シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話   作:ブルーペッパー

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2話 お兄さまとひな鳥たち

 5月。クラシックの1つ目、皐月賞も終わったとはいえ熱狂冷める間もなく世間は日本ダービーの話題で盛り上がっていた。皐月賞ウマ娘が二冠を取るか。ほかの誰かが一矢報いるか。メディアでは連日有力ウマ娘に関する情報や考察が飛び交っている。

 緊張と興奮が溢れているのはトレセン学園も同じだ。

 皐月賞を勝った陣営は当然日本ダービーも勝ちに行くため、より一層の気合いの入れようだ。

 敗れた陣営もこのままでは終われない。反省から見えてきた課題の克服、ライバルたちの偵察。トライアルを勝ち上がってきた伏兵の存在も無視できない。

 一生に一度の栄冠のために、誰も彼もが必死になっていた。

 ……まあ、特に担当が出るわけでもない今の私には無縁なわけだが。

 

『さあ先頭集団が最終コーナーを曲がって直線に入る!!

 先頭は8番!後ろとの差は1バ身もない!』 

 

 目下、私が見るべきは今月開催の選抜レース。デビュー前のウマ娘たちが実力を示し、担当トレーナーとの出会いを求めるこのレースは、クラシックの熱を受け継いだかのように白熱していた。 

 

『8番が逃げ切るか! それとも後続が差し切るか!?』

 

 熱の入った実況が響く。

 煽られるように、観客席にいた生徒たちからも声援が上がる。

 

『外から4番、外から4番! ぐんぐんと上がってくる! 強烈な末脚だ! いや、ここで、中団から11番! 11番が飛び出した!!

 周りを抜き去り、一気に8番に食らいつく!』

 

 湧いた歓声に押されるように、見覚えのあるウマ娘が先頭に並ぶ。

 先月練習メニューに口出しをしてしまったウマ娘だ。

 残り200mを切り、勝負は内の8番、外の4番、そして中に11番の競り合いとなる。

 いい調子だ。力強いスパート。しっかりと足も残せていたようだ。彼女に渡したトレーニングメニューの効果が出ている。私のお節介を受け入れてくれたようだ。

 

『残り100m! ああっとここで8番が下がっていく! ここまでか!? 勝負は残り二人に絞られた!』

 

 ゴール直前、残った力を捻り出したように11番が前に出る。

 差は僅か。だが勝敗がはっきりとわかるクビ差で一着が決まった。 

 

『勝ったのは11番! 5月選抜レース、1800mを制したのは11番です!!』 

 

 客席から歓声が上がる。僅かに暗い声が混じるのは、応援していたウマ娘が負けた者たちからだろう。

 勝ったウマ娘に可能性を見たトレーナーたちが殺到していく。中には二着以下の娘たちに声をかけるものもいるが、多くは競争率を見ての妥協だろう。

 二着だろうかハナ差だろうが、一着以外は負け。レースの厳しい現実が選抜レースでも現れていた。

 

「いいレースだったな……」

 

 一着をとったウマ娘の走り方は、あのもがく様なものから一変、力強く、翔けるように鮮やかだった。

 力不足を嘆き、自分を痛めつけるようなこともないだろう。

 トレーナーをしていて、担当が勝ったことの次に嬉しい瞬間だ。もう、彼女に私のお節介はいらないだろう。

 

「……よし、戻るか」

「何してるのお兄さま」

「オッピョイん!?」

 

 突如膝が力を失い、重力に従い体が落ちる。あまりにも意識外からの出来事に奇声をあげてしまった。

 これは――HIZAKAKKUN!?

