恋愛は謎解きのあとで   作:滉大

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祭りの後は休みたい

 夜、白銀御行は家の外で携帯電話を耳に当てていた。

 裕福ではない白銀家は狭く、自室はカーテンで仕切っているだけで妹と同室。リビングには父親。プライベートな空間は存在しない。

 なので白銀は電話をする時、家の外それも通話料金が発生しない家のWi-Fiが届く範囲、尚且つ近所迷惑にならない場所まで行かなければならなかった。

 顔を上げると、空には時計台から見たのと同じ月が輝いている。

 

「という訳なんだが、どう思う?」

『は?』

 

 携帯電話のスピーカーを通して耳に伝わったのは、讃岐光谷の間の抜けた返事。常に飄々とした態度を崩さない彼にしては珍しい反応だ。

 

『……僕の聞き間違いかな?』

「いや、多分聞き間違いじゃないぞ」

『なるほど。……それであんなに盛り上がってたのか』

「盛り上がって? 何の話だ?」

『いや、何でもない。こっちの話だよ。卑猥な単語を大声で発している2人組を見かけただけ』

「だけって、どんな状況なんだ……」

 

 讃岐が住んでいる地区は、特別治安の悪い地域ではない筈だが。

 

『青少年の性の乱れは、僕が思っている以上に深刻らしいね』

「別に俺からしては……」

 

 ごにょごにょと言葉が尻すぼみになる。自分が行った行為へのバツの悪さが現れていた。

 白銀の言葉に誤りが無いと分かった讃岐は、改めてその出来事を口にした。

 

『君は学校の屋上で、学校でするタイプではないキスをしたと』

「そういう事になる」

 

 羞恥心から白銀は口数少なく肯定した。

 学校ではしないタイプのキス。ハリウッド映画でお馴染み大人のキスである。

 文化祭最終日、時計台の上ではロマンチックと生々しさが混同した空間が出来上がっていたのだ。

 

『それよく僕に暴露したね』

「手伝って貰ったし、報告はするべきだろう。流石に龍珠にはここまで言えなかったが……」

『まぁ、彼女も一応女の子だから言えないよね』

「あぁ。……いや、俺は『一応女の子』とは思っていないが」

 

 誰ともなしに白銀は弁解する。

 

『何はともあれ、おめでとう。微力ながら手を貸した甲斐があったよ』

「……」

 

 やはりというべきか、大人のキスを暴露した衝撃で、その後の白銀の話は耳に入っていなかったらしい。

 黙ってしまった白銀に対して「どうしたんだい?」と尋ねる讃岐。白銀は改めて同じ話をするため口を開く。

 

「自分の思いは伝えた。キスもした。しかも大分濃厚なのをだ。ここまでくれば恋人といってもいいと思う」

『僕も同意見だね』

「だが、付き合ってくれと言葉にした訳ではない。それに、あのキスはそんなにピュアなものだろうか?」

『ピュア……ではないかな。欲求不満って感じだ』

 

 状況から見て限りなく白銀の行為は告白に近い。そしてかぐやの行動からして、返事はイエス。告白してOKの返事を貰ったなら、晴れて恋人関係となる。

 しかし、重要な部分を微妙に曖昧にした為、白銀は今の自分とかぐやの関係に自信が持てないでいた。

 

「俺と四宮は恋人と呼んでいい関係なのだろうか? ここで距離感を間違えれば──」

 

 あらあら、会長。キスした位で彼氏面ですか。と戸惑った表情のかぐやが頭に浮かぶ。

 もし「キスしたら即恋人なんて……いかにも童貞の考えですね」などと言われようものなら。考えただけでも頭を抱え、悶絶する。

 

『やれやれ。君達は毎度手を変え品を変え……彼女も苦労するわけだ』

 

 呆れと感心半分づつの溜め息がスピーカーから漏れる。

 彼女? 白銀は疑問に思ったが、讃岐が言葉を続けたので、問いかける機会は失われた。

 

『でも慎重なのは嫌いじゃないよ。距離感を間違えた挙句大失敗なんて目も当てられない』

 

