シニア級〇年目のライスと朴念仁系お兄さまと時々同期や後輩の話 作:ブルーペッパー
一応、前の6話から第2章となります。
「エル急いで! バスに遅れてしまいます!」
「ままま待って下さいグラス! えーと着替えよし、スマホの充電器よし、日焼け止めよし、蹄鉄とシューズよし、お気に入りのデスソースよし、マンボのご飯よし!
準備万端オッケーデス! マンボ! 向こうで合流デース!」
「急ぎますよ!」
「ライスさん。この荷物は合宿に対してオーバーでは?」
「でも何があるか分かんないよ。山で遭難しちゃうかもしれないし、海は波に攫われて無人島までいっちゃうかも」
「缶詰めや懐中電灯は分かりますが、発電機は無意味です。遭難した時点で動力の確保が不可能かと」
「ちょっとテイオーさん!? 何ですかこの荷物、おやつとジュースしか入ってじゃないですか!」
「仕方ないじゃん向こうじゃハチミー売ってないんだから。マックイーンと違って僕はまだまだ成長期なんだからいっぱい食べないと」
「人が減量中だからってケンカ売ってますわね!? 五割増しで買いますわよ!?」
「ちょっとトレーナー君! どうしてバスに乗ろうとしているのよ! 私と一緒に合宿所までいく約束でしょ!?」
「いやマルゼンの車だと荷物が入らないし。たまにはトレーナー同士で交流をだな……」
「去年と量はたいして変わってないじゃない! 合宿所でも他のトレーナーと話はできるでしょ!」
七月。マーベラスなウマ娘が宝塚記念を制してから数日後。朝から学園は喧騒に包まれていた。
トレーナーとの専属契約や、チームへ加入しているウマ娘を対象とした夏の合同合宿の出発日だ。
秋のメイクデビューや秋シーズンの重賞レースを見据えたこの合宿は、夏季休暇に合わせて学園を離れ、海辺のリゾート地を長期に貸切ることで行われる。春シーズンを走り抜けたウマ娘たちのリフレッシュと世代を超えて交流を深める場、そしていつもと異なる環境でのトレーニングによるレベルアップを目的としている。
実際、春に結果の振るわなかったウマ娘がこの合宿を乗り越え、秋シーズンで活躍する実例はいくつもある。
「お待たせしましたー!」
「ギリギリよグラスさん、エルさん!」
「すいません。エルが支度に手間取ってしまい……」
「遅刻しなきゃオッケーオッケー」
エルとグラスがバスに乗り込むのを確認し、私は手元の名簿にチェックを入れる。
これで私が受け持つバスに乗る子は全員来たので私もバスに乗り込む。
「これで全員揃ったはずですが、一応隣の席の人が間違いなくいるか、各自確認をお願いします」
乗員たちが互いの隣を見合い、問題なしの答えが返ってきた。
運転手に乗車完了を告げ、私も席に着く。
少ししてバスの扉が閉じ、ゆっくりと走り出した。
「合宿、久しぶりだね」
「そうだね。去年は師匠たちだけに任せてしまったから」
隣に座るライスの言う通り、去年はライスのリハビリに専念してたので、私は参加せず、師匠と他のメンバーのみで参加だった。
それが新たにメンバーを加えて参加する日が来るとは、人生とは分からないものだ。
チームの多くは独自で車を用意して合宿所に向かうことが多いが、マルカブのような少数チームは他の専属トレーナー組と抱き合わせてバスに放り込まれた。
おかげでグラスとエルも普段仲の良いクラスメイトと一緒のバスに乗れた。
セイウンスカイとキングヘイロー。どちらも専属のトレーナーを得たデビュー前のウマ娘だ。
大食い……じゃない、グラスと仲の良いスペシャルウィークはチーム・スピカに入った――スピカは別の車で合宿所に向かうようだ――ため、これでクラスメイトの五人がデビューを控えることとなったわけだ。
「セイちゃん、何を読んでるんデス?」
