インスペリア戦記   作:3×41

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ノーフェイス 1

 レツィエは走っていた。

 夜の街頭を、一目散に駆け抜ける、レツィエの足元で、走る靴の音に驚いた黒猫が跳ねるように物陰に駆け込んだ。

 彼は逃げていた。彼の少し背後からは、彼のものではない靴の音と、複数の男の怒声が響いてくる。自警団は、騎士団は何をしてるんだ?レツィエは走りながら、頭の片隅でそう毒づいたが、しかし、この界隈はそもそもそういった対処の網が薄い、だからこういうことにもなるのである。

 

 どうしてこういうことになったのか、レツィエは、少し自嘲気味に、しかしやはり路地をかき分けるように走りながら、記憶の泥をさらった。

 彼はただ、夜の酒場で、正確には酒類に手を出してはいなかったが、彼のかよう学校の宿題をかたづけていただけだったのだ。

 

 

 

 #

 

 

 

「うーん……」

 

 繁盛する酒場の中で、レツィエは酒場の隅のテーブルに、ひとり着席し、テーブルに広げた書物と格闘していた。

 酒場は2階立てで、1階の食事席も、2階の食事席もなかなかの客入りである。

 この少年は、たまに気分でこうして酒場を訪れては、喧騒に耳をかたむけながら、学校の宿題をかたずけるという習慣があった。

 

 この酒場の盛況は、しかし、どこにでもあるというものではない、この大陸の、海と陸をつなぐ公益の要衝、メルニボネだからこそ、昼間に大いに稼いだ大人たちが、夜は酒場で喧喧と騒ぐのだ。西方では飢饉が起こったとも聞くし、北方では獣人の帝国、ビースト・キングダムが近隣諸国を4つ植民地化したとも聞く、そういう世の中では、この喧騒は、しかし平和の表れだとも言えた。

 

 この肌の白い少年、レツィエ・オリージュの通う学校も、また、少々毛色の異なるものだった、メルニボネの騎士学校、それはメルニボネの統括機関直属の4つの騎士団へ所属するための狭い門だった。彼は先日、このメルニボネへ訪れ、なんとかこの騎士学校へ編入することができた、いわば転校生なのだ。

 だからいきなり宿題をポンと出されてもなかなかすいすいこなすということも難しかったのだが、しかしできませんでしたでは彼が所属するクラスの面々に迷惑をかけてしまうし、またブラックキープの学生たちに付け入る隙を与えてしまいかねないということで、軽々しく放り出すわけにもいかなかったのである。

 それにフラン嬢にはほぼ間違いなく体罰を食らうことになるだろう。何はなくとも、レツィエにはそれが一番いやだった。

 

 そういうわけで、この白子の少年レツィエは、テーブルのそばにおかれたオリーブの油で揚げたジャガイモのチップスをつまみ、ホクホク口を熱しながらうまみを含んだ油を舌に広がらせるチップスをアールグレイで流し込み、またうなりながら書物の文面に目を走らせていたのだ。

 

 

「おい聞いたか?」

 

「何をだよ?」 

 

 書物と取っ組み合うレツィエの少し遠くで、男たちがビールをつき合わせて話し合っているのがレツィエの耳に入ってきた。それはレツィエにも少々興味のある話だったので、彼も書物の内容を頭の中で検討しつつ、その話にも意識を割いた。

 

「ノーフェイスだよ。こんどはメルニボネの東の港倉庫でひと悶着あったらしいぜ」

 

「本当か? 最近はドフォーレ商会の関わってる取引が狙われてるらしかったが、それだとドフォーレの会長もそうとうキレてるんじゃねぇか?」

 

「怒り心頭だって話だぜ? なんでも4000万ガリオンの懸賞金をかけるとか、ブレーヴォスの殺し屋を雇うとか、ウィザーズランディングに応援を要請するとか、そうとうキナ臭い話まで出てきてるぜ」

 

「4000万ガリオン!? そりゃあ死ぬまで豪遊してくらせるじゃねぇか。それだったら俺だってノーフェイスをとっつかまえてやりてぇよ」

 

「やめとけやめとけ。ハハハ、傭兵や賞金稼ぎが何十人返り討ちにあってると思ってるんだよ。ドフォーレ直属の闇獣たちでも殺されてるって噂だぜ」

 

 

 

 #

 

 

 

