シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
感想・誤字報告ありがとうございました。
「ドトウ、今日はお疲れ様。しばらくはゆっくり休んでくれ」
「は、はいぃ……」
「みんなも、今日のレースは参考になる部分があったと思う。映像見返したい子は言ってね」
チームルームで催された反省会と称したメイショウドトウの日本ダービー慰労会は門限に余裕をもって解散となった。
今年の日本ダービーを見たマルカブのウマ娘たちの感想はまちまちだ。
終盤の競り合いやアドマイヤベガの末脚を語る子もいれば、具体的に対策案を上げてみる子もいた。まだ未デビューのウマ娘たちは自分もあの舞台に立つのだと夢を語る子もいた。
一方で、アグネスデジタルやグラスワンダーの表情は神妙であった。どちらも秋には今日のダービー上位陣と走る可能性があるため、自分だったらどう走るかを思案しているようであった。
気が楽なのはトゥインクルシリーズを退き、対戦することがないライスシャワーだ。今年のクラシック級の強さを認めながらも、後輩たちがぶつかる時を楽しみにしているようだった。
そして、本日の主役であったメイショウドトウは少し遠回りで寮へ向かっていた。
一生に一度の日本ダービー。結果は四着。敗北こそしたものの出るだけでも栄誉であり、掲示板に載っただけでも凄いことだと、頭では分かっている。
しかし、
「勝てなかったなぁ……」
胸には未だ悔しさの熱が残っていた。
そして、
「次は、どうしようかな……」
不透明なこれからに戸惑いがあった。
トゥインクルシリーズは日本ダービーに始まり、日本ダービーに終わると言われる。
世代最強を決めるダービーが終われば、次はメイクデビューの時期だ。マルカブでは今のところ予定にないが、早いところでは六月にもデビューするウマ娘がいるだろう。
そして
一方で、日本ダービーを終えたウマ娘たちの次走はいくつかに分かれる。
一つは王道のクラシック路線。秋に行われる最後の一冠である菊花賞を目指す。この路線ならば再び同期の三強と対戦することとなるだろう。
一つはシニア混合路線。秋シーズンの大一番、天皇賞(秋)を目指す。同期たちとの再戦は先延ばしとなるが、逆にグラスワンダーたち黄金世代とぶつかることになる。決して楽な道ではない。
そして最後の一つ。
GⅠ戦線を避け、GⅡ以下のレースで堅実に勝ち星を狙う道。
脳裏をよぎった瞬間、頭を振って否定した。
道そのものは否定しない。だが、その道を歩むことはメイショウドトウが目指すものから外れるものだ。
トレーナーは具体的にどの道に進むかは示さなかった。言葉にしなかったが、メイショウドトウ自身に決めさせようとしているのだろう。
どうしても決心がつかなかったら相談しよう。
そう決めて、偶然グラウンドに目が向いた。
「え……?」
信じられないものが見えた。
◆
「ア、ア、アアアアアアヤベさぁあああん!!?」
叫び声をあげながら、メイショウドトウはグラウンドに飛び出した。
狂乱したような絶叫に、たった今まで走っていたウマ娘───アドマイヤベガは脚を止めた。
「ドトウ、どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃないですよ! ど、どうして走っているんですか!? こんな時間にまで!」
「別に。いつもの日課よ」
「日課って……いくらなんでも今日は休んだ方がいいんじゃ……」
「軽くだから大丈夫よ。毎日のことだから、やらないと落ち着かないの」
汗を拭うアドマイヤベガを見て、メイショウドトウは彼女の言が偽りであると気づいた。
流れる汗、昇る蒸気は決して軽く走った程度で出るものではない。
ストイックと見ることもできるかもしれない。が、レースをした日の晩から走るなど、グラスワンダーでもしないことだ。
不安が、胸に満ちていく。
メイショウドトウの表情で察したのか、取り繕うように彼女は言った。
「次は長距離の菊花賞だから、今からでも何かしておきたいの」
「そうですか……。あ、でももう門限も近いですし……」
「───そうね。そろそろ上がることにするわ」
「で、でしたら片付けを手伝います!」
「大丈夫。大したものはないし、一人で準備したから、一人で片付けられる」
