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そういうわけで、レツィエは広大なメルニボネの西の裏通りを、傭兵団の男たちに追われながら、必死に逃げていたのだった。
しかし、暗い道を走るレツィエには、いくらなんでも傭兵団のやつらの反応は過剰に思われた。
この羊皮紙には何が書かれているというのだろうか。
追われている最中に、それをあらためることはできない。そのために足を止めれば、たちどころにレツィエの後ろから追いかけてくる傭兵団に捕獲され、最悪殺されてしまいかねなかった。
「くそっ……」
レツィエは毒づいて、道の小箱も蹴飛ばして走った。
追ってくるやつらは、鎧を着ていないやつらだった。それはそのはずで、鎧を着ている傭兵団員よりも、皮の装備の足軽たちのほうが素早く動けるのは道理である。
ちらりと後ろを見ると、男たちは軽装ながら、しかし手には刃物をたずさえていた。
これは、捕獲されることもなく、のっけから殺されることになるかもしれない。そう思うとレツィエの心臓は一層収縮するのだった。
「レツィエお兄ちゃん、こっち!」
分かれ道で、そうレツィエを呼ぶ声が聞こえた。
「おせぇよ」
そういって、レツィエが声のする右手の道に入り、それを追う数名の傭兵団員たちがその道へ入ろうとすると、足元に、ピンとロープが張られた。
「ぐぁっ!?」
「うおっ!」
「なんだぁぁ!?」
石畳の道に前のめりに転がり、傭兵団の男たちが口々に叫ぶと、その道にロープが張られているのがわかった。
「誰だぁぁ!?」
傭兵が癇癪を起こしたようにして、そのロープを手にもった剣で断ち切ると、そのロープを張っていた3,4人の子供が狭い路地から逃げていった。
その路地はあまりに狭く、傭兵団の男たちが追えるような広さではない。
「くそ、なんだあいつらは!?」
「そいつらはどうでもいい! 白いのをやれ!」
傭兵団たちは、しかしすぐに体勢を立て直してレツィエを追いかけた。
「だめか……」
あのロープを張ったのは、孤児院の子供たちだろう。ということは、ナスターシャはあの酒場から逃げおおせたに違いない。一度ほとぼりが冷めればなし崩しに誘拐されてしまうことはないだろう。レツィエはそれに少し安堵し、そして背後から追いすがる怒号に心臓をつかまれる心地になりながら、逃げる足に力をこめた。
次にレツィエは、さらに細い小道に逃げ込んだ。すぐさま傭兵団の男たちがレツィエを追ってその小道に入ってくる。
この小道は、ちょうど人一人が入れる幅で、傭兵団の男たちも一人ずつしかここに入ってこれないに違いなかった。
やるか? レツィエはそこで逡巡した。レツィエもそこそこ長く走ることはできたが、しかし、傭兵団の男たちはいわばその道のプロである。少しずつ距離はつめられており、このままではジリ貧だった。
ここで先頭の男を食い止められれば、逃げきることもできるかもしれない。
レツィエは、意を決してその狭く暗い小道を振り返り、後ろから追ってくる先頭の傭兵を見据えた。どんどんと近づいてくる。しかし、この小道では剣をやすやすと振るうことはできまい。
ガンッ
そして次の瞬間、傭兵の男のこぶしがレツィエの顔面に突き刺さった。
ボタボタと鼻血をこぼしながら、レツィエは2、3歩ふらつきながら後退し、反転して小道を逃走した。
さすがに場慣れしている傭兵だけあって、剣を使えないと見るや、徒手空拳に切り替えたのだった。
「ハァ、ハァ」
そして、レツィエはしばらく逃走を続けたあと、数の力によって少しずつ逃げ道を狭められ、とうとう袋小路に追い詰められたのだった。
「わかった。わかりました。この羊皮紙は返します」
そういって、レツィエは行き止まりの道で、レツィエを囲む5人の傭兵たちに向かって、右手にもった羊皮紙を差し出した。
「いや、ダメだ」
