これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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43:夢の終わり

──左脚部繁靭帯炎。

 

 それが私の身体に突如襲いかかった、不治の病の名であった。

 

 繁靭帯炎とは、ウマ娘の足関節を繋ぐ靭帯の炎症を総称する病名である。

 

 臨床症状として主に挙げられるのは、患部の熱感や腫脹、跛行など。

 

 骨折のように発症直後から競走能力を失うわけではないので、一見するとさほど深刻な病ではないと思うかもしれない。

 

 だがしかし、繁靭帯炎を不治の病たらしめる所以は表面上の症状ではない。

 

 繁靭帯炎の本質は、疾患に伴う衝撃緩和機能の損失と症状の慢性化、そして、異常なまでの()()()()()()にあった。

 

 一歩を軽く踏み込むたびに耐え難い激痛が患部を襲い、最悪の場合、競走能力の喪失どころか歩行能力すら失ってしまう可能性がある。

 

 現在に至るまで繁靭帯炎に対する明確な治療法は確立されておらず、たとえ病を克服したとしても、再発の恐怖に怯えながら過ごす地獄の日々から逃れることはできない。

 

 それが、私が今後生涯をかけて向き合っていかなければならない病の全容であった。

 

「…………そっか」

 

 私は自身の身体に襲いかかった疾患の内容を、わざわざメジロ家の療養施設までお見舞いに来てくれたライバル──トウカイテイオーに包み隠さず打ち明けた。

 

 私の説明を受けて、テイオーは短く言葉をこぼして肩を落とし、力無く椅子の背もたれに全身を預ける。

 

 明朗快活で生意気なテイオーの性格は、この場においてはどうやらなりを潜めているようだ。

 

 その表情に昏い影を落とすテイオーの姿を見るに、彼女と交代する形で私が長期療養を強いられることを憂いているのかもしれない。

 

 テイオーの境遇を思い返せば、彼女が私に同情してしまうのも無理はない。

 

「……これから、どうするの?」

 

 私の顔色を窺うような声音で、テイオーが藪から棒に問うてきた。

 

「これから……」

 

 私が左脚部繁靭帯炎と診断されたのは二日前、菊花賞の開催から数日と経たない頃である。

 

「……正直に打ち明けると、あまり実感がわいていないんです」

 

 発症が確認されてからというもの、私はメジロ家が各地に保有している療養施設の一つに滞在し、予後判定が下されるまで横になっていることが多かった。

 

 私は身体に掛けられた布団から脚を晒し、包帯の巻かれた患部をテイオーに見せる。

 

 患部を手指で軽くなぞると、炎症によって生じた腫脹の凹凸を感じ取ることができる。

 

 じんわりとした熱感を帯びているが、実は触れても痛覚が刺激されるようなことはなかった。

 

「包帯の影響で症状が深刻そうに見えますが……患部に少々違和感を覚える程度。何でしたら、こうして普通に歩くことも出来ます」

 

 私はベッドからおもむろに起き上がって、テイオーの前に立つ。

 

 繁靭帯炎の主な症状に跛行──正常な歩行機能を失うこと──というものが挙げられるが、それを発症した現在でも、私は問題なく歩くことが出来ている。

 

 故に現在の私には、ウマ娘にとって不治の病と称される疾患を発症したという実感がなく、どこか他人事のような認識であった。

 

「病名を告げられた瞬間はさすがの私も狼狽しましたが……案外、大したことないのかもしれませんわね」

「じゃ、じゃあ……っ!」

「ええ。当然、復帰一択です」

 

 テイオーの期待が込められた眼差しに、私は毅然とした心持ちで応えてみせる。

 

 繁靭帯炎だろうが何だろうが、私はまだ道の途中。

 

 一族の悲願を託されたウマ娘として、このまま使命を果たさないで諦めるわけにはいかない。

 

「繁靭帯炎の治療には多少の時間を要するとのことです。復帰は早くて来年の夏以降……残念ですが、次の天皇賞は見送るしかありませんわね」

 

 一般的に言われている繁靭帯炎の治療に要する期間は、リハビリを含め最低でも八ヶ月程度。現在は十月の末なので、どう足掻いても六ヶ月後の天皇賞(春)には間に合わない。

 

