恋愛は謎解きのあとで   作:滉大

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柏木渚は突き止めたい

 目が覚めて一番に視界に映ったのは、見慣れた白い天井だった。

 身体の節々が筋肉痛のように痛み、じっとりとした汗が気持ち悪い。どうやら、今朝飲んだ解熱剤の効果が切れたらしい。

 取りに行こうとしたが、身体が怠く起き上がる気にならない。

 誰か持って来てくれないだろうかと、そんな風に考えてしまうのは、体調に精神が引っ張られているからか。風邪を引くと弱気になるというのは本当らしい。

 弱り目を狙って、ネガティブな思考が次々に到来する。

 孤独や罪悪感。普段は押さえ付けている感情が、掘り立ての温泉のごとく湧き出る。ドロドロとした温泉になりそうだ。

 つまらない考えで気を紛らわせながら目を閉じる。

 無理にでも寝てしまおう。所詮は唯の風邪、次に起きた時にはすっかり治っているだろうし。

 

 

 ○

 

 

「四宮さんに相談があるんです」

 

 四宮かぐやが友人の柏木(かしわぎ)(なぎさ)にそう切り出されたのは、放課後の生徒会室での事だった。

 柏木とは恋愛相談をする為に、柏木が生徒会室のかぐやの下を訪れたのがきっかけで知り合った。それからも相談されたり、時には相談したりする仲だ。

 生徒会室に他の役員は居なかった。白銀は会議に出席しており、書記の藤原は部活動に、会計の石上(いしがみ)(ゆう)は手早く仕事を終わらせて帰宅した。

 奇しくもいつものように、かぐやと柏木は一対一で相談する形となった。

 

「友達の話なんですけど」とどこか身に覚えのある前置きで、柏木の話は始まった。

 

「太陽が刺されたんです!」

「…………」

 

 何かの比喩かしら。

 

 また恋愛相談の類だろうと予想していたのだが、予想を遥か斜めに上回っていたので、かぐやは反応できなかった。

 副会長としての威厳を保つ為、相談の意図を汲み取ろうと、かぐやは優秀な頭脳をフル回転させた。

 

「それは一大事ですね。太陽がなくなれば地球の気温は一気に下がり、気体は液体に変化しますし、植物は光合成で酸素が生成できなくなります」

「…………」

 

 唐突に始まった太陽がなくなった後の地球講座に、柏木は呆気に取られ固ったが、自分の説明不足に気付いたようだった。

 

「すみません、気がはやって説明が抜けていました。最初から話しますね」

 

 柏木は膝の上で手を重ね礼儀正しく頭を下げると、『太陽が刺された』経緯を語った。

 

「土曜日の話なんですけど、美術部員の女子生徒が美術室で水彩画を描いていたんです」

「運動部でもないのに、休日に部活をしていたんですか?」

「コンクールが近いので、休日も学校に来て絵を描いていたそうです」

 

 かぐやの質問に答えると、柏木は話を戻した。

 

「美術室にはその子の他に、同じ理由で登校していた友人の彫刻部の女子生徒が居ました。彫刻部の部室は他にあるんですけど、美術室に美術部員しかいなかったので、美術室に道具を持って来て作業していたんです」

 

 彫刻部。副会長という役職柄部活動は全て把握しているが、TG部といい相変わらず変わった部活の多い学校だ。彫刻も美術なのだから、いっそ美術部にまとめられないだろうか。

 

「水彩画で夕暮れ時の山間(やまあい)の景色を描いていたみたいなんですけど、集中力が切れてきて近くの机で友人と雑談していたそうです。その時、画用紙には太陽と半分ほどの山が描かれていました。喉が乾いたので、二人で自販機に飲み物を買いに行って戻って来ると、画用紙の太陽が描かれた部分に、先が尖った物で刺したような穴があいていたんです」

 

 一息に話し終えた柏木は、控えめに息を吐き出した。そして、かぐやが内容を把握するだけの間をとってから言った。

 

「という事件があったんです」

「はぁ、つまり相談というのは、画用紙に描かれた太陽を刺した犯人を突き止めるのに意見が欲しいと。ですが、どうして生徒会に?」

「成績優秀な生徒会の方々なら、事件の真相を突き止められると思ったんです。あっ! 突き止めるといっても、犯人の目星はついているんです」

 

 犯人が分かっているなら、教師に対応してもらうなり、本人に追求するなりすれば良いだけだ。他に何を突き止めるのだろう? 

 かぐやの内心を見抜いたかのように、柏木が答えた。

 

「犯人は恐らく彼女のストーカーだと思います」

「ストーカー?」

 

 オウムのように言葉を反芻するかぐや。

 犯人がストーカーだとすれば、凶器のような物を所持していた事になる。昨今ストーカーの暴行騒ぎは珍しくない。物騒な話に、雲行きが怪しくなったのを感じた。

 

「以前に他校の男子生徒から告白されて、断ったみたいなんです。それから付けられている気配がしたり、無言電話がかかって来るそうです」

「警察に連絡はしたのですか?」

「はい。でも証拠もないし、実害もないので本格的に動いてはいません」

 

 まあ、そんなところでしょうね。

 

 警察の人員にも限りがある。現状の被害で人員を割くのは無理だろう。

 とにかく、相談内容はハッキリした。ストーカーが美術室に侵入した方法を、明らかにすればいい。単純なハウダニットだ。

 むしろ恋愛相談より簡単かもしれない。こっちには、この手の問題に特化した秘密兵器があるのだから。

 

