恋愛は謎解きのあとで   作:滉大

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ディテクティブ♡アクアリウム

 水族館。

 水中や水辺で生活する生物を展示、収集する施設。

 

 早坂愛が脳内で辞典を引いたのには訳があった。

 主人である四宮かぐやが、想いを寄せている白銀御行から水族館デートの誘いを受けた。しかし、かぐやは誘いを断ったらしい。

 理由を聞いたら、

 

「ここが水族館だったの!」

 

 意味が分からない。

 

 かぐやの言う「ここ」とは誘いを受けた学校の廊下を指しており、当然ながら教育機関である私立秀知院学園は水族館としての機能を有する施設ではない。鼻持ちならない金持ちの育成はしても、水性生物の飼育はしない。

 

「仰る通り、珍妙な生物が多いという点では、秀知院学園も水族館と大差はございません」

 

 鼻持ちならない金持ちの代表格であり、早坂と同じく、かぐやに使える近侍の讃岐光谷が適当に首肯する。

 かぐやに色々言いたい事はあるけれど、先にこの男の口を封じた方がいいかもしれない。物騒な考えが早坂の頭に浮かんだ。

 

「大体、会長は──」

「仰る通りでございます」

「また藤原さんが邪魔を──」

「仰る通りでございます」

「いい加減に意地を張ってないで素直に──」

「誠に仰る通りでございます」

 

 やはり黙らせた方が良いようだ。

 早坂は讃岐の肩を叩いた。

 

「どうなさいました? 早坂さん」

「屈んでください」

 

 突然の要求に讃岐は眉を顰めながらも、膝を曲げてその長身を屈めた。

 一方早坂はどこからともなくガムテープを取り出す。ガムテープを伸ばす音がしてから、讃岐の口が封じられるまで1秒とかからなかった。

 かぐやはバツが悪そうに空咳をする。「ふご」という鳴き声しか発せなくなった讃岐を見て、落ち着きを取り戻したようだ。

 

「して、かぐや様。私だけでなく、コレも呼び出したという事は何か用件があったのでは?」

 

 隣を指差しながら、かぐやに問いかける。隣からふごふご抗議の声が上がったが、生憎と早坂は人語しか解さない。

 愚痴を聞かせるだけならば、無意味に首を縦に振るだけの男を呼び出す必要はない。何かしらの指令があるのだろうと早坂は予想した。碌でもない指令だろう、とも。

 

「貴方達を呼んだのは調査の為よ」

「調査?」

「ふご?」

 

 かぐやはチラリと讃岐に視線を向けたが、そのまま話を続けた。

 

「また会長が水族館に誘って来るかもしれないでしょう? その時に備えて会長の好みを把握しておく必要があるわ」

 

 取らぬ狸のなんとやら。かぐや程の天才ともなれば計算のみならず、皮算用も得意らしい。

 

「会長は石上君と水族館に行くらしいわ。貴方達には水族館へ行って会長の好みを探って来て欲しいの」

「承知しました。チケットは翌朝手配します」

「ふごふっごごふごふごふご」

「水族館に行く時間までは分かりませんね。白銀家を監視しておきましょうか」

「その必要はないわ。仕込んだチケットの日付は明日。恐らく放課後ね」

「ふごふごふご」

 

 早坂とかぐやは面倒臭そうに讃岐を見た。

 

「何か言ってるわよ」

「そのようですね」

 

 早坂は何処からともなく、ペンとメモ帳を取り出して讃岐に渡した。

 

「喋らせてあげたら?」

「彼の発言はかぐや様にとって毒にしかなりませんので」

 

 2人が沈黙して待っている間、ボールペンを動かす音だけが室内に流れた。

 数十秒後、書き終えた讃岐は三つ葉葵の入った印籠のようにメモ帳を掲げた。国家の心臓たる四宮家令嬢とその部下は跪いたりせずに、紙に書かれた文字を目で追った。

 

『チケットなら持っております』

「そうなの?」

 

 メモ帳を持っている手と逆の手にチケットが2枚握られている。

 何故持っているのか、かぐやは聞かなかった。単に興味がないのだろう。

 

「チケットを用意する手間が省けたわね。当日は頼んだわよ」

「承知しました。かぐや様」

 

 頭を下げる早坂の隣で、讃岐はサラサラとボールペンを走らせる。数秒が経ってメモ帳を再び掲げる。

 

『承知致しました。お嬢様』

 

 

 

 

