恋愛は謎解きのあとで 作:滉大
午前8時55分。
秀知院学園において、1限目の授業開始5分前の時刻である。50分に
大半の生徒はスマホのアプリで遊んだり、友人と雑談して各々時間を潰している。
石上優はそのどちらにも該当していない。机の上に突っ伏して、唯々時が過ぎるのを待っていた。
寝たふり。
石上のように勉学に励む気力がなく、かといって親しい友人もいない悲しき隠者達の常套手段である。
石上はいかにも寝起きですという雰囲気を醸し出して顔を上げ、黒板の上にある時計で時間を確認した。
時計の長針が丁度11を指していた。
普段はチャイムを目覚まし時計代わりに使う石上が、わざわざ時計を確認したのには理由があった。
数日前、東京に台風が上陸した。特別大きな被害を出す事なく台風は過ぎ去ったが、激しい雷雨の影響で秀知院学園の放送設備が故障した。放送ができないので、始業のチャイムも鳴らない。その為、自分で時間を確認して行動しなければならなかった。
あと5分もある。暇を持て余した石上は、窓際の席に視線を向けた。
石上の横の列の男子生徒は身長が高く、体格も良い。横幅もそれなりにあった。我ながらどうかと思うが、名前は覚えていない。
対照的に後の席の女子生徒は小さかった。机にはノートと教科書が広げられており、ペンがスラスラとノートの上を移動していた。耳にイヤホンを着けていて、配線は机の中に伸びていた。彼女の名前は覚えていたし、我ながらどうかと思うが、覚えられてもいた。
相変わらずのクソ真面目。自分とは根本から違う人間なのだろう。
石上は再び掛け時計に目を向けた。58分。もう直ぐ教師も現れる時間だ。石上は頬杖をついて、授業の開始を待った。
時計の針が12を指すのとほぼ同時に、教室の扉がスライドして教師が現れた。慣れた足取りで教壇まだ行くと、眉を顰めた。
「伊井野、休み時間は終わりだそ」
「えっ!?」
驚いたように声を上げる伊井野。驚いたのは彼女だけではなかった。伊井野の真面目さを知るクラスのほとんどが驚いていた。石上も例外ではなく、振り返って伊井野の席を見た。
机の上には先程見た時と変わらず、ノートと教科書が広げられていた。イヤホンを着けていたので、教師が入って来たのに気付かなかったのだろう。
「え、まだ時間が……」
小さく呟いた伊井野は、何故か窓の外に視線を移した。そして顔を青くした。
「す、すみませんでした!」
勢いよく頭を下げて、急いで授業の準備をした。
「まあ、勉強熱心なのは悪い事じゃないがな」
普段から真面目なのが幸いして、教師は気にした様子もない。
クスクスと静かな笑い声が、波紋のように教室内へと広がった。さぞかし気分がいいのだろう。
伊井野ミコは正真正銘のクソ真面目だ。自由な学園生活を望む者にとっては、目の上のたんこぶのような存在。そんな奴が醜態を晒しているのだから、この反応も当然の成り行きといえる。
石上は冷めた目で周囲の反応を観察する。
それにしても、伊井野は何故、時間を勘違いしていたのだろうか。
チャイムが鳴らないのが原因だとは考え難い。普段からチャイムが鳴る前には授業の準備をしているような真面目ちゃんだ。そもそも、チャイムが鳴らないのは昨日も一昨日も同じである。
窓越しにあるものを目にして、石上は伊井野が窓の外を見た理由が分かった。
それは校庭にある時計だった。ひょろりと長い棒の先端に、丸い時計が付いている。
時計の長針が動く。授業開始から1分が経過した。