 治療が中途半端な状態でリハビリに取り組み、疾患が再発してしまっては元も子もないだろう。

 

 生涯に一度しか出走できないクラシックレースの制覇を夢に掲げていたテイオーと異なり、シニア級に区分される天皇賞(春)は来年以降も挑戦することができる。

 

 繁靭帯炎の寛解が確認されるまで、根気強く治療とリハビリに取り組んでいけば、私はまた夢に挑むことが出来るはずだ。

 

「リハビリに関してですが……特に心配などしておりませんわ。何と言っても、私達にはあの図々しいトレーナーがいますから」

「あははっ! 間違いないやっ!」

 

 冗談を交えながらテイオーと雑談に耽り、私は部屋にこもった陰鬱な雰囲気を払拭する。

 

 私がこうして彼女と笑って過ごせているのは……認めるのは何だか癪だが、私達を担当する沖野トレーナーの存在によるところが非常に大きかった。

 

 過去にテイオーが骨折を経験してしまった際、沖野トレーナーだけは当人ですら諦めかけていた三冠の夢を手放さなかった。

 

 復帰が絶望的と言われ続けた中で抗い続け、彼は指導者としての矜持を背中で語ってみせた。

 

 普段は軽薄で配慮に欠ける言動が目立つ沖野トレーナーではあるが、このような状況で最も頼りになる人であるのは事実。

 

「ボクの時もそうだったけど、あの時のトレーナー本当に暑苦しかったなぁ。隣にいるだけで汗が止まらなくなっちゃうんだもん」

「これからあの熱量の矛先が私に向くのかと思うと、正直億劫になりますが……まぁ、悪い気はしませんわね」

 

 繁靭帯炎の治療は当然、一筋縄ではいかないだろう。だがしかし、沖野トレーナーがいれば不思議と安心できる。

 

 あの最悪な第一印象から、よくもまぁここまで変化したものだ。

 

 沖野トレーナーに対してそれなりに信頼を寄せていることを当時の私が知ったら、間違いなく卒倒するだろう。

 

 そんな感じて雑談の内容に沖野トレーナーを取り上げていると、私が療養に使用している部屋の扉がおもむろに開かれた。

 

「あ、トレーナー!」

「……ん、ああ、テイオー。来てたのか」

 

 扉を開けて入ってきたのは、私達の話題の中心となっていた沖野トレーナー。

 

 彼もどうやら、テイオーと同じく私の見舞いに来てくれたようだ。

 

「相変わらず、ひどい顔ですわね」

「……すまん」

「もう、しっかりして下さいまし。そんな様子では、担当ウマ娘の不安を助長してしまいますわよ」

「気を付けるよ」

「ええ、そうして下さいな」

 

 そう言いながらも表情に昏い影を落とした様子は変わらず、沖野トレーナーは後頭部を掻きながらこちらへと近づいてくる。

 

 口でこそ手厳しい言葉を放ってはいるものの、沖野トレーナーの心情自体は十分に汲み取れているつもりだ。

 

 沖野トレーナーの表情が苦悶に歪むのも、無理はないだろう。

 

 何しろ彼はひと一倍担当ウマ娘を想う気持ちが強く、指導に熱心で情に厚い。

 

 きっと彼のことだから、余計な責任を感じてしまっているのだろう。

 

 沖野トレーナーがベッドの縁に用意された来客用の丸椅子に腰掛け、私を見た。

 

「足の調子はどうだ?」

「少し違和感を覚えることはありますが……特に痛みもありませんし、普段通りですわ」

「……そうか」

 

 現在の感覚を率直に伝えながら、私は包帯でぐるぐる巻きになった左脚を空中で軽く遊ばせる。

 

 この様子をひと目見れば、心配性の沖野トレーナーも安心してくれることだろう。

 

「それで、トレーナーさんはどうしてこちらへ? 私の記憶が正しければ、施設を訪れるという連絡は頂いていないはずですが……」

 

 担当ウマ娘が繁靭帯炎を発症したとなれば、大抵の担当トレーナーが血相を変えて駆けつける。ちょうど昨日の彼がそうだったように。

 