 かぐやの部屋を退出した早坂と讃岐は、四宮邸の長く広い廊下を歩いていた。本日の業務はまだ終わっていないのだ。

 

「どうして水族館のチケットなんて持っていたんですか? 貴方が自分で買った訳ではありませんよね」

 

 直ぐに返事は返ってこない。代わりというように、紙の上を走るボールペンの音が耳に届く。

 

『勿論僕が買ったんじゃないよ。貰ったんだ』

「ペアチケットですよね? いいんですか、使っても」

 

 三度ボールペンがメモ帳の上を軽やかに移動する。早坂はその手を制した。

 

「いつまでやってるんですか。テンポが悪いので普通に喋ってください」

 

 讃岐は口に張られたガムテープを剥がすと不満顔で、

 

「横暴だ。君がやった癖に……。このチケットは元より、君と一緒に半券を切るか、燃えるゴミとして燃えるかの末路しか選べないんだよ」

 

 だから使っても問題ない、と。事情があって貰った物らしいが……。腑に落ちていない早坂をよそに、讃岐はガムテープを丸めて手の中で転がす。

 

「そういえば、君の奇行は治ったようだね」

「奇行? 覚えはありませんが」

「まぁ、あれだけ頭を打ちつけてたら、記憶の1つや2つ飛ぶかもね」

「…………」

 

 いや、忘れた訳ではない。……忘れたかったけど。

 発端は、かぐやが『今日は甘口で』という少女漫画を購入した事。

 感動的なストーリーに加え、砂糖にシロップをかけたかの如く甘い恋愛描写のダブルパンチ。あっさりKOされてしまった早坂とかぐやは我先にと読み漁った。結果、少女漫画によって引き出された「恋したい」欲求が2人の脳髄を蝕み、少女漫画脳へと変貌を遂げた。

 少女漫画脳になった彼女達は必然的に、身近な異性を意識してしまう。

 身近な異性。かぐやにとっては言わずもがな、白銀御行や石上優である。早坂はというと、同僚であり、ほぼ毎日飽きるくらいに顔を合わせている讃岐光谷だった。

 そう、讃岐光谷だったのだ。良さげな外見と、産業廃棄物的な内面を併せ持つ男。いくら少女漫画に感化されたとはいえ、いくら消去法であるとはいえ、この男を意識してしまうのは早坂のプライドが断じて許さない。故に屋敷で出くわした讃岐の周囲に、謎のキラキラした背景効果を幻視した瞬間、壁に頭をぶつけてなんとか正気を保ったのだった。

 

「ほっ」テーブルを囲んで椅子が置かれた談話スペースを通りかかった時、短い声と共に讃岐が丸めたガムテープを投げた。ガムテープは山なりに弧を描いて、ゴミ箱目掛けて落下。縁に当たって弾かれたガムテープは、讃岐の元に戻って来る。

 

「惜しい」

「ゴミくらい普通に捨てられないんですか? 投げるなら、ちゃんと入れてください」

 

 早坂は足元に転がっているガムテープを拾って無造作に放った。ガムテープはゴミ箱の縁に一切触れず、吸い込まれるようにして中へ収まった。

 鮮やかなシュートを、讃岐は口笛を吹いて称賛した。

 

 

 ○

 

 

 白銀御行は基本的に生徒会活動やアルバイト、もしくは勉強をして放課後を過ごす。そんな彼にしては珍しく、今日は後輩の石上優と共に、水族館を訪れていた。

 東京都豊島区に所狭しと並び立つ4本のビル。その内3番目に高いビルの最上階に目的の『sunlight水族館』はある。

 

「残念でしたね。四宮先輩来られなくて」

 

 石上がそう言ったのは、最上階へと昇る専用エレベーターの中。青い壁と、天井から降り注ぐ青白い光。まるで海中にいるかのような内装は、何度見ても心が踊る。

 

「仕方がない。昨日から体調が良くなかったみたいだからな」

 

 白銀の返答にはささやかな嘘が混じっていた。厳密には嘘ではなく、意図的に語らなかったのだが。

 昨日、熱があるかもしれないかぐやを保健室に連れて行ってたのは、紛れもない事実。だが、水族館に来れなかったのは体調不良のせいではなく、誘いを断られたからだ。

 白銀はこの事実を隠した。デートスポットとしても名高い水族館に誘ったと知られれば、白銀御行は四宮かぐやが好きなのではないかと勘繰られてしまう。白銀としては、なんとしても避けたい事態である。あくまでも好意を向けているのはかぐやの方であり、白銀は告白されたら付き合ってやらんでもないと考えているだけ、さっさと告白して来いと常々思っているだけなのだ。