「で、でも───」
「門限が近いのはドトウも同じでしょう。私に構ってあなたまで門限破りする必要はないわ」
「でしたら尚更一緒に───」
「大丈夫だから」
会話を打ち切ってアドマイヤベガはメイショウドトウから離れていく。
暗闇に向かう背中を、メイショウドトウはただ見守るしかできなかった。
◆
日本ダービーが終わった翌日。私は不安な表情でドトウに相談を持ち掛けられた。
今後のローテーションに悩んでいるのかと思いきや、昨晩あったという出来事を聞いて思わず唸ってしまった。
「トレーナーさん、どうしたらよいでしょうか?」
「どう……しようか」
聞く限り、アドマイヤベガの現状は良くない。理由が分からないが、ダービーの激走があった日からトレーニングするなんて選手寿命を著しく削る行為だ。
「まずはアドマイヤベガのトレーナーにも伝えよう。チーム・ハマルの奈瀬トレーナーは優秀な人だ。彼女がそんな身を削るトレーニングを許すはずがない」
「もし、それでもアヤベさんが止めなかったら……?」
あり得る話ではある。が、難しいところだ。
アドマイヤベガの様子は心配ではあるが、結局のところそれはハマルの問題だ。他チームの事情に首を突っ込む真似はよろしくない。
───でもお兄さまは担当じゃないウマ娘の面倒も見ようとするよね?
……幻聴が聞こえた。いや、アレとかアレの時は担当がついていない子だったから。流石に担当トレーナーいる子にまで声は掛けない。……掛けてない、はず。
「奈瀬トレーナーを信じよう。大丈夫、彼女ならきっと上手くやってくれるさ」
「そ、そうですよね……」
ドトウからの相談を受けて、早速私は奈瀬トレーナーの下へ向かった。
促され、席に着いたところでドトウから聞いたアドマイヤベガの様子を伝えると、彼女は心底驚いた後、深く頭を下げた。
「お話は分かりました。教えてくださってありがとうございます」
「頭を上げて下さい! むしろお節介にならなかったようで良かったです」
「お節介だなんて……本来なら担当である僕が気付くべきことです。それを他のウマ娘、しかも同期のライバルから指摘されるなんて……」
奈瀬トレーナーが憂いた表情を浮かべる。
「自分のやることに干渉しない。それがアドマイヤベガと契約する時、彼女が出した条件でした」
「それはまた……」
「澄ました顔で随分な大口を叩くものでしょう? ですがそれだけ彼女の素質が高かった。……アドマイヤベガの母親をご存知ですか?」
奈瀬トレーナーの口から出たのは、私でも知る有名なウマ娘の名だった。
言われてみればなるほど確かに、アドマイヤベガにはその面影が見えた。
「母親の才能をアドマイヤベガは確かに受け継いでいました。その能力の高さから、そして危うさから、ハマルは彼女を迎え入れることを決めました」
チーム・ハマルの面々を思い出す。
スーパークリーク、ナリタタイシン、マーベラスサンデーとクラシックやシニア級で活躍した彼女たちだが、その裏でケガや病気に悩まされていた。
そんな彼女たちを育て上げたトレーナーの手腕を称え、世間は奈瀬文乃を魔術師と呼ぶのだ。
だが、今私の前にいる魔法使いの表情は曇っていた。
「情けない話です。意気揚々とアドマイヤベガをチームに迎えたものの、僕は未だ彼女が何を抱えているのか分かっていない」
「奈瀬トレーナー……」
「いえ、泣き言なんて言っている場合じゃありませんでしたね」
立ち上がる奈瀬トレーナー。顔から曇りは消え、強き女傑のものになっていた。
「改めて、連絡ありがとうございました。ここからは僕の仕事です」
「ええ。頑張って下さい」
素直に応援の言葉を伝えると奈瀬トレーナーは一瞬キョトンとして、フッと笑った。
何故笑うのか、理由が分からずにいると彼女の方から答えが来た。
「だって、まだ僕らの担当はライバルでしょう。なのに頑張ってなんて……塩を送っているようでつい」
「レースとウマ娘の体調は別の話でしょう」
「そうでしょうね。でも行動に移すトレーナーは多くない。……いえ、動けるからこそマルカブはずっと雰囲気が良いのでしょう」
「そう見えているのなら良かったです」
奈瀬トレーナーと別れ、ドトウのLANEにメッセージを入れておく。
少なくとも、アドマイヤベガが無茶なトレーニングをすることはないだろう。
◆
「なんで……」
