恋愛は謎解きのあとで 作:滉大
図書記号に誤りがあった為、一部内容を変更しました。
四宮かぐやは放課後、生徒会室の長机で書類仕事をこなしていた。
生徒会室には他に白銀しか居らず、その白銀も窓際の生徒会長用の事務机で、同じように書類と向き合っていた。書類の上を走るペンの音だけが室内にBGMとして流れている。
「四宮は友人とケンカをした事があるか?」
唐突に白銀がそう言って尋ねたのは、仕事がひと段落して、かぐやが淹れた紅茶を飲んでいる時だった。
聞かれて思い浮かべるのは、いつもふわふわとした笑みを絶やさないピンク髪の友人だ。
彼女とケンカをした事はなかった。つい、憎悪を込めた視線を送ったりはするが、関係は中学から変わらず良好だ。
「ないですね。とはいえ、私は友人が多い方ではありませんから」
そうか、と物憂げに呟く白銀。こんな様子の白銀は珍しかった。
「どうかなさったんですか、会長?」
逡巡しているようだったが、鋭い目をかぐやに向けると「例えばの話なんだが」と始めた。
「これまで仲良くしていた友人が、急に余所余所しくなったとする。その場合、原因は何だろうか?」
「はあ。これまでとは、どの程度の期間ですか?」
「そうだな、去年の夏くらいだから……」例え話にしては具体的だ。薄々勘づいてはいたが、白銀自身の話なのだろう。
「十ヶ月くらいだな」
約一年、交友を深める期間としては充分だ。夏を七月と仮定して十ヶ月後は翌年の五月。
白銀の体験である以上、相手が存在する。原因を探るには、まず相手を特定する方が効率が良い。
白銀が去年の夏に出会った人物。最初に挙げられるのはかぐや自身である。だが自分ではないと、かぐやは断言できる。出会ったばかりの頃は、お世辞にも仲が良いとは言えなかった。むしろその逆だ。
いきなりテストの点数で勝負しろと、言われた時は驚いたものだ──そうかと、かぐやは確信した。
かぐやは白銀と出会った日、もう一つの出会いがあった。その人物なら去年の夏からという条件に一致する。最近疎遠になっていたのは知る由もなかったが、後で問い詰めればいい。
「クラスが変わったり環境に変化があって、話す機会が減っただけかも知れませんし、少し様子を見てはどうでしょう」
「確かに他のクラスには、何というか独特の入りづらさがあるからな。気軽に話しに行くにはハードルが高いか」
「何でしたら、私の方から話をつけておきましょうか?」
「ん!? い、いや! これは、あくまで例えばの話だからな!」
「はい、そうでしたね」
誤魔化すように紅茶を啜る白銀。そんな白銀を見たかぐやは、くすくすと上品に笑った。
どこにでもある平和な日常の一コマ。
しかし、往々にして平和は破られるものである。大抵は碌でもない理由によって、それも唐突に。
バタンと、大きな音を立てて生徒会室の扉が勢いよく開いた。扉とはドアノブを捻って押すだけで開く構造であり、力を込めてど突く必要はない。よって、このようにわざわざ無駄に労力を消費し、生徒会室の扉を開くのは、慌てているか生徒かピンク髪の女子生徒しかいない。ほとんどの場合は後者であり、今回もその例に漏れていなかった。
「ラブ探偵チカ参上です!! 事件発生ですよ!」
ピンクの前髪の下にある大きくつぶらな瞳が輝いており、走って来たのか、頬に赤みが差し発育の良い胸が上下している。何故か頭にはリボンの付いた鹿撃ち帽、手には虫眼鏡を装備している。
ラブ探偵と中等部からの付き合いであるかぐやは、彼女が理解不能な言動をしている時程厄介であると、経験則で知っていた。
「なんだその格好?」
「フッフッフ、探偵ですよ。ワトソン君」
「誰がワトソンだ」