 最上階に到着してエレベーターを降りると、直ぐにチケットカウンターがある。平日だからか、殆ど待たずに入場できた。連休中などは長蛇の列ができるのは石上も知っていたようで、「ラッキーでしたね」と喜んでいた。

 

「何処から回ります?」

 

 入口付近にある館内マップを見ながら石上が尋ねた。

「ふむ」と唸ってから、揶揄うような笑みを石上に向ける。

 

「順番通りに行くか。魚に詳しい解説役もいる事だしな」

「任せてください。余計な知識は詰まってるんで」

 

 石上は大袈裟に応じた。

 

 廊下を道なりに進むと最初の水槽とご対面。

 水槽の底には白い砂が満遍なく敷き詰められており、いたる所で砂底から細長いにょろにょろした生き物が顔を出す。

 

「チンアナゴだな」

「チンアナゴですね」

 

 チンアナゴ。ウナギ目アナゴ科に属する水性生物。丸みのある顔や、くりくりした目、細長い体を彩る綺麗な模様。様々な特徴を持つチンアナゴであるが、1番に目が行くのは名前だろう。

 可愛さと前衛さが奇跡的相性(マリアージュ)によって融合を果たした名称は、決して、酔っ払ったおっさんが適当に付けたのではない。由来は日本犬の(ちん)に顔つきが似ているから。

 狆に似ているアナゴだから、チンアナゴ。やはり適当に名付けたのかもしれない。

 安直に付けられた名前は、現代において小学生の男子や、頭の悪い男子中・高生に絶大な人気を誇る。彼等は親愛と敬意を込めてこう呼ぶ。

 

 チン──。

 

「会長、小学生みたいな事考えませんでした?」

「ははは、まさか。俺はもう高二だそ。それに生徒会長だ」

「生徒会長関係ありますかね」

「ああ。生徒会長はそんな低俗な事を考えない」

「低俗とは一言も言ってませんけど」

 

 自分の失言に気付いた白銀は口を噤んだ。石上もそれ以上追求しない。2人の間に沈黙が流れた。

 

「よし、ここはもう十分堪能したな! 次に行こう!」

 

 全国模試上位の頭の悪い高校生は、逃げるように提案した。

 

 順番に見て周り、1階では最後となる巨大な水槽の前に立った。

 シマウマ模様の魚が身を翻す。映画の主役にもなったオレンジが特徴の魚は4匹の群れで遊泳している。様々な種類の魚が縦横無尽に泳いでいる姿は滅多にお目にかかれない。

 石上に魚について質問したら、打てば響くように答えが返って来た。魚に詳しいと自負するだけはある。

 

「男2人で水族館て、悲しすぎると思いましたが」

「思ったより楽しいな」

 

 ふと石上が水槽から目を離して横を向いた。そのままじっと一点を見つめていたので、白銀は気になって聞いた。

 

「どうかしたのか?」

「あれ讃岐先輩じゃないですか」

 

 振り向いた石上は、指先で先程まで見ていた隣の水槽を指した。ひょろりとした長身に秀知院学園の制服。間違いなく讃岐光谷だった。

 あちらも白銀達に気付いたようで、軽く手を上げ向かって来る。

 

「やあ、お2人さん。男2人で水族館かい? 随分残念な放課後の過ごし方だね」

「余計なお世話だ。それも悪くないって話してた所だよ」

 

 開口一番に飛んで来た寸鉄を、白銀は慣れた様子ではたき落とした。

 

「1人で来てる先輩がそれを言いますか」

 

 反撃のつもりはないだろうが、石上の言い分はもっともだ。

 讃岐はゆるゆると首を振った。

 

「僕がそんなに魚好きだと思うかい。一緒に来た人とはぐれちゃってね」

「はぐれたって、相手はケータイ持ってないんですか?」

「連絡は入れたけど返信がなくてね。しょうがないから、1人で見て回ってたんだよ」

 

 何をひらめいたのか、そうだ、と讃岐は話を続けた。

 

「君達もまだ見て周るだろう。1人寂しく魚を見る羽目になった僕を、仲間に入れてくれないかな?」

 

 意外な申し出に、白銀と石上は顔を見合わせた。

 

「それは構わんが、一緒に来た人が居るんだろう。いいのか、俺達と周って」

 

