シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
一話ずつ、四日間投稿します。
時間は少し遡り、天皇賞(春)が終わって少し経った頃。
日本ダービーやオークスに注目が移るまで、世間はセイウンスカイのレコード勝利に沸いていた。
皐月賞ウマ娘の一年ぶりのGⅠ制覇。しかも現役トップクラスの面々を相手取っての勝利だ。番狂わせとも格上倒しとも言える勝利は人々をより惹きつけた。
「……正直、勝てたのは運が良かった」
一方、当のセイウンスカイ陣営は冷ややかだった。というよりも、世間の称賛に舞い上がらずにレースを分析していた。
「本命視されてたメジロマックイーンとライスシャワーがまだ本調子じゃなかった。けど周りは二人をマークしてたからスカイへの警戒が薄かった。
菊花賞、有馬記念の負けが印象にあって長い距離への適性が侮られた。こんなところか」
テレビに流れるのは天皇賞(春)のレース映像。何度も見直してきたそれをまた改めて見て、セイウンスカイのトレーナー───同僚からはヒロと呼ばれる男はそう結論付けた。
「悔しいですけど、足元すくって勝った感は否めないですよねー」
そう言いつつ、セイウンスカイの顔に不満の色はない。フィジカル任せでなく、策を弄しての逃げ切り。それが自身のスタイルだと自負している。当然、世間からの評価が低いのを利用するのも策のうちだ。
「でもトレーナーさんがそういうこと言うの珍しいですね。てっきり運だろうと勝ちは勝ちだ!ってタイプの人かと」
「自分で言うのはいいんだ。他人に言われると腹が立つだけで」
「ええ……」
ほらよ、とトレーナーが雑誌を机の上に放り出した。
トゥインクルシリーズを扱った数ある雑誌の一つで、パラパラとページをめくると天皇賞(春)を振り返ってと題した特集記事があった。
「えーとなになに……『一年ぶりのGⅠ制覇は皐月賞を思い出させる見事な逃げ切り勝ちであった。しかし、レースの流れを見れば展開に助けられたところが多いという印象だ。自身に優位な展開を引き込むのも実力だが、やはり強い逃げウマ娘というとサイレンススズカやミホノブルボンといった他者を寄せ付けない走りが理想だろう』……むー」
まだ続きはあったがそれ以上は読む気が失せた。
「なるほど、トレーナーさんの気持ちが分かりました」
「だろう? つーわけで、こういう連中を黙らせるにはもっと勝たなきゃならん。しかもできるだけデカいところをな。だから次は───」
「宝塚記念ですか?」
トレーナーが頷く。セイウンスカイの適性は芝の中距離から長距離。上半期に該当するGⅠはそこしかない。
「おそらく今回の春天メンバーの多くがここを目指す。あのメンバー相手に二回も逃げ切れば、フロックなんて言う輩はいなくなる。そして」
「みんな春天のリベンジマッチのつもりで来るから気が抜けないと……あーあ、セイちゃんのお休みが無くなっちゃう!」
「これが終われば夏休みだ。海釣りでも渓流釣りでも付き合ってやるから気合いれろ」
「しょうがないかー」
その翌日から、セイウンスカイ陣営は動き出した。天皇賞の疲労もあることから簡単なジョギング程度から始めて、徐々に中距離に向けて調整しようという算段だった。
しかし、ある日のこと。
「トレーナーさん。その……ちょっと脚、痛いかもです」
◆
「セイウンスカイが宝塚記念を回避か……」
飛び込んできた速報に、私は思わず声を上げてしまった。
日本ダービーも終わって六月、セイウンスカイの不調が報道された。記事には担当であるヒロさんが報道に投げた文が載っていた。
曰く、春天の疲れがこのタイミングで吹き出したのか、歩様に乱れが出てきたとのこと。復帰時期は未定。骨折、炎症は見られないが大事を取ってまずは回復に努めるとのことだった。
レース引退の文字がないことに安堵しつつ、春天のリベンジができないことに溜め息が漏れた。
「彼女が出ないとなると、展開が大きく変わりそうだ」
宝塚記念の出走予定メンバーを再確認する。
人気投票で出走も叶う上半期のグランプリだけあって、多様な面々が名を連ねていた。
年が明けてから春にかけて実績を積み上げてきた者、勝ちこそないもの好走を繰り返し次こそはと期待される者と様々だ。しかし、やはり目を引くのは既にGⅠを制したことのあるウマ娘たちだろう。