 とっさに手で体を支える。

 四つん這いの姿勢のまま後ろを向けば黒髪のウマ娘。

 信じられないもの見たような顔のライスが立っていた。

 私は抗議の声を上げる。

 

「なんてことをライス……突然の膝カックンはケガすることだってあるんだぞ?」

「選抜レースを見に来て誰にも声をかけずに帰るなんて、なんてことをはライスのセリフだよ」

 

 ……ごもっともかもしれない。

 

「いや……あえて声をかけないことで運命的なスカウトを成したという例もあってね」

「マルゼンスキーさんのところは例外すぎるよ……」

 

 そんなことは……いやそうかも。

 あのコンビは暇さえあればトレンディードラマみたいなやりとりしているし。

 

「お兄さま。理事長さんに言われたこと忘れたわけじゃないよね?」

「……まさか。ちゃんと覚えているよ」

 

 非難するようなライスの視線に思わず視線をそらしてしまう。

 ことはつい先日、理事長室でついにチーム存続のための最終勧告があったのだ。

 

『通達ッ! 6月末までに、新たに2人以上のウマ娘をスカウトすること!』

『ライスシャワーさんの復帰に向けて尽力したい気持ちはわかります。しかしチームとして登録してある以上、最低限の体裁は保っていただきませんと……』

 

 思い直せば、これでもかなり寛容なものだろう。

 本来なら4月にメンバーがライス一人になった時点でチーム登録を抹消されても文句は言えない。

 あと一か月。最近は選抜レースの頻度も多くなり、生徒主催の模擬レースもある。見所のあるウマ娘を探し、スカウトして数を揃えることは難しくない。

 なんだったら、リギルのようにこちらからテストと称して模擬レースを開いたっていい。解散寸前とはいえこちらはG1ウマ娘を有するチームだ。集まりが悪いということはないだろう。

 ……ただ、やはり――

 

「………」

 

 ライスを見る。師から許しを得て私が初めてスカウトし、一から指導してきたウマ娘。トレーナーとしての自分は、彼女とともに成長してきたといっても過言ではない。

 そんな彼女を、復帰に向けて頑張っている彼女を放って他のウマ娘をスカウトしてよいのだろうか。

 

「……お兄さまの考えていること、ライスわかるよ」

 

 顔に出ていたか、ライスがしょうがないなーと呟いた。

 

「でもねお兄さま。チームであるほうがトレーニングコースや機材の予約取りやすいでしょ?」

「う……」

 

 まさか、実利のほうで説得が来るとは。

 

「今も併走はほかのチームにお願いしているよね。チームメイトがいればその手間もなくなるよね」

「このままチーム解散になったら、引退したり移籍した先輩たちにも悪いよ。自分たちが抜けなければって思っちゃう」

「ライスたちのチームに入りたくて学園に来た子もいるんだよ。期待を裏切るような真似をしてお兄さまは平気なの?」

「というか、やる気がないって理由で仕事しないのは社会人としてどうかと思う」

 

 やめてくれないか! 正論を真っ向からたたきつけるのは!

 ……いやしかし、ライスの言う通りだ。

 どこかで自分はライスを怠惰の言い訳にしていたのかもしれない。

 

「そうだな。ライスもいつまでも一人っきりのチームは寂しいよな」

「べ、別にライスは寂しいわけじゃ……お兄さまと二人っきりだし

「ライス?」

「ふぇえ!? な、なんでもないよ!!」

 

 何故かバタバタと腕を振り回すライス。

 かわいいけど、誰かに当たったら危ないからやめような。

 

 

 

 ◆ 

 

 

 

「と、とにかく。やると決めたら早速行動だよね! お兄さまは今日中にスカウトはできなくても、候補だけでも見つけてくること!」

 

 そういってライスはトレーニングに行ってしまった。

 まだ基礎トレの段階とはいえ、本来なら私が見ているべきなのだが、「お兄さまはスカウトを優先!」と言われてしまった。

 結局、選抜レースでこれはという子はいなかった(例の子は他のトレーナーと契約を決めていた)。

 とはいえ選抜レース後でしかスカウトしてはいけないという規則はない。

 トレーニングコースに出向けば、放課後の自主練に励むウマ娘の姿を見ることができる。

 クラスメイトと併走する者、坂路を走るもの、タイヤを引くもの。教官の目がなくとも各々がトレーニングに励む光景は、まさしくトレセン学園がエリート校であることの証左だと思う。