 何の根拠があるのか、讃岐は「大丈夫、大丈夫」と楽観的に頷いている。

 本人がそう言うのであれば、断る理由もない。

 

「先輩はどこまで見たんですか?」

「1階は殆んど見たかな」

「じゃあ僕らと一緒ですね。2階に行きましょうか」

「2階って何か居るんだっけ?」

「水辺に生息する生物が主だな」

 

 3人は雑談を交わしながら上階へ続く階段に足を掛けた。

 

 2階の通路は上から見ると、漢字の口になっている。白銀達が登って来た階段は全フロアを繋ぐ唯一の階段で、口の左辺の真ん中に当たる。そこから下に行った、突き当たりに河川をモデルにした大きな水槽がある。

 水槽では熱帯魚が、自らの美麗さを見せびらかすかのように、身を翻しながら泳いでいる。

 

「ほう」白銀は思わず感嘆の声を漏らした。

 

「観賞魚なだけあって綺麗ですね」

 

「君の方が綺麗だよ」

 

「……讃岐先輩、ゲロ吐きそうなのでやめてください」

「白銀君も居るのに、どうして僕なのかな? 生憎と嘘を付いてまで、君の機嫌を取ったりしないよ」

「さらっと毒を吐きますよね。先輩じゃないなら、誰がそんなふざけた…………」

 

 讃岐の方を向いた石上の瞳から、光が消えた。視線は讃岐を通り越し、熱帯魚を仲睦まじく観賞している2人の男女を見ていた。

 

 

「もう、またそんな事言ってー」

「本当だって。ネオンテトラより輝いてるよ」

「何それー」

 

 手を繋いだ男女は囁き合う。

 全てを察した石上は、いっそう暗い声になり、

 

「讃岐先輩、すみませんでした」

「いやいや、お気になさらず」

「次、行くか」

「そうですね……」

 

 次の水槽は左に曲がり、少し歩いた所にあった。途中、石上がトイレに行くと言って道を引き返した。トイレはフロアの左上の角にあるのだ。

 先に行ってていい、と石上に言われたので白銀と讃岐は滅多に見られない生物を楽しみながら廊下を歩いた。

 途中、トイレブラシやビニール手袋が入ったバケツを手にした従業員とすれ違った。歳は白銀より少し上くらいに見えるので、アルバイトだろう。

 それを見たからか、讃岐はこんな質問をした。

 

「君はここでバイトした事あるのかい?」

「いや、無いな。お前も知っての通り、俺は1つのバイトを長く続けるつもりはない。辞めたバイト先には行きづらいから、よく行く場所でバイトはしないようにしている」

「バイト戦士にはバイト戦士なりの苦労があるんだね。よく来てるなら、お気に入りとかあるのかな?」

 

 讃岐は小さな亀の入った水槽を見ながら聞いた。白銀も同じように亀に目を向けたまま少し考えて、

 

「1番はペンギンだな。屋上の水槽で泳ぐペンギンは何時間でも眺めていられるし、ペンギンショーはよく見に行く」

「ああ、あのペンギンが空を飛んでいるように見える水槽ね。確かに、鳥でありながら飛べない悲しき性を抱えたペンギンに、空を飛ぶ気分を味わってもらおうというのは粋な計らいだね。まぁ、空に近くなったことで、自由に飛び回る鳩や鴉を見たペンギンが、鳥類としての格の差を感じないか心配ではあるけれど」

「そんな捻くれた見方してねぇよ! 大体ペンギンが劣ってような言い方だけど違うからな!」

 

「そう?」と理解してなさそうな讃岐に対して、白銀は鼻息を荒くする。

 

「そうだ。お前はペンギンについて何も分かってない。ペンギンは空を飛べないが、水中を自由自在に泳ぐ姿は水中を飛ぶと形容される程だ。中でも最速とされるジェンツーペンギンは、時速36キロの速さを誇る。

 更に、ずんぐりむっくりした可愛らしい体にも秘密がある。水に浮かないよう、体に骨がぎっしり詰まっていて密度が高くなっている。楕円形のフォルムは流体学的にも、水中での水の抵抗は理想的と言えるくらい小さい。そして……」

「分かった。もうペンギン教室は十分だよ。僕が悪かったよ」

 

 白銀の熱弁を遮った讃岐は、慌てて話を変える。

 

「そういえば、石上君遅いね」

 

 今日はこれくらいで見逃してやろう。白銀は讃岐の話題に乗った。

 

