シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
学園の空気がどこか浮足立っているとライスシャワーは感じた。
理由は分かっている。今日はバレンタインデーだ。
海外の聖人を称える日だとかお菓子メーカーの陰謀だとか言われているが、トレセン学園の少女たちにとっては敬愛や感謝の想いを伝える日と認識しているものが大半だろう。
まあ彼女が想いを伝えたい相手は泊りがけの出張中なわけだが。
学園も日程をもう少し考えて欲しいものだと思いつつ、移動教室のため廊下を歩いていると声をかけられた。
「ライスシャワーさん!」
「……はい?」
振り返ると見知った顔のウマ娘がいた。下の学年でまだデビュー前だが、先日模擬レースで一着を取っていた娘だ。
走って追ってきたのか息が切れ、肩が上下していた。
「あの……これ!」
お辞儀と同時に差し出されたのは黄色のラッピングにシルバーのリボンが付いた丸い包み。
それが意味するところはあれか。有馬記念を勝利しついに学園憧れのお姉さまポジションを得たのか。
「ライスシャワーさんのトレーナーさんに!」
「…………………………………………いいよ。ありがとう」
きっかり三秒考えてから受け取った。
ホッとした表情の後輩へ告げておく。
「でもトレーナーさんは出張だから、渡せるのは明後日になるけどいい?」
「ああはい大丈夫です。生菓子じゃないので」
やはりそういうものか。
仄かに香るバターの匂いからクッキーだと分かる。包装の様子から店で買える既製品ではない。手作りだと窺えた。
「……でもどうして? トレーナーさんと何かあったの?」
「えっとですね、ちょっと行き詰っていた時にアドバイスいただけまして……。この前の模擬レースもそのおかげで勝てたのでお礼にと……」
またか、とライスシャワーは頭を抱えそうになった。
チームメンバーが増え、レースに出る回数も増えたのにいつの間にそんなことをしていたのか。
いやしてもいい。壁にぶつかって行き詰ったり悩むウマ娘へ手を差し伸べるのは彼の美点だ。しかしながら、そこまでしたならそのままスカウトまで行けばいいものを。
どうせもっと相性のいいトレーナーがいると思ったのだろう。思わずため息が出そうになる。
「……あ、ああ! 別にその、深い意味とかないので安心してください!」
「大丈夫、トレーナーさんが人気なのはライスも嬉しいから。贈り物ありがとうね」
顔に出ていたか。誤解して慌てて取り繕う後輩へ笑顔を向けると、彼女も笑いながら頭を下げて去っていった。
手を振り遠くなる背中を見届ける。
「……あ、いけない授業いかなきゃ」
この後、放課後までに同様のやり取りを七回、計十二名とやることになることを彼女はまだ知らない。
◆
放課後、カバンに大量のお菓子を詰めた状態でライスシャワーはチームルームへと向かう。
トレーナーは不在だがメニューは貰っているので自主トレと合わせて消化する予定だ。なので直接更衣室からグラウンドに向かってもよかった。が、貰ったトレーナー宛の贈り物をずっと手元に置いておくわけにもいかず、とりあえずチームルームの冷蔵庫へ入れておくことにしたのだ。
「あ、ライス先輩……!」
扉を開けるとグラスワンダーとエルコンドルパサーが先客としていた。
二人の間にはテーブル。その上には菓子と思われる包みの山が築かれていた。
一瞬流れる気まずい空気。ライスシャワーは二人も同様のことがあったのだと察した。
カバンからラッピングされた菓子を取り出すと両名から安堵の息が漏れた。
「ライス先輩のところにも来たんデスね……」
「二人のところにはどれくらい?」
二人揃って指を広げて掌を見せる。指の数と山を成す包みの数が足りないので回数なのだと分かった。
