相変わらず不定期すぎる更新で本当にすみません。
「──ぉ、おっ、お邪魔します!」
食材が詰まった袋を両手に下げたまま、あたし──キタサンブラックは玄関の前で立ち尽くしていた。
「いらっしゃい。案内するよ、まぁ……殺風景な部屋だけどね」
一足先に部屋の奥へと進んでいくあの人の背中に続こうとしたが、突然の展開に動揺してシューズを上手く脱ぐことが出来ない。
しかしこのまま玄関で佇むわけにはいかないので、あたしは脱いだシューズをいそいそと整え、駆け足で奥に進む。
「ここがダイヤちゃんの言ってた、トレーナーさんの部屋…………ぁ、にっ、荷物はどうしますか?」
忙しなく周囲を見渡す姿は間違いなく挙動不審のそれだが、あたしは何とか平静を取り繕ってトレーナーさんに問う。
「ここのテーブルに置いてくれると助かる……あ、ごめん。少し散らかってたからすぐに片付けるよ」
「分かりました」
トレーナーさんはそう言うと、テーブルの上に積まれていた分厚い本を抱え、部屋奥の本棚に丁寧に立てかける。
彼が読んでいた本は一体なんだろう、瀟酒な表紙とあの分厚さから察するに……アルバムか何かだろうか。
「これで良し……ごめん、お願いできるかな」
あたしはトレーナーさんの指示に従って、両手に下げた荷物をテーブルの上に乗せる。
「ありがとう、本当に助かったよ」
「いえいえ、トレーナーさんのお役に立てて何よりです!」
「朝ごはんが出来るまで少し時間がかかるから、キタサンブラックは一度寮に戻って制服に着替えてくるといい」
「分かりました! すぐに戻ってきます!」
トレーナーさんの指摘通り、今日は何でもないただの平日。トレーナーさんはこれからトレセン学園に勤務だし、あたしも普通に授業がある。
玄関から飛び出す寸前、二度手間だったかも……というトレーナーさんの呟きを捉えたが、あたしは
起床時刻を過ぎた栗東寮へ戻ると、先程までの静寂具合が一転し、授業に向けて身支度を進める生徒達の活気に満ち溢れていた。
自室へ駆け込む途中に食堂の様子を覗いたが、そこは案の定混雑しており、腰を落ち着ける余裕はなさそうだった。
「急いで制服に着替えて戻らないと──」
……あ、やばいっ、今日の教科書まだ準備してなかったっ!
自室に戻ったあたしは大雑把にジャージを脱ぎ捨て、制服に着替えつつ授業に必要な教材をスクールバッグに詰め込む。
途中で更に宿題をやり忘れていたことに気付くあたしだったが、幸いにも提出は午後だから、昼休みの時間にやれば良いかと割り切った。
身支度を一通り終えたあたしは間髪を入れずに栗東寮を出て、あの人が待つトレーナー寮を目指す。
栗東寮からトレーナー寮までさほど距離があるわけではないため、往復にかかった時間は身支度も含めて二十分くらいだろうか。
「──お待たせしましたっ!!」
改めてトレーナーさんの部屋を訪れ、あたしは今一度ローファーを揃えて廊下を進んでいく。
「おかえり。けっこう早かったね」
「はいっ、飛ばしてきました!」
あたしの足音に気付いたトレーナーさんが、キッチンの奥からあたしのことを出迎えてくれる。
彼はすでに見慣れたスーツに着替え、身支度をすでに済ませていた。
そして、白地のワイシャツを料理で汚さないためだろう。その上から可愛らしいエプロンを着用する彼の姿が少し意外で、あたしは思わず凝視してしまった。
「朝食が出来るまで少し時間がかかるから、もうちょっとだけ待っててほしい」
「あの、よろしければあたし、トレーナーさんのお手伝いがしたいです!」
「本当? それはとても助かるよ」
「実家では昔、毎朝母のお手伝いをしていたんです! ここはあたしに任せて下さい!」
「ありがとう、キタサンブラック。エプロン持ってくるから、ちょっと待ってて」
