恋愛は謎解きのあとで   作:滉大

1 / 21
お目汚しではございますが、お楽しみ頂ければ幸いです。


かぐや様は解かせたい

 午後の麗かな日差しが降り注ぐ中庭。青々とした芝生が目に優しい。

 その中心を横切るレンガの小道を、四宮(しのみや)かぐやは白銀(しろがね)御行(みゆき)と共に歩いていた。

 

「長引いてしまったな。すまん四宮、付き合わせてしまって」

 

 白銀は鋭く釣り上がった目をかぐやに向ける。常人であれば萎縮する視線を、かぐやは涼しい顔で受け止め、楚々とした笑みを浮かべた。

 

「いえ、私も副会長ですから当然です」

 

 昼休みに生徒会を代表して会議に出席していたかぐや達は、その足で生徒会室に向かっていた。役職はかぐやが副会長。白銀は生徒会長である。

 生徒会長に代々受け継がれる純金飾緒が、きっちりと一番上までボタンを掛けた学生服の胸で、光を浴び輝いている。

 

 渡り廊下の外に広がる中庭を眺め、かぐやは先日の出来事を思い出した。

 長椅子に並んで座る恋人同士であろう二人の男女。「一口くれよー」とねだる少年に、少女は笑いながら爪楊枝に刺した食べ物を少年の口元に近づけた。所謂「あーん」と呼ばれる行為。

 あの時は物乞いとしか思えなかった行為だが、今は「あーん」に戦略的価値を見出していた。

 通常の距離感の相手とは、決して行われることのない行為。裏を返せば、相手と親密である事を証明する儀式ともいえる。白銀から「あーん」をして来れば、もしくはさせる事ができたなら、それは自分と親密になりたいと思っている──ひいては告白しているも同然。

 準備は万全。白銀と二人きりになるため、生徒会室には誰も入れないよう指示してある。弁当箱の中は爪楊枝に貫かれた数多の食材たちで、針山が形成されていた。

 一刻と迫る昼食を前に、かぐやは内心ほくそ笑む。

 

 

 

 しかし、これから始まるは、四宮かぐやと白銀御行が、恋愛頭脳戦を繰り広げる物語ではない。

 

 

 

「早く飯を食わんと……ん?」

「どうかしましたか? 会長」

 

 白銀の視線を追うと、そこには屈んで長椅子の下を覗き込んでいる男女の姿があった。二人は立ち上がると、困った顔で下を見ながら、それぞれ長椅子の周りを回っていた。

 

「探し物か?」

「そのようですね」

「少し見てくる。四宮は先に行っててくれ」

「いえ、会長。困っている生徒を助けるのも生徒会の責務です。私も行きますよ」

 

 困っている人を放っておけない白銀は、持ち前の人の良さを発揮する。白銀がいない間に食べ終わっては元も子もないと、かぐやは白銀の後に続いた。

 余程集中しているらしく、白銀とかぐやが近づいたのにも気付かない。白銀が声を掛けるまで、二人は一切顔を上げなかった。

 

「どうかしたのか? なにやら探し物でもしているみたいだが」

 

 はっと、顔を上げた男子生徒は、いつのまにか人が近くにいたからか、声を掛けてきたのが生徒会長だったからか目を丸くした。

 

「せ、生徒会長!? どうしてここに?」

「通りかかっただけだが。それより、なにかあったんじゃないか?」

 

 男子生徒の上擦った声に、白銀は苦笑した。

 

 おや? とかぐやは首を傾げる。二人に見覚えがあったからだ。数秒後、かぐやの優秀な頭脳は答えを導き出した。

「あーん」をしていた二人だ。

 緊張している男子生徒を見兼ねて、女子生徒がおずおずと答えた。

 

「あの、彼のスマホが盗まれたみたいなんです……」

「盗まれた!?」

 

 スマホは個人情報の塊である。入っているアプリなどから連絡先、住所、趣味嗜好すら特定される。盗まれたとあっては、悪用されるのは必至であった。

 平和な学園に降って湧いた大事件。白銀は慌てた様子だ。

 一方未だにガラケーな上、連絡以外に使用しないかぐやは、ことの重大さがいまいちピンとこない。

 

「何故盗まれたと? どこかで落とした可能性もあるのではないですか」

「はい。俺もそう思ったんですが。足元にこれが落ちていたんです」

 

 男子生徒が、緑色のシリコン製スマホケースを、かぐや達に差し出す。表面には薄らと土が付着している。

 

「これ、俺のスマホケースなんですけど、飲み物を買いに行こうとした時に踏んだんです。それでスマホがなくなってることに気付きました」

「スマホだけがなくなるなんて、盗まれたとしか思えません。一応この辺りを探してみましたけど、ありませんでした」

 

 白銀は、顎に手を当て黙考する。

 

「なるほど。中庭に来るまであったのは間違いないんだな」

「はい。彼女が来るまで暇だったので触ってました」

「中庭に来たのはいつだ?」

「昼休みが始まってすぐなので、十二時五十五分くらいです」

「なくなったのに気付いたのは?」

 

 どれくらい前だっけと、男子生徒は隣の女子生徒に聞いた。急に話を振られた女子生徒は少し慌てた様子で、きょろきょろと周囲を見た。

 

「えっと、五分くらい前なので……」

 

 時計を探しているのかしら? 

