恋愛は謎解きのあとで   作:滉大

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『文化祭と2つの告白編』舞台裏②

 月はラテン語でルナ。ルナを語源とする英語のルナティックには、狂気という意味がある。言葉の成り立ちからも分かるように古来西洋では、月が人間を狂気に引き込むと考えられていた。満月に変身する人狼や、黒ミサを開く魔女達はその典型といえる。

 また、満月になると犯罪の発生率が高くなる、という俗説もしばしば唱えられている。

 月の引力が満潮時と干潮時で数メートルの海面差を生じさせ、その引力が人間の体内の水分に何らかの影響をもたらすとされる。

 この研究は幾度か重ねられたが、月の満ち欠けと犯罪発生率の有意な関連性は見いだされず、科学的な証明はされていない。

 月が人を狂気に引き込むというのは、何の根拠もない迷信に過ぎない。

 けれど、魅せられたように月を見上げた彼の瞳に浮かんだ光は、紛れもなく狂気と呼ばれるそれだった。

 きっと月が人を狂わせるのではない。狂気に蝕まれるのは、月に魅せられ手を伸ばしてしまったからだ。決して届かぬものに手を伸ばし、それを自覚してしまったとしたら、きっと正気ではいられない。

 

 だとしたら、彼にとっての月とは一体何なのだろうか? 

 

 

 ◯

 

 

 奉心祭当日の朝、開幕を目前に控えた2年A組の教室では、華やかに仮装した生徒達がお互いの衣装を見せ合い、非日常の雰囲気を楽しんでいた。

 魔法使い、小悪魔、猫耳、ドレス、見知ったクラスメイトが見慣れない衣装に身を包む中、早坂愛も仮装衣装を身につけていた。

 

「すごく似合っているよ。それはもう毎日着てるんじゃないか、ってくらい完璧に着こなせている。全く違和感がなさ過ぎて、見飽きたような感覚さえ覚えるよ。もしかして本当に毎日着て──」

 

 うるさい。

 

 早坂はペラペラペラペラ軽薄に動く口の両端をつねって、横に引っ張った。

 

「いふぁい、いふぁい」

「何て言ってるか分かんないー」

 

 痛がる声を無視して、摘んだ頬を引っ張っる角度を変えたり、回したりする。しばらくして飽きたので手を離した。

 讃岐光谷は両手を僅かに赤くなった両頬に当てる。

 

「痛い……僕の頬に何の恨みがあるんだい? ちょっとした冗談じゃないか」

「日頃の恨みかなー。その迂闊な口を閉じる気になった?」

「なりました」

 

 などとやっていると、背後から聞き慣れた声が耳に届いた。

 

「ほらそこ、イチャつかない!」

「愛ちゃんメイド服似合ってるねー」

 

 黒い猫耳を付けた火ノ口みりんと、ドレス姿の駿河すばるだった。

 

「いや、イチャついてないし」

「夫婦漫才みたいだったよー」

「それは普通にやだ」

 

「やぁ、2人とも。衣装似合っているよ」2人の格好を目にした讃岐は流れるように賛辞を述べた。こういう所は抜け目のない男だ。

 火ノ口と駿河は顔を見合わせて、困惑を表情に浮かべた。

 

「それはいいんだけどさ……何なのそれ?」

 

 火ノ口は讃岐を指差した。正確には讃岐の衣装を。

 首から下をすっぽりと覆う白い布。讃岐の衣装を説明するとすればそれだけ。白い布には何の柄も文字も無く、正真正銘真っ白な布だった。

 

「てるてる坊主のコスプレ? だったら超似合ってるけど」

「困ったね。てるてる坊主の姿さえ似合ってしまうなんて」

「せっかくだし紐も着けたら?」

 

 早坂はいつの間にか手にしたロープを、見せつけるように両手で引っ張った。ピンと張ったロープに他の3人が視線が集まる。

 

「……紐を着けてどうするつもりかな?」

「てるてる坊主見た事ないの? 吊るすに決まってるじゃん」

「てるてる坊主って、どこに紐を着けるんだっけ」

「丸い部分の下」

「僕が着けるとすると?」

「頭の下ー。窓から吊り下げたら完璧だし」

 

 ロープを持った早坂がにじり寄る。讃岐はそそくさと逃げ出し、火ノ口と駿河の背後に隠れる。

 情けなく逃げ出した讃岐に対して、火ノ口は呆れた視線を向けた。

 