「言われてみれば、そうだな」

 

 石上がトイレに行ったのは、最初の角を曲がった辺りだった。現在白銀達は次の曲がり角に差し掛かかろうとしていた。丁度、口の右下の角の部分である。

 魚を観賞しながら歩いていたので、それなりに時間は経っている筈だが。そう思って歩いて来た通路を顧みると、石上が歩いて来るのが見えた。

 

「おや、噂をすれば。腹でも下していたのかな」

「そんな感じしなかったが……」

 

 合流した石上は後頭部を掻きながら、

 

「すみません。遅くなりました」

「いや、気にするな」

 

 曲がり角まで進んで次の水槽を見た。小さめの水槽の中で、鮮やかな黄色のカエルが跳ねていた。

 特別な展示らしく、派手なポップが水槽下の台に貼ってある。期間限定で飼育員が解説してくれるらしい。名前はモウドクフキヤガエルとある。

 

「モウドクフキヤガエル。名前からして毒を持ってそうだが」

「持ってますよ。それも生物の中で最強の猛毒です」

「へぇ、展示してて大丈夫なのかな?」 

「自分で毒を作り出しているのではなく、毒性のある生き物を食べて毒を蓄積するので、食べ物を変えれば毒性は失われます。ペットとしてもよく飼育されてますよ」

 

 石上の流暢な解説を、白銀と讃岐は関心しながら聞きていた。

 しばらく、カエルが跳んだり、泳いだりしている様を眺めていた白銀達だったが、「おや」と讃岐が声を上げた。

「どうした?」白銀がそう口にする前に、別の場所から声が飛んで来た。

 

「あー、やっと見つけたし!」

 

 親しげな声色。女子に親しく呼び掛けられる覚えのない白銀と石上は、自分達の一行には関係ないと思い、特に反応を示さなかった。

 しかし、そんな白銀と石上の予想に反して反応を示す者が居た。

 

「君、何処に居たんだい? 連絡したのに返事もないし」

 

 讃岐は突如現れた、金髪をサイドテールにした女子と気安く言葉を交わす。校則違反すれすれまで着崩しているが、秀知院学園の制服だ。話の内容からして讃岐が一緒来た人物だろう。

 白銀にも見覚えのある人物だった。かぐやと同じクラスの生徒で、名前は早坂愛。

 

「えっ、連絡?」早坂はポケットからスマホを取り出して画面を確認する。「ホントだ」

 讃岐はやれやれといった様子で肩をすくめた。

 その光景を眺めていた白銀と石上は、壁を作るように肩を組んで小声でコソコソ話す。

 

「会長、なんか敗北感凄いんですけど」

「奇遇だな石上、俺も同じ気持ちだ」

「彼女と来てるのに、僕達と周るってどういう神経してるんですか、あの人」

「分かり切ってたろ。まともじゃないのは」

 

 負のオーラを募らせる2人に、讃岐は「どうしたの?」と呑気に問いかける。

 早坂も白銀と石上に気付いたらしい。

 

「あれー、会長に会計君じゃん」

「あ、ああ。讃岐とはぐれたのは君だったか」

 

 早坂は唇を尖らせて抗議した。

 

「はぐれたのはあっちの方だし。挙句、ほったらかしで楽しんでるし、酷いと思わない?」

 

 早坂は半眼で睨みつけたが、讃岐はカエルの水槽に夢中で気付いていない。

 早坂が少し不機嫌になった気がしたのは、白銀の気のせいではないだろう。自分よりカエルを優先しているのだから無理もない。

 白銀は、早坂が来る前に讃岐が何か言いかけていたのを思い出す。

 

「何か気になる事でもあったのか?」

 

 ようやくカエルから目を離した讃岐は、ゆっくり振り向いた。

 

「1匹多い」

 

 言葉足らずに過ぎるが、何が言いたいのか、理解できない者は居なかった。白銀達は水槽に近づきカエルの数を数えた。

 

「5匹だな」

「5匹だねー」

「えっ、6匹じゃないですか?」

 

 讃岐は水槽の一点を指さして、

 

「石上君が合ってるよ。木の陰に1匹隠れてる」

 

 水辺を再現して置かれた木の陰から、鮮やかな黄色がはみ出ていた。讃岐や石上のように観察眼が優れている人でなければ、気付かないだろう。

 讃岐は指先をそのまま下げて、水槽下のポップに向けた。水槽内には5匹のカエルを飼育している、との表記。

 

