちゃんに手を引かれるまま、私達はピーク時の食堂へ駆け込んだ。
***
時速六十キロをゆうに超える速度で走るウマ娘は、一般的な人よりも代謝が良いため多くのエネルギーを摂取する必要がある。
その膨大なエネルギーを補うために食事は必須だ。ウマ娘の爆発的なパフォーマンスを生み出す原動力となるため、疎かにすることは許されない。
本格化を迎え、より一層食欲の増したウマ娘達をサポートするために、トレセン学園は全ての学食を無料で提供していた。
豊富なメニューに加え、ウマ娘個人の好みに合わせて味付けをも調整してくれる。
これが中央……!
トレセン学園恐るべし。何という大盤振る舞い。
私達は混雑する食堂の中で辛うじて向かい合う二席を確保し、食券機に並んだ。
「テイオーさんは『特大にんじんハンバーグ』がおすすめだって言ってたっけ。特濃はちみつを豪快にトッピングするのがポイントなんだって!」
キタちゃんは無敗の二冠ウマ娘、トウカイテイオーさんに対して強い憧れを抱いていた。
入学当初、私達は先輩風を吹かした可愛らしいテイオーさんに学園の施設を案内してもらった。
私がいない場所では、キタちゃんは普段テイオーさんと一緒にいることが多い。
「そうなんだ。じゃあ私も、キタちゃんと同じものを頼もうかな」
私達は仲良く同じ食券を発行し、待つこと数分。
「……おおおっ」
肉厚なハンバーグが何層にも重なり、濃厚な蜂蜜がふんだんにかけられた豪勢な料理がトレーの上に乗って提供された。
一キロをゆうに超える料理を持って、私達は席についた。
「「いただきます!」」
料理が冷めないうちにナイフとフォークで一口大にカットし、溢れだす肉汁を絡めとりながら口へと運んだ。
「「ん〜…………っまぁい!!!」」
そして二人揃って頬を押さえた。
舌鼓を打つ上質な甘味と犯罪的なカロリーに圧倒されるがままに、私達はひたすら口を動かした。
少し口の中がこってりしてきたと感じたら、肉塊の山を脳天から突き刺す新鮮なにんじんを一思いにかじる。
柔らかなハンバーグとシャキシャキとしたにんじんの歯ごたえのギャップを噛み締めながら、私達はトレセン学園の食事を堪能した。
本格化を迎えたばかりの私達は食欲旺盛な食べ盛り。豪勢に盛り付けられていた料理をぺろりと平らげるも、なんだかまだまだ物足りなくて。
別の料理も食べてみたいな、なんてキタちゃんと話しながらマックイーンさんイチオシのメロンパフェに手を出してみたり。
まぁ、何が言いたいかというと。
私達は二人揃って、次の授業に遅刻しました。
ちなみに、メロンパフェは二杯食べました。美味しかったです。
***
「やばいやばいやばい〜っ!」
トレセン学園に入学して分かったことだが、どうやら私達は時間にルーズなようだった。
数日前の新歓レースが開催された日も、危うく憧れの先輩達のレースを見逃すところだった。
その夜、興奮した私達は栗東寮の門限を破り、寮長のフジキセキさんにこっぴどく叱られたりもした。
「なんで毎回こうなるのかなぁ!」
「あはは、何でだろうね……」
二人で苦笑しながらも、大急ぎでトラックを目指す。
そして授業開始の鐘が鳴ってから十分後。
「授業はとっくに始まっていますよ。キタサンブラックさん、サトノダイヤモンドさん」
「「す、すみませ〜ん……」」
私達はようやく、午前中に指示されていたトラックに到着した。
「今回は大目に見ますが、次回からは遅刻しないように注意して下さいね」
「「は、はいぃ……」」
これからターフを走るというのに、私達の息は絶え絶えだった。こんな調子でこの先やっていけるのかと、少しだけ心配になる。
「それでは全員揃ったので、授業を始めます」
私達はターフの上に体操座りで並んで座る。