 残念ながら中庭に時計は設置されていないので、彼女の目的が叶うことは永遠にない。かぐやは助け船を出すことにした。

 

「それなら丁度会議が終わった頃なので、一時二十分頃ではないですか」

「そ、そうです! そのくらいです!」

 

 ほっと、安心した様子の女子。そのやり取りを聞いていた白銀が、感心したように頷く。

 

「よく時間まで確認していたな。四宮」

「終わり際、偶然時計が目に入っただけですよ。たまたまです」

 

 偶然とたまたまの部分で声音が強くなる。それだと、まるで

 

 私が会長と一緒にお昼を食べたくて、何度も何度も時計を確認していたみたいじゃない! 

 

 そんなかぐやの内心を知らない白銀は、状況を整理する。

 

「つまり、スマホが盗まれたのは、十二時五十五分から一時二十分の間ということだな。スマホはどこに置いていたんだ?」

「座った直ぐ横に置いてましたよ。再現してみましょうか」

 

 言うやいなや、自分達が座っていた位置を再現した。長椅子の右から男子生徒、スマホ、女子生徒という位置関係だ。

 前には二人の目、右には男子生徒、左には女子生徒。死角になるのは後のみだが、椅子の背もたれには隙間がないので、後から盗むのも無理だ。

 

「前後左右どこからでも盗むのは困難だな」

「ええ、下手な金庫より安全な場所ですね」

「他に誰か、スマホに近付いた人物はいなかったか?」

「いませんでした。俺達だけです」

「となると……」

 

 チラリと、白銀が一瞬視線をある人物に向けたのが、かぐやには分かった。かぐやも同じ考えだったからだ。盗むのが困難であるが故に、選択肢は狭まる。

 視線を敏感に感じ取った人物、女子生徒は勢いよく口を開いた。

 

「私を疑っているんですね!」

「い、いや。そんなことはないぞ」

「疑ってなければ、そんなに鋭い目で睨みません!」

「俺の目は元からだ!」

 

 急にヒステリックになった女子生徒に、かぐやは違和感を覚えた。

 

 まるで自分から疑われようとしているみたい。

 

「身体検査をして下さい」

「いや、そこまでする必要は……」

「そうだよ。誰も疑ってないって」

 

 なんとか宥めようとする白銀と男子生徒だが、女子生徒の意志は硬く、なんとしてでも自分への疑いを晴らそうとしている。

 白銀はなんとかしてくれと、目でかぐやに助けを求める。

 

「分かりました。そこまで言うのであれば、私が検査しましょう」

「ありがとうございます!」

「では、持ち物を椅子の上に全て出して下さい」

 

 高級ブランドのロゴが入った折り畳み財布、学生証、スマホと、女子生徒がポケットから取り出した品が椅子の上に並んだ。特に変わった物はない。強いて言うなら、スマホの色が変わっている。

 

 なんなの!? このキューバリファカチンモみたいな色のスマホは! 

 

 去年のバレンタインに降臨した異物を彷彿とさせる、黒と紫が混じった反吐が出そうな色にかぐやはたじろぐ。既に身体検査をするのが嫌になったが、自分から言った手前止めるわけにはいかない。恐る恐るポケットなど、物を隠せそうな場所を触って確認する。

 かぐやは白銀から告白の言葉を引き出すため、様々な作戦を用意している。時には小道具が必要とする場合もあるので、密かに生徒会室や制服に隠す事がある。

 そんな物を隠すことに慣れているかぐやから見ても、女子生徒が盗んだスマホを隠しているとは考えられなかった。

 とはいえ、女子生徒以外にスマホを盗めたとも思えない。釈然としなかったが、かぐやは事実を伝えた。

 

「確認しましたが、何もありませんでしたよ」

 

 心底安堵した表情になる女子生徒。椅子の上の持ち物を手早くポケットにしまう。

 

「そうか……疑ってすまない」

「いえ、自分でも怪しい自覚はありましたから」

 

 白銀の性格を考えれば単に可能性として考慮したに過ぎず、本気で女子生徒を疑ってはいなかったのだろう。事実、白銀は女子生徒を疑う発言はしていない。それでも罪悪感を憶えて、素直に謝る辺りが彼らしさといえる。

 

「しかし、そうなるとどうやって盗んだんだろうな」

「なんか刑事ドラマみたいですね。ちょっとドキドキしてきましたよ!」

「おいおい、盗まれたのはお前のスマホなんだぞ……」

「まあ、パスコードも設定してますからね。大丈夫でしょう。スマホケースが残っただけでも良かったです。新品だったし」

 