頬が引き攣った白銀の問いに、不敵な笑みを浮かべて得意げに答える藤原。うちの使用人のせいで、探偵っぽい語彙が増えてしまっている。先日もクイズ雑誌を持ってきていたので、謎解きが好きなのかも知れない。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
「そんな事より、図書室で事件が起きたんですよ」
「また盗難じゃないだろうな」
「また? 何かあったんですか」
「前に、ちょっとな……」
怪訝そうな表情を浮かべた藤原だったが、事件の話をしたくてたまらない様で、すぐに明るい笑顔に表情を変えた。
「さっき、図書室に行ってきたんですけど──」
藤原の語った内容を要約すると、こういう事だった。
藤原が図書室へ行くと、カウンターで二人の図書委員の女子生徒が額を突き合わせていた。司書教諭の姿は見当たらなかった。
藤原は迷わずカウンターへと向かった。図書委員の不真面目な職務態度を咎めよう──等と考えた訳ではない。そんな考えは、頭の片隅にすら存在しなかった。単に面白そうな気配を感じ取ったからだ。
二人は返却された、四六判の本三冊を熱心に調べていた。何をしているのか藤原が尋ねると、図書委員はたった今返却された奇妙な三冊の本について語った。
三冊の本を返却したのは、三年の男子生徒だった。一度に三冊も借りる生徒は珍しいが、図書室の本は一度に四冊まで貸し出しが許可されているので、それは事態は奇妙ではない。
変に思ったのは、一枚の紙が本から落ちたからだった。紙は本の裏表紙の裏に付いている、貸し出しリストだった。貸し出しリストには借りた日、返却日、名前を記入する欄がある。問題は返却日の欄で、今日ではなく一昨日の日付になっていた。他のリストも確認すると、一冊は今日の日付、もう一冊は昨日の日付と三冊の返却日が異なっていた。更に昨日の日付になっているリストには、名前の横に14と数字が記されていた。
パソコンで過去の男子生徒の貸し出し履歴を確認しようとしたところで、司書教諭が現れて注意されたので、それ以上調べる事はできなかった。
「四冊同じ日に返却しているのはギリギリ見えたんですけど、本のタイトルまでは分かりませんでした」
話を聞き終えたかぐやは、返答に窮した。事件なのだろうか、これは。むしろ、人の貸し出し履歴を簡単に部外者に見せている方が事件ではないだろうか。プライバシーの保護も何もあったものではない。
「きっと何かの暗号です。大事件の前触れに間違いありません!」
暗号。
軍事機密を伝える手紙、見られたら恥ずかしい日記と、人類は様々なものを暗号化させてきた。それはミステリーを語る上でも欠かせない。犯人からの手紙、腹部を刺された被害者のダイイングメッセージ、紳士的な怪盗の予告状等々、手を変え品を変え暗号は今なお生み出され続けている。
「返却された本のリストを印刷してもらいましたので、見てください」
藤原はポケットから折り畳まれたA4サイズの用紙を取り出し、長机の上に広げた。白銀も椅子から立ち上がり長机へ移動する。
「上から返却日の新しい順に並べています」
今日 『カミュ全集2』/958C2
昨日 『シャーロック・ホームズ全集2』/938D2
一昨日 『ハメット短編集1』/938H1 名前の横に14の文字
タイトルが印刷された用紙に、女の子らしい丸みのある字で返却日と補足が書き込まれている。用紙を覗き込んでいた白銀が、タイトルの横の数字を指差した。
「これはどういう意味なんだ?」
「請求記号って言うらしいですよ。本の背表紙に貼ってあるラベルの事です」
「ああ、あれか」と納得する白銀に、かぐやは説明を付け加えた。