「釣りマップ。合宿所って海辺なんでしょ? いやーどんな魚が釣れるか楽しみだよ」
「ブエノ! 釣れたらタイキ先輩のお肉とまとめてバーベキューデス!」
「あなたたち……私たちはトレーニングに行くのよ!?」
初合宿のウマ娘たちの賑やかな声が、やがて歓声に変わる。
窓から外を見れば、青く輝く海が一望できる。
私の記憶にある白い砂浜も、木造の合宿所も、変わらずそこにあった。
(帰ってきたんだな……)
ここで鍛えたライスは菊花賞でミホノブルボンに勝つほどのレベルアップを遂げた。
それを知るウマ娘は多い。当然、グラスとエルも知っている。
バスのスピードが落ちるのに合わせて、ウマ娘たちの顔が引き締まっていく。
この合宿が、秋シーズンの成果につながるのだと誰もが理解しているのだ。
デビューに向けて、クラシックとティアラの最後の一線に向けて、スプリントやマイル、各路線の王者を決めるGⅠに向けて。
すでに戦いは始まっている。
◆
「デース!」
「やあっ!!」
照り付ける太陽の下、トレーニング用の水着に着替えたエルとグラスが砂浜を疾走する。
蹴り上げられた砂が舞い、土煙を起こす。
「エル、もっと強く踏み込んで! グラスはフォームが崩れてる!」
「「はい!!」」
普段の芝やダートと違い、砂浜は柔らかく不安定だ。だから脚への負担を減らしつつ足腰を鍛えることができる。
とはいえ強い夏の日差しの中でやる以上、日射病や熱中症への注意は必要だ。
パラソルで影を作り、濡れタオルやドリンクの準備は必須だ。
「よし、エルは一回休憩。グラスはライスと併走、ライスが先行してグラスは差してみよう」
「「はい!」」
パラソルの影からライスが出て、玉の汗を流すエルが入れ替わりで戻ってくる。
濡れタオルで火照った体を冷やしつつ、ドリンクで水分補給。
「ぷはぁあ~生き返りマス!」
「しっかり休んでね。次はライスと併走してもらうし、午前中の締めでは三人で模擬レースするからね」
「おお、初日からガッツリデスね! 午後のメニューは何デスか!」
「いや、今日の午後はお休みだよ」
「ズコーッ!! な、何でデスか!?」
「今日は午後から雨予報だからね。降ってくるまでやってもいいけど、中途半端で効率よくないしクールダウンの時間も取れない。だったらいっそ休みにして楽しんだ方がいい。これは合宿だけど、夏休みでもあるんだから」
トレーニングも大事だが、とにかく練習練習では身と心が持たない。
休息で身体を、遊びで心を回復させていかないと。
「合宿は始まったばかり、慌てる必要はないさ」
慌てる必要が無いようにするが、私の仕事だ。
◆
午前は予定通りのトレーニングをこなした。
海の家で昼食を取り、午後は遊びに切り替えた。
グラスはエルと同じでどこか不満げだったが、そこは年頃の少女だ。遊んでいるうちにだんだんと笑顔になっていく。
他の練習なしのウマ娘たちも交えてのビーチバレー、砂浜での砂像作り、波打ち際での水遊び。
みんな午前中トレーニングしていたとは思えないほどよく動く。やはり同じ身体を動かすものでもトレーニングと遊びでは別物だ。
「はあはあ……ごめんちょっと休憩させて……!」
三回目のビーチバレーでライスとグラスのコンビに叩きのめされた私はふらふらと日陰に逃げ込んだ。
自分もそれなりに鍛えていたつもりだが、やはりウマ娘の体力や運動神経には敵わない。
「ははは、新しいチームメンバーとは仲良くやってるみたいだな」
水分補給していると、声を掛けられた。
左側を刈り上げ、後ろで髪を結うという奇抜な髪形、口にくわえたキャンディー、チーム・スピカのトレーナーだ。
「ええ、二人ともいい子なので助かってますよ」
「慕われてるんだろ? あんたの人徳さ」
「スピカと同じように、ですか?」