「いやー普段話さない上級生に何度も声を掛けられて緊張したデス……」
「トレーナーさんが人気なのは担当として嬉しいですが、なんだが肩が凝ってしまいました」
「二人ともお疲れ様」
労をねぎらいながらカバンの中の菓子をテーブルへ置いていく。積みあがった山が一回り大きくなったのを見てグラスワンダーが目を丸くした。
「その……トレーナーさんには毎年これくらいの贈り物が?」
「ううん、こんなの初めて。ライスもびっくりしちゃった」
話を聞くと、流れはライスシャワーとほぼ同じだった。
トレーナーに最近、または過去に世話になった。アドバイスを貰った。だから感謝の気持ちとして贈り物をとのこと。
本人でなく担当ウマ娘を通して渡すのは変な誤解を生みたくないかららしい。
よりにもよって何故バレンタインに、と思ったが何でもない日よりは理由をつけて渡しやすいかと結論づけた。
「うーむ……トレーナーさんの手の多さは知っていましたが、まさかここまでとは」
「エルったら、変な言い方は止めなさい」
「でもこれだけのウマ娘に声をかけているならスカウトの一つでもしてきて欲しいよ……」
感謝の気持ちで山ができるのだ。スカウトすれば受けてくれるウマ娘もいただろう。
そうすれば未だ付き纏うメンバー不足の問題も早期に解決しただろうに。
「でもなんで今年に限ってなんでしょう? 聞く限りトレーナーさんがアドバイスしてたのはこの一年に限ってではないんデスよね?」
エルコンドルパサーの疑問に答えは出ない。
さすがに送り主を捕まえて聞くわけにもいかず、あーでもないこーでもないと話していると、チームルームの扉をノックする音がした。
「はーい」
ゆっくりと、中を窺うように扉が開く。
「すいません……マルカブのトレーナーさんはいますか?」
透き通るような声とともに緑のメンコと栗毛が現れた。
訪れたのはサイレンススズカだった。
◆
冬の寒空の下、私は地方レース場にいた。地方と中央の定期交流のためだ。
コースでは小等部であろうウマ娘たちが準備運動していた。
レースではなく、クラブによる模擬レースだろう。時期を考えれば、中等部に上がる前のクラブ引退レースか走り収めなのかもしれない。そのまま中央か地方のトレセン学園に入る子もいるだろう。
日本のウマ娘レースにおいてURAが主催する中央レースを一軍、NAUが主催する地方レースを二軍という認識が根付いている。
正式にそういった区分はなく、ただレースの主催が違うだけなのだが、出走するウマ娘の実力やレース規模、設備の質からいつからかそう言われるようになっていた。
実際、トレセン学園でも地方を格下に見ていた時代があったらしいし、地方側も中央とはレベルが違い、手を伸ばしても届くことのない星のようなものだと考えていた。
ところが、そんな常識をぶち壊すウマ娘が現れた。
カサマツからやってきた葦毛の怪物オグリキャップ。彼女に続くように大井からやってきた大花火イナリワン。
当時のGⅠを総なめにする勢いで活躍した二人によって、中央と地方の意識は変革した。
地方にだって輝く星はあるのだと。
中央も今の地位に胡坐をかけば、地方からの彗星に容易く追い抜かれる。
地方にだってスターの素質を持ったウマ娘はいる。それを活かせないのは余りにも不憫だと。
こうして中央と地方の定期的な交流が始まった。
中央は地方で燻ぶる才能を発掘し、招き入れるため。
地方は中央から指導のノウハウを学び、地方レースの質を上げるために。
互いの利害が一致した取り組みは何度も行われ、一定の成果もあげているようだった。
私が今日来たのも、地方所属のトレーナーへの教導、中央で活躍できそうなウマ娘のスカウト、そして恩師からの呼び出しによるものだった。
レース場の客席へ向かうと、杖を握った老人が席に腰掛けていた。
