異例の注目度となった今年のトゥインクル・シリーズもついに大詰めを迎え、長いようで短かったトレセン学園の二学期が終業した。
冬休みを利用してチーム・アルデバランの面々はそれぞれの実家へと帰省し、各々の年末を過ごす運びとなった。
六月末から実に半年間に及ぶ闘病生活を乗り越え、三学期からはついに……あの人が業務へと復帰する。
彼の退院日に直接赴いたのは、サトノさんだけであった。
というのも、私とドーベルは中途半端な時期にチームへ移籍したこともあり、顔を合わせるどころか、ろくに会話をする機会すら無かったからである。
どうせなら、新年という切りのいいタイミングで顔合わせを行った方が良いだろう。やや古典的ではあるが、私は手紙という手段を用いて彼に退院祝いの言葉をおくらせてもらった。
彼と共に行動するサトノさんは、今頃何をしているのだろうか。行動力の高いサトノさんのことだから、一途に慕う彼のことを連れ回しているのかも知れない。
きっと二人のことだから、仲睦まじく年末を過ごしているのだろう。
「──マックイーン、準備はもう出来た?」
さて。サトノさん同様メジロの本邸が所在する北海道へと帰省した私達だが、現在はこの後に控える重要な行事に向けて身繕いを進めている最中だ。
メジロ家は毎年年末を迎えると、親戚や業界関係者を大勢招待して一族主催のレセプションパーティーを開催する。
羊蹄山麓の本邸を宴会場に催されるレセプションパーティーの目的は様々だが、最たるものとしては社交・交流の場を一族主催で設けることだろう。
トゥインクル・シリーズを運営するURAの重鎮や、中央で活躍する優駿ウマ娘を数多輩出するトレセン学園理事の方々、レース文化の発展に貢献する企業やコンツェルンの関係者などが一堂に介し、交流の場を提供すること。
来賓の方々からは多種多様な人脈が獲得できると好評で、年々パーティーの規模が拡大しつつあった。
そして当然、レセプションパーティーを主催するメジロ家にとっても、重要な意味合いが存在する。
「ええ。ライアンも、今年は気合が入っていますわね」
「マックイーンもねっ」
端的に言ってしまえば、名門メジロの名を冠するウマ娘達の
会場から少し離れた応接間の一室に現役で活躍するメジロのウマ娘が集合しており、現在はパーティーに向けておめかしの真っ最中だ。
メジロ家の顔としてフォーマルな場に臨む以上、些細な粗相すら許されない。スタッフの方々に入念なメイクと、各々の魅力が最大限に引き立つようなドレスアップを施してもらう。
先ほど述べたように、メジロ家が主催するレセプションパーティーにはお披露目会的な側面が存在する。
なので、主役となるウマ娘達には気持ち鮮やかな配色のドレスを。
ちなみに私の場合は、袖にレース生地が施されたアイボリーのワンピースドレスを着飾っている。極力肌の露出を避け、胸元に薄緑のリボンをあしらったお気に入りの代物だ。
「……あ〜。私、こういうパーティーってあんまり得意じゃないんだけどなぁ」
「パーマー、そんなにかしこまる必要はありませんよ。メジロのウマ娘として、堂々と、胸を張っていれば良いのです」
レセプションパーティーを目前に控え、億劫な表情を浮かべているメジロ家の三女──メジロパーマー。
そんな彼女を、メジロ家の次女──メジロアルダンが冷静沈着な物腰で言いくるめる。
「さて。準備も整ったことだし、そろそろ会場へ行こう…………?」
メジロ家の四女──メジロライアンが姉妹を統率しようとした時、彼女は周囲を見渡して首を傾げた。
「あれ……誰か、ドーベルがどこに行ったか知らないかな?」
ライアンはどうやら、応接間にメジロ家の五女──メジロドーベルの姿が無いことを疑問に思ったようだ。
「本当だ。ドーベル、どこに行っちゃったんだろ?」
「んー、私が応接間に入室した時には既に、ドレスアップを終えていましたけど……」
「私達より一足先に部屋を出てから、戻って来ませんわね」
私達もライアン同様、ドーベルの行方に心当たりが無かった。
もしかしたら、既に会場へ移動しているのかもしれない。
「──でしたら、わたくしが探して参りますわ〜」
歳の近い姉妹が揃って頭を悩ませていると、背後からほのぼのとした声音の提案が飛んできた。
「わたくし、ドーベルお姉さまの居場所には心当たりがありますわ」
「ブライト、それは本当かい?」
「はい〜」
その提案を投げかけたのは、メジロ家の末っ子──メジロブライトだった。