 スマホケースの土を払いながら、脳天気に笑う男子生徒に、かぐや達は呆れる。

 程なくして中庭に、昼休みの終わりを告げるチャイムが響いた。白銀は学園側に報告するよう提案したが、変に大事にしたくないとの、男子生徒の申し出もあり、この件は一旦様子見となった。

 

 

 

 放課後、生徒会の仕事も終わりかぐやは一人校舎を出て歩き出した。

 活気に満ちた昼間とは打って変わり、夕焼けに染まって静かに佇んでいる校舎は、まだ夕方であるにも関わらず一日の終わりを感じさせた。

 それにしても今日は昼間の事件のせいで、用意していた計画が水泡へと帰した。

 会長も意地を張らずにさっさと告白して来てくれれば、毎度毎度面倒な計画を立てる必要もないのに。かぐやは心中で愚痴る。

 最近は計画の度に邪魔が入ってしまうのだ。映画を観に行くだけなのに『とっとり鳥の助』だの『ペンたん』だのと。

 かぐやは腹立ち紛れに道端の小石を蹴る。弾き飛ばされた石は二、三回跳ねて、校門の前で路上駐車していた黒塗りのリムジンに命中。鈍い金属音を発生させた。

 かぐやは口元を片手で覆った。

 

「あら」

 

 すぐさま後部座席の扉が開き、金髪の少女が現れた。

 歳の頃なら十代半ば。かぐやと同じ制服を着ているが、校則を遵守しているかぐやと違い、襟を外しており、スカートを折っているので丈も短い。両手の爪は青色のネイルが鮮やかに彩る。表情の無い顔を除けば今風のギャルのようにもみえる。

 少女はアイスブルーの瞳でかぐやの方を一瞥すると、そのまま一切表情を変えることなく、車の側面に屈み車体の確認に移った。

 

「修理代はいくらかしら?」

 

 かぐやは一応訪ねた。

 

「せいぜい七、八十万程度ですね」

 

 少女は何事もないように静かに立ち上がると、かぐやのほうを向いて恭しく一礼した。

 

「ほんのかすり傷です。かぐや様」

「そう」

 

 かぐやは無関心に返事を返すと、凛とした瞳で少女を見据えた。

 

早坂(はやさか)、誰かに見られてないでしょうね?」

「周囲に人がいないのは確認済みです」

 

 早坂と呼ばれた少女は、淡々と答えを返す。

 早坂(あい)は四宮家の使用人で、かぐや専属の近侍(ヴァレット)である。かぐやの命令で白銀の周りに度々出没しているので、繋がりがあると知られるのは好ましくない。その為、学校内での接触は稀であった。

 

「とにかく、お乗りください。かぐや様」

 

 早坂は使用人らしい無駄のない動きで、リムジンの車内にかぐやをエスコート。

 乗り込んだかぐやは、退屈な帰り道を思い窓の外に視線を向けた。エンジン音の後、徐々に窓の景色が流れだす。

 走り始めた車は港区の某所にある豪勢な西洋屋敷──四宮別邸へと進んでいった。

 そう、四宮かぐやは普通の女子高生ではない。誰もが知る大財閥『四宮グループ』の総帥、四宮雁庵(がんあん)の一人娘。生まれながらにしての正真正銘のお嬢様なのである。

 

 

 

 四宮かぐやは、ベットに腰掛けくつろいでいた。無駄にダブルサイズなあたりが、金持ちのお嬢様らしい。

 普段は副会長として校則通りに堅すぎる程きちんとした服装で、長い髪も結い上げて頭の後ろで留めているが、今はゆったりとしたワンピースを着て、髪も下ろしており、リラックスした格好だ。側にはかぐやが呼び出した二人の使用人控えている。

 

 

「昼休みは生徒会室にいらっしゃらなかったようですが、問題でもありましたか?」

 

 呼び出された一人、早坂が尋ねる。

 

「ええ、ちょっとした事件があったの」

「そうでしたか。ご命令どおり、白銀会長以外誰も入らないよう、生徒会室近くで待機していたのですが、──」

 

 早坂は何食わぬ顔で、さらに一言付け加えた。

 

「私は」

 

 倒置法。

 文を構成する語や文節を、あえて普通とは逆の順序にする表現方法。語勢を強めたり、印象を強める効果がある。

 詩や俳句、小説で多く用いられる修辞技法の一つである。

 

 かぐやは早坂が、わざわざこの表現方法を使った意図を察した。

 

 彼女以外は、自分の命令どおりに行動していなかった、と。

 

 かぐやが命令を出したのは2人。早坂を除くのであれば、残るは一人。

 射るような視線が、早坂と共に控えていた人物へと突き刺さる。

 

「言い訳を聞きましょうか?」

 

 視線の先には、喪服と見紛うようなダークスーツを着こなした、ひょろりと背の高い少年の姿。高貴な家柄の人物のようにも、キャバレーの呼び込みのようにも見える。

 少年、讃岐(さぬき)光谷(こうや)は表情を変える事なく、慇懃に応じた。

 