「マックイーンには俺の口から直接……伝えなきゃと思ってな」

 

 普段は気さくな印象が特徴的な沖野トレーナーだが、その話題を切り出そうとする彼の様子はまるで正反対だった。

 

 そんなに思い詰めなくて良いと、昨日もそう伝えたのに……。

 

「ここに来る前に……マックイーンのご両親に会ってきたんだ」

「お父様と、お母様に……?」

「土下座してきた」

「……あの、いくら何でも責任を感じすぎでは? ……ふふっ。まぁ、あなたらしいと言えばあなたらしいですが」

 

 どうしてこのタイミングで私の両親が出てきたのか、少し疑問に思った。だがしかし、答えは案外すぐに導き出すことができた。

 

 沖野トレーナーは私を預かる担当トレーナーとして、両親に諸々の説明をする義務に準じていたのだろう。

 

 彼はこう見えて意外と律儀な一面も持ち合わせているため、彼が起こした行動は納得であった。

 

「今後の方針について、色々と話し合ってきたんだ」

「そうでしたか。それで、結論は出ましたか?」

 

 ちなみに今後の展望として、私が考えているのはこうだ。

 

 最初の数ヶ月は治療に専念し、繁靭帯炎を寛解させる。

 

 その後はリハビリに取り組みつつトレーニングの強度を徐々に上げていき、来年の秋に現役へ復帰。

 

 レースの感覚を取り戻しながら天皇賞(春)の優先出走権を獲得し、満を辞して本番へ臨む。

 

 理想に基づいたプランであるが、幸い時間には余裕があるため、ある程度の修正も容易い。

 

 私の提案が仮に無茶なものであったとしても、沖野トレーナーなら何とかしてくれるだろう。

 

「ああ、出たよ」

 

 沖野トレーナーは私の問いかけに短く答える。

 

 すると彼は神妙な面持ちで今一度、私に向き直った。

 

「マックイーン」

「はい」

「どうか、落ち着いて聞いてほしい」

「……? はい」

「レースはもう、諦めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………………………………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 え?

 

「引退後の見通しについて、ご両親と意見を交わし合ってきた」

 

 あ、え?

 

「内容は主に、治療とリハビリが完了した後の進路と、俺の今後の役割について。当面の間は治療とリハビリに専念しながら、それと並行する形で新しい目標を一緒に探していきたいと思っている」

 

……え? ぁ、えっと……え?

 

「いん、たい……?」

「……ああ」

「………………じょ、冗談にしては少々、洒落にならないかと」

「…………」

「……う、嘘、ですわよね?」

 

 この状況において洒落にならない冗談を持ち出すとは、彼の笑いのセンスはちょっとどうかしているんじゃないか?

 

 あまりにも滑りすぎて、全く笑いが生まれていない。

 

 隣にいるテイオーなんて、笑うどころか顔から表情が抜け落ちてしまっているではないか。

 

「わ、私はまだ、一族の悲願を果たしていないのですよ? 冗談も程々にして下さいまし」

「……俺がそんな冗談を、言っているように見えるか?」

「………………」

「……力になれなくて、本当にすまない。マックイーン」

 

 沖野トレーナーがベッドの上で呆ける私に向かって、深々と頭を下げる。

 

 その光景は以前にも、テイオーが入院していた病室で見た。

 

 でも、私に対してかけてくれる言葉が違う。

 

 まるで、沖野トレーナーが()()()()()()()()()()()()()()()かのようなニュアンスが、彼の言葉に含まれているかのようだった。

 

 そして、そんな私の被虐的な解釈をあたかも肯定するかのように、彼は頭を下げ続けている。

 

 沖野トレーナーが放った言葉を頑張って咀嚼したけれど、頭が真っ白になっているせいでまともに考えることが出来ない。

 

 一文字一文字をゆっくりと、努めて慎重に彼の言葉を読み解いていく。

 

 一つの結論が出た。

 

「…………………………………………なん、で?」

 

 それは、晴れようのない疑問であった。

 

「繁靭帯炎が不治の病と呼ばれる理由は、その異常なまでの再発率の高さに依拠している」

「……え?」

 

