これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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39:使命

 天皇賞の制覇。生来より課せられた悲願達成の使命は、私──メジロマックイーンにとって存在意義に値するものであった。

 

 ここ数年で飛躍的な発展を遂げてきたレース業界において、代々数多くの名ウマ娘を輩出してきた名門メジロ家。

 

 長距離レースを重視するその家風より、世間一般からは『長距離のメジロ』としての呼び声が高く、中でも一族が世代を通じて勝利を収めてきた天皇賞に対する執着は並々ならないほどであった。

 

 そして、次世代のメジロを担う存在として誕生した私達姉妹はもれなく、周囲から向けられる大きな期待を背負って幼少期を過ごしてきた。

 

 物心が付いた頃から英才教育を施され、メジロの名を冠するウマ娘としての正しい在り方を学ぶ日々。

 

 生家の悲願達成に文字通り全てを費やすその姿勢は、世間一般からすれば窮屈に感じるかもしれない。

 

 しかし、私にとって周囲の期待を背負って生きることは当然のことであり、高潔な血筋を引くウマ娘としての矜持を育む生活に強い誇りを感じていた。

 

 それからしばらくの歳月が過ぎて、本格化を迎えた私は満を持して競走の世界へと足を踏み入れることとなった。

 

 一族が心血を注いで次世代の育成に励んだ成果は、次第に目に見える形ではっきりと現れる。

 

 トレセン学園入学後に無名のチームからトゥインクル・シリーズへ出場し、メイクデビューをレコードで勝利。

 

 ジュニア級を無敗で走り抜け、次なるクラシック級も善戦。

 

 トゥインクル・シリーズにおいて最高峰のレースと称される”五大競走”の一つ──菊花賞を制覇する頃には、メジロ家の最高傑作として日本中から称賛の声を浴びるようになっていた。

 

 ”名優”という異名を冠するようになったのも、丁度その頃からだろう。

 

 メジロの名を継ぐウマ娘として華麗に、優雅に、完璧に勝利することを最優先に考えてきた私ではあったが、異名という形で世間から親しまれるのは存外悪いものではなかった。

 

 私がトゥインクル・シリーズで輝かしい戦績を残せば、メジロ家は更なる繁栄を遂げることが出来る。私という存在を生み出してくれた生家に対して、恩返しをすることが出来る。

 

 ここまで来れば、メジロ家の悲願達成は目前だ。

 

 シニア級において最長距離を誇るGⅠ重賞──天皇賞(春)。

 

 天皇賞(春)の制覇こそがこの身に託された一族の悲願であり、果たさなければならない使命であり、幼少期から抱き続けた私にとっての──夢であった。

 

 菊花賞の制覇は私にとって、偉大な使命の通過点に過ぎない。

 

 来たる悲願達成の瞬間へ向けて、一層気を引き締めてトレーニングに励んでいた矢先のこと……。

 

『──お嬢様。どうか落ち着いて聞いて下さい』

 

 ターフを走っている途中、私は左脚に微かな違和感を覚えた。

 

 違和感と言っても特に気にする程のものでは無かったのだが、数ヶ月後には天皇賞が控えているということもあり、念には念をという意味でメジロ家が雇用する主治医に身体の状態を確認してもらうことに。

 

 過剰と思えるほどの精密な検査を終えた後、神妙な面持ちでこちらを見つめる主治医を目にし、私は漠然とした胸騒ぎに襲われた。

 

 固く閉ざされていた主治医の口が重々しく開いて、私に告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お嬢様は左脚に…………繁靭帯炎を、発症いたしました』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのあまりにも無慈悲な事実を突き付けられた瞬間、手の届く場所にあったはずの夢があっけなく崩れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 不恰好に夢の残滓を掻き集めても、それらは全て私の手のひらからこぼれ落ちてしまう。

 

 

 

 

 

 ひたすらに夢を追いかける輝かしい日々は、何の前触れもなく唐突に幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがてその先に永遠と続くのは……抱えきれない未練に追われる、絶望に塗れた日常だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ねぇねぇマックイーン。突然で悪いんだけど、ボクと同じチームに入ってくれない?」