「君の提案は素敵だけれど、我らがA組の出し物はお化け屋敷じゃないから遠慮しておくよ。それにこれは、てるてる坊主のコスプレじゃないしね」

「じゃあ何なの」

 

 呆れた目のまま火ノ口が質問する。

 アレを頼むよ。讃岐は近くの男子生徒に命じる。男子生徒の表情には、面倒臭いという感情がありありと浮き彫りになっていた。

 

「何で俺が」

「どうせやる事ないだろう」

「お前もないだろ。自分で持って来い」

「それだと格好がつかないんだけど……」

「知るか」

 

 話し合いの末、アレとやらがある場所まで行く事になったらしい。

 仕方がないという風に、讃岐は早坂達を教室の隅に案内した。

 案内された先にあったのは、ヴィクトリア朝時代に造られたような、シックなデザインの椅子。

 椅子の正面に立った讃岐は、満を辞して体をすっぽり覆っていた白い布を脱ぎ捨てた。

 バサリと派手な音を立てて、宙を舞った白い布が床に落ちる。

 

 背面の両脇から緩い下り坂のように降りている肘掛けの上には、茶色いインバネスコートに包まれた腕。手にしたレトロなパイプは、健康と法律に配慮したレプリカ仕様。頭には深く被った鹿撃ち帽。

 

 早坂達の前に現れたのは、ストランド・マガジンから抜け出したかのような名探偵だった。

 

「どうかな、諸君」

 

 名探偵のコスプレをした讃岐は、気取った態度で足を組んでパイプを口に咥えた。

 自信満々の讃岐を前に、早坂、火ノ口、駿河の3人は額を突き合わせた。

 

「どうって……」

「まぁ、ねぇ」

「そうだね〜」

 

 3人は再び讃岐に視線を向ける。

 似合っていないとは言わない。スラリとした長身にコートは合っているし、恥じらわず堂々としている姿もコスプレとしては上出来。ただ、まぁ……。

 

「目新しさがないし」

「想像の範疇を超えない」

「引っ張った割にはねー」

 

 そもそも讃岐は藤原千花と同様に、鹿撃ち帽を着用した姿が散見されている。それに趣味嗜好から考えれば、名探偵のコスプレをすることは容易に想像ができた。

 コスプレ自体は様になっているのだが、面白味には欠けると言わざるを得ない。

 当人にとっては思わぬ冷めた評価だったのだろう。讃岐は固まった。

 

「……ねぇ、火ノ口さん」

「どうしたの?」

「衣装変えてもいいかな?」

「もう時間が無いから駄目」

 

 それからすぐに火ノ口の言葉通り、文化祭開始のチャイムが響き渡った。

 

 

 

 

 看板娘に見目麗しい純血大和撫子女学生を据える人選が功を奏し、2年A組のコスプレ喫茶は行列が出来るほど盛況だった。

 スペースの関係上、客の前で珈琲や紅茶を淹れるシステムになっており、接客を担当するのは殆どが女子生徒。必然的に客層が男性に偏るのは分かり切っていたが、ちらほらと女性客も見受けられるようになった。

 原因は明らかだった。チラリと早坂は目を横に動かす。

 

「君達はここに来る前、2年C組でチュロスを買い、半分こして食べた」

「えぇーっ! どうしてそこまで分かったんですか!?」

 

 学ラン姿の生徒は高い声で驚きを露わにした。

 

「なに、初歩ですよ」

 

 これくらい簡単な事だ、と客2人の前で椅子に腰掛けている探偵姿の讃岐光谷はパイプに口を付けた。

 同学年の女子生徒から「中身を考慮しないなら結構アリ」との評価を受けるだけあって、整った顔立ちにスラリとした長身と、讃岐の外見はそこそこ良い。最大の欠点である奇天烈な性格も、コスプレ喫茶のコンセプト上、うまく溶け込んでいる。

 好条件がそろっている今、女性客が彼を目的として訪れるのも無理はないのかもしれない。もっとも、今対応しているのはそういった目的の客ではないようだ、と学ランと文化祭Tシャツの2人組の客を見て思う。

 

「コスプレだけかと思ったら、本当に名探偵だったなんて!」

「誇るほどの推理ではありません」

 

 感心している文化祭Tシャツの男子生徒に、探偵は謙遜した言葉で応じる。

 意外にもそれなりの演技力で、発言自体は通常とそう変わらないが、声に威厳が感じられる。

 

「ただの観察から導き出した推理です。誰にでも出来る事ですよ。もっとも他の人は私ほど観察という行為をしようとしないらしい。私にとっては不可解でなりませ──」

 

