恋愛は謎解きのあとで 作:滉大
私立秀知院学園は、かつて貴族や士族を教育する機関として創立された。貴族制が廃止された今でなお、富豪名家に産まれたお坊ちゃん、お嬢様が多く就学している。
その影響もあってか、秀知院学園は部活動には特別力を入れていない。とはいえ、部活動で好成績を残す生徒が居ないかというと、そうではない。
真っ先に思い付くのは、サッカー部のエースである渡部神童。
藤原千花は高校でこそTG部なる怪しい団体に身を置いているものの、小学校、中学校時代はピアノで数々の賞を受賞している。
高校に入ってからは、ちょっと事情があって全国大会には出場していないが、中学時の大会では連続10射的中という異常な成績を誇った弓道界ユダ──もとい、四宮かぐや。
血筋が良いのか、金にものを言わせた英才教育の賜物か秀知院には天才が多く集まる。
文化祭も目前に差し迫り、準備の為殆どの部活動が活動を中止している中、目の前の建物からは微かに床を叩く音が聞こえた。
四角い建物の白い外壁は所々黒ずんでおり年季を感じさせる。茶色い屋根のすぐ下には、光を取り込む為の大きい窓が並んでいる。この建物は普段剣道部が使用している武道場だった。
ずっしりと重たい扉を開けて中へ入る。赤味がかった杉の床は、丁寧にワックス掛けされていて光を弾く。
武道場には防具を着けて竹刀を振っている人物が1人。外で聞こえたのは足を踏み込んだ時の音らしい。
防具の垂れに
扉の音で人が入って来たのには気付いていたらしく、素振りをやめて竹刀を下げた。
早坂愛は笑顔を作って明るく声をかけた。
「活動休止中にも練習なんて熱心だねー」
小島は面を取って脇に抱えた。短く切り揃えられた黒髪に鷹のように鋭い瞳。背筋は真っ直ぐ伸びていて、立ち振る舞いにも下級生とは思えない風格を感じる。1年生ながら部長に選ばれたのも納得だ。
「早坂愛か。四宮かぐやの付き人が何の用だ?」
上級生に一切敬語を使う様子がないのはともかく、自分の名前と立場を知られているとは思わなかった。
主人であるかぐやとは少なからず繋がりもあるだろうが、早坂は小島と話すのも初めてだった。
何にせよこちらの事情を知っているなら、仮面を着ける必要もない。早坂は笑顔を引っ込めて、氷を思わせる無表情に早変わりした。
「さすがは警視総監のご子息ですね」
「四宮には何度か、鬱陶しい横槍を入れられているんでな」
四宮に与する者は警察組織の中にも存在する。それでなくとも上から圧力をかけて捜査を妨害もできるだろう。皮肉っぽい口調から、かぐや個人に対してどう思っているか分からないが、四宮家そのものには良い印象を持っていないのが分かる。
もっとも、今回の件に四宮家は何の関係もない。聞きたいのは、
「もう1人の付き人の事か?」
思考を先回りされたようで少し驚いた。しかし考えてみれば驚く程ではない。早坂と小島の唯一の接点は、小島が口にした『もう1人の付き人』だけなのだから。
「話が早くて助かります」
早坂は緊張を隠すように無表情で続ける。
「貴方は秀知院学園に入学する以前の光谷君と、関わりがありますね」
小島は表情一つ変えなかった。
「何故そう思った?」
聞かれた早坂は、頭の中を整理する間を置いてから、ゆっくり息を吸った。
「光谷君は自分の推理能力を隠していますが、誰もが知らない訳ではありません。私の調べた限り学園内では5人。私とかぐや様、白銀会長、龍珠さん、そして貴方です。私もかぐや様も光谷君が屋敷に来るまで面識はありませんでした。白銀会長は秀知院での友人第一号。龍珠さんは以前から面識はないと言っていました。消去法的に残るのは貴方1人です」
「苦しいな。白銀は関係を隠す為の演技かもしれないし、龍珠の発言は嘘かもしれない」
早坂にとってもこの程度の反論は想定の内。淡々と頭の中から言葉を選ぶ。