「誠に申し訳ございません。お嬢様」

 

 長身を折るようにして、音もなく(こうべ)を垂れる。

 頭を上げ、再びかぐやと向き合った讃岐は、「ですが」と続けた。

 

「誤解があるようでございます。(わたくし)はお嬢様にお仕えする身。決してご命令に背くことなどございません」

「じゃあ昼休みに、何をしていたの?」

「世界を救っておりました」

「──」

 

 いたって真面目な顔で言い放った讃岐に、かぐやは絶句する。変人だとは思っていたが、これ程までに重症だとは。

 こんな使用人を雇っていたとあっては、四宮家末代までの恥だ。

 讃岐の処遇については後で考えるとして、まずは

 

「早坂。今すぐ病院に連絡して」

「残念ながら診療時間外です。かぐや様」

 

 早坂は恭しく答えると、冷めた目で讃岐を一瞥する。

 

「人間的な感情が欠落している傾向にありましたが、さらにとんでもない病魔が巣食っていたみたいですね」

 

 主人と同僚の息のあった連携攻撃にダメージを受けながらも、讃岐はなんとか弁解する。

 

「ひどい。あんまりでございます。私はお嬢様の質問に、嘘偽りなくお答えしただけでございますのに」

「嘘偽りないから問題なんでしょう! 貴方藤原(ふじわら)さんと同じくらい、知能指数の低い発言をしているわよ」

「…………」

 

 ショックで二の句をつげない讃岐だったが、藤原の名前が出た瞬間、納得の表情で数回頷く。

 

「失礼しました。先程の言葉は、説明が不足していたようです。私、お嬢様のご命令を実行すべく生徒会室へ向かっていたところ、藤原さん──TG(テーブルゲーム)部の方々と遭遇したのでございます」

「はぁ、それが世界を救う事とどう繋がるの?」

「御三方はTRPGをプレイしていたのですが。人数が多い方が楽しいからと誘われたのです。かくして私は、旧校舎に眠る竜を退治する旅に出かけたのでございます」

「なに言ってるの」

 

 かぐやの視線と声音は絶対零度に達していたのだが、讃岐はゲームの思い出に浸っていた。

 

「【銀河探偵】という職業でプレイしたのですが、たかがゲームと侮れないものでございます。意外と奥が深く……」

 

 これに釣られたんだなと、かぐやと早坂は同時に思った。

 讃岐光谷は外面こそ、ミステリアスな使用人といった感じだか、中身はただのミステリマニア。ミステリ専門誌を定期購読し、たまの休みには本屋を巡る。部屋の本棚には古今東西の推理小説が並んでおり、教科書や参考書の類が入るスペースは圧迫され、無惨にも床に放られている。

 

「最後は時空震により消滅した都道府県の力が抜けた竜が……」

 

 いつの間にか、意味不明さを増している讃岐の話をかぐやは打ち切る。

 

「もういいわ。全く興味ないから」

「かしこまりました」

 

 えー、ここからがいいところなのに、と言いたげなのが顔に出ている。こういうところが本物の使用人と違う。早坂との差をひしひしと感じるかぐやだった。

 

「つまり、貴方は私の命令をほったらかして藤原さん達と遊んでいた、という事ね。覚悟はできているのでしょうね?」

 

 讃岐はとんでもないと、首を横にブンブン振り、早口に釈明を続行する。

 

「藤原さんは行動の読めないお方。いつ何時お嬢様の居られる生徒会室へ突撃するかわかりません。ならば行動を共にし、生徒会室へ行かぬよう誘導するのが最善だと、判断した次第でございます」

 

 ただの屁理屈でしかないが、これまでの藤原の実績を考えると一概に否定できない。

 こういう小賢しいところが、藤原さんと通じる点なのでしょうね。

 どうでもよくなって、かぐやは大きなため息を吐いた。

 難を逃れた讃岐は、すかさず話題を変えた。

 

「ところでお嬢様。事件とはいささか不穏な響き。何事でございましょう」

 

 明日もスマホが戻っていなければ、また探すことになるかもしれない。

 ふとある考えがかぐやの頭に浮かび、讃岐の顔を見た。【銀河探偵】だった男の顔を。

 かぐやに見つめられた讃岐は「お嬢様?」と眉根を寄せる。

 

「事件の詳細を話してあげるわ。きっと貴方も気に入るでしょうから」

「は、はあ……」

 

 讃岐はこの日初めて、無表情を崩し困惑した表情になった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 昼休み、早坂は中庭にある長椅子に腰掛けていた。視線は油断なく目前の渡り廊下注がれている。本日もかぐやのため、生徒会室へ人を入れないように監視しているのだ。

 

「いいのかい? こんなところに座ってるだけで」

 

 隣には讃岐が座っていた。かぐやに対する慇懃な口調は鳴りを潜めて、年相応の砕けた口調になっている。

 早坂も讃岐相手には、学校でのギャルの皮を被る必要がないので、淡々とした敬語で返答する。

 

