私の彼が歌ってばかりいる件について。   作:厠坂

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第4話「馬鹿は死なないと治らない」

 

 

 俺の仮初の脳みそを、先刻の声が木霊する。鼓膜に直接、貼り付けられたのかとでも思えるほどに反芻される機械的な声に、俺は僅かながらの既聴感があった。

 

 このゲームにダイブした目的は、とあるプレイヤーを探すこと。その名前は、死銃、デス・ガン。GGOというゲーム内で、その人物が持つ銃によって撃ち抜かれた者は、現実でも死亡するという。実際、二人の死亡者が出ているとは聞かされたが、ナーヴギアでもない、アミュスフィアに人間の脳を焼き切るほどのパワーが出力できるわけがないし、その二人の死因は原因不明の心不全で、脳からは何の異常も発見されないときた。単なる偶然ではないかとも思うが、ゲーム内で発砲されたタイミングと死亡の日時がピタリと被るため、そうとも言い切れなくなってしまった。本当に仮想世界の内側から現実の肉体を殺せるのか、はたまた別の方法で殺しているのか。それとも、単なる偶然か。それを探るために、デス・ガンに接触し、話を聞いてみるというのが、菊岡という胡散臭い男が俺に託した役目だった。

 

 俺だって快く承諾したわけではない。接触するだけと言えば幾分か聞こえはマシだが、その実、ちょっくら死銃とやらに撃たれてもらってきてくれよ、という話だ。死銃の噂が真実であると1パーセント程度しか考えていないとしても、一般人が知り得ない情報をまざまざと耳にぶち込まれた後では、足が動かなくもなる。

 けれど、GGOの開発運営であるザスカーは、海外にサーバーを置いている。会社の所在地どころか、電話番号やメールアドレスすら非公開で、コンタクトは実質不可能であるらしく、そのため死銃のプレイヤーログの解析はできない。しかも、死亡した二人はGGO内でかなりの実力者だったらしく、生半可な腕では死銃の攻撃対象にすらなれないだろうとのことだった。

 GGO内での実力者とはつまり、各プレイヤーが支払っている毎月三千円の接続費用、それが還元されたゲーム内で金を稼ぎ、それを現実世界の電子マネーに変換するという形で生活しているトッププレイヤーということになる。他のプレイヤーからすれば、自分達の払った金で暮らしている恨めしい野郎ということになる。今回の事件の発端は、この恨みなのではないだろうか、という考えも俺にはあった。

 

 何をどれだけ考えても仕方がない。気にならないと言えば嘘になるし、俺はしっかりとした身体的サポートのある場所からフルダイブしている。

 それに、ゲーム内から人を殺す。かの忌まわしい二年間を引き起こした張本人の顔が浮かんでくる。あの男が目指した世界の、ほんの切れ端が未だにここにあるのだとすれば。

 それを見届ける義務が、俺にはあるような気がする。

 

 そうした得体の知れない感覚に突き動かされた俺は、先程、たった数時間で死銃と思われる人間に接触できたのだ。

 けれど同時に、無視のできない状況が出来上がってしまった。

 ゲームの内側から人を殺せるという死銃が、今は亡き世界の血の色を、さらに濃くしてみせた集団の残党というのならば、俺は運命を呪うしかなかった。

 

 ベンチに腰をかけた威織の肩からは力が抜けて、だらんと腕が垂れ下がっている。両腕に装着したガントレットの重さに耐えかねているのだろうか。

 そんな彼の横で、俺は未だに何も言えてはいなかった。

 

 俺にとって、イオリというプレイヤーは特別だった。死を存分に内包した狂った世界で、彼は手放しに尊敬できる人物のうちの一人だった。優しく、動じない。そして、彼の振るう大鎌は全てを両断していった。強さを体現したような人物で、その背中に注がれる期待は俺一人分のものだけではないに違いなかった。

 そんな重圧とも呼べる視線に晒されながら、それでもイオリは歩幅を変えずに進んでいく。最終到達点は現実への帰還で、その道中に如何なる障壁があろうとも、彼は涼しい顔をして歩いていくに決まっている。

 誰もが、俺だってそう思っていた。

 

「俺が、やらなきゃ」

 

 ごく小さい声で呟かれた文章が、俺の心の臓と背筋を嘲笑うみたいに突き抜けていった。こんな気持ちは二度と味わいたくなかったし、味わう機会は忌まわしくも懐かしい、ふざけた世界に置いてきたはずだった。

 それが訪れてしまった。出会ってしまった。こんな広い世界で、数あるゲームの中で。あろうことか、最も顔を合わせてはいけない者同士が、互いを認識してしまった。

 