 つらつらと御高説を並べる様子を少し前から見ていたが、我慢の限界に達した早坂は探偵の頭を引っ叩いた。衝撃で鹿撃ち帽が顔に掛かり、言葉が途中で途切れる。

 讃岐は顔から帽子を取ると涼しい顔で早坂を見上げた。

 

「やぁ、どうしたんだい?」

「仕事してください」

 

 看板娘、もといかぐやのシフトが終わって、当初より勢いが落ちたとはいえ、コスプレ喫茶は行列が出来るほど盛況ぶりを見せていた。つまり忙しいのだ。とっても。

 上から見下す早坂の冷たい視線に怯んだのか、讃岐は顔を青くして言い訳を並べた。

 

「ほら僕探偵のコスプレだしさ。依頼人にお茶を出すだけなんて、探偵と呼べるかい? コスプレ喫茶に従事する者として、僕はキャラクター性を大切に……」

「私は探偵に出会ったことがないので何とも。キャラ作りだけでなく、接客も熱心にしていただきたいものですね」

 

 大体、と讃岐を見下ろしたまま続ける。

 

「今の推理でも何でもないですよね」

 

 2人組の客は、そろって疑問符を頭上に浮かべた。

 

「あれ、バレちゃった?」

「バレバレです」

 

「えっと……どういう事なんですか?」学ランの生徒が聞いた。

 

「チュロスを食べたというのは、Tシャツのお客様の口元に付いているパウダーで分かります」

 

 指摘されてTシャツの生徒は口元を手で拭った。その手には白いパウダーが付いた。

 

「でもそれは俺だけですよ。何でこいつに半分あげたのまで分かるんですか?」

「それに関しては非常に簡単です。学ランのお客様から聞いたのです」

「ええっ!? 話した覚えはありませんけど」

「僕も話して貰った覚えはありません。ただまぁ、開きっぱなしだと聞こえてきたりしますからね」

 

 讃岐は手に持ったパイプで、開け放たれた教室の扉を指した。廊下の声が教室の中まで聞こえていたのだ。

 

「お客様に対して大変言いづらいのですが、バカデカい声で喋るのは控えた方がいい。今のご時世、どこの誰が君のバカデカい声を聞いているか分かりませんからね。何かあってからでは遅いと思い、心を鬼にして進言させて頂いた次第です。いや全くもって本当に言いづらいし心が痛む」

「バカデカいって2回も言いました!? 言いづらいどころかイキイキしてる気がするんですけど!」

 

 羞恥と怒りで学ランの生徒は顔を真っ赤にした。

 謎解きと他人の神経を逆撫でする事を、生き甲斐とする店員に当たったばっかりに。可哀想な目に合った学ランの生徒に同情しつつ、早坂はフォローに回る。

 

「お客様、この男が失礼致しました。確かにお客様の大きな声には『バカデカい』という表現がピッタリ当てはまりますが、文化祭の浮かれた雰囲気の中では目立った声量ではありません」

「メイドさんも失礼致してますけどね……」

 

 早坂のフォローに学ランの生徒は顔を赤くしたまま、隣のTシャツの生徒に「そんなに大きかった?」と尋ねる。聞かれたTシャツの生徒は、曖昧な苦笑いを浮かべた。

 肯定も否定もされなかったが、反応を見ればどうだったかは一目瞭然。学ランの生徒は恥ずかしそうに艶やかな短髪の頭を掻いた。

 ピコンと近くで携帯電話の電子音が鳴った。失礼と断って讃岐は、やっと準備し始めたティーカップとポットを机の上に戻して、携帯電話を取り出した。

 メッセージが届いたのだろう、携帯の画面を見つめていた。その姿を珈琲を淹れるのを待つ客と早坂が見つめていると、讃岐は携帯電話をポケットに仕舞って立ち上がった。

 ようやく仕事を始めるのかと思ったが、讃岐の表情を見て早坂はそうではないと確信した。

「お客様」と讃岐は名探偵に成り切っていた時の声音に変わった。再び役に入った讃岐に客は困惑の表情を浮かべる。

 

「申し訳ありませんが依頼が入りましたので、私はこれから事件現場に向かわなければなりません。つきましては……」

 

 一歩下がり、スッと讃岐は早坂の方に手を添える。

 この後、早坂は自分にかけられる言葉が手に取るように分かった。

 

「後の対応は彼女に引き継がせて頂きます」

 

