喰種な人々   作:真夜中120

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ハジマリ

 爪を突き入れ、肉を抉る。

 むしゃぶりつき、嚥下する。

 飲み干すように、喉を潤す。

 

 深夜、静まり返った狭い路地に冷たいアスファルトに横たわる男と、それを貪る2つの小さな影。あたりには鼻をつくような濃い血の匂いが漂っていた。

 2人の子供喰種(グール)にとって久しぶりの饗宴だ。しかしそれは長くは続かない。

 

 招かれざる、闖入者だ。

 

「寄越せ、ソイツは俺の獲物だ」

「い、いやだ、こいつは僕らが仕留めたんだい。横取りするな!」

 

 子供喰種の前にゆらりと立つ1人の男。裂けた口元、細長い眼、男の被る白い仮面に描かれたソレは、狐を彷彿させる。

 

 子供喰種は知っていた。その闖入者が此処、22区を1時的に牛耳っていることも。

 巷では”妖狐”と恐れられている強大な喰種であることも。

 

 そして、常に連れているカピバラを何よりも愛する〝変態〟だということも。

 

「そーか、そりゃよかったな、どーでもいーから早く寄越せ、俺の可愛いピー子ちゃんが腹減ってんだよ。それに今此処、22区じゃ俺がルールだ」

「そんなの知らねーよ! 大人が子供から獲物とって恥ずかしくねえのかよ!」

「全然、第一俺らに年齢とかって関係ないし。あと10秒な、数え終わってもそこにいたら、潰す」

 

 闖入者はあくまで冷静に、そして不条理に裁定を下した。

 

「この人でなし!」

「人じゃねーしな」

「この変態!」

「否定はしない」

 

 子供がどんなに罵詈雑言を叫ぼうと、狐の仮面を被った招かれざる闖入者はどこ吹く風だ。気にも留めずに残り時間を数え始める。

 

「横暴だ!」

「1ヶ月ぶりの食事なのに!」

「変態狐!」

「あんな毛むくじゃらのために!」

 

 片方の少年が何気なく放った暴言に、ピタッ、とカウントダウンが止まった。

 

「今なんつった……?」

 

 ゾワッ、と身の毛のよだつような感覚を少年達は感じた。同時に自分の喉元にノコギリのように鋭い幾百もの歯を突き付けられているような、絶対的な圧力。

 

 喰種の本能がこの存在に警鐘を鳴らす。いつの間にかその闖入者の背後には9本の金色の赫子が蠢いていた。

 

 夜空を見れば大地を遍く包み込む満月が輝く。闇夜の月明かりを受け金色に光る、その姿はまるで伝説の九尾のようであった。

 

「妖狐……」

 

 少年たちがとちらからつかずに、そんな言葉を漏らした。

 

「もう一回だけ聞く、今なんつった?」

「ひっ……」

「ぁ、え……」

「「……ご、ごめんなさい~っ!」」

 

 2人の子供喰種は同時に背中から煌くような光を放つ羽を出現させ、叫びながら夜の街に消えて行った。

 麟太郎はそれを眺め、ため息をつく。

 

「……全く、ピー子ちゃんの可愛さが分からないとは、可愛そうな奴らだ。そんなんだから強くなれんのだ。おっと……ほ~ら、ピー子ちゃん、お食事ですよ~。食べかけですが新鮮な肉ですよ~。ど~ぞ、好きなだけ召し上がってくださいね~」

 

 一瞬で赫子を消すと、威圧感など幻であったかのように、傍らの愛しきカピバラに向かって話しかける。その猫なで声は先ほどの子供喰種が聞いたら、別の意味で身の毛をよだたせるような、そんな声だった。

 しかし麟太郎にそんな自覚はない、至って真面目だ。

 

「うむ、くるしゅうないぞ、麟太郎。妾はお腹ペコペコなのじゃ」

 

 いつの間にか取り出した、ごく普通の買い物袋にそのカピバラは入っていた。そこからひょこっと頭を出し『妖狐』麟太郎の呼びかけに対し、さも当たり前かのように答えたのだ。

 そのカピバラ―――ピー子ちゃんはひょいと買い物袋から飛び降りると、ひょこひょこと歩いて、食い荒らされた成人男性の遺体に近づき、口を付け――、“丸呑み”した。

 

