シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話   作:ブルーペッパー

30 / 76
29話 黄金たちと日本ダービー 後編

 クラシック三冠レースにはある格言がある。

 曰く、皐月賞は最も速いウマ娘が勝つ。

 曰く、日本ダービーは最も幸運なウマ娘が勝つ。

 曰く、菊花賞は最も強いウマ娘が勝つ。

 皐月賞はデビューから一年足らずで迎える四月開催の一冠目であり、早くとも夏からデビューしたウマ娘たちが翌四月までに心身を鍛え上げることは容易ではない。即ち速さとは仕上がり、成長の速さを指すと言われる。

 菊花賞は秋に行われる最後の一冠であり、3,000mの長丁場だ。即ち強さとは長距離レースを走り切るためのスタミナとスピード、パワー、冷静な思考力、最後の粘り強さ。まさに全てを兼ね備えているかということ。

 では、日本ダービーの幸運とは何か。得意なバ場やレース展開を引き込むツキのようなものか。それもあるだろうが、良く語られるのは枠順である。

 楕円形のコースを最大十八名が横一列に並んでスタートするため、最も有利なのは一枠一番、最も内側のゲートに入ったウマ娘だ。反対に外枠に入ったものほど不利とされる。即ち、日本ダービーを制する幸運とは内枠を取れる幸運を指すのだろう。

 だがしかし、枠順の重要性などどのレースでも少なからずあるだろう。なのに何故日本ダービーだけがそのように言われるのだろうか。

 レースを長く見てきたもの、レースに長く携わってきた者はこう言う。

 

「なぜなら、それが日本ダービーだからだ」 

 

 それより前のGⅠでも、後のGⅠでもなく、誰が決めたかその日、その時、そのコース、そのレースで勝ったウマ娘が世代の頂点となる。それが日本ダービー。

 一生に一度しか走ることを許されず、その時までに実績がなければ出走すら叶わない。

 ダービーウマ娘となることは、一国の宰相になることよりも難しいと言われるほどの栄誉。一度もその誉れに憧れなかった者などいない。

 ウマ娘たちにとっての、ある種ひとつの到達点。

 そんなレースで、優位な枠を引く幸運こそ、ダービーを制するにふさわしい一つの素質なのかもしれない。

 

『各ウマ娘が一斉に飛び出した! 先頭を行くのはセイウン──いや、キングヘイロー! キングヘイローがハナを切った!』

 

 一枠二番。この好条件を掴み取った幸運を、果たして自分は使いこなせているのだろうか。

 真白となった思考を抜けた先、誰の背中も見えないターフの上で、キングヘイローは己が失策を自覚した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 キングヘイローがまさかの逃げ戦法。波乱の幕開けとなった日本ダービーに、多くの出走ウマ娘たちが思った。

 

(これが、日本ダービー……!)

 

 事前に想定していた展開が早々に崩れて戸惑う者もいた。

 

(面白くなってきた!)

 

 一方で、こういう事態が起こり得るからレースは楽しいのだと笑う者もいた。

 本来ハナを取ると思われていたセイウンスカイは無理にキングヘイローを追わず二番手についた。

 戦略をもって逃げを敢行する彼女にとって先頭を位置取ることは決して必須ではない。

 道中先頭でないなら、それに合わせた走りをするだけだ。

 

(アタシが獲るべき位置は……!)

 

 エルコンドルパサーも、自分の脚に合わせた位置を探る。

 

(まずはキングを最後に捕まえられる位置! 同時に仕掛けるセイちゃんを逃がさない位置! そして……)

 

 ちらりと後ろを見る。

 白と紫の勝負服を着たスペシャルウィークがいた。

 向こうもエルコンドルパサーを意識しているのか、チラチラと視線を向けてきた。

 

(スぺちゃんが仕掛けてきても逃げ切れる位置!)