一人はマチカネフクキタル。一昨年の菊花賞ウマ娘だがここ最近は勝利が遠のいている。が、あのサイレンススズカを重賞で破ったことのある数少ないウマ娘だ。油断はできない。
一人はサクラバクシンオー。昨年のリベンジとばかりの出走だ。数年前では信じられないことだが、ついに大阪杯を制した彼女の可能性は未知数。距離をさらに200m延ばしての出走だが、コースは同じ阪神レース場。セイウンスカイが不在なら、レースを引っ張るのは彼女かもしれない。
そして、
「スペシャルウィーク……」
グラスと同期であり、あのエルを打ち破ったダービーウマ娘。直接対決の成績としてはこちらが勝ち越しているがそれらのレースはいずれも長距離。中距離での激突は今回が初めてだ。次の宝塚記念、一番の強敵は間違いなく彼女だろう。
「どう戦うか……」
スペシャルウィークの末脚は驚異的だ。日本ダービーを見るに、終盤の力比べで彼女に勝つのは至難の業だろう。
思案しているところにスマホが振動。見ると、新しくレース関連の速報が届いたようだ。もしかしたら宝塚記念のヒントになるかもしれないと開いてみると。
「これは……!」
◆
「スペちゃん、ちょっといいですか?」
「グラスちゃん? いいけど、どうしたの?」
「えっと、その……」
授業の合間の休み時間。グラスワンダーがスペシャルウィークに話しかけた。
どこかよそよそしい態度に、スペシャルウィークは首を傾げた。
レースでは譲れないライバル同士だが、それ以外では仲の良い友人だ。一緒に遊びに行くこともあるし、試験が近づけば勉強も共にする。なのに、こうも口籠るのはどういうわけか。
分からずにいると、意を決したグラスワンダーが問うた。
「凱旋門賞に出るというのは、本当ですか?」
「…………本当だよ」
シン、と教室から音が消えたのは気のせいではないだろう。教室やすぐ外の廊下にいるウマ娘たちの視線が集まってくるのをスペシャルウィークは感じ取った。
「トレーナーさんと相談してね。でも、海外に行くのは宝塚記念に勝った場合の話だよ」
「どうしてです?」
「日本一を目指すなら、世界に挑むなら、勝っておきたい相手がいるから」
それは誰か、と問う必要はなかった。
日本ダービーを制したスペシャルウィークが挑む、宝塚記念に出るウマ娘など限られている。
「勝負だよ、グラスちゃん」
黄金世代三強の一角、ジュニア級に王者として君臨し、クラシック級でグランプリを制した怪物。
貴女に勝って、私は世界へ行く。頂点を目指す少女からの宣戦布告だった。
◆
日中に伝えられたスペシャルウィークの海外遠征は即座に学園中に、そして世間に広まった。
ダービーウマ娘の海外遠征は即ち世代の代表が世界に挑むことを意味し、既に渡欧していたエルの活躍も合わせてメディアを賑わせていた。
「スペシャルウィークが凱旋門賞ですか。スピカも思い切った選択をしますね」
「奈瀬トレーナーから見てどう思いますか?」
「チャンスはあるんじゃないですか? ダービーの末脚は見事でしたし。日本と欧州で芝の違いはありますので現地の走りを見ないとそれ以上の判断できませんが。しかし……」
奈瀬トレーナーがグラウンドに視線を向ける。
「グラスワンダー、気合が入っていますね」
口にすると同時、併せをしていたグラスが仕掛けた。しかし相手もむざむざと抜かせはしない。
模擬レースかと思わせる激しい競り合いに周りのウマ娘たちも息を呑んだ。
結局、あと一歩まで迫ったもののグラスが差し切ることは無かった。
「いやー危なかったッス! もう少しで抜かれるところだったッス!」
「ふう……ありがとうございました」
こちらこそ! と快活に返したのはハマルに所属するバンブーメモリー。今はドリームトロフィーリーグだが、トゥインクルシリーズではスプリントからマイルで活躍した快速ウマ娘だ。
「バンブーとの併せをお願いされた時はどうかと思いましたがまさか競り合えるとは……。菊花賞ウマ娘という評判に囚われていましたがマイルでも活躍できそうですね」
「そう言ってもらえると自信になりますね。来年は安田記念を狙うのもいいかもしれません」
バンブーメモリーと競り合えるのなら現実的な目標だろう。ジュニア級で負ったケガで瞬発力が落ちていないか心配だったが、杞憂だったようだ。
「しかし、本番でもスペシャルウィークの後ろに着く気ですか?」
