「──歓迎ッ! わたしは君を信じていたッ!!」
ダイヤを学園まで送り届けた後、俺はその足で理事長室へと向かった。
「たづな! 早速彼にトレーナーライセンスとバッジをッ!」
「はい。……トレーナーさん、こちらを」
理事長秘書の駿川から、改めて新調されたトレーナーライセンスとバッジを受け取った。
「ありがとうございます」
「今後のトレーナーさんの待遇についてなのですが、トレーナーさんは過去に一度ライセンスを破棄しているため、立場上新人トレーナーという扱いになります」
「はい」
俺は、二年前の自分の顔写真が貼られたライセンスに視線を落とす。
ライセンスの中の男は、希望と熱意に満ちた表情をしている。
昔の俺は、こんな顔をしていたのか。
「必要な手続きに関しては、こちらで全て処理しますのでお気になさらず♪」
「どうも」
「質問ッ! トレーナー、何かわたし達に聞いておきたいことはあるだろうか!!」
聞いておきたいこと……そうだな。
「……レースに出走するためには、チームを結成する必要があるはずだ。現状、俺はダイヤ以外の担当を請け負っていない」
「配慮ッ! 確かにトゥインクル・シリーズが主催するレースに出走するには、五名以上のウマ娘が所属するチームに登録する必要がある。しかし! URAは君の功績を非常に高く評価している。故に──」
理事長は手に持った扇子をシュバっと開いて言い放つ。
「特例ッ! 担当ウマ娘が規定人数を満たしていなくても、チームの存続を承認し、レースへの出走を許可するッ!!!」
……すごい
「但し。レースに出走する以上、チームに所属しているという体裁は必要だ。後ほど、チームの設立届けを提出してほしい。その気であれば、メンバーの勧誘も可だッ!」
「分かった」
「うむ!」
俺の返事を聞いて、理事長は年相応の笑顔を浮かべた。
「安堵。良い返事が聞けて何よりだ」
……気のせいか。
今、一瞬のうちに理事長の、理事長としての仮面が剥がれ落ちたように感じる。
手にした扇子で顔を仰ぎながら、だらしなくソファーの背もたれに体重を預けた。
「暴露……実はな、URAから君を必ずトレーナーに復帰させろと圧力をかけられていたんだ」
「……そんなんで大丈夫なのかよ、URA」
こんな小さな理事長に、
「"星"を育てた貴重な人材だ。確保すれば、業界の飛躍は確実。その意見にわたしも賛同した。URAの要望に、無理をしてでも応えたくなった。ウマ娘達の輝かしい未来のために」
「……」
そんなことを言われてもな。
正直荷が重い。
「期待しているぞ、”新星”ッ!」
しかしどうやら、俺はまた頑張るしか無いらしい。
***
「えへ、えへへ、えへへへ……」
「うわ、ダイヤちゃんの顔が溶けてる……」
一度栗東寮に戻って制服に着替えた私は今、教室の机に座ってだらしない表情を浮かべていた。
──俺は今日から、お前のトレーナーになる。
昨日の選抜レースは八着という不甲斐ない結果に終わったけれど、私の熱意はしっかりと兄さまに伝わった。
そしてついに、私は念願だった兄さまとトレーナー契約を結ぶことが出来たのだ!
その事実が、私の胸をザワつかせる。
冷静な思考が暴力的な熱で溶かされていく。
故に、私の顔ははしたなく溶けていた。
「ダイヤちゃん? ダイヤちゃ〜ん?」
「……んぁ? キタちゃん?」
いつからだろう。親友のキタちゃんが私の顔を覗き込んでいた。
「今日のダイヤちゃん、なんだかぽわぽわしてる」
「えぇ、そうかなぁ」
「何か良いことあった?」
「良いこと? 良いこと……うぇへへ〜」
良いことって言ったら、やっぱり兄さまが私の……きゃっ。
「実はねぇ〜、兄さ……トレーナーさんが、私のことを熱烈にスカウトしてくれたの!」
今すぐ校舎を駆け回って、この気持ちを叫びたい。
はしたないから、そんなことはしないけど。
「最初はとっても頑固なお方だったのに……私の熱意に押されて最後には……きゃっ」
「……あたし、惚気を聞かされてる?」
惚気か。確かに、惚気かもしれない。
別に惚気でも良いや。
聞いて、キタちゃん。この私の喜びを!