スーツも帽子も、靴もコートも、手袋までも真っ黒な痩身の男性。窪んだ眼窩にはまった瞳は静かにコース上のウマ娘たちを見つめていた。
「お久しぶりです。元気そうで何よりです師匠」
「……俺の顔を見て元気そうなんて言うのは、お前くらいだよ」
相も変わらず、そっけない声が返ってきた。
師匠は立ち上がって体を私の方へ向ける。
枯れ木の方に細い身体。幽鬼のような相貌は初対面の人は委縮するかもしれないが、私やライスには見慣れた顔だった。
「有馬記念、見事だった。ライスも休養前と同等なまで復調したようだな」
「ありがとうございます。ライスも喜びますよ」
「新しいメンバーも活躍しているようで何よりだ。……エルコンドルパサーといったか、あの子もクラシック路線か?」
「いいえ、彼女の大目標はジャパンカップからの海外遠征です。今は経験を積むためシニア級との混合レースへの出走を予定しています」
「海外か……マルカブにはノウハウがないな。シンボリかメジロのような名門か、リギルのようなトップチームと渡りをつける必要があるな。お前にできるか?」
「やりますよ。エルの夢のためには必要なことですから」
そうか、と師匠は呟いた。
僅かな沈黙。なんだが昨年の活動を評定されているようで緊張してしまう。
師匠が現役で私がサブトレーナーだった時代もこうだった。師匠ははっきり口でダメ出しをしない分、こちらの行動や言葉、指導の一つ一つを見定め意図を聞いてきた。
おかげで私も常に思考を固定せず、何度も思案する癖がついてしまった。
「……グラスワンダーの記事を見た」
師匠から飛び出した言葉に、心臓が跳ねた。
「クラシックはいけるのか?」
「彼女は出走を望んでいます……が、ギリギリといったところですね」
「見極め時は?」
「三月の中旬には。実績も実力的にもステップが必要な子ではありません。快復さえすれば直行しても十分勝ち負けまでもっていけます」
「ふむ……」
髭も生えなくなった顎を撫でながら師匠は思案する。
現役時代ならこの後来るのは評定結果、つまりは私へのダメ出しか。
緊張して直立していると、師匠は深く頷いた。
「お前、少しはマシになったな」
「……え?」
「グラスワンダーがケガをしたという記事を見た時、次に俺はお前の葬式が無いか探した」
「他の人にも似たようなこと言われましたけど、私ってそんな打たれ弱そうに見えます?」
「少なくともライスがケガをした後のお前を見たことある者は皆同じような印象だろうな」
「そんなにですか……」
確かにあの時は精神的にも不安定だった自覚はあるが、まさかそこまで深刻に捉えられていたとは思わなかった。
「若い気に充てられて少しは前向きになったか?」
「どうでしょうか……。今でもあのレースが傷になっているのは確かです。でも、彼女たちのおかげで少しはマシになったというのも確かかもしれません」
有馬記念で激走したライス、ケガにも挫けず奮闘するグラス、夢に向かうエル。私が彼女たちを指導する一方で、彼女たちの走る姿に私も成長しているのだろう。
「担当とともに成長か。まあそんなトレーナーがいてもいいだろう」
そんな私を見て安心したのか、師匠の顔に穏やかな笑みを浮かべていた。
「……本題に入ろう。お前に紹介したいウマ娘がいる」
「紹介? マルカブに入れろってことですか?」
「まさか近況を聞くためだけに呼んだと思ったか? どうせ残りのメンバー集めも碌にできていないんだろう。メジロマックイーンに振られた時から、お前はスカウトが下手だったからな」
「うぐ……」
「たづなちゃんにあまり苦労を掛けるな。まあ引退した老いぼれの最後の置き土産だと思えばいい」
そう言って師匠が指をコース上に向ける。
ちょうど何人かがゲートに入り、レースを始めるところだった。
「見えるか? あの特に小柄でリボンを付けた髪色が明るい子だ……」
