私は片思い専門家だぞ? 馬鹿にするな!   作:イーベル

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「浅井先生、どういうことなんですか⁉」

 

 一瞬、空白の時間を経て皇は浅井先生に食って掛かった。興奮した様子の彼女に目を伏せたままの浅井先生は言う。

 

「昨日、あんなことがあったでしょう?」

「だからって、部活ができないってことにはならないでしょう⁉」

「それは……」

 

 浅井先生が拳を握って、何かを告げようとする。でも、上手く言葉にできなくて言いよどむ。その間に二人のボルテージは高まっていく。「何とか言ってくださいよ!」と堂林が怒鳴り、詰め寄った。

 流石に止めに入ろうと思ったタイミングでガシャンと大きな音がした。音のした方面へ俺たちは視線を向ける。

 そこには座ったまま机を蹴り上げたであろう我らが文芸部顧問、相馬先生が居た。ぼさぼさの髪、くたびれたワイシャツとスラックス。ネクタイも少し緩めていてだらしがない。

 それはいつものことだ。けれど今日は目付きだけ鋭かった。

 彼は気だるそうに立ち上がるとガシガシと頭をかきながら、俺らに近づいてくる。

 

「やかましい、いい加減にしろ。こんなことやられたらいつまで経っても仕事が終わんねぇだろうが」

「でも、」

「でも、じゃない、皇。止めに入ったお前がヒートアップしてどうすんだよ。収まんなくなるだろ。それと堂林。お前がそんな感情的に女に詰め寄ったらまともに話ができる訳ねぇだろ。ただでさえでけぇ図体なんだからいい加減学べ」

 

 相馬先生は「ったく」と深くため息を付いて、浅井先生を見る。

 

「浅井先生は落ち着いて下さい。別に貴方が悪いことをしたわけじゃないんだから」

「それでも……」

「まあ、気持ちは分からなくはないですけど、気負ってたってどうにかなるわけじゃない。しゃんとしてないと生徒が不安になるでしょう」

 

 そう指摘された浅井先生はシュンとして小さい体をさらに縮ませた。堂林が横にいるから余計に小さく見える。ラガーマンと小学生を並べたらきっとこんな感じに見えるんだろうなと思う。相馬先生が再び皇と堂林に向き合った。

 

「今、保護者側から学校側の安全対策について指摘されている。事故があった以上、その対策をしなければいけないのは事実だ」

「だったらすぐに対策すれば!」

「そんな簡単なことじゃない。いいか? 皇。昨日お前が事故にあったのはなんでだ?」

 

 相馬先生は皇と目を合わせて言う。諭すような、ゆったりとした口調だった。

 

「プールサイドで滑ったから、です」

「そうだな。じゃあ、どうやったらそんな事故が起こらないで済むと思う?」

「プールサイドをモップで拭いたりすれば……」

「防げるかもしれないな。でも、それは一時的だ。部活中、授業中はどうする? 根本的な対策をするのなら、常にモップを持って水気を取る係が必要になるだろ。そんなの現実的じゃない」

 

 皇が表情を歪める。相馬先生のいうことは正しいけれど、決して納得できるわけじゃない。嫌な役回りだ。相馬先生は貧乏くじを引かされている。でもそのくじを誰かが引かなければいけなかった。

 

「では、どうすればあんな事故を防げるのか、だが……プールサイドに滑り止め加工を施すとか……恒久的な案はどれも大規模な工事をする事になる」

「でも、そんなことしたら!」

「工事する間、部活はできなくなるな。それに、そもそも工事ができるとも限らない。うちは公立だしな。予算が下りるのもいつになるかわからん。……そうなったら、部活ができないのは今年だけじゃ済まない」

 

 皇が弱々しく「そんな」と呟く。酸素を求める金魚のように、パクパクと口を動かしているけれど震えて言葉にならない。そんな彼女の背中に堂林が手を添える。堂林は皇をみて落ち着きを取り戻したようだった。

 

「すまない、皇。オレがゴーグルを忘れたりしなければ……」

「……いいやっ、堂、林君の……せいじゃない。僕がもっと注意していればこんなことにはならなかったんだよ」

「……相馬先生。本当に、何とかならないんですか?」

 

 確認するように堂林が聞いた。相馬先生は首を横に振る。

 

「分からない。俺たち教師もなるべく早く部活が再開できるように動いている。……が、教師単位だと難しい話だ。それは分かっておいてくれ」

「……そうですか」

「だから、しばらくここのプールは使えない。だが、対策案と今後の部活動についてもこちらで検討はする。工事はすぐできなくても、例えば……近くの市民プール借りるとかな。部員にもそう伝えておいてくれ」