その日の夜。
グラウンドを見つめるメイショウドトウの口から絶望の声が漏れた。
自分のトレーナーから、ハマルのトレーナーへ伝えてもらったはずだ。彼が嘘をつくハズがない。彼女が忘れるとは思えない。
なのに、何故アドマイヤベガは今日も走っているのか。
「ア……ア、ア、アヤベさん!!」
思わず駆け出した。向こうも気づいたのかスピードを落とし、メイショウドトウの前で止まる。
「ど、どどどうして走ってるんですか!?」
「ドトウ……その話は昨日したはずよ」
「だって……だってトレーナーさんから何か言われたはずじゃ───」
瞬間、アドマイヤベガの表情が変わった。
「そう、あなたの仕業だったのね……」
アドマイヤベガの視線が剣吞なものとなる。敵対者に対するような眼差しに、メイショウドトウは身がすくむ。
「余計なことはしないで……!」
「で、でも」
「私の───!」
その声は、彼女にしては珍しい怒りを滲ませたものであり、
「邪魔をしないで……!」
瞳には、悲痛な想いが宿っていた。
「私のことは、もう構わないで」
「ア、アヤベさん……!」
メイショウドトウの制止を振り払い、アドマイヤベガは去って行く。
その歩みは寮ではなく、学園の外へと向かう。
端からこうする予定だったのか、アドマイヤベガの歩みに迷いはない。
月の明かりも届かない闇の中へと身を沈める様子を、メイショウドトウはただ茫然と見ているしかなかった。
「……どうしよう」
アドマイヤベガの姿が見えなくなり、グラウンドにただ一人残された少女の口から言葉が漏れた。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしたら……!!」
こんなはずではなかった。
無茶をするアドマイヤベガのことをトレーナーに報告に、担当から注意してもらう。それで万事解決のはずだった。
なのに事態は悪化している。
アドマイヤベガは担当トレーナーの忠告を無視し、身体を痛めつけている。
メイショウドトウはもうアドマイヤベガにとって邪魔者でしかない。
「ト、トレーナーさんにもう一度……!」
スマホを取り出し、電話帳アプリからトレーナーの番号を呼び出したところで手が止まる。
通話ボタンを押せばかかるはずなのに、震えた指先は動かない。
「トレーナーさんに言ってどうするの?」
すでに実行した手段だ。それがこの事態を招いた。
同じことをして好転するとは思えなかった。むしろアドマイヤベガの周りとの溝をより深めるだけではないか。
悪化した事態の原因としての罪悪感と自己嫌悪がメイショウドトウに襲い掛かる。
しかし、こうしている間にもアドマイヤベガは己が身を削っていく。
有効手段が思い浮かばない。時間だけが過ぎていくことに、さらに自己嫌悪が積みあがっていく。
「わ、私って本当に……」
「ドトウさん? どうしたの……?」
溢れそうになった涙は、不意に掛けられた声で引っ込んだ。
視線を向ける。
闇に融けたような黒髪と、そこから除く紫電の瞳。中等部のメイショウドトウよりも遥かに小さい体躯。
「ライス先輩ぃ……」
けれど、メイショウドトウが知る中で誰よりも強いウマ娘だった。
◆
「そっか、アドマイヤベガさんはそんなことに……」
メイショウドトウから事の次第を聞いたライスシャワーは思考を巡らせる。
面識は無いも同然の相手だ。メイショウドトウと同じレースを走っているから顔と名前は知っている。が、それだけ。人となりは全く知らない。
なので、アドマイヤベガの意図を図ることはできない。
なら、と泣きそうになっているメイショウドトウに告げる。
「ドトウさんは……どうしたい?」
「へ?」
間の抜けた声が返ってきた。
唐突な問いを、メイショウドトウは溢れそうだった涙も止めて反芻する。
そして、
「わ、わからないです……」
弱々しい答えが零れた。
「アヤベさんが心配で、トレーナーさんに相談して……そしたら、アヤベさんを怒らせてしまって……。
助けるつもりがアヤベさんをもっと追い込んでしまいました。私なんかが何かしても、余計なことにしかならないです……」
「ドトウさん……」
元より自己肯定感が低い娘だ。それが今回の一件で自信を喪失してしまっていた。
「……ドトウさんの気持ち、ライスは分かるよ。頑張って、決意して、誰かのためって思って実行したら思ったような結果にならなかった時の気持ち」