 

 トレセン学園入学後、今年度一回目の選抜レースを一着で勝利した私に声を掛けてきたウマ娘がいた。

 

 鹿毛の長髪を後頭部でまとめ、鮮やかな天色の瞳で机に腰掛ける私を見つめるクラスメイト。

 

「……何なんですの、テイオー? 藪から棒に」

 

 彼女の名はトウカイテイオー。その明朗快活な性格からは想像し難いが、彼女は旧家の出身である。その影響で、私の生家であるメジロ家とも以前から交流があった。

 

「私は今、チーム選びで忙しいのですが?」

「そういえばマックイーン、この間の選抜レースで一着だったもんね。スカウトとか来てるの?」

「ええ。ですから今、こうして所属するチームを吟味しているのです」

「なら丁度良かった! マックイーン、ボクと同じチームに入ってよ、チーム・スピカ!」

「……()()()?」

 

 テイオーの口から出てきたチーム名には全くと言っていいほど聞き覚えがない。

 

 手に持っているトレセン学園チームリストを確認しても、その名前を見つけることは簡単ではなかった。

 

「確かテイオーも、選抜レースでは一着だったはずです。もっと有名なチームからスカウトが来ているのでは無いですか? 例えば、チーム・リギルとか」

「うん、来たよ。でもさぁ、レースを走るのはボク達なんだから、トレーナーなんて誰だって同じだよ。いてもいなくてもどうせ関係ないもんね!」

「…………はぁ」

 

 相変わらずの慢心具合に、私は呆れて物も言えなくなった。

 

「お断りします。私には、天皇賞の制覇という重要な使命がありますので」

 

 今後の競走生活を共に歩むチームになるのだから、私はテイオーと違って真剣に選びたい。

 

 情に絆されてチーム選びを蔑ろにし、悲願を果たせなかったともなれば一族の面汚しもいいところだ。

 

「ねぇ、良いじゃん! ボクと同じチームに入ってよマックイーンーっ!」

「……」

「ねぇねぇねぇねぇ! 入ってよぉボクと同じチームにぃ! お願いお願いーっ!!」

「……ぁあもうっ! うるさいですわ!」

 

 しかし、どれだけ追い払ってもテイオーはしつこく食い下がってくる。耳元で騒がれ続けた私はついに、我慢の限界を迎えてしまった。

 

「分かりましたっ! そこまで言うのでしたら、見学程度はして差し上げます!」

「本当っ!? ありがとうマックイーン!」

「私はするのはあくまで見学です。チームへの加入を決めたわけではありませんから。くれぐれも誤解しないで下さいまし」

「はいはーい。それじゃあ放課後、ボクが案内するから。そのつもりでよろしくー」

 

 私が見学の意向を伝えると、テイオーはあっという間に踵を返して他の友人の輪に戻っていった。

 

「…………何だったんですの?」

 

 トレセン学園入学早々、面倒くさいクラスメイトに目をつけられてしまった。

 

 私は一旦チーム選びを保留にして、放課後までにトウカイテイオーが所属するチーム・スピカについての情報を収集するのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 クラスメイトから執拗な勧誘を受けた日の放課後、私はテイオーに連れられてトレセン学園の敷地外にある裏山の神社を訪れていた。

 

 何百段もそびえる階段を登りながら、私を先導するテイオーのあとに続く。

 

「こんなところでトレーニングをしているんですの?」

「ほら、ボク達のチームってまだ無名じゃん? トラックの使用申告をしても、後回しにされることが多いんだってさ」

「世知辛いですわね……というか、さりげなく私をあなたと一緒くたにするのはやめて下さいまし」

 

 目的の場所へ到着するまでの間、私はこれからトレーニングを見学するチーム・スピカについての情報を再確認することに。

 

 チーム・スピカは二年前に創設されたチームであり、その代表を務めるのは同時期に現職へ復帰した"沖野"という男性トレーナー。

 

 新学期を迎えたことで所属していた年長のチームメイトがトレセン学園を卒業し、目の前にいるトウカイテイオーを含め、現在では三名のウマ娘が所属している。

 