「ラベルは三段あって、一段目が本をグループ分けするための分類記号、二段目は著者名の頭文字を記した図書記号、三段目は巻冊番号で全集やシリーズ物に付けられます。図書館によって細かい違いはありますが、うちの図書室はこの付け方で合っていると思います」
かぐやは用紙の『シャーロック・ホームズ全集2』の部分を指で示して、
「この本なら、分類記号が938、図書記号がD、巻冊番号が2となります」
「ほう、そんな意味があったのか」
説明を聞いて感心している白銀に、かぐやは気を良くした。対照的に藤原は首を傾げた。
「でも、前に借りた漫画は、一段目が数字じゃなかったですよ」
「漫画や文庫本は例外として、一段目に出版社の頭文字を付ける事になっているんです」
「そうだったんですねー」藤原は何度も頷いた。
「で、どうですか?」
「どう、とは?」
期待を込めた瞳をした藤原の、主語の抜けた質問にかぐやは首を傾げた。
さも当然と、藤原は答える。
「暗号は解けましたか? 会長はともかく、かぐやさんは謎解き得意じゃないですか! この前のクイズも全問正解でしたし」
『懸賞クイズ』なる雑誌を持ち込んだ時の事を言っているのだろうが、答えが用意されているクイズとは違う。なにより、貴重な放課後を解答があるのかも分からないクイズに費やしたくはなかった。
「藤原さんが得た情報だけで、答えが導き出せるとは限りませんよ」
「考えてみないと分からないじゃないですか!」
「仮に答えを出せたとして、合っているか確認するすべがありません」
「本人に直接聞けばいいんですよ」
しぶとい。
「藤原さんの友人に、この手の謎解きを尋常ではないくらい好んでいる人がいませんでしたか? その方に相談してみては」
かぐやは使用人を売った。
「光谷君の事ですか? 探しに行ったんですけど、用事があるとかで帰っちゃったみたいです」
肝心な時に役に立たない使用人である。
このままでは謎解きコース一直線だ。かぐやが状況を打破するため思考を巡らせた瞬間、ゆらりと白銀が紙から顔を上げた。
「残念だが、俺はまだ仕事が残っている。仕事がなければ考えられたんだがな、本当に残念だ」
「そうですか。それは仕方ありませんねー」
大袈裟に残念を強調しながら、白銀は事務机に戻ると、熱心に書類と向き合った。
逃げましたね、会長!
かぐやは恨みがましく睨むが、書類に集中している白銀は気づきもしない。
結局断り切れず、かぐやは帰るまでの間、藤原の謎解きに付き合わされたのだった。
○
「かぐや様がお呼びです」
早坂が告げた途端に、讃岐の顔色が青ざめた。心当たりを探して視線が宙を漂う。暫くして、照準を宙から早坂に合わせた。
「今日は真面目に仕事してたのに……」
「普段不真面目な自覚はあったんですね」
早坂がかぐやに呼ばれる事は多いが、讃岐が叱責以外の理由で呼ばれたのは数える程しかない。なので、讃岐の言うとおりだとすれば、理由は明白だった。震える声で、讃岐はその理由を口にした。
「クビか」
「クビですね」
「……いや、そういえば、図書室で借りた本の貸し出し期限が過ぎてたな。それの事かも」
「かぐや様より図書委員に呼び出されるのが先でしょう」
「…………」
讃岐の現実逃避は一瞬で両断された。
後に残った重たい沈黙をものともせずに、今にもスキップしそうな軽やかさで踵を返した早坂は、かぐやの部屋へと歩み出した。讃岐も憂鬱そうに後を追った。
「君さ、勤続二年目にして、退職の危機に打ち震える同僚を気遣うつもりはないのかい」
「無理ですね」
「まあ、それはいいんだ。それより頼みがあるんだけど、僕がクビにならずに済むよう、かぐや様に取りなしてくれないかな」
「無理ですね」
「頼むよ、明日からは真面目に働くから!」
「無理ですね」
「……さっきから適当に返事してない?」
「無理ですね」