「その可能性は否定できません。なので3人の中から、最も可能性の高い人物を選ぶ事にしました。まず白銀会長ですが、演技をするくらいなら最初から関わらなければいいだけです。龍珠さんの発言は、嘘というには示唆的です。本当に嘘なら知らないと一言で済んだ筈。そして光谷君の推理力について尋ねた時、龍珠さんは『あのクソ……人から聞いたからだ』と言いました。言い直していますが、あのクソ野郎から聞いた、とでも言いたかったのでしょう」
早坂の言いたい事を小島は理解したようだった。
「それで龍珠と関係の悪い俺の可能性が高いと。根拠としては弱いな。口が悪い龍珠なら、誰に対してでもクソ野郎くらい言いかねない」
警視総監の息子とヤクザの娘。肩書からも分かるように、小島と龍珠は険悪な関係だ。一触即発のところを風紀委員会に止められているのをよく目にする。
少し主観が入りすぎている気もするが、小島の言い分も分からない事もなかった。
「では次に、光谷君の証言があります」
初めて小島は表情を歪めて、短く舌打ちした。
「彼は貴方のことを『警視庁警視総監のご子息殿』と親しげに呼びました」
「親しげだと? 気味の悪い言い方をするな」
小島は更に表情を歪めた。その反応が何よりの証拠な気もするが、ここで辞めるのも収まりが悪い。早坂は推論を続けた。
「……何でもいいですけど。光谷君の言い方は知人に対するものでした。では彼は一体いつ貴方の事を知ったのでしょうか? 光谷君は貴方を秀知院のVIP枠……つまり部活連の一員だと認識していました。貴方は1年生なので部活連の一員になったのは今年の4月、私が光谷君から話を聞いたのが7月の上旬。仕事柄光谷君と行動を共にすることが多かったのですが、3ヶ月の間貴方と話している姿は見た事がありません」
「部活連の会合に出席している白銀から聞いたんだろう」
「理由は分かりませんが、光谷君は2年になってから白銀会長を避けていました。なので貴方の事を聞くタイミングはなかった筈です」
冬のひんやりとした空気が武道場を包んでいたが、小島の返答を待つ間、感覚が麻痺したように早坂は寒さを感じなかった。
長く感じたが、それほど時間は経っていないだろう。小島は諦めたように口を開いた。
「……確かに俺は過去にあいつと関わりがある」
十中八九間違いないとは思っていたが、本人の口から聞くと改めて安堵する。
「では聞かせていただけますか? 彼の過去について」
「聞かせるほどの話はない。あいつの探偵ごっこに一枚噛んだ事はあるが、それだけだ。そもそも俺はあいつが嫌いだ。自己中心的で傲慢で自己評価ばかり高いクソ野郎」
小島は吐き捨てるように讃岐への罵倒を並べた。
仮にも友人を罵倒されては、早坂も気分が良いとはいえない。ムッとして言い返す。
「いくら光谷君でもそこまで言われる謂れは……」
言い返そうとはした。
自己中心的、傲慢、自己評価が高い。全くもってその通り。言い返す言葉が見つからない。
「謂れは…………なくはないですけど」
なんて庇い甲斐のない男なのだろう。早坂の頭に同僚の能天気なへらへらした笑顔が浮かんだ。
話は終わったとばかりに小島は再び面を被った。
「自己中心的だろうと傲慢だろうと、昔のあいつは一目置くに値する男だった。だが今はその価値すらない」
◯
「やあ、お揃いで」
屋上の扉を開けて入って来た人物を、龍珠桃は鋭い瞳で睨みつけた。
「遅刻しておいて何が『お揃いで』だ」
「これでも頑張って抜け出して来たんだけどな。ほら、ウチのメイドさん厳しいから」
A組はコスプレ喫茶をするので、メイドというのはその扮装だろう。
「早坂さんにコーヒーの淹れ方を教わってたんだけどスパルタでね。所詮は学生の出し物なんだから、そこそこでいいと思わない? 金を払う客側だって期待はしてないでしょ」
「生徒会長の前で言うか、それを?」
讃岐の言い訳に対して、龍珠は憮然として鼻を鳴らす。
「彼女とイチャイチャしてて遅れたってだけだろ」
「羨ましい?」
「死ね」