生徒会室の真下にある通路は、人通りが少なく風通しも悪くない。おまけにこの時間帯は影ができるので、茹だるような暑さの日でも、エアコンが設置されていない生徒会室よりは快適に過ごせる。
石上は暇を潰したい時、怖い先輩から逃げたい時に、この場所を利用していた。
空には雲一つない。目に沁みるほどの青空だった。
レンガ造りの柱を背もたれに座っていた石上は、ゆったりと吹き込む風に、片目を隠すように垂れた前髪が揺られるのを感じながら、両手で握った携帯ゲーム機のディスプレイに目を落とした。
ディスプレイ上では、人間が身の丈程もある大剣を振り回して、竜のような巨大モンスターを攻撃していた。石上が操作しているキャラクターだ。
モンスターの背後、石上の視線の先には、棍を持った人物が攻撃の機会を伺っている。
そして、その人物は現実でも石上の目の前にいた。
「もうすぐ夏休みだね。君は予定とかあるのかな? ──いや、失礼。あるわけないよね」
讃岐光谷は視線をゲーム機に落としたまま、余計なひと言を付け加えた。
モンスターの素早い突進攻撃にタイミングを合わせて、石上は回避ボタンを押す。
「流れるように毒を差し込みますね。……まあ、確かにほとんどないですけど、生徒会で花火を見に行くくらいです」
石上も視線を一切上げずに、数日前に決まったばかりの予定を伝える。
回避が間に合わなかったらしく、キャラクターの体力を表す緑色のゲージが削れていた。
「寂しい夏休みだね。……はい、これ」
「まあ、彼女どころか、友人も碌にいませんからね。……ありがとうございます」
讃岐がアイテムを使って、石上の体力を回復させる。緑色のゲージが満タン近くまで回復する。
会話は途切れて、お互い手元の画面に集中する。石上と讃岐は強力なモンスターを、様々な武器を用いて討伐するゲームの協力プレイをしていた。分かりやすい表現をするなら、一狩り行っていた。
「そういえば先輩に相談があるんですけど──」
順調にモンスターへのダメージが蓄積していった矢先、讃岐の操作するキャラクターが、動きを止めて棒立ちになった。
その隙をモンスターが見逃すはずはなく、棍を持った戦士はあえなくモンスターの凶刃にかかって倒れた。
「先輩?」石上が不審に思い視線を上げると、目の前には讃岐以外にもう一人別の人物が立っていた。
「げっ!」
思わずうめき声が漏れるのを、石上は抑えられなかった。
小さい体で座っている石上を見下ろす少女。両肩から下がる茶色いおさげ。意志の強い瞳は力強く、まっすぐに石上へと注がれていた。
「うめきたいのはこっちよ。見回り中に石上なんかに会ったんだから。それと、学校にゲームを持って来るなって、何回言えば分かるの!?」
伊井野の聞き慣れた怒鳴り声が石上を襲う。
珍しく1人で見回りをしているんだなと、現実逃避したところで、片割れは学校を休んでいたのを思い出した。
このままでは、自分にとっては嬉しくない伊井野のマシンガントークが始まってしまうので、石上は伊井野の意識を逸らす作戦に出た。
「僕にばっかり言うけどな。讃岐先輩だって持ってるだろ」
石上は対面で同じように座る讃岐を指差した。だが、讃岐の両手には先程まで握られていたゲーム機がなかった。
讃岐は両手をヒラヒラと振って、自分が何も持っていないのをアピール。
伊井野は、じろじろと疑わしげに讃岐を観察した後、石上を一瞥した。
「何も持ってないじゃない」
「……」
裏切り者!!