「……」
あらゆる会話に「無理ですね」を自動返答する、低レベルな
そうこうしている内に、かぐやの部屋の扉が見えた。背後のどんよりした気配を無視して、扉を手の甲で軽く三回叩いた。
「入っていいわよ」
返事があったので、早坂は扉を開いて中に入る。讃岐も無表情で姿勢正しく、最低限使用人らしさを保って入室した。
かぐやは勉強机の椅子に座って待っていた。勉強は既に済ませており、机の上は綺麗に片付いていた。
「連れて参りました、かぐや様」
「ありがとう」かぐやは礼を述べ、讃岐に悠然と視線を向けると、いきなり本題を切り出した。
「貴方、最近会長を避けているみたいね」
「……!」
用件が解雇通知ではないと分かり、讃岐は拳を握り小さくガッツポーズ。早坂は舌打ちした。事情を知らないかぐやは、二人の使用人を不思議そうに見比べた。
かぐやが何か言うより速く、讃岐は慌てて答える。
「はじめに言っておきたいのですが、白銀君のことは、友人としても人としても尊敬しております。混院の私が学園に自然に溶け込み、お嬢様の指令を遂行できるのも、ボッチという学園生活において、最も不名誉な称号を頂かずに済んでいるのも、全て彼のおかげでございます」
かぐやの通う私立秀知院学園は、中高一貫校というのもあり、グループが早い段階で出来上がる。そのためか、小学生から秀知院に在籍するサラブレッドを「
讃岐光谷も、去年の夏に外部から秀知院に入学した混院である。
そういった経緯があるとはいえ、讃岐の言い分は怪しい。彼の外面を取り繕う能力は、早坂にも引けを取らない。混院というハンデを負ったところで、必要な人間関係を築くのは容易だったはずだ。
「それなら、避ける必要はないでしょう? 去年は普通に接していたはずよ」
「一身上の都合でございます。こればかりはお嬢様といえど、申し上げられません。どうかご容赦を」
何を聞かれても失礼な言葉か、当たり障りない言葉を返す讃岐にしては珍しい。讃岐の言う都合が一体何なのか、言動からは窺い知れない。
かぐやも珍しく思ったようで、探るように目を細め質問した。
「都合というのは、貴方が本邸から派遣された事と、関係があるのかしら?」
早坂は讃岐の表情の変化を注意深く観察した。それが自身の使命だったからだ。
四宮家と一括りにいっても、一枚岩ではない。だからこそ、見極めなくてはならなかった。讃岐光谷が主の敵であるかどうかを。
だが、讃岐の表情筋は一切動かない。感情を窺わせない使用人らしい無表情を保っている。
「私、一介の使用人でございます。旦那様方のような高貴な方々から、信用いただく立場にはございません」
はぐらかすような返答の後、
「とはいえ、お世話になっているお嬢様に対して、隠し事ばかりでは、あまりに不義理というもの。答えられる範囲で申し上げますと、雇用上の条件なのでございます」
先程の言をあっさり翻して申し上げると、これでおしまいと言わんばかりに、讃岐は話を打ち切った。早坂は煙に巻かれたような気分になった。
かぐやも聞き出すのは無理と悟ったのか、追求をやめて本来の目的に軌道修正した。
「まあ、いいわ。話を戻すけれど、会長が貴方との交友関係に悩んでいる状態は好ましくないわ」
「はい。白銀君の苦悩に御心を痛めるお嬢様の心中、お察しいたします」
かぐやは固まった。言葉の意味を咀嚼するような間を置いて、声を荒げた。
「べ、別に痛めていません! 私が会長のために心を痛める理由がないでしょう! 違います。私は副会長として、生徒会長の仕事に支障が出ないか、心配しているだけです」
「そうですね、かぐや様。会長の事がとても心配なんですよね」
「副会長としてって言ってるでしょう!」