「そういう事でしたら、いくつか質問してもよろしいですか?」

「はい、もちろんです!」

 

 意気込む柏木に、簡単な確認から入った。

 

「彼女達が美術室を空けた間、美術室に侵入は可能でしたか?」

「はい。窓は鍵が掛かっていましたけど、扉の鍵は掛かっていませんでした」

 

 それなら、誰でも例え他校の生徒であっても侵入は可能だ。これで鍵が掛かっていたのなら、もっとややこしくなっていた。

 

「飲み物を買いに行ってから、戻って来るまでの時間は何分くらいでしたか?」

「十五分くらいです」

「十五分? 少し長いですね」

「美術部員の子が飲み物を何にするか迷っていて、時間がかかったみたいです」

 

 画用紙に穴を開けるだけなら、十五分で充分すぎる時間だ。今のところ難しい点は特に見受けられない。

 

「ストーカーを目撃した人はいませんでしたか?」

「練習していた運動部にも聞きましたけど、怪しい人物の目撃証言はありません」

「では、美術室に近づいた人はいましたか? 美術室が無人になった十五分の間に」

 

 すると柏木は、困ったような表情になり、悩ましげに眉根を寄せた。

「そこが問題なんです」と前置きして、かぐやの質問に対する答えを語った。

 

「当日、美術室に行く方法は、昇降口から二階に上がるか、向かいの校舎から入って二階の渡り廊下を通る二つしかありませんでした。四宮さんは生徒会役員なので知っていると思うんですけど、その日昇降口の扉の修理で、作業員の方々が作業していました」

 

 昇降口の件ならかぐやも把握していた。経年劣化と錆で扉が開き難くなっていたので、扉の取り替えを業者に依頼していたのだ。

 都合が良いなと、かぐやは思った。工事は長時間に渡って行われたはず。作業員が、出入りする人間を目撃している可能性がある。

 

「作業員には聞いてみたんですか?」

「はい。美術室が空いた時間帯に出入りした生徒は一人いましたが、秀知院の生徒だったそうです」

「すると、ストーカーは向かいの校舎から、美術室に向かったようですね」

 

 侵入経路が絞れたというのに、柏木の反応は芳しくなかった。再び困った表情を浮かべ、おずおずと申し訳なさそうに口を開いた。

 

「いえ、その線もありません。向かい校舎から美術室のある校舎に行くには、渡り廊下を使う必要があるんですけど、先生が渡り廊下の電球を交換していたんです。それで、不審な人物を見かけなかったか尋ねたら、秀知院の生徒しか見てないと言われたんです」

 

 あら? とかぐやは内心首を傾げた。

 美術室には侵入できるが、美術室までの道は二つとも人の目があった。これでは、美術室に鍵が掛かっているのと、状況的には大差ない。

 かぐやは他の侵入経路について検討した。

 

「一階の教室の窓は開いていませんでしたか?」

 

 そこからならば、作業員や教師に見つからずに出入りできる。

 しかし、かぐやの推理は無情にも打ち砕かれた。

 

「窓が開いていたかは分かりません。でも、教室の扉は全て鍵が掛かっていました。内側から鍵は開けられますが、それなら入って来た教室の鍵が開いているはずです」

 

 かぐやは表面上涼しい顔を装いつつ、心の中で唸った。仮に二階か三階の窓が開いていたとしても、見つからずに侵入するのは無理だろう。

 どう考えても、侵入経路は二つの道しかない。ストーカーはどうやって人目を掻い潜って、美術室へ辿り着いたのか。

 どうやら、更に雲行きが怪しくなってきたようだ。例えるなら今にも雨が降りそうな、黒々とした空模様。

 

 やはり、秘密兵器を使うしかないわね。癪ではあるけれど。

 

「すみません。お手洗いに行きますので、柏木さんはここで待っていてください」

 

 柏木に断りを入れ、かぐやは席を立った。

 怪しい空模様に有効な秘密兵器は、てるてる坊主と相場が決まっているのだ。

 

 

 

 

 生徒会室を出たかぐやが向かった先はお手洗い──ではない。

 生徒会室から離れた場所に来ると、ポケットから絶滅危惧種の二つ折り携帯電話、通称ガラケーを取り出した。

 短縮ダイヤルで、てるてる坊主、もとい自身の使用人である讃岐光谷の番号に電話を掛ける

 

 遅いわね、早坂ならワンコールで出るのに。

 

 かぐやは使用人に不満を抱いた。

 五、六回の呼び出しコールを経て電話が繋がった。

 

『……ふぁい?』

 

 ふぁい!? 

