シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
史実では第一回が2006年。牝馬限定なのでどうやってもブルボンは出られないですね。
トゥインクルシリーズのレースは基本、週末の土曜日曜に開催される。
トレセン学園も土日休みであることから、レースをトレセン学園の生徒が直接見にくることもある。
学園が都内にあることもあり、東京レース場で重賞レースが行われる場合は特に多い。
ライスの復帰レースとなった目黒記念も例外でなく、一般客に混じってトレセン学園の制服姿のウマ娘たちが多く見られた。
その中に、グラスワンダーとエルコンドルパサーの姿もあった。
これが三冠ウマ娘であるシンボリルドルフや、スーパースターウマ娘のオグリキャップでもいようものならレースそっちのけでサイン会が始まるところだろう。
学内では期待のルーキーとして知られる二人でも、世間からすればまだ未デビューの学生でしかない。周りの観客もトレセン学園の生徒なのだな、と制服から判断する程度の認識であるため、特に騒がれることもなくレースに集中できた。
二人の視線の先では、ライスシャワーが接戦を制して一着でゴール。見事復活を果たしたところだった。
万雷の拍手と地鳴りのような歓声の中、エルコンドルパサーが感動のあまり叫んだ。
「ふおおおおおっ! なんというレース! 接戦! 名勝負! 見ていましたかグラス!!」
「ええ。まさに一進一退の攻防。見ているこちらも思わず手に汗握る、熱いレースでした」
先日のミホノブルボンのような圧勝ではなかったものの、ケガからの復帰戦での勝利。しかも戦線離脱前にも劣らぬ勝負強さを発揮して見せたライスシャワーに、二人とも素直に感嘆するばかりだった。
「一体、どれほどの修練があったのでしょうか……」
レースを走るウマ娘にとってケガは一生付きまとうものだ。一度負った傷は、表面上は癒えても癖として残ることもある。負傷前の走りを見失ったり、無意識なトラウマとなって身を縛る。
ケガから完全に立ち直ることができず、そのまま現役を引退する先達は報道でいくつも見てきた。
ライスシャワーもそうなるものだと、心のどこかで思っていた。なにせ生命の危機とまで言われた大怪我だ。そこから、見事重賞を制覇するまでに立ち直った。
奇跡の一言では言い表せない。文字通り血の滲むような努力があったのだろうとグラスワンダーは考えていた。
視線がターフから観客席の一角へ。男性が一人、観客の波をかき分け姿を消すのが見えた。
ライスシャワーを指導する、チーム・マルカブのトレーナーだ。
彼が、青いバラを再び咲かせた立役者なのだろう。
「ふふ~ん? グラス、あのトレーナーさんが気になりますか?」
視線の先に気づいたのか、エルコンドルパサーがからかうように言う。
この口調の時は本音を引き出そうとわざと挑発的な物言いになるのだと、グラスワンダーは知っていた。
「そうですね。先日お話しした時も感じましたが、他のトレーナーさんとは少し毛色の違う方だとは思っています」
スカウトの声をかけてくるトレーナーのほとんどは、クラシック三冠とかグランプリ制覇とか、レースで得られる栄光を語った。
対してチーム・マルカブのトレーナーは派手なことは言わず、ただその時必要だった助言のみ告げた。最初はスカウトの意志がないのかと思った。聞けば彼は、壁にぶつかったウマ娘を見つけては助言をし、けれどもスカウトのスの字も告げないという。
そして一方で、チーム事情から誰かをスカウトしなければならないというのも聞いている。
(トレーナーとしての実績に興味がないのでしょうか……)
ただウマ娘のために、というのは聖人のように聞こえるが、見方を変えれば異常でもある。だからこそ、他のトレーナーよりも印象に残っている。
「エルのほうこそ、自分の出ないレースに興味を持つなんて珍しいですね。誰か気になる方でもいたんですか?」
答えは分かり切っているが、あえて訊ねる。先ほどの意趣返しも含めて。
「エルだってダービーは気になります! まあ本命は、ライスシャワー先輩の復帰レースですが」
「あら、あっさりと言うんですね」
「前会った時から、チーム・マルカブのトレーナーさんは気になっていました! そして今日、担当するウマ娘のレースを見てエルの心は決まりました。
エルとともに世界を目指すトレーナーは、きっとあの人だと!」
この場に学園関係者がいたら驚愕するようなことを告げるエルコンドルパサー。
会場はまだ歓声で埋め尽くされており、二人の会話を聞ける者はいないことにホッとする。
「では、トレーナーさんに声をかけてはいかがですか? ぜひ担当になってください、チームに入れてくださいと。選抜レース前ですが、エルの評価なら通用するのではないですか?」
「甘い! 生クリームがたっぷり盛られたカプチーノくらい甘いデス!」
(……それはウインナーコーヒーでは?)