「ポップが間違ってるんじゃない?」

「特別展示のポップを間違えるかな……」

 

 考え込んでいると背後から声が掛かった。

 

「君達、カエルに興味があるゲコ?」

 

 振り返った白銀達は、その人物の姿を見て固まった。カエルを模した緑色の帽子を被った中年の男性。白衣の下に、水族館のスタッフTシャツを着ているので、かろうじて不審者ではないと分かる。

 石上は小声で囁いた。

 

「会長、何ですかこの人。露骨にハコフグ帽子の人をパクってますけど」

「ああ、さかなク──」

「私はかえるクン。以後よろしくお願いしますゲコ」

 

 是非とも遠慮したい。

 語尾の「ゲコ」は元ネタとの差別化を図った結果だろうか。だとしたら明らかに失敗している。

 

「かえるクン、この水槽に居るカエルの数は、ポップに書いてある通り5匹で間違いありませんか?」

 

 讃岐は早くもこの状況に順応する。

 

「はい、間違いありませんよ…………あっ、間違いありませんゲコ」

 

 忘れてんじゃねぇよ。

 

「でも6匹いますよ」

「ゲコッ!?」

 

 石上に指摘され、かえるクンは慌てて水槽を覗き込んだ。目を見開き、上から横から視線を巡らせる。

 

「本当だ、6匹居る。何でぇ?」

 

 驚きですっかりキャラを忘れてしまったかえるクン。そうすれば5匹になるとでもいうように、顔を近付けてカエル達を凝視している。

 水槽から顔を離したかえるクンは、大きなため息を吐いた。

 

「教えて頂きありがとうございます。確認してみます…………また管理が甘いって怒られるなぁ」

 

 苦労が伺える一言をボソリと呟いて、水槽を後にするかえるクンを、讃岐が呼び止めた。

 

「すみません。お伺いしたいのですが」

「何ですか?」

「飼育員による解説があるようですが、具体的にはどういったイベントなんですか?」

 

 かえるクンは少し考える間の後、

 

「特徴、生態の解説や、私が水槽から1匹取り出して間近で見せたりします。まぁ見てもらうというより、毒性が無いのをアピールするのが主な目的ですね」

 

 自分から聞いたにも関わらず、讃岐は考え込んでいて返事をしない。代わりに返事をしたのは早坂だった。

 

「ありがとうございましたー」

「では、私はこれで」

 

 肩を落としたまま、かえるクンはとぼとぼ歩いて行った。

 

「さて」白銀は水槽の前で固まっている讃岐を視界に捉えて、口を開いた。

 

「無事合流できたようだし、讃岐は返そう」

「ごめんねー。迷惑かけちゃって。……いつまでそうやってんの!」

 

 スクールバックで、ぼうっとしている讃岐の背中を叩く。子供と保護者みたいだ。見かけによらずしっかり者なのかもしれない。

 

「やあ、お邪魔したね。結構楽しめたよ」

「どちらかというと、俺達の方がお邪魔した気もするがな」

 

 白銀と石上は、これ以上お邪魔にならないよう、2人を置いて先に行く。途中振り返ると、再び水槽を覗き込んでいる讃岐と、その背後で呆れたように見守る早坂が目に入った。何だかんだで相性の良さそうな2人の姿に、白銀は安心した。

 

「よし、次はペンギンを見に行くか!」

「おっ、いいですね」

 

 

 ○

 

 

「行きたい場所があるんだ!」

 

 白銀達と別れてから、讃岐は真っ先に宣言した。

 魚の水槽に目もくれず讃岐が向かった先には、青い男性のシルエットとピンクの女性のシルエット。有り体に言えばトイレである。

 

「……早く行って来たらどうですか」

「残念ながら行けないね」

 

 トイレの入口には貼り紙があり、「故障中。立入禁止。1Fのトイレをご使用ください」とある。

 

「思った通りだ」小さく呟いた。目まぐるしい展開に、早坂はとっくに思考を放棄していた。どうせ後から解説したがるのだし。ぼんやり突っ立っていた早坂に、讃岐が手のひらを差し出した。

 

「ペンと紙持ってない?」

「ありますけど……」

 

 早坂はペンとメモ帳を差し出された手に置いた。受け取った讃岐は何故か、手を出したままの姿勢から動かない。

 黒い双眸が早坂の全身を探るように射抜く。

 

「な、何ですか?」

「昨夜も思ったんだけどさ、こういうのどこから出してるの? バックじゃないよね」

 