 

 寝起きのように気の抜けた、というか、間違いなく寝起きの第一声にかぐやは絶句した。

 

『あ、──なんのご用件でございますか、お嬢様』

 

 何事もなかったかのように声音を取り繕っているが、もう遅い。

 

「貴方、もしかして寝ていたの?」

『まさか。お嬢様に不貞の輩が近づかぬよう、目を球のようにして監視しておりました』

 

 皿のようにして欲しい。球なのは当たり前だ。

 

「じゃあさっきの『ふぁい?』は何なの?」

『「ファイ!」でございます。野球部の掛け声が、電話に入ったのでございましょう』

 

 平然と主人に嘘を吐く。流石は権謀術数渦巻く本邸の使用人、忠誠心の低さが一味違う。いや、讃岐と本邸の使用人を一括りにするのは失礼か。

 

「そう、やる気を感じない掛け声ね」

『全くでございます。部費を削ってみては如何でしょう』

 

 そしてまんまと墓穴を掘る。これに任せていいのだろうか? かぐやは不安になった。

 

「それじゃあ今、貴方は野球部の近く、つまり運動場にいるのよね。そこから、生徒会室に不貞の輩が近づくのが見えるかしら?」

『…………』

 

 自分の置かれた状況に気付いた讃岐は、一転して黙り込む。

 

 ふふん、お可愛い事ね。

 

 讃岐を追い詰めて満足したかぐやは、通話終了ボタンに指を伸ば──そうとして急停止。危うく本題を忘れるところだった。

 

「その事は後でいいわ」

『そのまま忘れて頂けると、ありがたいのですが……』

 

 絶対に忘れない。

 

「生徒会に奇妙な事件の相談があったのよ」

 

 かぐやは柏木から聞いた内容を、そのまま伝えた。

 讃岐は黙ったまま、かぐやの話に一切口を挟まなかった。真面目に聞いているのか、今後を思い意気消沈しているのか判断がつかない。

 話終わっても返事がないので、かぐやは焦ったそうに語気を強くした。

 

「讃岐、聞いているの?」

 

 讃岐は普段の平坦な声で『はい』と返した。

 

『もう終わりでございますか?』

 

 かぐやは讃岐の言葉に疑問を持ちつつも肯定した。

 

「そうよ。私が聞いた内容は全て話したわ」

『して、お嬢様はストーカーの侵入方法を、お知りになりたいのでございますね』

「ええ、貴方の率直な意見を聞かせなさい」

『では僭越ながら申し上げますと』

 

 そこで一旦、スピーカーから声が途切れた。次にスピーカーから発せられた言葉は、かぐやの想像していないものだった。

 

『私にはサッパリでございます。皆目見当も付きません』

「──え?」

 

 使い古されたガラケーが、かぐやの手をすり抜け、綺麗に磨かれた廊下へと吸い込まれるように自由落下運動を開始した。

 遅れてカシャンと乾いた音が、かぐやの耳に届いた。

 

 

 ○

 

 

「時にお嬢様。病気からの復帰、おめでとうございます」

 

 かぐやは数日前、風邪を引いて学校を休んでいた。幸いにも一晩寝たら体調は回復したのだが、その間、白銀がお見舞いに来たり、白銀と同衾したりとイベントがあったのだが、わざわざ伝える必要はないので割愛する。

 讃岐は慇懃な態度で、抜け目なく賛辞を述べた。それはいいのだが、少し時期がずれている。

 

「風邪を引いたくらいで大げさね。というか、いつの話よ」

 

 言った後、ここ数日の間讃岐は本邸に戻っていたので、完治したのを知らないのだと気付いた。

 

「お父様に呼ばれていたのでしょう。何の用だったの?」

「ただの業務報告でございます。お嬢様が気にかけるほどの用件ではございません」

 

 たかが業務報告で、京都にある本邸まで行くとは考えられないが、目の前の男は簡単に尻尾を出さないだろう。

 かぐやは早々と探るのを諦めて、机の上のカップを手に取った。

 

「しかし、納得がいきました。早坂さんは、お嬢様の風邪が移って寝込んでおられるのですね」

 

 紅茶が急に苦くなった。かぐやはバツが悪そうに顔を顰める。

 確かに早坂が付きっきりで看病していたのが要因の一つではあるが、お嬢様の風邪が移ったとは人聞きの悪い。まるで、早坂が風邪を引いたのは、全て自分が悪いみたいだ。

 かぐやは、澄ました顔で突っ立っている使用人を見上げ反論した。

 

「風邪の原因はウィルスだけじゃないわよ。疲労やストレスだって蓄積されると、風邪の原因になる。貴方が迷惑ばかりかけるから、早坂のストレスが溜まって免疫力が低下したのではないかしら」

「否定はしませんが」

 

 正確にはできないだ。

 

「でしたら、お嬢様も胸に手を当てて、日頃の行いを顧みた方がよいのでは?」

 

 何を言っているのだろうか、この男は。

 早坂は幼い頃からかぐやに仕え、姉妹同然のように育ってきたのだ。そんな早坂に、過度な負担をかけるなどあり得ない。

 

「手を当てるまでもないわね、私はそんな事しないわ。早坂が万全の状態なら、私が撒き散らしたウィルスくらいで風邪を引いたりしないでしょうし、客観的に考えて原因は7:3ね」

「客観的にと申しますと、お嬢様が7でございますか?」

「そんなわけないでしょう! 貴方が7よ」

 

 かぐやが物凄い勢いで、カップをソーサーに置く。衝撃でカップの中の紅茶が宙に浮いて、再びカップの中に着地する。

 着地の際に、机に飛び散った水滴を、讃岐がハンカチで拭き取る。

 

「7:3とは大人気ない数字でございます。百歩譲って6:4ではないかと」

 

 自分が譲歩される立場なのが気に入らないが、

 

「貴方が6で、私が4よね」

「私が4でお嬢様が6でございます」

 