 文字通り吸い込まれてしまったかのように、もう既にそこに遺体はなく、あたりに幾ばくかの血痕が残るばかりだった。

 

「ふぅ~、お腹いっぱいじゃ。妾寝る、麟太郎おやすみー」

「は~い、おやすみなさ~い」

 

 そう言うとピー子ちゃんはタッ、と軽快にジャンプして麟太郎の持つ買い物袋に戻ると、すぐに寝てしまうのだった。

 

「もー、可愛いなぁ、ピー子ちゃんは」

 

 そう言いながら買い物袋の中で丸まったピー子ちゃんを愛おしそうに撫でる。ザラザラとしながらも、程よくひんやりして滑らかだ。

 麟太郎はその毛並みを撫でるた度に言い知れない充足感を得て、顔をほころばせた。

 

 しかしその姿を目撃し、心底気持ち悪いといった表情をしながら麟太郎を睨んでいる1人の喰種がいた。

 

「お、美弥じゃねえか、この前の会議ぶりだな。お前も見たいか、ピー子ちゃんのこの愛らしい寝顔を!」

 

 気配に気づいた麟太郎は顔を上げ、闇に溶け込む同族に呼びかけた。黒を基調とした服装がその喰種の隠密性に一役買っていたが、麟太郎には関係がない。

 

 呼び掛けられた喰種は美しい顔を歪ませ、麟太郎を見る。そしてショートにまとめられたその艶のある黒い髪をかきあげると言う。

 

「気持ち悪いから、話しかけてくんな。 いや、マジで」

「そんなこと言って実は見たいんだろ? 遠慮すんなって」

 

 そう言いながら麟太郎は美弥にずんずんと近寄っていく。それに合わせるように美弥はじりじりと後ずさった。

 

「おいおい見ないと後で後悔するぜ?」

「絶対しねーから、遠慮する」

「チッ、しゃーねーな、ボス命令だ。見ろ、そして愛でろ、撫でろ!」

「くっ、クソが! 何でこんなのがウチらのボスなんだ……ッ!」

「へっへっへ。ほらボスの命令が聞けないのかぁ~? 幹部、”黒鬼”の美弥さん?」

「お、覚えてろよ……っ! 私がボスになったらお前を即追放してやるからな!」

「おーおー、できるもんならやってみろ」

 

 美弥はおそるおそるといったふうに、ピー子ちゃんに向かって手を伸ばす。ついに手が触れるとビクッ、と一瞬震え、それから恐る恐る毛並みをなぞるように丁寧に撫でた。たっぷり10秒ほど撫でると、ふふん、と鼻を鳴らして手を離す。

 

「ほ、ほら、撫でたぞ」

「ああ、オーケーだ、よくやった。にしてもなんでそんなにピー子ちゃんのことを怖がるんだ?」

「怖いに決まってんだろ、そんな得体の知れない生き物! カピバラなのに喋るし、人間食うし!」

「いや、お前だって食うだろ」

「そいつの場合文字通り“丸呑み”するじゃねえか!」

「まぁ、それは……ピー子ちゃんだし」

「知るか! とにかく得体がしれねえんだよ!」

「チッ、なぜこの可愛さがわからないか……」

 

 麟太郎はそう毒づく。しかしそれ以上の追求はできなかった。

 

 ゾワっと、首筋の体毛が逆立つ。

 それは喰種の本能的な危機察知能力。美弥と話す麟太郎の背中に明らかに殺意を乗せた視線が向けられている。

 

 麟太郎の経験上、この後、十中八九戦闘になる。喰種の本能が、殺気を感知し注意を喚起しているのだ。美弥も気づいているようで、面倒くさそうに顔を歪めている。

 

「ボス、任せるからよろしく」

「こういう時だけ素直にボスって認めんな」

「ボス、さっさとやっちゃってください」

「だからな――」

 