 

 歓声が降り注ぐスタンド前を通過し、第一コーナーへ入るころには位置争いが終わる。

 七枠とやや外側からスタートだったエルコンドルパサーはセイウンスカイの後ろについて三番手、三枠五番のスペシャルウィークは後方についた。

 

 それからは大きな順位の変動はなく、キングヘイローが十八人を引き連れる形でレースは進行していく。

 事態が大きく動いたのは、最終コーナー。これまで二番手に控えていたセイウンスカイが前に出たのだ。

 キングヘイローも先頭を保とうと粘るが、本来差しの彼女が逃げたことが祟ってスピードが上がらない。

 すでにスタミナを使い果たしていた。

 

「くぅ……スカイさん!」

「悪いねキング……でも、これも勝負だ!」

 

 コーナーを曲がったところでセイウンスカイが先頭に立った。

 

「もらうよ、二つ目!」

 

 最後の直線に入り、燃料全て使い切る勢いで加速する。

 後方からもウマ娘たちが続々と上がりだすが、セイウンスカイも脚を残している。

 

(途中で息も入れた! 脚は最後までもつ! ダービーも私が―――!)

 

 瞬間、セイウンスカイの両脇を二つの影が駆け抜けていった。

 片や天から落ちる流星の様な輝きとともに。

 片や空高く舞う猛禽の様に雄々しさとともに。

 漂う雲を貫いて行った。

 

「エル……! スぺちゃん……!」

 

『抜けた抜けた抜けた!! 最後の直線、エルコンドルパサーとスペシャルウィークの二人が飛び出した!

 外からエルコンドル! 内からスペシャル! 黄金世代の激突だ!!』

 

 一バ身、二バ身と二人の背が離れていく。

 必死に脚を動かすがセイウンスカイが彼女たちに迫ることはない。

 

「ちくしょう…………!」

 

 セイウンスカイのスピードも確かに上がっている。 

 しかしエルコンドルパサーもスペシャルウィークも、彼女を上回る勢いで加速していく。

 何が黄金世代か。何がトリックスターか。

 どうしようもない地力の差が、彼女たちとの距離をもって証明された。

 

「ちくしょおおおおお!!」

 

 されてしまった。

 

(やっぱり最後に競るのはスぺちゃん!)

 

 少女の慟哭すら届かぬ先で、エルコンドルパサーは己にぴったりついてくる同期の末脚に舌を巻いた。

 互いにチームに入っているため、併走や模擬レースで一緒になる機会は少ないが、日中の授業などで見たポテンシャルは確かだった。

 

(エルちゃんやっぱり速い! 少しでも気を抜いたらもう追いつけなくなる!)

 

 一方でスペシャルウィークも、エルコンドルパサーについて行くのに必死だった。

 最後の直線も200mを切ってもなおどちらかが抜け出す様子はない。

 だからこそ、ほんの僅かな要素で勝負が決まると理解した。

 

(―――負けられない!!)

 

『両者ともに譲らない! 日本ダービーもゴールまで残り僅か!

 勝つのはエルコンドルパサーか! スペシャルウィークか! ダービーの称号を掴むのはスピカか!? マルカブか!?』

 

 彼女たちがダービーウマ娘の称号を求めるのは、なにも栄誉のためだけではない。

 

(出られなかったグラスのためにも……!)

 

 悔し涙を流した友のために。

 

(テイオーさんにスズカさん、みんなが私を応援してくれた……!) 

 

 背中を押してくれたチームメイトのために。

 

(ここを勝って、世界最強に……!)

(日本一のウマ娘に……!)

 

 己が夢のために。

 そして、

 

「「トレーナーさんのために!!」」

 

 夢を支えてくれる者のために。

 

「「やあああああっ!!!」」

 

 裂帛の気合を迸らせ、二人の身体はほぼ同時にゴール板を通過した。

 巻き起こる拍手と歓声。中には興奮を抑えきれず雄叫びを上げる者もいた。

 

『激戦、まさに激戦としか言いようのないレースでした! こちらからでは勝者ははっきりと分かりません! それほどの接戦でした……! 

 掲示板には写真の文字! 写真判定となりました!』

『三着はセイウンスカイが入りましたね。二人との差は五バ身差。同じ黄金世代ですが、今日はスペシャルウィークとエルコンドルパサーの二人が飛び抜けていましたね!』

 

 続々とゴールするウマ娘たち。

 完走を称える声が飛び交う中、戸惑いの声も混じりだす。

 

「なんか、判定長くね……?」

 

 全員がゴールしてもなお、掲示板に確定の文字は出ない。

 焦らさせ、やきもきした不満を漏らす声もちらほらと聞こえてきたころ、ようやくその時が来た。

 

『判定が出ました! 決着です! 今年の日本ダービーを制したのは!