石上は心の中で叫んだ。再び矛先が自分に向くと覚悟した石上だったが、何故か伊井野はチラチラと横目で疑惑の視線を讃岐に向けていた。盗み見るように視線を送っているが、讃岐は目敏く気が付く。
「まだ怪しいところがあるかな?」
立ち上がって両手を開き一回転。その後ポケットを裏返して見せる。疑わし気だった伊井野も、身を以って潔白を証明されては素直に認めざるを得なかった。
一緒に一狩り行っていた身としては、疑問符を浮かべるばかりだった。
一体何処に隠したんだこの人。
「疑いは晴れたようだね。ところで、最初から僕を警戒していたようだけど、風紀委員に目を付けられるような事したかな?」
「……先輩は早坂先輩と仲が良いですよね」
「ああ、彼女は校則の穴を突いてるだけとか言ってるけど、実質校則違反みたいな服装だからね。風紀委員としては目を付けていた。で、僕も同類疑惑があると」
たった一言で疑惑の理由を言い当てられた伊井野は、目を丸くした。
「そ、そうです」
戸惑ったように返事をする伊井野だが、次の瞬間には瞳に強い意志が宿る。毅然とした態度で讃岐を見上げた。
「分かっているなら、先輩からも注意してください!」
讃岐はお叱りを受け流すように肩をすくめて「会ったら伝えておくよ」と返答した。
賭けてもいいが、讃岐は絶対に伝えないだろう。
「伊井野あまりその先輩を信じない方がいいぞ。発言の七割は嘘だから」
「安心していいよ。潔白は言葉ではなく、身を以って証明したからね」
ああ言えばこう言う。口から生まれてきたとは、この人のためにある言葉だ。
「人にどうこう言う前に、自分がちゃんとしなさいよ」
伊井野が蔑むような目で石上を見
逃げ道をなくした石上は、観念してお説教を聞こうと腹を括った。しかし、予想に反して伊井野はそれ以上何も言わずに踵を返した。
「今日は見逃してあげるわ。アンタに構っている暇はないから」捨て台詞を残して伊井野は立ち去った。
元より女子の中でも小柄な伊井野ではあるが、遠ざかる背中はいつもより小さく見えた。
今朝の一件が尾を引いているのは明白だった。
「……」
「いい子だったね」
「度が過ぎてるところはありますけどね」
やれやれと、石上は大袈裟にため息を吐く。
讃岐は地面に貼られた茶色いタイルの一つを持ち上げた。下はタイルと同じ大きさの空洞があり、黒色の物体が入っていた。
讃岐は物体を持ち上げると、表面を撫でるようにして埃を払った。
「あっ、それ」
「正解はここでした」
石上が声を上げると、讃岐は手に持った黒いカラーのゲーム機で空洞を示した。
「だから毎回そっち側に座ってたんですね」
「ご明察。流石の観察眼だね」
パチパチと小さな拍手で、讃岐は石上に賞賛を送った。
褒められているような、小馬鹿にされているような複雑な気分になり、石上は顔を顰めてそっぽを向く。
石上の向いた方向には、こちらを見ながらひそひそと話している二人組の女子生徒の姿があった。彼女達から嫌悪と嘲笑を感じたのは被害妄想ではないだろう。
知らず知らずのうちに険しい表情になっていたのか、讃岐が意味不明な弁明をする。
「いや、君の言いたい事は分かるよ。密室ものにおける秘密の抜け穴のごとく、卑怯な手を使った自覚はある。でも、ゲーム機を探せゲームなんてするつもりはなかったんだ」
「何の話ですか?」
シリアスになっていたのが、馬鹿馬鹿しくなってくる。今のテンションを継続するのが嫌になっていたが、讃岐にも関わる事柄なので気力を振り絞って重い空気を作る。
「……先輩が良くしてくれるのは嬉しいんですけど、あまり僕と関わっていると変に思われますよ」
「根暗オタクストーカーと仲良くしてると、品行方正な僕のイメージに傷が付くって?」