腰丈まで伸びる明るい鹿毛の癖毛が魅力的なブライトは、メジロ姉妹の中でも比較的年齢が離れている。
今年で十歳を迎えるブライトだが、おっとりとした言動とは裏腹に非常に肝が据わっていて、行動力も異常に高い。
「それでは早速、行って参りますわ〜。お姉さま方とは後ほど合流いたしますので……失礼しま〜す」
そして、気が付いたら会話の主導権を握られているなど、姉妹とはいえ未だ計り知れない部分も多い。
相変わらずおっとりとしているが足取りに淀みは無く、ブライトはそのまま扉を開けて悠々と出て行ってしまった。
「せっかくだから、この場はブライトに任せよう。……あ、いけない。そろそろパーティーが始まっちゃう」
部屋の時計を確認すると、パーティーの開催時間まで残り十分を切っていた。
メジロのウマ娘たるもの、時間にはシビアであるべきだ。私達は足早に応接間を出て、パーティーへと急ぐのであった。
***
イラストを描く時にはまず、作品全体の印象を決めるための大ラフを考案する。
大ラフというのは端的に言うと、イラストにおける設計図のような存在だ。
作品のテーマを決定して、その表現に最適な構図を模索して、しっくりくるまで何度も試行錯誤を繰り返す。
満足した大ラフが完成すれば、次はラフだ。この過程における大ラフとラフの大きな違いは、作品に含まれる情報量の差にある。
大ラフは勢いを意識して大胆に描くため、整合性が著しく欠けてしまっているような状態だ。ラフの段階では違和感を感じる箇所を修正しつつ、キャラクターや背景の情報量を増やしていく。
ラフの描き込み終えれば、残るは下書き、線画、着彩、仕上げの工程を順番に踏んでいくだけ。
ラフ以降の工程は作品の完成度に直結するため非常に重要だが、アタシは特に序盤の段階を意識している。
大ラフが魅力的に見えなければ、そのイラストに魂は宿らない。
ラフを詳細に詰めていかなければ、完成するのは違和感だらけの欠陥品だ。
「これで……あぁ、ようやく描けた……っ」
何事も最初が肝心、とはよく言ったもので。やはり絵を描くのも例外では無いのだなと、完成したデジタルイラストを眺めてしみじみとそう感じるアタシであった。
「──失礼しますわ。ああ、ドーベルお姉さまっ。やっぱり、こちらにいらしたんですのね」
アタシが一人で達成感に浸っていると、唐突に部屋の扉が開く。わずかに動揺しながらも声の方へと視線を向けると、少し歳の離れた妹のブライトが立っていた。
「ドーベルお姉さま。こちらで何をしていらしたのですか?」
「え、あー。その……」
「……?」
アタシがレセプションパーティーを
「……やばっ」
突然のことで判断が鈍り、行動が遅れてしまう。イラストを表示した状態でタブレット画面を付けっぱなしにしていたと気付いた時には、ブライトは既にアタシの眼前にまで迫っていた。
「あら? それは…………まぁ!」
残念ながら、ブライトの視界にイラストが映り込んでしまったようだ。
彼女の好奇心の矛先が、アタシの背後の置かれたそれに向けられる。
「──
ブライトは流れるようにアタシの背後へ移動して、両目を輝かせた。
アタシが描いた──ミライのイラストを手に取りながら。
「こちらは、ドーベルお姉さまがお描きになったのですか?」
「……うん。まぁ、ね」
「ほわぁ! 素敵ですわぁ〜!」
面と向かって自分のイラストを褒めてもらった経験が少ないため、羞恥心に負けたアタシはすぐさまブライトからタブレットを取り返そうとする。
「とっても──キラキラして見えますわぁ!」
でも、あまりに純粋な瞳で”星”のミライを見つめるブライトを前にして、アタシは毒気を抜かれてしまった。
「良かったらそれ、ブライトにあげるよ」
「え? よろしいのですか?」
「うん。あとで……印刷してあげる」
「嬉しいですわぁ! わたくし、宝物にしますわ!」
年相応にはしゃぎながら飛び回る妹のブライト。この様子を見れば既に察していることだと思うが、彼女はミライの大ファンなのである。
「……もう一度、お会いできたら良いのに」
ブライトはアタシの描いたミライのイラストをしばらく眺めた後、一転して憂いを帯びた声音で呟いた。
かつて、世界中を震撼させたレース史上最悪の故障事故──”星の消失”。
その事故による世界への影響は計り知れず、あらゆる人々やウマ娘達が世界的アイドルウマ娘に対して追悼の意を示した。
当然ブライトも例に漏れず、激しいショックが原因で数日間寝込んでしまったことを覚えている。
