これであなたはサトノ家行きです   作:転生した穀潰し

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描写を一部修正しました。


05:星屑の再燃

「今年の新入生は粒揃いだな」

 

 選抜レースを運営しながら、私──シンボリルドルフは感情が昂っていた。

 

「あら、ルドルフ。今日はなんだか楽しそうね♪」

「マルゼンスキーか。ふふ、そう見えるか?」

 

 声をかけてきたのは、私が信頼を置く友人マルゼンスキー。

 

 抜群のスタイルと、時代を先取りした言葉のセンスが特徴的なウマ娘だ。その実力は超一流で、他の追随を許さない圧倒的な逃げ足から”スーパーカー”の異名を博している。

 

「前途有為。今年のチーム・リギルは、更に強くなりそうだ」

「そうね。ナウいウマ娘達の熱意を分けてもらって、あたし達も頑張りましょう!」

 

 私達が所属するチーム・リギルは、トレセン学園においてトップクラスの実力を誇るチームだ。

 

「東条トレーナー。今年の新入生の中から、もうスカウトの目星はつけているのだろうか」

「大方な。既に声はかけている」

 

 東条ハナ。チーム・リギルを統率する辣腕トレーナー。グレーのパンツスーツを完璧に着こなした、クールビューティーな女性だ。

 

「さすが東条トレーナー。その手腕、感服する」

「今年のリギルは更に強くなる。トレーニングも厳しくなるぞ、気を引き締めていけ」

「モチのロンよ!」

 

 トレーナーは一見、冷徹な仮面を被った血も涙もない女性だと誤解されがちだ。しかし、彼女の勝利を志す強い熱意は、我々ウマ娘を魅了するに値する。

 

「去年はチーム・スピカに遅れを取ったが、二度目は無い」

「そうね! 負けてばかりじゃいられないものね!」

「ああ。私も後輩達に可能な限りアドバイスを贈ることにしよう」

「期待しているわよ、二人とも」

 

 捲土重来。トレセン学園最強の座につくのは、私達チーム・リギルだ。

 

「チーム・スピカを下し、そして我々はいつか世界最強と名高い……チーム・アルデバランをも超えてみせる」

「あら!」

「なんと……」

 

 東条トレーナーが目指す志の高さに、私は驚きを隠せなかった。

 

 チーム・アルデバラン。かつてウマ娘達の頂点に君臨していた、世界最強のチーム。

 

「既に過去の記憶になってしまったけれど……叶うなら、一度手合わせしてみたいものね」

 

 彼女らは二年前、"星の消失"と共に表舞台から姿を消した。

 

 当時は様々な憶測が世間を騒がせていたが、姿を消した原因について多くのメディアやネット上で深い考察が行われた。

 

 長い考察の末、一つの結論として導き出されたのがチーム・アルデバランの”星”、最強のウマ娘──ミライの故障事故。

 

 当時、ミライが出走したレース──凱旋門賞は全世界で生中継されていた。すると何故か突然中継が遮断され、何の情報も得られないまま翌日彼女の訃報が報道された。その時の困惑と悲愴感は今でも胸に深々と刻まれている。

 

 何故なら、私はミライに対して憧憬の念を抱いていた。言葉を少し崩すと、大ファンだったのである。

 

 ミライの故障事故の他にも、いくつかの推論がチーム・アルデバラン消失の都市伝説として残っている。

 

 都市伝説の中で有名なものを一つ挙げるとするならば、ミライを育成していた担当トレーナーの失踪、辺りだろうか。

 

 この都市伝説が真実なら、それはこの業界の大きな痛手だ。”星”を輝かせたその手腕を持ってすれば、多くのウマ娘達を幸福へと導くことが出来ただろうに……。

 

「──アルデバラン……」

「おや?」

 

 私が密かに憂いでいると、ヒトより優れたウマ娘の聴覚が、背後からの呟くような声音を捉えた。

 

「あら、グラスワンダーちゃん!」

「……すみません。先輩方の口から、懐かしい名前を耳にしたものですから」

 

 グラスワンダー。

 