 彼が突然、説明を始めた。

 

 それは私が胸に抱いている疑問への回答、という解釈で間違いないのだろうか。

 

「最新の研究によると、疾患の再発率は靭帯の損傷具合に影響するという結果が報告されている」

「…………」

「マックイーンの容体から、主治医達が研究結果を参照して再発率の目安を計算したんだ」

 

 理解が追いつかない私を置き去りにして、沖野トレーナーは淡々と事実を口にし続ける。

 

「仮に繁靭帯炎が寛解したとしても、マックイーンがもう一度疾患を再発する確率は……」

 

 その声はまるで機械のように無機的で、義務的な宣告を強いられているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──八割以上、だそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖野トレーナーはただひたすらに頭を下げながら、私に対して事実だけを語った。

 

 そしてついに……置いてけぼりにされていた私の思考が彼の残酷な言葉を噛み砕き、否応無しに理解してしまった。

 

「………………どう、して?」

 

 沖野トレーナーは、私を諦めてしまったのだ。

 

「……すまない」

「どうして……っ」

 

 少しずつ、少しずつ自身の置かれた状況を把握することが出来た私は、分かりやすく取り乱した。

 

「どうしてですか……っ。テイオーが骨折した時は、絶対に諦めないとおっしゃっていたではないですかっ!」

「…………」

「わ、私がテイオーよりも弱いからですか? テイオーに勝ったことがないから、弱い私のことは諦めると言いたいのですか……ッ!?」

 

 私が彼の口から聞きたいのは、合理に満ちた賢明な言葉ではない。

 

 私が彼の口から聞きたいのは、()()()()()()()()()()()……。

 

「私は絶対に諦めませんわっ! 志半ばで根を上げることなど、私の矜持が許しませんッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が彼の口から聞きたかったのはもっと、もっと別の…………っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………やっぱり、諦められないのか?」

 

 私のわがままを聞き受けて、沖野トレーナーは観念したかのように後頭部を掻いて項垂れた。

 

「愚問です。不治の病だろうと何だろうと、私が一族の悲願を果たすことは決定事項です」

 

 私の強固な意志を前に、沖野トレーナーはついに折れたような素振りを見せる。

 

 彼はきっと、この私を試していたんだ。

 

 不治の病と真正面からぶつかって、お前は果たして地獄のような苦しみに耐えることが出来るのか。

 

 お前に夢を叶えるための気概はあるのか、なんて。

 

「……そうか」

 

 沖野トレーナーは静かに頷くと、先程から床に落としていた視線をゆっくりと持ち上げる。

 

 沖野トレーナーの表情は相変わらずひどい憔悴具合だったが、彼の眼差しには強かな決意と覚悟に満ちた光が宿っていた。

 

 その眼差しは、私もよく知っている。

 

 それはかつて、夢を諦めかけていたテイオーへ注いだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あまりにも諦めの悪い、私達しか知らない沖野トレーナーの一面。

 

……そう、それだ。

 

 私が本当に欲しかったのは、どこまで行ってもしつこく食い下がってくるような、鬱陶しいと感じるくらいの安心感。

 

 沖野トレーナーは私の決意に突き動かされるように、持参した鞄を漁って複数枚の書類を取り出した。

 

 彼はそのうちの一枚を、きょとんとする私に対しておもむろに差し出す。

 

「マックイーン。もしお前がどうしても、レースを諦めきれないというのなら……」

 

 おそらく今後の治療やリハビリ、復帰に関する概要が記されたものだろうと考え、私は手にした書類に視線を落とす。

 

……だがしかし、それは私の浅はかな勘違いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はお前との担当契約を──破棄する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや私には、議論の余地すら残されていなかったのだ。

 

 信頼を寄せていた彼から唐突に契約破棄を突きつけられ、私の思考は真っ白に染まり、視界は真っ黒に塗りたくられる。

 

 その言葉を突きつけられた後のことは……正直、よく覚えていない。

 

 けれど、私の心に深々と刻み込まれた傷痕が、ありのままに起こった出来事を鮮烈に記憶していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖野トレーナーは、私を捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の夢が、終わったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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