「先輩が自分を客観視できていないのは良く分かりました。茶化さないでくださいよ。……その言い方だと、僕が中学の時やらかした事知っているんですよね」
ああと、讃岐は肯定した後、薄らと笑みを浮かべて付け加えた。
「君が思っているより、ずっとね」
意味深長な返答に、石上がどういう事かと尋ねるより先に、「そんな事より」と讃岐が石上に尋ねた。
「相談があるとか言ってなかったかい?」
「え、ええ。確かに言いましたけど」
「珍しい、というか初めてだよね。君が相談なんて。それ程切羽詰まった様子にも見えないけど」
石上の忠告が届いたのかも分からないまま、讃岐のマイペースに流されて話題が変わってしまった。釈然としないものを感じながらも石上は、讃岐の質問に答えた。
「ちょっとした謎解きみたいなものです。先輩その手のゲーム得意でしたよね」
「比較対象がないから、得意かは分からないけど好みではあるね」
なんだかんだと言いながら、自信はある様子である。それなら、と石上が相談内容を話そうとした時、ピピッと無機質な電子音が鳴った。
音源は讃岐の携帯電話らしかった。讃岐はポケットから取り出すと、画面を見た。その後急いでスマホをポケットにしまうと、石上に向かって手刀を切った。
「言ってなかったけど、鬼ごっこの途中だったんだよね」
「は? 鬼ごっこ?」
「そう、見つかったら労働させられるタイプの鬼ごっこ」
ずいぶん物騒な鬼ごっこだ。
「そういう訳で、相談は明日でいいかな?」
「それは構いませんけど……」
讃岐は立ち上がると、思い出したように言う。
「謎解きなら、君のとこの副会長さんが得意だから話してみたら? 僕よりずっと頼りになるよ」
讃岐の言葉は、生徒会の副会長を指しているのだろう。生徒会副会長、つまりは四宮かぐやである。
「四宮先輩に、相談……」
石上は一気に絶望のどん底へと叩き落とされた。
かぐやは石上が最も恐怖する存在である。以前よりはましになったが、今も思い浮かべただけで体が勝手に小刻みに震えていた。
どん底に落ちた石上の様子に、讃岐が気付くはずもなく気安い調子で言葉を投げかけた。
「さっきの事だけどね」
「……さっき?」
「君に関わらない方が良いって話」
そういえばそんな話もしたな。とっくに忘れていたのかと思っていた。讃岐は黒く澄んだ目を石上に向けた。
「心配しなくても、僕はあの風紀委員の女の子みたいにお人好しじゃないからね。厄介な事になりそうなら適当に距離を置くよ。だからそれまでは、清く正しい友人付き合いをしようじゃないか」
じゃあねと、讃岐はヘラヘラとした笑顔で手を振って走り去って行った。
人の眼球は脳に直結した器官であり、脳の半分は視覚処理に使われているという。
目は口ほどに物を言う。昔の人はよく言ったもので、石上は目を見れば、人の本性の5、6パーセントが判ると自負している。
その石上でも、讃岐が言った言葉を額面通り受け取っていいのか、それとも裏があるのか、はたまた何も考えていないのかすらも判別できなかった。判ったのは、あの奇妙な先輩との友人関係はまだ続く、という事だけだった。
やはり、精度5、6パーは信用できない。
○
「早坂! 今すぐ讃岐を連れて来てっ!」
たいそう御立腹な主人の命令を遂行するため、早坂は讃岐を探していた。
探していたといっても、この時間の仕事は決まっているので、探し出すのは容易だ。サボっていなければの話だが。
無駄に長い食卓がある部屋を抜けて、厨房がある部屋に入ると、見るからに高価な食器を慎重に洗っている同僚の後姿があった。
人の気配を察したのか、讃岐が振り返った。
「やあ、早坂さん。僕に何か用かい?」
「用もなく貴方に会いに来た事がありましたか?」
「歓迎するよ」
「かぐや様がお呼びです」
軽口には取り合わず、早坂は用件だけを告げる。