 チーム・リギルに所属するアメリカ生まれの帰国子女。温厚篤実な性格で、大和撫子を彷彿とさせる清楚可憐な振る舞いが魅力の少女だ。

 

 しかし同時に彼女は強い芯を持っており、その内に秘める獣のような闘争心はチーム・リギルの中でも突出している。

 

「グラスワンダー。怪我の調子は?」

「はい。だいぶ良くなって来ました。今月中にはトレーニングに復帰出来るかと」

「それは良かった」

 

 以前、グラスワンダーはトレーニングの途中に右足を負傷し、療養を余儀なくされた。

 

 メイクデビューで華々しい活躍を飾った彼女にとって、療養生活はさぞ辛かったことだろう。

 

 しかし、持ち前の精神力で負の感情を一切表に出さなかったグラスワンダーは今後、必ずや頭角を表すことだろう。

 

「チーム・アルデバランといえば、なんといっても"星"のミライよね! 三年前のジャパンカップ、今でも鮮明に思い出せるわ〜!」

 

 三年前に開催されたジャパンカップ。チーム・アルデバランからミライが出走表明をしたことで、異例の注目を浴びることとなった。

 

 私も現地でミライのレースを観戦したが、彼女の走りは圧倒的だった。トゥインクルシリーズを代表するGⅠウマ娘達や、世界で活躍するウマ娘達が群雄割拠するレースにおいて、二着以降を嘲笑うかのような大差勝ち。

 

 ミライの脚質は既存の型にはまらない。まるで、大逃げを仕掛けながら追い込みをかけるかのような、異常な走り。

 

 ミライは本当に私と同じウマ娘という種族なのか、疑いを抱いてしまうほどだ。

 

「あ、そういえばグラスワンダーちゃんって、アメリカで生まれ育ったのよね?」

「はい」

「だったらだったら、ミライのオフレコな姿とか、見たことはあるのかしら〜?」

「ありますよ」

「マ!?」

 

 マルゼンスキーが何を言い出すのかと思えば……。

 

 しかし私も興味がある。ミライの一ファンとして。プライベートの様子は如何様か。

 

「出来ればグラスワンダーちゃんしか知らないような、マル秘な話が聞きたいわ!」

「ん〜そうですね、プライベートのミライさんは……」

「うんうんっ」

 

 おとがいに手を当てて、過去を振り返るグラスワンダー。

 

 そして、大和撫子らしい柔和な笑みを浮かべてグラスワンダーは言った。

 

「素敵な殿方へ密かに恋文を認める、一途な女性でしたよ」

 

 

 

 

***

 

 

 

 選抜レースが開催された日の夜、俺は観客席にスーツの上着を置き忘れていることに気が付いた。

 

 夕方から天候が崩れ、現在は生憎の雨模様。

 

 残念ながら自前の傘を持っていなかったので、俺は近くのコンビニでビニール傘を購入してから学園の敷地に入る。

 

 日中、トレセン学園の生徒会長であるルドルフに案内された道を思い出しつつ、俺は夜道を急いだ。

 

「……無敗の三冠ウマ娘。シンボリルドルフ。史上初のGⅠ最多七勝。この成績を知れば、確かに同じ立場で話すことなんて出来ないな」

 

 ルドルフと対面した際に感じた風格は、錯覚では無かった。

 

 その偉業から"皇帝"の異名を持ち、全てのウマ娘が幸福になれる時代を目指す理想主義者。

 

 理想主義者といっても、シンボリルドルフには理想を叶えるに相応しい功績と人望が備わっている。

 

「いくら知らなかったとは言え……もっと敬意を表するべきだった」

 

 後悔先に立たず。今度ルドルフと会話することがあったら、今日の非礼を詫びることにしよう。

 

……っと、もうトラックに着いたのか。道に迷わなければ意外とすぐだったな。

 

 トレセン学園は自主トレーニングをする生徒達のために、寮の門限まではターフが解放されている。まぁ、この土砂降りの中で走るヤツなんていないだろうが。

 

 数多くの照明が点灯しているため、忘れ物を探すことは簡単だろう。

 

 観客席を探ること数分。俺は水分を含んでグチョグチョになった上着を見つけ出した。

 

 目的は果たした。

 

 俺は早々に踵を返し、来た道を戻る。

 

 

 

「──はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 

 

……気のせいか? 今、ターフから水溜まりを弾く足音が聞こえたような。

 

 この悪天候の中で、自主トレをしているウマ娘がいるのか?