「エルは世界最強を目指すウマ娘。ならば学園、いや今は同期の間でだけでも最強でなくてはなりません!」
そのためにもまずは選抜レースで勝利する。そうでなくては、こちらから声をかける資格はないとエルコンドルパサーは言う。
ストイックな彼女らしいなと思っていると、にたりと笑う少女の顔があった。
「まだグラスの答えを聞いてませんよ? グラスはどうするんです?」
「……そうですね。エルと同じですよ、とだけ」
つまりは、彼女も選抜レースで勝って堂々と彼のチームに入る気だ。
二人の間で静かに火花が散り始める。
「別のレースであれば健闘を祈ります。ですが、」
「もし同じレースになれば、グラスとはライバルデスね」
「その時はもちろん……」
「手加減無用、デス!」
レースが終わった陰で、すでに次のレースに向けた戦いが始まっていた。
◆
6月に入った。つまりはチーム・マルカブの存続まで一か月を切ったということだ。
とはいえ焦ることはない。今月は選抜レースが二回――三種目のレースを行うので六回ともいえる――ある。今週末のレースで一人、次のレースで一人スカウトすれば解決だ。
ライスの復活勝利も相まって、私のトレーナーとしての評価も上がっている。リギルとかシリウスなどの古参どころと競合しなければスカウトを受けてもらえる自信もあった。
「一番いいのは次の選抜で二人以上スカウトしてしまうことだが……」
現状、狙っているのはエルコンドルパサーとグラスワンダーの二人。だがどちらも競争率が激しく、片方だけスカウトできたとしても幸運だろう。
「次の選抜の種目は芝のマイルと中距離、ダートのマイルの三種目。各レースで一人スカウトできたとして最大三人か」
一度のレースでスカウトするのは一人まで。明文化したルールではないが、一部のトレーナーによる独占を防ぐため、トレセン学園の長い歴史の中で自然と出来上がってきた暗黙の了解だ。
仮にエルコンドルパサーとグラスワンダーが別の種目レースに出走していれば二人ともスカウトするチャンスがある。だが、もしも二人が同じ種目に出ていれば……。
端末に通知が来る。次の選抜レースの出走表を伝えるものだ。
目を通し、私は天を仰いだ。
「そう都合よくはいかないか……」
芝の1,600m右回りマイル走。そこに二人の名前が連なっていた。
◆
選抜レース当日、私はトレーナー室でライスを待っていた。
通常ならレースを見るのは私一人だが、今日はスカウトを最低でも一人決める必要がある。そして、スカウトを受けてもらえば同じチームとしてトレーニングする以上、彼女との相性も重要になる。
今日はライスにも選抜レースを見てもらい、後輩となるウマ娘との相性などを見てもらうつもりだ。
が、約束の時間を過ぎてもライスが来ない。何度かスマホで連絡を取ろうとするも反応が見られなかった。
余裕をもって時間を決めたため、まだレースには十分に間に合う。
ライスは約束を忘れるような子でも、すっぽかすような子でもない。
もしや何かトラブルに巻き込まれたか。ジトっとした汗が背筋に浮かぶ。
居ても立ってもいられず、探しに行こうとドアに手をかけた時、ものすごい勢いでドアが開き、私の鼻っ柱を襲撃した。
「お兄さま、遅れてごめんなさ……きゃあ!!」
同時にライスの悲鳴が響く。どうやら探しに行く手間は省けたようだ。
「だ、大丈夫お兄さま!? ごめんなさい、ライスのせいで……」
「いや、大丈夫だから。それより遅かったけど何かあったの?」
鼻の奥がツンとするが、どうやら血は出ていないようだ。
「え、えっとね。遅れちゃダメって思って早くに部屋を出たの。
それで途中でスマホ忘れちゃったことに気づいて、部屋に戻ったら今度は途中で鍵を落としちゃったみたいで、開けてもらうためにヒシアマゾンさんを探していて、そしたら――」