 普段の訳知り顔はどこに行ったのか、讃岐にしては珍しく困惑した表情。

 早坂は精々不敵に笑ってやった。

 

「無粋な質問ですね。答えは当然、どこからともなく、ですよ」

 

 

 

 

 それから讃岐は、メモに何事か書き記すと、近くを通りかかった水族館の従業員と二、三言葉を交わしてメモ用紙を渡した。そして一仕事終えた後のような晴れやかな表情で、早坂に「僕達もお魚観賞と洒落込もうか」と提案した。

 トイレから真っ直ぐ階段に向かい下に降りた。屋上だと白銀達と遭遇する可能性があるからだ。

 

「あのカエルね」歩きながら讃岐は言った。

 

「はい」

「ロシアンルーレットだったんだよ」

 

 物騒な単語だ。水族館にはとてもじゃないが似合わない。色鮮やかなカエルにも。

 

「犯人は毒を持ったモウドクフキヤガエルを、1匹水槽に加えた。飼育員がカエルの解説をする時、実際に取り出すって言ってたよね。毒性が無いのをアピールするのが目的だとも。という事は、取り出す時、飼育員は素手でカエルに触る筈だ」

「繰り返していればいずれ弾に当たる、と。確率も6分の1、ロシアンルーレットに例えたのは的確ですね」

「まぁ、触っただけなら死にはしないだろうけどね」

 

 会話の内容とは裏腹に、周囲の水槽では魚は優雅に泳いでいる。そのギャップに早坂は妙な気分を味わった。

 

「カエルを入れるのは難しくない。蓋を開けて入れるか、配線用に空いている蓋の穴から落とせば良い。小さな子供でもない限り、誰にでも可能だ」

「それだと犯人の特定は困難に思えますが」

 

 デートスポットであり、観光名所でもある水族館。平日で人が少ないとはいえ、容疑者の数は膨大だ。

 

「そうだね。だけど、偶然にも僕は犯人を特定できるだけの情報を手に入れた。水槽に入れる以上、犯人は毒性のあるモウドクフキヤガエルに触らなくてはならない。これは犯人を絞り込む上で重要なヒントになった」

 

 犯人が自然界最強の猛毒をものともしない程毒への耐性があった。当たり前だが、この可能性は無視して良い。つまり犯人は、触れても問題ない状態だった。

 

「手袋やハンカチを介してカエルに触れた」

「そう、手袋かハンカチなら、犯人は手袋の方を使いたかっただろうね。今の時期に手袋をしているのは不自然だけど、こうも考えられる。犯人は手袋をしていても不自然でない立場を利用したのではないか?」

 

 早坂はぐるりと周囲を見回す。やはりと言うべきか、手袋をしている人は見受けられない。

 

「僕だけ白銀君達と合流したから、君は見ていないと思うけど」

 

 讃岐と早坂がはぐれたのは、偶然ではない。一緒に見て周った方が、白銀の好みを探り易いと考えた2人は、はぐれたふりをして白銀と合流したのだった。

 

「2階を歩いている時に、掃除道具を抱えた従業員とすれ違ったんだ。彼が持っていたバケツの中にはビニール手袋があった」

「ではその彼が」

「結論から言えばね。でもその時点では、少し違和感を感じただけだった」

「少し?」

 

 その時はまだ、事件を認識していなかった。にも関わらず、違和感を感じたというのが、早坂は気になった。

 

「2階の位置関係をおさらいしようか。廊下は漢字の口の形になっている。僕達が従業員とすれ違ったのは、右下の角の少し手前だ。トイレは左上で、階段があるのは左辺の真ん中。トイレ掃除を終えて他の階に行くのだとすれば、僕達とすれ違う移動ルートは非効率的と言わざるを得ない」

 

 言われてみれば、早坂は素直に感心した。

 フロアを移動するには階段を使う必要がある。階段からトイレに行くなら、上に行くだけなので、そもそも讃岐達とはすれ違わない。トイレ掃除を終えたのなら、その階に留まる理由がないので他の階に移動したと思われるが、トイレから讃岐達とすれ違って階段に行くルートは遠回りになる。

 

「そして、次の事実と合わせる事により、違和感は疑惑に変わった」

 

「これも君が居ない時の出来事だけど」と讃岐は断りを入れる。

 

「2階に着いて少ししてから、石上君がトイレに行ったんだ。トイレから戻って来たのは、10分後くらいだった。僕は石上君がウン──悪くトイレに行列ができているからだと思っていた。……そんな目しないでよ。軌道修正したし、ギリギリセーフだろう?」

