これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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46:新星の本質

 きさらぎ賞の開催まで残り二日。

 

 明日はきさらぎ賞が開催される京都レース場へ移動するため、本番前のトレーニングは実質的に今日が最後であった。

 

 ターフを利用してダイヤの最終調整を済ませた後、俺達は部室で本番に備えたミーティングを行っていた。

 

「……作戦に関しては以前説明した通り、後方からの末脚を活かしていこう。徹底的にマークされることになるから、経済コースはなるべく避けた方が良い」

「分かりました」

 

 ダイヤにとって三戦目となる公式レース、GⅢ──きさらぎ賞。

 

 メイクデビュー、条件クラスとレースを重ねていれば当然、彼女に対するマークは一層厳重なものとなる。

 

 ダイヤの武器である末脚を対策されることは大前提として、既に彼女の傾向や癖も見抜かれつつある頃だろう。

 

 爆発力のある末脚を使うため、ダイヤは道中、限りなく内ラチに寄った進路を選択することが多い。

 

 今回の場合も、他のウマ娘はこの辺りからダイヤを潰しに掛かってくるだろうと俺は予想している。

 

 俺は横目でチラリと、部室の壁面に掛けられた時計を見た。

 

 現在時刻は十七時をちょうど過ぎたところ。

 

 明日は長時間の移動もあるし、ダイヤとしても今日はゆっくり休みたいだろう。

 

「……よし、今日のミーティングはこれでお開きにしよう。片付けは俺がやっておくから、もう戻っていいよ。お疲れ様」

「はい。ありがとうございました、兄さま」

 

 俺も明日以降に向けて荷造りを始める必要がある。

 

 現地へ持参する仕事や書類を整理して、不測の事態を考慮して用具の予備を揃え、万全な体制で本番に臨みたい。

 

 数日間部室を留守にするので、部屋の整理整頓と清掃も欠かせない。俺はこれからまだまだ、やることが山のように残っている。

 

「…………」

「……? どうした、ダイヤ。何かあったのか?」

 

 早速書類の整理から始めようとデスク周りに手をつけた俺だったが……ふと、未だ部室に残っているダイヤの姿が視界をよぎった。

 

 何か質問したいことがあるのだろうか。

 

 俺は一度作業する手を止めて、改めてダイヤに向き合った。

 

「兄さま」

「うん」

「あの。少しだけ、お聞きしたいのですが……」

 

 ダイヤは自身の瞳で真っ直ぐに俺を射抜きながら、静かに噤んだ唇を開く。

 

 

 

 

 

「──私に何か、隠していることはありませんか?」

 

 

 

 

 

……。

 

 俺はダイヤが放った言葉の意図を見抜けず、硬直してしまう。

 

「……あっ。えっとその、私は決して兄さまを責めようとしているわけじゃなくてですね……っ」

 

 俺のあからさまな反応を誤って解釈したのか、ダイヤがすかさず自身の発言をフォローした。

 

「兄さまは先日から、ずっと何かに悩んでいるように見えたんです」

「……」

「兄さまは優しいですから……レースが控えている私に余計な心配を掛けさせないようにって、普段以上に元気に振る舞っていると感じてしまって」

 

 ダイヤの指摘通り……今の俺は確かに、彼女に対して色々と隠していることがある。

 

 その隠しごとがダイヤのパフォーマンスに影響を及ぼす可能性を考慮して、彼女に打ち明けていないことも事実であった。

 

 だがしかし、それが返ってダイヤの不安を助長させてしまっていたようだ。

 

「……ごめん。明後日のレースが終わった後に、機を見計らって打ち明けようと思っていたんだ。結果的に、隠すようなことになってしまったんだけど」

「あ、謝らないで下さい……。私が兄さまを見ていて、勝手に感じてしまっただけですから」

 

 俺はダイヤに対して気を遣うどころか、今まで上手く隠し通せていると思い込んでしまうくらい、彼女に気を遣われていた……ということか。

 

「…………マックイーンさんと、ドーベルさんのことですよね?」

 

 そしてどうやら、ダイヤには隠しごとの内容すらもお見通しだったようだ。

 

 そもそもこんな状況の最中で、チームメンバー相手にそれを隠すことなど不可能に近い。

 