 コースの一角で、ちょうど併走をしている二人のウマ娘に目が止まる。

 

「あれは……!」 

 

 手持ちのタブレットからデータを展開。トレーナー向けに学園が作成した生徒一覧だ。

 デビュー済みの場合は出走履歴や主な成績が、未デビューの場合は出身や教官目線での評価が、ウマ娘の顔写真とともに整理されている。

 画面をタップし、先ほどの生徒を探す。

 いた。海外からの入学だからか、二人とも近くに並んでいた。 

 

「エルコンドルパサーに、グラスワンダーか……」

 

 一人は目元を隠すマスクをした――よく撮影が通ったな――快活そうな少女、エルコンドルパサー。

 もう一人は穏やかな印象をうける栗毛の少女、グラスワンダー。

 タブレットから視線を、コースを走る二人に戻す。

 エルコンドルパサーが先行し、その後ろをグラスワンダーが追う形でコーナーに入っていくところだ。

 グラスワンダーが加速して内に入ろうとするのを、エルコンドルパサーがフェイントをかけてそれを止める。

 グラスワンダーもやられっぱなしではない。後ろからプレッシャーをかけてエルコンドルパサーのペースを乱し、つけ入るスキを窺っている。

 何度か同様の攻防を繰り広げるうちにコーナーから直線へ。グラスワンダーが最後のチャンスと加速するが、同じタイミングでエルコンドルパサーも加速していく。

 

「驚いたな。もうレースの駆け引きができているのか」

 

 入学当初はどうしても身体能力に任せた力任せの展開になりやすい。それがどうだ。すでにあの二人はデビュー済みのウマ娘たちと遜色ない動きをしている。

 これほどの逸材がいたとは。どうやらライスのことに集中しすぎて、自覚できないほど視野が狭くなっていたらしい。

 

「お! お前もあの二人を狙ってるのかい?」

 

 不意に声をかけられる。同期のトレーナーだ。

 

「あの二人とは?」

「誤魔化すなよ。エルコンドルパサーとグラスワンダーだよ。二人とも新入生ながら、もう選抜レースに出ても可笑しくないと、教官から太鼓判も押されている」

「それは凄い。本当なら、シンボリルドルフやマルゼンスキー並みの早さだ」

 

 二人のスピードが落ちていく。クールダウンのようだ。

 どうやら今回の併走はエルコンドルパサーが押し切ったらしい。

 ストレッチしながら何度か会話を続け、もう一本と再び二人が走り出す。

 

「エルコンドルパサー。アメリカ出身。夢は世界最強になること、なんてデカいことを口にしているが、大言に見合った才能を持っている」

「どうしました急に」

「対してグラスワンダー。アメリカ帰りの帰国子女、大和撫子ってのに憧れているらしい」

 

 聞いてもいないことをペラペラと語ってくれる。

 というかその情報はどこから仕入れた? 新歓でもあったの? 私誘われてないんだけど?

 

「すでに結構な数のトレーナーに勧誘されているらしい。グラスワンダーはそれほど勝つことに拘りがないのか、今のところすべて断っている。一方でエルコンドルパサーは自分の夢を預けるに相応しいトレーナーを見極めんと、勧誘してきたトレーナー全てとトレーニングをしているそうだ」

「……ああ、逆転現象ですか」

 

 スカウトする側のトレーナーを買い手、される側のウマ娘を売り手とするなら、トレセン学園のスカウトは基本買い手市場だ。ウマ娘たちはレースで自分の素質をアピールし、トレーナーはスカウトするかを決める。

 しかし、ウマ娘の実力や才能が突出している場合はこの関係が逆転する。つまりはウマ娘側が、トレーナーの指導力を試してくるのだ。

 代表例でいうと七冠の皇帝シンボリルドルフが有名か。スカウトの名乗りを上げたトレーナー全てに、己と目指す先を熱く語らせたというのは伝説になっている。

 