その中の傭兵の一人が言った。
「お前がその中身を見なかったという確証はない。お前は連れて行くか、抵抗すればここで死ぬ」
「ハァ、ハァ……」
レツィエは息をつきながら、搾り出すようにいった。
「ハァ、今日はなんて日だよ……」
「いや、そうでもないぜ」
その声は、レツィエのものでも、傭兵の男たちのものでもなかった。
レツィエがその声を探していると、すでに深けた空の夜の闇の中から、家屋の屋根からだろう、3つの影が降りてきた。
それは、先ほどの酒場で、2階に登る前に、レツィエを止めた長髪の男と、一緒にいた男女だった。
「おい、なんだお前らは?」
5名の傭兵の男たちは、新たに現れた、明らかに鍛えられた3人の男女を警戒しながら、しかし引き下がる様子もなく、剣をかまえてジリジリと距離をつめた。
その傭兵たちに、先頭の長髪の男が言った。
「俺か? 俺は赤獅子騎士団のノエル・ノエインってもんだ。この四天騎士団が守護するメルニボネで人さらいとは、騎士団員として見逃せないな」
レツィエの前で、ノエルといった騎士団員が腰を落とし、長剣の柄に手をかけると、道を囲んだ傭兵の男たちが言った。
「知らんのか? 俺たちの傭兵団は、黒蛇騎士団団長のネイウス・サリザールとつながりがあるんだぞ?」
「それにここは黒蛇騎士団の管轄だ。お前ら赤獅子騎士団の出る幕ではない!」
「そりゃぁ、酒場でならそうだが、暗い夜道で血なまぐさいことになっていれば、管轄など関係ないさ。どうする? このまま四天騎士団に楯突くか? それとも剣を収めるか? 選べ」
ノエルが言うと、しかし、傭兵団員たちはそれをつっぱねるように言った。
「そういうわけにはいかん。ここで俺たちが引けば、俺たちは“マウンテン”に殺される」
「そりゃぁお気の毒様だな」
ノエルがそういうと同時に、先頭の傭兵が雄たけびを上げた。
「おおぉぉぉぉ!」
そう叫びながら両手もちに剣を構えて走りこんでくる傭兵に、ノエルと名乗った騎士団員は一層腰を落とし、右手の長剣を抜いた。
「ぜぁっ!」
ノエルが肺から息を絞ると同時に右手から抜かれた長剣が、打ち下ろされる傭兵の剣をギィンと鋭い音を立ててかちあげ、次に素早い切り替えしで、長剣の腹を傭兵の腹へとめり込ませた。
レツィエからしてみれば、ノエルとほかの騎士団員にその場を任せるほかなかった。
地面に倒れた傭兵は、ビクンビクンともんどりうっている。
その間に、後方から追ってきていた傭兵が2人加わった、酒場の様子からすると、ほかにもまだ追っ手はいるに違いない。
「どうする? まだやるか?」
ノエルがギラつく長剣を構えて目の前の6人の傭兵たちに尋ねると、その中の一人がヒヒヒと笑った。
「3人でどうする気だよ。もう少しすれば鎧組が到着する。お前の剣でも鎧を貫くことはできんだろう。死体が4つに増えただけだ」
それを聞いて、ノエルの隣の酒場にいた短髪の男が震えたような声でいった。
「だから俺はやめとこうって言ったんだよノエル。俺ぁこんなところで死にたくなんてなかった」
「そういうなイコン。騎士団のつとめだ」
「あの、すいません」
後ろでレツィエが言うと、ノエルは何も言わず、右手を上げて答えた。
目の前では傭兵団の男たちがそれぞれに剣や斧を手に持って距離をつめてきている、その男たちの後ろからは、さらに4人の傭兵、そしてその後ろからは、全身に鎧を着込んだ傭兵までもがこちらに殺到してきていた。
そのときである。レツィエの目の前で、突然に空間が、まるで陽炎がゆらめくようにゆがんだ。
それは、まるで上から無色透明の何かが降ってきたようだった。
レツィエがその歪みに気がつくや否や、その空間の揺らめきが加速し、ノエルの脇をとおりすぎると、さらに陽炎の脇から細長くギラつく物体が現れ、6名の傭兵に突っ込んだ。
「なっ……」
なんだ? 先頭の傭兵がそういう前に、異常に気がついた。