「褒めてんだから素直に喜べよ」
どさりと隣に座る同期を他所に、スピカの近況を思い出す。
チーム・スピカの今のメンバーは四人。スペシャルウィークが加入するついこの前まで三人と、マルカブと同じ人数不足の黄色信号チームだ。
そんなスピカが存続できていたのはチームの二枚看板とも言えるスターウマ娘、トウカイテイオーとメジロマックイーンだ。
トウカイテイオーは無敗で皐月賞と日本ダービーを制すも骨折のため三冠を逃し、その後も度重なるケガに苦しめられながらも一年ぶりのレースとなる有馬記念を制した不屈の帝王。今はドリームトロフィーへと活躍の場を移している。
対してメジロマックイーンは名門とされるメジロ家の令嬢であり、遅咲きながらもクラシックの菊花賞を制したステイヤー。特に天皇賞(春)を二連覇していることからも、長距離の最強ウマ娘議論で必ず名前が上がる、歴史にその名を刻んだターフの名優だ。今は病気で療養中だが、当人は復帰に意欲的と聞く。
こんな二人を有するスピカはそれはもうリギルに並ぶトップチームだと思うが、チームトレーナーの放任主義というか個性的なトレーニングもあっていまいち新メンバーが定着しない。
あと、なぜか一向にデビューしないゴールドシップの奇行についていけなくなったという説もある。
「スピカはスぺが加入してついに四人だ。もうマルカブと一緒くたにされないぞ」
「五十歩百歩って言葉知ってますか? 規則ではチームの必要人数は五人以上ですよ。
あと、ゴールドシップの奇行を止めない限りスピカが学園から目を付けられるのは変わりません」
「無理を言うなよ……。あと、五人目については目星をつけてるところだ。何度か口説いているんだが、なかなかいい返事を貰えなくてな……」
「そうでしたか」
適当な相槌を打ってから、はて、と疑問が浮かぶ。
今は七月。彼の言を信じるならば、六月末になってもスカウトに応じなかったということになる。
六月末までの時期のスカウトはウマ娘のレースキャリアにとっては重要な意味を持つ。
メイクデビューは主に日本ダービー後の六月から翌年二月まで行われる。そこから逆算して、主にスカウトが盛んなのは三月から六月、特にトレーナーが付いていないと参加できないこの夏合宿のため、六月に滑り込みで契約を結ぶウマ娘も多い。
それを考えると、スピカへ誘われているというウマ娘は夏合宿を一度棒に振ってまで加入を決めかねているということだ。
考えられる理由は二つ。一つはチーム・スピカに対して警戒している――いやそうなる要因はいくつかあるが――そしてもう一つは、
「……引き抜きですか?」
「今のやり取りでよくそこまで考えが回るな」
「やり方に口を出す気はありませんが、トラブルを起こすのはやめてくださいよ。チームを替えても同じ学園の中にいるんですから」
「狙いがエルコンドルパサーとグラスワンダーだとしたら?」
「あげませんよ」
にやり、とスピカトレーナーが笑う。
「即答だな。ようやく欲を出すようになったか」
「……先日、『もしも、もしもだよ。全然あり得ない仮の話だよ』と念を押されて他のチームに移籍すると言ったらどうするかと聞かれました。『それが君たちの本心なら、残念だけど応援するよ。移籍先での活躍を心から願っている』、と答えたら尻尾で袋叩きにされました」
「もうやらかし済みかよ!!」
あれは痛かった。尻尾で叩かれるより、本気で傷ついた顔を向けられたのが堪えた。あと三時間に渡る講義(正座)も。
「知ってますか? 正座って続けると足の感覚が無くなるんですよ」
「知りたくないわそんな情報。……いやいや、こんな話をしに来たんじゃないんだ。合同トレーニングの誘いだ」
「スピカとですか? ……いいですよ。スペシャルウィークとはグラスもエルも同期になりますし、いい刺激になります」