 闇獣でも無理だったのか。レツィエはポテトを口に運び、ホクホクと咀嚼しながら考えた。

 闇獣といえば、選りすぐりの中のえりすぐりである。このメルニボネは海運、陸運の要衝であり、商売の大拠点といってもいい、そしてその商会は、やはり一筋縄ではいかなく、裏の顔も濃いのだ。

 そしてそのメルニボネの商会の中でも3巨頭、フルブライト、レンブラント、そしてその中でもひときわ裏に通じているといわれているドフォーレ直属の殺し屋集団、闇獣は、幼いころから隔離させた空間で殺しの術だけを研鑽させ、それらを殺し合わせて数百の殺し屋の死体の中から、一握りを、再び殺し合わせ、その中から選りすぐる、というような話さえあった。もちろんそれが事実かはレツィエにはわからなかったが、ドフォーレ商会から特にそれを否定するような話が出たことはない。仮に事実でなかったとしても、恐怖が蔓延する分にはドフォーレ商会に損はないということだろうか。

 

 ノーフェイス、顔なし、そう聞くと、魑魅魍魎、怪異の類かと思われるかもしれないが、彼は、あるいは彼女は少なくとも人だった。人だろう、という憶測は流れていた。

 そう断言できないのは、誰もノーフェイスの顔を見たことがなかったからだ。重要な調停や、商取引の場に現れて、関係者は死ぬか、ノーフェイスの襲来に気づくこともなく、気づいたときにはノーフェイスはどこかに消えていたのだ。

 

 このメルニボネで、メルニボネを守護する四つの騎士団があり、そして3大商会が蠢く大都市で、いまだ発見されないということは、それだけで怪異といってもいいようなのっぴきならない事態だった。3巨頭に手を出せば、遅くとも翌日の朝には海に冷たくなって浮かんでいるのが相場だし、鍛え抜かれた四天騎士団から逃れることは常人にはほとんど不可能だと言ってもいい。

 

 そしてこの街で、四天騎士団とドフォーレ商会まで敵に回して、いまだに尻尾さえつかませないノーフェイスは、人々の畏怖の対象であり、尊敬の対象であり、話題の種だった。実際のところ、レツィエもそういう俗物根性から耳をそばだてているところも少なくはないのである。

 

 しかしレツィエの少し遠くの席の男たちの話は、ノーフェイスの話から、別の話に移り、レツィエも興味を失って、また書物に目を落とし没入していった。

 

 

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 そして、酒場の中でレツィエはか細い、遠くからの声を耳で拾ったのだった。

 書物に向かっていた顔を上げて、レツィエは2階のほうを向いた。ここからではその様子はわからないが、1階にいた酒場の店主が急いで階段を登っていくのが見えた。

 

 トラブルだろうか? そして同時に、悲鳴のような幼い女の声は、この街にきてほとんど間もないレツィエの知り合いの声だということもわかった。

 目の前の書物と、冷めかけのチップスを見やり、しばしレツィエは考えたが、2階から男の剣呑な怒鳴り声が聞こえてきて、ため息をついてレツィエは席をたった。

 

「やめとけよ白いの」 

 

 レツィエが一層騒がしくなった2階への階段に足をかけたとき、そのそばから、おそらく磁器のように白い肌をしたレツィエを呼ぶ声がしたので、レツィエが振り向くと、テーブルを囲んだ3人の男女、二人は男で一人は女である、の中の長髪の男がレツィエを呼び止めていた。

 

「2階にいるのは最近メルニボネに来たとかっていう傭兵団の一味だぜ? 今日はあの山みてぇな団長までいる。関わり合いにならないほうがいいと思うけどな、下手すりゃ命がないぞ」

 

 1階のその男たちの回りは、先ほどと変わらぬ喧騒だったが、彼らはどうやら、2階がどうも剣呑な空気を帯び始めていることを察知しているらしい。レツィエがその男女を見ると、その長髪の男のイスのそばには鞘に収められた長剣が横たわっている。

 彼らも傭兵団だろうか? あるいはメルニボネの四天騎士団の中のどれかの騎士団員か、レツィエはそう推察しながら言った。

 

「まぁ、そうかもしれませんけど、知り合いなんですよ。力になってあげないと」 

 

レツィエがそういうと、長髪の男の隣の短髪の男が言った。

 

「放っておけよ。ノエル。死にたいやつは死なせればいいんだ。そういうもんだろう」 

 

「そういうなよイコン。だが、白いの。知ってるかもしれないが、ここらへんは黒蛇騎士団の管轄なんだ。あの傭兵団はどうも黒蛇とつながってるようだし、赤獅子騎士団の俺たちはそうそう介入してやることもできんぞ」 