 チームの規定人数云々の話に関しては、かなりの猶予があるそうなので、それに満たない現在でも問題なく活動出来ているとのこと。

 

 私はてっきりチームの規定人数を埋めるために勧誘されたと感じていたので、テイオーの意図がますます分からなくなってしまっていた。

 

 ある程度登ったところで一度、連続する階段が途切れる。中間地点の広場に到着した。

 

「……あの、どこまで登れば良いのですか?」

「うーん、おっかしーなぁ。トレーナーは確かこの辺りで待ってるって言ってたんだけど」

 

 テイオーの言動から察するに、私達が今いるこの広場が待ち合わせ場所であるようだ。

 

 しかし、あたり一帯を見渡しても人の気配は無く、静寂な雰囲気が漂うだけであった。

 

「……テイオー。私はあなたの顔を立てて差し上げたのですよ。これ以上私の貴重な時間をあなたに割くわけにはいかないのですが?」

「まぁまぁそう言わないでよ。今度駅前のスイーツ奢ってあげるから」

「……あと五分だけですからね」

 

 どうせここまで付いてきてしまったので、もうしばらくの間私はテイオーに付き合ってあげることにした。

 

 しかし、それから五分以上が経過したにも関わらず、チーム・スピカのトレーナーらしき人物が現れる気配は無かった。

 

「…………私、もう帰ります」

 

 これ以上、私の貴重な時間を無駄にすることは出来ない。

 

 私には生家の悲願を果たすという使命がある。こんなところで油を売っていては、果たせるものも果たせなくなってしまう。

 

 そう考えて、私はそそくさと踵を返そうとした瞬間。

 

「──ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 制服のスカートから伸びるトモの辺りを舐め回すように弄られる不快感が、私の全身を突き抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 最初は膝下を撫で上げていた何者かの両手がトモを伝って内股を這い、不躾なそれは遂に、無防備なスカートの内側へ……っ。

 

「──さすがはメジロ家の令嬢! 均整の取れた神々しいおみあ」

「どどどっ、どこを触っているんですかこの変態ッ!!」

「ん"ぐふぉ"ゔ……っ!?」

 

 左脚にまとわりつく不快感を引き剥がすように、私の背後で立膝をつく男性の顔面を思い切り蹴り飛ばした。

 

 手加減を忘れたウマ娘の蹴りを受けて、私よりも大柄な男性が宙を舞って地面にくしゃりと落ちる。

 

「な、なななな何なんですのこの男性はっ!?」

 

 私はこの不審者から慌てて距離を取って、両手でスカートの裾を押さえた。

 

「もぉ、遅いよトレーナー!」

「……い、いやぁ、すまんすまん。来る途中に良い脚を持ったウマ娘をスカウトしたんだが……ちっとばかし気を失ってたわ」

「……さいってー。いい加減やめなよ、そのヤバいスカウトの仕方」

「いんにゃっ! 俺は魅力的な脚を持ったウマ娘をスカウトしたいんだ! 側から見るだけじゃあ、分かるものも分からない!!」

「……たづなさんにもう一回言いつけとこ」

「んぁあ"あ"あ"あ"っ! もう減給は嫌だぁああああッ!?」

 

 ぽかんとする私をよそに、隣に立つテイオーと、顔面を抑えながら地面でのたうち回る不審者が会話を続けている。

 

 それに耳を傾けると、何だか聞き捨てならない単語が聞こえてきたような気がして、私は両耳を激しく絞った。

 

(この不審者が……チーム・スピカのトレーナー? ほ、本気で言っているんですの?)