「ああ分かった。色々と重なったのか。久しぶりに来たな……」
ライスはドジ、というか不幸体質だ。しかも複数の事象が重なる面倒なタイプの。時に周りにも影響を及ぼすこともあり、出会った頃は自分を卑下することが多かったのを思い出す。
目に涙をためているライスの手にはスマホが握られている。おそらく急いでいて私の着信に気づかなかったのだろう。
「とにかく何事もないなら良かった」
「よ、よくないよ……ライスのせいでお兄さまのおはなが……! レースにも遅れちゃう……」
「大丈夫だよ血も出ていないし、時間もまだある。ほら、涙を拭いて。これからライスの後輩を探しに行くんだから、泣いてる先輩なんてカッコ悪いぞ」
「うう……そ、そうだよね。ライスがカッコ悪いところみたら、お兄さまのスカウト受けてもらえなくなっちゃう……」
ライスの涙を拭い、落ち着いたところで一緒に部屋を出る。
今日から、チーム・マルカブが生まれ変わる日なのだと決意しながら。
◆
「うわあ……! すごい人の数……!」
学園内に敷設された会場内に着くとその賑わいにライスが声を上げた。
普段ならば出走するウマ娘の友人やスカウトを目的としたトレーナーが主だが、今日はデビュー済みのウマ娘の姿も見える。
……あそこで焼きそばを売っているのはチーム・スピカのゴールドシップか。
ヒシアマゾンの姿も見えたので、ライスを助けてくれたお礼に頭を下げておく。サムズアップが返ってきた。さすがは美浦寮のおっかさんだ。
トレーナー用の席に向かうとこれまた珍しい姿があった。チーム・リギルのトレーナー、東条トレーナーだ。挨拶しようと近づくと彼女もこちらに気づいたようだ。
「あら、貴方はマルカブの。先日はライスシャワーの復帰レース、見事だったわ」
「ありがとうございます。学園のトップチームに祝っていただけるとは光栄です」
「ライスシャワーも。負傷前にも劣らない活躍だったわ」
「あ、ありがとうございます……!」
「でも油断しないことね。天皇賞(秋)はうちのエアグルーヴも出走予定よ。ミホノブルボンばかり気にしていると足元を掬われるわ」
「オークスの……。これは強敵ですね。肝に銘じますよ」
挨拶もそこそこに、本題に移る。
「……今日はリギルもスカウトのつもりで?」
「いいえ、うちのやり方はいつもと変わらないわ。ただ今回は注目株が多いから足を運んだだけ」
リギルはナリタブライアンにヒシアマゾン、フジキセキにエアグルーヴといった世代を代表するスターウマ娘たちが多く所属する、学園が誇る名門のトップチームだ。
名門ゆえに、スカウトではなく独自に入団テストレースの開催が許されている。そんなリギルも見に来るほどのレースなら、これほどの観客の数も頷ける。
「東条さんが注目しているのは、エルコンドルパサーとグラスワンダーですか?」
「ええ。この時期に選抜に出られるだけでも大したものだし、上の学年の子たちと比較しても遜色ない。できることならリギルのテストを受けに来て欲しかったけれど、彼女たちの意志なら仕方ないわ」
「そこまで評価しているのなら声をかけてみればよかったのでは?」
「かけたわよ。当然」
じとり、と非難するような視線を向けられた。
「二人とも、気になっているチームがあるそうよ。今日の選抜でぜひともそこにスカウトしてほしいんですって」
「それは……不味いですね。私もあの二人のスカウトを考えていたんですが。すでに向こうの心は決まっているとは」
「………ライスシャワー、苦労しているわね」
「どういう意味です?」
「これもおに……トレーナーさんの良いところなので」
「ライス!?」
おかしい。普通のことを言っただけなのに非難されている。
ライスに至ってはため息すらこぼしている。
何度聞いても答えてはくれず、やがてレース開始の時間を迎えてしまった。
◆