 讃岐は白銀の心情に同意を示した。

 家の前を通る道路の街灯に群がる虫が目に入る。背筋を震わせながら、白銀は体の向きを変えた。

 

「四宮にとって、キスは気軽にするものなのかもしれない」

『そんなイメージはないけどね。心当たりでも?』

 

 心当たり、白銀は記憶を春まで遡る。現在でこそ性に関する知識は人並みだが、かぐやは以前まで性知識が壊滅的に欠如していた。発覚した原因はとある雑誌のアンケート。

『初体験はいつだったアンケート』に対して、高校生までに34パーセントは適切な割合だとかぐやは語った。むしろ少ないのではないかとも。

 その時かぐやは初体験をキスの事だと勘違いしていたから、そのような発言をした。しかしそれは、かぐやのキスへの認識を表している。

 かぐやの想定していたキスがマウストゥマウスで無いにせよ、高校生以下の人類3割強が初キスを高校生までに済ませていても可笑しくは無いと、かぐやは思っている。

 白銀は過去のエピソードと共にそう説明した。

 

『そのエピソードが原因なら、心配はいらないと思うけどね』

「何故だ? 四宮はフランス語も話せる。お家事情は余り知らないが、大財閥の娘ともなれば海外の人とも頻繁に交流があるんじゃないか? ヨーロッパでは挨拶にキスをするという文化がある」

『チークキスは頬にするものだよ。それに、いくらそういう文化がある国でも、挨拶感覚で舌を突っ込んだりしない』

「具体的にするなよ。濃厚なのとかで誤魔化してたのに」

『おっと、失礼』

 

 口の中にキスの味が蘇る。レモンの味なんて可愛らしいものではない。初体験の白銀には刺激的な過ぎる味。空いている手でそっと口元を押さえる。

 

『僕の価値観で言わせて貰うなら、君達は付き合っていると言っていい。けれど人の価値観はそれぞれだからね。君の心配は四宮さんにしか解消できないよ』

「やはり四宮と話し合うしかないか」

『9割方杞憂に終わるだろうし、考え過ぎない事だね』

 

 白銀の心配は解決していなかったが、解決の糸口が見つかり会話が終わろうとした時、ふとある問いが頭に浮かんだ。品性に欠けている自覚はあったが、自分も暴露したのだからいいだろうと、白銀は口にした。

 

「讃岐は、その……こういう経験はあるのか?」

『野暮な事聞くね』

「うるさい。俺だけ暴露するのは不公平だろ」

『自分から言った癖に。君達と違って清く正しい関係なんだよ』

「ほう、つまりまだ無いのか」

 

 色恋沙汰において自分の一歩先を進んでいた友人。しかし今、その立場は逆転した。白銀は優越感に浸る。

 自尊心が高い讃岐が、その感情の変化に気付かない筈もない。

 

『キス位で上に立ったつもりとはね』

「いや別に。ただ無いんだな、と思っただけだ」

『…………』

 

 お馴染みの舌鋒も、この時ばかりは鋭さを欠いた。大人のキス未経験という事実を前にした言葉の切れ味は、錆びた果物ナイフにも劣る。

 

『分かりやすく調子に乗ってるねぇ』

「お前には散々振り回されてきたからな。少しくらい仕返ししても罰は当たらんだろう」

 

 ふっ、と愉快な心持ちで笑い常日頃の溜飲を下げる。

 勝利の余韻に浸っていた白銀は油断していた。あの讃岐光谷がプライドを傷つけられて、ただで引き下がる訳もないのに。

 

『34パーセントだっけ?』

 

 ん? 白銀は首を傾げる。

 

『高校生までに初体験を済ませている割合』

「あ、あぁ。それがどうかしたのか?」

 

 嫌な予感がする。この季節だというのに、頬に冷たい汗が伝う。

 

『なに、適切な割合だと思ってね。僕と君、石上君。3人揃えば内1人は経験済み』

 

 3人の内1人。白銀自身経験は無い。今はまだ無い。事あるごとに付き合っている男女を妬み、クリスマスムードになった街にヘイトを向けていた石上優も未経験で間違いない。となると残るは1人。

 