 さらりと責任を押し付けるかぐやと、流れるように責任を押し付け返す讃岐。

 両者は暫し無言で牽制し合う。先に口火を切ったのはかぐやだった。

 

「6:4よ!」

 

 負けじと讃岐も言い返す。

 

「4:6でございます」

 

「6:4!」「4:6」「6:4!」「4:6」「6!」「4!」と、どちらが6なのか4なのか、分からなくなるくらい繰り返された、責任を押し付け合う世にも醜い争いは、痺れを切らしたかぐやによって終戦を迎えた。

 

「ああ、もう! その事はいいの。貴方を呼んだ理由、忘れたんじゃないでしょうね?」

「勿論でございます」

 

 讃岐は頷いて、ニヤリと口角を上げた。

 

「では、謹んで拝聴致します。その後について──」

 

 ようやく本題に入れる。そう、讃岐を部屋に呼んだのは、つまらないコントをする為ではない。

 かぐやは今しがたランニングを終えたかのように、グッタリと椅子に背を預けた。

 

 

 ○

 

 

 手から滑り落ちた携帯電話を拾ったかぐやは、スピーカーに向けて捲し立てた。

 

「どういう事なの!? いつもならここで、自信満々で偉そうに推理を語る流れでしょう」

『……その様に思っておられたのですか?』

 

 慌てるかぐやに、讃岐は諭すような口調で、

 

『落ち着いてください、お嬢様。私はなにも、絵を刺した犯人が分からないと申したのではありません』

「じゃあ、勿体ぶってないで教えなさい」

 

 だが、かぐやが求める返答は、スピーカーから返ってこない。代わりに讃岐はこんなふうに言った。

 

『現状では情報が少なすぎます。そこで、お嬢様には、柏木さんが伏せている情報を聞き出していただきたいのです』

 

 聞き出すのは構わないが、それ以前に、

 

「伏せている情報? 柏木さんが隠し事をしている様子はなかったわ。そもそも伏せるくらいなら相談には来ないでしょう」

 

 四宮家の教育により、かぐやは人の表情や行動などから、ある程度感情を読み取れる。そのかぐやからしても、柏木が隠し事をしているようには感じられなかった。

 

『隠しているのではありません。ですが、人は話をする際、情報の取捨選択をしています。当然、不要と判断した事柄については話していないでしょう』

「その不要な話の中に事件解決の糸口がある、というわけね。……本当でしょうね?」

『おや? 疑問がおありですか?』

「サッパリ分かりせんとか申した男の言葉を、鵜呑みにしていいのか疑問なだけよ」

 

 皮肉がたっぷりこもった言葉も、讃岐には効果がないようで、確信しているかのように告げる。

 

『ご安心ください。情報さえ出揃えば、お嬢様が満足できる結果を提供できるかと存じます』

 

 

 

 

 讃岐との通話を終え、かぐやは生徒会室へと戻った。

 

「すみません。お待たせして」

 

 柏木は手持ち無沙汰に弄んでいたスマホから、顔を上げた。

 かぐやは長椅子に座らずに、壁際に備え付けてある、食器棚に足を運んだ。

 

「そういえば、お茶も出していませんでしたね」

「いえ、そんな。お構いなく」

 

 慌てて申し出を断ろうと腰を浮かせる柏木に、かぐやはやんわりと、

 

「少し長くなりそうなので。柏木さんにもいくつか質問がありますし、そのお礼だと思ってください」

 

 そこまで言われれば、柏木も強いて断ろうとはしなかった。

 二つのティーカップに、紅茶を注ぎ終えるとかぐやはさっそく質問した。

 

「質問というのは、作業員と先生が、美術室に人が居なくなった十五分の間に、何人か秀知院生が通ったのを目撃していますよね。その人達についてです」

 

「分かりました」と柏木が応じたのに、かぐやは驚いた。先程の質問は讃岐が指定したものだったからだ。ストーカーの仕業だと断定するからには、それらの生徒も調べているはず、という讃岐の予想は当たったようだ。

 

「通った人物は昇降口から一人、渡り廊下から二人の計三名です。

 昇降口から通った一人は、サッカー部の男子生徒でその日は日差しが強く、グラウンドには影もないので、涼む為に校舎に入りました。ちなみに、練習はサボっていたみたいです。

 渡り廊下を通った二人は先に通った方から、フェンシング部の男子生徒で、練習に遅刻したんですけど、そのまま練習場には行かず、遅刻を誤魔化せないか頭を捻っていました。ちなみに、遅刻常習犯です。

 次はTG部の女子生徒。校内でポケ○ンの探索をしていたそうです。ちなみに、でんきねずみを捕獲したそうです」

 

 サボり、遅刻魔、ポケ○ントレーナー。碌な奴がいない。更にいえば、追加情報が全体的に役に立たない。

 かぐやは三人について、更なる追求をした。

 

「三人は物を持っていませんでしたか?」

「全員持っていました。サッカー部員はポカリの入ったペットボトルを、フェンシング部員はエペ(フェンシングで使用する剣の一種)と防具を、TG部員は杭を持っていました」

「杭!? どうしてそんな物を?」

 

 ポケ○ンを攻撃する気だったのだろうか? 