「分かりました」

 

 堂林は頷いて、項垂れている皇の手を引いて「行こう」と言った。たぶん部員に今の話をしに行くのだろう。この調子だと今日は皇を連れて調査をするのは難しいかもしれない。

 それは華恋も察していたようだった。

 

「皇君、今日はもう帰りたまえ。調査の方は私たちで行っておく」

「……ごめん、僕が頼んだのに」

「構わないさ。依頼を達成しても喜んでもらえなかったら意味がないからね。まずは心の余裕を取り戻してからにしよう」

「ありがとう。片桐さん」

 

 皇と堂林が職員室を去って、引き戸を閉めると目の前の浅井先生が泣き出しそうな目で相馬先生を見た。

 

「すいません、相馬先生……わたしが情けないばっかりに」

「構いませんよ。慣れてないとあの手の対応は難しいでしょう。それにあの調子でやられると仕事の進む具合が悪くなるのも事実なので。あー……でも、慣れないことをすると疲れますね、ホント」

 

 相馬先生は感謝の言葉を適当にあしらって、ひらひらと手を振る。彼だってちゃんと先生なんだと、感心する。俺たち文芸部にとっての先生は仕事をしたがらないダメ教師筆頭としてのイメージしかなかったから、今日の出来事は評価を見直す良い機会になった。人は見た目と印象だけで判断してはいけないのだ。

 そんなことを考えていると相馬先生はチラリ俺と華恋を見た。「目が合ったついで」と言わんばかりにポケットに入っていた財布から千円を取り出し、突き付ける。

 

「おい境。ビール買って来いよ」

「……このぼんくら教師、全部台無しにしやがった」

「なんだよ? 文句あんのか」

「あるに決まってんだろ! 俺は未成年だ!」

「じゃあ片桐」

「先生、私も未成年です」

「なんだよ。使えねぇ。頑張った俺を即座に労えよ。何のために面倒くさい顧問をやってんと思ってんだ」

 

 監督責任があるからに決まってんだろ。

 

「そ、相馬先生! そういうのは良くないと思います! ビールなら私が……」

「おっ、流石浅井先生。助かります。突き当りのコンビニで、あれば……サッ〇ロのビールが良いな」

「かしこまりました~」

 

 浅井先生がにこやかにほんわかとした敬礼を見せる。微笑ましく、心洗われる仕草に思わず見過ごしてしまいそうになった。

 

「いや、浅井先生勤務中! 勤務中だから!」

「はっ、そうでした。だめですよ、相馬先生。生徒の模範となるような行動を心掛けてですね……」

「ヘイヘイ。わかりましたよ」

 

 相馬先生またしても適当に返事をする。

 

「……んで、お前らは何の用だ? 皇とセットだったから昨日の事故の件だろうけど」

「ええ、実は皇さんを助けた人を探していて」

 

 

 俺がそう返事をする。華恋は早速「浅井先生」と声をかけていた。

 

「昨日皇さんがプールに落ちた後、助けを呼びに来た生徒はいませんでしたか?」

「居なかったわね」

「居なかった? じゃあ、どうして先生はプールに?」

「電話があったんだよ」

 

 相馬先生が会話に割り込んだ。胸ポケットから煙草を取り出そうとして、浅井先生がその手を抑える。

 

「ダメです」

「あっと、禁煙でしたね。ここ。忘れてた。長話するとつい欲しくなっちまう」

「それで、電話って?」

「事件当日、ご丁寧に非通知で電話が入ってな。俺が取ったんだ。男の声で『プールで人が溺れた、助けに来て欲しい』ってさ。慌ててその場にいた俺と浅井先生と向かった」

 

 相馬先生が「ねぇ」と隣の浅井先生を見る。彼女は「でも」と言いよどんで、俺たちを見る。

 

「プールの周りは静かだった。更衣室の中が少し騒がしいぐらいで、普段通り。誰かの悪戯かと思ったんだけど……念のために私が更衣室を通って、プールサイドで横になっていた皇さんを見つけたの」

 

 先生たちですら“彼”には会っていない。当てが外れたな。だが、気になるな。ここまで病的で、執念を感じる行動。こいつはいったい何の目的で姿を隠しているんだ……?

