これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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30:新星の苦悩

 久々の業務に少々の戸惑いを覚えながらも、俺は午前中までにある程度仕事を進めることが出来た。

 

 昼食は購買で購入したもの──栄養バランスはちゃんと意識している──で済まし、俺は現在、午後に控えるミーティングの準備を進めていた。

 

 ミーティングの流れとしては簡単な自己紹介の後に、今後の方針や規則を改めて説明しようと考えている。あとはチームメンバーの出走レースや、目標に向けたトレーニングの提案など。

 

 事前にサポーターとして在籍するメジロマックイーンから色々と情報を貰っているが、やはり、担当ウマ娘の情報は自分自身で確認したいと思ってしまうのが指導者としての性である。

 

 彼女達のトレーナーとして努めて堂々振る舞う俺だが……実は内心、めちゃくちゃ緊張していた。

 

 以前たづなさん経由でメジロ家当主の婆さんから手紙を貰った際、俺は色々と理由を並べてその申し出を断っていた。

 

 だがしかし、俺はその一ヶ月後に依頼を引き受け、彼女達のトレーナーとなる決断を下している。二人の移籍を承諾した件に関してはちゃんとした理由はあるが……彼女達からすればやはり、一体どういう風の吹き回しだと怪訝に思っていることだろう。

 

 このような懸念が緊張の一端ではあるのだが、それよりもただ単純に、初対面の生徒と顔を合わせることにドキドキしているといった側面の方が大きい。

 

 メジロマックイーンに関しては過去に面識があり、断片的ではあるが、俺は彼女のことを理解している。

 

 確か『メジロ家定例旅行』という名目のもと、マックイーンは一家総出でミライのレースを現地まで観戦に来ていた。その際、少しだけ彼女の走りを見てあげたことがある。

 

 現在のマックイーンは菊花賞出走後に左脚部繁靭帯炎を発症し、競走生活と折り合いをつけて新しい目標へと歩み出している。実質的に競走能力を消失してしまった状態では……やはり、やむを得ない選択だったのだろう。

 

 そして、マックイーンの実姉にあたるメジロドーベルについてなのだが。

 

「……男性恐怖症、か」

 

 実を言うと……俺がいま抱えている不安の大半は、彼女によるところが大きかった。

 

 俺は決して彼女を忌避しているわけではない。

 

 ただ、彼女が抱える問題のスケールを捉えきれず、どう接すれば良いのか分からない状態なのである。

 

 メジロドーベルの容姿に関しては、既に過去の選抜レースを観戦した際に確認していた。

 

 俺の記憶が正しければ、過去にアメリカへ訪れていたメジロ姉妹の中に、彼女の面影と重なるウマ娘はいなかったように感じる。

 

 一度でも面識があれば適切なアプローチを導き出しやすいのだけれど……なかなか、そう上手く事は運ばない。

 

「…………」

 

 さらに俺を悩ませる原因が、先も口に出した──男性恐怖症という大きな障壁だ。

 

 正確には、ドーベルは他人に対する強い苦手意識を抱えており、その中でも特に男性に対する反応が顕著であるとのこと。

 

 実際それが原因となって、彼女は半年前に前任トレーナーとの契約が破棄されている。

 

 このことから推測されるメジロドーベルの性格は……指導者が匙を投げてしまうほどの"気性難"である、ということだろうか。

 

 しかし、メジロドーベルは男性恐怖症という大きな問題を抱えながらも、男性トレーナーが代表を務めるチームに移籍を希望してきた。この裏には何か、相当な理由があるに違いない。

 

 俺は今後、それらの要素を踏まえた上で彼女と接していく必要がある。

 

 友好な関係を築く上で重要なのは第一印象だろう。

 

 気さくな感じで話しかけるべきか……だが、この俺を気さくという枠で括るのは少々無理があるような気がする。

 

 堅い態度で接すれば、それはそれで彼女に対して窮屈な思いを強いてしまうことになるだろう。

 

 半年前まではもっとこう、色々と割り切れていたような性格だった気がするのだけれど……闘病生活における心の変化が、俺の性格にも影響を及ぼしているのかもしれない。

 

 指導者の迷いは教え子に伝播する。せめて彼女達の前では優柔不断な姿を見せず、堂々と振る舞いたいものだ。

 

 現状不安定になっている指導者としての()は、今後の生活の中で取り戻していくとしよう。

 

 ミーティングの資料に不備がないかを確認し、俺は彼女達を迎え入れる準備に取り掛かった。

 

 

 

***

 