 思った通り。堂々とした立ち振る舞いとは裏腹に、懇願するような視線が横目でチラチラと早坂に注がれる。

 返事代わりに早坂は1つため息を吐いた。讃岐の口角が僅かに上がる。

 すれ違い様に讃岐は耳元で囁く。

 

「ありがとう。埋め合わせは必ずするよ」

「埋め合わせはいいので、早く終わらせて戻って来てください」

「善処する」

 

 ポンと早坂の肩を叩き「後は任せたよ、ワトソン君!」と、最後まで名探偵っぽく讃岐は教室から飛び出した。

 教室で接客をしていた火ノ口や駿河の何事? という視線に早坂は、何でもないと肩をすくめ、讃岐が対応していた客に洗練された所作で頭を下げた。

 

「では僭越ながらご主人様、彼に代わって珈琲を淹れさせて頂きます」

 

 早坂はポットに手を掛けた。

 

 

 ◯

 

 

 保護者への文化祭案内がひと段落した白銀御行は、特に当てもなく校内を見て回っていた。

 普段は1年生の教室が並ぶだけの堅苦しい廊下も、現在は明るくカラフルな飾り付けが施されており、文化祭の雰囲気を一層華々しいものにしている。

 

「生徒会室でひと休みするか」

 

 保護者への対応や仕事で疲弊した体を休めようと、生徒会室へと歩いていた白銀にとある店から声が掛かった。

 

「あっ、会長」

「伊井野か。頼んだ俺が言うのも何だが、文実の仕事もあるのに大変だな」

「いえ、会長ほどではありません」

 

 怪しげな黒いローブに身を包んだ伊井野みこは首を振った。肩に乗ったおさげが揺れる。

 

「よかったら寄って行きませんか? 2人組を推奨していますけど、1人でも入れますので」

「えっ……あ、ああ、そうだな」

 

 白銀は改めてホラーハウスの入口を見た。入口の先には待機場所があって、それより先は暗幕が降りていて見通せない。「このアトラクションは不純異性交友の場ではありません」と注意喚起する生真面目な立て看板が、おどろおどろしい雰囲気とアンマッチだった。看板の下に男性は左側、女性は右側で別れるよう矢印がある。

 ホラーといえばスプラッタの定番であり。スプラッタといえばグロテスク。グロテスクといえば流血。血が苦手な白銀としては、ホラーハウスは手放しで歓迎できる催しではなかった。

 入り口付近の『立体音響ホラーハウス』と記された看板には、いかにも物騒なハサミのイラスト。

 体の一部を切断されたお化けが飛び出して来るであろう事は、想像に難くない。

 しかし、後輩からの誘いを無碍にするのも憚られる。それにお化けにビビっていると思われたくない。気遣いと見栄が、お化け屋敷に対する恐怖心をかろうじて押し留めていた。

 

 文化祭のお化け屋敷だし、リアリティにも限界があるだろう。腹を括って入れば俺でもいけるか。

 

 思わぬ形で、藤原との特訓の成果を発揮する機会がやってきた。

 

「結構よく出来てるって評判なんですよ。さっき石上とつばめ先輩が来たんですけど、つばめ先輩も涙目で怖がってました」

「石上と子安先輩が?」

 

 気になったが、それ以上に今の白銀には言わなければならない事があった。

 

「ふむ、俺も入ってみたかったんだが、残念ながらこれから仕事が入っていてな」

 

 自分より1学年上の先輩が涙目になるくらい怖い。その事実は白銀に効いた。

 恐怖心の勝利──恐怖心に敗北と言うべきかもしれない──だった。

 

「そうなんですね。お仕事頑張ってください」

「ああ、伊井野もな」

 

 あー、残念だ。ともう一度呟きながら逃亡を計ろうとした時、ホラーハウスの入口が開いて、黒髪の女子生徒が出て来た。

 

「伊井野ちゃん、ちょっと聞きたいことが……あれ、生徒会長?」

「君は確か藤原と同じ部活の……」

「槇原さん?」

 

 TG部永久部長、槇原こずえは白銀と伊井野を見比べる。そしてしたり顔で、

 

「ははーん。さては、リーダー自ら部下の仕事ぶり視察に来たんだね。伊井野ちゃんの働きは私が保証するよ。彼女の働きはホラーハウスの完成に大きく貢献してる」

「本当にね……」

 

 心当たりがあるらしい。伊井野の目から光が消え、疲れ切った顔で呟いた。

 

「それで聞きたいことって何?」

「そうだった。ちょっとした事件があってさ」

 