 それを探るために一つ質問を投げることにした。

 

「では、救急車は先生たちが呼んだんですか? 緊急通報には非通知で通報しても番号が出るはずでしょう?」

「俺たちも呼んだけど既に通報済みだったらしい。職員室の隣にあるだろ? 時代遅れの電話ボックス。あそこから通報したみたいだ」

 

 足が付きそうな所は的確に避けているな。こういう小ネタもちゃんと知っている。用心深い奴だ。

 それに誰もが帰ろうとする最中、校舎に戻ろうとするやつは早々居ない。例外は教師だが……非常事態ともなればその場にいた全員が駆り出される。

 そのために“彼” は職員室に電話をかけたんだ。

 

「……この役立たず」

「あ? 片桐よぉ……んなこと言ってんと顧問止めんぞ? 誰のおかげで部活がギリギリ成立してると思ってる」

 

「それは大変失礼いたしました」と華恋が軽く頭を下げて、憎らし気に奥歯を噛み締める。顔に出てるって。ポーカーフェイスを心掛けてくれよ、頼むから。お前だって部活がなくなったら困るだろうに。

 華恋の脇腹を肘で突いて態度を正し、俺は考える。

“彼”の顔は分からない。電話だって声が録音できているわけでもない。これ以上この場所で得られる情報はないだろう。俺は二人に頭を下げる。

 

「ありがとうございました、先生方。俺たちはもうしばらく聞き込みをして帰ります」

「そうか、まあせいぜい頑張れ。面白い成果が出たら報告しろよ。暇潰しにはなるからな」

「ええ、期待しててください。今回は難敵みたいなので」

 

 俺が笑ってそう答えると、相馬先生は伸びをする。使い古された椅子が軋んで音を立てた。彼は大きくあくびをして、浅井先生を見る。

 

「浅井先生、俺、休憩に行ってきます」

「ビールはダメですからね」

「煙草ですよ。十分で戻ります」

 

 相馬先生が胸ポケットに手を入れて煙草の箱を取り出す。そこから何かがぽろっと落ちた。足元に転がってきたそれを拾い上げる。糸くずが巻き付いたままで強引に引きちぎられたみたいだった。特に何も考えず相馬先生に手渡す。

 

「これ、制服のブレザーのボタンですよね? 何で先生が?」

「いや、こんなの俺も……ってあ! 思い出した。それ、昨日のプールで拾ったんだわ」

「昨日の……ってなんでそんな重要な物を!」

「興奮するなよ、片桐。忘れてたんだって」

 

 相馬先生はドウドウと華恋を宥める。それから記憶を掘り返すように、ゆっくりと語り始めた。

 

「昨日、浅井先生を見送った後のことだ。俺はその場にいた水泳部員たちを返して、ひとまずプールの戸締りをした。警察と一緒にな」

「警察?」

「当然だろ、事故が起きたんだから。調査の結果として、今回は人為的に起こされたものじゃないという判断をした。そのときに見つけたんだ。入り口とは反対側に転がってたよ」

「警察には話したんですか?」

「話したよ。そのうえで、重要な証拠じゃないって突き返されたんだ。馬鹿じゃねぇのってさ。あいつら本当に性格が悪い」

 

 相馬先生は肩をすくめ、深くため息をついてから華恋を見る。

 

「だから俺としてはもう必要ないんだが……それ、いるか?」

「勿論、大事な証拠ですから」

 

 華恋がそう勢いよく食いつくと、相馬先生は「待ってました」と言わんばかりに意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「そうか。じゃあ皇が『さっきの発言は間違っていました。相馬先生は素敵な先生です』って言えたらくれてやる」

 

 ピキッと、巨大な岩にひびが入った音が聞こえた気がした。隣の華恋は眉間にしわを寄せて、その肩を震わせている。

 相馬先生、さっきの役立たず発言結構気にしてたんだ。本当に器が小さい。それでこそ我らのろくでなし顧問。

 あの証拠品はとても重要なものになるかもしれない。事件を解決する決定打になることも考えられる。だからこそ、華恋は逆らえない。それを相馬先生はよく理解していた。

 華恋は下から相馬先生を睨み、葛藤の末に、言うことに決めたようだった。

 

「さっ…………は間違っていま……した。相……は素…………す」

「聞こえないな~。片桐はちゃんと声が出せない子供だったのか~?」

「さっきの発言は間違っていました! 相馬先生は素敵な先生です!」

 

 華恋は投げやりに、感情的にそう叫ぶと、相馬先生はゲラゲラと笑った。やっぱり最低だ、この先生。

 俺は教師としてだけでなく、大人としてもこんな風になりたくはないと思った。

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