 

 冷静さを取り戻してきた思考を用いて事態を把握するにつれ、私の表情が段々と引き攣っていく。

 

 中央のトレセン学園に勤務するトレーナーは、大志を抱くウマ娘に対して常に紳士的で、思慮分別に長けた立派な方々だと思っていた。

 

 だが、この不審な男はどうだ。

 

 初対面のうら若き乙女に対して変態的な行為を働き、会話から想像するに他のウマ娘に対しても同様の行為を繰り返しているらしい。

 

 もはや考えるまでもなく、私は本能で理解する。

 

 

 

 

 

 このチームは──ヤバい。

 

 

 

 

 

 彼らと関わると、ロクでもないことに巻き込まれるような気がする。否、目に見えている。

 

「私はこれで失礼しますっ!」

「えっ、マックイーン!? ちょ、ちょっと待って──」

 

 テイオーの制止を無視し、私は踵を返して来た道を引き返す。

 

 テイオーには悪いが、これ以上彼女の言葉に耳を傾ける気は無い。

 

 背後から慌てて引き留めるような声が聞こえて来たけれど、私はそれら全てを無視して、無駄に長い階段を下っていった。

 

 

 

***

 

 

 

「──ねぇねぇマックイーン。今日はトレーニングの体験に来てよ!」

「…………」

 

 私が散々な目にあった翌日、クラスメイトのテイオーは懲りずにチームの勧誘に来た。

 

「今日はトラックの使用申告が通ったから、コースに入ってトレーニング出来るんだ!」

「お断りします」

「えぇ! 何でさ!」

「私はもう、チーム・スピカには関わらないと決心しましたので」

「昨日のこと、怒ってるの?」

「当たり前ですわ! 何なんですかあの不躾な振る舞いは!」

 

 私は座っていた椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、声を荒げて憤慨する。そのせいで周囲から注目を集めてしまい、途端に恥ずかしくなって私はそそくさと椅子に身体を預けた。

 

「マックイーンの気持ちも分かるよ。ああやってスカウトするの、日常茶飯事らしいし。ボクも蹴り飛ばしたっけ」

「…………」

 

 テイオーの言葉を聞いて、自身の頬がピクピクと引き攣る。あのような変質者を野放しにしておいて、トレセン学園の治安は大丈夫なのだろうか。

 

「まぁ言動は残念なヒトだけど、トレーナーとしてはそこそこ優秀だったって評判らしいよ」

「……前者で全て台無しですが、一応聞いて差し上げましょう」

「最近ではめぼしい成績こそ残していないけど、昔はそれなりに結果を出してたんだって。噂だと、初めて持った担当をダービーウマ娘に育て上げたらしいよ」

「なるほど……言動はアレですが、指導者としての実力は本物であると」

 

 最低最悪な第一印象を抜きにすれば、沖野という男性は非常に優れたトレーナーであることに間違いないだろう。

 

 あの男性が率いるチームに加入する気は毛頭ないが、その手腕を一度体験するくらいなら考えないこともない。

 

「……というかテイオー。あなた昨日、トレーナーなんて誰でも良いとおっしゃっていませんでしたか?」

 

 トレセン学園へ勤務するトレーナーの方々へ失礼千万な発言をしておきながら、しっかりと実力で選んでいるじゃないか。

 

「どうせなら優秀な方が良いじゃん!」

「……あなた、自身の発言が矛盾していることにお気付きでして?」

 

 チーム・スピカのトレーナーも癖が強いが、そこに所属するウマ娘も負けず劣らずの気性難っぷりだ。

 

「と・に・か・く、今日の放課後はジャージに着替えてトラックに集合! 約束破ったらダートに埋めるからね!」

「わ、私はまだ体験をすると決めたわけでは……っ! …………はぁ」

 

 慌ててテイオーに言い返す私だったが、今の時間がお昼休みということもあり、彼女は返事を待たずに友人達と食堂へ走っていってしまった。

 

「まったく、どうして私がこんな目に……」

 

 テイオーは私と違い、快活な性格のおかげでクラスの中でも人気があって交友関係が非常に広い。

 

 それなのに、わざわざクラスで浮いている私に声をかけるなんて……勝ち気で生意気なテイオーのことが、この時はまるで理解出来なかった。

 

 

 

***

 

 

 

「──お、ちゃんと来たな」

「…………」

 

 放課後、仕方なくジャージに着替えた私はテイオーに連れられてトレセン学園敷地内にあるトラックへ足を運んだ。

 

 昨日のことがありながら何食わぬ顔で私の前に立つ沖野トレーナーを見て、恨めしさのあまり鋭い視線を彼へぶつけてしまった。

 