ライスシャワーの脳裏によぎるのは自分が走った菊花賞。ついに獲ったGⅠの栄冠に喜ぶ者が確かにいた一方、その勝利に俯く者が多かった。
ミホノブルボンの三冠を阻んだという非難の声。真剣勝負なんだぞという擁護と非難に対する批判の声。幸せを祈る少女の走りが、世間に不和を呼んでしまった。
「だから、ドトウさん」
その時の痛みを知るからこそ、ライスシャワーは告げる。
「ここで止まっちゃダメ」
「ライス先輩……?」
「上手く行かなかったのは分かるよ。事態が悪化しちゃって自分のすることが正しいのか分からなくなっちゃうのも」
「で、でもぉ……私なんかじゃあ……」
「大丈夫。ドトウさんは強いもの」
ほえ? と間の抜けた声がメイショウドトウから漏れた。ライスシャワーの言葉を理解したところで、メイショウドトウがあわあわとしだした。
「わ、わわわ私が強いなんてありえないですよ!」
「ううん強いよ」
「だ、だってだって! わ、私なんてGⅠも勝ててないし、先輩たちみたいに凄い目標もないしそれから───」
「強いよ」
ライスシャワーがメイショウドトウの手を掴んだ。
「秋の天皇賞に向けてライスが追い込んでいる時、ドトウさんだけが口に出してライスを止めてくれたよね」
頑張って、無理をしないで、応援や身を按じた言葉を送るウマ娘はいたが、休もうとはっきり言ったのはメイショウドトウ一人だった。
見守る者が多い中、彼女だけがライスシャワーを止めようとしたのだ。
「エルさんやグラスさんは勝つことへの意識が強いっていうのもあったと思う。あの時は大丈夫って言ったけどね、ドトウさんの言葉は嬉しかったよ。だから、あそこで止めようと動けるのはドトウさんの強いところ」
真っ直ぐにメイショウドトウを見ながら、ライスシャワーが続ける。
「正直、ライスにはアドマイヤベガさんの気持ちは分からない。何を背負っているのか、どうして自分を傷つけるのか。だからあのヒトを説得する言葉は思いつかない。……シャカールさん風に言うのなら、ロジカルじゃないっていうのかな。……だからね? 分からないなら、自分の我儘をぶつけるしかないと思うの」
「我儘を……?」
「うん。自分が相手にどうして欲しいのかを伝えるの。向こうが気持ちを教えてくれないのなら、自分の気持ちを伝えるの。
……だからもう一度聞くね。ドトウさんはどうしたい?」
「わ、私は……」
口がもごもごと動くが、言葉が出てこない。
ライスシャワーは優しく見守る中、メイショウドトウの脳裏に同室の言葉が蘇る。
───“いつか”を“今”にするか、“十年後”にするかを決めるのはオマエ自身だ
「私は……」
自分の夢は何か。望みは何か。そのために何が出来るのか。
「私は───」
動くのは“今”だ。
「私は!!」
弾けるように、メイショウドトウは駆けだした。
止める間もなく闇夜に消えていく背中を見て、ライスシャワーは苦笑した。
目的は分かる。だが彼女がどこにいるのか知っているのだろうか。知らないだろう。知らないが、感情のまま走り出した後輩の姿に成長を感じていた。
「さて、と……」
スマホを取り出す。LANEか、電話か。どれが一番手っ取り早いか考えながら操作していく。
「頑張ってねドトウさん。ライスたちも、協力するから」
◆
自分の生は譲られたもの。アドマイヤベガの根底にはそれがあった。
自覚したのは幼少期に母に誘われレースに出た時だ。走ることへの欲求、勝利の喜び、それはアドマイヤベガ自身が想像していた以上のものだった。
そしてその理由を知った時、彼女の人生の指針は定まった。
この生は、生まれてくることができなかった半身のために捧げよう。生きることができなかったもう一人のために、あの子の望みを私が叶えよう。
それが、自分の存在理由だ。
「はあ……はあ……!」
街灯もない山中を、アドマイヤベガは一人駆けていた。
勾配のある山道を駆ける彼女の息は荒い。肺が締め付けられるように痛み、脚は焼けているかのようだった。
(これでいい……)
日本ダービーが終わった彼女の次なる目標は秋の菊花賞、3,000mの長距離レースだ。走り切るためにもスタミナ面の強化は必須だった。
そして、これは自身への戒めでもあった。
(もう、私は間違えない……!)