「そういえばダイヤちゃん、足の方は大丈夫?」
キタちゃんが唐突に話題を変えてきた。
多分、私の惚気話に飽きたんだと思う。
……火照った身体の熱が、スッと引いていくのが分かった。
「……うん、軽い捻挫だって。一週間は安静にしないといけないんだけどね」
「そっか、大怪我じゃなくて良かったぁ」
「心配かけてごめんね、キタちゃん」
選抜レースに負け、自暴自棄になって、たくさんの人に迷惑をかけた。
もう二度と誰かに心配をかけさせる行動はしないと、私は心に誓った。
「そういえばキタちゃん、選抜レースで一着だったよね? トレーナー方からのスカウトは来てるの?」
「ふっふっふっ、良くぞ聞いてくれました!」
待っていた、と言わんばかりにキタちゃんは腰に手を当てる。
言葉の節に溜めを作って、ウマ耳の穴をかっぽじって聞けと言わんばかりに主張した。
「なんとあたし……チーム・スピカからスカウトされました!」
キタちゃん曰く、放課後に一人で学園の敷地を歩いていたところを、素顔を隠した謎のウマ娘集団に袋詰めにされたらしい。
「すごいねキタちゃん! じゃあ、あのトウカイテイオーさんと一緒に走れるんだ! 良いなぁ!」
「えっへん! そうでしょそうでしょー!」
チーム・スピカといえば、今やトレセン学園でチーム・リギルに並ぶ程の実力を備えた超一流のチームだ。
キタちゃんが強い憧れを抱くトウカイテイオーさんの他にも、チーム・スピカにはスペシャルウィークさんやサイレンススズカさん、ゴールドシップさんが所属している。
そして何より、私が強く憧れるメジロマックイーンさんが所属していたチームだ。
「大物の一員だね、キタちゃん」
キタちゃんはすごいなぁ。
少し気を抜いたら、さらに置いていかれてしまいそうだ。
「これからお互い頑張ろうね、ダイヤちゃん!」
「うん! 負けないからね、キタちゃん!」
負けたくない。
勝ちたい。
ライバルのキタちゃんだけには、絶対に。
***
理事長秘書の駿川に連れられて、俺は学園内の施設を見学していた。
「本当に広いな……」
東京都府中市に所在する日本ウマ娘トレーニングセンター学園──通称トレセン学園。
全国に設立されたウマ娘トレーナーニング施設の中でも、トレセン学園は最新鋭かつ最大規模。ウマ娘を育成する環境として完成された施設である。
「ここが、校舎の中央に位置するエントランスホールになります」
理事長室を出て最初にやってきたのは、二階が吹き抜けとなった校舎中央のエントランスホールだ。
エントランスホールには購買や図書室、資料室が併設されている。その他には学園行事の告知を行う掲示板や、レースへの出走手続きを行う登録ロビーなど。
現在は授業中ということもあり生徒の姿は無いが、放課後は賑わいを見せるそうだ。
エントランスホールを出て、敷地を西に歩くこと数分。校舎の別棟に設けられたトレーナールームに案内された。
「こちらが、トレーナーさんが利用するトレーナールームになります」
「思っていたよりも広いな」
事実上チームの部室となるトレーナールームは、俺が想像していたよりも設備が充実していた。
「こういう部屋は普通、好成績を収めたチームだったり、大所帯のチームが使用するんじゃないのか?」
「トレーナーさんの功績を考慮すれば、当然の待遇です。こちらが部屋の鍵と合鍵になります」
「…………どうも」
俺は駿川から鍵を受け取る。
さらに連れ回されること数分、再び本校舎のエントランスを経由して俺は食堂に案内された。
「食堂は主に在籍する生徒達が利用しますが、職員の利用も許可されています。ぜひ足を運んで下さいね♪」
何でも、トレセン学園の食堂で提供されるメニューは全て無料だという。とんでもないな、中央。
ここからは本格的に、ウマ娘達が使用するトレーニング施設の説明となって。
「プールやトレーニングジム、ダンススタジオ、体育館を使用する際は、事前に申告が必要となります。こちらの使用申告書に必要事項を記入して提出して下さい」
「他のチームと使用したい時間が重なった場合はどうなる?」
「そのような場合は基本的に、レースで好成績を収めるチームが優先されます」
「なるほど」
完全な実力至上主義か。まぁ、当然だろう。
そして俺は、ウマ娘達のトレーニングにおいて最重要と言っても過言ではない、トラックについての説明を受けた。
実際に足を運び、場所を確認していく。
「先日の選抜レースや新歓レースといった催しに使用されることもありますが、基本的にはウマ娘達のトレーニング場として解放されています」
先日選抜レースが開催されたトラックには、芝やダートはもちろんのこと、トレーニング用の坂路やウッドチップコースも整備されている。
「照明設備も充実しているため、寮の門限までは、夜間でも使用可能です」
その他トレーナーには関係無いが、一般的な学校と同様に生徒達が勉学に励む教室や、理事長がプライベートで管理するにんじん大農園があったりする。
「施設の説明に関しては以上になります。不明瞭な点がございましたら、いつでも聞いてくださいね」
「ありがとう。駿川さん」
「そんなに畏まらず、私のことはどうか"たづな"と呼んで下さい♪」
「はい……えっと、たづなさん」
俺は駿川……たづなさんに、有無を言わせない圧をかけられた。断ったら後が怖そうなので、大人しく従っておく。
「トレーナーさん。この後、少し時間はありますか?」