『大人のキス位で動揺している君は未経験だろうし、石上君に経験があるとは考えられない。残るは僕だけど……』

 

 讃岐は彼女持ちな上、正確には把握していないが交際期間も長い。経験済みとする根拠は充分にある。

 まさか讃岐は既に手が届かない次元に、足を踏み入れているというのか。

 固唾を飲んでスピーカーに耳を当てる。

 

『なんてね!』

「え?」

『冗談だよ。安心したかい? それじゃあ、良い夜を』

 

 おやすみ、と言い残し讃岐は通話を切った。まんまと揶揄われていたのに気付いたのは、画面見つけたまま固まってから約5秒後。

 

 あの野郎!! 

 

 携帯電話を持つ手を震わせながら、白銀は精神を落ち着かせるよう努めた。

 ふうっと息を吐き出す。白くなった吐息が暗い闇へと静かに消える。

 結局のところ讃岐は大人のキスも初体験の経験も無い。最後は讃岐の話術に惑わされたが、所詮は鼬の最後っ屁。負け犬の遠吠えに過ぎない。依然として白銀の優位性は保たれたまま。

 冷静になった白銀はそう分析し、携帯電話を持った手を下した。

 

「仕方ない。今日はこれくらいで勘弁してやろう」

 

 自分に言い聞かせるような呟きは、白い息となって、再び夜の闇へと消えた。

 

 

 ◯

 

 

「おはようございます。お嬢様」

「おはよ」

「昨夜は遅くまでぎゃあぎゃあとお騒がれに──」

 

 四宮かぐやと対面した讃岐は口を開けたまま絶句する。

 

「へんなかお」

「変なのは元からです。ほらかぐや様、早く朝食に行かないと学校に間に合いませんよ」

 

 主人と従者というより、幼子に接する母親のように早坂愛はかぐやと共にダイニングルームへ向かう。

 かぐやをテーブルに付かせ、一度ダイニングを出たところで讃岐が待ち構えていた。

 

「ねぇ早坂さん」

 

 質問が来るだろうとは思っていた。讃岐はまだ今の状態のかぐやを見た事がないのだ。

 

「聞きたいことは分かります」

「僕の顔って変かな?」

 

 分かってなかった。今度は早坂が絶句、いや閉口した。

 

「そっちですか……別に変では」

 

 切れ長の瞳、鼻筋が通った高い鼻。全体的に整った顔立ちは変ではない。というより、格好い……。

 良くない思考に陥りそうになった早坂は、視界から讃岐の顔を外す。

 

「普通ですよ、普通」

「本当に? じゃあ何故目を逸らすんだい?」

「なんでもいいでしょう。それだけなら私はもう行きますよ」

 

 その場を立ち去ろうとした早坂を讃岐は慌てて引き留める。

 

「いや、本当に聞きたいのは次の質問なんだ」

「でしょうね。お嬢様の事ですか?」

「そうそう。いつもと雰囲気が違い過ぎない?」

 

 今のかぐやの雰囲気はとても幼い。デフォルメされたマスコットかと思う程幼い。そして幼いのは雰囲気だけではない。

 

「レアかぐや様です」

「レア、お嬢様……?」

「仕えて1年経つので光谷君も気付いていると思いますが、かぐや様の性格はその日のメンタルによって微妙に変わります」

「若干情緒不安定だなとは思ってたけど」

「今のかぐや様はハッピー6割、現実逃避4割かつ睡眠不足で現れます」

「出現条件シビア……」

 

 使用人の仕事は多く、登校するまでに終わらせる予定のものもある。説明も終わり仕事に戻ろうとする早坂だったが、讃岐に声を掛けられ振り返る。

 

「大した事じゃないんだけど、君」

 

 じっと覗き込むように黒い瞳が早坂を見詰める。瞳から熱線が放出されているかのように、視線を注がれた自分の体温が上昇するのを自覚した。

 熱を遠ざけようと讃岐の顔を手のひらで押した。

 

「なんですか、ジロジロと」

「いや申し訳ない。まあ、いいや。僕も仕事に戻るよ」

「そうして下さい」

 

 軽い足取りで讃岐は別邸の広い廊下を歩いて行った。

 