 擦り付け合いをしている時間はないらしい。

 暗闇の中で電灯の光を反射し何かが閃くと、一条の直線を描きこちらに飛んでくる。着弾点は麟太郎の右眼だ。

 麟太郎は反射的に首を傾け回避し、赫子を展開する。次の瞬間には麟太郎の背後に9本の金色の赫子が出現する。内3本がうねり空気を鳴らしながら、敵が潜む暗がりを抉った。コンクリート塀がいとも容易く崩され、襲撃者の姿を街灯の下に晒す。

 

 特徴的な白のロングコートを身に纏い、慄然と立つ。両手には小振りな投げナイフを持ち、眼光は鋭くこちら眼鏡の奥から虎視眈々と隙を探している。

 

 ――――かなりの使い手だ。

 

 その落ち着き払った姿勢、戦場においても冷ややかな表情、そして何よりこちらを実験動物を見るかのように観察する瞳。

 

「CCGかよ」

 

 CCG――通称“白鳩(ハト)”は強大な力を持つ人類の天敵、喰種に対抗するため人間側が結成した組織であり、喰種に対する人類の旗印だ。常に戦闘、科学技術ともに進化を続け、数多の喰種を屠り続けている。

 

「捜査官様が何の用だよ?」

 

 麟太郎は問いかける。しかし返事の代わりに飛んできたのは、喰種の肉を抉ることが可能な数少ない武器の1つ、クインケである投げナイフだった。

 

 舌打ちをしながら横跳び―――赫子をアスファルトに突き刺し急旋回し、素早く前進、2本の赫子を叩き込んだ。

 ―――しかし浅い。後ろに跳んで回避された。間髪いれずに捜査官の手元のナイフが閃く。

 

「っ、これだから遠距離型は……!」

 

 麟太郎は捜査官に向かって、前傾姿勢のまま倒れこむように一息に前進した。遠距離型のクインケは近接戦闘になれば、戦闘力が一気に落ちる。

 

 ―――彼我の距離5メートル弱。

 

 今度は4本の赫子がそれぞれ別の角度から空気をうねらせ、一気に捜査官へと殺到した。避けるような隙はない。対人戦闘経験が喰種の中でも飛び抜けて多く、数少ない遠距離型捜査官との戦い方を熟知している麟太郎だからこそできた攻撃だった。

 

 終わった、と麟太郎が確信した1手。しかし予想は裏切られる。

 

 その純白のロングコートを金色の赫子がえぐる直前――捜査官は身体能力で圧倒的に勝る喰種である麟太郎に向かって、あろうことか前進したのだ。

 紙一重で赫子をかいくぐっている。同時にその背中から取り出されたのは、人の首程度なら簡単に落としてしまえそうな、一振りの大鉈――

 

「っな!」

 

 捜査官は前進した勢いを得物に乗せ、麟太郎の首元に向けて振り下ろした。空気が切り裂かれる轟音と共に、鈍色に光る刃が麟太郎に迫る。

 

 ――ザリッ、と肉が切り裂かれる音が響いた。

 

 捜査官の大鉈は麟太郎の首元を守る赫子に半ばまで切込みを入れ、止まっていた。麟太郎は動きの止まった獲物に対して、容赦なく残りの赫子を差し向ける。

捜査官は大鉈から素早く手を離し、後ろへと跳んだ。

 ――しかし麟太郎の追撃は止まない。赫子によりアスファルトの地面が次々と抉られ、飛び散った。

 

「いい加減っ、やられろ!」

 

 捜査官は答えることもなく、麟太郎の赫子を次々と避けていく。

 麟太郎は必然的に赫子の追撃は速度を上げていった。

 

 捜査官が赫子を避けながら、ナイフを投擲する。麟太郎は避けずに、1本の赫子を使い自身の右目に向かい一直線に軌跡を描くそれを防ぐ。

 

 ――――しくじったっ!