右手の感覚がないのである。傭兵がおそるおそる自分の右手を見ると、自分の右手が両断され、消失したことに気がつき、悲鳴を上げた。
そして傭兵がその一連の動作を始める前に、その陽炎は高速でその傭兵を通り過ぎ、疾風が林をぬうようにその6名の傭兵の間をギラつく長い何かとともに駆け抜けた。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン
同時に剣を振るような音が5回したと思うと、その陽炎が5人の傭兵を通り過ぎると同時に、ゴトンとその傭兵たちの手が落ち、足が斬られ、腹が裂け、傭兵たちは悲鳴を上げながら地面に崩れた。
「なっ、なんだ?」
その一部始終を見ていたレツィエたちの中のノエルがそう言い、何か正体のわからない“それ”に備えるように長剣を握りなおした。
バチッ バチチッ
そして、その陽炎が雷が鳴るような音とともにさらにゆらぐと、さっきまで透明の陽炎があった空間から、右手にギラつく刀を持った黒い人影が現れたのだった。
そして、その顔を見て、レツィエがつぶやくようにいった。
「ノ、ノーフェイス……?」
その黒い人影は、顔がなかった。
正確には、顔がないわけではない。その顔には、白い、目のところに横長の長方形の穴があけられていた。
そしてその体は、全体を黒いマントで覆い、右手からは街灯を白く反射する白刃を覗かせている。
マントに覆いかぶさって見えないが、背中にまるで、細長い棺でも担いでいるかのように、不自然に横に膨らんでいる。
ノーフェイス。このメルニボネの都市伝説であり、話題のひとつであり、恐怖の対象。
「見つけたぞ! 全員殺せ!!」
ノーフェイスが姿を現した数瞬後、その袋小路に殺到していた傭兵たちが殺気をむき出しにして叫び、剣、斧、槍、弓、おのおのの獲物を持ったままこちらに向かってきた。
黒いノーフェイスは、目の前20メートルの距離まで迫った7人の傭兵に向かって、左手を突き出した。黒いマントから出たその左手の上部には、弓矢がベルトでつながれており、それが左手上部の射出口へと続いているのが、その5メートル後ろのレツィエの場所から見えた。
バチチチチ!
ノーフェイスの左手に青白い電撃が走ったかと思うと、その黒い矢が続けざまに連続射出された。
まるで電磁加速されたような高速の12本の黒い矢はそのまま傭兵たちに疾走し、ドスドスドスドスと、傭兵たちの腕や、肩や、足へと突き刺さった。
「がぁっ!」
「ぐぅぅ!!」
「な、なんだありゃぁ!?」
黒い矢が打ち込まれた男たちは、腕や足の焼け付くような痛みに顔をゆがめながらノーフェイスへとさらに走った。
ノーフェイスの左手上部の黒い矢のベルトは空になったようだが、ノーフェイスがマントの腰に、手をやり、次の黒い矢のベルトを取り出し、左手上部の射出口へとセットした。
「危ない!」
レツィエが叫んだ。
その間に、傭兵たちが持っていた弓を今度はノーウェイスに向かって放っていたのだった。
すると、ノーウェイスは左手で黒いマントを前面に覆い、バチチ!と青白い稲妻が黒いマントを走ると、その黒いマントが、まるで鉄のように硬質化し、ガンガンガンガンと傭兵たちが放った弓矢をはじいた。
ノーフェイスはそのままノーフェイスの黒い矢を受けて動きが鈍った傭兵たちに向かって、硬質化させた黒いマントを前面にしながら走り、肉薄し、右手に持った白刃で4人の傭兵を斬りつけた。
「ぐわっ」
「ぎゃっ」
断末魔の悲鳴を上げて、傭兵たちが崩れる、そしてノーフェイスが4人目の傭兵の弓を持った右手を跳ね飛ばしたとき、その後ろから3人の傭兵が一斉にノーフェイスに殺到した。
「なめんなぁぁぁぁ!」
「しねぇぇぇぇぇぇっ!」
その殺到する3人の傭兵に向かって、ノーフェイスは背中に右手を伸ばすと、その長方形の何かをつかみ、
バチチチチチ!