「……ああ、そうだよ」

 

 俺は正直に観念して、ダイヤの言及を肯定した。

 

「兄さま。悩みがあるのでしたらどうか、担当ウマ娘の私に打ち明けてくれませんか?」

 

 ダイヤの気遣いはとても嬉しい。

 

 しかし果たして、その判断は現状において適切といえるのだろうか。

 

「…………分かった」

 

 様々な要素を客観的に加味して検討した結果……俺はダイヤに対して、包み隠さず全てを告白することにした。

 

 このままモヤモヤとした心情を引きずれば、レース本番に影響が出るのは明白だ。

 

 それに、二人のチームメイトであったダイヤには、全てを知る権利がある。

 

「少し長い話になるけど、良いか?」

「はい。聞かせて下さい、お二人のこと」

 

 ダイヤから了承を得た。

 

 ここからは俺の発言通り、本当に長い話になる。立ち話で済むほど気楽な内容では無いため、俺は彼女と対面する形でテーブルの椅子に腰掛けた。

 

「最初に話さなきゃいけないのは、そうだな……」

 

 俺が真っ先にダイヤに語ったのは、先日学園中に蔓延したメジロマックイーンの噂に関する内容であった。

 

 噂の概要についてはダイヤも把握しているだろう。

 

 その上で俺が打ち明けたのは、それに関する真偽、ひいてはその真相であった。

 

 マックイーンがチーム・アルデバランへと移籍した、本当の目的。

 

 マックイーンが嘘をつかざるを得ない状況に追い込まれた、あらましの過程。

 

 それを経て、噂の件に責任を感じてしまったドーベルが既にチームを脱退していて、自身の夢を追いかけているということ。

 

 そして、マックイーンがトレセン学園から失踪し、現在に至っても未だに連絡がつかないこと。

 

「……」

 

 俺がことの顛末を告白し終えるまでの間、ダイヤは終始無言を貫いて事実を受け止め続けていた。

 

 ダイヤは聡明なウマ娘だ。

 

 彼女は既に、ある程度の背景を察していたのかもしれない。

 

「……これが、俺の知っている全てのことだ」

 

 やがて俺の長い語りを終えた時には、心が重く沈むような沈黙が二人きりの空間を支配していた。

 

「教えて下さって、ありがとうございます。兄さま」

 

 全てを打ち明けたあと、すべからく俺は後悔に苛まれる。

 

 やはり大事なレースを控える担当ウマ娘に対して、あまりに重すぎる精神的負担を与えるべきでは無かった。

 

 黙秘と告白の狭間で揺らぎ、結局こうして全てを打ち明けてしまったのはきっと……俺自身が一人で真実を背負うことに、限界を感じてしまったから。

 

 情けない話、俺はきっと楽になりたかったのだろう。

 

「兄さまは、その……お二人のことについて、どのように考えていますか?」

「どのように、か……」

 

 おそるおそるといった様子で、ダイヤがそれを俺に問うてきた。

 

 しばらく時間をもらって、俺はこの件に関する自身の本心を探る。

 

「……分からない」

 

 当然、答えなんて浮かび上がって来なかった。

 

 ただ一つだけ、俺の元から去ってしまった彼女達に対して言えることがあるとすれば。

 

「だけど、俺はもう……このままで良いんじゃないかって思うんだ」

 

 その発言はまるで、現状に対してやるせない感情を抱く自分自身を納得させているかのようであった。

 

「ダイヤは、繋靭帯炎について学んだことはあるか?」

「い、いえ。繋靭帯炎という名前と、それがウマ娘にとって"不治の病"であるということくらいしか……」

 

 俺が現状を肯定した理由について、なるべく分かりやすい言葉を吟味しながらダイヤに伝える。

 

「繋靭帯炎は骨折と違って、すぐに走れなくなるわけじゃないんだ。最初は患部に違和感を覚える程度で、発症後もそれなりに運動を継続することも出来る」

 

 繋靭帯炎が何故、”不治の病”と呼ばれているのか。

 

 繋靭帯炎を発症したマックイーンが今、どういう状況に置かれているのか。

 

「繋靭帯炎の本質は、その異常なまでの再発率の高さにある。明確な治療法も無く、再発を繰り返した場合……最悪、足を失ってしまうことだってあるんだ」

 