奈瀬トレーナーの疑問ももっともだ。グラスとスペシャルウィークの対決を見返せば、いずれもグラスは彼女の前に着いていた。結果スペシャルウィークに先着しているのだから、それに倣う方が良いだろう。
しかし、
「スピカもそこは対策してくるでしょう」
思えば随分と因縁が溜まっている。メジロマックイーンとライスに始まり、サイレンススズカ、そして今はスペシャルウィークだ。
特にグラスとスペシャルウィークはクラスメイトということもあってなおのこと意識しあっている。
「考えられるのはスペシャルウィークがグラスをマークすること、もしくはグラスワンダーの前に着くことです」
「相手のスパートに合わせて仕掛ける、後ろについて負けたのなら前へ、末脚自慢なら妥当な策ですね」
ですが、と奈瀬トレーナーが続ける。
「グラスワンダーがスペシャルウィークをマークすることで片方の策は潰せます。それでも結局、末脚のキレであのダービーウマ娘と競うことになります」
「承知の上です」
何度も言うが、スペシャルウィークの末脚は凄まじい。だが、グラスがそれに劣るというのは実績からの推定でしかない。
なによりも、
「エルを倒した末脚に敗れることも、まして真っ向勝負を避けるなんてこと、我慢できないよね………」
◆
打ち直す。
歪んだ刀身を整えるように。
研ぎ澄ます。
毀れた刃を研ぐように。
一薙で全てを切り裂く刃を目指す。
薪を焚べる。
熱をもっと高く、もっと純なるものにするために。
我欲を燃やす。不純を熔かす。
ただ、天を焦がすような熱を目指す。
そうだ。
私はただ、
◆
阪神レース場は沸いていた。
春シーズンを締め括る宝塚記念があるからだが、理由はもう一つ。スペシャルウィークの海外遠征の可否を見に来ていた。
昨年のジャパンカップをもってエルコンドルパサーが欧州へ渡ったように、気の早いファンはグランプリを制して海を渡る王者の姿を幻視していた。
「あいつがここまでのスターウマ娘になるとはな……」
そこかしこに見える、スペシャルウィークを応援する横断幕やグッズを手にするファンの姿を見て、スピカのトレーナーは呟いた。
能力の高さは編入した時から目をつけていた。田舎から出てきたせいかどこか世間知らずなところがあったが、日本一のウマ娘という夢に向かって邁進する姿は見ていて応援したくなる。
思わず、祈るように手を合わせた。
「勝てよ、スペ…………」
「果たしてそう上手く行くかしら?」
水を差す声。振り返るとチーム・リギルの東条がいた。
「おハナさん?」
ここで会うとは意外だ、とスピカのトレーナーは記憶を巡る。
確か今日走るリギルのウマ娘はいる。がメインである宝塚記念に出るウマ娘はいなかったはずだ。グランプリを見るにしてもチームに配られた部屋で観るものと思っていた。
「チームの娘の出走は終わったから、今日はもう自由行動よ」
思考を読んだように東条が言った。辺りを見渡せば確かに、ナリタブライアンとヒシアマゾンが客席に居たり、フジキセキが後輩たちと歓談していたり、珍しくリギルのメンバーがバラバラに行動していた。それでもほとんどがレース場に留まっているあたり、彼女たちも気になるのだろう。このレースから世界に羽ばたくウマ娘が生まれる瞬間が。
「……というかおハナさん、そう上手く行くかってどういう意味さ」
「そのままの意味よ。あんたも知っているでしょ、マルカブとハマルが手を組んだの」
「ああ、あれね……」
日本ダービー後に知らされた、アドマイヤベガがいるチーム・ハマルとメイショウドトウがいるチーム・マルカブの協同は学園内のトレーナーたちに衝撃を与えた。
チームにしろ単独にしろ、トレーナー業というのは全員がライバルだ。スケジュールの都合から共にトレーニングをすることもあるがその日限りか、月に一回あるかないかだ。ところが件の二チームは夏を超えて秋までの間、毎日合同でトレーニングをするというのだ。
「菊花賞に焦点マジで当ててるってのは思ったよ」
同時にアドマイヤベガの長期休養が発表された。ダービーを獲ったウマ娘が所属するチームが、菊花賞に出るであろうウマ娘を有するチームと手を組む。目的はすぐに分かった。そしてテイエムオペラオーで菊花賞を狙うリギルがあちらを警戒するのは当然だった。
「他人事ね。その合同チームで鍛えられたウマ娘が早速出てくるっていうのに」