 

 雨天時の重バ場を想定してのトレーニングか。しかし、周りに人がいる様子はない。

 

「……自殺行為だ。中央のトレセン学園にも、ウマ娘としての本能を自制出来ないバカなヤツがいるんだな」

 

 水分を含んだ芝は足を取られやすい。ウマ娘は生身の身体で、自動車並みの速度を出す生き物だ。一度の転倒が選手生命に直結する。トレーニングをするにしても、最善の注意を払わなければならない。一人でのトレーニングなんて論外だ。

 

 陽が沈んで気温が低下し、身体に打ちつける雨が拍車をかけるように体温を奪う。

 

 蓄積した疲労で集中力を乱し、滑りやすい芝に足を取られて転倒なんてしてみろ。

 

 もう二度と、走れなくなるかも知れないんだぞ。

 

 もう二度と、歩けなくなるかもしれないんだぞ。

 

 もう二度と、生きられないかもしれないんだぞ。

 

「──いたっ……ッ!?」

 

 ターフから、苦痛に悶える声が聞こえた。

 

 ドサッと鈍い音が響く。

 

 ほら見ろ、集中を欠くから転ぶんだ。

 

 周囲に俺以外の人はいない。

 

 さすがに、見て見ぬ振りをすることは出来なかった。

 

 俺はターフに目線を向ける。大丈夫か、と声をかけようとして。

 

 

 

 

 

「………………は?」

 

 

 

 

 

 俺の心臓が鷲掴みにされた。

 

 呼吸の仕方を忘れ、鼓動がこれ以上なく跳ね上がった。

 

 全身が泥に塗れ、ターフに倒れ伏したウマ娘には心当たりがある。

 

 薄汚れた鹿毛の長髪。前髪に特徴的な菱形の模様があり、本格化を迎えたばかりの強かでワガママなウマ娘。

 

 サトノダイヤモンド。

 

 俺の大切な、歳の離れた昔馴染みの女の子。

 

「──ダイヤッ!!」

 

 気付いたら、俺は手に持った傘を放り出して走っていた。

 

 雨に打たれる事なんて気にも留めず、俺は血相を変えて彼女の元へ駆け寄る。

 

「え……兄、さま…………?」

「大丈夫か、怪我はないか!?」

「……右足が」

「見せてみろ」

 

 俺は最優先でダイヤの姿勢を安定させる。革手袋を脱ぎ捨て、彼女のおみ足に触れる。

 

 ダイヤの身体に触れたことで、俺の"体質"が彼女の容体を瞬時に、正確に把握していく。

 

「……右足首を捻挫している。大事には至らないが、適切な対処をしなければ長引くぞ」

「ごめん……なさい…………」

「話はあとで聞く……失礼」

「へ? ……きゃっ!」

 

 俺は負傷したダイヤを横抱きにして、トラックを後にした。

 

 本当はダイヤを寮に送り届けるべきなのだが、生憎俺は彼女の寮の場所を知らない。

 

 状況がイマイチ飲み込めていないダイヤを抱えて、俺は理事長からあてがわれた──自身のトレーナー寮に彼女を運ぶのだった。

 

 

 

***

 

 

 

「……すみません。はい、はい……。お願いします」

 

 帰宅早々、俺は理事長秘書の駿川に電話をかけた。事情を説明し、駿川経由で栗東(りっとう)寮の寮長に連絡をしてもらうことになった。

 

「すぐに手当をしたいが……ひとまずシャワーを浴びてこい。そんな姿じゃ風邪を引く」

「……」

「捻挫した場所は極力温めるな」

「…………」

「ダイヤ?」

「……ぇ、ぁ、あっ! はい……」

 

 俺は借りてきた猫のようにおとなしいダイヤを、なかば強引に浴室へとぶち込んだ。

 

 本来、捻挫した箇所を温める行為は逆効果なのだが……事情が事情だ。仕方が無いと妥協する。

 

