部室等を出てグランドへ向かっていくと、今回の現場であるプールが見えてきた。さっき思い浮かべた金網のフェンスと有刺鉄線。それらは俺の身長の二倍程度引き延ばした高さがあった。当然のことだが、おいそれと簡単に乗り超えられるものではない。
意図せず作られた密室を破り、皇を救い出す難易度は相当なものだと改めて実感する。歩きながらフェンスに穴が無いことを確認していると、本来であればいるはずの男子部員たちがいないことに気が付いた。
俺たちが依頼を受け、話をしていたのは一時間弱言ったところ。本来であれば練習を開始しているはずだ。だから目の前の光景には違和感を覚えた。
回り込んで入り口付近に行くとジャージ姿の男子水泳部員たちがたむろしていて、先頭にいた皇が声をかける。
「みんなお疲れ」
「ちわっす。皇先輩! もう大丈夫なんですか?」
「ああ、検査も一通り受けてこの通り」
くるりとその場で一回転。スカートと皇の短髪が宙を舞う。ただ制服を着ているだけなのにファッションショーのようで、男子部員たちの視線を釘付けにする。
「ところで、みんなはこんなところで何をしているのかな? さっさと中に入ればいいのに」
「いえ、部長がカギを取りに行っているんですけど、なかなか戻ってこなくて……」
「堂林君が? 何かあったのかな……」
皇は口元に指を添えて、少し考え込むように間を取った。それから俺たちを見る。
「すまない、二人とも。そういうことだから、現場を見るには時間が掛かるらしい」
「困ったね。できれば昨日の状態のままの現場を見ておきたかったんだが……」
「仕方がないだろ? 我儘言ったってどうにかなるものじゃない。ひとまず事情聴取でもして時間を潰そうぜ。ちょうどここに水泳部員がいるんだし」
俺がそう言うと皇は困ったように眉をひそめて、華恋はため息を付いた。なんだよその残念そうなものを見たって感じの顔は。文句があるなら言えよ。
「境君、残念だけど水泳部は練習日を男女交互で回していてね。昨日は女子で、今日は男子の練習日なんだ。ここには昨日あの時間まで学校に残っていた人はいないだろう」
「そういうこと。察しが悪いなぁ、玲二は。ここに女子がいない時点で気が付くだろう」
「……悪かったよ」
俺はぶっきらぼうにそう言って明後日の方向を向く。
しかし困った。現場調査ができないとなるとこの後の聞き込みに影響が出る。ある程度絞り込んだとは言っても、俺たちの持っている情報はまだ大まかなものだ。
「昨日ずぶ濡れの男を見かけませんでしたか?」なんて質問、インパクトはあるけど、ただ面白がられるだけだろう。
ただでさえ俺たち”魔女”一派は色物として見られがちなのに、質問もそんなものじゃまともに取り合ってもらえるかわからない。だから、その前座として聞けるような情報を持っておきたかったというのが本音だ。
「なら、職員室に行こうか。堂林君が先生に捕まっていて、鍵を持って来てないなら僕たちが代わりに受け取ってくればいい。他の生徒ならともかく、僕なら問題ないだろう」
「あっ、皇先輩。申し訳ないですよ。オレたちが行ってきますって!」
「良いよ、別に。ちょっと僕らは堂林君に聞きたいことがあってね。せっかくの練習日なんだし、もう少し有意義に使いなよ。この空き時間にウォームアップするとかさ」
「でも……」
「困ったときはお互い様さ。僕はオフで時間があるんだし。気に病むなら、明日以降に僕を助けてくれればいい。それではダメかな?」
皇は引き留めた男子部員に詰め寄る。微笑みながら首を傾げて、至近距離で彼を見つめた。男子部員は数秒こらえたけれど、根負けして「わかりました」と呟いた。
「よし! そうと決まれば全員並んでジョギングにでも行っておいで! いいよね?」
『ハイ!』
男子部員たちはそろって返事をする。散らばっていた荷物を通路の端に綺麗に寄せて、ジャージ姿のままジョギングに向う。その途中でさっき詰め寄られていた部員が他の部員に小突かれていて、なんだか微笑ましかった。