「時間? 特に用事はないが……」
昨日の無茶な自主トレの影響で、怪我が完治までの一週間ダイヤはトレーニングが行えない。
そのため今の時間はフリーだ。しばらくしたら、様々な仕事が舞い込んでくるだろうが。
「でしたら少し、私とお話ししませんか? 個人的に、少し興味がありまして……」
「面白い話なんて出来ないですよ」
「構いません。せっかくなので、ゆっくりと腰を落ち着ける場所で話しませんか?」
「なら、食堂とか?」
「はい♪」
生徒達は午前の授業を受けている時間帯だ。静かで邪魔も入らないだろう。
俺はたづなさんと食堂に入り、窓際の席に腰を下ろす。
「……」
しかし、今は授業中のはずだよな。
何か、バケモノみたいな量の飯を食っている芦毛の生徒がいるんだが。
「せっかくなので、何か飲み物でも頼みますか?」
「えっと、じゃあコーヒーで」
「分かりました。少し待っていて下さい」
しばらく待っていると、たづなさんがトレーに俺が注文したコーヒーと、カフェオレを乗せて戻ってきた。
「お待たせしました」
「どうも」
ちなみに俺は苦党だが、コーヒーは砂糖を入れないと飲めない。
卓上に常備された角砂糖を摘む。
チャポン、チャポン、チャポン、チャポン……。
「……」
「何か?」
「い、いえ!」
これくらいで良いか。
俺はコーヒーを一口啜る。
苦い。
チャポン、チャポン、チャポン、チャポン……。
「……うん、美味い」
完璧な調整が出来た。俺は満足する。
「それで、話って?」
「……あ、ああ! すみません、えっとですね」
たづなさんはどこか慌てた様子で、カフェオレを一口啜る。
たづなさんの顔つきが真剣なものに変化した。
「先日は、大変失礼致しました」
先日……ああ。突然俺の家にやってきて玄関をぶっ壊した挙句、二年間かけて固めた決意を台無しにしたことか。
「先程理事長が仰っていた通り、私達はURAから強い圧力がかけられていました。強引な手段を取ってしまったことを、今一度謝罪させて下さい」
理事長もたづなさんも、色々なものを抱えながら生きているのだなと、改めて実感する。
「別に、気にしていません」
俺の目には、理事長やたづなさんが"できる大人"に映った。
辛い現実から逃げ出した、子供のような自分とは違う。
理不尽を受け入れ懸命に生きるその姿に俺は、羨望のような感情を抱いていた。
「……正直。私は理事長とは異なり、あなたがトレーナーに復帰する可能性は絶望的だと考えていました」
「……」
「差し支えなければ、あなたが私達の要求を受け入れた理由を……トレーナーとして復帰した理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
トレーナーに復帰した理由、か。
つい先日まで、トレーナーには絶対に復帰しないと断言していたんだ。突然の手のひら返しに、疑問を抱く気持ちは十分に理解できる。
「……特に意味なんて無いですよ」
強いて言うなら、気まぐれだろうか。
「気が付いたら、俺はダイヤに対してトレーナーになると言っていました」
我ながら、芯のない半端な人間だなと自嘲する。
一般的にそのような人間を、
「みんな、買い被りすぎなんですよ。URAも、理事長も……チーフも」
周囲の人間は、俺を天才だなどとおだてる。
誤解だ。
俺は、ただの落ちこぼれなんだ。
生涯でたった一人の担当ウマ娘を、俺は壊してしまったのだから。
「私はそうは思いません」
俺の言葉を受けて、たづなさんは強い口調で否定した。
「数年前まで、私達の業界は衰退気味でした。ですが、一人のウマ娘の登場によって世界中から注目を集め、立て直しに成功したんです」
たづなさんが言う通り、ウマ娘達に対する世間の注目はここ数年右肩上がりだ。
「今の業界がかつて無いほど脚光を浴びているのは、あなたとあなたのウマ娘のおかげといっても過言ではありません」
「……知らないな、そんなウマ娘は」
俺はそんな立派なウマ娘なんて記憶に無い。
模擬レースは毎回びりっけつで、トレーニング後に毎日泣きじゃくっている女の子の姿しか、俺は知らない。
「……話が逸れたな。まぁ、あれだ。それらしい理由を付けるなら、選抜レースだろう」
「ご覧になっていたんですね」
「まぁ、一応」
全力でターフを駆けるダイヤを見た。
たとえ振るわない結果であったとしても。
彼女の走りに、俺はどうしようもなく魅了されてしまった……の、かもしれない。
「あとは……そうだな。ダイヤに昨日みたいな無茶を繰り返されたら、俺の心臓が持たない」
「なるほど。つまり、サトノさんが燻っていたトレーナーさんの心に再び熱意を灯したんですね♪」
「……そういうことになる、かもしれないな」
「素敵だと思います。甘酸っぱい
「俺……二十六ですよ」
青春って年齢じゃないだろ。
こんな返答で良かったのかは分からない。でもまぁ見た感じ、たづなさんは満足してくれたようだ。
俺達はその後しばらく、特に中身の無い雑談に耽った。
「──今日は付き合って下さって、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
「それではこれで失礼します。よろしければまた、お話しして下さいね♪」
たづなさんと別れた俺は、この後の暇な時間をどう潰そうかと頭を悩ませる。
とりあえず、コーヒーをおかわりしてからゆっくりと考えるとしよう。