讃岐は食器と手に着いた泡を手早く洗い流すと、水に濡れないよう捲っていた袖を下ろした。
「ところで、私の靴にこんな物が着いていたのですが」
早坂は小型の機械のような物を、指先で摘んで見せた。
「調べたら発信機のような物でした。発信機が一定範囲に入ると、特定の端末に知らせが入る仕組みです」
さりげなく讃岐の表情を観察するが、変わった様子はない。
「どこかの変態が仕掛けたのだと思いますが、心当たりはありませんか?」
「ハハハ、奇遇だね。僕のスマホにも変なアプリが入っていたよ」
讃岐は早坂に自分のスマホの画面を見せた。
「盗聴用のアプリみたいなんだよね。どうりで充電の減りが早いと思ったよ。きっと僕のファンが入れたんだと思うんだけど、心当たりはないかな?」
「ハハハ、まさか、貴方にファンがいるはずありません」
「そっちの否定が先なんだ……」
そう簡単にはいかないか。早坂は心中で舌打ちした。
早坂と讃岐の間では日常的に、この様な情報戦が水面下で行われていた。
正体を知りたい早坂と、サボりたい讃岐の知性の限りを尽くした勝負。今の所、勝者は出ていない。
決して、やり口がセコイと言ってはいけない。
「お連れしました。かぐや様」
讃岐を連れてかぐやの部屋へ戻ると、椅子に座ったかぐやが尊大な態度で出迎えた。
ルビーのように赤い瞳が、讃岐を見据える。
「石上君に妙な入れ知恵をしたでしょう」
「いえ、悩みがあるようでしたので、微力ながらアドバイスをして差し上げただけでございます」
「それが妙な入れ知恵だと言ってるの! おかげでまた変な謎解きを頼まれたわ」
早坂はニヤリと讃岐が笑みを浮かべたのを見逃さなかった。
讃岐は一歩前に出ると、胸に手を添えた。
「お嬢様。お話をお聞かせいただければ、何か意見ができるかと存じます」
言い終わった瞬間、間髪入れずにかぐやは言い放った。
「嫌よ」
プイッと頬を膨らませて、そっぽを向くかぐや。
予想外の反応に讃岐は戸惑い固まった。しばらくして、絞り出すように声を出した。
「理由をお聞きしても?」
「決まっているでしょう。主人を伝書鳩のように使う使用人がどこにいるというの? 何でも自分の思い通りにいくとは思わない事ね」
かぐやはにべもなく突き放した。
讃岐は顎に手を添え、考えるような間を開けた後、申し訳ございませんと素直に謝罪した。珍しく殊勝な態度に、早坂は嫌な予感を覚えた。
「私が間違っておりました」
「分かればいいのよ」
素直な使用人の態度に満足して、溜飲を下げたかぐやに讃岐は続けた。
「石上君の悩み事が、解決せず終わるのだけが心残りでございます。悲しまなければいいのですが」
ほらきた。
「うっ……」
痛い所を突かれたと、かぐやは言葉を詰まらせた。
「彼は優しいので、きっとお嬢様を、後輩の悩み1つ解決できない役立たずな先輩とは思わないでしょうし、心配する事は何もありませんね。私、非常に深く反省しました。この件に関して、一切お嬢様から聞き出すことは致しません」
そう言って、讃岐は一歩下がって元の位置に戻った。
早坂は目の前の主の思考が手に取るように分かった。
かぐやが自力で真相にたどり着く可能性は、大いにあり得る。かぐやは腐っても天才なのだ。だが一方で、たどり着いた真相が間違っている可能性があるのも確かだ。間違った推理を披露したとあれば、四宮の名に傷が付く。プライドの高いかぐやはそれを許容しない。このリスクを最低限に抑える手は簡単である。讃岐に推理させればいい。推理力という一点において、讃岐光谷は確実に四宮かぐやを上回っているのだから。
しかし、ああ言った手前素直に頼むのは、これまたプライドが許さない。かぐやがどう出るのか、早坂は興味深く見守った。
「早坂」と黙っていたかぐやが呼びかけた。
