シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
失礼しました。
予約投稿ミスってしまい、通常投稿してしまいました。
急ぎ消しましたがもしタイミング悪く見ていた方いたら申し訳ありませんでした。
毎日投稿はいったん終了とし、また書き溜め期間を取らせていただきます。
またしばらくお待ちください。
毎回多くの感想ありがとうございました。
相変わらず返信滞っておりますが、全てに目を通り励みとさせていただいております。
「マ゛チ゛タ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ン!!」
「タ゛ア゛ア゛ア゛ホ゛オ゛オ゛オ゛!!」
制止する暇もなく、号泣するツインターボが柵を乗り越えターフへと飛び込んでいった。
一瞬躊躇うも、ターフの真ん中で泣きながら抱き合う二人にやがてイクノディクタスとナイスネイチャも続いていった。
ついにはトレーナーの南坂までもがターフへと乗り込んでいく。
止めるべき警備員も彼女たちを止めようとしない。熱にあてられた他の観客が後を追うこともない。
この一勝のため、カノープスがどれほど長い時間をかけてきたのかを知っているからだ。
「イ゛ク゛ノ゛オ゛オ゛オ゛!! ネ゛イ゛チ゛ャア゛ア゛ア゛!! 私、私ぃぃいい!」
「タンホイザさん、おめでとうございます。素晴らしい走りでした。」
「あ゛り゛か゛と゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!」
「あーもう泣き過ぎだって。チケゾー先輩になってんじゃん。私だって泣きたいのにこんなんじゃ泣けないよ……」
「た゛って゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!」
「おめでとうございます。ついに努力が実りましたね」
「ト゛レ゛エ゛エ゛エ゛ナ゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
空に響くマチカネタンホイザの泣き声。観客からやがて拍手が沸く。
抱き合うカノープスの姿に涙を浮かべる者もいる。
何度目かの天皇賞(秋)。今年の盾は、長く努力を続けた者の元へと渡ったのだった。
◆
「ごめんなさい。ライス負けちゃった……」
帰ってきたライスの言葉は謝罪だった。
私はそっと彼女の頭を撫でる。
何を言うべきか。三着でも立派、復帰初のGⅠとしては十分。
違う。彼女に必要なのはそんな慰めではない。
「ありがとう。無事に帰ってきてくれて」
片膝を着いてライスと目線を合わせる。キョトンとした目と目が合った。
凍ったように動かない君でなく、瞼を閉じた君でなく、地面に横たわる君でなく、物言わぬ君でなく。
熱を持ち、こちらを見て、自分の足で立ち、負けた悔しさに目を潤ませ、唇を噛み締める君を出迎えることができた。
それが、なによりも嬉しい。
気づけばライスを抱きしめていた。彼女の熱が、鼓動が、私の胸に伝わってくる。
間違いない。夢でなく、ライスは無事に帰ってきてくれたのだ。
「悔しいな……」
「……うん」
「次は勝とうな……」
「……うん!」
私はどうにも欲深い人間だ。さっきまでライスが無事に走ってくれればと思っていたのに、それが叶ったら勝たせてあげたいと思うのだから。
マチカネタンホイザとエアグルーヴの差は気持ちの問題だった。ミホノブルボンとの再戦を意識するあまり、ライスの執着はレースから少し外れてしまった。
実力に大きな差はない。
次は勝つ。身も心も万全な状態で。
「………これ、エルたち蚊帳の外デス?」
「エル。空気読みましょう」
◆
「マスター、お願いがあります」
「エリ女やジャパンCには出さんぞ」
先手を切られ、ミホノブルボンは閉口する。