讃岐に好き勝手喋らせておくと、本格的に龍珠が機嫌を損ねて帰りかねない。危機を感じた白銀御行は表面上は至って冷静に、内心焦って仲裁に入った。
「そこまでだ2人共」
讃岐と龍珠は口を閉じて白銀の方へ顔を向けた。2人が自分に注目した事に白銀はホッと息を吐いた。
生徒会役員も個性派揃いだが、目の前の2人も負けず劣らず個性的だ。まとめるのには骨が折れる。
「今日集まって貰ったのには理由がある」
「お前らが勝手に来たんだろ……」屋上の主である龍珠がひとりごちる。讃岐は興味深そうな色を瞳に浮かべたが、黙って続きを待っている。
次の言葉が出ないまま数秒が過ぎて、待っている2人の表情が訝しげなものに変わった。
自分の目的の為に協力者は少しでも多い方が良い。そして讃岐と龍珠は協力者に適任だった。何にせよ言わない事には始まらない。白銀御行は腹を括って宣言する。
「文化祭最終日までに四宮から告白されなければ、俺から告る」
2人の瞳が丸くなり2、3度瞬く。それからそっけなく、
「そうか。せいぜい頑張れよ」
「そうなんだ。頑張ってね」
「反応薄いな! 興味なしか!」
せっかく勇気を振り絞って言ったのに。白銀は不貞腐れたような気持ちになった。
「応援してやっただけ感謝しろ。大体、それを聞いて私にどうしろってんだ?」
「それなんだが、四宮に告白させる作戦がある」
白銀は後ろを向いた。そこには大きめの風船がある。
白銀は大きめな風船の口を開いた。
「文化祭初日の後、学校中の風船を集めて、この大きな風船に入れて欲しい」
「はぁ!? いやだよ、なんで私が……?」
龍珠が嫌がるのは想定出来た。白銀は迷わずカードを切る。
心底呆れた様子で、ハァ──、とわざとらしく大きなため息を吐いた。
「そうかよ、恩知らずめ」
「〜〜!!」
龍珠は何か言いたげだったが、反論が出ないようだった。
これで意外と龍珠は義理堅い。昔作った貸しが思わぬところで役に立った。
「僕にも指示があるのかな?」
「ああ。計画の為にまず藤原の動きを封じたい」
「1番厄介だろうし妥当だね」
「その通り、1番厄介だ」
言いたい放題の2人に、龍珠が冷たい視線を送って来たが無視する。
「何か策はあるのかい?」
「ある」
白銀は力強く頷いた。
「藤原はお前と同じで謎好きだ。そこで、文化祭に怪盗を出現させる」
「へぇ、いいね。定番だ」
「怪盗といえば予告状。予告状といえば謎だ。讃岐には予告状の謎を考えてもらいたい」
「面白そうだね。だけど……」
少し考える素振りを見せてから、讃岐はスマホに指を走らせた。そして白銀と龍珠に画面を向けた。
⬜︎告+1◯=⬜︎○
「どういう意味か分かるかな?」
四角と丸に漢字が入るということか? いや、○には数字の可能性もある。告が入る2文字の単語……被告……勧告……。
スマホの画面を睨みつけながら、必死に思考を巡らせる白銀。龍珠も少しは考えていたようだが、面倒臭くなったらしく画面から視線を外した。
「意味不明な謎解きに付き合ってる暇はねぇんだ。さっさと答えを言え」
「さすが龍珠さん。正解だ」
「はぁ?」
讃岐はスマホを白銀達の目の前から離し、ポケットにしまった。
「この文字の羅列に意味なんてない。でもそれっぽい文字や数字が並んでいれば、謎があると思うのが人ってものさ。頭を捻って答えがある謎を生み出すより、答えのない謎の方がよっぽど足止めに向いていると思うね」
「なるほど、逆転の発想というやつだな」
解けない謎だったと知り、白銀は心の中で安堵の息を漏らした。
一方龍珠は、先程いいように丸め込まれたのが気に食わないようで、不機嫌そうにジロリと白銀を睨む。
「結局どうやって四宮のお嬢様に告白させるんだ? 私達をこき使うくらいなんだから、大層な計画なんだろうな」
「私達……?」
「お前も手伝うんだよ、風船集め」
龍珠の一方的な命令に、讃岐が露骨に嫌そうな顔をした。相変わらず先が思いやられるチームワークの悪さだ。