「はい、何でしょう。かぐや様」
「石上君から受けた相談の内容を今から伝えるわ。いい、貴女によ。隣の腹黒男ではなく、あなたに言うの」
セコイ。
早坂は主の姑息さに愕然とした。
讃岐は嬉々としてこの展開に乗っかる。
「近くに控えている都合上、話を聞いてしまうかもしれませんが、どうぞ気にせずお話ください」
相談内容を語るかぐやの声は、心なしか大きく感じた。
「注意された女子生徒は、普段から時間には厳しかったそうよ。つまり、何故時間を勘違いしたのかを石上君は知りたいようね」
話を終えると、かぐやはチラリと期待のこもった視線を讃岐に送った。
視線の先の当人は、顎に手を添えぼんやりとした様子。やがて、添えた手を下ろすと、瞳に理知的な輝きが宿った。
「誠に僭越ながら、意見を申し上げてもよろしいでしょうか。お嬢様」
かぐやは白々しく気のない風を装う。
「あら、聞こえていたの? 構わないわ」
「ありがとうございます」讃岐は胸に手を当て、慇懃に一礼した。
「相談の性質上、注意された女子生徒が時間を勘違いしたのには、原因が存在するという前提で進めさせていただきます」
早坂とかぐやが同意したのを認めて、讃岐は推理を語り始めた。
「女子生徒が教師に注意されるに至った原因は3つあります」
讃岐は早坂に向けて問うように言うと、人差し指、中指、薬指の三本を立てた。
「チャイムが壊れていて、始業時間に気付かなかった事と、イヤホンをして、教師の入室に気付かなかった事の2つではないのですか?」
「当然、その2つも入ります」指を2つ折り、残りは人差し指だけになった。
「もう1つは校庭の時計を見ていた事です」
校庭の時計を?
「時間を確認していなかったらからではなく、校庭の時計で時間を確認してたからの? そもそも、確認するのに校庭の時計を見る必要があるかしら。教室にも時計はあるでしょう」
「単純に教室の時計より、校庭の時計の方が見やすかったからではないかと思われます。お嬢様、彼女の席がどこにあるか思い出してください」
かぐやは記憶を探すように、目線を宙に向けた──りはしなかった。かぐやにとって、その程度の記憶を思い起こすのは1秒も掛からない作業だ。
「窓際の席よ。石上君から見て左斜め後ろにあたる」
「では、石上君の横列の窓際の席は?」
「は? …………なるほど、そういう事ね」
なにやら納得した様子のかぐや。理解が追いつかない早坂は眉間にしわを寄せた。そのしわを消したのは、讃岐の解説だった。
「石上君から見て横の窓際には背が高く、がたいの良い男子生徒が座っていました。女子生徒は小柄だったので、前の男子生徒が壁になり、教室の時計が見難かったのです。そこで女子生徒は窓から見える校庭の時計で時間を確認する事にしたのです」
女子生徒が教室の時計ではなく、校庭の時計で時間を確認していただけでは勘違いをした理由にはならない。何故なら、
「でも、校庭の時計は正常に機能していたわ」
教室の時計を見ていようと、校庭の時計を見ていようと時間は同じなのだから、勘違いは発生しない。
「学園の時計は電波時計で、全ての時計の時間が同じになるよう管理されています」
早坂はかぐやの言葉に補足して伝える。
「そこが、今回の事件の肝でございます。電波時計の時間が正確なのは何故でしょう?」
「電波を受信して時刻を修正するからでしょう」
分かりきった質問にかぐやは答える。
電波時計は送信局の電波を受信することで、自動的に時刻を合わせる時計だ。受信頻度は機種によるが、秀知院学園で使用している時計は、1日に1回電波を受信しているはずだ。
「しかし、受信から次回受信までの時間の精度は、その時計に依存します」