「走りは悪くなかった。しかし、疲労はやはり誤魔化し切れなかったな。ベストなお前ならもう少し粘れた。それに……」
サングラスの下で、黒沼の瞳が光る。
「どちらにもライスシャワーは出ないぞ」
痛いところを突かれたとミホノブルボンは思った。
今日のレース、必要以上にライスシャワーを意識していた。いつもなら、真っ先にゴールすることしか頭にないのに。再戦できたことへの昂りか、彼女の動きに終始目が向いていた。
「……彼女のトレーナーから聞いたのですか?」
「勘だ。あいつは負けをすぐ取り返すより、万全を尽くして得意なレースを選ぶ。そういう男だ」
「では、春まで休養ですか?」
年明け以降の冬にもレースはある。しかし芝のGⅠはなく、出遅れたジュニア級や、クラシック級の前哨戦、秋シーズンで結果を出せなかったシニア級が春のGⅠ出走権獲得を目的としたレースが多い。
すでに復帰からGⅠ含めて重賞を複数勝っているミホノブルボンが狙うレースは少ない。
「そうだな。有馬記念に出れそうなら出てもいいが……」
黒沼がニヤリと笑う。
「どうせ長距離GⅠに出るなら、中山より京都のほうがいいだろう?」
ミホノブルボンがハッとする。トレーナーの意図に気づき、口角を上げていく。
この二人は年末のグランプリに大きな意味など見出していない。
つまるところ、次の目標は、
「……天皇賞(春)!」
「ああ。次はバクシンオーみたいな理論は通じん。きっちりと、3,200m走り切れるよう仕上げていくぞ」
「はいマスター!」
敗北を引きずることなく、サイボーグと呼ばれたウマ娘は次の舞台を見据えていた。その胸に、消えない熱を抱いたまま。
◆
「バクシンッ!!」
気づいたとき、サクラバクシンオーは控室の天井を見ていた。
上体を起こすと冷えタオルが落ちてくる。見れば脚や手にも同様の物が巻き付いていた。
「まだ寝ていた方がいい。なにせ、ゴールすると同時にぶっ倒れたんだ」
「……トレーナーさん」
声の先を見ると、椅子に座ったトレーナーが優しく、いや辛さを誤魔化すように笑っていた。
「私……負けたんですね」
「五着だ。初めての中距離GⅠで掲示板に乗れた。凄いことだ」
トレーナーの言う通り、十六人出走中の五着なら誇っても良い戦績でもある。が、勝ちに来た以上到底喜べる順位ではなかった。
「短距離やマイルを走っていて分かってはいました。同じ重賞でもGⅠは空気も展開も違うと」
「ああ……」
「ですが2,000mを一度勝った以上、今回も勝てると……決して無謀な挑戦ではないと思っていました」
サイレンススズカの大逃げ、背後を意識しすぎてのスタミナの消耗。中距離の経験不足からのペース配分ミス。敗因を上げればキリがない。
「そう思って挑んだ結果が、このザマです」
足に力が入らない。熱のこもった痛み。折れてこそいないが、限界を超えた走りで炎症を起こしているのだろう。少なくとも残りの秋シーズンは休養だろう。
全て自分の夢のためだ。後悔はない。しかし、トレーナーはどうだ。
ウマ娘の意思を尊重したとしても、無理な挑戦で壊したとトレーナーを責める者は少なくない。
「珍しく落ち込んでるな。バクシンオーらしくない」
だというのに、トレーナーは気にする様子もない。
自身の風評を気にするどころか、こちらの様子ばかり気にしている。
「……こんな格言を知ってるか?」
トレーナーが唐突に切り出した。
「桜の花が散るのは朽ちたからではない。翌年にまた綺麗な花を咲かせるための準備に入っただけなのだ」
「……初めて聞きました」
「ああ、俺が今考えた」
「ちょわ……っ」
「ははは、悪いな。ちょっとからかってみた。
……でも、気持ちは本当だ」
「気持ちとは……?」
「君はこれで終わるようなウマ娘じゃないってことだ。
……今は休もう。そしてまた来年、秋の桜を咲かせに来よう」