散々叫んだかぐやは、乱れた呼吸を整えるのに数十秒の時間を要した。落ち着くと、ルビー色の瞳をじっとりと二人の使用人に向けた。
「なんなの貴方達。普段は仲が悪いくせに、こんな時だけ息が合うわね」
讃岐は肩をすくめ、早坂は露骨に嫌そうな顔をする。
「仲が悪いのは否定しませんが、私は彼女を嫌ってはおりません。嫌われているだけでございます」
「私も嫌っていませんよ。嫌う程の関心もないですから」
「仕事に差し支えないのなら、もう、それでいいわ……」
かぐやは額に手を当て、大きなため息を吐いた。そして投げやりな口調で讃岐に命じた。
「貴方に話題を提供してあげるから、明日会長と話してきなさい」
かぐやは、今日生徒会室で藤原から聞いた出来事を語り出した。
○
六限目が終わると、生徒たちはそれぞれの目的地に散って行った。部活動に励む者、新作ゲームをプレイするためいち早く教室を飛び出す者、教室に居座り井戸端会議を開催する者。
友人の
ひょろりとした長身に、地味ながら整った顔立ち、瞳には理知的な光が宿っている。しかしその全てを、頭に被ったシャーロック・ホームズのような鹿撃ち帽が台無しにしていた。
要するに、凄くバカっぽかった。
既視感のある格好をした少年は、気やすい調子で白銀に声をかけた。
「やあ、白銀君。久しぶりだね。隣のクラスとはいえ、一年の時と違ってクラスが別だと話す機会も中々ないね。それに僕、放課後は用事が多いから」
彼らはクラスが分かれてから疎遠になったんだなと、誰が聞いても分かる説明的な台詞。違和感しかない。
「あ、ああ。というより、その格好はどうしたんだ讃岐」
「いいだろ、これ。演劇部から借りて来たんだ」
「アホと思われるからやめた方がいいぞ」
「ご忠告どうも。それより、面白そうな話を聞いたんだけど。君達、暗号を解読してるんだって? 生徒会の仕事ってのは幅広いね」
何で知ってるんだ? と思ったが、讃岐は藤原と仲が良いようだった。彼女から聞いたのだろう。ついでにいえば、鹿撃ち帽を演劇部で借りられる事も、藤原から聞いたのだろう。
隠す理由もないので、白銀は素直に頷いた。
「生徒会とは関係ないがな。藤原書記の持ち込み企画だ。俺は仕事に集中していたから、謎解きには参加しなかった。いや、できなかったが」
ずっと考えていて仕事が手につかなかった上、帰ってからも勉強時間を削って夜遅くまで考え、妹に怒鳴られるまで唸り続けた結果、いつもより寝不足であるとは口が裂けても言えない。
「なるほど、それで家で夜遅くまで考えてたから、いつにも増して、世の中が気に食わない不良少年のような目をしている訳だ。妹さんに止めてもらって良かったね」
「誰か不良少年だ。俺の目はそこまで……え!?」
白銀は口元を手で押さえた。良かった、裂けてはいない。
「なんで知ってるんだ!?」
「君が分かりやすいんだよ。残念だけど、今日はホームズごっこをやりに来た訳じゃないから、説明は割愛させてもらうよ」
ホームズごっこをしているとしか思えない格好だが、どうやら違うらしい。
「暗号の謎が解けたから、ぜひ聞いて欲しくてね。ここじゃ何だから、場所を変えようか」
「それは構わんが、一つ条件がある」
「何かな?」
ジロリと、鋭さが増した目で白銀は讃岐を見据える。キョトンとしていた讃岐だったが、真剣な雰囲気を感じたのか表情を引き締める。
「その帽子はやめてくれ。俺までアホと思われる」
○
「解読できたかしら。これが本当に暗号なら、だけど」
「はい、解読するのは可能かと思われます」
お嬢様らしい尊大さで問うかぐやに、讃岐は言葉上だけは謙虚に応じた。
「そう、では会長に話して恥をかかないよう、聞いてあげるわ」
「御心遣い感謝いたします」
胸に手を当て、慇懃な態度で頭を下げた讃岐は推理を開陳する。