胸に手を当て、グラスワンダーは今日のレースの出走者の名前を暗唱していた。
その中には、エルコンドルパサーの名前ももちろんあった。
他を見下すつもりはないが、最も手強い相手は彼女だろう。そしておそらく、エルコンドルパサーも同じことを考えているはず。
望むなら、別の種目に出てほしかったと思う。そうすれば、二人そろってあのトレーナーにスカウトしてもらえたかもしれないのだ。
(いえ、それは甘えですね……)
自分も彼女も、最も良いパフォーマンスを発揮できる種目を選んだに過ぎない。スカウトしてもらうために、最優の自分を見てもらうために。
手加減無用、恨みっこなしの約束はすでに済ませている。ならば、自分の力すべてをぶつけて勝ちに行くことこそが礼儀。
少なくとも、自分とエルコンドルパサーの間ではそれが正解だと知っていた。
名前を呼ばれ、ゲートへと入る。
4番、エルコンドルパサー。
5番、グラスワンダー。
一瞬だけ視線が交錯する。
勝負だ。かかってこい。受けて立つ。
口にせずとも、互いの意志は伝わった。
最後の一人がゲートに収まる。
歓声が消える。風の音だけが耳朶をたたく。
身を落とし、引き絞るように足に力を入れていく。
(いざ、尋常に――)
ゲートが開かれ、
(――勝負!!)
16人のウマ娘が飛び出した。
◆
レース開始直後、一部の見学していた生徒の間から悲鳴が上がる。13番が出遅れたのだ。
真っ先にハナを取ったのは内を走る8番。それを1番が追い、エルコンドルパサーは三番手に収まる。そこから一バ身ほどおいて6番、グラスワンダーを先頭に2~4番、10~12番の七名が中団で塊を形成する。
7番、9番、14~16番が後方に陣取り、少し差を開けて13番が追っている。
13番の脚質は先行だったはず。追込ならまだ可能性はあっただろうが、最後方からの仕掛けは慣れていないだろう。
13番は終わった、他のトレーナーたちもそう判断したのだろう。視線は中団から前を向いている。
ポジションをキープしたまま中盤に入ったところで、グラスワンダーに動きがあった。
6番を抜き、エルコンドルパサーのやや外の斜め後ろに入る。風除けにしつつ、足をためる作戦か。
「仕掛けるには少し早くないかな……?」
「いや、エルコンドルパサーの終盤の伸びを警戒してるんだろう。グラスワンダーは自分の末脚で捕えられる範囲に収めるつもりだ」
「それと、エルコンドルパサーへの牽制もあるわね。下手な動きをしたら、その隙を差せる様に位置取りしている」
東条さんの言う通り、エルコンドルパサーが時折後ろを気にしているのが分かる。
ここからでは分からないが、グラスワンダーからのプレッシャーが相当あるのだろう。
先行策の難しいところだ。あれでは前と後ろ。両方の動きを意識する必要がある。
仕掛けを早まれば後ろに差し切られる。遅れれば前に逃げ切られる。ペースの維持、自身の残りスタミナ、残りの距離とトップスピードに至るまでの時間。エルコンドルパサーの脳は学業で使う以上にフル回転していることだろう。
◆
(面倒な位置につきましたねグラス……!)
背後からピリピリと届くプレッシャーに、エルコンドルパサーは唇を噛んだ。
彼女としてはこのまま逃げウマの後ろで足をためて、最終コーナーで一気に差し切る算段だったが、グラスワンダーのおかげで簡単にはいかなくなった。
先頭に行くために動けば、その隙をついて後ろから差されるだろう。確実に勝つには、よりシビアなタイミングが要求される。
加えて時折近づいているグラスワンダーの足音。仕掛けたかと思えばフェイントで、すぐに位置を戻す。そしてわずかに縮まる1番との差。ペースを乱されている。こちらのスタミナを削るのと、仕掛けどころを乱すつもりだろう。
(変わりましたねグラス。前はこんな手を使ってはこなかったのに!)