 

「ああ、ええ、ありがとう。気にかけてくれて」 

 

 赤獅子騎士団員か、道理でどうも抜け目がない様子だ、考えながらレツィエがそういって、階段を上る足を上げると、長髪のノエルと呼ばれた男はレツィエに軽く右手を振っていった。

 

「いや、まぁそこまで気にすることでもない。こっちとしても酒をまずくしたくはないんでな」

 

 その言葉を耳に入れながら、レツィエは2階への階段を登っていったのだった。

 

 

 #

 

 

 レツィエが2階へと登ると、入れ替わりに2名の男たちが階段から降りて行った。どうも店を出ようということらしく、騒動から距離をとろうという男たちらしかった。

 レツィエが2階の酒場を見回すと、奥のほうの席の10数名の傭兵たちが、小さな女の子のウェイトレスと平謝りする店主が目に入った。なるほど先ほどの男たちが店を離れるというのも賢明な判断というものかもしれない。

 

 そしてその傭兵たちの一番奥に、他の傭兵たちの2倍の大きさはあろうかという男の姿が目に入った。なるほど、“マウンテン”のようだ。レツィエがそう考えるのとほぼ同時に、その山のような男が、ほんのひとなぎ、何気ないようすで腕を振ると、先ほどから平謝りしていた店主がその腕に振れ、まるで爆風にでも吹き飛ばされたかのように宙に浮くと、そのままイスをなぎ倒しながらゴロゴロとはじきとばされたのだった。

 

「はははははは」

「あっははは」

「さすがお頭だ! 死んじまったか!?」

 

 店主の男は、生きてはいるようだったが、打撲でうずくまってしまっていた。

 その様子に、“マウンテン”の周りの傭兵たちが、中には鎧を着込んで兜をとっただけのものまでいる、いっせいに笑い声を上げ、その様子に、周りにいたほかの一般客たちが急いで席をたち、我さきにと、レツィエの登ってきた階段へと駆け出した。

 

「うるさい。黙っていろ」

 

 “マウンテン”がそういい、そばで笑っていた傭兵の男の一人を軽くひとなですると、その男は先ほどの店主のように吹き飛ばされ、店の壁に突き刺さるような勢いで壁に激突すると顔から血を流して気絶してしまった。

 その様子を見て、ほかの傭兵団の男たちは一斉に口をつぐんだ。

 “マウンテン”は自分の声が目の前で震える小さな女の子のウェイトレスに聞こえるのを確認するようにしてから、ゆっくりと口を開いた。 

 

「まぁ、俺はこれで潔癖症だが、だからといってお前が汚したこの服について、何もその命までとろうとは言わない」

 

 なるほど。レツィエはそう考えながら、その傭兵団とウェイトレスのほうへと向かった。

 その間も“山”は言葉を続けた。

 

「だが、これをそのままお咎めなしということではこの傭兵団員たちへの示しがつかない。そこで。うちの傭兵団で少し小間使いとして雇われる、ということで手打ちにしてもいいんだが、」

 

「いったいどうしたんですか?」

 

 ピクリ、と、“山”が会話に割って入ったレツィエのほうを一瞥し、話を途中で中断させたという事実に、ほかの傭兵団員たちがもぞもぞと体をゆすってレツィエを見、ウェイトレスは最初は誰かわからず驚いてビクリと体を震わせたが、その小さな身長から見上げた少年がレツィエだとわかると、コクリとつばを飲み込むようにした。

 

「なんだおまえは!?」

 

 傭兵団員の別の男がレツィエにそう言い寄った。

 その意図は、関係ないやつはひっこんでいろ、であろうことは、この状況や、男の表情からも明らかだったので、レツィエはそのあたりのことも勘案しながら言葉を選んだ。

 

「知り合いなんですよ。この子は、僕の近所の孤児院の子なんです。僕はこの子の、まぁ、保護者のようなものと思ってくれてかまいません」

 

「なんだとお? そんなことこっちは知ったこっちゃぁ……」

 

「それは話が早い」

 

 先ほどの男の反論を、“マウンテン”がさえぎると、男はまるでかなしばりでもかけられたように口をつぐんではねるように引き下がった。レツィエが声をするほうを見ると、レツィエの身長の3倍はあろうかという男が、レツィエの目の前にそびえたっていた。

 