「……流石は“王子様”だ。人をそそのかす腕は一流だね」
「片桐さん、語弊のある言い方をしないで貰えるかな……」
「そうだぞ華恋、その言い方は無いだろ」
「そうだね。つい本音が」
「本音だったのかい⁉」
『僕ってそんな風に見られているのか』と皇は消え入りそうな声で呟く。まあ、女子からはそう見られても不思議じゃない言動をしているよな。男女ともにファンが多いとはいえ、一定層から反感を買いそうなスタイルだし。
「普段はこんなことはしないさ。今日は“王様”がいなかったから特別さ」
「“王様”……堂林のことか?」
「ああ、堂林君は責任感も強いし、集団をまとめるカリスマもある。彼が居ればあんな風にだらけた集団にはなっていないはずさ。だから、彼が来てないのは少し心配だね」
堂林が鍵を取りに行っただけなら、十分どころか五分とかからない。ここから職員室までの距離なんてたかが知れている。だから何かしらトラブルに巻き込まれていると考えるのは自然だろう。
俺は職員室で起きるトラブルを想像してみたけれど、あまり思い浮かばない。俺はそもそも職員室に出向くことがまずほとんど無かった。内情を知らないのだから、想像しようもない。結局のところ真実を知るためには、直接職員室に出向くしかないのだ。
そう自分の中で結論付けて、二人に声をかけようとすると、誰かが俺の肩に手を置いた。
「境、こんなところで何をしている」
聞きなれた知り合いの声がして、振り返る前にその正体を見破った。それと同時に少し意外だと思った。彼、
困った奴を見て見ぬふりするだとか、そういうことが言いたいわけじゃない。魚見はむしろ困った人がいれば積極的に人助けをする。
けれど、俺たちが嗅ぎまわるようなゴシップにはこれっぽっちも興味がない。彼は文芸部の活動を知っているから、普段なら声はかけないはずだ。
俺は不思議に思って、ゆっくりと首を回すと体操着姿の彼が目に映る。練習があるときは放課後袴を着ているから、違和感を覚えた。
「……俺たちは調査。お前は自主練?」
「ああ、今日はダンス部が室内を使っていてな。剣道部はオフなんだ。俺はこれからランニングに行く」
肩から手を離した魚見は俺の横に並んで皇を見た。
「ところで皇、昨日は大丈夫だったか」
「ああ。この通り、元気いっぱいさ」
皇の言葉を受けて魚見はホッと息を吐いて見せる。たぶん魚見は今回の一連の騒動の情報を掴んでいたのだろう。それで皇の調子を聞きに来たのだと勝手に納得する。
「いや、救急車で運ばれただろ? 付き添いが相馬先生だったからさ」
「相馬先生? 私の付き添いは浅井先生だったよ」
「そうか、気のせいだったならいいんだ。まあ無事でよかったよ」
魚見の気持ちは分からなくはない。我らが文芸部顧問、相馬先生はお酒とたばこが大好きないい加減なおじさんなのでこういう時の信頼は無きに等しい。
先生の名誉の為に言っておくと、良い所が無いわけではない。放任主義で、生徒の自主性に重んじている指導は一定の支持は得ている。だから文芸部がこうして自由な活動を行えている訳だし。
「……二人とも知り合いかい?」
「華恋、お前なぁ……魚見とは中学も一緒だったろうが」
「そうだったかな?」
「悪いな、魚見。こいつには後できつく言っておく」
「別に構わないよ。俺は目立つような人間じゃないから、仕方ない」
魚見は笑って頬をかく。お前がそう言うならなら良いけどさ……。華恋にはどうにかして人の顔を覚える努力をしてもらいたいものだ。
「なあ魚見、昨日皇が救急車で運ばれただろ、その時お前は居たか?」
「ああ、その時はちょうど部活が終わって、自転車に乗って帰るところだった。救急車を遠目に見ていたよ」
「そうか、ならその時のことについて聞きたいことがあるんだけど、時間あるか?」
「俺は構わないが……何故俺に聞く。当事者の皇に聞けばいいだろう?」