「ふふふ、のちほど額縁に入れて飾らなくてはなりませんわ。わたくしの、宝物ですわ〜」
ミライに憧憬を抱くウマ娘は、”星の消失”以降も年々増加の一途を辿っている。
半年前にミライの所属していたチーム・アルデバランがレースの世界に凱旋したことも相まって、再び彼女の功績や伝説にスポットライトが当てられていることも要因の一つだろう。
「……あ。そういえばわたくし、本来の目的をうっかり忘れておりましたわ。ドーベルお姉さま、早くしないとパーティーが始まってしまいますわ〜」
「もうとっくに始まってるよ」
「あら〜。でしたら、急がなければなりませんね」
ブライトがくるりと踵を返す。
「さぁ、行きましょうか。ドーベルお姉さま!」
「……うん」
正直、あまり乗り気ではなかった。元々パーティーをすっぽかす目的で、アタシは自室に引きこもっていたのだから。
でも……今のアタシはお気に入りの可愛い衣装を着ているし、さらにはブライトが迎えに来てくれた手前、彼女の厚意を無下にはできない。
アタシは重たい腰をなんとか上げて、先を歩むブライトの後に続くのであった。
***
アタシが会場に到着する頃にはすでにレセプションパーティーは始まっており、その会場内は大勢の来賓の人達で賑わっていた。
社交や交流の場を設ける目的で開催されているため、パーティーは立食スタイルが採用されている。ホールに等間隔に配置されたテーブルに用意された料理やドリンクは、彼らからとても好評なようだ。先程から忙しなくスタッフが出入りを繰り返している。
そういえば、パーティーが億劫だったせいか昼食は控えめだった。空腹を感じてお腹をさするも……あの人混みの中に入っていくのは少々、難易度が高すぎる。
一応メジロの血を引くウマ娘という立場上、フォーマルな場に出た以上は気丈に振る舞わなければならない。何か粗相をしてしまったら、おばあ様の顔に泥を塗ってしまうことになるからだ。
アタシは息をころすように会場の隅を移動し、あたかも参加しています感を演出する。
一番人の密度が少なく、かつ会場の縁から一番近いテーブルの料理を少しとって、空腹を紛らわせた。味はよく分からなかった。
その後はそそくさと目立たない場所で息を潜め、怪訝に思われない程度に定期的に立ち位置を変えて時間が流れるのを待つ。
そんなことを繰り返していると、アタシは会場の隅に佇む
「……あれ、マックイーン?」
「あら、ドーベル。先程はどちらに行っていらしたんですの?」
袖にレース生地が施されたアイボリーのワンピースドレスを着こなしたマックイーンが、身体の前で両手を揃えてパーティーの様子をぼんやりと眺めていた。
「まぁ、ちょっと……マックイーンこそ、どうしてこんなところに?」
マックイーンが静かに佇む場所は、会場上部に設置された照明のちょうど死角にあたる位置だった。
「特に理由はありませんが、少々会場の熱気に当てられてしまったので」
「そうなんだ」
短い会話を交わして、アタシは何気なくマックイーンの隣に立つ。この場所からは不思議と、会場全体の様子がよく見える。
「今年は去年と比較して、華やかな賑わいですわね」
「……あんまり覚えてないや」
去年の今頃は、どうやってパーティーの時間を潰していたっけ。そもそも、参加していたかどうかすら怪しい。
「今年、私達メジロ家は大きな成果を残しました。おそらくはその影響でしょうね」
マックイーンの言葉通り、アタシ達メジロ家のウマ娘は今年のトゥインクル・シリーズで華々しい成果をあげた。
メジロ家の次女、メジロアルダンは自身にとってのラストランとなった高松宮記念を制覇し、GⅠタイトル獲得という有終の美を飾ってトレセン学園を卒業した。
メジロ家の三女、メジロパーマーは先日開催された有馬記念で並み居る傑物を破天荒な戦略で退け、驚異のGⅠ二勝目を成し遂げた。
メジロ家の四女、メジロライアンは六月末に開催された宝塚記念で一族の期待に応える走りを披露し、念願のGⅠウマ娘へと成長した。
「今年開催されたGⅠレースを合計三勝。メジロ家にとって、躍進の年となりましたわ」
数少ないGⅠタイトルを獲得した影響か、アルダン、パーマー、ライアンの三人は先程からひっきりなしに来賓の人達から声を掛けられていた。
「そして、ブライトはまだ本格化を迎えてはいませんが、早くも才能の片鱗を見せているそうです」
ブライトはまだ十歳と幼く、身体に本格化が訪れる気配は無い。
しかし彼女は今、メジロ家の中で最も将来が期待されているウマ娘だ。