先日の日本ダービー。アドマイヤベガの胸は高鳴った。同期との激闘に熱を持ち、勝利に歓喜した。
……その感情は、生まれてこなかった半身が抱くはずだったのに。
使命を忘れて自分の幸せを享受してしまった。それはいつかした誓いへの裏切りであり、許し難いことであった。
故に、アドマイヤベガは今改めて走るだけの存在へと変わろうとしていた。
勝利も、栄光も、幸福も。全てを
「ア、アヤベさん!」
「…………ドトウ」
思考を遮る声。振り返ればメイショウドトウが立っていた。
顔には滝のように流れる汗。トレセン学園の制服は薄汚れ、ほつれた箇所もある。あれから必死に追ってきたのだろう。
アドマイヤベガの居場所など知る由もないだろう。きっと、文字通り虱潰しに走り回ったのだ。
「構わないでって言ったはずよ」
「ま、まずは……ごめんなさい。勝手なことをしました」
頭を下げながら、でも、とメイショウドトウは続けた。
「アヤベさんが心配だったのは本当です。レースを終えたばかりなのにすぐトレーニングして……このままじゃ体を壊してしまいます」
「あなたには関係ないことでしょ……」
「大切なヒトの、こと、です……!!」
「──────」
「ア、アヤベさんにとって私はただの同期かもしれませんけど……私にとってアヤベさんは凄いウマ娘で、素敵で、尊敬できて、オペラオーさんと同じくらいの憧れで───」
少女が顔を上げる。
「幸せになって欲しいんです」
「…………勝手なことを言わないで」
「そう、ですね。ごめんなさい。……でも、これが私の気持ちです。ここまで来た理由です」
一歩、少女が距離を詰める。
「アヤベさんは私なんかと違ってしっかりしているから、きっと何か考えがあるんだと思います」
さらに一歩、また一歩、少しずつ孤高の星へと歩み寄る。
「それは私には分からないことかもしれません。でも、だからって見ているだけは嫌です」
ライスシャワーは見事復活し、秋の天皇賞を走り切った。サイレンススズカは奇跡的に生き残り新天地へと旅立った。しかし、アドマイヤベガも同じようになる保証はない。
「トレーナーさんに言うのがダメなら、私が何回も伝えます。何度も言います。何回だって、止めます」
ついに、メイショウドトウはアドマイヤベガの目の前までやって来た。
その手を伸ばし、星を掴む。
「無茶な真似は止めてください。自分を、もっと大切にしてください」
「ドトウ……」
真っ直ぐにアドマイヤベガを見つめるメイショウドトウ。いつも弱気なはずのその瞳が、今は力強い光を宿していた。
その光は顔を背けたくなるほどに眩しくて、
「やめて」
「やめません」
振り払おうとした手は頑なで、掴まれたままだった。むしろますます力を込めて手を握ってくる。
「放しなさい」
「放したらトレーニングを止めて戻ってくれますか?」
「…………」
「放しません……!」
「本気で怒るわよ」
「お、怒られてもやめませんから……!」
「いい加減に───」
メイショウドトウの優しさに触れる度に胸の奥が痛む。その優しさも、本当ならここにいないあの子が得るはずだったものなのに。
こみ上げた罪悪感が、怒声となって迸った。
「いい加減にして! 私はこんなことしている場合じゃない、あなたに私の何が分かるの!!」
「話してくれないんだから、分かるわけないじゃないですか!!」
「……っ!」
怒鳴り返されるとは予想外だったのか、アドマイヤベガは言葉に詰まった。
「何を考えているのか分かりません。アヤベさんが何を背負っているのか分かりません。聞いていいことなのかも……話しにくいことなんだろうなってことしか分かりません。
分からないから、私の気持ちを伝えます。