今後の競走生活に直結する、重要な内容だ。私は先生の話に耳を強く傾ける。
「選抜レースの目的は、午前中に説明しましたね。午後の授業では、レースの具体的な内容について話していこうと思います」
選抜レースは、新人ウマ娘達のほとんどが出走するトゥインクル・シリーズ──メイクデビューを想定して行われる。
ウマ娘各々でバ場適性、距離適性が異なるため、選抜レースはいくつかの部門が用意されていた。
芝二千メートル/右・内──中距離。
芝千六百メートル/右・内──マイル。
芝千二百メートル/右・内──短距離。
ダート千六百メートル/左・内──マイル。
ダート千二百メートル/左・内──短距離。
ちなみに、メイクデビューには長距離が存在しない。十分なトレーニングを積んでいない新入生には、長距離を完走するのは困難だという理由が一般的だ。
「選抜レースはメイクデビューを想定し、フルゲート九人で出走します。前日にレースの出走順、枠番を決めるためのくじ引きを行います」
どの部門で出走するかは、ウマ娘各々の判断に委ねられる。
「くじ引きの際、運営からゼッケンが配布されます。レース当日は、ゼッケンの番号が前面に見えるように着用して下さい」
出走部門を決定したら、あとはひらすら一着を目指してコースを走り抜けるのみ。
「まだ、自分の脚質適性や距離適性がはっきりとしていない生徒もいると思います。その場合、自分が将来出走したいレースの距離を想定し、出走部門を決定するといいでしょう」
選抜レースの目的は、ウマ娘を育成するトレーナーからスカウトを受けること。当然、トレーナーの目には出走したレースに適性がある前提でスカウトを進めていくだろう。
「今日はひとまず、色々な距離のコースを走ってみましょう。自分自身の走りやすいバ場、距離を探りましょう」
授業が終わるまで、好きな距離を自由に走って良いとのことだった。
先生の話を聞いて、私はさっきから走りたくて走りたくて身体が疼いていた。
「おっと、その前に。ウマ娘にとって、怪我は選手生命に直結します。準備体操、柔軟は入念に行いましょう」
生徒全員でしっかりと身体を温めて、今度こそ解散になった。
各々の理想を追い求めるべく、私達はコースの中に足を踏み入れるのであった。
***
「キタちゃんはどの部門でレースに出走するの?」
「んー、あたしは芝二千かな〜。ダイヤちゃんは?」
「私も芝二千だよ」
短距離やマイルは、私の距離適性的にどうにも向いていないようだった。以前行った自己分析では、中距離や長距離にかけて適性があると感じていた。
「脚質はどうする?」
私はキタちゃんに問う。
「んー……差し、かなぁ。ダイヤちゃんは?」
「私は先行! 憧れのマックイーンさんと同じ、先行が良い!」
私はメジロマックイーンさんに強い憧れを抱いている。彼女の走りを一目見た時から、彼女のような存在になりたいと思っていた。
常にバ群の上位でレースを支配し、繊細な判断が要求される仕掛けどころを完璧に見抜いて一着を貪欲にもぎ取る。
その最強のステイヤーたる姿に、私は畏敬の念を抱いてすらいた。
「ま、トレーナーさんがいない状態で走っても、自分に合った脚質なんてよく分からないし。思う存分走ろっか!」
「うん!」
私達は意気揚々と、芝二千メートルのコースをキタちゃんと並走した。
その身一つで風を切り裂き、景色を前へ前へと押し広げる感覚。
ウマ娘として生を受けた者にしか味わうことの出来ない極上の体験に、私の心は高揚した。
足が棒になるまで走って、気が付いたら授業が終わってしまう。
「選抜レース。一緒に頑張ろうね、ダイヤちゃん!」
「うん!」
選抜レースの日が待ち遠しい。
必ず一着でゴールを駆け抜けて、彼に認めてもらうんだ。