「かまいません。生徒会室へ行くには、必ずこの道を通る必要がありますから」

「それなら、ゆっくり昼飯を食べれそうだ」

 

 包みを解いて、弁当箱を開ける讃岐。その中身が早坂の目に入った。

 付き人としてかぐやと共に学校へ登校する二人は、朝に四宮家の料理人より弁当が手渡される。必然的にメニューは同じものになる。だが、讃岐の弁当には早坂の弁当には入っていない品──爪楊枝に刺さったミートボールが数個あった。

 早坂が凝視しているのに気付いた讃岐は、爪楊枝を摘んでミートボールを持ち上げた。

 

「昨日、頼んで作って貰ったんだよ」

 

 図々しい。早坂は心の中で毒づいた。

 讃岐はミートボールを食べながら横を向く。長椅子が等間隔に並んでおり、その一つに男女が隣り合って座っていた。件の男女である。仲睦まじげな男女は、虫が寄って来そうな程に甘い空気を発していた。

 その様子を観察する讃岐の表情がいつになく真剣だったので、早坂は気になった。

 

「うらやましいんですか?」

 

 しばらく返答はなかった。讃岐は質問が自分に対してだと、思わなかったようだ。

 

「どうかな。シャーロック・ホームズを気取るわけじゃないけど、あの手の色恋沙汰は僕の理解の外にあるからね」

「その割には、あの女子生徒がスマホを盗んだ理由はわかるんですね」

「論理的に思考した結果、残った解がそれしかなかっただけだよ」

 

 なんでもないことのように語る讃岐を横目に、早坂は昨夜の出来事を回想する。

 

 

 

 ○

 

 

 

「お嬢様のご推察どおり、犯人は女子生徒であると思われます」

 

 かぐやが事件の詳細を話し終えた後の、讃岐の第一声であった。控えめな言葉とは裏腹に、声は断言するような力強さがある。

 だが、女子生徒がスマホを盗んでいないことは、かぐやも確認しているのだ。

 事件の謎を解かせようと画策して話したであろうかぐやも、納得できていないようだ。

 

「貴方は、彼女が盗んだスマホを持っていなかった理由も説明できるの?」

「はい。それにつきましても、意見を述べるのは可能かと」

「そう、では説明を聞きましょう」

 

「承知致しました」讃岐は礼儀正しく一礼した。

 

「盗まれたスマホは、所謂、心理的密室と呼ばれる状況下にありました」

 

 心理的密室とは実際には密室ではないが、状況や証言により現場が密室と同じ状態になることを指す。

 今回の場合、前と左右は二人の証言、後は長椅子に背もたれがある状況。それらによって、スマホの四方を囲む密室が完成していた。

 

「ですが、密室における犯行とは、完璧な密室でないからこそ起こるのでございます。したがって、今回の密室にも抜け穴があるのです」

「その抜け穴が、女子生徒という訳ね」

「仰るとおりです、お嬢様。女子生徒──仮に女子生徒を須磨穂(すまほ)盗子(とうこ)、男子生徒を須磨穂無男(なしお)としましょう」

「それだと彼等は婚姻関係になるわ」

 

 予想外の反論に、讃岐の目が(しばたた)

 

「……携帯(けいたい)無男としましょう」

「適当ね」

「そもそも名字はいりませんね」

「……」

 

 コホンと咳払いを一つ。讃岐は気を取り直す。

 

「盗子であれば難なくスマホを盗めたでしょう」

 

 それは飛躍し過ぎではないかと、早坂は思う。確かに盗子は密室に関係なくスマホを盗める立場にあるが、盗めたかどうかは別問題だろう。スマホは無男の真横にあったのだから。

 かぐやも同じ疑問を持ったのか、讃岐に聞いた。

 

「その、盗子さん、ですか? はどうやって、無男さんに気付かれずにスマホを盗んだの?」

 

 讃岐はO型に口を大きく開き、

 

「あーん、でございます」

「あーん?」

 

 わけが分からず、おうむ返しした早坂とかぐやの声が重なる。

 

「盗子は自分の弁当のおかずを無男に食べさせる行為のさ中、スマホを盗んだのでしょう。無男の意識が盗子が掲げる食材に向いた瞬間を狙った犯行です」

「そんなに上手くいくでしょうか? かぐや様の話を聞く限り、彼らはその行為に慣れていたようですが」

 

 初めてであれば、緊張や恥ずかしさで視野が狭くなることもあるだろうが、慣れてしまえば余裕ができる。相手の不自然な行動に気付かない程意識が逸れるとは考え難かった。

 

「慣れているからこそできる事もあります。スマホが死角になるよう、身を寄せたかもしれません。少し不自然ですが、キスを迫った可能性もあります」

「あんな場所でですか!? なんてはしたない!」

 

 反応するポイントがズレている。今どきキス程度で顔を赤くする主人に早坂は呆れた。キス以上の性的情報を遮断する四宮家の方針には、疑問を抱かずにはいられない。

 