 

 

 それからしばらく時間が経過し、ついに、彼女達との対面の瞬間がやって来る。

 

「……」

 

 こんなに緊張するのは久しぶりだ。内心を悟られぬよう気を引き締める目的で、俺は今一度ネクタイを固く結び直す。

 

──コン、コン、コンッ。

 

 静寂な空間に、扉をノックする音が三回響く。

 

 きた……。

 

「──失礼します」

 

 扉の奥から耳馴染みした声が最初に届いて、俺の緊張した身体に安心感が流れ込んでくる。

 

「兄さま。本日から改めてよろしくお願いしますね!」

 

 最初に姿を見せたのは、かつての俺に過去と向き合う勇気を与えてくれた強かなウマ娘──サトノダイヤモンド。

 

「ご無沙汰しておりますわ、トレーナーさん。改めまして、メジロマックイーンと申します」

 

 続いて凛とした佇まいでダイヤの隣に並び、透き通るような声音が印象的なウマ娘──メジロマックイーン。

 

 そして、

 

 

 

 

 

「……………………どうも」

 

 

 

 

 

 二人の影に隠れながら俺の様子を窺う、非常に警戒心の強いウマ娘──メジロドーベル。

 

 チーム結成からだいぶ時間が経った。半年越しの対面という異例な状況が完成したわけだが、焦る必要はない。ひとまずは簡単な自己紹介から始めていこう。

 

「今後、君達三人を担当するチーム・アルデバランのトレーナーだ。よろしく頼む」

 

 色々と面倒な問題を抱え込んでしまった、訳ありトレーナーの俺だけれど。

 

「早速だけど、今後の活動方針について説明しようと思う。適当な席に座って欲しい」

 

 精一杯、君達の夢に寄り添えるように努力しよう。

 

 

 

***

 

 

 

 ミーティングの時間を用いて最初に行ったのは、少しだけ踏み込んだ自己紹介だった。今後チームとして正式かつ本格的に活動していくにあたって、お互いを知るというのは必要不可欠だ。

 

 自己紹介の内容については特に指定せず、何より俺自身の緊張をほぐす意味で自由な語らいの場とした。

 

 ちなみに俺が自己紹介で語った内容としては、過去の経歴が主である。好きな食べ物や趣味の話をしても良かったのだが、それよりも優先して伝えるべき情報の方が圧倒的に多い。

 

 とにかく何かを話すことで、俺はこの場の雰囲気にいち早く身体を馴染ませたかった。

 

 俺の後はダイヤ、マックイーンと続き、チームの最年長であるメジロドーベルが最後となる。

 

 しんがりを務めることになったメジロドーベルは、あからさまに緊張した様子で席を立った。

 

「……メジロドーベル、です…………よろしく」

 

 男性に対して強い苦手意識を抱いているとは聞いていたが、俺はその症状が実際にどの程度のものなのか測りかねていた。

 

 メジロドーベルは自身の名前と手短な挨拶だけを済ませて、再び席に着いてしまう。

 

 対面からの数分間で、俺は彼女が抱える問題の大きさを何となく掴み取る。

 

 他者の心の問題を主観的な物差しで測るのは、本来とても危険なことだ。でも、半年前まで心に重大な欠陥を抱えていた俺の身からすれば、彼女の問題に同情しない方が難しい。

 

 さぞかし、辛い思いを我慢しながら生活してきたのだろう。

 

「ありがとう。君のことはこれから、なんて呼べば良い?」

「……普通に、ドーベルでいい」

「分かった」

 

 ウマ娘の指導に関してある程度の経験を持つ俺だが、残念ながらドーベルのような性格の子を育成した経歴はない。色々と()()()な状態で、俺は彼女と向き合っていく必要がある。

 

「ドーベル、これから一緒に頑張っていこう」

 

 初対面ということで、俺は彼女に対して革手袋を脱いだ手を差し出し、誠意を示すための握手を試みた。

 

 男性を極端に苦手としているドーベルの場合、今後俺が彼女に触れられる機会はまず無いと考えるべきだろう。

 

 故に俺は一番都合の良い状況を利用して、彼女と合理的な接触を試みる。

 

 

 

「…………ごめん。そういうのは……ちょっと」

 

 

 

 しかし残念ながら、俺の魂胆は呆気なく失敗に終わった。

 

「いや、こちらこそごめん。さすがに、配慮に欠ける行動だった」

 

 俺はウマ娘を育成するにあたって、自身の特異な”体質”を最大限利用してきた。

 