「また、来年……秋……それは」
それはつまり、
「私は……まだ挑戦してよいのですか? 中距離に、秋の天皇賞に!」
「当たり前だろう。君が挑戦したいと思うなら、俺も全力で応援する。そう、約束したからな」
快活な桜が描いた夢は果てしなく、険しい。
それでも朽ちることなく挑むのだろう。
咲こうとする姿がを応援するものがいる限り。
◆
「期待に応えられず申し訳ありませんでした」
「頭を上げて。貴女が謝ることじゃないわ。」
チームルームで頭を下げるエアグルーヴに東条は言った。
エアグルーヴの走りに問題はなかった。敗因を捻りだすなら気持ちの差か。
彼女にとって今日のレースは古豪との闘い、そしてクラシック級以来のGⅠ。周囲からの期待も大きかった。
(エアグルーヴにとって、視線を向けるものが多かった……)
とある人物が、レースを童謡のウサギとカメの競争に例えたことがある。
走力で勝るウサギがカメに負けたのは、ウサギがカメを見ていてレースへの意識が欠いていたからだ。対してカメは競争相手のウサギではなくゴールを見ていた。
レースに対する姿勢や意識の重要性を説いたものだが、エアグルーヴはその実力と注目度からウサギになってしまい、そしてマチカネタンホイザはカメだった。
どんな状況でも、意識をレースから逸らさず、自分の走りを尽くしたからこそ彼女は勝った。
中距離経験の薄いバクシンオー、復帰後初のGⅠだったライスシャワー、ライバルを意識しすぎたミホノブルボンも圧倒する、長く走り続けたことで培った経験値の差だった。
「今年のメンバーで二着なら大健闘、なんて言っても納得しないでしょう」
「当然です」
「じゃあ次のレースを用意するとしましょう。雪辱の舞台は、ジャパンカップ」
「……! ルドルフ会長が勝った国際招待競走ですね。受けて立ちます」
エリザベス女王杯は日程的に近すぎる。コンディションの調整時間を考えての次走、そして女帝たらんとするエアグルーヴが立つにふさわしい舞台としては最善だ。
「では帰ったら早速調整に入りましょう。
そして……スズカ」
「はい」
これまで眠ったように黙っていたサイレンススズカが目を開けた。
その瞳に宿る熱に、東条は嫌な予感を受けた。
普段のスズカは全体的に受け身というか、あまり強い要求をするタイプではない。だが、今の彼女には確固たる意志のようなものを感じた。それが、どうにも東条には不安だった。
「今日のレースで分かったでしょう。貴女の逃げ足は天性のものだけれど、それだけではレースには勝てない」
序盤で大逃げをかましたものの、後半は失速し、結果は六着。
古豪たちのすぐ後ろに着く順位だが、大逃げさえなければもっと上につけたというのが東条の見立てだった。
「逃げを選ぶしかないウマ娘もいるけど、貴女は違う。今からでも先行や差しの戦略に切り替えれば――」
「トレーナーさん」
東条の言葉を遮るサイレンススズカにエアグルーヴが目を丸くした。
リギルでトレーナーの発言に割って入るものなど滅多にいない。それこそ付き合いの長いナリタブライアンや、闘争心の高いヒシアマゾンくらいだ。積極性の薄いサイレンススズカが人の発言を遮るなど予想外だった。
「それについて、お話があります」
嫌な予感が当たったと、東条は奥歯を噛み締めた。
数日後、未だ世間が善戦ウマ娘と呼ばれたマチカネタンホイザの初GⅠ制覇に沸く中、ある情報がトレセン学園のトレーナー間で駆け巡った。
「サイレンススズカ、リギル抜けるってよ」
◆
チーム・リギル。日本のウマ娘レースにおいて初の三冠ウマ娘を輩出したことから始まり、歴史が長く、実績も伴ったトレセン学園最強と呼ぶことに誰も疑い持たない名門チームだ。