「とにかく、スカウトするつもりなら早めに声をかけたほうがいいぞ。スカウトに最後の逆転なんて期待しないことだ」

 

 そういって彼は去っていった。

 もしや、チーム解散の危機にある私を慮ってアドバイスしてくれたのかもしれない。

 ウマ娘同様、トレーナー間でも熾烈な競争がある中、こういった心づかいはありがたい。 

 

「また、前に進む理由を貰ってしまったな」

 

 貰ったからには活かさねば。

 見れば、二人の併走もスパートに入ろうとしている。

 今から向かえば、少し話せるだろうか。

 少しでも進歩するため、私はコースに向かって歩きだした。

 

 

 私が二人のもとにつく頃、ちょうどエルコンドルパサーが離れていくところだった。

 惜しい。彼女と接点を持つのは次の機会にしよう。……ただ、何かに怯えて逃げたように見えたのは気のせいだろうか。

 視線を残った少女へと向ける。

 

 

「君はまだ続けるのかい?」

「ええ、先ほどの併走の反省をしたくて」

 

 向こうも近づいてくる私には気づいていたのだろう。突然声を掛けられても特に警戒される様子もない。おそらく、似たようなことが他のトレーナーとの間であったのだろう。

 

「頑張るね。次の選抜レースに出る気なのかな?」

 

 同僚の話では、あまり勝利に対する欲がないのではとのことだった。しかし、彼女のこの姿勢はその評判とはずれている気がする。

 

「選抜……ええ、教官からもすでにお許しをいただけました。選抜レースで実力を示し、そこでトレーナーの皆様にスカウトいただければと」

「もうかなりの数のトレーナーから声をかけてもらっていると聞いたけど?」

「ありがたいことです。ですが、それに甘んじるわけにはいきません。

 選抜レースに出走される方々は、みなそれだけの実力があると判断された方たち。その方々に勝ち、自分の力を証明したうえでデビューに臨む。そう、決めました」

 

 穏やかな青い瞳の奥に、揺るぎない強い意志が灯っていた。

 では、と綺麗な所作でお辞儀をしてから、グラスワンダーは走り出した。

 なるほど、勝ちにこだわりがないなどとよく言ったものだ。

 彼女が挑むのはレースではなく、こうあれかしと定めた自分の意志。目指すのは思い描いた理想の自分。

 スカウトを断ったというのは、彼女が決めた道筋から外れるものだったからだ。

 そして彼女の言葉をそのまま受け取るのなら、選抜レースで勝てなければスカウトを受けるつもりもないということ。

 

「最大のライバルは、エルコンドルパサーということか」

 

 彼女の前には、つい先ほどまで併走していた相手の幻影が走っている。

 今日は勝てなかったから、勝てないまま終わりたくないのだ。

 グラスワンダーの脚質は差し。やや後ろに控え、終盤にためた末脚を炸裂させる戦法だ。

 とはいえ相手もおとなしく差されるわけもなく、差し切れない距離を開けるか、足をためさせないよう揺さぶってくる。

 中盤、グラスワンダーが幻影(エルコンドルパサー)との距離を詰めはじめる。最終コーナーで一気に差し切るための態勢を整え始めたのだ。

 さきほどの展開では、ここでエルコンドルパサーが上手くグラスワンダーを動きを牽制していた。グラスワンダーは差し切ることができず、エルコンドルパサーに先着されていた。

 今度こそは、とグラスワンダーの脚に力が入っていく。

 

「一旦下がろう!」

 

 突然声を上げた私に、グラスワンダーがハッとする。集中が乱れ、グラスワンダーの脚が鈍った。前を走る幻影との距離が少し開く。

 

(これは……!)