 事件? 白銀は気になって足を止めた。

 

「10分前くらいに入ったグループあるでしょ」

「うん。確か8人のグループだったわね」

 

 生徒会長の役職柄各クラスの出し物には目を通す機会があったのと、石上から話を聞いていたので、白銀は1年A組とB組の合同企画であるホラーハウスの大まかな構造を知っていた。前半パートがお化け屋敷、後半パートが立体音響の体験。

 立体音響体験に使用するヘッドホンにも限りがあるので、一度に入室する人数は制限されている。

 

「やっぱり8人だった?」

「? どういう意味」

「それがさー、出て来たのは6人だけだったんだよね」

「行方不明ってこと!?」

 

 半ば悲鳴のような声を伊井野が上げる。対照的に槇原に焦った様子はなかった。

 

「そんな物騒な話じゃないでしょ。一応明かりをつけて室内を確認したけど、誰も居なかったから勘違いかと思ってさ。でも伊井野ちゃんも8人か……」

「8人で間違いないと思う。でもそれじゃあ2人は一体どこに……?」

「教室に居ないなら、2人は他の6人と違うタイミングでホラーハウスを出た可能性が高いな。伊井野は見かけなかったか?」

「いえ、出口の方にはあまり注目していなかったので……」

 

 申し訳なさそうな顔をする伊井野。

 白銀としても芳しい答えを期待してはいなかった。伊井野は入口側で売り子の仕事があったし、文化祭で人通りも多い。注意して見たとしても見逃す可能性は高い。

 

「教室のドアを開けたら光が差し込むから、むしろ中に居た人の方が分かるんじゃない? 私はその時お化け屋敷担当だったから分からないけど」

「そうね。ちょっと聞いてみる!」

 

 ホラーハウスの扉に伊井野が手を掛けるより先に、扉が開いてまた生徒が現れた。

 

「麗ちゃん!」

 

 伊井野と同じローブを着た金髪の女子生徒は、不思議そうに伊井野を見下ろした。

 

「どうかした?」

 

 麗ちゃんと呼ばれた女子生徒は白銀に気付いて軽く会釈をした。白銀も軽く頭を下げる。

 

「途中で教室から出た人居なかった?」

「ああ、消えた2人組の事? その時出口の案内してた人に聞いたけど、途中で出て行く2人組は居なかったらしいよ」

「そっか……」

 

 期待していただけに、あっさり否定された伊井野は途方に暮れたようだった。

 

「謎だねぇ」と槇原がワクワクした表情で言った。

 

「よし、チカに教えてやろう!」

 

 チカ? ……千花か! 不味い!

 

 白銀は元気よく駆け出そうとする槇原を慌てて引き止めた。

 

「待つんだ槇原君」

「生徒会長?」

「こう見えて、俺も謎解きには多少自信があるんだ。ここは俺に任せてくれないか」

「そういえば生徒会長は、1年の頃何度か校内の事件を解決したって聞いたことがある」

 

 事件の解決したという点では、あながち嘘でもない。事件の謎を解き明かしたのは白銀ではないのだが。

 当時はまだ高等部に入学していなかっただろうに、よく知っているなと思う。白銀が表立って事件に関わったのは、数える程しかなかったからだ。

 中等部に在籍する妹の白銀圭も、生徒会長である白銀御行は名は知られていると言っていた。中高一貫という性質の問題か、思った以上に高等部の噂は中等部に流れているのかもしれない。

 

「そうなんですか? 全然知りませんでした」

「へぇー、これはお手並み拝見だね」

 

 第三者から語られた実績の説得力は大きく、期待のこもった視線が後輩達から注がれる。

 どうやら藤原を呼びに行くのはやめさせられたようだ。白銀はホッと胸を撫で下ろす。藤原には明日の謎解きに集中して貰わなければならない。今日謎解きで満足されては困るのだ。

 藤原であれば、昨日の今日でも喜んで謎解きに飛びつくとも考えられるが、大事な計画の為に念には念を入れる。

 

 

「まずは状況を整理しよう。2人組はいつ消えたのだろう? 確かホラーハウスは案内役が客を先導するシステムだったな」

「はい。案内役の人に聞きましたけど、後半ロッカーに隠れるまでは8人だったみたいですね。前半パートのお化け役も8人を目撃してます」

「俺は詳しく知らないんだが、ロッカーに隠れるのか?」

「後半は立体音響の体験なので、2人で1つのロッカーに隠れて、そこでヘッドホンの音を聞くというアトラクションなんです。消えた2人も1つのロッカーに入っていました。当然ですが、男女は別々で入って貰います!」