「そんなに睨むなって、悪かった悪かった」

「その謝罪にまるで誠意を感じないのは、私の気のせいでしょうか?」

「うーし……お前ら! 一旦集合だ!」

「む、無視……」

 

 沖野トレーナーは私の言及を容易くいなして、コース付近に散らばって準備運動をしていたウマ娘達を一ヶ所へ集める。

 

 張り上げた沖野トレーナーの声に応じて、テイオー以外の二名のウマ娘がこちらへと寄ってきた。

 

「今日一日トレーニングを体験することになった、新入生のメジロマックイーンだ。仲良くしてやってくれ」

 

 沖野トレーナーは、私を立てるように一歩引いた場所からチームメンバーに語りかける。

 

「今日はよろしくねっ! マックイーン!」

 

 最初に声を掛けてきたのは、私を強引に連れてきたウマ娘──トウカイテイオー。

 

「よろしくお願いします」

 

 テイオーの後に続いたのは、明るい栗毛の長髪を目元で切り揃えたウマ娘──サイレンススズカ。非常に物静かな印象で、神秘的な透明感と憂いの帯びた雰囲気が特徴的な方だった。

 

 そして、チーム・スピカに所属するもう一人のウマ娘なのだが……。

 

「──んほぉ! マックイーンじゃねぇか! こりゃあ奇遇だな!」

「ご、ゴールドシップ…………っ」

 

 色素の薄い芦毛のロングヘアに、特徴的な装具を付けた高身長のウマ娘──ゴールドシップ。

 

 おそらくこの学園でその名を知らないものはいないだろう。かくいう私も、学園一の問題児と名高いゴールドシップからは、何故だか知らないがよく絡まれていた。

 

「ん、なんだお前ら、知り合いか?」

「ああ! こいつはアタシのおじいちゃんだ!」

「はぁっ!? 私はあなたの血縁者になった覚えなどありません! そもそも、性別が違います! あなたの目は節穴でしてっ!?」

 

 ゴールドシップに絡まれると、何というか……非常に疲れる。二千名近くが在籍するトレセン学園で、よりにもよって目をつけられたのがこの私だなんて……よよよ。

 

「ま、仲良くやれそうで何よりだな」

「……あなたにはこれが、仲良しに見えるのですか?」

 

 これ以上彼らのような奇行集団に突っ込むのはうんざりだ。

 

 煮るなり焼くなり、もう好きにして下さいまし……。

 

「トレーナーさん」

「ん、どうしたスズカ」

 

 私が意図的に彼らから距離を取っていると、私と入れ替わるような形でサイレンススズカさんが沖野トレーナーの方へと駆け寄っていった。

 

 スズカさんの様子を窺う限り、彼女はチーム・スピカの中で唯一の常識人だろう。まともな方がいてくれて良かった……。

 

「走ってきても良いですか?」

「ああ、好きに走りな」

「はいっ!」

「…………え?」

 

 今からトレーニングをするんですわよね? それなのにどうして彼は、何の指示も出さずに彼女を送り出しているのですの?

 

「スズカのことが気になるのか?」

「あの、沖野トレーナー? 今日は、トレーニングの日では無いのですか? 最初から全力疾走させて、大丈夫なんですの?」

「それがスズカにとってのトレーニングだからな」

「……はい?」

 

 沖野トレーナーの言葉を受けて、私の脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされる。

 

「うっし! 今日は小指でスイカ割りに挑戦だ! 前回は二本指だったが、師匠から授かった秘伝の技を駆使すれば不可能じゃないはずだ!」

「ああ、頑張れよ」

「完璧に五等分してやっから、オメェら楽しみにしてやがれ!」

「…………あ?」

 

 もはや走ってすらいないゴールドシップの破天荒な行動に、私は開いた口が塞がらなかった。

 

「んじゃ、俺達もトレーニングを始めるか」

「はーい」

「…………」

「マックイーン。そんなところで突っ立ってどうしたの? 早くこっちに来なよ」

「…………なるほど、これがあなた達にとって平常運転なのですね」

 

 もはや何が何だか分からない。

 