 

 こちらを見るグラスワンダーの顔は険しかったが、前を向き直るとハッとした表情に変わった。

 再び脚に力が入る。芝を蹴り、土を巻き上げ、グラスワンダーの体が幻影の外側を抜けていく。

 そのままスパートに入り、グラスワンダーは勝利した。

 クールダウンしながら徐々にスピードを下げ、私の前で少女が止まった。

 

 

「邪魔をして悪かったね」

「……いえ、助言いただきありがとうございました」

 

 肩を上下させ、息を整えるグラスワンダー。手ごたえがあったのか、嬉しそうな顔をしている。

 

「距離を開ければ視野は広がり、ほかの道が見える。当たり前のことですが、気づかないものですね」

 

 先行するウマ娘の後ろにつき、風除けにしながら脚をためる。コースの内側を取って最短距離を走る。セオリーではあるが、その通りにレースが展開するわけでもない。

 外側を走ることはロスではあるが、それを埋めるだけのパワーがあると思っていたが、どうやら正解だったようだ。

 

「実際のレースではもっと多くのウマ娘が走る。今日のような真似が常にできるとは限らないが、まあ方法の一つとして覚えておくといい」

「そうですね。ですが、この気づきは確かにためになるものでした。感謝いたします」

 

 頭を下げるグラスワンダー。

 彼女には、こうと決めたらそれを貫く強い信念がある。美点であるが、裏を返せば頑固ともいえる。

 冷静さを保ち、思考の柔軟さをいかに持つかが課題だろうか。

 

「さて、もう日が暮れる。担当ではないけれど、指導する身としてはそろそろ上がって欲しいかな」

 

 ナイター設備はあっても暗いコースを走るのは危険だ。

 

「そうします。今日は、良い日となりました」

 

 最後に勝ち切れたのに満足したようで、グラスワンダーは帰っていった。

 私も逸材に出会えた幸運をかみしめ、担当の待つトレーナー室へと足を向けた。

 向けて、そして――――

 

 

 

「声をかけたのはいいけど、スカウトのスの字も伝えていないってどういうことなの……!?」

 

 冷たい視線と言葉が、私を貫いた。

 

「いや、グラスワンダーもまだスカウトを受ける気はないというし、選抜レースが終わってからでいいかなと……」

「他のトレーナーさんたちも声をかけてるんだよね。前からスカウトの話を持ってきている人と、今日会って話をした名前もチーム名もわからない人、どっちのトレーナーさんが選ばれると思う?」

「でも結構助言したよ? きっと他のトレーナーよりも印象はいいはずで……」

「お兄さま?」

「あっはい。他のトレーナーもそれくらいしてますよね。わかってます」

 

 むーっと腕を組むライス。一歩前に出て、私との距離を詰める。

 あ、これは……

 

「お兄さま。正座」

 

 今日も、ライスによるウマ娘心講座が始まる。

 頑張れ私。トレーナー業は毎日が勉強である。

 ……でもフローリングの床での正座は辛いので早めに終わって欲しいな。

 

 

 ライスによる痺れた脚へのツンツン攻撃が始まるまで、あと1時間。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 翌日、まだ痺れの感覚が残る足を引きずって、朝早くから私は学園の敷地を練り歩いていた。

 目的はもう一人の注目株、エルコンドルパサーだ。

 同僚の言っていた教官からのお墨付きは本当のようで、遠くないうちにグラスワンダーとエルコンドルパサーが選抜レースに出走するという情報が回ってきた。

 もし選抜でトレーナーが決まれば、仕上がりしだいでは秋ごろのメイクデビューに間に合うだろうか。

 昨日、顔だけは合わせたが、話ができたのはグラスワンダーのみ。エルコンドルパサーとは碌に話ができていない。

 聞けばスカウトしてきたトレーナー全員から日替わりでトレーニングを受けているとか。

 彼女が求める基準がどれほどかわからないが、一度も指導せずに彼女のスカウトは不可能だろう。

 選んでもらえるかはわからない。だがせめて舞台にくらいは上がっておこう。

 とはいえ、彼女の希望も聞かずにトレーニングメニューは組めない。

 