「グラスワンダー……確かに警戒はしているさ。スぺも意識してるしな」
「口だけなら何とも言えるわ」
東条の棘のある言が続く。
「個々の特性に合わせた緻密な戦略で、ウマ娘の能力を百%引き出すことに長けたハマル。精神的に寄り添い、時に限界を超えた力を引き出すことを可能とするマルカブ。この二チームが組んだらどんなウマ娘が出てくるか……」
「まあヤバそうだよな……いっそリギルとスピカも組んじゃう? いてっ」
「あり得ないこと言うんじゃないわよ」
ペチン、と東条のデコピンが炸裂した。
「一時期慣れ合っていたかもしれないけど、私たちもライバルってことを忘れないで」
「へいへい……」
二人の会話が終えたのが合図だったかのように、ファンファーレが鳴り響く。
春のトゥインクルシリーズを締めくくるグランプリが幕を開ける。
◆
「調子はどう?」
「大丈夫です」
青と白の勝負服に着替えたグラスが、身体を解しながら言った。
「トレーナーさん、作戦はアレでよろしいですね?」
「大丈夫だよ」
断言した。
作戦はシンプル、一人に照準を合わせて追走するマーク戦法だ。純粋なフィジカルで競う真っ向勝負。末脚のキレで、グラスは挑む。
「君の力をみんなに見せつけておいで」
「はい!」
今日の一戦には色々な意味がある。ハマルとマルカブの合同チームとしての初戦であること。グラスにとって初めての中距離GⅠであること。そして、
(ライス先輩がついに勝てなかった宝塚記念───)
グラスの身体に闘気が満ちる。
(それを、私が獲る───!)
勝つための作戦は立てた。それに向けたトレーニングを万全を尽くした。ならば、あとは実践するのみ。
───標的は、ただ一人
◆
『春のトゥインクルシリーズを賑わせた十二人の乙女たちが、阪神レース場に集いました。上半期を締め括るグランプリ、宝塚記念! ただいまより発走です!』
『やはりスペシャルウィークに注目と人気、ともに集まっていますね。これを勝てばエルコンドルパサーと同じく凱旋門賞への挑戦となります』
『ダービーウマ娘が現役最強として海外へ羽ばたくか、他のウマ娘が待ったをかけるのか!
……各ウマ娘がゲートに収まりました。
グランプリレース、宝塚記念……スタートです!』
「バクシン的───」
ゲートが開くと同時、
「───スタートダッシュ!!」
桜色の勝負服が、いの一番に飛び出した。
『真っ先に飛び出したのはサクラバクシンオー!! 一バ身、二バ身と差を広げていく! 有力な逃げウマ娘不在の中、ハナを取ったのはサクラバクシンオー! スプリンターらしい快速に場内は騒然しております!』
歓声の雨を浴びながら先頭を突き進むサクラバクシンオーを追って、ウマ娘の集団が縦長に伸びていく。
その中でスペシャルウィークは前から五番手に位置取っていた。
(飛ばすなぁバクシンオーさん……!)
グングンと先頭との差が開いていく様子に逸る脚を抑える。今はまだ脚を溜める時だ。
体感として、ペースはかなり速い。ハイペースは後方有利とされるが、所詮は一般論に過ぎない。前方がペースを上げて他のウマ娘たちのスタミナを磨り潰すという策も実在する。サクラバクシンオーの作戦はおそらくそれだ。
(離され過ぎちゃいけない。でも無理について行く必要もない!)
宝塚記念は二度の坂越えがあるから焦ってスタミナを無駄にするな。スピカのトレーナーから言われたことだ。
クラシック級、天皇賞(春)を経験して成長したスペシャルウィークは、冷静にレースを俯瞰できていた。
そして他の警戒対象へ意識を向けようとして、
(あれ……?)
気付く。最も警戒しなければいけない彼女の姿が見えない。
(グラスちゃんがいない……まさか!?)
誰かの影に隠れているのかと思った。しかしすぐに違うと直感した。
背後から感じる氷のような、刃のような鋭い気配。理解した。
グラスワンダーは、自分の真後ろにいる。
(風除け……いや、私をマークしている。この追い方はまるで……)
記録映像で見た。言葉で直接聞いた。メジロマックイーンを打ち破ったライスシャワーを思い起こさせる追走だった。
(そうか、グラスちゃんは───)
姿が見えず、表情も窺うことが出来ないが理解した。グラスワンダーがこのレースにかける想いを。
(だけど私だって負けるわけにはいかない。ここで勝って、私は世界に行く!)