と右手に青白い稲妻を走らせて叫んだ。
「おおおおおぉぉぉぉっ!」
そして、その右手につかんだ“もの”を、3人の傭兵に向かって横なぎにすると、ザンザンザンと、3人の傭兵たちの胴体が横に真っ二つに一刀両断されたのだった。
ビチャビチャビチャ
血しぶきを撒き散らしながら、真っ二つにされた傭兵たちがその場に崩れ落ちる。
いったい何なのかと、レツィエが見ると、ノーフェイスが右手に握っているものは、巨大な剣だった。巨大というにも、あまりに巨大、まるで、山である。
3Mにも達そうというような長さに、子供の胴体はありそうな幅である。それがノーフェイスの腕から紫電をほとばしらせていた。あの巨大な黒い大剣に3人の男たちは横なぎに一刀両断されたのである。
それにしても、レツィエは混乱しながら考えた。常識はずれの大きさである。大人でも、あれを“持つことすら”できないに違いない。まるで、あの紫電で無理やりに腕力を強化でもしているかのようだった。
その間にも、ガシャンガシャンと金属音をさせて、さらにノーフェイスに全身鎧の男たちが迫っていた。
ノーフェイスは素早くそちらに振り向くと、全身鎧の傭兵たちに左手をかざし、左手上部から紫電を走らせ、黒い矢を高速で射出した。
放たれた数本の黒い矢がノーフェイスから全身鎧の傭兵たちの間の空間を高速で疾走し、ガンガンガンと音を立てて、鎧の鉄板を半分ぶち抜いて男たちに突き刺さった。
「がぁっ!」
「ぐぅぅっ!」
それは全身鎧の傭兵たちにも想定外だったに違いない。ボウガンでも防ぐ厚さがある全身鎧を、あの黒い矢は射抜いてきたのだ。
3人の傭兵たちが足を止めたその一瞬に、ノーウェイスは跳躍し、一人の全身鎧の男を、巨大な黒い大剣で上から下に一刀両断にし、次にその横で二人の全身鎧が気づいたときには、黒い大剣を横手に振りかぶっていた。
「おおおおおっ!」
ノーフェイスが叫び、そのまま黒い大剣を横一線に振りぬくとその二人の傭兵を鎧ごと両断し、傭兵たちの上半身が二つとも宙に舞い、ドサリと地面に落下すると、暗いその一体に再び静寂が戻ってきたのだった。
「お、おい。あれ、“ノーフェイス”じゃないか?」
ノエルの横で、イコンという男が絞りだすように言った。
その反対の騎士団の女はその凄惨な光景に言葉を失っていた。
ノエルは、少し黙っていたが、次に前方で黒い大剣を背中に背負ったノーフェイスに言った。
「お前、巷を騒がせている“ノーフェイス”に違いないな? 赤獅子騎士団の団員として、お前を連行させてもらう」
「おい! ノエル! やめろって!」
イコンがそういってノエルの肩をゆすった。
ノーフェイスは、ノエルの言葉を聞いたようには思われたが、しかし反応を示さない。
レツィエも、思わず息を呑んだ。
ノーフェイスは、しかし、そのまま街路の右手の民家の煙突へと右手を掲げると、右手側部からバチチ、と稲妻とともにアンカーケーブルが射出され、それが煙突へと突き刺さると、そのままノーフェイスの体を引き寄せ、ノーフェイスが民家の屋根へ飛び移ると、そのままバチチ、とノーフェイスの周囲に青白い稲妻が走り、陽炎がゆらぐように夜の闇の中へと溶けていき、そしてその場にはレツィエたち4人だけが残ったのだった。
「た、助かった、のか?」
恐る恐る、イコンといった男が辺りを見回すと、ノエルが答えて。
「そうみたいだな。まぁ“これ”について、どう説明すればいいのかは別の話だが」
と、その道に転がる幾多の死体を見ていい、次にレツィエに振り返って
「白いの、立てるか?」
と長剣を鞘にしまってレツィエに言った。
「ええ、ああ、はい」
レツィエは、混乱しながら、なんとかそうとだけ答えた。
しかし、レツィエが手に持った羊皮紙については、そのとき触れることはなかった。
先ほど傭兵たちに囲まれたとき、レツィエは「あの、すいません」と言った。しかし、実のところ、レツィエは「あの、すいません。僕がやります」と言う寸前だったのだ。
そうして、白子の少年レツィエは、なんとか騎士養成学校に通うレツィエ・オリージュとして、その場を切り抜けることに成功したのだった。