「あ、あくまで私の推察ですので、誤解されませんよう」

 

 かぐやの男女への認識が物乞いから、飢えた獣に変わらぬよう讃岐は慌ててフォローする。

 変な方向に話が逸れたので、早坂は軌道修正を図った。

 

「盗子がスマホを盗むことが可能なのは、一応理解しました。ですが彼女は盗んだスマホを持っていませんでした。いったいどこに隠したのですか?」

「ここで重要なのは、盗子が自分から身体検査を申し出たことです」

 

 いくらか顔から赤みが引いたかぐやが「そういえば」と、思い出したように言った。

 

「彼女は自分から疑われようとしているみたいだったわ」

「彼女は当然、自分が一番に疑われると自覚していました。なので自分が無実である証拠を提示し、疑惑を晴らそうとしたのです」

 

 無実である証拠──盗んだスマホを持っていない事実こそが、盗子の犯行を否定していた。

 

「実際、盗子さんは無男さんのスマホを持っていなかったわ」

「果たして、本当にそうだったのでしょうか? スマホを隠した場所として、可能性は三つあります。

 一つ目は、制服に忍ばせた可能性。

 二つ目は、椅子の下など、中庭に隠した可能性。

 三つ目は、自分の持ち物の中に隠した可能性」

 

 讃岐は右手の人差し指、中指、薬指と三本の指を立てた。最初に薬指を折る。

 

「一つ目の可能性ですが、これに関しましては、お嬢様がお調べになったとおりなので除外して良いでしょう」

 

 中指を折る

 

「二つ目も除外して良いかと思われます。隠すとすれば長椅子の下くらいですが、その場所は無男も確認しています」

 

 最後に人差し指を折った。右手が握り拳になる。

 

「三つ目の可能性。これは検討に値します。話を聞いた限りでは、盗子の持ち物を確認はしましたが、詳しく調べてはいないご様子」

 

 早坂はかぐやの話を思い返して、盗子の持ち物を頭の中に並べた。

 

 ブランド物の折り畳み財布、スマホ、学生証。

 

「持ち物にもスマホを隠せる物はなかったわ」

「ある意味、隠してはいないのでございます。それは堂々とお嬢様の目の前にありました」

 

 かぐやとて、テストでは学年二位の成績を誇る天才である。讃岐の言わんとすることは理解できた。

 

「彼女のスマホが、盗んだスマホだったと言いたいんですか? それなら彼女がスマホを出したときに、無男は何故黙っていたの? 色の違いで分かるでしょう」

 

 反論するかぐやに、讃岐は何故か憐れむような眼差しを向ける。

 

「未だに、2000年代の文明圏から脱しておられないお嬢様には、馴染みがないかと思いますが」

「ねえ、早坂。もしかして、この男は私を馬鹿にしているの?」

「かぐや様、落ち着いてください。()るなら人気がない場所にしましょう」

 

 推理を披露し、テンションが上がっている讃岐。光が消え失せた瞳で睨まれようとも、目の前で自分の暗殺計画が練られていようと、全く意に解さない。

 スター状態の讃岐は、重大な事実を告げるように、言葉を区切って言う。

 

「この世に、キューバリファカチンモ色のスマホなど、存在しません」

 

「そんなの当たり前では」と言いかけ、早坂は気づく。

 

「スマホケース……」

「そのとおりです」

 

 ぽつりと、漏れた早坂の呟きに、讃岐は薄く笑みを浮かべた。

 かぐやは話について行けず、頭上には疑問符が連なっている。

 かぐやは生粋のアナログ人間である。携帯電話は今や絶滅寸前のガラケー。なまじ能力があるので、計算や調べ物は機械に頼らず、自力で済ませてしまう。そんなかぐやには、一般的なスマホの知識すら欠如していた。

 

「スマホには端末に傷がつくのを防ぐため、スマホケースという保護具が存在します。耐久性重視の無骨な物から、ファッション性の高い物まで、さまざまなな種類があります。盗子がスマホに装着しているのは、後者でございましょう」

「あれがファッション……」

 

 主がスマホに対して妙な偏見を持った気がしたが、早坂は面倒臭いので訂正することを放棄した。

 かぐやが正気に戻るのを待ってから、讃岐は結論を口にした。

 

「盗子の犯行を順に追って説明しましょう。盗子は無男のスマホを盗み、同時にスマホケースを外します。シリコン製のケースなので、簡単に外せます。外したケースを無男の足元に放る。芝の上なので、落下音はほとんどしなかったでしょう。

 その後、ポケットの中で無男のスマホに自分のスマホケースを装着する事で、あたかも自分は無男のスマホを持っていないかのように偽造したのです」

「でも、全部貴方の想像よね」

「根拠はございます。盗子が携帯電話を探す時、一番に思い着く方法を試さなかったのは何故でしょうか?」

 