強いウマ娘を育てた実績から名家出身の才媛が集う。故に名家との繋がりもあり、支援を受けた結果としてトレーニング内容も充実していく。そして恵まれた環境で鍛えられたウマ娘たちが成果を出す。そこからまた名が上がる。実績が実績を呼ぶ、良いサイクルができていた。
時代の中で浮き沈みすることもあったが、少なくとも今代のチームトレーナーである東条の評価は高い。
一見厳格な印象を受ける東条だが、その実チーム所属のウマ娘からの信頼は篤い。外からは分かりにくいが、彼女を尊敬こそすれ、畏怖するチームメンバーは少ない。
実際、独自に入団テストを行い入ることすら厳しいとされるリギルだが、成果が出せず放逐されるようなウマ娘はいない。
無論、想定外の負傷や家庭の都合、レースへの熱意の消失など、引退という形でチームを去る者はある程度いる。しかし東条の方から力不足を理由にチームを脱退させるような真似はしなかった。
自分の目で見出した以上は最後まで面倒を見るというのが東条の信条。杓子定規な指導でなく、ウマ娘一人一人に真っ向から向き合い、個々にあった指導をする姿勢が、嫉妬や僻みでなく、羨望と尊敬を集めていた。
そんなリギルからのサイレンススズカの脱退。引退ではなく、指導方針の食い違いからの脱退の噂は、情報収集に努めるトレーナー間だけでなく、年頃故の好奇心旺盛なウマ娘たちにもあっという間に広がった。
当事者たちに詰め寄るようなことこそしないが、学園内は暇さえあればその話題で持ちきりだった。
「これはチャンスだね」
学園の食堂にて、ライスシャワーの瞳が怪しく光った。
「ライス先輩、悪い顔してるデース」
「エル。あなたも人のこと言えない顔をしてますよ」
テーブルを囲むチーム・マルカブの三人。彼女たちの話題も他と違わずサイレンススズカだった。
公の場でこんな話題は避けるべきだが、食堂は昼時のため他のウマ娘たちでごった返している。
この賑わいでは、ウマ娘でも聞き耳を立てることも難しい。ヒトを隠すはヒトの中とはよく言ったものだ。
「ですが、先輩の言う通り好機です。デビュー済みでクラシック級なれど目立った実績は無し。他のチームとの競合も無さそうですし、メンバー不足のマルカブに誘うのにピッタリかと」
チームの指導方針、特色などの都合からチーム間の移籍は決してないわけではない。
しかし今回の騒動、サイレンススズカにとっては不利であった。
個々に合わせた、言ってしまえば万能な指導を敷くリギルを抜けるというのは、ウマ娘側の気性を疑われる。加えてデビューを済ませながらも目立った実績がない彼女を好んで勧誘したがるトレーナーは少数だろう。
仮にいるとすれば、リギルよりも優れた指導をしてみせると豪語する大うつけか、至急追加メンバーが必要な零細チームくらいだろう。
「しかし、どうしてサイレンススズカ先輩はリギルを抜けるなんて言い出したのでしょう?」
「やっぱり前の天皇賞(秋)じゃないデス? 大逃げには驚きましたが、後半には失速していました」
「ううん。あれは多分、リギルのトレーナーさんの指示じゃないと思う」
大盛カツカレーに匙を入れるライスシャワーに、二人の視線が向く。
「そうなんデスか?」
「ライス先輩は、あの大逃げがサイレンススズカ先輩が自分の意志でしたものだと?」
「うん。リギルのトレーナーさんは、ライスもそんなに話したことはないけど、無茶な指示をする人じゃない。少なくとも、途中で失速するような走り方をさせる人でも鍛え方をする人でもない」
「んーだとすると、どうしてサイレンススズカはあんな大逃げを?」
「多分だけど、あれがスズカさんの好きな走り方だったんだと思う」
「好きな……」
「……走り方?」
そう、とライスシャワーは半分ほどになったカレー皿を脇に置いて、トマトサラダ(大盛)を前に持ってくる。
「走り方には色々あるよね。逃げに先行、差しに追込み。そこから自分の適性に合わせたり、器用なウマ娘はレースごとに走り方を決めるよね。