「ブライトは長距離を主戦場とする──ステイヤーとしての適性が非常に高いと評されています。彼女の専属コーチ曰く、その素質は私をはるかに凌駕するとのことですわ」
「……」
「彼女は将来、おばあ様の悲願であった天皇賞(春)を制覇し、母子三代の春天制覇という前代未聞の偉業を成し遂げてくれることでしょう。私も精一杯、彼女を応援しなくてはなりませんわね」
アタシは会場の中から、話題に上がったブライトの姿を探して視線を彷徨わせる。
しばらくしてアタシが見たのは、一回り以上背の高い人達に囲まれながらも、決して笑顔を絶やさないブライトの姿だった。それどころか、周囲に微笑みを届けているようにも見える。
「彼女達がいれば、この世代のメジロ家は安泰でしょう」
「そうだね」
それからというもの、アタシとマックイーンは華々しい姉妹の姿を眺めながら、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。その間、アタシ達は特に誰かから声を掛けられることもなかったため、精神的には比較的穏やかであった。
「……ドーベル。私は、あなたにも謝らなければなりませんわね」
「なんで?」
「あなたにも、私の使命の一端を押し付けてしまいました」
マックイーンは申し訳なさそうな表情を浮かべて、横に並ぶアタシに言葉をかける。
「周囲の期待があなたにとって重荷になっているのだとしたら、それは私の責任です」
「別に何とも思ってないから。それに……アタシの心配するくらいなら、自分の体調を気遣ってよ」
「そうですか」
アタシのつんけんとした返事に、マックイーンは微かに安堵したように見えた。
「……あなた達を見ていると、何故だかお腹が空いてきます」
「え、突然なに? 意味が分からないんだけど」
「ふふっ、冗談ですわ。私少々、お手洗いへ行って参ります。まさか、ついて来るなんて言いませんわよね?」
そう言っていたずらに微笑んだマックイーンは、アタシに背を向けて会場を後にする。
再び一人になった手持ち無沙汰なアタシは、再び場所を点々として時間をやり過ごす。
途中で人通りが少ない通路のテーブルから料理をとって口に入れたが、やっぱり味は分からなかった。
***
長かったパーティーも終盤に差し掛かり、ようやく解放されるとアタシは内心安堵していた。
「──ドーベル」
唐突に声を掛けられて、アタシはひどく動揺したことを覚えている。
声の主をたどって視線を走らせ、その姿を捉えたアタシは思わず目を見開く。
「お、おばあ様……っ」
メジロ家の当主にして、レース業界の大御所と言える存在の実祖母──おばあ様がアタシの前に立っていた。
アタシはおばあ様を前にして、激しい緊張を覚える。それと同時に、彼女からアタシに声を掛けてくれたことに対する微かな喜びを覚える。
動揺を必死に隠そうとするアタシの前で、おばあ様がおもむろにその口を開く。
「マックイーンを探しているのですが、どちらにいったか心当たりはありませんか?」
その目的はどうやらアタシではなく、妹のマックイーンのようだった。
「……マックイーンなら確か、お手洗いに行くから席を外すと言っていました」
マックイーンと別れてしばらく経つが、そういえば彼女はまだ会場へは戻ってきていない。
「そうですか、ありがとうございます」
おばあ様はお礼の言葉を短く述べて、アタシの元から去っていく。
「あ、あの……っ」
その背中を、アタシは不躾にも引き留めた。
「どうかしましたか?」
「え、あ……いえ、何でもありません」
特に意味なんてなかった。声を掛けたその理由すら不明瞭で……アタシは一体どうして、おばあ様を引き留めてしまったのだろう。
「ドーベル」
おばあ様は去り際に、疑問と後悔で視線を下げてしまったアタシの名前を呼んだ。
「あなたもメジロの名を冠するウマ娘です。
「…………はい、ごめんなさい」
アタシがパーティーをすっぽかそうとしていたことなど、おばあ様には筒抜けだったようだ。叱責の言葉を残して、おばあ様は会場を後にした。
「……」
おばあ様がいなくなった後、アタシは胸の奥から不快なものが込み上げてくるような感覚に陥った。
近くにあった残り物のジュースを喉の奥に流し込んで、気分を紛らわせようとする。
アタシが口にした飲料水の種類は定かではないが……それはすでに炭酸が抜け落ちていて、あまつさえぬるま湯と化していた。
その飲み物ははっきり言って、アタシの口には合わなかった。