残り800mを切ったところでレースは動いた。
サクラバクシンオーに独走を許していた各ウマ娘たちがペースを上げる。第三コーナーを曲がるころには、後方のウマ娘たちも位置を上げてきた。
スペシャルウィークは前方との距離を確認。前は開けている。脳裏によぎる上がり三ハロンの時計。
(ここから、一気にっ!!)
『スペシャルウィークがスパート!! 外から一気に駆け上がり、サクラバクシンオーを捕えにかかる!!』
「ちょわっ!?」
『凄まじい勢い! 最終コーナーで早くも先頭になった! 場内は騒然! このまま世界へ飛び立つかスペシャルウィークッ!!
───しかし!!』
歓声に混じって悲鳴が上がる。
彼らが見たのはスペシャルウィークの後ろから飛び出す、栗毛の影。
『さらにその外から、グラスワンダーが上がってきた!!』
勝負はここから。そう言わんばかりに、栗毛の怪物が戦場へ躍り出た。
◆
スペシャルウィークのスパートに、グラスワンダーは思わず唸った。
(これが、ダービーでエルを差し切ったスぺちゃんの末脚……!)
素晴らしい、と言わざるを得ない。ライバルながら、いやライバルだからこそ称賛したくなる。
加えて、位置取りもスパートのタイミングも完璧。なるほど海外遠征に挑むのも納得の仕上がりだ。
日本ダービーから春の天皇賞を経て、スペシャルウィークの成長は目覚ましいものであった。
日本一のウマ娘。その夢を笑える者はもはや存在しない。スペシャルウィークの海外遠征は良い結果をもたらすだろう。
友人として、彼女の門出を祝福したいという想いがある。
しかし、だからこそ、
(勝ちたい……!)
勝利への渇望が湧き上がる。
『グラスワンダーの火がついたような猛追! ついに最後の直線に入る! 先頭は未だスペシャルウィーク! だがグラスワンダーはすぐ後ろ、並びかける!』
(スペちゃん、あなたは強い。あなたには世界の強豪に挑む資格がある。けれど───)
幻視するのは、既に海を渡った友の背中。
(エルと同じ舞台に立つというのなら───)
親友への想い、宝塚記念への覚悟、前走の敗北からの悔い。それらが合わさり猛る様は気炎万丈。強い想いが彼女をその域まで押し上げた。
「その願い、私を振り切れずして叶うと思うな!!」
それは、彼女が積み上げてきた鍛錬の集大成。ライスシャワーから教えられ、トレーナーとともに磨き上げ、バンブーメモリーとの併走でついに得た豪脚。
蹴り上げた脚とともに、炸裂したように土が舞う。暴風に踊る髪と青い勝負服は炎のよう。そして闘志に満ちたその瞳の輝きは、華の如く。
並ぶは一瞬。スペシャルウィークを交わし、グラスワンダーが先頭でゴール板を駆け抜けた。
◆
『グラスワンダーが先頭! さらに差を離した! 離した!! 離した!!! グラスワンダーが今ゴールイン!!
スペシャルウィーク敗れた! 宝塚記念を制したのはグラスワンダー、昨年の有馬記念に続いてグランプリを連覇! 凄まじい末脚、その切れ味は紫電一閃! スペシャルウィークも強かったが、グラスワンダーもまた強かった!!』
「マジか……」
興奮した実況を聞きながら、スピカのトレーナーは崩れるように柵へともたれかかった。
スペシャルウィークの末脚、終盤で繰り出されるそのトップスピードから逃げ切るならともかく、後ろから差せるウマ娘などいない。それは過信ではなく、これまでの実績から信頼できるものだった。
それを真っ向から打ち破られた。
「グラスワンダー、恐ろしいウマ娘に育ったわね」
東条の唸るような声。彼女もまた、栗毛の怪物が見せた豪脚に驚愕していた。
彼女も今、必死に頭の中で策を巡らせているだろう。今回は勝負することは無かったが、秋のGⅠ戦線で競うこともあり得るのだから。
「なあ、おハナさん」
顔を上げる。ターフの上で呆然と膝をつくスペシャルウィークの姿があった。
そうだ。項垂れている場合ではない。今最も悔しく、泣き出してしまいそうなのは他でもない彼女なのだから。
そんな担当ウマ娘のために、自分が出来ることは───
「手を組むって話、本気で考えてくれない?」
強くなるための環境を整えるのだ。恥もプライドも捨てて、この夏は死力を尽くさなければならない。
秋に、あの怪物に勝つために。