 携帯電話を探すことも、連絡先を交換している相手も少ないかぐやに、今の質問は難しい。早坂は代わりに答える。

 

「探しているケータイに電話をかけ、着信音で場所を特定する方法ですね。ですが、忘れていただけでは?」

「そうかもしれません。では、何故彼女は、無男から時間を尋ねられた時、自分のスマホで時間を確認しなかったのでしょうか。恐らく、起動時の画面を見られると、無男のスマホだとバレるからでしょう」

 

 かぐやと早坂はハッとして思い返す。盗子は時間を尋ねられた時、慌てて時計を探した。かぐやが時間を教えると、盗子は安心した様子を見せた。

 今どきケータイを時計代わりにする人は多く、盗子は腕時計を着けていなかった。ケータイを時計代わりにしていたであろう事は、想像に難くない。

 

「付け加えるのであれば、彼女以外が犯人であるなら、スマホケースを外すという行動は不可解です。無駄でしかありませんし、外すにしても現場を離れてからでいい」

「なるほど、貴方の推論に一定の正当性があるのは認めましょう」

 

 もう一つ気になる点があった早坂は、かぐやに確認した。

 

「かぐや様、一ついいですか?」

「ええ、何かしら?」

「盗子は盗んだスマホ以外に、他のスマホは持っていませんでしたか?」

「持っていなかったわ。一台だけよ」

 

 そうなると、おかしな事になる。

 早坂は姿勢良く佇んでいる讃岐の方を向く。

 

「自分のスマホを持っておらず、ケースだけを用意していたのなら、犯行は事前に計画された事になります」

「そうですね。計画的犯行と見て間違いありません」

「だったら何故、自分が最も疑われる場所で犯行を行ったのでしょうか? 例えば教室で盗んだのなら、自分だけが容疑をかけられることはなかったでしょう」

 

 再び讃岐は薄く笑みを浮かべた。若干口角が上がっただけの笑顔だったが、不思議と少年のような純粋さを感じた。

 

「確かに、スマホを盗むだけならば、中庭である必要はありません」

「スマホを盗む以外の目的が、盗子さんにあったということ?」

「さようでございます、お嬢様。恐らく、無男にスマホケースを踏ませたかったのではないかと」

「踏ませる? 中庭なら踏ませる事ができるの?」

「確実に踏む保証はありません。ですが中庭なら、その確率は格段にアップするのでございます」

「何故かしら?」

「下が芝生だからです。無男のスマホケースの色は緑、芝生の上では気付き難くなります」

 

 それなら、誤ってスマホケースを踏む可能性は高いだろう。納得したかぐやはこの疑問の核心に迫る。

 

「中庭を犯行現場に選んだ理由は分かったわ。でも、彼女がスマホケースを踏ませたかった理由は何?」

 

 讃岐は言い淀んでから「ここからは、想像に頼る部分が大きくなりますが、ご容赦ください」と前置きした。

 

「盗子がスマホを盗んだ理由は、中を見たかったからだと思われます」

「中を見たいだけなら、無男さんが席を立った隙にでも見ればいいでしょう」

「スマホは個人情報の塊でございます。席を立つ時でも、手放す人は少ないでしょう。さらに、彼のスマホには他人が勝手に使えないよう、パスコードが設定されていました。ところでお嬢様、恋仲にある男女が、相手の携帯電話の中を見たがる動機とは、何でしょう?」

「そんなの決まってます。不貞行為がないか確認するためでしょう」

 

 かぐやは迷いなく、キッパリ断言した。

 

「そう考えるのが妥当かと思います。彼氏の不貞行為──ありていに言えば浮気を疑っていた盗子は、スマホを盗み見る決意をします。そこに新しくなった無男のスマホケースが登場。彼女はそれを、浮気相手から贈られた品だと考えた。疑いが確信に変わると共に、ある復讐方法が頭に浮かびました。それも江戸時代から続く古風な方法です」

 

 流石というべきか、かぐやはすぐにその解答へ辿り着いた。

 

「踏み絵ね」

「慧眼でございます、お嬢様。彼女はスマホケースをキリストに見立て、無男に踏み絵をさせる事で、ささやかな復讐心を満たしたのでございます」

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 讃岐の推理が正しい保証はないが、筋は通っていたので、的外れではないだろう。

 

「矛盾している気がしますね」

 

 浮気している確証を得るためスマホを盗む。浮気していると確信したから踏み絵をさせた。

 前者を成すなら、後者には至らない。後者を成すなら、前者は不要である。

 

「人に感情がある以上、その程度の矛盾はありふれているよ。残念ながらね」

 

 論理主義を掲げる讃岐は退屈そうに吐き捨て、早坂にも馴染み深い具体例を挙げた。

 

「自分に告白させようと策を巡らせる癖に、その相手のことは好きではないと言う。この矛盾さえなければ、僕の仕事も減るんだけどね」

「あー」

 

 讃岐の見解に、珍しく、本当に珍しく早坂は全面的に同意した。

 

