「………………ぁあ、すごいなぁ……マックイーンは」
困難に挫けず、不屈の心で奇跡を起こした"名優"の輝きに当てられて、アタシは胸の中に秘めていた気持ちが涙とともに溢れてきた。
絶望のどん底から這い上がり、ターフの世界で燦然ときらめく彼女の堂々たる在り方に、アタシの瞳が釘付けになる。
涙でぐちゃぐちゃになる視界を必死に拭って、アタシは世界一かっこいいウマ娘の存在を心に深く刻み込む。
今のアタシはもう、彼女という存在に夢中だった。
「──ドーベル」
……ふと、情けなく泣きじゃくるアタシの前に誰かが立った。
「ありがとうございます、ドーベル」
泥だらけで傷まみれの勝負服に身を包んだ”不屈の名優”が……メジロマックイーンが、いつの間にかアタシの前にいた。
「ドーベルの声、ちゃんと聞こえていましたよ」
「……っ」
そう言って柔和に微笑むマックイーンの身体は、奇跡の代償と言わんばかりにボロボロで、いつ倒れてもおかしくないような状態だった。
「……ドーベル」
マックイーンが再び、アタシの名前を呼ぶ。
それと同時に、アタシの身体に彼女の体重がとすん……と預けられた。
「……あなたはもう、使命に縛られる必要はありません」
アタシの胸元に顔をうずめ、朦朧としていく意識の中で、マックイーンは言葉をしぼり出す。
「あなたに使命を押し付けてしまったことが……ずっと、心残りでした」
だんだんとマックイーンの声が小さくなっていく。その反面、預けられる身体の重みが大きくなっていった。
「……でも、良かった。これで、あなたはもう…………あなたの、なりたい……自分、に…………」
そしてついに、マックイーンは言葉を紡ぐ最中で意識を手放してしまった。
静かな寝息を立てる姿に少し安堵して、アタシは傷だらけの妹を抱きしめる。
「頑張った……っ、よく頑張ったね……マックイーンっ」
その後の対応は非常に迅速だった。
万が一の事態を想定して会場内に待機していたURAのスタッフ達が、意識を失ったマックイーンの身体を預かり、医療施設へと搬送していく。
担架に乗せられた彼女の身体を目の当たりにして……本当に頑張ったんだなと、アタシは込み上げてくる感情が抑えられなくなった。
「ドーベル」
担当ウマ娘の搬送に同行する寸前、マックイーンの担当トレーナーであるアイツがアタシに声をかけてきた。
「…………ねぇ」
アイツが言葉を放つよりも前に、アタシはぽつりと言葉をこぼす。
「こんなアタシでも、なれるのかな……。なりたい、自分に……なれるのかな」
止めどなく頬を伝う涙を拭うのは、もう無駄だった。
「ドーベルは、どんな自分になりたいんだ?」
アタシの隣に立ったアイツが、かつての質問を今一度投げかけてきた。
「……あ、アタシは……っ」
以前は一度、似たような問いに対して返答を濁していたけれど。
赤裸々な本心が剥き出しになった今では到底、自分を偽ることなんて出来なかった。
「──キラキラしたウマ娘になりたかった……っ。ミライみたいな、みんなが憧れるようなウマ娘に……アタシは、なりたかった……っ!」
アタシの口から、ひた隠しにし続けた想いがこぼれ落ちる。
「アタシは……、アタシは…………っ!」
積もりに積もった苦しい気持ちを一緒に吐き出して、心の赴くままに私は叫ぶ。
「──マックイーンみたいな、
夢を語る瞬間のアタシは素直だった。
自分自身を偽ることを知らない、純粋無垢な心を宿してアタシは赤裸々な想いを打ち明ける。
……あぁ。
言っちゃった。
言っちゃったよ。
「──ドーベル」
アイツが不意に、アタシの名前を呼んだ。
アタシと向き合う不躾なアイツは、女の子の泣きじゃくる顔から片時も視線を逸らさない。