以前のグラスワンダーは、真っ向勝負を好み、また拘る性質であった。コース取りから仕掛け方、事前に決めた作戦を貫こうとする。故に少し乱せば立て直しに時間を要し、こちらのペースにはめることができた。
だが今回は違う。グラスワンダーは常にこちらを注視し、時にフェイントをかけてくる。自分が決めた道を動くのではなく、こちらを自身に有利な形に誘導しようとしている。
(これもあのトレーナーさんの影響ですか……なら!)
胸に疼くのは自分にはそんなことをしてくれなかったことへの嫉妬か、それとも自分の見立てが間違っていなかったことへの歓喜か。どちらにしろ、勝てば自分はかのトレーナーとともにさらに強くなれるという確信があった。
(余計負けられない!)
一歩。芝を蹴り飛ばして加速する。
二歩。振り上げる腕は翼のように。
三歩。弾丸のごとく、その体は駆けていく。
背後からの重圧から逃れ、一瞬の自由を手に入れる。空を舞う猛禽には、それだけで十分だった。
◆
「エルコンドルパサーが仕掛けた!」「早すぎないか!?」「グラスワンダーからの圧で掛ったか!」
最終コーナーより手前で加速して外から仕掛けるエルコンドルパサーに、トレーナーたちが騒ぎ出した。
仕掛けどころのセオリーとしては早い。だが、常にセオリーが通用するとは限らない。
「勝負に出ましたね」
「早いわね。それでも後ろを振り切れる自信があるのかしら」
「多分、違います」
ライスの言葉に、私と東条さんが視線を向ける。
「あれは……掛かってこいっていう、グラスワンダーさんへの挑発です」
◆
(エル、あなたは……!)
これまでの攻防を棒に振るような加速に、グラスワンダーは歯を噛み締めた。
思わずカッとなり追おうとする自分を諫め、なんとか冷静さを取り戻す。
今ここで感情のままに追ってもエルコンドルパサーには届かない。
何度も併走したのだ。おそらく向こうもそれを分かったうえで仕掛けたのだろう。
まもなくエルコンドルパサーがコーナーに入る。突然の加速に、前にいた二人が慌てたように加速しだす。
それは悪手だ、とグラスワンダーは分析する。曲がる都合上、遠心力で体が外に揺れる。最短コースを取ろうとすれば遠心力へ逆らうことになりどうしてもスピードが下がる。
エルコンドルパサーは外側を走ることで遠心力を少なく、距離をロスする代わりにスピードを落とさず最終直線へ向かう。広がる差に焦り、また加速しようとすれば遠心力に足を捕られる。
逃げを取っていた二人は悪循環にはまっていた。
(ここからエルを捕えるための最善は――)
コーナーを回りながら、思考を巡らすグラスワンダー。
最短は前に逃げが走っていてコースは塞がっている。すでにスパートをかけているエルコンドルパサーの後ろにつく意味はない。
(あれは……!)
エルコンドルパサーが仕掛けるまで、二番手にいた1番が垂れてきた。ペース配分を誤ったか。上体が上がり、息も荒い。
垂れウマを回避するため少し外に移す。瞬間、開かれた景色が視界に広がった。
エルコンドルパサーよりも内、けれどもコーナーの中間を過ぎた地点。そこに位置取ったグラスワンダーの双眸が、ゴール板を捉えた。
他の走者よりも少し長い直線。前を塞ぐものはなく、足を鈍らすカーブはなく、いるのは抜くべき好敵手のみ。
(今こそ……!)