 俺はある種の失敗を犯した。威織はこのゲームで活躍してはいるが、髑髏マスクは今まで確信を持ててはいなかっただろう。それは、SAOでは大鎌を握っていたイオリとの戦闘スタイルの乖離により、それぞれを結びつけることが最終的にできていなかったからだ。

 けれど、俺は馬鹿みたいにかつての名前で、銃の世界で剣を使い、ソードスキルまで再現してしまった。さっきの野郎は俺の存在で、威織の正体にまで勘付いてしまった。

 俺が、勘付かせてしまった。

 

「やらなきゃ」

 

 再度、低い声が響く。仮想の空気を伝達する振動が、やけに鼓膜を突き刺す。脳に侵入して、全身の自由を奪っていく。

 俺は何を言うべきだろうか。

 

 思い返せばイオリは常に一人だった。俺にはクラインがいて、エギルがいて、アスナがいた。何度も躓きかけては、何度も誰かの手を借りていた。

 イオリには誰かいたのだろうか。俺たちからの重圧を受けながら、躓かずに進むための支えが、彼にはあったのだろうか。

 イオリは強い。立ち止まらない。下を向かない。優しく、脅威は全て退ける。

 それは、そうあるべきと周囲が無意識に彼に課していた役割なのではないだろうか。

 だから、イオリは突き進んでしまった。間違った方向に行こうという彼の隣には誰も居なくて、ただ無責任に、後ろから押す者だけが大量だった。

 

 笑う棺桶、ラフィン・コフィンの存在は異質そのものだった。食うのに困窮したプレイヤーが多対少で理不尽なトレードを要求したり、麻痺毒を用いたりするような事件は、SAOがサービスを開始した初期から存在していた。しかし、HPを0にしてはいけない、人間を殺してはいけないという不文律は暫く破られなかったし、これからも破られないだろうと考えられていた。いや、そんなことは当たり前すぎて、考えらることすらされなかった。

 

 けれど、ひとりの悪魔の出現によって、それはいとも簡単に破られてしまった。《PoH》という名前はろくに知られておらず、そのファンシーな響きからは、彼が三カ国語以上を操るマルチリンガルであり、端正な容姿を持ち、攻略組ですら手を焼く実力者であり、そして最悪の殺人者であるとは誰もが予想できないだろう。

 彼はその純悪たるカリスマで急速に、周囲の価値観を塗り替えていったのだ。その男に乗せられたプレイヤーたちは、殺人を犯すことに躊躇いを持たなくなった。三十人にも膨れ上がった凶悪な者たちは、ついに小規模なパーティを惨殺するという事件を起こす。

 それから情報屋を営む複数のプレイヤーに、悪名高い、かの笑う棺桶が誕生したことが告げられた。一人で抱え込むには大きすぎる爆弾を送られた情報屋を媒介に、その名前は轟くことになる。悪、闇、恐怖、死の象徴として。それはもはや、SAOというシステムに対する恐怖をも覆い隠すほどに、直接的な暴力へと変貌していった。

 

 その情報は当然、攻略組にも届いていた。野放しにはできないという声が大半ではあったが、俺たちの知っていることは笑う棺桶というギルドが設立されたということだけ。彼らがどこに潜伏しているのか、構成人数は何人なのかという情報すら、その当時は持ち合わせていなかった。無闇に探したところで、先に向こうに嗅ぎつけられでもすれば、大損害を出すことになってしまう。

 

 動けない俺たちが、次々と犠牲者の確認がされている中で、ただ手をこまねくだけの日々に辟易としていたとき。ひとりの見知った、俺の知る限りでは最高の情報屋が、僅かな恐れと驚愕を孕んだ瞳で俺に告げた。

 

「やりやがっタ」

 

 と。

 

 彼女からの情報を、俺は初めて信用しなかった。信用できなかった。信用したくなかった。震える膝を無視して彼に会いに行った。嘘だと、間違いだと言って欲しかった。

 今になって思えば、それも俺の願望に他ならなかったのに。

 

 イオリは淡々としていて、いつもと変わらない様子で、けれど寒気のすることを言っていた。あまりの衝撃で断片的にしか覚えていないが、「強くはなかったが、躊躇いが無いからやりにくかった」「忠誠心が無いから情報をいくつか手に入れられた」「俺がやらなきゃ」という言葉は憶えている。

 その翌日、笑う棺桶の構成人数が三十人程度だということと、そこから二人が減ったという情報が発信された。

 

 そして、イオリの攻略参加が認められなくなった。

 

 俺は否定できなかった。名前も知らない、攻略組の誰かの言葉に、俺は何も言えなかった。あの去っていく鎌を負った灰色の背中に、俺は声を投げられなかった。

 