剥き出しになったアタシの赤裸々な心が、強かな覚悟を灯したアイツの双眸になす術も無く射抜かれる。
「次は、ドーベルの番だ」
アイツの決意に満ち満ちた言葉が、アタシの心をぐちゃぐちゃにかき乱す。
「君さえ良ければ……その夢をどうか、この俺に預けてほしい」
底知れない指導者としての熱意を宿したアイツの姿を、アタシは知らない。
こんな面倒くさいウマ娘と真摯に向き合ってくれる指導者の姿を、アタシは知らない。
「過去のしがらみも、未来への不安も……走るのに不要なものは、全部投げ捨てて」
ただ、一つだけ分かるのは……。
「──
アイツという人間の本質から止めどなく湧き上がってくる情熱が……あろうことか、このアタシだけに注がれているということ。
……ねぇ。
そんな真剣な目で、アタシを見ないでよ。
「だからさ、ドーベル」
そんな熱烈な声で、アタシを呼ばないでよ。
「──俺の元に、戻って来い」
そんなの。
そんなの……。
「──うん……っ」
勘違い、しちゃうじゃん。
責任、取ってよ…………トレーナー。
***
温もりを運ぶ穏やかなそよ風が、静謐な病室の中に吹き抜ける。
白磁のようなカーテンが静かにそよぐ窓際に立ち、俺はぼんやりと外の景色を眺めていた。
天皇賞(春)が開催されてから実に、一週間の月日が流れた。
現役最強を誇るトウカイテイオーにハナ差二センチという僅差で奇跡の勝利を遂げ、”不屈の名優”として世界にその名を轟かせた俺の担当ウマ娘──メジロマックイーン。
トゥインクル・シリーズの歴史に刻まれた”奇跡の復活劇”。
しかしその代償はあまりにも大きく、満身創痍の状態で俺達の元へ帰ってきたマックイーンは今も、その眠りから目覚めることはなかった。
幸い命に別状はなく、時間の経過と共に彼女は目を覚ますだろうとのこと。
俺はマックイーンが眠るベッドの縁に椅子を置いて、彼女の穏やかな寝顔を静かに見守る。
今日は見舞いの品として、少しだけ物寂しい彼女の病室を鮮やかに彩る、ガーベラの花束を持ってきた。
白磁の花瓶に水を注ぎ、俺はガーベラの花束を丁寧に移し替えていく。
ガーベラという花には、その鮮やかな発色に由来した素敵な花言葉が付けられている。
赤色のガーベラに込められた花言葉は、『いつも前向き』や『限りなき挑戦』。
白色のガーベラに添えられた花言葉は、『希望』や『純粋』。
桃色のガーベラに秘められた花言葉は、『思いやり』や『感謝』。
そして、ガーベラは太陽を見上げてとびきり大きな花を咲かせることから、『光に満ちて』『常に前進』という花言葉を宿している。
花束をすべて花瓶に移し替え、俺は物寂しかったマックイーンの病室にコトンと飾る。
殺風景だった空間が……うん、花束一つで見違えるほど鮮やかになった。
「──とても、綺麗な花ですね」
どうやら、ガーベラの花束は彼女のお気に召したようだ。
「おはよう、マックイーン」
俺は穏やかな表情でこちらを見つめるマックイーンに挨拶して、再び椅子へと腰掛けた。
「あの……私、どれくらい寝ていましたか?」
マックイーンは眠りから覚めたばかりで、どうやらまだ意識がぼんやりとしているようだ。
「大体、一週間くらいかな」
「……そんなに」
微かに目を見開いて、マックイーンは長い間横になっていた身体を起こそうとする。
「…………ぃっ」
しかし、ベッドの上で少し身を捩った瞬間、彼女の表情が苦悶に歪んだ。
「まだ起き上がらない方がいい。今はとにかく絶対安静だ」
天皇賞(春)という大舞台で奇跡を起こしたマックイーンだが……その代償は当然というべきか、非常に大きかった。
レースの最中に発生した、マックイーンの転倒。幸い、奇跡的な反射神経と常人離れした運動能力によって窮地を脱することには成功したが、その過程で彼女は全身を激しく打撲していた。