師匠が示す子が分かった。
集団の中でも特に小柄で――それでもライスと同じくらいの体格だが――桜のような髪色のウマ娘がちょうど走り出した。
「アグネスデジタル。ぜひ、お前のチームに入れてやって欲しい」
◆
顔を見せたサイレンススズカに、マルカブの三人に緊張が走った。
本来、所属が異なるチームの部屋を訪ねることは、親しいウマ娘同士でもまずない。チームが保持する戦略データや独自のトレーニング法など、外部に漏らせない情報があるからだ。今の時代、用があるならスマホなりで簡単に連絡が取れるのでわざわざ来る必要もない。
しかもサイレンススズカはシニア級、ライスシャワーやシニア級との混合レースを狙うエルコンドルパサーとはライバルになる。
明確に敵対した仲ではないとはいえ、サイレンススズカの来訪は予想外だった。
硬直した空気を察したのか、サイレンススズカの方も入り口で固まっていた。
「やっほーライス! ……あれ、お兄さんは?」
部屋へ入りあぐねていたサイレンススズカの後ろから、トウカイテイオーが飛び込むように現れた。
同じレースを走ったこともあるライスシャワーが応える。
「お兄さまは出張してるよ。地方のトレーナーさんとの交流で」
「あああれね。そういえばそんな時期だったね……ってもうスズカなにしてんのさ!」
「ちょ、ちょっと待ってテイオー! 心の準備が……!」
「本人いないんだから準備もなにもないじゃん!」
トウカイテイオーに引っ張り込まれてサイレンススズカも部屋に入ってくる。
そこでようやく、ライスシャワーたちは、彼女たちの手に包みや小箱があることに気づいた。
「えっと……もしやお二人もトレーナーさんに贈り物を?」
「うん! あ、もしかしてそのテーブルにできてる山って全部お兄さん宛? ひゃーモテモテだね! うちのトレーナーとは大違い。……あ、でもボクらのは義理だから安心してね!」
何が安心なのか、そしてしれっと「ボクらのは」とか言って爆弾を錬成しないでほしいとグラスワンダーは思った。
そのままトウカイテイオーは抱えていたものをテーブルに置いていく。
「ボクからは特製のハチミーチョコね。マックイーンからはチョコやクッキーによく合うっていう紅茶の葉、スぺちゃんからはクッキー缶。ゴルシからはカカオの実みたいな形をしたかつお節」
「ケ? 何故かつお節?」
「さあ? でも渡しといてって。……ほーらスズカも渡しちゃいなよ!」
「え、ええ……じゃああのこれを……」
おずおずとサイレンススズカが差し出した箱に書かれたブランド名にマルカブ一同は目を丸くした。
デパートなどでも店を出している有名ブランドのお菓子詰め合わせだった。既製品とはいえ、値段ならテーブル上の山の中でも群を抜いていた。
「私がリギルを離れようとしていた時、マルカブのトレーナーさんには色々と後押しをしてもらったからそのお礼に。
……最初は手作りの方がいいかなって思ったんだけど気を遣わせてしまうかなって。お店はマックイーンが選んでくれたの」
なるほどと、ライスシャワーは頷いた。名家メジロ家のご令嬢であるメジロマックイーンのセレクトならこのグレードになるのは納得がいった。おそらく二人ともメジロマックイーンは特別高価と認識していないし、サイレンススズカもこれくらいのものを贈るものという認識なのだろう。
「ありがとうね。お兄さまにちゃんと渡しておくね」
「お兄さま……?」
「……あ」
「ああ、ライスは担当トレーナーをそう呼んでるんだよ。なんだっけ、ライスの好きな絵本の登場人物に似てるんだっけ?」
「う、うん。ライスをスカウトしてくれたし、強くしてくれた人だから」
「そう……素敵な関係なのね」
「そうだよーボクが一回おじさん呼びした時なんか、ライスもの凄い怒ったんだから」
「お、怒ってないよ……!」