「それはひとまず置いといて、白銀君の計画を聞こうじゃないか」
白銀は集めた風船の使い道、藤原以外の生徒会役員の足止め方法など、入念に計画した告白作戦を2人に語った。
「お前って顔に似合わずロマンチストだよな」
「顔は余計だ」
「告白の為だけに文化祭を私物化するなんて、君は思った以上に強かだね」
人聞きの悪い。元々ある出し物の場所や時間を、ちょっと自分の都合の良いように変更しただけに過ぎない。散々文化祭の成功に尽力してきたのだから、これくらいのご褒美はあってもいいだろう。
「ところで、それは何だい?」讃岐は白銀の足元にある黒い袋に、視線を落とした。
「あぁ、これか」と袋の中に手を突っ込む。
袋から取り出されたのは、黒いシルクハットに同じ色のマント。
「せっかくの文化祭だし、何かお祭りっぽい雰囲気があってもいいと思ってな」
シルクハットを被り、マントを羽織る。シルクハットのつばを掴みポーズを決める。
「どうだ? 怪盗に寄せてみたんだが」
「うん、大分アリだね」
「フッ、やはりそうか。俺もそう思っていた」
「どこからどう見ても立派な怪盗紳士だよ!」
「ダセェ……」キャッキャと盛り上がっている男子達に、龍珠の言葉は届かなかった。
「それにしても、こうして君達と何かするのも久しぶりだね」
「1年の頃以来だな。選挙の時は世話になった」
「あの頃からとんだ狸野郎だったな、お前は」
「酷いなぁ。それだと僕が嘘吐きみたいじゃないか」
「『みたい』じゃねぇんだよ」
讃岐はいつも飄々としていて、そんな態度に苛立った龍珠が噛みつく。その度、白銀は2人の仲裁をする。そんな昔の光景を思い出し、目の前で繰り広げられている光景と重なった。
昔と変わらない友人達に白銀は頼もしさを覚える。友の協力に応える為にも、必ず作戦を成功させるのだと、白銀は改めて決意を胸にした。
◯
この時期にしては珍しく暖かい日差しが差し込んでいた。こんな日は日向ぼっこでもしながら、睡魔と戯れるのも一興。そう思ってはいても、学校という敷地で実行する人物は少ない。
居ないではなく少ない。何故なら中庭のベンチを堂々と占領して寝転がっている人物を、現在進行形で目にしているのだから。
小野寺麗、石上優、伊井野ミコの3人は、文化祭実行委員としての活動中にその光景を目にした。
石上は見なかったふりをして素通りしようとしたが、ずんずんとベンチに向かって行く伊井野を見て諦めたようにその後を追った。
人の気配を感じたのか、寝転がっていた人物は緩慢な動きで上体を起こした。
「やぁ、伊井野さん。おはよう」
「おはようございます……ってそうじゃありません!」
「失礼、この時間ならこんにちはだね」
「そんな事どうでもいいです! 何でこんな所で寝てるんですか!? 先輩のクラスも文化祭の準備ありますよね」
讃岐は椅子の上に乗っけていた足を下ろした。
「僕が居たって大して役に立たないしね。出来る人に頑張ってもらうよ」
「そういう問題じゃありません。クラスの出し物ならみんなで協力するべきです」
「全くもって正論だ。一言も言い返せない。それにしても石上君と伊井野さんはともかく、君も一緒なのは珍しいね」
話を振られた小野寺は、なんとなく逃げ道に使われたような気がした。
「文実のヘルプで生徒会に手伝ってもらってるんですよ」
「それは大変そうだね。陰ながら応援してるよ」
「応援はいいんで、先輩も手伝ってください」
「僕はほら、自分のクラスが忙しいからさ」
「サボってた人が言うセリフじゃないっスね」
小野寺と讃岐の会話を後ろで聞いていた伊井野と石上は、驚き半分、感心半分といった様子だった。
「讃岐先輩、小野寺さんとも知り合いなんですね」
「相変わらず顔広いですね」
「そうでもないよ。別に友達100人ってタイプでもないし。石上君と知り合ったから、君のクラスに知人が多いだけさ」