 ダイヤに対する説明はまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「マックイーンの場合、繋靭帯炎の再発率は八割以上……残念だけど、彼女は復帰に踏み切れるような状態じゃない」

 

 次に一歩を踏み出した瞬間に、マックイーンは再び地獄の振り出しへと戻されてしまうかもしれない。

 

 理論上、マックイーンがレースに復帰できる可能性はゼロというわけでは無かった。

 

 繋靭帯炎が再発しない二割未満の可能性に賭けて、身体の状態に応じた適切な負荷量のトレーニングを積んでいけば…………いや、やめよう。こんなこと、あまりにバカげている。

 

 トレーニングの前後で最適な措置を常々施し、再発の恐怖を振り切って全力でターフを駆け抜け、レースの世界に復帰する。

 

 それは辺り一面が見えない地雷に埋め尽くされ、その中にたった一つ一つあるかないかの安全地帯を、捨て身の一発勝負で突っ込んでいくようなものだ。

 

 針穴に糸を通すなんて次元の話じゃない。

 

 失敗すれば最悪、彼女は全てを失ってしまう。

 

「もし仮に、レースへ復帰できたとしよう。ダイヤも十分経験したことだと思うけど……競走である以上、他のウマ娘達から激しい干渉を受ける。身体にかかる負担はトレーニングの比じゃない」

 

 現状を冷静に整理すれば、沖野先輩が下した決断がいかに賢明であったかが分かる。

 

 チームに籍を残し、中途半端に夢を見させて地獄のような葛藤の日々を送らせるよりも。

 

 根本から可能性を絶った方が、きっと諦めも付きやすくなる。

 

 それで当人が潔く納得出来るのかと言われたら、全く別の話ではあるのだが……。

 

「これは多分、仕方のないことなんだ」

「……そう、ですよね」

 

 メジロマックイーンはダイヤにとってミライと同じ、あるいはそれ以上に強い憧れを抱く先輩のウマ娘であった。

 

 そんな彼女が絶望の淵に追いやられていると知ったダイヤのショックは、到底計り知れない。

 

 自身を納得させるように頷いて、ダイヤはそのまま俯いてしまう。

 

 そしてそれは、俺も同様だった。

 

「……兄さま」

「ああ」

「私、マックイーンさんが天皇賞で一着を取る姿が見てみたかったです」

「……ああ」

「私、ドーベルさんともっとトレーニングがしたかったです」

「……ああ」

「私、二人と一緒に……全員で夢を叶えたかったです」

「……そうだな」

 

 叶わない願いを込めたダイヤの呟きに、俺は言葉を返すだけで精一杯だった。

 

 息の詰まるような重苦しい空間の中に、秒針を刻む掛け時計の音が大仰に響く。

 

「…………」

 

 ついに俺は言葉を完全に無くし、テーブルに両肘をついて重い頭を抱えてしまった。

 

 

 

 

 

……俺はもしかしたら、この息苦しい空間から尻尾を巻いて逃げ出したかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 俺の意識が一瞬だけ過去に遡り、心に焼き付いたあの日の過ちが脳裏をよぎる。

 

 

 

 

 

 

 

──私ね、みんなが憧れるようなウマ娘になりたいんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 純粋な夢に向かって直向きに駆ける教え子の背中を、悲惨な結末を迎えると知った上で押してしまった──あの日の過ち。

 

 

 

 

 

 心が壊れるほどの後悔に苛まれ、過去の選択を呪い続けた地獄の日々。

 

 

 

 

 

 抱えきれない未練で心が押し潰されそうになる度に、俺は選ばれなかった未来に想いを馳せて自分を守った。

 

 

 

 

 

 

 

 過去の俺が選択を間違えなければ──ミライはどれほど、幸せな人生を歩むことが出来たのだろう……と。

 

 

 

 

 

 

 

 俺の身勝手な選択が、ミライの明るい将来を閉ざした。希望に満ちた幸せを奪った。かけがえのない夢を壊した。そして、周りの人々を不幸に陥れた。

 

 

 

 

 

 あらゆる出来事に過去の未練を重ねてしまうのは、俺にとってはもはや仕方のないことだ。

 

 

 

 