上手に受け身を取ったことで骨折には至らなかったが、身体に蓄積したダメージは相当な物である。しっかりとしたトレーニングで身体を鍛えていなければ、本当に危ないところだった。
そして、マックイーンの転倒を招く原因となった、道中の不自然な挙動については……。
「……これではまた、振り出しですわね」
無骨なギプスと包帯でぐるぐる巻きにされたマックイーンの左脚を一目すれば分かる通り……残念ながら、彼女は繋靭帯炎を再発させてしまったのである。
マックイーンを担当する主治医達の見解によると、彼女の繁靭帯炎はレースの最中に再発を起こしてしまった可能性が高いそうだ。
足の指先が地面に触れる、ただそれだけで激痛が全身を突き抜けると言われる中で、マックイーンは最後まで懸命に走り切ってみせた。
その痛みは到底、我慢できるようなものでは無いはずだ。
痛みを忘れて夢中になるほどの情熱と執念を宿したマックイーンの偉業は、もはや奇跡という言葉だけでは片付けられないような気がする。
「……無茶しすぎだ。正直、心臓が止まるかと思った」
「……すみません」
結果的には無事に帰ってきてくれたものの、一歩間違えれば大変なことになっていた。
レース直前に俺の”体質”を駆使してマックイーンの体調を把握した際は、特に問題無かったはずなのだけれど……正直、これ以上自身の力を過信してはいけないような気がする。
「本当に……ごめん。俺はマックイーンを、危険な目に遭わせてしまった」
俺は心の底からマックイーンに謝罪して、深々と頭を下げた。
これから俺は、マックイーンを夢の舞台へ送り出した責任を取らなければならない。
それがメジロマックイーンを担当するトレーナーとしての義務であり、彼女を振り出しまで戻してしまった後悔への贖罪である。
「これを俺が言っていいのかは分からないけど……どうか、安心してほしい。俺は必ず、責任を取る」
「せ、責任……」
俺の覚悟を含んだ言葉を、マックイーンが繰り返す。
「俺はマックイーンを必ず、健康な身体に戻してみせる。そしてもう一度、思いっきり芝の上を走らせてやる」
掛け布団の隙間から覗くマックイーンの右手を取って、俺は彼女に決意を語る。
「俺は絶対に、マックイーンの身体を元に戻す。必ず、かならずだ。俺は必ず──自分の決断に責任を取る」
俺は、不安を抱えるマックイーンを心の底から安心させなければならない。
俺とマックイーンは一心同体のような存在であり、鏡写しである。
だから、俺は彼女の身体に綻びがあることを許せない。
「……わっ、分かりました、分かりましたからっ」
「本当か!」
「分かりましたから…………あんまり、ジロジロみないで下さいまし……」
俺はマックイーンに自身の決意と情熱を示す目的で、彼女に対して訴えかけたわけだけれど……どうやらもう、十分伝わっていたようだ。
「……それで、その。トレーナーさんはどうして私の病室へ?」
当人のマックイーンが話題を強引に転換して、俺に疑問を投げかけてきた。
自身の決意を語るためにマックイーンの病室に入り浸っていたことは事実だが、それだけであれば別に、彼女が目を覚ましてからで事足りる。
「ああ、それは……」
俺がマックイーンの病室に足繁く通っていた目的は、彼女が目覚める瞬間を待っていたということもあるが……。
「マックイーンに、渡さなきゃいけないものがあったから」
何よりも一番最初に、彼女に
俺は持参した荷物に腕を伸ばし、とびきり大きな箱を手に取った。
努めて丁寧な所作をもって、俺は瀟洒な箱から中身を取り出す。
「マックイーン」
そして俺は、しばしきょとんとする彼女へ向けて──。
「──おめでとう。これは、