文実といえば、と讃岐は椅子から立ち上がる。顔が見下ろす位置から、一気に見上げる高さにまで変わる。
「今年はキャンプファイヤーをやるらしいね」
「はい。今も近隣に周知して回ったところです」
「ほほう、それは順調そうでなにより。僕も楽しみにしてるから頑張ってね」
「楽しみに? 讃岐先輩何か悪いものでも食べたんですか?」
「失礼な反応だね石上君」
「先輩がこういう学校行事に積極的なイメージはないですね」
追撃とばかりに小野寺が同意した。
讃岐は肩をすくめて、
「やれやれ、冷たい文化祭実行委員だね。それじゃ、あまり引き留めても悪いし、僕は失礼させてもらうよ。お仕事頑張って」
ひらひらと手を振って歩き出した讃岐を、伊井野は直ぐに引き留めた。
「待ってください。先輩の教室はそっちじゃないですよね」
「おや、覚えてた? 上手く話を逸らしたと思ったんだけど」
「全然逸らせてません。先輩は早く教室に戻って作業してください!」
「うーん……ああ、そうだ! 君達のクラスは何をやるのかな?」
「お化け屋敷ですけど……。また話を逸らそうって魂胆ですか?」
厳しい目つきで長身を見上げる伊井野。讃岐は顔の前で手を振った。
「違う違う。でも残念だなぁ」
「残念? 何がですか?」
「ウチみたいにコスプレ喫茶だったら、色々な扮装姿を見れたのに。伊井野さん可愛らしいから、きっと似合うよ」
「……煽てても何も出ませんよ」
「いやいや、本心だよ。確かサンタ服やブレザー、ナース服にメイド服とかあったかな。伊井野さんならどれを着ても可愛いと思うよ。看板娘間違いなしさ」
「本当ですか……? じゃあ先輩はどのコスプレが似合うと思いますか?」
当初の怒りはどこへやら、伊井野は柔らかい口調で頬を染めながら尋ねた。
「えっ、どれが……? あー、そうだな…………まぁその、あれだよ……どれも似合いそうだから、どの服がってのは無いけど…………とにかく、全部だよ!」
全く中身の無い回答だったが、手放して褒められた伊井野は満更でもない様子。
そんな伊井野を見た讃岐は満足そうに笑みを浮かべた。
「それじゃ、またね」と讃岐はそのままの方向に歩き去って行った。
「いい加減で適当な人だと思ってたけど、意外といい人かも……」
いい加減で適当な賞賛を間に受けた伊井野は、讃岐が注意を聞かずそのまま歩いて行ったのに気付いていなかった。
「先輩教室とは別の方向に行ったけど」
「えっ!?」
「多分逃げる為に適当に煽てたんでしょ」
「クズじゃん!!」
小野寺はふと周りを見回した。
「あれ、石上は?」
石上は逃亡に成功した讃岐を追った。中庭の渡り廊下から校舎に入った辺りで、讃岐も石上に気付いたようで足を止めて振り返った。
「藤原さんからチョロいとは聞いていたけど、あれはちょっと心配になるね」
「じゃあ煽てないでくださいよ。先輩も露骨な上に結構ボロが出てましたけど……」
「やぁ、あれは焦ったね。いや、彼女の容姿が可愛いというのは嘘じゃないよ。ただまぁ、可愛いにも種類があるだろう?」
「はぁ、先輩の彼女とは真逆なんで、先輩の好むタイプではないかもしれませんね」
「そう、それそれ。そういう事。さすが石上君、理解が早くて助かるよ」
まるで助け舟でも出されたかのように、讃岐は大袈裟に石上を褒める。
「それで、わざわざ追って来るなんて、僕に何か用かな?」
「先輩にちょっと相談が……ここじゃ話しづらいんで場所変えてもいいですか?」
「構わないよ。喜んで相談に乗ろうじゃないか」
石上と讃岐は校舎から離れた場所にある、一本の大きな木の下に移動した。組んだ両手を枕にして芝生の上に寝転ぶ。
夏の薄着だと芝がチクチク背中に当たるが、今は学ランも来ているので芝生の柔らかな感触だけが背中に伝わった。
「正気かい? 僕に恋愛相談って」
「いえ恋愛相談というか、讃岐先輩の経験談を少々伺いたいというか……」
「ふぅん。そういう事なら任せてよ。僕、恋愛マスターだから」