 

 どうやら俺は、いかに健康な心を取り戻したとしても、罪の意識から逃れることなど出来ないらしい。

 

 

 

 

 

 何故なら心に深々と刻まれたこの傷は今や、俺という人間を端的に表す──()()のようなものになっているのだから。

 

 

 

 

 

「…………マックイーンさんは」

 

 重くのしかかるような澱んだ沈黙を懸命に振り払うように、対面するダイヤが唇を震わせる。

 

「マックイーンさんは、どうして……兄さまを頼ったのでしょうか」

「……」

 

 ダイヤが苦し紛れにこぼした疑問はまさしく、絶望に最後まで抗おうとする執念の現れであった。

 

「マックイーンさんへの理解を深める中で……これだけが、どうしても分からなかったんです。それは私がただマックイーンさんのことを……兄さまのことを、何も知らないからなのでしょうか」

「……」

「……兄さま。何か…………心当たりは、ありませんか?」

 

 今にも消え入りそうな、おずおずとした声音で、ダイヤが縋るように俺に問うてくる。

 

 

 

 

 

 心当たり。

 

 

 

 

 

 強かなウマ娘のメジロマックイーンが数多と存在する優秀なトレーナーの中から、わざわざ重大な欠陥を抱えた訳ありトレーナーの俺を頼った理由。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………ああ、()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなもの、一つしか思い浮かばない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………そう、ですか」

 

 本来のダイヤの性格であれば、どうか俺に彼女を救って欲しいと全力で乞うてくるだろう。

 

 だかしかし、彼女がこうしてらしくも無く押し黙ってしまうのはきっと、俺に対して深い負い目を感じているからなんだと思った。

 

 その傾向は、ダイヤが俺の過去を知ってしまった日から顕著であった。

 

「…………」

 

 それを俺に願うことが、一体何を意味するのか。

 

 聡明なダイヤのことだから……きっと、理解してしまっているのだろう。

 

 これ程までに優しいダイヤに気を遣わせてしまうのは、本当に申し訳ないばかりで心が痛むが……。

 

 

 

 

 

「俺は…………後悔しているんだ」

 

 

 

 

 

 俺の過去を知っているダイヤだからこそ。

 

 

 

 

 

 この心の中に止めどなく湧き上がり、溜め込み続けた底知れない後悔を吐き出したくなってしまった。

 

 

 

 

 

「俺は最初から、全部分かっていたんだ」

 

 ウマ娘の身体に触れるだけで、その者の身体の状態を把握出来てしまう特異な"体質"。

 

 しかし、身体能力の把握は特異な"体質"の付随的な恩恵に過ぎず、その本質はウマ娘に秘める潜在能力を余すことなく情報化してしまう恐ろしいものであった。

 

 故に、俺は見てしまったのだ。

 

 ミライというウマ娘の中に秘める、絶対に開花させてはいけない類の悍ましい才能を。

 

「ミライの身体がいつか、彼女自身の才能に耐えられなくなってしまうことを……俺は最初から、知ってたんだ」

 

 俺は知っていた。

 

 ミライの思い描いた夢の先に待つのが、救いようのない破滅であると知っていた。知ってしまった。

 

 おまけにこの特異な"体質"には、情報化の過程で対象者の思考すらも掠め取ってしまう厄介な副作用があった。

 

 だから俺は、ミライが自身の夢に注ぐ純粋な熱意を誰よりも理解していた。

 

 理解していたからこそ、余計に俺の心を蝕む罪悪感が大きくなった。

 

 

 

 知りたくなかった。

 

 

 

 こんな"体質"がなければ、俺は誰かの夢を壊そうだなんて最低なことを考えなくてよかった。

 

 

 

 こんな"体質"がなければ、俺は彼女の夢を純粋に応援することが出来たはずだった。

 

 

 

 こんなクソッタレな体質は俺にとって──もはや、"呪い"以外の何ものでもない。

 

 

 

「俺が選択を間違えなければ、ミライがあんな悲惨な結末を迎えることは無かったんだ」

 

 

 

 俺の口から、取り返しのつかない後悔がこぼれる。

 

 

 

「俺が選択を間違えなければ、ミライは今も笑っていられたはずだったんだよ」

 

 

 