「ウソだーもうマックイーンを負かした春天級の迫力だったんだから!」
「あーそれでテイオーもお兄さん呼びだったんデスか……」
「なんか流れでね。一々マルカブのトレーナーって呼ぶのも長いし」
「じゃあ私もそういう風に呼んだほうがいいのかしら……?」
「べ、別に無理することないんだよ……!?」
「ふ、ふふ……」
明るく壁を感じさせないトウカイテイオーの振る舞いに、いつの間にか空気も弛緩していた。
もしかしたらこれを狙ってサイレンススズカについてきたのかもしれない。
「あ、ねえねえ。マルカブは次なんのレースに出るの? ライスは春天だろうけど、グラスたちは順当にクラシック路線?」
「ちょっとテイオーそんなこと聞いたら……」
「別に次走の話くらいクラスとかでするじゃん。作戦聞くわけじゃないんだから大丈夫! あ、ちなみにスぺちゃんは弥生賞だって!」
「ええ……本当に言っちゃっていいんデス?」
「いいのいいの。みんな注目株だし、そのうち取材とかされたら記事になるんだよ」
「まあ言われてみれば……エルの次走はNHKマイルカップですね。グラスは……」
「クラシック路線です。弥生賞に間に合うかは分かりませんが、皐月賞までには必ず」
グラスワンダーの言葉にトウカイテイオーの視線が脚へ向かう。彼女もグラスワンダーのケガのことは知っているはずだ。
この流れだと多くが暗い顔をしてきたが、トウカイテイオーはにやりと笑った。
「そっか……うんうんそうだよね、一生に一度のクラシック。大人にあれこれ言われたって納得できないよね」
「……! ええ、そのとおりです!」
「じゃあボクはグラスを……いや、スぺちゃんも応援してるから二人ともか。とにかく応援するよ!
一回ケガすると結構不安だけどなんとかなるもんさ」
それはケガに悩まされ続けた彼女だから言える言葉だった。
グラスワンダーは掛けられた言葉に静かに礼をした。
「えっと、じゃあ私も。私の次走は三月のGⅡ金鯱賞、その後はGⅠ大阪杯に出る予定」
「大阪杯……!」
ライスシャワーが思わず声を上げた。
大阪杯は阪神レース場で開催される春中距離路線の大一番だ。冬に鍛えてきた成果を見せる場であり、芝の王道距離における最初のGⅠとなる。国際競争のため海外のウマ娘たちも出走し、そのレベルは高い。
そして、ミホノブルボンが中距離GⅠの戴冠を狙うレースでもあった。
ミホノブルボンとサイレンススズカ。天皇賞(秋)以来の逃げウマ娘同士の激突となる。
実績ではミホノブルボンが上だが、現在サイレンススズカは三連勝中、内GⅢ以下の重賞を二つ勝っており今一番勢いのあるウマ娘と言っても過言ではない。
「それから出来たらになるんだけど、宝塚記念にも出る予定」
続けて出たサイレンススズカの言葉にマルカブの三人が顔を見合わせる。
その様子を見てトウカイテイオーは全てを察したようだ。
「へえ……そっか、ライスも宝塚記念に出るんだ。リベンジってこと?」
「うん。ライスはもう大丈夫だって、お兄さまに見せるの」
「はははっ、それは負けられないね」
ライスシャワーとサイレンススズカの視線がぶつかる。
クラシックに挑むグラスワンダー、シニアたちとの激突を望むエルコンドルパサー。二人の様に、ライスシャワーにも激闘が迫っていた。
ミホノブルボンとの天皇賞(春)。サイレンススズカとの宝塚記念。
戦いの足音が、潮騒のように迫ってくる。
◆
遠目だがアグネスデジタルを一目見た感想は、細い子だなというものだった。
周りの同級生か後輩と比べても一回り小さく見える体躯。走れるかというよりケガをしないかという心配が先に来た。
が、実際彼女の走りは大したものだった。
中団から後方にかけて位置を取り、終盤に一気に前方にいたウマ娘たちを差していく。