「貴方の言いたい事は理解したわ。校庭の時計だけ時間がずれていたと言いたいのでしょう? でも、それはないわ。女子生徒が注意された後、石上君が校庭の時計を偶然目にしていて、教室の時計と同じ時刻を示していたのよ」
「では、時計が電波を受信する時刻が、1限目開始と同じ9時だったとしたらどうでしょう?」
息を呑む早坂とかぐやをよそに、讃岐は詳しい解説を続けた。
「流れとしてはこうです。なんらかの影響で、校庭の時計は遅れていた。遅れ過ぎていたら気付くでしょうから、2、3分といったところでしょう。
女子生徒は校庭の時計で時間を確認していた。何故なら、教室の時計は見難く、スマホは机の上に置くスペースがなく机の中に入れていたからです。実際の時間が9時になったのを、遅れた時計を指針に行動している女子生徒は気付かなかった。そして9時になった時点で、校庭の時計は電波を受信して正常な時刻に戻る。なので、教師に注意されて校庭の時計を見た時、時計は正常な時刻を示していました」
かぐやは讃岐の推理を吟味するように黙り込んだ。少してから疑問を口にした。
「時計が遅れていたのは何故?」
「前日の天気は快晴で原因となりそうな落雷もなく、自然と時計の時間がずれたとは思えません。やはり、どなたかが手動で秒針を操作するなりして、故意に時間を遅らせたのではないかと思われます」
「女子生徒を陥れるため、時計に細工をしたということ?」
「彼女と全く関係のない理由で細工された可能性もあります。ただ、チャイムが故障しているタイミングで女子生徒の見ていた時計の時間が遅れる、というのは些か出来過ぎではないかと」
偶然が重なった時、奇跡的だと思うか、作為的だと思うかは人によるが讃岐は後者のようだ。そしてそれは、早坂とかぐやも同じだった。
かぐやが言った通りの目的なら、普段から女子生徒の行動を把握できる同じクラスの人物である可能性が高い。
「時計を遅らせた人物の目的がどうであれ、認めさせるのは難しいでしょう。取り敢えず石上君の疑問には答えは出ました。後は彼がどうしたいかでございましょう」
○
石上は本日も懲りずに、生徒会室下の通路でゲームに興じていた。レースゲームである。石上は赤い車で道なき道を行き、コースのショートカットをした。
向かい側には当然のように讃岐が座っていた。
毎度思うのだが、部活をしているわけでもないのに、何故この時間まで残っているのだろう。
石上の素朴な疑問をよそに、讃岐は手元のゲーム機に目を落としたまま言った。
「君の相談の件、四宮さんから聞いたよ。生徒会から周知したみたいだね」
かぐやの推理を聞いた石上は、校庭の時計について調べる事にした。といっても、石上だけでなく生徒会で調査したのだが。
時計に細工をしたとすれば、人が少なくなる放課後の可能性が高い。そう考えた生徒会は、部活動や委員会で放課後残っていた生徒を重点的に聞き込みを行った。結果として、複数の生徒から時計が遅れていたとの証言はあったものの、時計を操作した人物の目撃証言はなかった。
苦肉の策として、全校集会で校庭の時計が悪戯され遅れていたと発信して、犯人への牽制とした。
「女子生徒の様子はどうかな?」
「さあ? 原因が分かったんで反省してるんじゃないですか」
とぼけた石上だが、女子生徒──伊井野が元気に校則違反を取り締まっていたのを知っていた。なにせ取り締まられたのは自分なのだ。
原因が分かった事で、納得できたらしく普段の調子に戻っていた。
もう少し大人しくてもいいのだが。石上は余計なお節介をしたと少し後悔した。
「それにしても、雑な犯行ですね。チャイムが故障したタイミングを狙ったとしても、女子生徒が必ず校庭の時計を見るとは限らないじゃないですか」
「所謂、蓋然性の犯罪だね」
「何ですかそれ?」
聞き返しながらも、手は巧みなボタン捌きで、ゲーム機のディスプレイに映るレーシングカーを操っていた。