 だから私は、何が何だか分からないことを、()()()()()()()()()()()()飲み込むことにした。

 

……まぁ、あれだ。この沖野というトレーナーは、担当ウマ娘の自主性を極限まで尊重した放任主義を教育理念に掲げているのだろう。

 

 私は疑問を覚える思考を放棄して、テイオーと共にコースの中へと足を踏み込む。

 

「まずは二人とも、ウォーミングアップで二周走ってこい。その後は併走トレーニングをしてもらうから、十分身体を温めてくといい」

「はーい。それじゃ、マックイーンお先ぃっ!」

「……あ、こら待ちなさいテイオー!」

 

 沖野トレーナーの指示を受けてそうそうに駆け出したテイオーの後に続き、半テンポ遅れて私は地面を蹴り上げる。

 

(……テイオーの走りを間近で見るのは初めてですが、生意気な口を叩くだけのことはありますわね)

 

 ウォーミングアップということもあり、先行するテイオーは当然余力を残して悠々と走っているだろう。

 

 しかしテイオーの走りの随所から、彼女の突出した才能と隠れた努力が滲み出てきている。

 

 私が特に警戒すべきは、脅威的な足の柔軟性によって生み出された彼女にしか出来ない特別な走り方。

 

 非常に柔らかい足首としなやかな脚遣いに、テイオー自身の抜群のセンスが掛け合わさることで生まれる異次元の推進力。

 

 先日の選抜レースで彼女の走りを見たときは正直、度肝を抜かれたものだ。

 

 果たして、本気を出したトウカイテイオーに、現時点での私の全力が届くかどうか……いや、そんなことを考えるのは今では無いだろう。

 

「……よし、戻ってきたな。休憩は必要か?」

「いらなーい」

「問題ありません」

「ん。それじゃあさっきも言った通り、二人には併走トレーニングを行なってもらう」

 

 沖野トレーナーの指示はこうだ。

 

 コースは先程ウォーミングアップで走ったトラックを左回りで一周。距離にして、約二千メートル。先にゴール板の前を走り抜けた方の勝利。

 

 私達は早速コースに入り、各々スタートの構えを取る。

 

「ボクさ、選抜レースを見た時からずっと気になってたんだよね。マックイーンのこと」

「あら、そうですか」

 

 沖野トレーナーが所定の位置につくまでの間、隣に並ぶテイオーが私に声を掛けてきた。

 

「マックイーンはボクにとって、一番のライバルになる。無敗の三冠ウマ娘の座に着くボクの夢に、綺麗な花を添えてくれる──最高の()()()()()としてね」

「相変わらず生意気な口ぶりですわね。正直、あなたの舐め腐った態度がウザいと感じていたのですよ。その天狗になった鼻っ柱を、今ここでへし折って差し上げます」

「にししっ……そうこなくっちゃ」

 

 挑発に乗せられて苛立ちが込み上げてくるのとは裏腹に、私の思考は異常なほどに冷静だった。

 

「あ、そうだ。ボクが勝ったら、マックイーンにはチーム・スピカに入ってもらおっかな」

「では私が勝利した暁には、駅前で販売されている数量限定特大アップルパイをたらふくご馳走して頂きます」

 

 これまで培ってきた私の全てを出し切って、トウカイテイオーよりも先にゴール板を駆け抜ける。

 

「それじゃあ行くぞー! よーい……」

 

 何故だろう。隣にトウカイテイオーがいるだけで、不思議とメジロマックイーン()の中に眠る闘争心が震え上がる。

 

 これまで経験したことのない感覚に、私は隠しきれない高揚感を覚えた。

 

 思考は澄み渡るほどに冷静だけど、スタートの瞬間を控える身体は滾るような闘志に満ちいている。

 

 この意外と心地良い感覚が生まれたのは、私が彼女の生意気な挑発に乗せられてしまったからだろう。

 

「──スタートッ!」

 

 それはそれで、とってもムカつく。

 

「「──ッ!!!!」」

 

 スタートの合図と共に、私達は全力を振り絞って加速を図る。

 

 この併走(レース)に勝つのは誰でもない──この私だ。

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