「まずは話だけでもしてみようか」

 

 そう思ってトレーニングコースを主に探しているのだが、どうにも見当たらない。

 今日は休息日かとも思ったが、授業のある平日に設定するとも考えにくい。

 室内で筋トレでもしているのだろうか。ひとまず、足を外から内へ向けることにした。

 

 

 見つけた。

 朝の学園、まだ授業が始まる前。長い廊下にエルコンドルパサーはいた。

 しかし、普段見聞きする快活な様子がない。壁にもたれかかり、引きずるように歩いていた。

 

「大丈夫かい?」

「ケッ? あ、あなたはグラスの……」

 

 グラス? ……グラスワンダーのことだろうか。

 トレーナー契約したわけはないのだが、妙な覚え方をされているな。

 いや、それよりも、

 

「辛そうだが、どこか痛めたのか?」

「い、いえ大丈夫デス。ただ少し力が入らなくて……」

「とりあえず、医務室まで行こう」

 

 肩を貸して、エルコンドルパサーを医務室まで運ぶ。

 校医に許しをもらい、白い寝台に腰を座らせると安堵したように横になった。

 彼女は呻きながら、右足と腰のあたりをさすっている。

 

「ちょっと失礼」

「ケヘェッ!?」

 

 右のふくらはぎに触れると悲鳴が上がった。やはり痛いのか。

 触診を続けると妙に張っている。左足にも触れているが、特に反応がないし、張りも少ない。比べるとどうやら右足は熱も持っているようだ。

 背中にも触れる。これは……

 

「あ、あのぉ~~」

「すまないが、ちょっと痛むかもしれない」

「ケッ!?」

 

 どうやらかなり疲労が溜まっているようだ。しかも全身でなく、変に偏っている。

 

「普通のトレーニングだとこうはならないはずだけど、どんなトレーニングを?」

「ぐうぅ……ここ数日、いろんなトレーナーさんから独自のトレーニングを」

 

 聞けば、担当希望のトレーナーたちが選んでもらうよう、かなり気合の入ったメニューを持ってきたらしい。

 世界最強を目指すエルコンドルパサーもその熱意に当てられ全てこなしてきたようだ。

 やれ超大型タイヤを引いての筋力トレだの、ハイペースとスローペースを短いスパンで切り替えてのランニングだの、最先端技術を応用した高負荷トレだの。

 

(それらをやりきったうえで、ケガでなく疲労で済んでいるあたり、身体能力だけでなく回復力も高いのか)

 

 とはいえ飛ばし過ぎだ。普段なら休息を挟むものだが、回復で体力に余裕があるばかりに気が回らなかったのだろう。

 除々に疲労は蓄積し、余裕は削れ、今朝のトレーニングで限界を迎えたと推察する。

 

「触診の結果、不調の原因はオーバーワークだ。今日はもうトレーニングせずに大人しくしていることだ」

「そ、そんなあ〜」

 

 がっくし、と顔を枕に埋めるエルコンドルパサー。休むことより、トレーニングできないことの方が辛いようだ。

 

「ストイックだね」

「世界最強を目指すからには、一日たりともトレーニングを欠くことはできないデス」

 

 才能に慢心せずか。

 いや、この場合は不安か。目指す頂きの高さを理解しているが故に、過酷なトレーニングに身を投じているのだろう。

 足りなかったと言われないために。悔いを残さぬために。

 

(身体は充分。でも精神面はやはり年相応か……)

 

 彼女を担当することになった時の方向性が見えた気がする。

 とはいえまずはこの疲労をどうにかしないと。私の指導を受けてもらうことすらできない。

 

「今日はトレーニングを休むと約束してくれるなら、疲労を少しは抜く手伝いをするけど?」

「元気満タン、気力全快、デス?」

「そこまでは。とりあえず普通に歩けるようにはなると思うよ」

「うう〜……お願いしますデス」

 