トレーナーさんが部屋の奥にエプロンを取りに行っている最中、あたしはテーブルの椅子に荷物をおいてしばらく待つ。
「お待たせ。サイズは少し大きいかもしれないけど、制服が汚れるといけないから」
「ありがとうございます!」
トレーナーさんからお揃いのエプロンを受け取って、あたしはその場でいそいそとそれを着用する。
当たり前だがこのエプロンからはトレーナーさんのにおいがして、全身が彼の温もりに包まれているような不思議な感覚になった。
トレーナーさんの温もりに包まれている、といえば。
皐月賞のパドックへ向かう直前、緊張でがんじがらめになったあたしを親友の担当トレーナーである彼が強引に抱き寄せて、そして…………。
(──っ!?!? い、いやいやっ、こんな朝早くからなんてことを思い出しちゃってるのあたしは……っ)
あたしは慌てて頭を振って、過去の記憶を払い除ける。
「……? どうかした?」
「っ!? い、いえっ、何でもありません!」
「そっか。それじゃああまり時間もないし、早速取り掛かろうか」
「は、はいっ! そうしましょう!」
あたしはトレーナーさんの背中に続いて、すでに食材が準備されているキッチンに立った。
「これを聞くのは何だか今更って感じですけど、トレーナーさんって料理をされるんですね」
「ああ。生前、父が俺と同じ職業に就いていた時があってね。トレーナーになるなら料理スキルの習得は必須だって、口うるさく叩き込まれたんだよ」
こうして会話をする間も、トレーナーさんは手際よく食材の調理を進めている。
「アメリカにいた頃は、地域の特色でどうしても偏った食事になりがちだったからさ。教え子の食生活を管理している内に、意外と上達してたんだよね」
そういうあたしは現在、トレーナーさんから指示をもらって料理に使う野菜を包丁で切っている。
昔から積極的に家の手伝いをしていて良かったと、あたしは心の底から母さん達に感謝した。
ちなみに、あたし達が今作っているのは日本の家庭で広く普及している和食である。
「……これくらいで良いかな。トレーナーさん、野菜を全部切り終わったので見てもらっても良いですか?」
「分かった……うん、ありがとう。とても良くできてる」
「それは良かったです!」
野菜を切った後、トレーナーさんからグリルで焼いている鮭の様子を確認してほしいと言われたので、あたしは姿勢をかがめて中の様子を確認する。
鮭の焼き時間を計るタイマーが鳴るまで少し時間があるので、焦げている心配をする必要はないだろう。
それをトレーナーさんに伝えると、彼はありがとうと言ってあたしに次の指示を的確に飛ばしてくれた。
「……あ、トレーナーさんって、お味噌汁の味噌は合わせて使う方なんですね」
トレーナーさんは現在、味噌汁に用いる複数の味噌を合わせている最中だった。
「ああ。いっときは一つの味噌だけで作っていたんだけど、やっぱり父に教わったレシピが一番美味しくてさ。教え子も美味しいって言って食べてくれてたから、今はもうずっと合わせて使ってるよ」
そう言いながら手慣れた様子で味噌を溶かすトレーナーさんの姿を見て、あたしはふと思う。
(……そういえば、トレーナーさんの横顔をこんなに近くから眺めたことって、あんまり無かったな……)
トレーナーさんが味噌に対するこだわりについて語る傍らで、あたしはぼんやりと物思いに耽っていた。
(ダイヤちゃんはいつも、こうやってトレーナーさんの顔を見上げてるのかな。遠目から眺めることしか出来ないあたしと違って、こんなに近くで、ずっと……)
時折こうして感傷に浸ってしまう時点でもはやお察しだが…………あたしはいまだ、心の底に多くの未練を抱え込んでいた。
先日開催された天皇賞(春)をきっかけに、前を向いて進もうとする彼らの勇気に感化されたあたしは、自身の未練と決別することを心に誓った。