 ダイヤがシャワーを浴びている間に、俺は諸々の準備を始める。

 

 捻挫とは、身体の関節に不自然な力が加わることによって靭帯が損傷した状態のことだ。靭帯が炎症を引き起こしており、熱を帯びている。

 

 ダイヤの場合、軽度の捻挫ではあったが処置を疎かにすると長引く可能性があった。

 

 炎症を抑えるための氷のうと濡れタオル、足を固定するためのテーピングなどなど。

 

 着替えに関しては……適当なジャージで我慢してもらおう。ダイヤが着ていた体操着をすぐに洗濯機にかけ、乾燥するまでの辛抱だ。

 

 しばらくして、男物のぶかぶかなジャージに着替えたダイヤが浴室から出てきた。

 

「あ、上がり、ました……」

「よし、じゃあこっちに来い」

「はい……兄さま」

 

 俺はダイヤをベッドに腰掛けさせ、右足のジャージを捲り上げる。

 

 手際良くテーピング処置で足を固定させ、氷のうを当てる。

 

「完治するまで……そうだな、一週間は運動やマッサージはするな。絶対安静だ。分かったな?」

「……はい」

 

 物分かりが良くて助かる。

 

「……ったく、どうしてあんな無茶をした」

「それ、は……」

 

 ダイヤは俺の問いに対して、バツが悪そうに視線を逸らした。

 

 無理に言う必要はない……と言いたいところだが、今日のように無茶な自主トレは看過出来ない。

 

「選抜レースか」

「……はい」

 

 言い淀むのなら、こちらから切り出すだけだ。

 

 ダイヤは昔から、一度決めたことは意地でも貫き通す頑固で剛直な性格だった。

 

 駄目なことは駄目だと、誰かが本気で叱ってあげなければ。何よりも、彼女の身を守るために。

 

「……恥ずかしい姿を、見せてしまいました」

「お前は全力で走った。恥じる必要なんてない」

「でも、私……わたしは…………ぅ、ぅぁあっ!」

 

 必死に堪えていたのだろう。俺の言葉を皮切りに、ダイヤのせき止めていた感情が一気に爆発した。

 

 泣いている女の子を、一体どうやって慰めるのが正解なんだろう。

 

「絶対、一着になれると思ったのに……っ。マックイーンさんみたいな、格好いい姿を見せて……兄さまに、認めて…………欲しかったのに……っ」

 

 "俺に認めて欲しい"。

 

 そんな思いを抱えて、お前は走っていたのか。

 

「それなのにっ! 八着、八着って……こんな、こんな結果っ……誰も、認めてくれないっ!」

 

 ダイヤは俺の胸元に顔を押しつけて、声を上げて泣いた。

 

 果たしてどうしたものかと悩み抜いて、俺は遠慮がちにダイヤの頭に手を置いた。

 

「……すまなかった」

 

 ダイヤの一着に対する執着心。その矛先を自分自身の夢では無く、俺に対して向けさせてしまった。

 

 お前はウマ娘だ。

 

 他人のために走るのではなく、自分の夢のために走れ。

 

「焦る気持ちは理解出来る。でも、無茶をして怪我したら全てが水の泡だ……分かるな?」

 

 こくこく、とダイヤは首を縦に振る。

 

「君は強くなれる。夢を叶える才能と、努力出来る根性がある。俺が保証する」

 

 先程からダイヤの身体に触れていることで、俺の"体質"が暴走していた。

 

 この"体質"は非常に厄介なもので、ウマ娘に深く触れれば触れるほど、育成に必要のない情報まで吸い出してしまう。

 

 例えば、思考。

 

 彼女が今、何を考えているのか。

 

 どんな気持ちで俺の言葉を聞いているのか、など。

 

 全て、筒抜けだった。

 

 これでもだいぶ制御出来るようになった方なのだ。

 

 俺の手がウマ娘の肌に直接触れなければ、この異常な”体質”に苦しまれることはない。

 

 その対策として、普段は薄手の革手袋を着用している。

 

 昔は膨大な情報量で思考がパンクし、頻繁に頭痛を引き起こしていた。まぁしかし今でも、あまり変わりはないのだが。

 