「恋愛マスターは第一声に『正気かい?』なんて言いませんよ」
「そうだね嘘ついた。でも本は結構読んでるから。惚れた腫れたって話はミステリーでも定番だよ。大体片方は浮気してるし、死んでるけど」
「それ殺人の動機の話ですよね」
「あまり参考にならないか。というか何で僕なの? 白銀君の方が適任だと思うけどね」
石上とて相談するのに讃岐が適任だとは思ってはいなかった。しかし尊敬する先輩である白銀を差し置いてまで、讃岐に相談したのには理由があった。白銀と讃岐には一つだけ明確な差がある。
「先輩彼女いますよね?」
実績の差。
人間性、誠実さ、人望、その全てにおいて白銀御行は讃岐光谷に勝っている。それも比べるべくも無く圧倒的に。ただ、白銀には彼女が居なかった。
彼女持ちということは、そこに至るまでのあらゆる出来事を経験済み。経験者と未経験者では言葉の説得力に天と地ほどの差が生まれる。
「ああ、だから白銀君じゃなくて僕なんだ」
「そういう事です。告白は讃岐先輩から?」
「そりゃ勿論。男らしく決めてやったよ」
「へぇ、一応聞きますけど、どんな感じでしたんですか?」
「そうだなぁ……」
当時を思い出しているのか、返答がしばらく途絶える。そしておもむろに讃岐は立ち上がった。
背中を叩いて草を落とすと、木のすぐ手前まで行って顔を石上に向けた。
「ここに彼女が居るとするでしょ」讃岐は木の前の人一人分のスペースを両手で示す。
「えっ、実演するんですか……?」
「その方が分かりやすいからね。で、それを、こう!」
言葉と共に右手の手のひらを、先程示したスペースの横に突き出した。ドンと鈍い音をたてて木の幹に鋭い掌底が突き刺さる。
ふぅ、と息を吐いて讃岐は幹から手を離した。石上の隣に戻って再び両手を枕にして寝転んだ。
「という風に『壁ダァン』して、耳元で愛の言葉を囁けばイチコロさ」
「イチコロ……! マジっすか」
「マジマジ。練習する?」
「はい…………いや、やっぱやめときます。それは先輩みたいなイケメンがやるから成功するのであって、誰にでも真似できる技じゃありません」
「そうかな? まぁでも石上君の相手を考えると、この技は向いてないかもね。同級生や下級生ならいいけど、上級生にやるのは失礼と捉えられても文句は言えない」
ピタリと石上は固まった。
「なっ、なんで上級生だと?」
「君が子安先輩に惚れているのは前から気付いていたよ」
「うそおおおお!」石上は叫びながら、バネのように上半身を起こした。
讃岐は寝転んだまま、視線だけ石上に向けて薄く微笑んだ。
「なに、恥ずかしがる必要がないよ。なんせ相手は3年のマドンナだ。君と同じような生徒は腐るほどいる」
まだ恥ずかしさは抜けなかったが、諭された石上は背中を芝に着けた。
「しかしこれがダメとなると、僕からはアドバイスのしようがないね」
「いや、まだ何かある筈です」
石上は確固たる口調で言い切った。
「えぇ、そんな事言われてもね。何でそう思うんだい?」
「讃岐先輩って藤原先輩とタメを張るレベルの変人じゃないですか」
「本人を前にして言うかい? そういう風に見られる事があるのは否定しないけど」
「その先輩に彼女がいるって事は、何か相当な強みがあると思うんですよね」
「なるほどねぇ。君、藤原さんに告白するような人を見た事ある?」
「いや、ないですけど……」
「類は友を呼ぶという言葉があるように、変人を好きになるような人はね、大抵どこかズレているんだよ」
ふと人の気配がして石上は視線を下に向けた。「あっ……」
人が近づいているのを知らない讃岐は、つまり、と意気揚々と結論を述べる。
「君の言うところの変人である僕と付き合うような人も変人なんだよ。だから一般論には当てはまらない」
「誰が変人なのー?」
「ん? そんなの決まってるじゃないか。早坂さんだよ」
「へー、そうなんだ」
「そうそう…………あれ?」
錆び付いたロボットのような動きで讃岐は首を起こした。