 ウマ娘の身体に直に触れるだけで、その状態を把握出来るという便利な能力(ちから)

 

 しかし今の反応から、ドーベルの育成に関しては”体質”に基づく指導を行うことが出来ないと判明した。

 

 何かしら理由をつけて強引に触れても良いが、その代償はとてつもなく大きいだろう。指導者と教え子という関係に亀裂が入りかねない。

 

 俺にとって非常に難易度の高い育成になるが、これまでの経験を活かせば十分に補える範囲だ。

 

「自己紹介が一通り終わったから、次はチームの指導方針について確認していこう」

 

 マックイーンとドーベルが移籍する以前、俺は教え子に対して一切の自主トレーニングを禁止するといった徹底的な管理主義を掲げていた。

 

 この教育理念は俺の精神的な脆さを象徴するものであり、理にかなってはいるがその分、問題に発展することも少なくない。

 

「基本的には俺が作成したメニューに基づいてトレーニングを実施してもらう。メニューの要望があれば、その都度対応していこうと思ってる。そして、自主トレーニングに関してだけれど……」

 

 基本のスタンスは相変わらず管理主義的なものと変わりないが……半年前とは一つだけ、大きな違いがある。

 

「今後、自主トレを希望する場合はマックイーンに同伴してもらおうと考えている。これが、自主トレーニングを行う条件だと思って欲しい」

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 俺の過去のトラウマが元となって生じた過剰な管理主義だが、その根源は、手の届かないところで大切な教え子が傷ついて欲しくないという後悔にあった。

 

 逆に言えば、不測の事態に対応出来る状況下でのトレーニングに関しては、何の問題も無いということである。

 

 半年前と比較してチームメンバーが増加し、うち一人は指導者を補佐するサポーターとして移籍している。

 

 ここまで語れば何となく察しているとは思うが。俺が二人の移籍を承諾した主な理由はまさしく、これに該当する。

 

「自主トレを実施した場合、マックイーンはその内容をまとめて俺に報告して欲しい。それを踏まえて次回のトレーニングメニューを調整するつもりだ」

「了解しましたわ」

 

 大幅な変更点を明確に伝え、続いては個々の目標について説明していく。それぞれに配布した資料をめくってもらい、その内容を口頭で補完する。

 

「まずはダイヤ。君が見据える第一の目標は、クラシック級の開幕戦である皐月賞だとマックイーンから聞いている」

「はい」

 

 俺が不在の間にダイヤが三冠路線へ進む決断を下したということは、マックイーンから退院祝いの手紙と共に受け取った報告書に目を通したことで把握している。

 

「俺は現状、マックイーンが考案した出走ローテーションをそのまま採用したいと考えている」

 

 マックイーンがダイヤに対して考案したローテーションはどれも、トゥインクル・シリーズの仕組みを熟知した秀逸な内容となっていた。

 

 非の打ち所がなく、ダイヤの理想を加味した非常に良い内容であったため、俺はそのまま彼女の案を採用させてもらうことに。

 

 マックイーンが考案したローテーションから選択したのは、出走に必要となる最低限の賞金を稼いでトレーニングに集中するローテーションA。

 

「ダイヤの次走は、来月に開催されるGⅢ──きさらぎ賞を想定している」

 

 きさらぎ賞は、二月の頭に京都レース場で開催される重賞レースである。

 

 芝千八百メートル/右・外といった中距離レースの中で最短に区別される距離であり、今のダイヤであれば一着を十分に狙っていける内容だった。

 

「俺は現状、皐月賞に出走するまでに出来るだけトレーニングを積みたいと考えている。その理由に関しては、後日にきちんと説明しようと思う」

「はいっ、分かりました!」

 

 ダイヤに関する説明に一区切りをつけ、俺は続いてドーベルの今後に関する説明に移る。

 

「そして、ドーベル。君についてはまず、この後に控えるトレーニングでタイム測定を行う」

 

 俺の”体質”に基づく指導が行えない以上、一つ一つ地道にメジロドーベルというウマ娘を理解していく必要がある。

 

「君の情報は事前に受け取っているけど、距離適性や脚質適性は俺自身の目で確かめたい。これらの結果を基にして、メイクデビューの時期を決定していこうと考えている」

 

 ”体質”による能力の把握が行えないだけで、やること自体はほとんど変わらない。過去に培ってきた経験があれば、何とでもなるはず。心配するようなことはない。

 

「……ん」

「ミーティングの内容は以上だ。この後はトラックへ移動して、早速トレーニングに取り掛かろうと思う。各自ジャージに着替えて、十五分後に集合するように」

 