 何にせよ、そんな物を持ち歩いていたなら、犯人はTG部員で決まりではないか。

 

「さあ、理由までは。ですがTG部員は犯人ではないと思います。確かに杭は、映画で吸血鬼の心臓を刺すのに使われるような、太く尖った品でしたけど、渡り廊下を通る時、見かねた先生が没収しようとしたので、足止めをくらっていました。なんとか没収は免れたみたいですけど、解放された時には犯行が終わっていました」

 

 当然といえば、当然の対応だ。これでTG部員は、犯行の手段はあったが、機会がなかったことになる。

 かぐやはホッと胸を撫で下ろした。見知らぬ相手とはいえ、藤原と同じTG部の生徒なのだ。疑うのは心苦しい。

 

「次に怪しいのはフェンシング部の生徒ですが、彼も犯人ではない根拠があるのですね?」

 

 柏木はすぐに頷いた。

 

「画用紙に開けられた穴から、ある程度太さのある物で突き刺されたと思われます。エペでは細すぎるんです。あと、これは三人に共通するのですが、夏服にユニフォームと薄着だったのでポケットや服の下に物を隠すのは無理でした」

 

 可能性は低いが、念のため最後の一人についても確認する。

 

「サッカー部員について、何か情報はありますか?」

「彼については、怪しい持ち物もなかったので特には……、長々とサボっていたくらいですね」

「長々と?」

「サッカー部の渡部(わたべ)君の証言なんですけど、出て行く時ペットボトルに付いていた水滴が、戻って来た時にはなくなっていたかららしいです」

 

 水滴が付着するのは結露が原因だ。

 結露とは空気中の水蒸気が冷やされて起こる現象。今回の場合、水蒸気がポカリによって冷やされ、ペットボトルの表面に水滴が付着した。

 水蒸気が冷やされて起こる関係上、戻って来た際のポカリは常温程度には温くなっていた事になる。冷たい飲み物が常温になるまで、どれだけの時間が掛かるか分からないが、最低でもそれだけの時間サボっていたと推察される。

 

「困ったものですね」

 

 どこぞの使用人を彷彿とさせるサッカー部員の行動に、かぐやは嘆息した。

 

「サボるのは良くないですよね」

「そうですね。サボるだけならまだしも、隙あらば失礼な言動をしますし、隠し事も……」

 

 ペラペラと不満を語るかぐやに、柏木が疑問を差し込んだ。

 

「四宮さんの周りにもそんな人が居るんですか?」

 

 かぐやは口をつぐんだ。四宮家の長女である自分が使用人に、舐められていると思われるのも、碌でもない使用人を雇っていると知られるのもかぐやの自尊心が許さなかった。

 

「いいえ、居ませんよ。知人が雇っている使用人の話です」

「そうなんですか。そんなに不満があるなら、何でクビにしないんでしょう?」

 

 言われてみれば、何故自分は讃岐光谷を解雇しないのだろうかと、かぐやは自問した。

 讃岐の雇い主は父親の四宮雁庵なので、かぐやが直接解雇を命じるのは無理だが、不真面目な言動を伝えれば何らかの処置は下るはずだ。しかし、それをしないのは……。

 やはり一番に考えつく理由は、あの推理能力だろう。それ以外の理由がかぐやには思い当たらなかった。

 考え込んでしまったかぐやに、柏木が声を掛ける。

 

「あの、四宮さん。どうかしましたか?」

「ああ、すみません。それはともかく、今は事件の話ですね。最後の質問です。美術室内部の様子を教えてください。特に犯行前後で変わった点などあれば」

「絵はイーゼルに立てかけられていました。イーゼルの前に椅子があって、横にパレットなどの道具を置いた机がありました」

「机の上に、正確には何が置いてあったのか分かりますか?」

 

 柏木は記憶を探るように、視線を宙に彷徨わせた。

 

「確か、パレットに筆洗、筆箱……あと、彫刻刀です!」

「彫刻刀が?」

「雑談している時に、彫刻部員が置いたまま気付かなかったそうです。そういえば、犯行後彫刻刀は床に落ちていたと聞きました。恐らくストーカーが誤って落として行ったと思うんですけど」

 

 こんな事が事件と関係あるのだろうかと、首を傾げる柏木。それは、かぐやも同じ気持ちだった。

 讃岐に言われるがまま、あれこれ探ってはみたものの、余計分からなくなった。

 かぐやが明日また生徒会室に来るように伝えると、柏木は安堵した表情で生徒会室から退出した。

 

 

 ○

 

 

 目が覚めると体調はほとんど回復し、熱は微熱程度まで下がっていた。

 上半身を起こし、ぐっと伸びをした。一日中寝ていたせいで身体が凝り固まっており、パキパキと音が鳴った。

 これなら仕事に戻れるだろう。もう夜なので、大した仕事はないだろうが。

 ベッドから出ようとした瞬間、部屋の扉が開いた。

 

「ノックをしてください」

 

 早坂は眉を顰めながら、扉から覗く見慣れた長身に言った。

 

「ああ、悪いね。寝てると思ったんだよ」

 

 寝ていればノックをしなくていい、とはならない。

 讃岐は悪びれる様子もなく言い訳にならない言い訳をした。

 

「何の用ですか?」

「そりゃあ、お見舞いだよ。体調はどうだい?」

「十秒前までは良かったです」

「元気になったようでなによりだよ」

 

 二人は言葉のドッチボールで会話をする。普段からキャッチボールよりドッチボールをしている彼女達ならではの会話法だ。

 一応お見舞いに来たらしい讃岐が差し出したポカリを受け取り、一口飲んでから聞いた。

 