 それから、定期的にイオリの名前が笑う棺桶の文字と並んで情報として飛び交うようになった。

 彼を知らない者は、それを英雄的行動だと言った。彼こそがヒーローだと持て囃した。持ち上げた。

 俺は一度だけ、彼が攻略組から実質的に追放された後にイオリを見たことがあった。ずっと以前に突破された中層に、俺はとあるクエストのクリア条件を満たすために訪れていた。時間は夜、索敵スキルのおかげで急なモンスターの襲撃にも対応できるという考えだった。

 

 俺はクエストをクリアすることができなかった。条件を達成していないのにも関わらず、中層から俺は逃げ帰った。

 目にしたのはモンスターではなく、森の中で赤く奇しく光る大鎌が、人間を両断する瞬間だった。何が起きているかは、直感で理解できてしまった。

 

 ポリゴンとなって消える直剣使いを見下ろしていた彼は、俺に気が付いて視線をこちらに向けた。

 そのときの瞳の色を、何と形容すればいいのだろうか。黒だとか漆黒だとか、そんな言葉では足りない。

 

 アインクラッドは百の層が積み重なって巨大な建造物を構成している。そのため、次の層が覆いかぶさって、外周でなければ空を見ることは叶わない。見上げれば、そこにあるのは常に黒く冷たい次の絶望である。

 例えるなら、彼の目はまさにそれだった。希望のない、どこまでも続く闇。底の無い穴が眼球に空けられたような、全ての光を飲み込むブラックホールのような。

 とても、英雄の眼ではなかった。

 

 そして、俺は最後に、聞いた。

 なんの変哲もない、CMで流れていたから誰もが口ずさめるようになった曲だったけれど、俺は確かに聞いた。

 

 その場所で。暗い森で。人が死んでいる場所で。人が殺された場所で。人を殺した人間が。無表情で。黒い目で。歌っている。口はほとんど動いていない。他には何も聞こえない。歌っている。人を殺した人間が、歌っている。

 歌いながら、殺している。

 

 

 

 

 

 帰還して政府が用意した特別支援学校に同い年であるはずのイオリの姿が無いことは、残酷にも予想できていた。学校生活の中で時折、誰かが彼の噂をするのを黙って聞いていた。もう関わることはないだろうと思っていた。

 

 けれど、この世界でアカウントを売ってくれというやつに続いて、二番目に声をかけてくれたプレイヤーは、かつての彼と同じ現れ方をした。アバターの顔は違っていたが、その話し方と雰囲気で、一目で彼だと分かった。俺は、彼をどう思っているのか、自分のことながら曖昧だった。未だに恐れているのか、それとも。

 そんなふうに警戒して接触した威織は、驚くほどに、攻略組にいたイオリのままだった。まるで、あの夜の姿は幻覚だったとでも言うように、強く優しい姿がそこにはあった。

 それなのに。

 

「キリト」

 

 威織がはっきりとした声を上げたのと、控えフロアの扉が開いてブルーの髪が揺れるのが見えたのは、ほとんど同時だった。彼女は俺たちを見つけて、軽い足取りで近づいてくる。その表情に不満や悔しさの類は滲んでいない。初戦で勝利を収めて、それを俺たちに誇らしげに報告したいのだろう。

 俺は彼女になんと言えばいいのか。そう迷っていると、威織は続けて言葉を紡ぐ。

 

「言うな」

 

 彼の方を向けない。おそらく、彼も俺の方を向いてはいない。氷点下のように冷たく痛い声色を、俺は冷や汗を流して受け入れるしかなかった。

 

「勝ったよ」

 

 少しだけ口角を上げるシノンと目が合わない。威織を見ている。

 

「何か、あった?」

 

 俺は驚いた。彼女は威織の雰囲気だけから、俺たちがただ待ち惚けていたわけではないことを察知してみせた。かつての宿敵に相対した彼は、それに気付いたことを悟らせないほどの無表情だったというのに、シノンは一瞬で看破した。

 

 しかし、何があったかを答えるという選択肢は威織には無く、やはり俺にも無い。それは威織の言圧に従わされただけでなく、この事実をただゲームを楽しんでいるだけの少女に告げることなどできるはずがないという、俺の中の常識と理性による判断でもあった。

 

「初戦突破おめでとう」

 

 威織は抑揚なく、そう言った。その言葉が欲しくて歩み寄ってきたはずなのに、ペールブルーの髪の少女は酷く辛そうな顔をした。理由は分かる。隠されたからだ。自分は目の前の男の何かを共有できるだけの人間ではないと、暗に突き放されているようなものだから。

 

 申し訳ないと思うし、自分が情けないとも思う。けれど、これだけは情に流されておいそれと口に出すわけにはいかない。それだけの事件がGGOで起きている。

 