 有効に使える時間は非常に限られている。闘病生活に充ててしまった貴重な時間を取り戻すためには、今から一秒たりともおろそかに出来ない。

 

 俺は事前に準備しておいた道具一式を持って、トラックへと移動した。

 

 

 

***

 

 

 

 ジャージに着替えたダイヤ達がトラックにやってきて、早速トレーニングを開始する。

 

 相変わらず準備運動と柔軟に関しては入念に取り組み、時間をかけて身体をほぐしていく。

 

 実に半年ぶりに指導の環境へと戻ってきたわけだが、彼女達が着用するジャージが冬仕様になっていることに気が付いて、俺は今更ながら季節の変化を実感していた。

 

 一月上旬ということもあり、ある程度防寒対策をしているとはいえ非常に寒い。

 

 俺もひっそりと身体を動かして、凍えながらも努めて気丈に振る舞った。

 

「……よし。それじゃあ、今日のトレーニングメニューについて今一度確認しよう」

 

 チームメンバーが増えたため、俺は担当ウマ娘達に対してしっかりと指示を出すことを意識する。

 

「この後はダイヤとマックイーン、俺とドーベルでペアを組んでトレーニングを実施する。ダイヤはマックイーン指導の元で、課題の克服に努めてもらう。ドーベルは俺と共に、各距離におけるタイム測定を実施する。ここまでで、何か質問はあるか?」

「特にありませんわ」

「私も大丈夫です」

「……大丈夫」

「よし、じゃあ早速トレーニングに取り掛かる。怪我をしないように、集中していこう」

 

 効率を意識し、二手に分かれてトレーニングを実施する。

 

 ここに至るまでドーベルとは一度も目が合うことはなかったが。さすがにトレーニングの時間ともなると、彼女も意識をしっかりと切り替えてくれているようだ。

 

 不安と緊張で一色だったドーベルの表情に、集中と本気の色が混ざる。

 

「まずはウォーミングアップだ。ひとまず、千六百メートルを二周しよう。最初の一周は身体を慣らす程度の速度で、もう一周は身体を温める程度……四割くらいの力で走るんだ。スタミナは極力温存しておくと良い」

「ん」

 

 俺がドーベルに対して指示を飛ばした瞬間、彼女はこの場から逃げるように走り去っていった。

 

 ドーベルがウォーミングアップに取り組んでいる間に、俺はタイム測定の準備を進める。

 

 今回のタイム測定では芝のコースを利用する。スタミナを考慮して、ダートコースでの測定は後日に実施することとした。

 

 タイム測定に採用したコースはそれぞれ、短距離──千二百メートル、マイル──千六百メートル、中距離──二千メートル、長距離──三千メートル。

 

 それぞれの測定結果と平均タイムを参照し、ドーベルの距離適性を確認するのが今日の目的だ。

 

 本当は長距離の計測を実施する予定は無かったのだけれど、当人の強い希望を無碍にすることは出来なかった。

 

 後半に進むにつれて疲労の蓄積が著しい場合、測定を翌日以降に持ち越すことも念頭に置いている。

 

「……お待たせ」

 

 しばらくして、ウォーミングアップを終えたドーベルが俺の近くに戻ってきた。彼女の様子をざっと確認したところ、十分身体は温まったようだ。

 

「よし、それじゃあ早速タイム測定に移る。休憩時間は多く確保するから、この次に控える測定のことなんて考えず、持てる限りの全力で走って欲しい」

「ん」

 

 俺はドーベルに指示を飛ばして、彼女をコースの上に立たせる。

 

「スタートの合図に関しては、このスターターピストルを使おうと思う」

 

 というのも、今回設定した距離ではスタート地点とゴール地点が異なっている。

 

 正確なタイムを測定するためにはゴール位置に立っている必要があり、こればかりは仕方がない。

 

「ゴール地点から音を鳴らすが、ウマ娘の聴力なら問題なく聞き取れるはずだから心配はしなくていい」

 

 早速俺はゴール地点へと移動し、腕を大きく振って合図を送る。それに応じて、ドーベルがスタートの姿勢に移行した。

 

「それじゃあ行くぞ、用意……」

 

 スターターピストルの引き金に指をかけ、俺はその腕を空へ向けて大きく掲げる。

 

 

 

 

 

「──スタートッ!」

 

 

 

 

 

 パァンッ! という乾いた銃声が響くのと同時に、ドーベルは勢いよくスタートを切った。

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