……もっと、自分を大切にしてください」
◆
「私は、双子だったの」
根負けして学園に帰る道中、アドマイヤベガはぽつりぽつりと語りだした。
「えっと、双子だったというのは……」
「一緒に生まれてくることは無かったということよ」
メイショウドトウが息を呑むのが分かった。
自分の出生は担当トレーナーである奈瀬にも明かしていないことだ。それを彼女に話すというのは妙な気持だった。
「私も母に聞かされるまで知らなかった。でも、あの子はずっと私の中にいた。レースに出て勝つとあの子が喜んでいるのが分かった」
自嘲的な笑いが漏れた。
「……変な話ね。顔も声も知らないのに気持ちは分かるなんて」
「でもそれが、アヤベさんが走る理由なんですね」
「ええ。あの子が出来ないことを私が代わりにやろうと思った。トゥインクルシリーズに出て、大きなレースに勝つ。あの子が受けるはずだった賞賛や栄光を、私が掴む。それが私の使命、生きる理由」
学園が見えてきた。夜間の外出届など出していないことを思い出してため息を漏らす。反省文か、罰掃除か。どちらにしろ寮長からの大目玉は確実だった。
「話はおしまい。これで私がレースに拘る理由もわかったでしょ。今日は大人しく戻ったけど、これ以上私のことは───」
「───ア」
「え?」
「ア~ヤ~ベ~さ~ん~~!!」
「ってちょっと!? どうして大泣きしているのよ!?」
「だって、だってえええ~~~~!」
山中で見せた強気はどこへやら。メイショウドトウの両目からは滂沱の涙が流れていた。
「アヤベさんは
「だからって、あなたが泣くようなことじゃないでしょう!」
ズビズビと鼻を鳴らして、よし、とメイショウドトウは決意したように頷いた。
「私が走ります!」
「……………は?」
「アヤベさんの代わりに私が走ります! アヤベさんの走り方で!」
「ちょっと。何を言っているか分かってる?」
「分かってます!」
「それ絶対分かってないヒトの答え方よ。大体、私とドトウじゃ走り形が全然違うでしょう」
「教えてください!!」
「えぇ……」
「アヤベさんは双子さんのために走るんですよね! じゃあアヤベさんに教えてもらった走りで勝てればアヤベさんが勝ったのと同じじゃないですか!」
「その理屈はおかしいでしょ……」
「でも、これならアヤベさんは休めます!」
「落ち着きなさい。私に教わるって、チームが違うじゃない。別のチームにいるウマ娘で協力するなんて聞いたことがない」
「だ、だったら……だったら───!」
ようやく、メイショウドトウが言葉に詰まった。
流石に致命的な一言は踏みとどまったかと、アドマイヤベガは安堵した。
とにかく彼女の突拍子もない発言を止めさせようと説得の言葉を考えるが、二人揃って失念していた。
「あらあら~」
ここが、トレセン学園の目の前なのだと。
「随分と、面白い話をしていますね~?」
穏やかそうな声。なのに聞いている二人の顔から血の気が引いていく。
特に、付き合いのあるアドマイヤベガは知っていた。この声色は、本気で怒っている時だと。
「ク、クリークさん……!」
「アヤベちゃん、ドトウちゃん。二人ともお話があります」
あのオグリキャップとしのぎを削った永世三強の一角。チーム・ハマルのリーダー役であるスーパークリークが、黒い笑みを湛えていた。
そして、
◆
そして、翌朝。
「えー今日は大事なお知らせです。しばらくの間、私たちチーム・マルカブとチーム・ハマルは合同でトレーニングを行います」
両チームのウマ娘たちから、おおー! と感嘆の声が響く。隣に立つ奈瀬トレーナーに促されて続ける。
