シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
先に行っておくと、後に禍根を残すとかはないです。
後に、エルコンドルパサーは語る。
──あの時のグラスは過去一番ヤバい顔だったデース……。
チームマルカブが泊まる大部屋は、かつてないほど冷え込んでいた。
それこそトレーナーのデート疑惑が出た時以上に。
まだ八月に入ったばかりで、外は太陽と日本特有の湿度による猛暑だというのに冷凍庫のような肌寒さであった。
「デジタルさん……」
「ハ、ハハーーッ!」
「真面目にしてください。私は今冷静さを欠こうとしています……!」
グラスワンダーの手にあるタブレットが悲鳴を上げる。……ご臨終ではなくまだ悲鳴で済んでいるあたり、彼女の言葉は事実なのだろう。瀬戸際だが。
「どうなってるの……?」
土下座するアグネスデジタルとそれを見下ろすグラスワンダー、そして部屋の隅で震えるメイショウドトウという謎の光景にライスシャワーは立ち尽くしていた。
ライスシャワーから見て、グラスワンダーというウマ娘は余り怒りや侮蔑の感情をはっきり表す娘ではない。
そんな彼女が絶対零度とも言える表情でチームメイトを見下ろす様に驚いた。
同時に、何があったかは分からないが、アグネスデジタルが何かしてしまったのだなと察した。でなければ普段のエルコンドルパサーとのじゃれ合いと比べ物にならない現状が説明つかないと思ったのだ。
「グラスさん……」
一歩、ライスシャワーが部屋の中へ足を踏み入れる。
トレーナーがこの場にいない以上、状況を納めるのはチームリーダーである自分しかいないのだ。
「何があったの?」
「……………」
グラスワンダーは答えない。
無視ではない。言葉で説明しにくいのか、それとも口にできないのか視線が泳いでいる。
グラスさん、ともう一度呼びかける。
「言いづらいなら……うん、言わなくていいよ。代わりに教えて。デジタルさんにどうしてほしい?」
「それは………」
視線が下へ動く。ライスも目で追った先には、手に持ったアグネスデジタルのタブレットがあった。
「消してほしいです。この中にあるものを」
「全部?」
「いえ……」
首を振るグラスワンダー。
そっか、と言ってライスシャワーは未だ亀のように丸まったアグネスデジタルの方を向く。
「デジタルさん、グラスさんはこう言っているけど何のことか分かる?」
「はい! 今すぐ消させていただきます!!」
飛び上がる勢いでアグネスデジタルが立ち上がり、タブレットを操作する。
グラスワンダーに配慮してライスシャワーは背を向ける。
少しして、アグネスデジタルから削除完了の声が上がった。
「端末から完っ全に消しました! この度は本っ当に申し訳ございません!!」
「グラスさん。何があったのかライスには分からないけど、デジタルさんも……」
反省しているみたいだし、と出かけたところで言葉を止めた。
状況を見るに被害者はグラスワンダーだ。彼女の方が先輩だとしても、アグネスデジタルを擁護したり、怒っていることを咎める真似はしたくなかった。
「言い難いみたいだから聞かないけど、デジタルさんも先輩を困らせちゃだめだよ?」
はい!! と必死な声が響く。
悪意が無いことや猛省していることが伝わったのか、次第にグラスワンダーから怒気が薄れていく。
「ライス先輩、騒がせてしまって申し訳ありません……」
「ううん大丈夫。でも、困ったり悩んでいるようなら後で聞くよ」
「ありがとうございます。でも今は……」
「ん。急ぐ必要はないよ」
温もりの戻ってきた大部屋。
しかし、その日はずっとグラスワンダーとアグネスデジタルの間に溝ができたのは確かだった。
◆
チーム・マルカブが合宿中に泊まる旅館には露天風呂がある。
夜。気温も少しはマシになった空の下、グラスワンダーは一人その露天風呂に入っていた。
普段ならエルコンドルパサーなりライスシャワーなり、チームメイトと一緒だったが、今は一人でいたい気分だった。
「ふぅ……」