「気楽でいいですね」遠くなる背中に小さく文句を垂れる。

 

 そっと頬に手を添える。熱い。

 一晩経ったというのに、早坂は我ながら呆れを覚える。あんな事をいつまでも気にするなんて、自分の主人でもあるまいし。

 

「仕事に影響が出る前に何とかしなければなりませんね」

 

 

 

 

 小さな甘い悩みはあっさり吹き飛んだ。学校に着いてから、早坂の地獄が始まったからだ。

 

「次の問を、しの……」

「ウチそれ分かりまーす!」

 

 みや、と教師が言う前に、早坂は慌てて手を上げてアピール。

 常になく前のめりな早坂に戸惑った様子を見せた教師だったが、やる気があるのは大変結構。そのまま問を早坂に向けた。

 解答を終えた早坂は危機を回避してホッと一息ついた。

 

 頬杖をついて退屈そうに授業を聞いていた讃岐は、「頑張るなぁ」と小声で呟く。

 ジロリと視線を向けると、同僚は小さく肩をすくめた。

 IQが大暴落したかぐやの醜態を学校で晒す訳にはいかない。早坂は細心の注意を払ってかぐやをフォローしている。讃岐も同じようにフォローしているとはいえ、同性の早坂でなくてはならない場面も多く負担は偏る。

 時刻は9時35分。時間割にして2限目。残りは4限、早坂愛の地獄はまだ始まったばかり。

 それからの早坂は正に獅子奮迅の活躍だった。教師のかぐやに対する問いかけを悉く妨害。体育の授業になれば真っ先にペアを組んだ。

 授業中だけでなく、授業の間の休憩時間も気は抜けない。

 てっ、てっ、てっと廊下を歩くかぐや。進む方向はトイレとは逆であり、次の授業は移動教室でもない。早坂にはかぐやの目的が分からなかった。むしろ目的なんて無い可能性が高い。今のかぐやには物事を考える脳味噌が足りていないのだから。

 

「文化祭……どのかぐや様も最高に麗しかったわ」

 

 そんなかぐやの前方に、文化祭気分の抜けないアホ1人。

 

「って、いつまでも浮かれてちゃダメッ。しっかり切り替えなくっちゃ!」

 

 巨瀬エリカは自分の頬を叩き、気合いを入れる。

 

「かぐや様のようにピシッと……」

 

 エリカにとって四宮かぐやは憧れそのもの。かぐやに憧れ髪を伸ばし、かぐやが髪を結えば真似をした。かぐやの良いところは一旦真似る。そんなかぐや信者である彼女と、レアかぐやがてっ、てっ、てっとすれ違った。

 全くピシッとしていないかぐやの姿を目撃したエリカは、困惑した様子でかぐやを二度見する。

 

「な、何かしら今……宇宙規模に愛らしいかぐや様のお姿が……。もっとしっかり見て──」

 

 鼻息を荒くするエリカ。早坂はすかさず2人の間に割って入った。

 

「やっほー! 今日も寒いね〜」

「早坂さん、今日のかぐや様いつもと……」

「えー? いつも通りだしー?」

「いやでも今」

 

 早坂はエリカの肩を掴む。

 

「気のせいだから、ね?」

「あ、圧がすごい……」

 

 朝からのかぐやのフォローで早坂は既に疲労困憊。ただでさえ、話をするのが疲れるエリカの相手をしている余裕はなかった。

 

「紀ちんが探してたよー」

「かれんが? 分かったわ」

 

 適当な嘘であしらわれたエリカは、来た道を引き返して行った。

 ふうっとを吐く。四宮家の従者として鍛えられている早坂といえど、常に気を張っていれば疲労の蓄積は早くなる。

 疲れてはいるものの、体に重くのしかかる泥のような疲労は、今日の激務だけが原因ではないと早坂は自覚していた。

 歩き回って満足したらしく、かぐやは教室へ引き返した。その後姿を眺めつつ、ゆっくりと早坂は足を動かした。

 

 放課後。生徒会室に行くかぐやを見守るのを讃岐に任せて、早坂はベンチで休もうと中庭へ足を向けた。

 