笑顔は主に喜びを表す場合に使われる表情だが、時として怒りを伝える事もある。目の前の早坂愛はまさにそのような表情だった。
ちらりと讃岐が視線を石上に寄越す。
気付いてたなら教えてよ、と黒い瞳が雄弁に語る。
教える前に先輩が喋ったんですよ。石上も目だけで返答する。
「や、やぁ、早坂さん。文化祭の準備はどうしたの?」
「どっかの誰かさんが逃げるから探しに来たんだー」
「へ、へぇー。見つかったかい?」
「たった今」
早坂はぞっとする笑顔を貼り付けて、寝転んでいる讃岐の足首を掴んだ。足首を腰の高さまで持ち上げ、クルリと回転、そのまま前進した。
「早坂さん、気遣いは嬉しいんだけど、僕は自分の足で歩けるんだ」
ずるずると引き摺られながら讃岐は口にする。
「光谷君の足は信用できない」
にべもなくバッサリと早坂は切り捨てた。
相談されておいて手ぶらで帰らせるのは、格好がつかないと思ったのだろう。讃岐は少し早口で言った。
「僕が君にアドバイスできるとしたら一つ、相手を知る事だね。相手と対話を重ねるという意味じゃないよ。言葉に注意を払い、行動を観察して得た情報から推測する。そうすれば、相手が欲している物くらいは分かるかもね」
もっともらしいアドバイスが出来て満足した讃岐は、一切抵抗せず大人しく引き摺られていった。
「あれ絶対見栄の為に、適当なアドバイス見繕ったよなぁ」
石上は時間を無駄にしたようでいて、少しだけ有意義なような妙な感覚を覚えたのだった。
○
ペーパーフィルターをドリッパーにセットし、挽いて粉末状になったコーヒー豆を入れる。ペーパーフィルターに乗っているコーヒー豆は、定規で引いたように水平で偏りが一切ない。
コーヒー豆の表面が荒れないよう、そっとドリップポットのお湯を注ぐ。そのまま20秒程蒸らす。
その後、再びお湯を注ぐ。中心から優しく「の」の字を書く。2度、3度と繰り返し、ポットを脇に置く。
そうして抽出したコーヒーを2つのカップに注ぐと、湯気と共に豊かな香りが立ち昇った。
「幼い頃から使用人をしているだけあって手際がいいね。僕じゃ10年経っても追いつけそうにない」
コーヒーを淹れる様子を、頬杖をつきながら眺めていた讃岐が感心した様子で言った。
「光谷君の場合、やろうとしない事が一番の原因だと思いますが」
「……適材適所ってやつさ」
言い訳がましく言って目を逸らす。
讃岐は何をやらせてもある程度までは直ぐに上達するが、そこからはちっとも成長しない傾向にある。ここら辺は本人の気持ちの問題なのだろう。
カップを讃岐の前に置く。自分の分のカップを持って、そのまま讃岐の対面の椅子に腰掛けた。
「やぁ、いつも悪いね」
早坂と讃岐は仕事が終わった後、コーヒーを飲みながら適当な雑談をするのが恒例になっていた。何でこうなったかは、あまり覚えていない。讃岐の情報を得る手段としてとか、そこら辺の打算があったのだろう。
カップから口を離した讃岐は、リラックスしたように一息ついた。
「相変わらず素晴らしい出来だね。流石は四宮家の使用人だ」
事実をありのまま述べられるのは讃岐の数少ない長所でもある。
「今年最大のニュースがあります」
早坂は席につくなり切り出した。早く言いたくてウズウズしていたのだ。
「今年も残りわずかだけど、いいのかい? 残り約20日の間に、恐怖の大王が降ってくるかも」
「いえ、これ以上の事は起こりません。間違いなく今年最大です」
「そこまで言われると興味を唆られるね。聞かせて貰おうかな」
元よりそのつもりだ。早坂は息を吸った。
「かぐや様が認めたんです」
「何を?」
「白銀会長の事が、その……す、好きだと」
早坂は背中がムズムズするような感覚に襲われながらも言い切った。
「何で君が照れてるの?」
「……うるさいですね。光谷君と違って、歯の浮く事平気で言える人種じゃないんですよ」
「そうかな? しかし一体、あのお嬢様にどんな心境の変化があったのやら」