「……」

 

 無性にこっ恥ずかしくなって、俺は視線を彷徨わせる。

 

 他人の心を覗き見する趣味は無い。少し頭が痛くなってきた。そろそろ離れてくれとダイヤに要求したが、いやですと即座に否定された。

 

 少し強引に身をよじるが、ウマ娘特有の怪力にねじ伏せられてしまう。泣き顔を見られたく無いのかもしれない。

 

「そろそろ落ち着いたか?」

「……うん」

「良かった。そろそろ離れてもらっても良いか?」

「いやです」

 

 ダイヤの鹿毛の尻尾がユサユサと左右に揺れる。

 

 こうなったダイヤは頑固だ。諦めるしかない。

 

「……私、マックイーンさんに憧れているんです」

「唐突だな。でもまぁ、何となく分かるよ。走りを見れば」

 

 メジロ家の令嬢、メジロマックイーン。

 

 メジロ家の悲願といわれる天皇賞制覇を()()に、繋靭帯炎を発症して長期療養を余儀なくされた最強のステイヤー。

 

 シンボリルドルフをウマチューブで調べている過程で、俺は過去にトゥインクルシリーズで輝かしい成績を残した者達の走りを確認していた。

 

「私は……マックイーンさんのようにはなれないのでしょうか」

 

 今日の選抜レースで、ダイヤは明らかにメジロマックイーンを意識した走りをしていた。

 

 憧れる気持ちは分かる。

 

 だが、彼女のようになれるかと聞かれたら……。

 

「それは厳しいだろう」

 

 答えはノーと、言わざるを得ない。

 

「……っ、そう、ですか。そうですよね……」

 

 分かりやすく落胆するダイヤ。

 

「今日の選抜レース。彼女と同じ先行の脚質を意識して走っただろ?」

「え? は、はい」

 

 メジロマックイーンを模して、ダイヤはレースを走った。彼女が得意とする脚質すらも真似をして。

 

「現状、ダイヤはレースで先行することに向いていない」

「どうして、そんなことが分かるんですか?」

「体質なんだ」

「体質……?」

 

 適性の低い脚質で選抜レースに臨み、冷静さを欠いて余計なスタミナを消費した。終盤へ向けて足を溜められず、スタミナが切れて失速した。

 

 これが、ダイヤが選抜レースで八着となった敗因だった。

 

「ダイヤの場合、中盤まではバ群の中団でレースの様子を窺いながら足を溜めて、終盤で一気にスパートをかける“差し"の脚質に適性がある」

「差し……」

「トレーニングを積めばレースで先行策に出ることは容易いだろう。だが現状は、スピードと末脚を維持するスタミナが足りない。全身の筋肉も未発達。その中でレースに勝とうと思うのなら、後半まで足を溜めるべきだった」

「……はい」

 

 年齢はまだ幼いとはいえ、本格化を迎えたダイヤは立派なアスリートである。辛いかもしれないが、自身の敗因を理解しなければ以後同じことの繰り返しになる。

 

「良いか、ダイヤ。お前はメジロマックイーンじゃない。サトノダイヤモンドだ。憧れっていうのはな、その姿を自分に重ねることじゃない。その背中を、自分の力で追い越すことなんだ」

「自分の力で、追い越す……」

 

 酷な言い方かもしれない。しかし、憧れの存在を自分の姿と重ね合わせで出来上がったそれは結局、二番煎じでしかないのだ。

 

「そうだ。……まぁ結局何が言いたいかっていうと、焦る必要はまったく無いってことだ」

「はい」

 

 理解してくれたようで良かった。

 

 これでもう、ダイヤは無茶な自主トレーニングをして身体を壊すことは無いだろう。

 

「それにしても、メジロマックイーンか」

「私の憧れの方です……もし叶うのなら、マックイーンさんが天皇賞で一着を取る姿を見てみたかったです」

 

 ”名優”の二つ名を持ち、長距離を主戦とする姿から最強のステイヤーと称されたメジロマックイーン。

 

 しかし、現実とはなんて非情か。

 