「残っている仕事はありますか?」

 

 早坂が尋ねると、讃岐は呆れたように肩をすくめた。

 

「もう仕事する気なの? 君も白銀君に劣らずのワーカーホリックだねぇ」

 

 讃岐は問いかけには答えず、こんな提案をした。

 

「元気になったのなら、ちょっと僕の話に付き合ってよ」

 

 断りたいのは山々だが、どうせ勝手に喋り出すのは目に見えている。早く終わらせるには、大人しく聞いていた方がいい。早坂はこれまでの経験からそう判断した。

 

「……手短にお願いします」

「そうするよ。土曜日学校で事件が起きたらしいんだけど──」

 

 讃岐は美術室で起きた事件の詳細と、かぐやが柏木から聞き出した情報を詳細に説明した。

 ポカリを飲みながら聞いていた早坂は、話が終わると口を開いた。

 

「それで、解決編をやりたいんですか? かぐや様相手にやったのでは?」

「一人より二人に納得してもらった方が確実だからね」

 

 付き合わされる方は良い迷惑なのだが、間違った推理がかぐやから柏木に伝わるのは避けねばならない。幸いにも体調は回復しており、寝起きの頭の体操には丁度いい。早坂は讃岐の推理を聞く体制をとった。

 讃岐はわざとらしく空咳をしてから、推理を始めた。

 

「お嬢様はストーカーの侵入経絡を相談されたようだけど、この前提は成立しない。何故なら、この事件がストーカーの仕業ではないのだから」

 

 かぐやに相談された際に、全く分からないと言ったのは、ストーカーが犯人ではないからだったようだ。

 続けて讃岐はストーカーが犯人ではない根拠を述べる。

 

「一階の教室には鍵が掛かっていたし、美術室への道には教師と作業員の目があった。かといって、教師もしくは作業員の目を掻い潜るのは無理だ」

 

 いくら作業をしていたとはいえ、渡り廊下を歩く人物に気付かないとは思えないし、作業員は扉の修理をしていたので、人の出入りは嫌でも目に入る。

 

「そもそも、美術室の鍵が空いているかも分からないのに、他校に侵入して犯行を行ったと考えるのは現実的じゃない」

「では犯人は他にいると?」

「そうなるね」

 

「候補は五人」讃岐は手をじゃんけんのパーにして突き出した。

 

 五人? 

 

 美術室が無人になった間に、美術室への道を通ったのは三人ではなかったか。早坂は疑問に思った。

 

「サッカー部員、フェンシング部員、TG部員そして、美術部員と彫刻部員だ」

「美術部員と彫刻部員もですか? 犯行の動機はともかく、彼女達はお互いのアリバイを証明できます」

「念を入れてね。遠隔で動く仕掛けがあれば、犯行は可能だ」

 

 犯行に使用された物は、ある程度の太さがあるので、仕掛けがあればすぐに見つかると思うが、ひとまず納得して先を促した。

 

「犯行を行うには、二つの条件がある」

「美術室に侵入する機会があったか。絵を刺した凶器を所持していたかの二つですね」

 

 讃岐は満足そうに肯定した。前者は言わずもがなであり、後者は美術室に該当する凶器がなかったので、凶器を持ち込まなければ犯行は不可能だ。

 

「一人ずつ条件に当てはまるか検討しよう。まずは美術部員。さっきあんな事を言った手前だけれど、美術室に遠隔で作動するような仕掛けはなかった。つまり彼女は前者には当てはまるが、後者には当てはまらない。この条件は彫刻部員も同じだね」

 

 じゃあ何でその二人を容疑者に入れたんだと、讃岐に冷ややかな視線を送ったが、気にする様子もなく推理を続行する。

 

「サッカー部員とフェンシング部員も同様に、犯行の機会はあったが、手段がない。TG部員は手段はあったが、機会がない」

 

 ん? と早坂は首を傾げた。条件に当てはめると容疑者の内、犯行が可能だった者はいない、という結論になる。

 困惑する早坂を、讃岐は面白そうに眺める。ムッとしながらも、顔に出ないよう冷静さを保って、

 

「犯人は五人以外の人物なんですか?」

「まあ、そう怒らないでよ」

 

 怒ってない。

 

「犯人は容疑者の五人以外有り得ない。だからもう一度検討し直してみよう。五人の内、一つ目の条件に該当しない人物は除いていいだろう。美術室に侵入できなければ犯行は行えないしね。持ち物を持っておらず、遠隔の仕掛けがなかった事から、美術部員と彫刻部員も外していい」

 

 残るは二人。サッカー部員とフェンシング部員だ。

 早坂はサッカー部員が持っていた物と同じ、ポカリのペットボトルに目を落とした。これよりは、エペを持っていたフェンシング部員の方が怪しい気がする。何にせよ早坂には、どちらが犯人なのか分からなかった。

 

「フェンシング部員のエペは絵の傷跡と一致しなかった。とすると、残るはサッカー部員だけど、彼が持っていたのはペットボトルのポカリだ」

 

 讃岐は自分が渡したポカリを指差した。

 

「君ならどういう風に、ペットボトルをつかうかな?」

 

 早坂はポカリの入ったペットボトルを、横に向けたり、反対にしたりして考えたが、良い方法は浮かばない。

 