彼のことは諦めなければならないとそう、心に強く誓ったはずなのに……。
(……やっぱり、
そんなあたしの覚悟も虚しく……過去の憧れに後ろ髪を引かれ続けるこの有様だ。
彼と関係が拗れたのは、今日からちょうど一年くらい前。そして今のあたしは、二週間後に日本ダービーへの出走を控えるクラシック級ウマ娘。
子供の頃の口約束を切り出したとしても今更感が拭えないし、何ならすでに一度玉砕している。
(ミライさんの耳飾りも、まだ鞄に入れたまま……やっぱり心のどこかで今も、”期待”しちゃってるのかな)
トレーナーさんが真横にいるというのに、今のあたしは未練に囚われて上のそ──。
「──キタサンブラック」
「っっ!?!? えええあっ、あぁはい!」
……急に話しかけられて、すごい声をあげてしまった。うぅ、恥ずかしい……。
「少しぼーっとしてたけど、もしかして体調悪い?」
「い、いえっ、そんなことは……っ! ただ少し、その……緊張しちゃって、あはは……」
「あとのことは俺がやるよ。緊張に関しては……すまない、俺がこんな提案したからだ。朝食が出来るまで、キタサンブラックは奥で少し休んでて」
「は、はい……すみません」
何をするにも身が入り切らないあたしでは、ここに立っていてもトレーナーさんの邪魔になってしまうだけだろう。
素直に彼の言葉に甘えることにして、あたしは大人しくテーブルの席に着いた。
(トレーナーさん、意外と家庭的……)
手際よく料理を作る彼の背中を、あたしは特に何かをするわけでもなくぼんやりと眺める。
不意に、キッチンに立つ彼がこちらを振り向いた。あたしは反射的に視線を逸らして、込み上げてきた羞恥心をごまかす。
(……あれ。
その時、足元に落ちたあたしの視線が、隣の椅子に残された一冊の本を捉えた。
瀟洒な装飾が施された分厚い本……手にとって確認すると、先程彼が片付けていた書物と同様のものであることが分かった。
「──ああ、そんなところに落ちていたのか」
「──っ!? す、すみません……っ、勝手に……」
「気にしなくて良いよ。俺が片付け忘れただけだし、中身もただのアルバムだから」
「そうなんですね……トレーナーさんの、アルバム……」
アルバムってことは当然、昔のトレーナーさんがたくさん写ってるってことだよね。
「…………」
ど、どうしよう……すっごく気になる…………。
生唾を飲み込む音が彼に聞こえていないだろうか。
機会を改めたところで、彼に過去の出来事を打ち明けるつもりは無い──というか、そんな勇気はふり絞れない──が、今のあたしはただ単純に興味があるのだ。
一人の女の子として、あたしが知り得ない彼の過去の姿に。
でも、他人のアルバムを勝手に覗くなんて絶対にダメだよね。
プライバシーの塊といっても過言ではない代物を盗み見るなんて、そんなことをしたらあたしは彼に……。
「──気になるのか?」
「えっ!? い、いえっ、そんなことはない……わけでは、ない…………ですけど……あはは」
……あたしの好奇心、トレーナーさんに全部筒抜けだよ……うぅ、恥ずかしい…………。
「少し恥ずかしいけど、キタサンブラックなら俺は全然構わないよ。暇つぶし程度にはなると思う」
「……え」
「俺としてもまぁ……興味を持ってくれてると分かって、嬉しいからね」
そうやって言い残したのを最後に、彼は朝食の準備に戻っていった。
トレーナーさんの許可を得たあたしは申し訳ないが、止まることを知らない。
あたしの知らない彼の姿を少しでも目に焼き付けんと意気込む瞬間はまるで、未開の地を開拓する大冒険を彷彿とさせる。
好奇心の赴くままに、あたしはアルバムへ手を伸ばす。振り返って思えば、もう少し遠慮がちに表紙を捲ることができただろうに。最近のあたし、ちょっとがっつきすぎだよ……。
(──こっ、これは……っ!?)