メジロマックイーンが育み続けたありったけの想いが込められた──大きな大きな『春の盾』を贈り届けた。
「…………………………………………ぁ、ぁあ」
春の天皇賞を制覇した者のみに贈呈される、至上の栄光を盾の形に象った唯一無二の宝物。
メジロマックイーンが生涯を捧げてでも叶えたかった──大切な夢。
「私、の…………春の盾……っ。わ、私が叶えた…………春の、夢が……っ」
大きな盾を両手で抱え、マックイーンが微かに声を震わせる。
栄光に満ち満ちた春の盾を食い入るように見つめ、彼女の滲んだ瞳から大粒の涙が滴り落ちる。
「………………ぁあ……、私の……大切な………………夢、が……っ」
そして、彼女は自身の夢が実現した瞬間を噛み締めるように、春の盾を懸命に抱きしめた。
「ありがとう、ございます…………っ」
マックイーンの瞳から溢れるたくさんの雫と共に、彼女の心の奥底に沈んだ未練や後悔が流れ落ちていく。
「本当に……っ、ありがとう…………ございます……っ!」
彼女の頬を止めどなく伝う温かい涙を目にして、俺は思う。
これでもう、マックイーンは大丈夫だ。
***
マックイーンに大切な夢を贈り届ける使命を果たした俺は、目を覚ました彼女の検査の邪魔にならないように病室から退室した。
しばらく手持ち無沙汰になった俺は、総合病院のエントランスに腰掛けて時間を潰していた。
俺は最近、一人でいるとふと物思いに耽ることが多くなった。
三年前に発生した”星の消失”を経て心が壊れる程の挫折を経験し、かつての情熱を失った状態で俺はこの世界に戻ってきて。
たくさんの人に迷惑をかけて、散々後悔を繰り返してきた辛い過去。
……でも。
昔馴染みのダイヤから前へと進む勇気をもらって、鏡写しのマックイーンから過去を振り返る新たな視点をもらったことで。
俺はようやく、自分の後悔にもきちんと向き合えるようになった。
健気な彼女達が支えてくれたおかげで、俺はきっと、これからもっと前へ進んでいくことが出来る。
それはきっと、とても良い傾向だ。
訳ありトレーナーの俺を信じてくれた強かな担当ウマ娘達には、感謝してもしきれない。
「──あ、兄さま!」
そんな感じで感慨に浸っていると、とびきり元気な声音で俺を呼ぶ声がエントランスに響き渡った。
「ダイヤ達も、マックイーンのお見舞い?」
「はい! 先ほど、マックイーンさんが目を覚まされたと兄さまが教えて下さったので!」
「そうか」
左腕に巻いた腕時計で現在時刻を確認すると、午後の授業が終了してからしばらくの時間が経過していた。
俺がマックイーンの病室を後にしてからは、大体一時間程度が経っている。
「ドーベルも一緒なんだな」
俺は腕時計に落とした視線を移し替え、ダイヤの身体に隠れるような形でこちらの様子を窺ってくる担当ウマ娘のメジロドーベルに声をかけた。
「………………まぁ。一応、マックイーンの姉だし」
一週間前。
俺はこぼしてしまった最後の欠片を取り戻すために、元担当ウマ娘のメジロドーベルを説得した。
結果的にドーベルは”戻ってきてほしい”という俺の要求を受け入れ、チームへの再所属を認めてくれたわけだが……。
「………………………………」
「…………えっと」
ダイヤの身体を盾にしたドーベルは、何故だか以前よりも格段と強烈な警戒の眼差しを飛ばしてくるようになった。
「ドーベル」
俺がその原因に心当たりが無いのはきっと、メジロドーベルというウマ娘のことを何も知らないから。
俺はマックイーンが出走した天皇賞(春)を通して、ドーベルが心に抱えるコンプレックスや葛藤を聞き取った。
しかしそれは、メジロドーベルというウマ娘が持つ、たった一つの側面に過ぎない。