 一度感情の蓋が開いてしまったらもう、自分自身ではどうすることも出来なかった。

 

 

 

「なのに、なのに俺は……っ」

 

 

 

 屈託のないミライの笑顔が脳裏を過ぎる。

 

 

 

 俺の心の底に沈殿した星の残滓が、際限なく罪の意識を駆り立てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ミライの熱意に絆されて、あいつの背中を………………押しちゃったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 散々"体質"のせいだ、"呪い"のせいだと自分を正当化して、教え子の喪失に隠された本質から目を背け続けてきた。

 

 特異な"体質"がもたらす情報なんて、本当は判断材料の一つに過ぎないというのに。

 

 もっと視野を広く持って、その情報を有効に活用して上手く立ち回れば、破滅的な未来を回避することだって出来たかもしれないのに。

 

 いくらでも、やりようはあったはずだった。

 

 しかし俺はその本質を、たった一つの破滅的な結末だけに囚われ、愚かにも履き違えていたのだ。

 

 ”落ちこぼれ”のミライが癇癪を起こし、自身の決意が大きく揺らいでしまった後……。

 

 ”体質”が導き出した情報を駆使して、俺はミライに最適なトレーニングを施した。

 

 そうしたら彼女はメキメキと実力を伸ばして行って、次第にたくさん笑うようになった。

 

 罪悪感が膨れ上がる側で……俺はあろうことか、ミライの笑顔をもっと見たいと思ってしまった。

 

 ミライの素敵な笑顔をたくさん見たい。世界で一番輝いている姿を、特等席から見ていたい。

 

 そんな感情が心の中を満たす頃には……俺はもう、その欲求を我慢することが出来なくなってしまって。

 

 挙句の果てに、ミライの身体は限界を迎えてしまった。

 

 夢の終点へと行き着く片道切符を切ってしまったのは、紛れもなく──俺の意志によるものだった。

 

「俺が全部奪ったんだ。ミライの将来も、幸せも、夢も……俺が全部、彼女から取り上げてしまったんだ」

 

 あまりに手遅れな、罪悪感の告白。

 

「きっとミライは、全てを奪った俺のことを恨んでいるに違いない。だから、謝りたい。心の底から謝りたいのに…………ミライはもう、この世界のどこにもいないんだ」

 

 やり場のない感情の矛先を、俺は一体どこへ向ければいい。

 

「辛い、つらいよ……」

 

 際限なく湧き上がってくる罪の意識を、俺は一体どうやって償えばいい。

 

「…………、苦しいよ……っ」

 

 瞳からこぼれ落ちる涙は、過剰なストレスから心を守るための防衛本能であるとされている。

 

 教え子の前でみっともなく涙を流してしまうのは、これで何度目だろう。

 

 心の奥底まで沈んでいたものを余すことなく吐き出した今の俺には、情けない姿を取り繕う気力なんてこれっぽっちも残ってはいなかった。

 

「……」

 

 そんな俺の告白を、教え子であるダイヤはただひたすら受け止め続けてくれた。

 

 全てを曝け出した情けない指導者を前にして、ダイヤは何も言わずに俺の近くへとやってくる。

 

「……」

 

 視界の端にダイヤの姿を捉えた瞬間、俺の身体が柔らかな温もりに包まれた。

 

 ダイヤに抱きしめられたことに気付いた俺は、必死に引き締めていた緊張の糸を完全に緩めてしまい、彼女の胸元に顔を埋めたまま泣いてしまう。

 

 それからどれほど時間が経ったかは分からないが……心の奥底から込み上げてくる悲しみは到底、治まってくれそうになかった。

 

「……兄さま」

 

 泣きじゃくる俺を抱擁するダイヤが、感情を荒げる俺をあやすような柔らかい声音で、こちらに話しかけてくる。

 

「ごめんなさい。私の身勝手なわがままのせいで、兄さまに辛い思いをさせてしまいました」

「……良いんだ。これは俺が、ちゃんと向き合わないといけないことだから」

 

 言いながら、ダイヤが俺の背中を優しくさすってくれる。

 

「兄さま。もしよろしければ、私の話を聞いて頂けないでしょうか?」

「……このままでも、良い? 泣き顔を、見られたくないんだ」

「はい」

 