「スぺだけじゃない。マックイーンとテイオーもいる」
「トウカイテイオーはともかく、メジロマックイーンが? 復帰するんですか!?」
耳を疑う情報に立ち上がる。確かメジロマックイーンの病は繋靱帯炎だ。脚への衝撃を和らげるカ所をつなぐ靭帯の炎症であり、悪化すれば歩行すら危うくなる。症状が回復してもトレーニングにより再発の可能性が高く、レースを走るウマ娘にとっての致命傷。過去に多くのウマ娘がこの病の前にレースの道を閉ざされてきた。
それでも本人の意思を汲んで、メジロ家お抱えの主治医が治療に当たっているとは聞いていたが、まさか数年で復帰が見えてきたのか。
「まさに名門の意地ってやつだな。……いろんなコネクションからの支援もあったようだが」
「復帰はいつ頃?」
「少なくとも今年は無理だ。本人は来年にはって頑張っているが、どこまで調子が戻るか。……でも、今の内から少しでも感覚を取り戻してやりたいんだ。今回のトレーニングも走ったりはできないが、武術とかである見稽古ってやつだ」
拳が私の胸を軽く叩く。
「おたくのライスシャワーには、天皇賞(春)の借りもあるしな」
「ええ。ライスも喜ぶでしょう」
「ああ、あと一緒にやるのはスピカだけじゃない。
……聞いて驚け? なんの気まぐれか、あのスーパーカーが一緒だ」
今日何度目かの、信じられない情報だった。
◆
「やっほー! 今日はトレーニングよろしくねー!」
「はあいテイオー。チーム・マルカブも、今日はよろしくね!」
予報通り雨が降った次の日。朝のトレーニングは、エルコンドルパサーにとって夢でも見ているかのような光景だった。
奇跡の復活を遂げた不屈の帝王トウカイテイオー、誰も追いつけないとされた
トゥインクルシリーズにその名と蹄跡を刻み、今はドリームトロフィーリーグで活躍するスターウマ娘たち。それが二人、これから自分たちと一緒にトレーニングするというのだ。
昨日トレーナーから聞かされた時は楽しみだと興奮したものだが、いざ目の前にいると足がすくむ。
(いや、それよりも……)
隣からの闘志の圧が凄かった。
エルコンドルパサーの隣にいるライスシャワー。彼女の前にいる、メジロマックイーン。
二人の間にはバチバチと火花が散っている。
天皇賞(春)で激闘を演じたことから互い意識した相手なのは理解できる。
が、
(グラス……グラァス!)
(……何ですかエル)
(ライス先輩の視線が、併走で後ろにいる時並の鋭さデス!)
(お互いステイヤー同士、ライバルである彼女には並々ならぬ感情があるのでしょうか)
そうだろうか。そうかもしれないが、それだけではないだろうとエルコンドルパサーは直感した。
ライスシャワーにとって他のライバルといえばミホノブルボンだが、彼女と対峙した時はこんな様子ではなかった。
ミホノブルボンになくてメジロマックイーンにある何かが、ライスの闘争心を掻き立てているのだと思った。
「マックイーンさん、久しぶりだね」
闘志を振りまきつつも、ライスシャワーの口調は穏やかだった。
「ええ、お久しぶりです。先日の目黒記念、見事な走りでした。遅くなりましたが、復帰おめでとうございます」
「ありがとう。マックイーンさんの方は……?」
「残念ながら今年はできません。ですが、来年の秋には必ず」
「うん。ライス待ってるから。……でも無理しないでね?」
「ありがとうございます」
「よーし、じゃあまずは二人一組でストレッチから!」
マルゼンスキーのトレーナーが号令をかける。
グラスワンダーとスペシャルウィーク、トウカイテイオーとメジロマックイーン、マルゼンスキーとゴールドシップが組み、エルコンドルパサーはライスシャワーと組んでストレッチする。
(あの……ライス先輩?)