「さぁ、そこまでは私には何とも……卒業を目前に控えるくらいじゃないと、認めないと思ってました」
「今までの態度からしたら無理はないね」
椅子に深く腰掛けて、讃岐は顎をしゃくった。
「それで、どうしたの?」
「というと?」
「何かしらしたんじゃないの? アドバイスとか」
「素直に告白した方が良いとは言いました」
「ごもっともな進言だ。問題は……」
「実行に移せるか、ですね」
今までのかぐやの行動を思うと、早坂はため息が抑えられなかった。こてんとテーブルの上に突っ伏す。
おやおや、と讃岐は同僚のだらしない姿を見下ろした。
「お疲れかい? 高名な四宮家の使用人とは思えない姿だね。奈緒さんに見られたら叱られるよ」
「今ここには光谷君しか居ないので、問題ありませんね」
指摘したものの咎める気はさらさら無いようで、讃岐は何も言わずカップを持ち上げた。
突っ伏したまま顔を横に向ける。頬から伝わるテーブルのひんやりとした温度に背筋が震えたが、今更起き上がるのも億劫だった。
「一説によると、この時期フリーの人への告白成功率は60パーセントだとか」
「クリスマスが控えてますし、秀知院は文化祭準備の真っ最中ですからね」
「文化祭準備中だと何かあるの?」
「文化祭マジックって知らないんですか?」
讃岐は首を横に振った。
文化祭マジックとは、文化祭準備を経て急速に接近した男女が、祭りの熱に浮かされるまま交際に発展する現象。早坂がそう説明すると、讃岐はふぅん、と興味がなさそうに相槌を打った。
「光谷君はそういうのありました?」
「そりゃもう。どっかのメイドさんに、付きっ切りで教育を受けたからね」
「それは羨ましいことで」
讃岐は肩をすくめ、親指でカップの取っ手を撫でた。
早坂は上半身を机から離した。何でもない風を装って、不意打ち気味にその言葉を口にする。
「そういえば、小島さんに会いました」
注意深く讃岐の反応を観察する。一瞬だけカップの取っ手を撫でる指が止まったような気がしたが、それだけだった。少なくとも表面上動揺は見られず、返答も不自然な間が開いたり、早すぎたりしなかった。
「へぇ、元気だった?」
武道場での小島との会話を思い返す。
「……元気なんじゃないですか? 普段の彼を知らないので、私には判断できませんけど」
くすくすと讃岐は笑った。
「その様子だと、余り良い印象は持たなかったみたいだね。気持ちは分かるよ。あいつクソ生意気だからね。まぁ悪い奴じゃないんだけど」
「それなら、あそこまで人を悪く言わないと思いますけど」早坂はボソリと呟いた。讃岐には聞こえなかったようで首を傾げている。何でもありません、と言いながら早坂はある可能性に気付いた。
もしや親しいと思っているのは、光谷君の方だけなのでは?
何だか可哀想になってきた。
「どうしたの、早坂さん? 慈愛に満ちた目をして」
早坂はポットを掲げた。
「おかわり要りますか?」
「あ、うん。貰おうかな」
「私は光谷君の事、友人だと思ってますよ」
「あ、ありがとう……えっ、急にどうしたの!?」
讃岐はこれでもかと動揺していた。
時刻は午後11時を回った。既に2人のカップの中身は空になっている。
「会計くんに『相手を知る事だ』って言ってましたよね?」
「言ったね」
「……」
「……」
この沈黙で察する程度には、讃岐は早坂の事を知っていたし、これで察するだろうと分かる程度には、早坂も讃岐の事を知っていた。
「片付けはやっておくから、先に休んでなよ」
「ありがとうございます。ではお先に」
こうして今日も使用人達の夜は終わりを迎えた。
舞台上、舞台裏の人物が様々な思いを抱えながら、秀知院学園は文化祭初日の朝を迎える。
剣道部部長の名前、学年は原作で明言されていませんので、公式ファンブックの情報等から推測しました。
今年も拙作にお付き合い頂きありがとうございます。
来年もよろしくお願いしますします。