右足をターフへと突き立てる。身を沈め、力を込める。
引き金を引くように、左足が芝に触れた瞬間、
「全身全霊――いざ参ります!!」
その末脚が炸裂した。
◆
爆発のような音を、エルコンドルパサーは確かに聞いた。
そしてすぐ、背中を殴りつけるようなプレッシャーを感じて悟る。
「来ましたね……グラス!!」
振り向く必要などない。自分の今のスピードに迫れるのは彼女しかいないと確信した。
残った足を振り絞って加速するが、後ろからの圧はどんどんと迫ってくる。先に仕掛けたことであったはずのリードは瞬く間に縮まった。
視界の端にちらちらと映る栗毛。確認する暇もない。一瞬でも意識を別のことに向ければその隙を差される。
気づけば叫んでいた。
「はああああああああああっ!!」
「やああああああああああっ!!」
負けられない。負けたくない。己の感情を全て吐き出すかのような咆哮がターフに響く。
風を裂き、土を蹴り上げ、二人の体が流星となってかけていく。
そして、
逃げ切ったと、エルコンドルパサーは悟った。
力及ばずと、グラスワンダーは悟った。
歓声と拍手を浴び、マスクの少女が両手を天に掲げ、勝鬨を上げた。
◆
私の目から見て、二人の実力は拮抗していたと思う。もう一度走ればきっと結果は逆転するだろう。
だがレースにもう一回はない。いくらレース展開の薀蓄を語ったところでエルコンドルパサーが勝利したという事実は揺るがない。
周りからはエルコンドルパサーを評価する言葉が飛び交い、トレーナーたちは我先にと勝者のもとへ向かう。
勝者以外をスカウトしてはいけないというルールはない。だがやはり、レースでもっとも評価されるのは勝者なのだ。そして私たちトレーナーは、評価の高いウマ娘を指導したいものなのだ。
実際、エルコンドルパサーは終始レースを支配する動きを見せた。終盤の競り合いも制するスタミナ、長くかけられるスパート。間違いなく、数十年に一度の逸材だろう。
だから――
「あ、お兄さま……!?」
ライスの声が届く。東条さんが驚き、呆れるようなため息が聞こえた。
仕方がない。これが、私なのだから。
◆
空っぽになった肺が、貪るように空気を取り込んでいく。陸地で窒息する魚の気分だ。
胸の鼓動が激しい。汗を飛ばす風がなくなり顔から髪から雫が落ちる。脚は限界を訴え震えていた。
まさしく全身全霊。渾身の力をもって駆けたが、それでもエルコンドルパサーには届かなかった。
敗北の悔しさはある。だが一方で清々しさもあった。
自分の持てる力すべてを出し切り敗れたのだ。反省こそあれど、後ろめたさはない。
いや、無念なら一つだけ。
(これで、あの方はエルを……)
エルコンドルパサーの周りには人だかりができていた。彼女をスカウトしようとするトレーナーたちだ。
グラスワンダーからは見えないが、きっとかのトレーナーもいるのだろう。
エルコンドルパサーはどうするのだろう。素直に受けるか。それとももっと高い実績のあるトレーナーを選ぶのか。
(ダメですね。この期に及んで縋ろうとしている)
頭を振る。彼女がなんのためにレースに出ていたか、忘れたわけではない。
一方で希望的な観測も浮かんでくる。
また別のレースで結果を出せば、スカウトしてくれるだろうか。
(そうですよね。次の機会で、今度こそ……)
そう気持ちの整理をしたところで、
「レース直後で申し訳ないが、少しいいだろうか」
聞こえるはずのない声がした。
あれほど貪っていた呼吸が止まる。血の気が引いて、心臓の鼓動が鎮まった。
(なぜ、あなたがここに……)
敗けた自分のところにいる? 声をかけるべきは勝者ではないのか?
顔を上げる。かつて夕方出会ったの男、マルカブのトレーナーが立っていた。
男が口を開く。
「惜しかったが、素晴らしいレースだった。敗れたとはいえ、君は自分の力を十二分に示していた」
ダメだ。その先を声に出してはいけない。
聞いてはいけない……!
「グラスワンダー、君をスカウトしたい」
少女が見る、男の向こう。
マスクした少女の瞳が、荒れた海のように揺れていた。
「どうして……?」
唐突な本作におけるチーム状況(4話時点)
リギル:ナリブ・ヒシアマ・フジ・エアグルーヴ・タイキ・スズカ他モブが多数所属。
ルドルフとマルゼンは専属トレーナー(アプリ版準拠)と契約しているため所属してません。
スピカ:テイオー・マック・ゴルシ所属。話の都合上ウオッカとスカーレットとスぺはまだいません。
テイオーとマックの実績でギリギリ存続が許されている状況。
カノープス:アニメ通り。
シリウス:アプリ版が今後どうなるか分からないので未定。存在はしているということで名前だけ出しました。