「同時に返却された三冊の本は、セットで暗号としての役割を果たす、と考えてよろしいかと思います」
「そうね。そうでないのなら、貸し出しリストの日付通りに、一冊ずつ返却すれば良いだけ」
かぐやの同意を得て、讃岐は満足そうに頷く。口元には薄らと笑みが浮かび、瞳は爛々と輝いている。
普段はのらりくらりと感情を表に出さないが、謎を解いている時だけは感情を隠そうともしない。常にそうなら楽なのに、早坂は内心で愚痴る。
「手紙等ではなく図書室の本を選んでいることからも、解読の鍵は図書室の本特有のものでしょう」
「それが、裏表紙の裏にある貸し出しリストね」
「左様でございます。しかし、それだけではございません。それ以上に重要な役割を果たす鍵がございます」
「他に? 貸し出しリスト以外、変わったところはなかった気がするけど……」
返答日の日付、謎の14という数字。妙な点がリストに集中しているため、目が行きがちであるが。図書室の本ならではの特徴が、もう一つあったのに早坂は思い至った。
「請求記号ですね」
「そうです。請求記号が解読の鍵とすると、更なる疑問にも答えが出ます」
「話を聞いただけで、よくそこまで疑問が出るわね」かぐやは呆れたように言った。
「疑うのは得意なもので。更なる疑問点とは、借りている本が作品集ばかりである点です」
『シャーロック・ホームズ全集』『ハメット短編集』『カミュ全集』ばかりというか全て作品集だ。だが、それが請求記号とどう繋がるのだろう。
顔に出ていたらしく、讃岐はこちらを向いて言った。
「請求記号の巻冊番号は作品集、シリーズ物の場合のみ付けられ、それ以外の場合は空欄になるのです」
「巻冊番号が必要なら、わざわざ嵩張る作品集にせずに、書記ちゃんみたいにシリーズ物の漫画を借りればいいのでは?」
「シリーズ物として最初に思い付くのは、漫画もしくはライトノベルといった書籍ですが、それらの大半は文庫本であり分類記号が通常とは異なるのです」
これで伝わるだろうといわんばかりに、言葉を止めた讃岐。ここまで言われれば、早坂にも讃岐の言いたい事は理解できた。
「暗号には分類記号と巻冊番号が、正常に記載されている本が必要だった」
讃岐はゆっくりと頷き、肯定の意を示した。
「厳密には図書記号も必要ですが、これは一旦置いておきます」
「それだけ説明するのに、ずいぶん回りくどいやり方をするわね」
「急がば回れと、ことわざにもございます。お嬢様も退屈なされておられるようですので、早速暗号の解読に参りましょう」
讃岐はかぐやの方へと向き直って、
「請求記号に重点を置いて本を選んでいる事から、暗号は請求記号と貸し出しリストのみで完結するものと思われます。ではまず、貸し出しリストの日付ですが、これは単純に順番を表しています。
次に分類記号と巻冊番号ですが──」
「3、9、5」
かぐやが突然言い放った数字の羅列を聞いた讃岐は、少し驚いたように眉を上げた。
「お気付きになられておりましたか。流石はお嬢様、慧眼でございます」
歯の浮くような賛辞に、かぐやは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「このくらい、藤原さんのクイズと変わらないわ。巻冊番号は分類記号の何番目の数字が必要かを示している。『シャーロック・ホームズ全集2』の分類記号は938で巻冊番号は2だから、分類記号の2番目の数字を抜き出して3になる」
『ハメット短編集1』の分類記号は938、巻冊番号は1なので必要な数字は9となる。同様の方法で『カミュ全集2』は5となる。
それを返却日の早い順に並び替えると、
『935』