 

 防いだ瞬間麟太郎はそう悟った。

 

 麟太郎は投げナイフを防ぐことで、一瞬だけ自身で視界を塞いでしまった。場を動かずに追撃するように誘導されていることに気が付かずに。

 

 捜査官は瞬時に麟太郎との距離を詰める。次の瞬間、麟太郎が見たのは開いたロングコートの内側から取り出された一振りの短刀――

 

 それは鮮やかな軌跡を描きながら、麟太郎の首元へと吸い込まれ、

 

 ――バキンッ、と音を立て粉々に砕け散った。麟太郎のTシャツの襟元からひょこりと顔を出した、艶やかな毛並みを持つ1匹のカピバラ(天使)によって。

 

「ほわっ!?」

 

 捜査官が鉄皮面を崩し、素っ頓狂な声を上げた。確実に首を落とす角度、タイミングで叩き込んだ攻撃が、1匹のカピバラによって止められ、あろうことかCCGの技術の結晶であるクインケが噛み砕かれた(・・・・・・)のだ。

 

「ナイスだ、ピー子ちゃん!」

 

 麟太郎は目の前の白服を睨む。

 

 ―――――がら空きだっ!

 

 あまりに理解不能な事態に捜査官の動きがほんの一瞬だけ止まっていた。その一瞬は1秒にも満たない、ごくごく僅かなコンマ数秒の世界。しかし先程までの身のこなしを考えると、その一瞬の意味はあまりにも大きい。

 

 麟太郎の金色の赫子が月下のもとでうねり、敵を抉る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……逃がしたな」

「そーっスね、捜査官一人倒せないなんて、ボス弱くなった? もしかして老衰ですかぁ?」

「うっせ、俺はまだ18だ」

 

 見るも無残に崩れたコンクリート塀を見る。

 

 結局、ピー子ちゃんが作ってくれた隙に叩き入れた1撃は脇腹の皮を少しばかり削る程度に終わった。その後すぐ、手の内が割れ、劣勢と見た捜査官はすぐに逃走してしまった。

 

 1分前に行われていた攻防を反芻する。

 下っ端捜査官なら初めの1手で決まっていても、おかしくはなかった。

 

「……面倒なのが来たもんだ」

 

 これは早くも、また地区を移動する必要があるかもしれない。

 

 ―――――と、

 1つこちらに近づいてくる気配を感じた。考えなくとも感覚で分かる、同族だ。しかもよく見知った匂い――。

 

「ショーか」

「正解です、ボス」

 

 アッシュブロンドの長髪を揺らしながら現れた男はカラカラと笑いながら答えた。

 その右手には丸型の何かが無造作に掴まれている。

 

「食わねえのか?」

 

 美弥がショーに尋ねる。視線はショーの右手へと注がれている。

 

 握られていたのは――首半ばから切断された哀れな人間の成れの果て。血に濡れた、誰とも知れぬ男の頭部だった。

 

「ワタクシは眼球しか食べませんので、それ以外はどうぞ」

 

 ―――そういえばショーは眼球しか食べない、筋金入りの偏食家だったな。

 

「相変わらずの偏食だな、そんなにうめえか?」

「それはウマいに決まっているでしょう。口に入れる前から鼻腔をつく芳醇な香り、柔らかくもコリコリとした歯応え、何より真ん中の瞳の部分を最後まで舌の上で転がす際に広がる、蕩けるような甘味。なんと甘美なことでしょう!」

「あー、わかったわかった。とりあえずくれ、腹減ってんだ」

 

 美弥は面倒くさそうに顔を歪めると、右手を差し出した。その上に無造作に死人の頭が放られる。見れば眼球だけキレイに抜き取られていた。

 

 麟太郎はその行為を無感情に眺めながら問う。

 

「一般人か?」

「いいえ、CCGですよ。先程人気のない場所に1人で突っ立っていましたので、早急に処理しておきました」

「そうか」

 

 美弥に放られた男の頭部を横目で確認する。

 

 どうやら先程の手練れではないようだ。

しかし1夜に2人も捜査官を見る事は珍しい。基本奴らは群れて動く、22区で何か作戦行動が行われていた可能性が高い。

 

 麟太郎は今一度ショーの方を見る。

 くちゃくちゃ、と幸せそうに食事を楽しんでいる。身長はかなり高く、190センチは超えているだろう。しかし太いわけではなく、むしろ細く長い手足と彫りの深い顔は西洋人を彷彿させる。

 美弥と同じく麟太郎の部下であり、仲間であり、麟太郎達の“団”の幹部だ。

 

 まぁ、どうでもいいことだな。

 みんな今日も変わらず、平常運転だ。

 