(なに? エルさん)
(その、なんか……マックイーン先輩への態度がなんか普段とかなり違うなーと思ったデス)
(あ……えっとね。ライスにとってね、マックイーンさんは負けたくない相手なの)
(やっぱり、ステイヤーとしてですか?)
(それもあるけどね、昔ね、お兄さまがマックイーンさんのレースを見て言ってたの)
『見てごらんライス。あれがメジロマックイーンだ。綺麗なウマ娘だなあ。毛並みも艷やかだし、トモもいい。ああいうのがスターって言われるんだろうな。彼女みたいになれるように頑張ろうな!』
(………Оh)
エルコンドルパサーも、そこまで容姿を褒められたことはない。いや、おそらくトレーナーが言う綺麗というのはフォームのことで、毛並みやトモはコンディションが良いことを言ったのだろう。そういう人だ。
それが分からぬライスシャワーではない。しかし分かった上で、ライスシャワーはメジロマックイーンへの対抗意識を燃やしているのだ。
彼女にとってミホノブルボンが友情からくる何度も競いたくなるライバルならば、メジロマックイーンは目標であり超えるべきライバルなのだ。
(エルさんも、きっとそんなライバルが出来るよ)
(そうでしょうか……)
エルコンドルパサーの夢は世界最強。生まれ持った素質に加えてストイックに鍛えてきて、同期とも頭一つ抜けていると自覚している。
さらにはゆくゆくは海外遠征も考えているが、果たしてそこまでついてくる者はいるだろうか。
クラスの同期たちもデビューする以上、頂点を目指す。だがそれは国内に限っての話だろう。
果たして何度、同期たちと競う機会があるか。
(少し、羨ましいデス……)
ライスシャワーとメジロマックイーンの関係を見て、そう感じるエルコンドルパサーだった。
◆
「あー疲れましたデス!」
夜、寝巻に着替えたエルコンドルパサーがベッドにダイブする。
突如組まれたマルゼンスキー、チーム・スピカとの合同トレーニングは良い刺激となった。
疲労する身体も、未だ熱もつ脚も心地よく感じるほどだ。
内容こそ特別なものではない砂浜での併走だったが、マルゼンスキーもトウカイテイオーもGⅠウマ娘。ライスとはまた違う強みを持つ者たちと走ることは良い経験だったと思っている。
加えて同期のスペシャルウィークだ。彼女の実力も最後に併走した時から随分上がっている。
強くなっているのは自分たちだけではない。周りも同様に力をつけているという事実は身も心も引き締めた。
「二日目からこんな経験できるなんて、最後にはどうなってしまうんでしょう……」
「今日みたいなのが毎日、とはいかないですよ」
「でも期待してしまいマース。いつかは、最強と言われるリギルのウマ娘たちとも……」
「それは……確かに実現すれば心躍るものですが」
怪物ナリタブライアンを筆頭に、女傑ヒシアマゾンや幻の三冠ウマ娘と言われたフジキセキなど、トップクラスのウマ娘たちが所属するチーム・リギル。
グラスワンダーは、リギルにも声を掛けられたのを思い出す。もしよければ、入団テストを受けに来ないかと。エルコンドルパサーも同様に声を掛けられたはず。
結果として自分たちはマルカブを選んだが、リギルに入っていたらどうなっていたか。
(いえ、今更どうにもならないことを考えても仕方ありませんね……)
ふと、近くでスマホが振動するのを感じた。マナーモードの端末に着信していた。
画面に示される相手の名前は、彼女たちのトレーナーだった。
「はい。グラスワンダーです」
『ごめんね夜遅くに。もう寝るところだったかな?』
「いえ、大丈夫ですよ」
『よかった。二人に渡したいものがあったのに忘れていてね。すまないけど広間まで降りてこれるかな?』
学園と同様、ウマ娘が寝泊まりする宿舎内は基本トレーナーは立ち入り禁止だ。
だが合宿中は突発的事象も起こりうるため、短時間なら一階広間まで入れる。無論、その間お目付け役はいるが。
「今からですか? 急ぎのことでしょうか?」
『いや、明日明後日までにというわけじゃない。ただ少しでも早めに渡した方がいいと思ってね』
「もしや、トレーナーさんはもう広間に?」
『いやまだ外にいる。これからメジロライアンにお願いして入れてもらうところだ』
美浦寮長のヒシアマゾンはチーム・リギルが使うホテルにいる。だから宿舎は美浦寮のウマ娘が日替わりで当直のような真似をしていた。今日の当直はメジロライアンだったのを思い出す。
耳をすませば、下からメジロライアンの声が聞こえた。
「分かりました。今すぐに――」
向かうと言いかけて、自分の姿を見直す。ドライヤーで乾かしたとはいえやや濡れた髪、乱れもある。熱い風呂に入って上気した顔。寝巻故、ところどころ隙のある装い。
……この姿でトレーナーに会うのか?