 

 冷たい視線に耐えられなくなったのか、最後には言い訳がましく弁明する。

 

「ほぼアウトと言うべきですね」

 

 ギリギリセーフだと問題がなかったかのような印象を受ける。讃岐は大袈裟にゲフン、ゲフンと咳払いをして続きを話す。

 

「僕は前後の石上君の様子から、行列に捕まったのでも、大きい用事を済ませていたのでもないと考えた。何らかの理由で2階のトイレが使えず、他の階のトイレを使っていたので、遅くなったのではないかと」

「それで確認したんですね。ですが、トイレが故障していたのは犯人にとっても周知の事実。自分が怪しまれるのは分かっていたと思いますが」

「それでも実行する必要があったんだよ。飼育員の解説は期間限定だからね。トイレが直るまで待ってられなかったんだ」

 

 讃岐は水槽を泳ぐ魚に目を向けて、呟くように言った。

 

「掃除するトイレが無いフロアで、彼は一体何をしていたんだろうね」

 

 彼はシリンダーに一発だけ、弾丸を装填していたのだ。

 

 

 

 推理が終わってから、早坂と讃岐は特に会話もなくぶらぶら歩いていた。海月のエリアに入った所で早坂は口を開いた。

 

「先程書いた紙には、その推理が?」

「うん。ただの高校生の言葉だと信じないだろうから、大人に渡すよう頼まれた体で渡したよ」

「信じるでしょうか」

「ダメなら、有り余ってる権力に任せるさ」

 

 冗談めかして肩をすくめる。投げやりだなと思ったが、同時に同意もした。確かに四宮家の権力を使えば、期間限定の展示を辞めさせる事など造作もない。

 早坂は高い位置にある讃岐の横顔を見上げた。正確にはそこにある黒い瞳を。

 最近気付いたのだが、讃岐光谷の優れた観察眼は、石上優のそれとは決定的な違いがある。石上の観察眼は先天的な才能であり、感覚的に違和感を捉えられる。一方、讃岐は経験と努力を積み重ねて獲得した後天的な能力。常に違和感を見逃すまいと周囲に目を向け、得た情報を脳で処理して初めて、異変を認識できる。

 早坂愛は讃岐光谷の過去を知らない。けれど、誰もが意識して見ないものを見ようとする彼だからこそ救えた人は、案外多いのではないかと思う。それこそ、今日の様に。もっとも、本人にそんなつもりがないのは、十二分に承知してはいるのだけれど。

 早坂が讃岐の過去を探っているのは仕事だからだ。かぐやに危害を及ぼす人物ではないかを見極める、それ以上の意味はない筈だった。けれど、今は──。

 

 讃岐の黒い瞳が澄んだ輝きを見せる。

 

 ……いや、おかしい。だって人の目は輝いたりしない。「目が輝いている」とはあくまで比喩的な表現方法であり、実際に輝いている訳ではない。

 疑問の答えは直ぐに出た。キラキラ輝いているのは目ではなく、讃岐の周辺。つまり、早坂自身が謎のキラキラ効果背景を幻視してしまっているのだ。

 キラキラに加えて、水と魚に囲まれた水族館特有の幻想的な雰囲気が上乗せされる。

 何故か再発してしまった「少女漫画脳」早坂は据わった瞳のまま、ふらふらと水槽の前に進み出た。そして両手をガラスに付いて、頭を振りかぶる。

 

「うぇっ!? 何してるんだい、早坂さん!?」

 

 水槽目掛けて振り下ろされた頭部は、素っ頓狂な声を上げた讃岐の手によって、寸前の所で直撃を免れた。未だ水槽に向けて突撃をやめない頭部と、必死に押し返す右手は膠着状態に陥る。

 不幸だったのは、この状況が百歩譲れば、おでこを触られていると言えなくもないからだ。早坂は百歩譲れる寛容な人間なのだった。

 

「強っ! このタイミングで奇行が再発するなんて! 別邸の壁をへこませるのと、水槽のガラスを破壊するのとは訳が違うのに……」

 

 早坂の頭蓋への過大評価が混じった悲痛な叫びに返答する余裕は、今の早坂にはない。

 どうしてこんなアホな醜態を晒す羽目になってしまったのか? 早坂には答えが分かる気がした。

 それはきっと、

 

 

 ここが水族館だった、からだ。

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