この場所がもしトレーナーさんの部屋でなければ、あたしは間違いなく絶叫していたことだろう。
アルバムの表紙を捲った瞬間、あたしにとって宝の山と言っても過言ではない光景の数々が飛び込んできた。
アルバムの一ページ目に綴られていたのは、勝負服姿に身を包んだ彼の元担当ウマ娘──ミライさんと彼が写ったツーショット。
おそらく自撮りのような画角で、トロフィーを抱えたミライさんがスーツ姿のトレーナーさんを逃さんと言わんばかりにホールドしていた。
まさか、憧れのウマ娘であるミライさんの姿を拝むことができるなんて……でも、彼の過去の歩みが綴られている以上、ミライさんとの思い出が刻まれていても何もおかしくはない。
……いや、むしろこのアルバムのページを捲り続けると、その編纂を担ったのが誰なのかが明らかになってくる。
アルバムに数多く綴られた写真の周囲には、当時の宝物のような記憶を詳細に刻み込む形で文章が添えられていた。
例えばこの、何気ない日常の中で撮られたトレーナーさんとミライさんの写真。ファッションの一環、あるいはお忍びデートのカモフラージュか。
濃度の高いカラーレンズとつばの長いキャップを被ったミライさんと、相変わらずスーツ姿のトレーナーさんが密着して写るそれに添えられた一文。
『──映画、とっても面白かったね!』
数々の写真と共に刻まれた少女の筆跡は、彼にとってかけがえのない記憶達を鮮明に思い出すための手掛かりとなるだろう。
アルバムを捲るたびに、あたしの口元から自然と笑みがこぼれる。
(トレーナーさんって、こんな風に笑うんだなぁ……)
記憶の欠片たちに映る二人の表情は屈託がなく、文字通りの青春を体現したような笑顔であった。
いつかあたしも、アルバムに刻まれているようなトレーナーさんの表情を見てみたい。不意にそんな衝動に駆られてしまったのは、一体なぜなのだろう。
……邪な煩悩をはらうように頭を振って、あたしはページを捲る手を再び動かした。
そして、アルバムの内容がちょうど折り返しに到達した頃だろうか。
「…………ぇ」
彼の思い出を追うあたしの視界に、ふと、気になるものが映り込んだ。
「ぁ、え…………?」
あたしの意識を奪ったのは、これもまた日常の一コマを切り抜いた一枚の写真。
トレーナーさんとミライさんに加え、二人の少女が飛び入るような形で写り込んでいる。
ひとりは非常に端麗な容姿を持った、プラチナブロンドの碧眼ウマ娘。
そして、写真に映り込むもうひとりのウマ娘は何故か、あたしのよく知る
「──お待たせ、キタサンブラック」
「ひゃっ、ひゃいっ──ッ!?」
トレーナーさんのアルバムに没頭するあまり、あたしは突然飛んできた彼の声に過剰な反応を示してしまう。
「すっ、すみません……っ、急に大声出しちゃったりして……」
「それは大丈夫、朝食が出来たから一緒に食べよう。よかったらそのアルバム、奥の棚に戻してきてくれないか?」
「分かりました!」
彼の指示に従い、あたしはテーブルに広げたアルバムを丁寧に閉じて奥の棚へと近づく。
部屋の本棚には、書籍や漫画の他にも手にしたアルバムと同様の背表紙が複数見受けられる。まるで掘り出し物のお宝を発見したような気分になるあたしだったが、今はそれに手を伸ばす時間ではない。もし叶うのなら、また彼の記憶に触れたいなって思う。
抱えたアルバムを本棚に並べ直し、あたしは足早に彼の元へと戻った。
「あっ、準備、手伝います!」
「ありがとう、助かるよ」
トレーナーさんはすでに朝食の盛り付けを済ましていて、あたしはテーブルに配膳する作業を少しだけ手伝った。