「この給仕が、俺の衣服を汚してしまったんだ。俺の戦いではいつもつれそわせている高価な品だ。それに加えて、俺たちは傭兵としてこのメルニボネの守護に一役買っていることも言うまでもない。わかるか? この少女はそれを償う必要がある。俺はそのささやかな方法を提示してやっているというわけだ」

 

 レツィエが見ると、たしかに“マウンテン”の衣服は、シチューか何かがかかって汚れてしまっていた。その弁済をしなければならないというのは、確かに前提がそうなら、不当というわけでもないかもしれない。

 

「でも、本当にそうですか?」

 

 レツィエがそういうと、“マウンテン”が右眉を上げて続きを促すようにした。

 その後ろでは、一層ました“マウンテン”の圧力に、傭兵団の男たちはとばっちりを食らわないように一層距離をとった。

 

「いえ、見たところ、あなたの座っていた席はその大きなテーブルの一番奥です。そこに給仕するなら、手前のほうから料理をテーブルに乗せて、あとは部下の人なりが渡すということになるはずでしょう。それをこのナスターシャの責任にするのはいかがなものかと思いますが」

 

「皿から料理がはみ出していたんだ。それで手から料理が零れ落ちた。料理の配膳は給仕の責任だろう?」

 

 “マウンテン”にそういわれて、レツィエはこっそりと給仕の女の子、ナスターシャのほうを見ると、ナスターシャは、レツィエのほうを涙を浮かべた目で見返しただけだったが、それでもレツィエには、ナスターシャはそれを否定しているように思われた。しかしそこらへんのことを言ったとしても、やったやってないの水掛け論になることは目に見えている。

 

「いずれにせよ」

 

 レツィエを制するようにして“マウンテン”が言った。

 

「俺の高価な服が汚れたことは事実だ。そして俺たちは“傭兵団”だ。必要なものは、何も交渉抜きに奪ってもかまわない。そしたらそれは、俺たちのものだ」

 

「傭兵団。そうは言いますが、今のメルニボネの目下の危機といえば、北西の山間の向こうの小国同士の小競り合いでしょう。しかし北西の山からメルニボネに入るには、山間の“狭い道”を通る必要があるし、そこを通ろうと思ったら、メルニボネの四天騎士団の一角である紫犀騎士団の砦、“パープル・キャッスル”を落とす必要があるはずです。これは傭兵団の管轄外です。で、あれば、もうひとつの懸案事項は、南西の蛮族ですが、裸も同然の蛮族を狩る程度のことで、このメルニボネでの市民権が得られるわけはない。だから四天騎士団のような法的裁量があるとは言えない。これは司法にゆだねるべき問題だと思いますがね」

 

 そこまでレツィエが言ったところで、レツィエの眼前を黒い巨塊が覆ったかと思うと、レツィエの顔に鋭い衝撃が走って、浮遊感の後に、後ろに吹き飛ばされたとわかった。

 “マウンテン”が先ほどやったように、レツィエを吹き飛ばしたのだと、吹き飛ばされてからレツィエは認識した。

 

「なら、これでいい。俺たちには俺たちの流儀がある。そこの娘、こい」

 

「それで、しばらく傭兵団で雇って、そのあとどこかに売り飛ばすとか?」

 

 レツィエはチカチカする視界を振りほどくように上半身を起こして、そういった。たまに聞く手口である。ナスターシャのような少女なら、高いかねを出す諸侯は探せばいるだろう。

 

 その時点で、交渉は不可能だということは大体レツィエにも察せられた。

 そして、レツィエはその標的を変えるように、右手に持ったものを掲げて左右に振ってみせた。

 

「奪ったものが自分のものってことなら、この書類は僕のものってことでいいのかな?」

 

 それは、ちょうど今、レツィエが“抜き取った”ものだった。目の前の“マウンテン”がレツィエを吹き飛ばした調度そのとき、胸元の服から覗いている高価な羊皮紙の巻紙に手を伸ばしていたのだ。

 しかし、レツィエが思っていた以上に、“マウンテン”の反応は深刻だった。

 

「貴様……」

 

 マウンテンは、その巻紙がレツィエの手にあるのを見た瞬間に、額に青筋を浮かべ、腰にさしてある、なめし皮の鞘におさめられた、おそらく大鉈だろう、の柄に手をかけたのだった。

 

 まずい。その様子を見て、レツィエはすぐさまに、はねるように反転して駆け出し、1階への階段へと走り、急いで階段を下りて、2階から聞こえる“山”の「殺していいから奪い返せ!」というぞっとするような怒号を背に、その酒場を飛び出したのだった。

 

 

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