「そろそろ、帰るぞ。かなり騒いだからな、そろそろ人が来んだろ」

「ワタクシは食事はゆっくりと楽しみたいタイプなんですが……仕方ありませんね」

「じゃあ早く帰ろうぜ、ボス」

「言ったな? ならホームまで競走だ。負けた奴が向こう1週間分の食事確保係、ちゃんとピー子ちゃんの分まで獲ってこいよ、いいな?」

「何と!? それは負けられません。美弥さん、眼球は潰さないで残していおいてくださいね」

「何で私が負けること決まったみたいに言ってんだよ!? 後で吠えずらかくなよショー!」

「じゃあよーい、ドン!」

 

 寝静まった街に屍喰らい達の足音が響く。

 

 ――――結局吠え面かいたのは美弥でした、ちゃんちゃん。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――CCG、22区喰種対策本部。

 

 昼間にもかかわらずシャッターが降り、完全に閉め切られたその部屋には、1つの長机を挟み数人の男達が睨み合っていた。既には場には剣呑な空気が漂い、一触即発の様相を呈している。

 有馬特等捜査官の部下である平子は、眼前で筋骨隆々の男から発せられる威圧感に、冷や汗を垂らしながら耐えていた。

 

「…………で、今回の落とし前、どうつけてくれるんだ? 有馬特等捜査官様よぉ」

「………………」

「おいおい、だんまりは頂けねぇな。こっちは大事な後輩が1人食われてんだよ、キレイに首から上だけ引っこ抜かれてなぁ………ッ」

 

 眼鏡越しに対面の席を観察しながら、表情1つ動かさずに口を閉ざす有馬に、語りかけた男――六道准特等が苛立ち声を荒げた。

 六道は趣味が筋トレ、生き甲斐が喰種退治、というなかなかにおかしな人種だが、その手の人間はCCGでは珍しくはない。情に厚く、規則を遵守する姿勢から、上司からの信頼もそれなりに厚い。

 

 そんな人物に自らの上司が責め立てられている状況。これは平子にとってもいい展開ではない。

 慌てて仲裁に入る。

 

「ま、まぁ、六道准特等捜査官、そんな喧嘩腰にならずに……まずは話し合いを――」

「そんな悠長なことやってられっかッ。俺はなッ、前からコイツのことは気に入らなかった、だがな、22区対策本部(ココ)に配属されても、仕事は仕事だと割り切って一緒にやってきた。だから部下だって預けた! それなのにこの馬鹿はな、そいつを置いて逃げやがったんだぞ!」

「逃げてはいない。強大な喰種の気配を察したため、その場に置いて向かった。ただそれだけだ」

「それを逃げているって言うんだよ!」

 

 ガタンッ、と椅子から立ち上がり怒鳴りつけた六道を見て、隣に座っていた六道の部下が慌てて宥めにかかる。

 

「抑えてください、六道さん。まずは状況を整理しましょう。有馬特等、もう1度状況を詳しく説明してくださってもよろしいですか? 『強大な喰種の気配を感じたから、そちらに向かった』だけでは流石にこちらとしても納得ができない」

 

 それはそうだろう、と平子は横目で鉄皮面を貫く己の上司を盗み見た。その涼しげな顔には、少しの焦りも感じられない。

 そんな自分の上司を見ていると、平子はなぜか自分が焦っているのがだんだん馬鹿らしく感じられてきた。

 

「構わないよ、何度でも説明をしよう。まず最近喰種の活発化が案じられていた22区を私と君の部下で見回っていた」

「光井上等捜査官だ。情の厚いいい奴だった」

「そうか、すまない。その――三井上等との見回り中、急に近くで強大な喰種の力の高まりを察知した。事態は一刻を争う可能性があるため、重い甲赫のクインケを持つ三井上等に待機を言い渡し、私は現場へと走った」

「―――そんでRCC1200超えの鱗赫“首刈り”は何とか回収したものの、尾赫の短刀“隼”を破損し、貴重な遠距離型クインケである投げナイフの“サソリ”も数本無駄にして、脇腹に1発貰っただけで、おめおめ逃げてきたと。そういうことか?」

「―――――そうだ」

「ふっざけんじゃねぇ!」

 