息とともに疲れが抜けていく。体が温まるのに対し、夜風で少し頭は冷たいのが妙に心地よい。しかし、グラスワンダーの表情はどこか暗い。
アグネスデジタルへの対応は上級生として威圧的過ぎたか。頭が冷えた今ではそんな後悔の念が渦巻いていた。
だが一方でアレくらいで済ましてよかったのかという想いもある。それほどにタブレットにあったアレは彼女の逆鱗を突いていた。
「彼女には、私があんな風に映っていたんでしょうか……」
彼をそういう目で見ているような。あんな真似をするような。そんなウマ娘に。
例の画像が脳裏に蘇り、顔に熱が集まるのを感じた。熱を発する感情は羞恥か怒りか、いや両方か。
とはいえ一度矛を収めた以上、掘り返すのは気が引けた。なにより、間を取り成したライスシャワーに失礼だろう。
どうしたものかと思案していると、露天風呂の入り口である引き戸が開く音がした。
この旅館はチーム・マルカブの貸切ではなく、他のチームのウマ娘や一般客も泊っているので鉢合わせになることもおかしくない。
今は一人でいたい気分だったので、入れ替わりで上がるとしよう。
岩場に置かれたタオルを取り、湯から出ようとしたところで入ってきた者が誰か気付いた。
「あ、あの……! 先ほどの謝罪にというのもおかしいですが、恐れ多くも……お背中など流させていただければ!!」
悩みの発端。アグネスデジタルだった。
◆
風呂場の隅に設置された体を洗うスペース。
置かれた木製の椅子に腰かけながら、グラスワンダーは己が長い髪を結いあげた。
「ふぉ、ふぉぬお……」
背後からの奇声に手が止まる。じとりと冷たい視線を向ける。
「私の背中がなにか……?」
「ほわあ!? い、いえ、綺麗な背中だなと。これを今から触らせていただけるなど、タオル越しとはいえ恐れ多いと言いますか……!」
「はあ……。大したものではないと思いますが」
肌は、まあ白い方だとは思う。しかし競技者として日に焼けていないというのはどうなのだろうか。
もう少し小麦色程度には焼けていた方が健康的ではないかと思う。
肉付きは……考えるのをやめた。
「で、では……失礼します!」
意気込んだ割に、背中に感じたタオルの感触は微かだった。
力が碌に入っておらず、洗っているというよりさわさわと撫でられているようだった。
「あの、もう少し力を入れて構いませんよ?」
「ひゃい!? 玉のようなお肌に傷でもつけてしまったらと思うと……」
「そんなに柔ではありません。デジタルさんが普段洗う程度の力でいいですから」
「は、はい……! それでは改めまして……」
ゴシゴシとボディソープをつけたウォッシュタオルがグラスワンダーの背中を擦る。
ちょうどよい力加減だった。
「どうして突然こんなことを?」
「エル先輩がですね、気まずい時は思い切って行動すべきだと。裸の付き合いとかどうか、とアドバイスいただきまして」
「エルったら……」
サムズアップして自信満々に語るルームメイトの顔が浮かんだ。
しかし事情を知らないであろう───ライスシャワーが漏らすとは考えられない───彼女の気遣いはありがたいとも思った。
「…………ああいう絵を描くのが趣味なんですか?」
「ふぇええ!?」
奇声とともに背中を擦る手が止まった。
その後もええ、とか、あうう、とか意味をなさない声が漏れていた。
グラスワンダーは急かすことなく、アグネスデジタルの回答を待った。
とはいえこのままでは互いに裸で外に居続けることになるので早くしてほしいとは思っていたが。
「ええっとですね。父が印刷業をしているというのもあって、多種多様な書籍に触れる機会がありまして。中には普通の本屋には置かれないようなものもあるのです……」
アグネスデジタル曰く、それは同人誌と言われる類のもの。利益を求める商業目的ではなく、自分の中の『好き』という想いを形にしたもの。彼女がタブレットに書いていたのはそういったものだと言う。
「と、当然リスペクトは大事というか不可欠です! 原作というか元ネタというか、そちらにご迷惑をおかけするなんてご法度なのです!