「かぐや様は生徒会室に行かれたし、これで少しは……」

 

 不意に腰に巻いたカーディガンが引っ張られる。振り向くとそこには、

 

「はやさかさん、おはなちちよ!」

 

 デフォルメされたかのような雰囲気の巨瀬エリカが、満面の笑みを浮かべていた。その姿は正に今日のかぐやのようだった。

 早坂の脳内に午前中の出来事がフラッシュバックする。早坂の精神は限界を迎えた。

 

「勘弁してぇ!!」

「!!?」

 

 悲鳴に近い大声を出した早坂に驚き、エリカは元の状態戻る。

 

「早坂さん、すごくお疲れ……? 味噌汁飲む?」

「大声出してゴメーン」

 

 常からは考えられない早坂の様子。エリカは心配して味噌汁を勧める。彼女は味噌汁が全てを解決すると信じて疑わない人種なのだ。

 レアかぐやは複雑な条件を満たして、脳の大きさがみかん1個分になるまでIQが暴落し出現する。一度すれ違っただけで、レアかぐやと同じ状態になれるとは、ある意味エリカの才能は恐ろしい。

 

「ウチに用だったー?」

「早坂さんに、伝えないといけない事があるの」

 

 伝えたい事? 早坂は首を傾げた。エリカはいつになく真面目な様子。

 早坂は讃岐光谷との付き合いで分かっていた。変人が真面目な顔をする時は、大抵碌なことがない。

 

「クールなかぐや様は確かに格好いいけど、愛らしいかぐや様も、とっても尊いと思わない? つまりどんなかぐや様も例外なく尊いのよ!」

「急にどうしたのー? ……いや、いつも通りか」

 

 早坂は理解した。常時脳味噌みかん1個分だから、エリカはレアかぐやと同じ状態になれたのだ。

 

 それからエリカのかぐや談義に付き合い、労りの味噌汁を振る舞われた。

 当たり前だが、待ち合わせ場所である中庭のベンチには、讃岐が既に座っていた。

 片手に文庫本を開き、もう片方の手には飲み物の缶が握られている。

 缶を持つてが上下に動く。缶は空中で半回転して再び手の中へ。手持ち無沙汰なのだろう、その行為が繰り返され缶がくるくる回転する。相変わらず落ち着きのない男だ。

 ベンチの近くまで来たところで、讃岐は本から顔を上げた。缶を投げる手もピタリと止まる。

 

「やあ、遅かったね。何かあったかい?」

「大した事ではありません」

 

 早坂は讃岐の隣に腰を下ろした。背もたれに背中をつけると、今まで溜まった疲れがどっと襲って来た。「はぁ〜」ついため息が漏れる。

 

「ご苦労様」

 

 顔だけを横に向ける。讃岐は普段と変わらぬ表情で、労いの言葉をかける。讃岐もかぐやのフォローに奔走していた筈だが、疲れた様子はない。

 

「貴方は疲れてなさそうですね」

 

 嫌味ではなく、純粋な疑問だった。

 

「そりゃあ、疲れてるよ。君程ではないけどね」

「そんな風には見えませんね」

「僕も男の子だからね」

 

 見栄を張っているらしい。

 

「カッコつけ」

「格好がついているのなら、良かったよ」

「カッコいいとは言ってませんけどね」

「精進するよ」

 

 讃岐は苦笑して、手に持っていた飲み物の缶を差し出した。早坂は差し出されたコーヒーの缶を受け取る。

 

「ありがとうございます。……私だからいいですけど、人に渡す物を振り回さない方が良いですよ」

「ああ、失礼。左手が寂しくてね」

 

 言い訳になっていない。早坂はきっと中で泡立っているであろう、コーヒーの缶を握る。

 振り回していたのはともかく、飲み物を用意するのは良い気遣いだ。

 

「こういう行動の方が、格好がつくと思いますけど」

「分かってないな、早坂さん。本当に格好がつく時は、かっこつけないのがかっこいいんだよ」

 

 そこまで計算済みらしい。タチが悪い。

 