 ダイヤは俺の要求に応えるように、少しだけ体勢を変えてくれた。彼女の柔らかい温もりはそのままで、先程まで耳元にあったダイヤの顔が、俺の頭の上へと移る。

 

 俺の頭部を優しい手つきで包み込みながら、ダイヤは俺に向かって語りかけた。

 

「私は昔から、ミライさんの大ファンです。ミライさんと同じウマ娘に生を享けたものとして、その走りに強い憧れを抱くのは必然のことでした」

 

 世界的アイドルウマ娘に成長し、瞬く間に世界の”星”となったウマ娘──ミライ。

 

 悲惨な最期を迎えてもなお彼女を称賛する声は止まず、憧れを抱く者は後を絶たない。

 

「ミライさんの走りを見て、私は大きな夢と希望をもらいました。そのおかげで今の私がここにいるんだと、心の底からそう思います」

 

 誰かの憧れになることが、ミライの大きな夢だった。

 

 以前、笑顔でミライの魅力を語ったダイヤを見て、不思議と心が穏やかになったことを覚えている。

 

……ああ、ミライの夢は叶ったんだ。

 

 なんて、ダイヤの言葉を聞きながら俺は、そんな風に感じていた。

 

「兄さまは……ミライさんの背中を押してしまったことを後悔していると、おっしゃいましたよね」

「……ああ」

「私は思います。ミライさんは絶対に、兄さまのことを恨んでなどいません」

「どう、して……?」

 

 ダイヤの確信めいた発言を受けて、俺は疑問の声をこぼす。

 

 ダイヤはミライと面識なんて無かったはずだ。

 

 それなのにどうして、彼女は強く断言することが出来るのだろう。

 

「以前、風邪を引いてしまった兄さまを看病するために、トレーナー寮へ上がらせてもらった日のことは覚えていますか?」

「……うん」

「兄さまがお休みになった後、部屋の整理をしていたんです。その際に偶然、兄さまのアルバムを見つけてしまいました」

「アルバム……」

 

 それは約半年間に及ぶ闘病生活を乗り越えた後、俺が過去の思い出に浸るために新しく持ち込んだ私物であった。

 

「それで……少し気になった私は、アルバムの中を拝見してしまって」

 

 アルバムと言っても、大層な内容が刻まれているわけではない。

 

 ごくごくありふれた何の変哲もない日常の一瞬を切り取っただけで、俺以外の者がそれを眺めてもきっと退屈なだけだろう。

 

「兄さまと一緒に写るミライさんの笑顔を見ました。たくさんの仲間に囲まれて微笑む兄さまと、ミライさんの姿を見ました」

 

 記憶の中のミライは、いつも笑顔だった。それにつられて、周りの仲間達も笑顔になっていたことを憶えている。

 

「ミライさんがあんなに素敵な笑顔を浮かべていたのはきっと、兄さまがいたからです。兄さまと一緒に夢を叶えることが出来たから、ミライさんは幸せに笑うことが出来たんだと思います」

 

 ダイヤの言葉を受けて、俺の心に刻まれたミライの笑顔が脳裏に浮かび上がってくる。

 

 確かに、ミライの笑顔は素敵だ。

 

 彼女のそれには、周りを巻き込んで全てを笑顔に変えてしまう不思議な魅力があった。

 

「……それは、違う。ミライは強くて、とても優しいウマ娘だった。ミライの笑顔に、俺の存在は必要なかった」

 

 俺は結果的に、ミライから笑顔を奪った。

 

 俺が彼女の隣にいなければ、ミライは今でもずっと笑っていられたはずだった。

 

「……そうですか」

 

 何故ならミライは、とっても()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──でしたら、マックイーンさんとドーベルさんのお二人も、笑顔でいられているはずではないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 俺はダイヤの言及に、言葉を返すことが出来なかった。

 

「マックイーンさんとドーベルさんがチームを去ってしまう前、お二人の表情に笑顔はありませんでした」

「……」

「お二人はまだ、夢を叶えられていないんです。だから、あんなに苦しそうな表情を浮かべていたんだと思います」

 

 メジロマックイーンは、悲願達成の使命を堂々と背負い、どんな困難にも決して屈しない強かなウマ娘だ。

 