 黄金世代のダービーウマ娘は―――

 

 スペシャルウィーク!!

 スペシャルウィークです!!

 夢を掴んだのは、スペシャルウィークだ!!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 地下バ道で待っていると、とぼとぼとした足取りでエルがやってきた。

 

「エル」

「……トレーナーさん」

 

 いつもの快活さが無い。

 ハナ差、タイムもほぼ同値の紙一重の僅差とはいえ敗北は敗北。

 デビューからこれまで無敗を誇っていた彼女にとって今日は初めての敗北だ。

 かなりのショックだったのだろう。

 

「ダービーはどうだった?」

「それは……」

「楽しかったかい?」

 

 エルが呆気に取られた顔をした。

 我ながら、変なことを言っているとは思う。

 確かにエルは負けた。

 だがそこに油断もアクシデントもなく、互いの全力を真っ向からぶつけ合った結果だ。

 世界の若駒が集うNHKマイルCに勝ったエルでも勝てなかった。黄金世代という世間の評価は伊達ではないのだ。

 だからこそ、負けをただの負けのまま受け取って欲しくなかった。

 

「負けたら誰もが悔しいものだ。でも、今日エルが感じたのはそれだけじゃないだろう?」

「…………熱かったデス」

 

 絞り出すようにエルが言った。

 

「前のNHKマイルとは違った。最後の最後まで気が抜けなくて、血が沸騰してるみたい熱かった!

 スぺちゃんと競り合っている時は負けるもんかってどんどん力が湧いてきた!

 だからこそ―――勝ちたかった……!」

 

 エルの瞳から涙があふれてくる。

 

「胸が張り裂けそう! 目の奥が熱い! 寒くないのに手足が震えて、不安で見えてる世界が崩れてしまいそう……負けるってこんな気持ちなんデスね……」

 

 涙はマスクを濡らし、頬を伝っていく。

 

「グラスも、キングも、セイちゃんもスぺちゃんも……こんな気持ちだったんデスか?」

「きっとそうだ。そしてみんな立ち上がってきた」

 

 この一戦は確かに意味あるものだった。

 敗北は悔しいし、辛い。だけどこの経験を糧に、ここからエルの心は成長する。

 

「エル、君の夢はこれで終わりなんかじゃない」

「ハイ……」

「敗北を知って強くなれ。君なら必ず今日の負けを糧にできる」

「ハイ―――」

「勝ちに行くよ、ジャパンカップ」

「ハイ!」

 

 涙を拭い、エルの表情に活気が戻る。

 羽織るコートの様に烈火の闘志が瞳に宿っていた。

 ジャパンカップは日本ダービーと同じコースだ。

 この負けは決して無駄にしない。

 次に勝つのは、私たちだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夜。

 学園に戻ってきたエルコンドルパサーは中庭にある大きな切り株の前にいた。

 手には湿ったお気に入りのマスク。普段から素顔を晒さない彼女が、今夜だけは仮面を外していた。

 雲のない空に鎮座する黄金の月が彼女を照らす。

 切り株は中身がくりぬかれて空洞となっており、さらに井戸のように深い穴が空いていた。

 レースに敗れたウマ娘たちが、悔しさや鬱憤を吐き出す場としてよく使われているものだ。

 ふと、耳を澄ますと遠くから賑やかな声が聞こえてくる。

 栗東寮でスペシャルウィークの祝勝会が開かれることを思い出した。

 

「アタシが勝っていたら、美浦寮でもやっていたのかな」

 

 言ってから頭を振って苦笑い。

 終わったレースのたらればを語るなど、未だに引きずっていることを自覚した。

 

「珍しいですね。エルがマスクを外しているなんて」

「ケ!? グ、グラス……!?」

 

 友人の声が聞こえてすぐにマスクをつけた。

 渇き切っていない布が顔に触れて一瞬顔を顰めたが、結局素顔を晒すことへの羞恥が勝った。

 

「ど、どうしたデスか? てっきりスぺちゃんの祝勝会にお邪魔しているとばかり……」

「ええ、ついさっきまで。ですが、一向に来ない恥ずかしがり屋の方が気になりまして」

「うぐ……」

「責めてはいませんよ。……私も、皐月賞の時は同じようなものでしたし」

 