 さすがに制服のままマッサージをするわけにも行かないので、備え付けの体操着を渡し、着替え終わるまで廊下に出る。

 ついでに校医を通してエルコンドルパサーの授業欠席を伝えてもらうことにした。

 しばらくすると校医が顔を出し、彼女が着替え終わったことを教えてくれた。

 

「いやらしいことはしないように」

「当たり前でしょう」

 

 余計な一言も付けてくれた。

 その後、エルコンドルパサーの身体をほぐしながら色々と話をした。

 夢の話。家族の話。父からもらったマスクの話。

 マスクをつけると強い自分に変われる話。

 天才、逸材と言われているがその内面はやはりまだ幼さの残る少女だった。

 痛みに呻く声が、やがて穏やかな寝息に変わっていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「んん〜! 元気百倍! 気分爽快! エル全かっ、つつ……」

「まだ無理しないほうがいい。さっきも言ったが、君の身体は疲労を溜め込み過ぎた」

 

 昼前、目を覚ましたエルコンドルパサーに今後の注意をしておく。

 

「このまま同じようなトレーニングを続ければ、筋肉のバランスが崩れたり体幹が歪む危険もある。しばらくはトレーニングは控えること」

「むむ……具体的にはどれくらいデス?」

「まあ一週間くらいかな」

「いいい一週間!? 本気? 正気? 衝撃!? デス!

 知らないんデス? ウマ娘は止まったら寂しくて死んでしまうんですよ!?」

「回遊魚かな? ……仕方ないな。これで我慢してくれ」

 

 カバンに入れていたタブレットを操作し、保存していたトレーニングメニューのデータをいくつかエルコンドルパサーのスマホに送る。

 メニューを見る目が少しずつ細くなっていく。

 

「なんか、地味デスね」

「ケガから復帰する子向けのメニューだからね。柔軟性や体幹を鍛えるのが目的だ」

 

 ライスも体が固い子だった。トレーナー契約をしてまず重視したのはケガをしにくい体作りだったのを思い出す。

 

「あと、一人でするのもよくない。誰か友人に見てもらうこと」

「むーしょうがないデス」

 

 先ほどまでの痛みを思い出したのか、納得してもらえたようだ。

 

「でも予想外デス。これまでのトレーナーさんは強くなるためのメニューをくれましたが、ケガをしないためのメニューをもらうなんて」

「無事是名バ、ともいうからね。選手生命を燃やすように駆けるウマ娘は多いが、私としては長く、元気に走って欲しい」

「例えそれで勝てなくてもデスか?」

 

 声色が変わる。マスクの奥から青い瞳がこちらを見つける。

 試されている。そう感じた。

 

「当然勝ってほしい。でも、ケガをしてまで……命を削ってまで走って欲しくはない」

 

 苦い記憶がよみがえる。大怪我を負う直前のライスがそれだった。期待や声援に応えるために彼女は限界を超えてしまった。

 一命を取りとめ、復帰できるまでに回復してくれたから良かったが、最悪の事態になっていたら私は果たしてまだこの学園にいただろうか。

 

「それでも、エルは強くなりたいです。誰よりも高く、早く、頂点へ」

「素晴らしい夢だと思う。競技者なら誰しも抱くものだ」

 

 彼女も、そうだった。今はどうだろう。私はその夢について行ってあげられるだろうか。

 ……いけない。燃える瞳にあてられている。イカロスより先に、私の目が焼かれてしまう。

 

「でも覚えておいてほしい。私たちは高みを飛び続ける鳥は見たくても、落ちる姿は見たくない」

 

 逃げるように医務室を出る。校医の意地悪な視線が突き刺さる。

 頂点を目指す彼女の覚悟に、私はついていけるだろうか。トレーナーとして最後までついていけるだろうか。

 ……私なら、その最後をどこまで延ばせるか。

 

 

 

 思案する私に突きつけるように、あるウマ娘の復帰の報が飛び込んできた。

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