「でも、これでは意味にならないわ。見え透いたお世辞を言うくらいなのだから、解読方法はこれで合っているのよね?」
「いえ、決してお世辞では」讃岐は困ったようにボソボソ。
「解読方法は間違いないかと。ただし、これで終わりではございません。数字が意味を成すには、区切らなければなりません。お嬢様、藤原さんの言葉を思い出してください」
かぐやは顎に手を当て、考える仕草をする。少しして、思い付いたようで顔を上げた。
「怪盗が秀知院のどこかに隠した財宝の在処を示していると、言っていたわ。まさか本当に!?」
「違います。藤原さんがそのようなトンデモ推理をしたとは、存じ上げておりません」
讃岐は藤原の推理を冷めた口調で切って捨て、「そのような愚にも付かない妄言はお忘れください」と毒を吐いた。
「藤原さんは、件の男子生徒の返却履歴を見て、四冊同じ日に返却されていたと、仰っていました。今回は三冊で暗号が完成しますが、四冊で暗号を作る事も可能なのでございます。さて、数字四つで構成され、なおかつ区切りが存在するものとは何でしょうか?」
かぐやは一点を見詰めたまま、目を見開いた。早坂は主の様子を不審に思い、その視線の先を辿った。
天蓋付きの大きなベッド、枕元には目覚まし機能付きのデジタル時計。はっと息を呑んだのが自分でも分かった。
一足先に結論に辿り着いていた讃岐だけが、泰然とした態度を崩していなかった。
「そう時間です。したがって935は9と35に区切られます。時間に直すと、9:35になります。9ではなく09と表す方が正確ですが、意味は伝わるので、10時以降の時間を伝える時以外は省いているのでしょう」
説明し終えたような雰囲気を出しているが、まだ疑問は残っているし、9:35が何の時間なのか分かっていない。
「貸し出しリストの数字が残っているわ。何の意味もない訳ではないのでしょう?」
「勿論でございます。この謎が解けたからこそ、三冊の本が時間を表していると、気付くことができたのでございます。お嬢様は疑問に思われなかったでしょうか? 何故ホームズ全集の1巻ではなく、ハメット短編の1巻を借りたのかと」
『シャーロック・ホームズ全集1』と『ハメット短編集1』の分類記号、巻冊番号は共に同じである。ホームズ全集の1巻と2巻を借りた方が自然であり、ハメット短編集を探す手間も省ける。それらのメリットを放棄してまで選んだのだから、そこには何かしらの意味があるはずだ。
讃岐の問いに、かぐやは答えをもって返した。
「図書記号がDではなく、Hでなくてはならなかったのね」
「そう考えてよろしいかと。そして、図書記号のHと貸し出しリストの14を合わせますとH14となります。私はこれが座席番号なのではないかと考えました。そして935の数字が座席番号に付帯すると考えた時、時間を表しているのではないかという結論に至ったのです。時間と座席番号が必要なものといえば」
強調する効果を狙ってか、間を開けて讃岐は告げた。
「映画でございます。この暗号は、映画の時間と座席番号を伝えているのです。恐らく伝えられた側は、暗号で伝えられた席の隣の席を予約して、一緒に映画を観る計画なのではないかと思います」
解答を聞いたかぐやは、理解できないと言いたげな表情を浮かべた。
「映画の誘いを暗号に? それくらい普通に約束すればいいでしょう」
早坂は自分の主を見る視線が、冷めていくのを自覚した。
かぐやは以前に白銀を普通に映画に誘う事ができず、当日偶然出会った風に装って、一緒に映画を観に行ったのだ。
もう忘れてしまったのだろうか? 記憶力は良かったはずだが。
「そうできない事情があったのでしょう。お嬢様は暗号が誰に宛てられたものだと思いますか?」