俺はまだ、コンプレックスに思い悩む彼女の姿しか捉えることが出来ていなかった。
「……………………な、何よ」
俺は担当ウマ娘のドーベルに対しても、一緒に夢を叶える決意を告白した。
自分が放った発言には、きちんと責任を取らなければならない。
俺はまだ、ドーベルとの関係を振り出しに戻したに過ぎない。
俺はまだ、ドーベルのことを何も知らない。
だから俺は、ドーベルのことを知りたい。
最初の一歩を踏み出すには、とても大きな勇気が必要だ。
でも俺は既に、大切な教え子達からありったけの勇気をもらっている。
勇気を振り絞って関係を進展させることも、きっと成長のひとつ。
「──これから、一緒に頑張ろう」
だから俺は、ドーベルの心からも絶対に目を逸らさない。
「……………………………………期待、してるから」
教え子達の手を借りて過去の未練を乗り越え、俺はついに指導者としての情熱を取り戻すことができた。
かけがえのない教え子達に、大切なものをたくさん貰ったから。
今度は俺が、彼女達にたくさんのものを送る番。
心の奥底に宿した強かな決意があれば、俺はきっと大丈夫。
だからさ……。
俺はもう一度、ちゃんと前へ進むよ──ミライ。
***
一週間ぶりに目を覚ましたマックイーンの検査が終わるまでもう少し時間が掛かるとのことなので、俺は気分転換に外の空気を吸いに行くことにした。
一度ダイヤ達と別れた後、俺は病院のエントランスを出て、広々とした開放的な中庭へ足を運ぶ。
不安や緊張の影響で凝り固まった身体をほぐし、少し散策でもしてみようかなと思った矢先のことである。
「…………ん、あれ?」
俺はふと、スーツのポケットにしまっていたはずのスマホが無くなっていることに気がついた。
どこかに落としてしまったのだろうか。
俺は自身の行動を振り返り、スマホを落としてしまったとおぼしき瞬間を思い出そうと試みる。
おそらくはマックイーンの病室か、病院のエントランスか。
つい先ほどスマホを用いてダイヤに連絡を送っていたため、病院内で落としたことは間違いない。
余程のことがない限りは大丈夫だと思うけれど、念のためすぐに探しに戻ったほうが良いだろう。
俺は一度来た道を引き返して、だだっ広い中庭を後にする。
そして、病院の正面エントランスへ入るために進路を左へ変えた瞬間、
「えっ──」
俺の身体が何かに衝突した。
「きゃっ──」
どうやら俺は、人とぶつかってしまったようだ。その衝撃で制服姿の女性が小さな声をあげて、身体の重心を崩してしまう。
「え、あ、す、すみません……っ」
少し焦っていたせいで、勢いが出てしまったようだ。俺は慌てて女性の元に駆け寄った。
見た感じ、女性は尻もちをついてしまっただけで、怪我を負ったような様子はない。
「だっ、大丈夫で…………、……」
俺は慌てて女性の元に駆け寄り、倒れ込んでしまった彼女に手を差し出して……。
──俺はその光景に対して、強烈な
「あ、あはは……こちらこそすみません。あたしもちょっと、周りが見えていませんでした…………、……ぁ」
トレセン学園の制服を着用した女性は、おしりをさすりながらおもむろに起き上がろうとして……。
「……キタサンブラック?」
俺は、きょとんとした様子でこちらを見つめる顔見知りのウマ娘と──キタサンブラックと視線が交錯する。
このような場所で彼女と出会うのは予想外だった。
「…………あ」
どうして君がここに……と、キタサンブラックへと投げかける前に、俺の口から異なる言葉が飛び出した。
「それって……もしかして、
俺は、キタサンブラックが右手に握りしめるそれ──スマートフォンを見て、一体どうして彼女が……と疑問に思ったが。