「コーヒーありがとうございます。味噌汁を飲んだばかりなので、後でいただきます」

「味噌汁? …………巨瀬さんか」

「正解です」

「前から聞きたかったんだけど、君いつからお嬢様のファンになったの?」

「なってません」

 

 讃岐の戯言をキッパリ否定する。かぐやは大切な主人ではあるが、信仰の対象ではない。決して、あの2人の同類ではないのだ。

 

「成り行きで、そう装わざるを得なくなったんですよ。というか光谷君も分かってますよね」

「なんとなく想像はできるね。彼女達はお嬢様と白銀君の事になると、視野が極端に狭くなるし」

 

 携帯電話を取り出して時間を確認する。画面に表示される時刻は16時15分。生徒会の活動が終わるまでまだ時間がある。

 とはいえ、かぐやから何かしらの指示が来る場合もあるので、のんびり休む事はできない。早坂は疲労した体に鞭を入れる。

 そんな早坂とは裏腹に、讃岐はこんなことを言った。

 

「今のお嬢様の様子ならご命令は下らないだろうし、僕もいるから、早坂さん寝ててもいいよ」

「……何ですか急に」

「だって君、今日寝不足なんだろう?」

 

 驚きは少なかった。癪ではあるが。早坂は目の下に手を添える。

 

「よく気付きましたね」

「そりゃあね。僕は君の能力を高く評価しているけれど、自分の観察眼には自信があるんだ」

 

 自信があるという言葉通り、讃岐は胸を張る。誰のせいだ、と言いたいのを、早坂はぐっと我慢した。

 そう、言う訳にはいかない。奉心伝説を意識して眠れなかったなどと。ましてや、原因が讃岐光谷にあるなんて。それを白状するのは、早坂のプライドが許さなかった。

 

「メイクで上手く隠していたようだけど、僕の目は誤魔化すには──」

 

 次第に滔々と話す讃岐の声が遠くなる。自身でも気付かぬ程ゆっくりと、早坂の意識は暗闇に落ちていった。

 

 

 ◯

 

 

 その日、紀かれんは世界の全てに感謝していた。天井を明るく照らす太陽に、広く鮮やかな空に、青々と生い茂る草木に。

 かれんが側からみれば、変な宗教にハマった危険人物のような状態になっているのには訳があった。

 文化祭の最終日、怪盗を追う藤原に同行し、そこで偶然隠し部屋を見つけた。見張り台らしき部屋から外を覗いたかれんは、目にした光景に衝撃を受けた。

 白銀御行と四宮かぐやがキスをしていたのだ。それも濃厚なの。

 推しカプのキスという夢にまで見た、そしてノートにまで描いた光景。気付いたら、自分でもよく分からない言葉を叫んで倒れていた。

 以上が紀かれんが変になっている原因だった。

 エリカを探していたかれんは中庭に出た。そこで、友人である早坂愛と讃岐光谷がベンチで座っているのを見かけた。

 かれんに気付いた讃岐は、文庫本から視線を上げた。エリカを見なかったか聞こうと口を開くかれんに、讃岐は片手で本を持ったまま、人差し指を立て口元に当てた。

 静かに、のジェスチャー。首を傾げたかれんだったが、理由は直ぐに分かった。

 早坂が讃岐の肩に寄り掛かるような体勢で眠っていたのだ。

 その瞬間、雷に撃たれたような衝撃が体を走った。こんなシチュエーションを、妄想カプ厨のかれんが見逃す筈もない。瞬時に目の前の光景を、白銀とかぐやに置き換える。

 白銀の雄々しく包容力に溢れた肩に寄り掛かるかぐや。脳内でキラキラに美化された光景は、有り余る尊さでかれんに目眩を起こさせた。手の甲を額に当て、うっとりとため息を吐く。

 妄想に浸っていたかれんを現実に引き戻したのは、ポケットから伝わる僅かな振動。

 メッセージアプリの通知。相手は目の前の男子。

 

『静かに』

『? 声を発していませんわ』

『動きがうるさい』

『動きが!?』

 

 思わぬ抗議だった。

 