「キャップに尖った物を付ける、とかですか?」

「なるほど。でもその方法なら、他のサッカー部員の目を誤魔化すために、ペットボトルの先端を隠すなどの工夫をしたはずだ。だけど目撃者は一目でポカリと断言している。この事から、サッカー部員はラベルが付いたペットボトルを、そのまま持ち歩いていたと考えられる。ではどの様な方法を用いてサッカー部員は、凶器を持ち運んだのか……」

 

 手品の種明かしを待つ様な気持ちで、早坂は讃岐の次の言葉に耳を澄ませた。

 

「僕が思うに、犯人はペットボトルの中に、凶器を入れて持ち運んだんだ」

 

 飲み口からは入らないだろうから、ペットボトルの真ん中辺りを切って、凶器を中に入れる。その後、テープなどでペットボトルを元の形に戻す。この方法ならば、凶器を持ち込める。その上、ラベルを貼れば切れ目を隠せる。

 しかし、ペットボトルの中に隠す方法には、複数の疑問点があった。

 

「二つ質問があります。その方法をとったとしても、中に入った凶器をドリンクカバー等で隠すのではないですか?」

 

 意味を噛み砕くように、ゆっくり頷いた讃岐は「他には?」と質問を促した。

 

「他のサッカー部員の証言で、ペットボトルが結露していたとありました。では、やはりペットボトルに入っていたのは、冷たい飲み物なのでは?」

「あの渡部君の証言だね。流石はサッカー部のエース! 目の付け所が違う」

「……」

 

 あのと言われても。早坂は讃岐とテンションが、反比例するのを感じた。

 そして想定通りなのか、讃岐は早坂の反論にもスラスラと答える。

 

「最もな質問だね。だけど、その二つの条件に当てはまり、かつ尖った凶器になる物があるんだよ」

「どんな物ですか?」

「氷だよ。正確には凍らせたポカリだ」

 

 ああ、と知らず知らずの内に言葉が出ていた。

「氷の凶器なんて、今どき推理小説でも見ないけどね」と讃岐は妙な感心をしながら、犯行の全容を語った。

 

「サッカー部員は家で凍らせたポカリを用意して部活へ。頃合いを見計らって、練習から抜け出した。既に氷は溶け始めていただろうけど、凶器にするには充分な量の氷は残るはずだ。そして、堂々とペットボトルを持って校舎に入り、美術室に向かった。中に入って、お目当ての絵の前に行く。そこで彼は、机の上にあった彫刻刀を見つける。これ幸いと彫刻刀でペットボトルを切って、氷を取り出す。今の状態では当然、尖っていない。だから彫刻刀で削って尖らせた」

「待ってください」

 

 早坂は疑問が抑えられずに、推理を遮った。

 

「今の推理を聞いていると、犯行には彫刻刀のような、氷を尖らせる物が必要不可欠です。ですが、彫刻刀があったのは偶然彫刻部員が置いていったからです」

「君の言う通り、本来なら氷を研ぐのは、彫刻刀以外の物を使う予定だった。これについては後で説明するよ。とりあえず、このまま話を進めてもいいかな?」

 

 納得できなかったが、早坂は同意した。

 

「出来上がった氷の凶器で絵を突き刺した。犯行後不要になった氷は砕くか、削るかして筆洗の中に入れる。筆を洗うのに使って濁っていたから隠すには最適だったし、溶けてしまえば氷があったなんて誰も気付かない」

「ペットボトルはどう処分したのですか? それにサッカー部員が戻って来た時、ポカリの入ったペットボトルを持っているのが目撃されています」

「それは簡単だ。新しく自販機で買えばいい。自販機の横には、ペットボトル専用のゴミ箱があるしね。買った後、結露が発生する前に素早く戻れば、あたかも持って行ったポカリが常温になったかのように見える」

「そこまでしますか?」

 

 持って出た時と戻った時のポカリを、同じに見せる意味はない。素直に新しく買ったと言っても怪しまれはしないだろう。

 

「犯人の心理ってやつじゃないかな? 自販機のゴミ箱には決定的な証拠があるんだから、犯人としては自販機に行ったと思われるのすら避けたかっただろうね」

 

 確かに、証拠から遠ざかろうとするのは、人間として至って普通の反応かもしれない。

 

「さて、君が指摘したように、この犯行にはまだまだ穴が多い」

 

 彫刻刀の件だ。それ以外にもいくつかある穴を、早坂は指摘した。

 

「サッカー部員も美術室の鍵が空いたまま、無人になるとは予想できなかった。先程も言いましたが、彫刻刀がなければ犯行は不可能。そして、何故美術部員は事件の相談を柏木さんにしたのか」

 

 最後の指摘を聞いた途端、讃岐は目の色を変えた。

 

「──へぇ、そこに気付くとは。素晴らしい着眼点だね」

 

 珍しく純粋に誉めている讃岐の言葉に、早坂は照れ臭くなって顔を背けた。

 讃岐は上機嫌に声を弾ませる。

 

「そう! それが今回の犯行の最も重要な点だ。君が指摘した点を全て解決する方法は一つ。共犯者の存在だ」

 

 早坂はずっと単独犯だと考えていた。というのも、共犯はお互いに利益がなければ成立しないからだ。未完成の絵を台無しにするだけで、それだけの利益が生まれるだろうか。

 