 一瞬だけ、グラスの顔が曇った。

 ケガで出られなかったこととではなく、友人の勝利を意固地になって祝えなかった自分を恥じているようだった。

 

「スぺちゃんには、後でちゃんとおめでとうを言いマス……」

「そうですね、今はそれでよいと思います」

 

 スペシャルウィークも敗者の気持ちが分からない子ではない。

 祝勝会の場にいない者のことを悪く思わないだろう。

 

「トレーナーさんは、エルの夢はまだ終わりじゃないと言ってくれました」

 

 グラスワンダーは友の独白に耳を傾ける。

 

「ジャパンカップで力を示す。そして海外でもエルの力を見せつける。世界一が集まるレースで勝てば最強、そう思っていました。

 ……でも、分からないデス。負けたことのあるウマ娘は、果たして本当に最強なんデスか?」

「それは―――!」

 

 そんなことはないと言おうとしてグラスワンダーは口を閉ざした。

 言葉に仕掛けたそれは慰めでしかないと咄嗟に気づいたのだ。

 最強の定義は曖昧だ。それこそ人の数だけ考え得る最強があるだろう。

 無敗のクラシック三冠か、圧倒的なレコード勝利か、GⅠ連勝か。それとも多くの者に夢と希望を与えた者か。

 頷いて同意する者もいれば、首を横に振って否定する者もいるだろう。

 

「……では、エルの思う最強は何でしょうか?」

「……分からないデス。分からなく、なってしまいました……」

 

 おそらく、エルコンドルパサーが考える最強は生涯無敗だったのだろう。途方もない、それでも彼女なら成しえたかもしれない夢。

 それが潰えたということは、エルコンドルパサーを支える柱が丸ごと消失したに等しい。

 トレーナーの言葉で奮起した一方で、彼女が目指す未来は揺らいでいた。

 

「……先ほど、スぺちゃんたちには宣戦布告してきたんです」

「グラス……?」

 

 ならば、自分がそれを定めよう。崩れかけた道を新たな一本線で補強しよう。

 

「私は秋、菊花賞に出ます。必ず出ます。そして勝ってみせると、そう伝えてきました」

 

 菊花賞。最も強いウマ娘が勝つと言われる、クラシック三冠の最後の一冠。

 エルコンドルパサーがグラスワンダーのために日本ダービーに出たように、グラスワンダーもエルコンドルパサーのために最強を証明しよう。

 

 皐月賞(ひとつめ)は逃した。日本ダービー(ふたつめ)は手から零れ落ちた。

 しかし、

 

「キングさんにも、セイちゃんにも、スぺちゃんにも勝ちます。そうすれば―――」

 

 菊花賞(みっつめ)は逃さない。

 

「私に勝ったことがあるエルが最強です。貴方の夢はまだ続きます……!」

 

 月下の庭にて、少女たちの誓いは結ばれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「いいな。グラスさんもエルさんも……」

 

 物陰から中庭を覗きながら、ライスシャワーは呟いた。

 エルコンドルパサーの様子が気になったので探しに来たが、どうやら無用な心配だったようだ。

 先輩として何か言おうと思ったが、同期の親友の言葉の方が良く届くだろう。もうライスシャワーが言葉を送る必要はない。

 グラスワンダーもエルコンドルパサーも、互いに互いを高め合う関係になっている。

 黄金世代とはよく言ったものだ。一方の輝きを浴びて、もう一方はさらに光り輝いていく。

 

「先輩として、ライスも良いところを見せなきゃね」

 

 日本ダービーが終われば、残るGⅠは安田記念と宝塚記念。

 ライスシャワーが出るのは春シーズンの総決算、上半期のグランプリである宝塚記念だ。

 そしてそれは、過去にライスシャワーが瀕死の重傷を負った因縁あるレースでもある。

 

「次は、超えて見せる」

 

 彼女もまた、黄金の輝きに共鳴していた。

 かつての悲劇を超えるため、悲願の中距離戴冠を目指すため、大切な人の悪夢を終わらせるために走る。

 

 宝塚記念が来る。

 

 

 

 

 

 

 




参考タイム netkeiba.com様より
日本ダービー
1998 スペシャルウィーク 2:25.8 天候 : 曇 / 芝 : 稍重
ジャパンカップ
1998 エルコンドルパサー 2:25.9 天候 : 晴 / 芝 : 良
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。