 彼女が悲願としていた舞台は、壇上へ立つ前に幕が下りてしまったのだから。

 

「……あ、ご、ごめんなさい。暗い雰囲気にしてしまいました」

「気にしないよ」

「あ、憧れといえばっ」

 

 少し湿ってしまった雰囲気を吹き飛ばそうとしたのか、わずかに裏返った声音でダイヤが声を上げた。

 

「実は私、マックイーンさんの他にもう一人……憧れているウマ娘がいるんです」

 

 言いながら、恥ずかしそうに頬をかくダイヤ。

 

「これは正直、恥ずかしくて誰にも……親友のキタちゃんにも言っていないんですけど」

 

 えへへ、とはにかむダイヤ。

 

 無意識に、彼女の表情に目線が吸い寄せられた。

 

 

 

 

 

「私……ミライさんのようなウマ娘になりたいんです」

 

 

 

 

 

 ダイヤの口から飛び出した名前に、俺の心臓がとくんと跳ね上がる。

 

 世界最強のウマ娘──ミライ。

 

「ミライさんはなんて言うかもうとっっっっても素敵すぎて憧れるのもおこがましいと言いますか、いやでもでもっ、やっぱり他を寄せ付けない圧倒的な走りに魅了されない人なんていないと思うんですっ。三年前のジャパンカップはご覧になりましたか? 私はもちろん現地で観戦しましたっ。ターフに立つ生ミライさんを見た瞬間はもう……っ。あ、でもやっぱり私なんかが憧れているなっていったらみんな笑っちゃいますよね……あ、これは内緒ですよ! 特にキタちゃんには!」

 

 憧れ、か。そうか、そうか……。

 

「なっ、笑わないで下さい兄さま!」

 

 俺は今、()()()()()のか……?

 

「……うぅ、やっぱり言うんじゃなかった」

 

 ベッドの上で羞恥心に悶えるダイヤ。

 

 枕を抱えてジタバタを繰り返し、しばらくしてその音がぴたりと止んだ。

 

「……? ……寝てる」

 

 疲労が蓄積し、緊張の糸が解けたことで眠気の波が一気に押し寄せてきたのだろう。

 

 無防備というか、隙だらけというか……。

 

「……信頼されている、ってことにしておくか」

 

 俺はダイヤの身体に布団を掛けて、部屋の電気を消す。

 

「憧れ、か……」

 

 

 

 

 

──私ね、みんなが憧れるようなウマ娘になりたいんだ!

 

 

 

 

 

 自然と、口角が上がる。

 

 誰に話しかけるわけでもなく、俺は虚空に向かって独りごちた。

 

 

 

 

 

「夢が叶ったな……ミライ」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「おはよう、ダイヤ」

「……ぉ、お、おお、おはようございましゅっ!」

 

 翌朝。俺は寝癖で髪が爆発したダイヤに挨拶する。

 

「足の調子はどうだ」

「あ、足は問題……ない、です」

 

「体操着はもう乾いているから。学園に行くときはそれに着替えてくれ」

「は、はいぃ……」

「……? 何だ、どうかしたのか?」

 

 先程から挙動不審なダイヤに、俺は怪訝な視線を向ける。

 

「早く支度しないと遅刻するぞ。お前は一度、寮に戻る必要があるんだからな」

 

 俺も今日はこの後、学園に用事がある。きっちりとしたスーツに身を包んで、身支度を進めていた。

 

「……兄さま。今日は何か、大切な用事があるんですか?」

「いや、別に大した用事ってわけじゃないが」

「なら、一体……?」

 

 忙しなく動く俺に、今度はダイヤが困惑したような視線を向ける。

 

「受けることにした」

「……?」

「気が変わった。俺は、お前との約束を果たす」

 

 約束を果たすためにはまず、理事長に声をかけなければならない。

 

「ダイヤ。俺は今日から、()()()()()()()()()()()

「……え」

 

 ダイヤが目を点にして硬直する。

 

 そして、ようやく俺の言葉を理解したらしい。

 

 

 

「──えぇぇぇええええええええええっ!?!?」

 

 

 

 可愛らしい叫び声が、部屋中を駆け巡った。

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