……でもあと二つ、走り方を分けることができるんだ」
匙を動かし、角切りのトマトを掬いあげる。
「一つは勝つための走り。
ライスのマーク走法、ブルボンさんのラップタイム走、ルドルフ会長の中団からの先行差し、マックイーンさんの周りのスタミナを削るハイペース。適性の都合もあるけど、レースに勝つために選んだ走り方。
そして……」
トマトを頬張る。咀嚼し飲み込んだのち、付け合わせのマッシュポテトを指す。
「二つ目は好きな走り。
マルゼンさんの桁違いのハイスピード走、ダイタクヘリオスさんの楽しそうな爆逃げ、ミスターシービーさんの迫力ある直線一気。
この人たちは勝つことよりも自分が一番自由に、活き活きと走れるやり方を重視している」
「つまり、ライス先輩の読みではサイレンススズカは後者なんデス?」
「多分、だけどね。だからリギルの方針は合わないと思ったんじゃないかな。あそこはみんな凄い人たちだけど、だからこそ勝ちへの執念も強い。自然と前者のウマ娘が集まるチームだから」
「なるほど……」
自分が楽しい走り方、と言われてグラスワンダーは考える。
自分の差し、エルコンドルパサーの先行も適性から選んだもの。勝つために見出した走り方だ。窮屈と思ったことはないが、だからと言って特別その走りが楽しいと思ったこともない。
推測とはいえ、サイレンススズカの考え方は自分にはない視点だった。
「ということは、その点を踏まえて勧誘できればチームに入ってくれるかもしれませんね」
「君が自由に走る姿は実に美しい! もっと! ずっと! 見ていたい! ぜひ、私のもとでその走りを磨いてみないか! ……みたいな感じデスね!」
「エルさんから見てお兄さまってそんな感じなの……?」
どうスカウトするかはトレーナー次第だが、ライスシャワーには一抹の不安があった。
サイレンススズカが逃げを好み、東条がそれをさせなかったと推測して、果たしてマルカブのトレーナーは逃げをさせるだろうか。
サイレンススズカが強く望めば、きっと許すだろう。だが一方で懸念もある。
逃げは周りに合わせたペース作りができないため、勝ちが安定しないことに加えて脚への負担が他の脚質に比べて大きい。事実、ケガにより戦線を離れる逃げウマ娘は多い。
リスクの多い走りを、当人が望んだからと言ってさせるだろうか。そして万が一のことがあった時、トレーナーは耐えられるだろうか。
(ううん。何かあったとしても、ライスが……ライスたちがお兄さまを支えればいいんだ)
弱かった自分はもういない。孤独だったチームには頼もしい後輩たちがいる。なら、きっと乗り越えられる。
そう信じて、ライスシャワーは三つ目の皿に手を伸ばした。
◆
突然の雨に襲われたコースは酷いものだった。
歩くだけで飛沫が上がり、ズボンの裾を冷たく濡らす。傘や合羽で雨を弾いても、僅かな隙間から水が入ってくる。
水はけが良いはずの芝コースですら水たまりができるのなら、きっとダートコースは沼地になっているだろう。
「こりゃしばらくはジムで筋トレかな」
「雨や不良バ場での練習もしたいが、いくらなんでもこれじゃ悪すぎる」
午後のトレーニングに向け、共にコースの下見にやってきた同僚たちが思い思いの言葉を吐く。
いずれも暗く、鬱蒼した声だった。
「経験を積む前に風邪をひいてしまうな」
かくいう私が漏らす声も似たようなものだった。
メニューの組直しは必須。問題はこの雨がいつまで続くか。いつコースが渇くか。
最悪、今週分全て練り直しだろう。
室内トレーニングは器具の競合が激しい。プールか、もしくは座学のレース研究が妥当か。半日くらいはジムが使えると良いが。
「おい、あれ……」
ふと、トレーナーの一人がコースの向こうを指さした。
顔を上げる。
視線の先、雨の向こうで動く影が見えた。前に進む体に合わせて揺れる尾。
トレセン学園でコースを走るものなど一つしかない。ウマ娘だ。