「図書委員の誰かでしょう。本の貸し出し履歴は、図書委員でないと確認できないのだから」
「無論その可能性もございます。ですが、共に映画に行くのを公にできず、図書室に関わる人間という前提の元推理を進めますと、もっと相応しい人物が存在するのです」
貸し出し履歴を見れる図書委員以上に相応しい人物、早坂には検討もつかなかった。
そんな早坂を嘲笑うかのように、淀みない口調で讃岐は言葉を続けた。
「その人物とは──」
かぐやと早坂は言葉を失った。
○
秀知院学園の図書室を利用している生徒は、白銀と讃岐以外に居なかった。テスト期間であればまた違ったのだろうが、教育機関としては嘆かわしい限りである。
横向きに並んだ長机の内、カウンターから離れた机に白銀と讃岐は陣取っていた。
白銀は図書室のカウンターに備え付けられた、パソコンのキーボードを操作している司書教諭を見た。
年齢は二十代半ばか後半。長い髪は後ろで束ねている。銀縁の眼鏡が、知性的な印象を引き立たせていた。
白銀は向いに座る讃岐に顔を近づけた。
「本当なのか?」
「あくまで推理だよ。確証はない」
確証はないと言いつつ、間違っているとも思ってないようだ。白銀も推理を聞いて納得したので、間違っているとは思わないが、再度確認するくらいには信じ難い内容だった。
三冊の本が司書教諭に宛てた暗号だったとは
その事実が指すところは、
「男子生徒と先生は、その……そういう関係ということだな」
「何回言わせるんだい。まあ、気持ちは分かるけどね。僕もこの結論に達した時は驚いたよ」
教師と生徒の恋愛など、フィクションだと思っていたが、事実が小説よりも奇なる事も、たまにはあるらしい。
「謎は解けたが、藤原書記には言わない方が良いだろうな」
「そうだね。たぶん、きっと、彼女が言いふらしたりはしないと思うけど、何が起こるか分からないからね」
仲が良い割に、藤原はあまり信用されていないようだ。ついでに、白銀は讃岐の推理について疑問を口にした。
「男子生徒は何でハメット短編集の2巻ではなく、ホームズ全集の2巻を借りたんだ?」
ハメット短編集が暗号に必要だったのは分かるが、それならハメット短編集の1巻と2巻にすればよかったのではないか。それだけが、推理に対する疑問点だった。
讃岐は何でそんな事を疑問に思うのか分からないというように、キョトンとした顔。
「そんなの決まって……。ああ、そうか!」
讃岐は納得と共に鞄に手を入れた。
「僕にとっては疑問でもなんでもないから、言い忘れてたけど」と前置きして、鞄から一冊の本を取り出す。
『ハメット短編集2』
「借りられなかったんだよ。僕が二週間前から借りてたからね」
とっくに貸し出し期限過ぎてるじゃねぇか。さっさと返してこい。
図書室で讃岐と別れ、生徒会室へと向かっている途中、白銀はふと疑問に思った。
図書室の暗号を讃岐に話したのは、四宮かぐやではないか。
藤原から暗号の話を聞いたのが昨日。讃岐が知る機会があったのは今日だけだが、藤原と同じクラスである白銀は、休み時間に藤原が教室から出ていないのを知っている。昼休みは生徒会室で昼食を共にした。
讃岐が白銀の前に現れたのは放課の直後。讃岐が藤原から暗号の話を聞くのは時間的に不可能だ。
話したのが藤原でないなら、消去法でかぐやとなる。かぐやと讃岐は同じクラスなので、話す機会はいくらでもある。
やはり、昨日相談したからだろう。どうして白銀自身の事であるとバレたのかは分からないが、かぐやが讃岐との仲を取り持とうとしたのは間違いない。もっとも、白銀の悩みはただの杞憂ではあったが。
自然と白銀の口元に笑みが溢れた。
生徒会室に着くと、白銀は気合を入れて扉を開け放った。
本日も恋愛頭脳戦の幕は上がった。