「ハマルは知っての通り、長距離から短距離まで幅広い名ウマ娘が所属するチームです。ドリームトロフィーリーグに移籍した子も多くいます。学ぶことは多いと思うので頑張っていきましょう!」
「僕からも。マルカブは今特に勢いのあるチームの一つです。ハマルだけでは受けられない刺激もあるはずだから、しっかりと身に着けてください」
『はーい!』
元気な声と拍手が起こったところで、各自がトレーニングを始める。
今言った通り、ハマルのウマ娘とマルカブのウマ娘が混じってメニューをこなしていった。
「……思ったよりすんなり受け入られましたね」
「ええ、反発があるかと思いましたが杞憂だったようです。
……改めまして、こちらのアドマイヤベガのために協力いただきありがとうございます」
「いえいえ。元はうちのドトウが言い出したことですから」
昨夜、ライスからドトウとアドマイヤベガの件を聞いてから少しして、今度はハマルのスーパークリークから二人が学園に戻ったと連絡があった。
アドマイヤベガはレース自体の消耗と、レース直後のハードトレーニングにより脚への負荷がかなり大きくなっていた。
奈瀬トレーナーや学園の医療スタッフの診断ではしばらくトレーニングは絶対禁止とのことだ。
「元より菊花賞は適性的に厳しかったけれど、今回の件で間に合う可能性はなくなった」
「……はい」
無慈悲な決断だったはずだが、意外にもアドマイヤベガはすんなりとこれを受け入れた。
張り詰めたような空気は消え、憑き物が落ちたようだったが、理由はドトウの提案だったらしい。
そして今日から、
「ドトウ、こっち来い」
「は、はい。なんでしょう……?」
「オマエは特別メニューだ」
シャカールがドトウを私たちの前に連れてきた。
「ドトウ。確認だけど、昨日言っていたことは本気?」
「ほ、本気、です……!」
「アドマイヤベガの走りを継承したうえで菊花賞に挑む。その意味が分かっているかい?」
「わ、分かっています……!」
ドトウの脚質は前目の先行。対してアドマイヤベガは後方からの追込み。正反対の脚質だ。
元よりスタミナはある方とはいえ、菊花賞に向けて長距離のトレーニングに加えて脚質の変更。実現は至難の業だろう。
だが、
「わ、私に出来ることはなんでもやります! なので、どうか協力をお願いしましゅ! ……噛んだ」
あのドトウが、自分に自信を持てず弱気だったドトウが自分から明確な目標を言ってきたのだ。トレーナーとしてこれを応援しないわけにはいかない。
「よし、じゃあ始めようか。菊花賞に向けての特別メニューだ」
「はい! ……はい? 特別?」
「当たり前だろ。生まれもっての脚質を変える、しかも他人の走り方に矯正しながら3,000m走る身体を作るなんざ、並大抵のメニューじゃ実現性がねェ。だが」
「そこは私たちが」
「しっかりサポートするね!」
シャカールの声に合わせて、脇から現れたスーパークリークとライスががっしりとドトウの肩を掴む。
「え? ……え?」
「メニューはシャカールと私たちトレーナー二人できっちり組んだ。走り方の再現性のためにアドマイヤベガにも見てもらう。そしてなにより」
「学園トップクラスのステイヤー二人による直接指導だ。キツいだろうが、アヤベのためにも頑張ってもらおう」
「ククク……いいデータになりそうだ」
「が、ががが頑張りますぅぅう!!」
悲鳴にも聞こえる声をあげつつも、メイショウドトウの挑戦が始まった。
そしてまた、
「ドトウさんが覚悟を見せましたね。なら、先達として私も……!」
グラスの宝塚記念が迫っていた。
ドトウに火が点いたところで覇王世代の話は一旦終了。
次回が宝塚記念で、その次はデジタルにスポットを当てる予定です。
……更新は早めにできるよう頑張ります。