「こんな雨の中で……」
レースが雨天で行われる場合はある。だから雨の中でトレーニングすることもある。しかし自主トレとはいえこの天候でのジョギングなど、体を壊すだけだ。
その場にいたトレーナーたちの視線が交錯。口に出すまでもない。満場一致で止めることにした。
担当トレーナーがいたら申し訳ないが、体調を崩せば管理不行き届きとなるのだから大目に見てほしい。
ウマ娘用の広いコースを横断することは一苦労だと思ったが、向こうも走ってくるので合流にそれほど時間はかからなかった。
黒い雲の下、ウマ娘の輪郭がはっきりするにつれて私たちの脚が鈍っていく。
その姿をはっきりと視認した時、思わず声が出た。
「サイレンススズカ……?」
今学園を騒がす、栗毛の迷い子だった。
◆
我がことながら刹那的に生きているな、とサイレンススズカは思った。
天皇賞(秋)が終わった直後、リギルのトレーナーである東条と指導方針で対立した。
いや、対立だと語弊がある。自分が一方的に我儘を言って、それに呆れた東条が頭を冷やせと暇を出しただけだ。
とりあえず、やることもないので走ることにした。
学園では妙な噂が広がっているようだが、元来他者からの評価に大して関心のないサイレンススズカには些末なことだった。もっとも、リギルのトレーニングに参加しなくなったことが、件の噂が学園に広まった一因なのだが、当の本人に自覚はない。
だが、リギルを離れることになっても悔いはない。
天皇賞(秋)、ミホノブルボンよりも、サクラバクシンオーよりも前を走った時の快感、高揚感。閉塞した牢獄に風穴が空き、鬱屈とした空気が爽やかな風で吹き飛ばされるような気持ちだった。
結果としては失速からの六着と散々だったが、それでも彼女にとっては迷いを晴らす意義あるレースだった。
東条の指導が間違っていたとは思えない。それは彼女が育て上げていた数多のスターウマ娘たちが証明している。だからズレているのは自分。致命的に、東条の方針と自身の気性が合わなかっただけ。
「これからどうしようかしら……」
リギルを離れるのは、まあいい。しかしミホノブルボンやサクラバクシンオーのトレーナーの元へ行くのは躊躇われた。どちらもチームでなく専属である以上、前任と喧嘩別れするような自分が入るのを快く思わないだろう。
なにより、合わないとはいえ面倒を見てくれた東条への義理もある。暇を出されて即別のトレーナーと契約ではいくらなんでも薄情だろう。
「よく考えたら、私ってデビューしてからなんの成果もあげてないのよね……」
同期のシーキングザパールにタイキシャトル、メジロドーベルやマチカネフクキタルはついにGⅠウマ娘だ。つい先日も食堂でお喋りした級友が、随分と遠くへ行ってしまった気がする。
デビュー戦こそ勝ったものの、未だ重賞を制していない自分に、もしやリギルは最初から不釣り合いだったのかもしれない。
「あ、でもそれはそれでスカウトしてくれたおハナさんに失礼かしら……?」
どちらにしろ。今後の身の振り方を考えよう。トゥインクルシリーズで走り続けるには、トレーナーとの契約やチームへの所属は必須だ。
目立った実績がない以上、大きなチームへ入るのは難しい。専属トレーナーを探してもいいが、自由に走らせてくれる人がいい。が、勝ち目の低い逃げに拘る自分と契約するトレーナーがいるだろうか。
いるとしたら、それはどんな切羽詰まったトレーナーなのか。
「どこかにいないかしら……」
実績のない自分を受け入れてくれて、かつ自由に走らせてくれる――
「サイレンススズカ……?」
――そんな、都合の良い
第二章 チーム始動編 完
第三章 チーム継承編に続く
ライス「今、お兄さまがやらかしそうな気配を感じた……」
グラス「行きましょう。またなにか拗らせる前に……!」
エ ル 「カチコミデース!」