「共犯者は美術部員。美術室が出入り自由になる時間をコントロールできるのは彼女だけだし、サッカー部員の機転により結局は使わなかったけれど、氷を研ぐための道具は、机にあった筆箱の中に入っていたんだろう。使った氷の処理も、彼女ならあらかじめ筆洗の水を濁らせる事ができる」

「ですが、何故自分の絵を?」

「それこそが、彼女が柏木さんに事件の相談をした理由さ。僕の推理が正しければ、動機はストーカーにある」

「ストーカー?」

 

 早々にフェードアウトした人物が、ここに来て再び舞台に上がった。

 

「美術部員とサッカー部員の関係性は想像するしかないけど、親しい仲ではあっただろう。美術部員はストーカーに悩まされていた。警察は動いてくれない。そこで、どちらが持ちかけたかは分からないけど、二人は今回の事件を計画した」

「事件をストーカーの犯行に仕立て上げ、警察を動かそうとした?」

 

 被害が大きくなれば、警察は動く。そして、ストーカーの犯行にするには、他に犯人がいてはならない。だから、氷の凶器なんて手垢の付いたトリックを使った。そう考えれば辻褄が合う。

 

「いや、それならすぐに警察へ連絡すればいい。彼女達は警察を信用していなかったみたいだね。だから柏木さんに相談した。ある人物に伝わると期待してね」

 

 柏木と繋がりがあり、かつストーカー被害に対処する能力もある人物。早坂の頭にある人物が浮かんだ。

 

「柏木さんと同じ秀知院学園VIP枠の一人。警視庁警視総監のご子息殿だよ」

 

 江戸時代を起源とし、かつては貴族や士族の教育機関として創立された由緒正しき秀知院学園には、VIP枠と呼ばれる生徒達が存在する。

 彼等を敵に回せば、国内での生活も危ぶまれると、専らの噂である。早坂は噂が事実であると承知していた。

 柏木がかぐやに相談したのは、美術部員としても想定外だっただろう。更なる誤算は、四宮かぐやに讃岐光谷が仕えていた事だ。

 

「なんだか、疲れましたね」

 

 寝起きの頭には、難しい問題だった。早坂は軽い疲労感に襲われた。

 

「おお! それは困ったね。もう少し休んだ方が良さそうだ!」

「は?」

 

 何を思ったか、芝居がかった大袈裟な口調になる讃岐に、早坂は呆然とした。まさか最初からこれを狙っていたのだろうか。

 隙を見逃すほど相手は甘くない。畳み掛けるように讃岐は続けた。

 

「後の仕事はやっておくから、今日はゆっくり休むといい」

「……どういう風の吹き回しですか?」

「風邪だけにね」

 

 讃岐は面白くない冗談で場を冷やした後、

 

「好意は素直に受け取りなよ。君には早く良くなって、僕のフォローをしてもらわないといけないからね」

 

 邪な理由だ。でも、その方が安心する。親切心からの行動であれば気味が悪い。

 無理にでも止められそうなので、早坂は讃岐の好意に甘んじた。

 

「……すみません。では、お願いします」

「任せてよ。じゃあね、後でお粥でも持って来るよ」

 

 ひらひらと手を振って、讃岐は出て行った。

 その後届けられたお粥は、辛くなく甘くない、熱くもなく冷めてもいない、濃くなく薄くない、全ての中間を取った可もなく不可もない、絶妙な調整が施されていたが、早坂には少しだけ美味しく感じられた。

 お粥を食べながら、思い返すのは『警視庁警視総監のご子息殿』という讃岐の言葉。言い方からは、親しみとはいかないまでも、含みが感じられた。

 

 それとは別にもう一つ。知ってて当然の雰囲気をだされたので、言い出せなかったが、

 

 サッカー部の渡部って誰? 

 

 

 ○

 

 

「今回の件、お願いしますね」

 

 かぐやのパソコンの画面には、黒い短髪の鋭い目付きをした少年が映っていた。少年の背後には暖簾や掛け軸があり、和風な内装なのが見て取れる。

 少年の眉間に刻まれた深い皺が、強面な顔を三割増しで凶悪にしている。

 

『──氷の凶器か。ふざけた事件だ』

 

 吐き捨てると、少年は鷹のような瞳で、獲物を見定めるような視線をかぐやに向ける。

 

『この真相はお前が見抜いたのか?』

 

 かぐやは画面越しにも伝わる圧力を物ともせずに、楚々とした笑顔で対応する。

 

「はい。それが何か?」

 

 少年は面白くなさそうに鼻を鳴らして、

 

『ストーカーの件はこっちで処理しておく。少し脅せば収まるだろう。事件の方は大事にならないようにしろ』

「分かりました」

 

 理由はどうあれ、冤罪をでっち上げようとしていたのだから、本格的な捜査を行うような事態になるのは非常に不味い。

 ビデオ通話を切ったかぐやの口から、思わずため息が出た。

 讃岐から自分が謎を解いた事は秘密にして欲しい、と頼まれたので自分が解決したかのように振る舞ったのだが、

 

「事件よりも、讃岐の方が謎ね」

 

 とにもかくにも、本日やるべき事は終わった。

 かぐやは頭を切り替えノートを開いた。明日に備えて、白銀に告白させる策を練らなければ。

 寄り道は終わり、四宮かぐやの日常は本来の姿へと立ち戻った。


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