彼の手際の良さに感嘆しつつ、あたしも実家で培ったお手伝いの技術を最大限に活かす。
「結構多めに用意したつもりだけど、足りなかったら言って欲しい」
「いえいえ、十分です! あたし、朝はいつも控えめなんです」
競走の世界に身を置くウマ娘はもれなく、莫大なエネルギー消費に比例する形で食事量が増加する。
以前まではあたしも例にもれなかったが、ここ最近……というか数ヶ月以上にわたって、食欲不振が続いている。
理由はまぁ……お察しだ。
朝食の配膳を全て終えたあたしは、トレーナーさんと向き合う位置に腰掛ける。
「トレーナーさん、料理お上手なんですね。とても美味しそうです!」
トレーナーさん曰く、最近は自身の健康面を意識して、栄養バランスが非常に重視された和食を朝食に選んでいるのだそうだ。
香ばしい焦げ色のついた鮭の塩焼き、綺麗に整えられただし巻き卵を主菜に、こだわりの合わせ味噌を用いた豆腐とわかめの味噌汁、不足気味な栄養素を補うために用意された副菜の数々。
「時間もあまり無いし、早速食べようか。キタサンブラックの口に合うといいんだけど」
「いただきます!」
身体の前で両手を合わせ、用意してくれた箸を手にしてふと思う。
そういえば、和食って確か食べる順番があったような気がする。トレーナーさんの前では極力失礼な姿を見せたく無いけど……うぅ、どうしよう。
「……」
手前に座る彼からはしばしば、あたしの反応を窺うような視線が飛んでくる。このままマナー云々で何も手をつけなければ、それこそ彼に対して失礼だろう。
あたしはとりあえず、左に置かれた味噌汁を手にとり一口啜る。
「……………………ぁ」
「……ど、どうかな」
味の感想を聞くトレーナーさんの言葉に対して、あたしは無意識のうちにこう放っていた。
「──母さんの味がする」
「え、えっと…………?」
「…………あっ、す、すみませんっ! あたしまた、変なことばっかり……っ」
明らかに解釈に困るような感想だよ……あたしったら、緊張しすぎ。
「とっても美味しいです! すごく安心する味で、一口飲むと心が穏やかになるような感じがします!」
「そっか……それは良かった」
「はい!」
「それにしても、母の味か……」
「そ、それは忘れて下さいっ!」
今日のあたしはとんでもない幸運だった。トレーナーさんと一緒にジョギングをして、買い物に付き添って、朝食を一緒に食べて……この短い時間の中で、あたしは彼の知らない姿をたくさん知ることができた。
彼の担当ウマ娘であるダイヤちゃんは、こんなトレーナーさんの一面を知っているのだろうか。当然、知っているだろう。
…………あぁ。やっぱりちょっと、ダイヤちゃんが羨ましいな……。
「……ありがとう、キタサンブラック」
「えっ、ど、どうかしましたか?」
トレーナーさんから唐突にお礼を言われた。むしろそれは、あたしが彼へ贈らなければならない言葉なのに。
「……ぁ、ああいや、なんていうか……誰かと一緒に朝ごはんを食べるのって、すごく良いなって思って」
目の前に腰掛ける彼は、在りし日の記憶に想いを馳せるような眼差しであたしに言った。
「朝から俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。キタサンブラックは……本当に優しいウマ娘なんだな」
「わがままだなんてそんな……むしろあたしの方こそ、ありがとうございます! トレーナーさんの手料理、本当に美味しいです! 毎日でも食べたいくらいでっ……ぁっ」
「ははっ、それは良かった。もしまた食べたくなったら、いつでも言って欲しい」
「す、すみません……うぅ」