 ついに六道が遂にキレた。

 しかしそれも無理からぬことだろう、と平子は思う。自分の上司には人を宥めるための態度、説明、何もかもが足りていないことを理解しているからだ。

 

 しかし平子は、こんな何を考えているのか分からない人間だろうが、自分の上司が、こと戦闘に関しては凄まじい技量とタフネスを誇ることを知っていた。骨身に染みてそれだけは理解していた。

 

 しかしそれ故に訝かしむ。

 平子はこの事態が発生してから、六道の部下が殺されたことで話に上がらなかったが、ずっと気になっていたことを尋ねる。

 

「有馬特等、その戦った喰種はどんな奴だったんですか?」

「“妖狐”だ」

 

 有馬は何でもない事を言うように、ただ平然とそう言い放った。

 

 その発言に会議室に居た全員の時が止まる。

 

 たった数人しかいない部屋に一瞬とも永遠ともつかない帳が降り、涼しい顔をしている有馬を、他全員が呆気にとられたような表情で見た。

 

 沈黙を破ったのは六道がドサッ、と倒れるように椅子に腰を下ろす音だった。

 その音で思考を取り戻した平子は聞いてし(・ )ま(・)っ(・)た(・)責任を取り、自分の上司に再度問いかける。

 

「“妖狐”というのはあのSSS級の……?」

「そうだ」

 

 ―――バカなのかこの人は、それが平子の有馬に対する正直な思いだった。

 

 “妖狐”、その名前はただの1喰種の枠組みを超え、人々に恐れられる。強力な鱗赫を多数操り、卓越した戦闘センスで確実に獲物を仕留める。単体での戦闘能力も、数多の仲間(喰種捜査官)を屠り続けたことからさることながら、この喰種には特別な『肩書き』が存在する。

 

 それがこの23区に1つしか存在しない、喰(・)種(・)の(・)み(・)で(・)構(・)成(・)さ(・)れ(・)た(・)傭(・)兵(・)団(・)――――通称、流離う死神(イモータルバット)。数多くの強力な喰種が所属し23区中を荒らす、喰種と人類、両方から畏怖されるその異様な集団の頭目。それが金色の赫子を持ち、月下に現る狐の仮面を被る喰種―――”妖狐”の正体だ。

 

 なぜそれを早く言わない、それが会議室にいた有馬以外の全員が思ったことだろう。SSS級相手に1人で相対した場合に逃走することを、責める人間などいない。むしろ五体満足で帰還したな、と褒められるべき場面だ。

 

 部下を置いて一刻も早く向かったことも、褒められるべき判断だ。SSS級に無闇に力を使われれば、人的被害は計り知れない。いや、100点満点の対応はそこで応援を呼ぶことだが、『力の高まりを察知した』など曖昧な理由で応援など呼べるはずがない。

 

 ――――つまり自分の上司は一瞬で最高の判断を下し、最高とは言わずとも十分納得の行ける結果を残していたのだ。

 

 平子はその事実を確認して、大きくため息をついた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 結局、六道達は釈然としない顔をしながらも、自分たちの業務に戻っていった。

 平子は自分に与えられたこじんまりとしたデスクの前に腰掛け、珈琲をすすっている。

 

「ふ~。いや、なんつーか……」

 

 横目で上司を見る。有馬は何時もどおりの澄まし顔で報告書をまとめている。

 

 図太いのか、ただ戦闘以外のことに鈍いだけなのか、どちらにせよ自分はこの人のことを一生理解できそうにないと、そう思う。

 

 トイレに行こうと席を立ち、有馬の後ろを通る際にふとパソコンを覗く。そこには全体的に茶色の体に、なんとなく白っぽい体毛を持つ、リスを巨大化し少し不細工にしたような動物が、パソコンの画面いっぱいに引き伸ばされて写っていた。

 

「何見てるんすか」

 

 思わず声をかけてしまう。

 

「ああ、タケか。コイツはな“カピバラ”と言うらしい」

「そすか」

 

 そういうことを聞いているのではない、平子はそう言わずにトイレへと向かう。

 理解しようとしても無駄、ということが十分に理解できたからだ。

 

「……かわいいな」

 

 平子の耳に、そんな声が聞こえたような気がした。

 




 やったね麟太郎、仲間ができたよ!
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