最後の最後に集中力が途切れたのか、キョロキョロと周りを見ている隙に逃げ切られて二着。
勝ちこそしなかったものの、十分光るものがあると判断できる走りだった。
「どう思った?」
「大したものですね。終盤に集中を切らさなければ差し切っていたでしょう」
「まあそこはあの子の性分みたいなものだ。おいおい矯正していくしかない」
「……まだ彼女をスカウトするとは言っていませんよ?」
「言いたくなるさ。あの子の次の走りを見ればな」
「次……?」
師匠の言葉にコースへ視線を戻すと、アグネスデジタルはもう一度走るようだった。
問題は、先のレースが芝だったのに対して今度はダートコースへ向かっていることだった。
芝を走ったウマ娘たちに手を振り、ダートコースにいたウマ娘たちと合流。そのまま出走準備に入っていく。
「ダートも走れるんですか……!?」
「芝と同レベルでな。中央にもなかなかいないだろう」
芝を主戦場とするウマ娘もトレーニングでダートコースを走ることはあるが、レースでもダートを走れるウマ娘は少ない。
それこそダートが主流の海外からのウマ娘くらいだろう。
レースが始まる。芝の時と同様に中団に控え、終盤でスパートをかける差しの戦法。
しかし全員差し切るには至らず、今度は三着だった。
ゴールしたウマ娘たちが互いに健闘をたたえ合う中、彼女は二連戦した故の疲労からか輪の外からそれを見つめていた。
息が荒い気がする。スタミナが足りないのだろうか。
「見ての通り、あの子は芝もダートも走れる稀有な適性だ。だからこそ悩みもある」
「悩みですか?」
「主戦場をどちらにするかという悩みさ。あの子はどちらも走りたいんだそうだ」
師匠の言葉に合点がいった。
中央では芝のレースが主流であり、地方ならダートだ。
中央にもダートのレースはあるが数は少ない。だからといって地方に行けば芝がさらに少ない。
レースの数を考えれば中央に行けばよいが、二刀流に挑むとなれば茨の道だろう。
「あの子はレースが好きとか勝ちたいGⅠがあるわけじゃない。走るウマ娘を間近で見たいんだそうだ」
「それはまた、一風変わった夢ですね……」
「そのためにあの子は中央に行こうとしている。より多くのウマ娘の走りを見るためにな。……だが一方で、二刀流なんて中途半端な真似は他のウマ娘に失礼なんじゃないかとも思っている」
中央と地方を一軍、二軍とするように、芝とダートを一軍、二軍とする風潮がある。
中央で走る意志があり、芝への適性があるなら芝のレースに注力すべきというのが多くのトレーナーの意見だろう。活躍の見込みがあるならなおのこと、ダートまで走る意味がない。
「必要なんだ。周りの声を気にせず彼女が走れるよう道を定めてやるトレーナーが……」
師匠の視線がコースから私へと向く。光の宿った瞳が私を射抜いた。
「それをお前に任せたい」
「なぜ私に……?」
「マルカブの由来は前に教えたな。ライスにグラスワンダーにエルコンドルパサー、今のマルカブにいるウマ娘の夢をお前は変わらず支えようとしている。それが理由だ」
マルカブの由来。夢が集う場、夢を叶える翼を与えられる場とすること。
アグネスデジタルの夢というのをまだ理解しきれていない。だが彼女がそのために中央を目指し、まだ悩むことがあるのなら、ともに悩み支えるのも良いかもしれない。
あの師匠からの頼みというのもあるだろう。私の中ですんなりと決意ができた。
「分かりました。アグネスデジタルの夢、支えさせていただきます」
「そうか……では行くとするか」
「行くとは、どこへ?」
「決まっている。スカウトさ」
◆
師匠に連れられてコースへの降りていく。
ウマ娘たちのレースも終わったようで、手分けして片づけをしてた。
「おおいデジタル」
師匠が手をあげて声をかける。
明るい髪のウマ娘が振り返った。
「あ、黒ちゃん! 今日も来てくれたんですね!」