「二人も勝ったんだね。おめでとう」

 

 端麗な顔に浮かんだ暗い表情は一瞬で失せ去り、シノンは少しだけ笑ってみせた。

 第一印象からして、俺は彼女のことを頭が良い人間なんだろうと思っていた。勉強ができるとか知識が豊富だとか、そういう種類ではない。何かを鋭く感じ取れるタイプの人なんだろうと。

 実際、シノンは今、自分に向けられた僅かながらの拒絶を感じ取ったにも関わらず、そうしなければならない事情が威織にあると考えたはずだ。だから、あまり深入りはしてこない。

 

「本戦に進めるのは各ブロック二人だけだから、あなたたち、決勝で会わなきゃいけないんだよ」

 

 そうだった。俺の目的は死銃に会うことだ。そして、さらに言えば、死銃はSAOサバイバーだと判明した。GGOの内部情報にはアクセス不可能だが、SAOならば可能だ。死銃の目的は、菊岡の話を聞くに自分の力を誇示すること。ならば、その絶好の機会たるBoBには必ず出場していて、決勝に上がってくると考えるのは間違っていないはずだ。

 決勝の舞台でSAO時代の名前を聞き出し、それを報告すれば、現実世界での本名が判明する。そうすればプレイヤースキルだとか圏内特殊障壁だとかいうシステムが関与しない、現実で本人に話が聞ける。

 

 いや、それ以前に、今すぐ威織から死銃の名前を聞き出せないだろうか。威織が髑髏マスクの中身に覚えがあり、そのSAO時代の名前までもを知っているとすれば、俺の目的はこの場で達成できる。

 それをすれば俺はこれ以上の戦いをせず、菊岡から数十万単位の報酬を頂くことができてしまう。あとは、こんな錆び臭いゲームからおさらばして、華やかな妖精たちの国に帰ることだってできるのだ。

 

 けれど、俺は、自分の中に渦巻く予想外の感情に困惑していた。目的達成は目の前だと言うのに、心臓が、右脳が、左脳が。体の末端までもが言うことを聞いてくれそうにない。

 この場にはシノンがいる。彼女を想う威織の気持ちは、ほんの少しの時間だけしか供に行動していない俺でも理解できる。だから、過去の泥とも呼べる罪に纏わりつかれていても、健気にシノンを守ろうとする威織の意志は尊重したい。

 

 これは罪滅ぼしだろうか。俺の単なるエゴだろうか。あのとき、イオリの黒い瞳から逃げなければ、彼は引き返すことができたのだろうか。

 それはSAOにダイブしなければもっと幸せだっただろうかという問いに似ている。俺だけじゃなく、俺の仲間や、きっと威織も考えただろう。

 もう、そんな仮定には意味がない。どれだけ考えたところで、それは起こってしまった。水は溢れてしまった。もう返らない。いくら考えても時間なんて戻らないのだから、あの時こうしていればは、もう辞めることにする。

 

 今、死銃の名前だけ聞いて去るということは、逃げるということだ。あの夜の森と同じことを繰り返して、威織を孤独にさせてしまうということだ。

 馬鹿は死なないと治らないというが、俺はどうやら死銃に撃ち殺されるまでもなく、治り始めているらしい。

 

「決勝まで上がってこいよ、威織」

 

 そう言って彼の方を向くと、威織は顔の角度はそのままに視線だけをこちらに寄越していた。

 やはりあの目をしている。ぽっかりとした空虚な穴は、本当に俺を見ているのかすらも怪しい。

 

 お前はどこに立ってるんだろう。どこを歩いているんだろう。何を見て、何を聞いているんだろう。俺の想像なんて及ばないほど、深くて険しくて、恐ろしいところに立っているんじゃないのか。

 お前は俺の手なんて望んでなんかいないのかもしれない。お前は長い間その場所で過ごしてしまったから、戻ろうなんて気力すら起きないのかもしれない。

 

 でもさ、疲れただろ。そこは息苦しいだろ。

 お前に何が分かるんだって言われても仕方がないのかもしれない。けど、お前の見てる世界の入り口に足をかけた程度かもしれないけど、俺だって知ってるんだ。

 

 なあ、イオリ。俺もひとりだけ殺したよ。

 吐き気がした。泣きたくなった。死にたくなった。それでも俺には寄り添ってくれる人がいたよ。勝手な考えで悪いけど、俺は、お前にとってのその人がシノンなんじゃないかなんて思うんだ。

 

 本当は彼女がお前を抱きしめてくれたらいいんだけど、お前が大切にしたいって言うから、今は俺で勘弁してくれないか。

 だから、とりあえず。

 

「全力で戦おう」

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