アレも、途中で書くのをやめたもので誰かに見せようなんて気はこれっぽっちも……」
「それでもああいう内容を無許可で描くのはどうかと思いますが」
「ぐふぅ……! ぐうの音もないド正論でございます……!」
「………………それで」
「はい?」
「どうして、その……私とトレーナーさんだったんですか?」
「え? だってグラス先輩ってトレーナーさんのこと好きですよね」
「……………………………………………え?」
「え?」
呆けた声が飛び交う。次の瞬間、グラスワンダーは自分の顔が真っ赤になるのを感じた。
同時に羞恥によるむず痒さが身体を駆け巡る。
「え、いや……その……何を言って……」
「…………もしや自覚なさっておられない?」
「そ、そういうわけではありませんが……はっきりと口にされるとなんとも……それにデジタルさんとそういった話をしたことはないですし」
「いえ、普段の様子を見れば分かりますよ。今朝のリアクションとか明らかですし……トレーナーさんは全く気付いてないみたいですが」
「くっ、ぐうの音もでない正論……! ですが、それであんな絵を描くことに繋がるんですか?」
「うぐぅ……それは、そのぉ……グラス先輩、悔しかったんじゃないかなと」
「……悔しい?」
はい、と背後からアグネスデジタルの声が続く。
「先輩が出られなかった皐月賞。一生に一度しか出られないクラシック。あんなに頑張ってトレーニングしていたのに、挑むことすらできませんでした」
どれほど辛く、悔しいのかはクラスメイトの走りを直に見に行くことすらできなかったことから察することができた。
結果としてトレーナーや同期たちの計らいでその傷は癒えたが、それがなかったらどうなっていただろうか。
「そういう気持ちをぶつけられるのってトレーナーさんくらいなのかなと。そんな妄想とか不安がごちゃ混ぜになったのがアレでして……いや本当に先輩を不純な目で見ているとかではないんです。本当です」
「そう、ですか……」
随分と歪曲した表現方法だが、彼女なりにグラスワンダーを心配していたというのは伝わった。
結局のところ、自身が一人で背負い込むような気性ゆえに周りに色々と心配させたのが原因ということか。
「心配してくれてありがとうございます」
「ふぇ?」
自分の未熟さがもとなら、これ以上後輩を非難するのも酷かという結論に至った。
「もう怒っていないということです。でもあまり過激な漫画はやめてくださいね」
「は、はい! それはもう誓って! 肝に銘じます!!」
それから、お返しにグラスワンダーがアグネスデジタルの背中を流し、二人でまた風呂に入った。
少しだけ、距離が近くなった気がしたグラスワンダーであった。
◆
「エル」
「グラス! もう大丈夫そうデスか?」
風呂上り、グラスワンダーは就寝準備をしているところのエルコンドルパサーに声をかけた。
「ええ。今回はお気遣いありがとうございました」
「別にいいデスよ。チームメイトがギスギスしていると居心地悪いデスし。デジタルに悪気が無いと信じてマシた!」
「そうなんですね。……エルは後輩たちのことをよく見ていますね」
メイショウドトウをチームに誘ったのはエルコンドルパサーだ。アグネスデジタルともよく行動している。
ライスシャワーがチームリーダーとして皆をまとめるのなら、学年の垣根を越えて繋いでいるのがエルコンドルパサーだった。
「対して私はデジタルさんの気持ちも考えず──」
「てい」
ポスッとグラスワンダーの頭にエルコンドルパサーの手刀が当てられた。痛みはなく、ただ置いただけ。
「……エル?」
「もーグラスは深刻に考えすぎデス。デジタルの気持ち? そんなの向こうも勝手にしたんだからお相子デース。……ま、エルは何が原因か知らされてないデスが。
それにグラスはケガで走れない時期もあったんデスから、エルよりも二人と一緒にトレーニングする時間が短くて当然。気にすることないデスよ」
「そう、でしょうか?」
「そうデース! デジタルもドトウもグラスが頑張っているのは分かってマス。それだけではグラスに不満があるというのなら……」
エルコンドルパサーの瞳に火が灯る。
「秋、見せてくださいね。先輩として、ライバルとして、尊敬できる素晴らしい走りを」
「ええ……ええ! あなたのライバルとして、彼女たちの先達として相応しい走りをしてみせましょう」
雨降って地固まる、とは都合が良すぎるか。
しかしこの一件をもってグラスワンダーとアグネスデジタルの距離は少しだけ近くなり、結束も強くなったのだ。
成果を見せるべき秋は近い。
「……ところで、結局デジタルはなにをしたんデス?」
「秘密です。絶対……!」
おかしいな。無惨様ネタやってギャグにするつもりが真面目な話になった感。
ヘイト稼がず面白いギャグ書ける人は尊敬します。