「まあ、今回の件に関しては、さ程矛盾してもないけどね。優先順位がややこしくなっているだけで」

「スマホを盗む、踏み絵をさせるの順では?」

「時系列としてはそうなる。実際途中までは、スマホを盗むのが最優先だったろうね。だけど、新品のスマホケースを見た時点で、彼女の中で疑いは確信に変わっていた。同時に優先順位の一番も変わった、復讐にね。スマホを盗むのは更なる攻撃材料を手に入れるため」

 

 早坂は、可愛いさ余って憎さ百倍の実例を目の当たりにした気がした。気がしたというのは、早坂にはその気持ちが分からないからであった。

 ともあれ、

 

「あの様子では、ただの勘違いだったようですね」

「迷惑な話だね。おかげで僕達は二日続けて、生徒会室を監視するはめになったんだから」

「僕達?」

「……瞳孔開いてるよ」

 

 誰のせいだ。

 わがまま放題の主に、隙あらばサボろうとする同僚。その内、過労か心労で倒れるのではないだろうか。帰ったら転職サイトを検索してみよう。

 

 とりあえず、私を労らない人間全員に天罰が下ればいいのに。

 

 そんな事を考えていたせいか、ニョキっと目の前に球体の肉の塊が現れた。刺さった爪楊枝を辿っていくと、見慣れた同僚の顔。隣には一人しかいないので、わざわざ辿る必要もないのだが。

 

「はい」

「何ですか?」

「説明させるなんて無粋だね。分かりやすく言い直そうか。はい、あーん」

 

 あぁん? 

 

「私も言い直しましょう。何のマネですか?」

 

 ついに頭が沸いてしまったのだろうか、この男は。

 なおも讃岐はミートボールを差し出したままだ。

 

「深い意味はないよ。ただ、理解できない事実があるのは癪だからね。てわけで体験してみようかと」

 

 讃岐は言葉を切ると表情を挑発的に変える。

 

「それとも、普段から頭がおかしいだの、趣味が悪いだの、感情欠陥だのと言って貶めている僕相手でも、こういった行為は意識するのかな?」

「そこまでは言ってませんが……」

 

 思っているだけなので、早坂の言葉に間違いはなかった。

 見えすいた安い挑発だが、讃岐が何を企んでいるにせよ、ここで引くのはとても癪だった。

 差し出されたミートボールを見つめる。きれいな球体に形成された肉。肉を包み込むあんかけソースが、てらてらと輝く。

 誓って、早坂愛は讃岐光谷に対して特別な感情を抱いてはいない。怒りか殺意を抱くのがせいぜい。意識するなど、もっての外だ

 なんて事はない。あちらからわざわざ差し出して来ているのだ。下僕が献上していると思えばいい。何も意識することはない。

 いたって冷静に、平常心を保ちながら早坂はミートボールを口にした。

 

 味はまったく感じなかった。

 

 きっと病気だろう。そういえば今朝から調子が悪い気がしなくもない。

 背後からは讃岐の得意げな声。

 

「先に謝っておくよ。さっき言ったのは嘘でね。君は昨日、本当にこんな事で注意が逸れるのか疑ってたろう。だから実践したのさ。結果はこの通り、君のポケットにあったスマホは僕の手に……って、聞いてるのかい?」

「はい」

「じゃあ何で顔を逸らしてるんだい」

「あそこに猫がいたので」

「無関心過ぎない!?」

 

 讃岐は肩を落とし「説明のしがいがないなあ」等と不満げ。

 早坂はそれどころではなかった。体温が上がり、顔が暑い。間違いない風邪である。

 風邪を移さないよう、讃岐の方を一切見ずに話す。

 

「スマホを返してください」

 

 讃岐がスマホを、伸ばされた早坂の手に乗せる。

 

「いつまで猫を見てるんだい。……そういえば君、犬派じゃなかった?」

 

 讃岐は長身を乗り出して、早坂の視線の先を覗き込もうと腰を浮かす。讃岐の意識を存在しない猫から逸らすべく、早坂は急いで質問を投げる。

 焦っている人間の思考は単純になる。およそ万能と呼べる能力を持った早坂とて、例外ではない。つい、普段から頭にあった疑問が飛び出す。

 

「そんな事より、貴方はいったい何者なんですか?」

 

 去年の夏、四宮家本邸より現れた使用人。

 かぐやの命令で身辺調査を行ったが、両親は健在で、父親が大手食品会社の社長である事、一年前その食品会社が四宮グループの傘下に加わった事以外、目ぼしい情報はなかった。通っていた学校も普通の学校だ。並外れた推論能力を有しているなど、知りもしなかった。

 讃岐は浮かせた腰を落とし、椅子に深く座り直すと生真面目な顔で言った。

 

「僕、将来はプロの棋士か、探偵になりたかったんだよね」

 

 答えになっていないのではないか? 早坂は熱が治まるのを感じつつ、不満に思った。




中庭の描写は原作を参考にしています。原作だと下は芝生に見えたので。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。