……トレーナーさん、その言葉はずるいよ。お世辞だって分かるあたしだから良かったけど、他の女の子だったら絶対本気になっちゃってるよ。
トレーナーさんって意外と、そういうところあるからなぁ。あたしも未練に意識を取られないように、しっかり気を引き締めないと。
……あぁ、お味噌汁美味しい。もっと食べたい。
***
「…………遅いなぁ、キタちゃん」
トレセン学園の生徒達が続々と校門をくぐる中、私──サトノダイヤモンドは周囲の邪魔にならない位置で親友の到着を待っていた。
もうすぐ始業の鐘が鳴る時間だというのに、キタちゃんは一向に現れる気配がしない。
栗東寮の食堂ではキタちゃんの姿を確認できなかったし、もしかして寝坊……でもそれならきっと、同室の子が起こしてくれているはず。
「ちょっと心配、なにかあったのかな」
普段ならとっくに登校しているはずの時間帯だが、もしかしたら誰か困っている人達を助けているのかもしれない。
もし人助けをしているのであれば、担任の先生に対して私が事情を説明した方が良いだろう。
キタちゃんと連絡を取るため、私がスクールバッグからスマホを取り出したその時だった。
「──ダイヤちゃ〜んっ!!」
大きな声で私の名前を呼びながら、制服姿の親友が駆け足でこちらへと駆け寄ってきた。
「ごめんね、ダイヤちゃん。ちょっと、遅くなっちゃった!」
「ううん、大丈夫。この時間なら始業の鐘までに十分間に合うと思うよ。それじゃあ行こっか」
「うん!」
キタちゃんとこうして校門前で待ち合わせをして教室に向かうのは、何だかとても久しぶりだ。
私は先日までメジロ家の療養施設を拠点に活動していたため、親友とふれあう機会がほとんど無かった。
こうして彼女と肩を並べて歩き、他愛のない会話に花を咲かせる……以前までは当たり前だった光景が、今ではとても懐かしいと感じてしまう。
中等部二年に進級しても、キタちゃんと私は同じクラスのままだった。
私達は小学生の頃からずっと一緒だったし、今年も一緒のクラスになれてとても嬉しい。
教室へ向かう途中も雑談は続く。
そして、長い廊下を二人で歩き、教室まであと少しというところで……。
「………………あれ?」
「? ダイヤちゃん、どうかした?」
隣を歩くキタちゃんから一瞬、
さっぱりとした制汗剤のにおいとは別の、とても慣れ親しんだ落ち着く匂い……。
「……あ、ごめんダイヤちゃん。あたし、もしかして汗くさかった?」
「ううん、全然そんなことないよ……ごめんね、私の勘違いだったみたい。もうすぐ鐘もなっちゃうし、ちょっと急ごっか」
「うん!」
私達は小走りで廊下を進み、教室の中へ静かに駆け込む。
教室に到着してからしばらくして、始業の鐘が学園中に鳴り響いた。
「──みなさん、おはようございます。朝のホームルームを始めますので、席に着いて下さいね」
私はなるべく目立たないよう素早く教室内を進み、自分の席に腰を下ろす。
担任の先生による出席確認が行われる中、窓際席の私はその外に広がる景色をぼんやりと眺めながら先程のことを振り返っていた。
キタちゃんとの会話の中では思わず誤魔化してしまったが、あの一瞬に感じた匂いにはやはり……心当たりがある。
(キタちゃんから一瞬、
まぁ、これに関しては深く考えても仕方のないことだし、私の勘違いに過ぎない可能性も十分にありえる。
不確かな疑問をわざわざ本人に聞くのは気が引ける。それに話題が話題だし、相手に対しても失礼だ。
そんな経緯でふとした疑問を頭の片隅に追いやり、私は午前の授業に集中するのであった。
よろしければ、お気に入り登録や高評価を何卒お願いいたします。感想もお待ちしています。