「あ、えっと……エントランスのソファーの隙間に挟まっていたのを見つけたんです。それで、トレーナーさんに届けてあげなきゃと思って……」
キタサンブラックはどうやら、病院内で落としてしまった俺のスマホを回収してくれていたようだ。
キタサンブラックは尻もちをついた状態から身体を起こして、持っていたスマホを俺に手渡してくれた。
「ありがとう、助かったよ」
スマホを無くしたことに気付いて一時はとても焦ったけれど、彼女が見つけてくれたおかげでもう安心だ。
「それにしても……よく俺のスマホだって分かったな」
「え?」
俺が使用しているスマホの外見は非常に一般的だ。
特徴的なケースやアクセサリーを付けている訳ではないため、一目で判断するのはとても難しいと思うのだけれど。
「……あ、それは……以前、トレーナーさんが使われていたものと一緒だったので、もしかしたらと思って」
どうやらキタサンブラックは、俺がスマホを操作していた際の記憶と照らし合わせて判断したようだ。
「本当に助かったよ。ありがとう、キタサンブラック」
「い、いえいえ。トレーナーさんのお役に立てたのでしたら、とっても嬉しいです」
そう口にして、俺に微笑みを向けてくれるキタサンブラック。
キタサンブラックは、本当に良い子だ。
キタサンブラックに対する恩義と負い目が複雑に渦巻くせいで、彼女の純粋な笑顔を直視出来ないのが残念だったけれど……。
「そういえば……キタサンブラックは、どうしてこの病院に?」
「ダイヤちゃん達と一緒に、マックイーンさんのお見舞いに来たんです」
「そっか。ありがとう、マックイーンもきっと喜ぶよ」
先程ダイヤ達と会話した際には、キタサンブラックの姿は無かった。
おそらく、途中から合流したのだろう。
「……あの、トレーナーさん」
ここで一度、会話が途切れる。
俯きがちに視線をさまよわせたキタサンブラックが。
やがて意を決したように表情を上げ、俺に向かって言葉を放った。
「──あたし、次は負けませんから!」
それは、キタサンブラックからの
「結果的に皐月賞は三着で、ダイヤちゃんの足元にも及びませんでしたけど……あたし、日本ダービーでリベンジします!」
俺を見上げるキタサンブラックの瞳には、ライバルの打倒に燃える強かな情熱が宿っていた。
今から約三週間後に開催される、クラシックレース第二戦──日本ダービー。
世代の頂点を巡る争いはより一層白熱し、トゥインクル・シリーズに向けられる注目は右肩上がりで上昇している。
情熱に満ち満ちたキタサンブラックの宣戦布告を受けたとなれば。
「それは、負けられないな」
俺も彼女のそれに対して、しっかりと応えなければならないだろう。
「ダイヤちゃんに勝って、日本一のウマ娘になります。菊花賞だって、ライバルには譲りませんから!」
打倒ライバルに燃えるキタサンブラックの熱意は、とても純粋だった。
キラキラとした瞳で夢を語る彼女の姿を見るのは、不思議と初めてでは無いような気がする。そんな風に感じたのは、一体何故なのだろうか。
「ですから、トレーナーさん──」
素敵な夢を抱いた瞳に俺を映して、キタサンブラックが言葉を紡ぐ。
「──あたしのこと、見ていて下さいねっ!」
その瞬間に垣間見せた彼女の表情は、春の訪れを告げるかのような
これにて、episode.2が完結となります。
活動報告の方を更新させて頂きましたので、よろしければ目を通して下されば幸いです。
episode.2完結までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
よろしければ、ここまでの作品を評価して頂けると嬉しいです。今後のモチベーションに繋げさせて下さい。
次回は、幕間 2となります。