「……黒ちゃん?」
「気にするな。……デジタル、こいつが前に言っていた中央のトレーナーだ」
「はえ? ……ってああ! ライスシャワーさんのトレーナーさんじゃないですか! ということはこの人がチーム・マルカブのトレーナーですか!」
「よく知っているね」
レースで活躍するウマ娘の名前と顔は多くの人が知っていても、トレーナーまで把握している人は多くない。それほどネットで情報を集めるようなコアなファンくらいだろう。
熱心なんだね、続けようとしたらアグネスデジタルの瞳がかあっと見開いた。
「当然ですよ! ライスシャワーさん完全復活の有馬記念にグラスワンダーさんの朝日杯FSのレコード勝利、エルコンドルパサーさんのホープフルSの完勝! そしてそれを支えたチーム・マルカブのトレーナーさんの尽力あってこそ! ウマ娘ちゃんたちの奮闘を支えるトレーナーさんを知らずにウマ娘ちゃんたちのレースを語るなんて……ってああすいません一方的にしゃべっちゃって!」
「ああ、いや……大丈夫だよ?」
勢いに押されてしまった。
随分と濃いキャラクターをしているようだ。
「というか黒ちゃん、中央のトレーナーと知り合いって本当だったんですね!?」
「何度も言っただろう……」
どうやら師匠は自分が中央のトレーナーであったことを言っていない様だった。
もともと積極的にメディアに露出する人ではなかったし、アグネスデジタルから変にかしこまって欲しくなかったのかもしれない。
「アグネスデジタル。君は四月から中央のトレセン学園に入学すると聞いている。君が良ければマルカブに誘いたいのだけど、どうだろうか」
「え……ええ!? 入学前のスカウトとか、あたしなんかでいいんですか!? ……ってあれ? でもスカウトは選抜レースに出る必要があるのでは?」
「まあそうなんだけど、仮契約みたいなものかな。教官に力を認めてもらえたら正式にマルカブに入ることになるね」
「な、なるほど……。あ、ああでもダメです! あたしにそんな資格無いです!」
「……どうして?」
「あ、あたしは芝もダートも走りたいんです。マルカブさんのメンバーは皆さん芝の方々じゃないですか。あたしみたいな両方取りするような中途半端なウマ娘が入るなんて――」
「大丈夫だよ」
アグネスデジタルの言葉を遮る。
目線を合わせて言う。
「芝とダート両方を走ろうなんて凄いことだ。誰も中途半端なんて言わないさ。よければ君の夢を手伝わせてほしい」
ポカンとした顔をするアグネスデジタル。
……もしかして滑ったかと思ったが、やがて彼女の方からおずおずと手を差し出してきた。
「で、では期待に応えられるよう頑張りますので……よろしくお願いします!」
「ああ。よろしく」
出された手を掴む。
ダートと芝の二刀流を目指す、ウマ娘好きの少女、アグネスデジタル。彼女がマルカブの四人目のメンバーとして入ることとなった。
サブタイにバレンタインてありながら担当からもらうシーンがないとかどういうこと?
念のため言っておくと、師匠にモデルとか元ネタはいません。
いや、お兄さまのモデル考えたらこれあの人だろってなるかもしれませんが、特に逸話とか引用しているわけではないのでモデル無しとさせてください。
読み直していたら、第一章でデジタルがすでに学園にいるかのような描写があったので修正しました。特に本筋に影響はないので読み返す必要はないです。失礼しました。
チームの5人目ですが2人まで候補を絞ってます。R4.7.17時点で片方は育成実装済み、もう片方は未実装です(ウマ娘化はしてます)。
第四章で登場予定ですが、そこを書き出すまでに実装されてくれれば(そして引ければ)ストーリー確認してどっちか決めます。実装されなければ実装済みの子に確定です。
以上、長めのあとがき失礼しました。