「三分ください」
まずは、寝落ちしかけている同室を叩き起こすことにしよう。
◆
「お待たせしました」
「大丈夫。私も今さっき入ってきたところだ」
通話を切ってからきっかり三分。ジャージを着たグラスとエルが降りてきた。
寝るところだと思ったが、思いのほかしっかりとした格好で意外だった。
「もう寝るところだと思ってたけど、もしかして自主トレでもしてた?」
「い、いえそういうわけではないんですが……」
「……?」
「エルは、トレーナーさんは気にしないって言ったんデス。でもグラスってばパジャマを見られるのが恥ずかしギャボ!?」
「なんでもありません。それよりもトレーナーさん。渡したいものというのは?」
「あ、ああ。これだよ」
エルの様子がおかしかったが、あまり詮索しない方がいいなと判断した。
時間をかけては立ち会ってもらっているメジロライアンにも申し訳ない。
持ってきていた申請用紙を二人に渡す。
人体を前後左右からみた簡単な図と、体のサイズ、他要望点などを記載するよう示された用紙に、エルとグラスが首を傾げる。
「なんデスかこれ?」
「勝負服の申請書。それに自分の好きなデザインや要望を描くんだ」
「「勝負服!?」」
二人の声が重なる。傍観していたメジロライアンが驚きの声を漏らす。
「まだデビュー前なのに勝負服ですか? 少し急ぎ過ぎじゃないですか?」
「そうかな? 順当にいけば二人は九月にはデビューだ。そのあとОP戦を二回も勝てば十一月のジュニア級重賞に手が届く。そこで勝てばジュニア級GⅠだ」
二人はまだ衝撃から復帰できないようだ。視線で穴を空けるかのように紙を見つめている。
ファン相手の感謝祭などを除き、GⅠレースでしか着用することのない勝負服。
二人ともトゥインクルシリーズを走る以上、GⅠを走ることは想像していただろう。しかしさすがにデザインまでは考えが至っていなかったか。
メジロライアンが目を丸くしている。
「もう勝った気でいるんですか……?」
「まさか。そこまで驕ってはないさ。どれだけ万全に備えてもレース本番で何が起こるか分からない。
でも、負けると思って走る子はいない」
ハッと二人が顔を上げた。
「目指すんだろ? 頂点を」
「「――はい!!」」
力強く頷く二人に、メジロライアンは目を丸くした。
そして笑み。
「二人とも、いいトレーナーさんと会えたみたいだね」
「ええ、自分の夢を託せる心強いトレーナーです」
「もっと自分に自信持ってほしいとは思うデスけどね!」
「善処します……」
スキップするように二人が部屋に戻っていく。
勝負服には各々の想いを込める。夢、絆、感謝。二人はどんなものを込めるのだろう。
そしてその想いを観衆の前に魅せられるよう、より一層二人の指導に努めようと決意した。
スピカトレの名前ですが、沖野は中の人の名前ですし、設定資料にあったという名前も公式設定として生きているか分からないので、名前は出さない方針で行きます。