 

 最後の言葉には力がこもっていた。ロッカーに隠れるとなれば、至近距離で2人っきりになる。語気の強さから察するに、伊井野の逆鱗に触れてしまった輩がいたのだろう。

 

「その為の看板か」入口の注意書きを思い出しながら、文化祭といえど変わらぬ伊井野らしさに苦笑する。

 

「いつ2人が居ないと気付いたんだ?」

「気付いたのはヘッドホンの回収係で、回収したヘッドホンの数が6人分しかなかったので変だと思ったみたいです」

「2人が使っていたヘッドホンはあるのか?」

「あるよ。正真正銘私達が用意したヘッドホンが」

「でもヘッドホンは6人分しかなかったって……」

「どうしてかは分からないけど、ヘッドホン置き場には全部のヘッドホンがそろってたよ」

「初めから6人分しか渡していなかったのか?」

「いや、渡したのは8人分だったらしいよ」

 

 ヘッドホンか。白銀は引っかかる部分があって質問した。

 

「2人はヘッドホンを回収係に渡したのではなく、自分達で返却したことになるな。ヘッドホンを置いている場所は客からも見えるのか?」

「ヘッドホンは目立たないように教室の隅に置いています。一応お客さんから見える位置ではありますけど、室内は暗いので見つけるのは難しいと思います」

 

 2人が自分達でヘッドホンを返却した可能性は低い。ではどのようにしてヘッドホンは返却されたのか? 白銀は別の角度から考えてみた。

 

「ヘッドホンを渡すのも回収係が?」

「ヘッドホンを渡すのは案内役の仕事です」

「だったら回収係は、使用されているヘッドホンの数を知らないんじゃないか?」

 

 だとしたら回収したヘッドホンの数に疑問を持つのは不自然だ、という意味を込めて白銀は聞いた。

 

「当初回収係はヘッドホンの回収するだけの仕事だったんですけど、それだけだと余裕ができたので、ヘッドホンの準備もしているんです。なのでヘッドホンの数についても知っていた筈です」

 

 白銀の疑問は難なく氷解した。回収係の方に謎を解く鍵があるのかと思ったがどうやらハズレだったようだ。

 白銀の頭脳は天才と呼ばれる領域にあるが、それは日々の積み重ねで得たもの。今回のように、柔軟な思考と一瞬の閃きがものをいう謎解きとは相性が悪い。

 

「そういえば会長、この後仕事があるって言ってましたけど、まだ行かなくていいんですか?」

「トラブル解決も仕事の内だ。だがそうだな、連絡を入れて来るから少し待っていてくれ」

 

 もっともらしい理由を付けて白銀は席を外す。ホラーハウスが見えなくなったところで携帯電話を取り出した。

 

 頼むから気付いてくれよ。

 

 祈るように白銀は送信ボタンを押した。

 白銀がメッセージを送信してから、1分と経たず携帯電話に着信が入った。

 

『メッセージ読んだよ。事件を引き当てるなんてラッキーだね。流石アルセーヌを名乗るだけはある』

「こんな事態を喜ぶのはお前だけだ。突然悪いな、仕事中だったか?」

『代わってもらったから大丈夫だよ』

「それ本当に大丈夫なのか……」

『むしろお客様方は僕に感謝するべきだね。僕が淹れた毒にも薬にもならないコーヒーではなく、一流のコーヒーを堪能できるんだから。まぁ、それはいいや。あまり遅いと怒られるから、事件の話を聞こうかな』

 

 そうだな、と讃岐の言葉に同意する。白銀としても早く戻らなければ怪しまれてしまう。

 事件に遭遇した時点で、讃岐に相談する想定はしていたので、伝える内容は頭の中でまとめてあった。そのおかげか讃岐も言葉を挟まず、大人しく白銀の説明に耳を傾けていた。

 

『ホラーハウスに相応しい、実に奇怪な事件だね』

「あぁ、こっちは完全にお手上げだ」

『しかし残念だね。せっかくシャーロック・ホームズ風のコスプレをしているのに、やってる事はまるで安楽椅子探偵。ネロ・ウルフになった気分だよ』

「その口振りだと、謎は解けたようだな」

『もちろん。ただ君に推理を伝える前に確認したい事があるんだ』

 

 讃岐の推理を聞いた白銀は、安堵と共に事件の終わりを確信した。




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