「実を言うとその時、意識が朦朧としていてね。あまり覚えていないんだ」
「そうか……それで何を聞きたいんだ?」
魚見は腕を組んで俺たちの質問を待つ。華恋がそこに手早く質問を投げる。
「人探しをしていてね。皇君は溺れた時、何者かが助けてくれたようなんだが……助けた癖にその場から逃げたみたいでね」
「……逃げた? どうして」
「それがわからないんだよ。それこそ魚見に聞きたいぐらいには」
「俺に聞かれてもなぁ。助けたのに逃げる理由……だろ? 皇に何かしてはいけないことをした、とか?」
「してはいけないことってなんだよ」
「それは俺の知ったことじゃない」
「それはそうだ」
俺と魚見は笑って会話に区切りをつけた。華恋がそのタイミングで再び声をかける。
「ところで魚見君。救急車の周りにずぶ濡れになっている人がいなかったかな」
「……いいや、見ていないな。せいぜい汗をかいていた奴が多かったぐらいだ」
魚見は首を横に振った。
まあ、そんなところだよな。そもそも見つかりたくなくて逃げたのだ。濡れたままの身体で人前に出ていくとも思えない。何かしら対策は打っていたと考えるべきだろう。それが脱出経路なのか、着替えなのかはわからないけれど。
「そうか、ありがとう魚見君。つまらないことを聞いたね」
「いや、また何かあったら聞いてくれ。力になれるかもしれないからな。皇もしばらく無理はするなよ」
「ああ、気を付けるよ」
「それじゃ」と手を挙げると魚見は学校の外周に向けて小走りをした。その際に右膝からふくらはぎにかけて包帯で覆っていることに気が付いた。
怪我か? どこか痛めたのだろうか。いや、その割には走れているな。筋をやっただとかそういうわけではないようだ。
「……大事無いと良いんだけど」
「あの包帯かい? 気になるよね。どうやったらあんな広範囲を包帯で覆わなければいけないんだろうね」
「俺はお前の思考回路が怖いよ……」
心配じゃなくて、事象に興味を向けるなよ。サイコパスか?
「……さて、私たちも職員室に行こうか」
「露骨に話題をそらすなよ。……まあいいけどさ。時間が有限なのも事実だしな」
俺たちは一度下駄箱に行って靴から上履きに履き替えて、校舎の二階にある職員室に向かう。その途中でどこからか漏れ出している声を聴く。職員室に近づくにつれてそれは大きくなり、扉を開く直前にもなればその出所は嫌でも分かった。
騒ぎに巻き込まれたくはないが、それでも俺たちは職員室に入らなければならない。覚悟を決めて先頭を歩いていた俺が扉を開ける。
「だから、先生! そんな理由じゃ納得できないですよ!」
扉によって遮られていた声が直接鼓膜を襲う。音源となっている人物は誰が見ても明らかだった。
俺よりも頭一つ大きいであろう長身に、色素の抜けたぼさぼさの髪はまるで百獣の王ライオンを思わせた。広い肩幅と熱い胸板は威圧的で正面に立っている女性を委縮させる。
「堂林君、そんなに怒鳴ってどうしたんだい?」
「皇、どうしてここに」
「どうしてって……君がいつまで経ってもプールのカギを持って来ないから他の部員が困っていてね。ひとまず私が様子を見に来たんだよ」
皇が堂林と話すと威圧的な雰囲気は和らいで、彼の目の前に居た浅井先生はハーっと大きく息を漏らす。なんだか久々に呼吸ができたみたいに見えた。お気の毒に。
堂林は眉間にしわを寄せつつ、皇と向き合う。
「そうか、迷惑をかけたな」
「私に迷惑をかけるのは構わないよ。ただ、浅井先生に怒鳴りつけるのはどうかと思うな」
「それは……そうだな。言い訳の予知もない」
「それで? 堂林君は何にそこまで怒っていたんだい?」
堂林は少し言いにくそうに口ごもった。そっぽを向いて、悩むような表情を見せたけれど最終的には話すことに決めたようで、再び皇に向き合った。
「実はだな。このままだと今年は部活ができそうにないんだ」
「……え?」
皇は呆気に取られたように呟いた。