 メジロドーベルは、自身の夢と現実のギャップに葛藤しつつも、確固たる素質を宿した強かなウマ娘だ。

 

 だがしかし、別れ際に垣間見た二人の表情は堪え難い悲痛に歪んでいた。

 

 彼女達の表情に、笑顔なんて存在していなかった。

 

「兄さまがいなければ、ミライさんはあんな素敵に笑うことなんて出来なかったはずです」

 

 俺の元を去った二人を引き合いに出されてしまったら……これまで”ミライ”というウマ娘に抱き続けてきた先入観を、今一度改める必要があるのかもしれない。

 

 

 

──ミライを落ちこぼれのウマ娘に追い込み続けていれば、彼女は確実に幸せな未来を迎えることが出来たはずだ。

 

 

 

 以前までの俺であれば、その主張に疑いの眼差しを向けることすらしなかった。

 

 だが、実際に()()()()()()()()()()()()()()()()ウマ娘の姿を目の当たりにした俺は……果たして、以前と全く同じ主張を続けることが出来るのだろうか。

 

 心をズタズタにへし折られ、大切な夢を諦めさせられる選択肢を強いられた世界でも、ミライは本当に笑っていられたのだろうか。

 

 今となっては少し……分からないと、心が揺らいでしまう。

 

「兄さまは優しいですから、きっとご自身のことを強く責められているのだと思います」

「……ああ」

 

 仮にそれが揺らいでしまったとしても。

 

 俺の中に深々と根付く罪悪感は決して、消えることはない。

 

「ミライさんを喪ってしまったことで兄さまが周りの方々を、ミライさん本人を不幸にしてしまったと感じているのでしたら……それはきっと、大きな間違いです」

「まちが、い……?」

「お忘れですか?」

 

 まるで俺の心などお見通しだと言わんばかりに、ダイヤは俺の中で燻り続けている罪の意識を言い当てて見せた。

 

 動揺を隠せない俺に対して、ダイヤは終始穏やかな口調で……決定的な一言を放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄さまが育てたミライさんは──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………ぁ」

 

 その言葉を受けて、俺はようやく気付いた。

 

「兄さまは決して、周りの方々を不幸になんてしていません。兄さまはミライさんを通して──世界中の方々を幸せにしたんです」

 

 過去の俺の選択を頑なに否定するということは。

 

「兄さまは決して、ミライさんを不幸になんてしていません。兄さまはミライさんを──世界で一番幸せなウマ娘に導いたんです」

 

──巡り巡って、ミライというウマ娘が遺したものを、ミライというウマ娘の存在そのものを……根本から否定してしまうことになるのではないか、ということに。

 

「兄さま。私に素敵な夢を下さって、ありがとうございます。兄さまからもらった希望は、今でも私の大きな原動力になっています」

「………………ああ」

 

 

 

 良い加減、俺は認めなければならないのかも知れない。

 

 

 

 純粋な夢に向かって直向きに駆けるミライの背中を、悲惨な結末を迎えると知った上で押してしまった──一度目の後悔。

 

 

 

 一度目の後悔を二度と繰り返さないと強く誓いながら、懸命に前を向いて夢へ駆けるダイヤに心を奪われた──二度目の後悔。

 

 

 

 そして今、”不治の病”と称される繁靭帯炎を発症し、救いようのない現実にもがき苦しむマックイーンの境遇を知り──俺はあろうことか、()()()()()()に苛まれようとしている。

 

 

 

 これほどまでに同じ後悔を繰り返そうとしてしまうのはきっと……これが俺という人間の、どうしようもない()()を表しているからなのだと思う。

 

 

 

 良い加減、俺は自分自身の心に根付いた本性と、向かい合わなければならないのかもしれない。

 

 

 

 それと同時に、俺のコンプレックスとも言えるこの特異な"体質"についても、今一度理解を深めなければならない。

 

 

 

 けれどその上で選んだ選択は、沖野先輩が下した苦渋の決断を棒に振ってしまうことに他ならないのも事実。

 

 

 

 そんな身勝手な真似をすることが、果たして本当に正しいのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうすればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は一体、どうすればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……なぁ、ミライ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時に下してしまった選択で……俺は君を本当に、幸せにすることが出来たのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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