『何故このような状況に?』

『疲れてるんでしょ』

『確かに、讃岐君と付き合うのは大変そうですものね』

『あれ? 僕のせい? 違うよ、バイトが忙しいからだよ……多分。あと君も人の事は言えない』

『どういう意味ですの?』

 

 美味しいシチュに遭遇して忘れていた当初の目的を、かれんは思い出す。

 

『ところで、エリカを見ませんでした?』

『早坂さんが味噌汁振る舞われたって言ってたよ』

『相変わらずの味噌活ですね、あの子は』

 

 噂をしていると、タイミングよくエリカが中庭に現れた。かれんに気付いたエリカは、とことこ寄って来る。そしてかれんと同じ様に、ベンチの光景を目にして固まる。

 しーっ。かれんは口元で人差し指を立てた。

 エリカは顔を赤くして、口をパクパク動かす。小刻みに体を動かしながら、かれんと讃岐に視線を送る。

 かれんと讃岐は顔を見合わせて、同時に携帯電話でメッセージを送った。

 

『動きがうるさい』

『動きが!?』

 

 声を出さずに会話していたが、動きのうるささが伝わったのかもしれない。もぞもぞと早坂の頭が動いた。

 重たそうに瞼が開き、徐々に鮮やかな碧眼が現れる。

 早坂はぼんやりとした表情のまま、視線だけを動かし状況確認を行った。

 目の前のかれん、エリカの順で視線は彷徨い、この場のもう1人の人物、讃岐光谷に視線が巡ってくる。

 

「やあ、少しは眠れたかな?」

「んー」

 

 と、呑気に言葉を交わしたところで表情が凍りつく。早坂は自分が讃岐の肩を枕にして寝ていたのだと、把握した様子だった。

 みるみる顔が赤くなる。声にならない悲鳴を上げて、座ったまま背走という器用な芸当を披露する。結果、

 

 どってーん。

 

 となる。早坂はベンチの端から落ちて臀部を強打した。

 

「っ──!」

「早坂さん!?」

「大丈夫ですの!?」

 

 讃岐はその慌てように目を丸くしたが、「おやおや」と呟いてベンチから立ち上がり、早坂に手を差し出した。しばらく逡巡した後、早坂は讃岐の手を取って立ち上がった。

 早坂はじとっ、と恨みがましい目で3人に向けた。

 

「人の寝顔じろじろ見るとか趣味悪いし」

「わ、私はまだ来たばっかりで……」

「1人だけ逃げるのはずるいですわ! い、いえ、参考にしていただけで、じろじろ見ていただけでは──!」

「何の参考?」

 

 必死に言い訳するかれんとエリカをよそに、讃岐は何故か我関せずと言わんばかりに素知らぬ顔。

 

「光谷くんは?」

「誤解だよ。確かに寝ている君のご尊顔は目の保養になったけど、凝視するなんて不躾な真似はしない」

「……すぐそういう事言うし」

 

 減らず口を叩く讃岐を、早坂はジロリと睨みつける。

 かれんの言い訳は事実だった。じろじろ見ていたのは間違いないが、見ていたのは、早坂が讃岐に寄りかかって寝ていたというシチュエーションそのもの。

 とはいえ、現状そんな言い訳が通用するする訳がない。というか言えない。

 どんな言い訳を並べようと、負け戦にしかならない。かれんは孫子の兵法に倣うことにした。

 

「そういえば、私達ポスターを貼る仕事の途中でした! さぁ、行きますわよ、エリカ!」

「そっ、そうね! それじゃあまたね、讃岐君、早坂さん!」

 

 三十六計なんとやら。かれんとエリカは逃走した。

 

「あっ、逃げるなし!」

「やれやれ、賑やかだね」

 

 

 ◯

 

 

 ところ変わって生徒会室。

 少女は頭の後で髪を纏めていたリボンを解いた。

 

「随分長く眠りこけていたようですね。おはようございます、白銀さん」

 

 見開いた白銀の目に、さらりと流れる絹のような濡羽色の髪が映る。

 少女は命じるように冷たく言った。

 

「珈琲を一杯、淹れて頂戴」

 

 早坂愛が目を覚ました頃、偶然にも時を同じくして、氷のかぐや姫が目を覚ました。

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