車はコーナーをドリフトする最中、コースに落ちていたバナナの皮を踏んでスリップした。
「今のバナナを例にすると」
讃岐は石上の画面を見ていたかのように語った。
「AはBに殺意を抱いた。方法として、バナナの皮を踏みやすそうな場所に置き、Bの乗る車をバナナの皮で滑らせて事故死させようとした。
バナナの皮は踏まれるかも知れないし、踏まれないかも知れない。踏んだとしても死ぬ程の事故にはならないかもしれない。方法としては不確実だ。殺害が成功したとしても、通行人がバナナの皮をポイ捨てしたのだろうと考えられるので、自分が疑われる心配はない。
このように、上手くいけばそれでよし、失敗しても自分が疑われる心配はない、という犯罪方法を蓋然性の犯罪と言うんだよ」
例えがゲームに寄り過ぎているせいか、現実味が全くない。石上のような人間にしか理解できない例えだ。
バナナの皮を踏んだせいで順位が下がったが、石上の操る車は再び1位に躍り出た。
「失敗したっていいのだから、余計なリスクを冒す必要はない。だから今回の一件みたく証拠が残りにくいのさ」
讃岐の解説が終わると、2人は暫しゲームに集中したので、沈黙が続いた。
再び沈黙を破ったのは讃岐だった。
「君は、時計を遅らせた犯人に心当たりがあるんじゃないかい?」
讃岐の指摘通り、石上は伊井野が注意を受けた時、周りの反応を観察していたので、その反応からある程度目星は着いていた。
隠していたわけではないが、心中を覗かれたようでドキリとした。
「候補が絞れているだけですよ。でも、結局証拠がないんじゃ、どうしようもありません。またやらかさないか見張るのが精々です」
「へー、面白そうな話してるね。ウチも混ぜて欲しいしー」
「げっ!」
突然割って入って来た明るい声。それを聞いた讃岐は顔を青くして呻いた。
石上が顔を上げると、讃岐が背もたれにしていた柱の横に、金髪を頭の横で束ねた女子生徒が立っていた。
女子生徒の装いは、明らかに校則で定められた範疇を逸脱しており、爪には空色のネイル。この場に伊井野がいたら飛びつくに違いない。
いつも飄々としている讃岐だが、女子生徒が現れてからは蛇に睨まれた蛙のように微動だにしない。
「呻きたいのはコッチだし。全然約束の場所に来ないんだから」
女子生徒の顔は笑っていたが、その裏で怒りの炎が燃え上がっているのを、観察眼に長けた石上は見抜いた。
讃岐とはどういう関係なのだろうか。友人や恋人という感じではなさそうだが。
「い、いや悪いね、早坂さん。今から行こうとしてたんだよ」
早坂。前に伊井野が言っていた人物だ。
早坂は讃岐の見えすいた言い訳に一切耳を貸さずに、石上に向き直った。
「ごめんねー、会計君。コイツ借りてくね」
何とかして欲しそうな、縋るような目で讃岐がこちらを見ている。
仲良くしている先輩と、怖いオーラを出している先輩。2人を天秤にかけた石上の行動は迅速だった。
「どうぞ、遠慮なく持って行ってください」
縋るような目を恨むような目に変化させた讃岐は、そのまま早坂に引き摺られて退場した。
石上には最後まで2人の関係性が分からなかった。
入れ替わりで、新たに2人の人物が石上の前に現れた。今自分は嫌そうな顔をしているだろうなと、石上は自覚した。
「また持って来てるわね! 今回は見逃さないわよ!」
2人の内小さい方、伊井野が番犬のように吠えた。
隣には野暮ったい丸眼鏡をかけた黒髪の女子生徒、
大仏は首を傾げて伊井野に質問した。
「前回は見逃したの? ミコちゃんが石上を?」
「ち、違うの! 前回は変な先輩に気を取られて」
一度会っただけの後輩に変と言われるのには同情するが、石上は全面的に同意した。
伊井野は誤魔化すためか、さらに勢いを増して石上に吠え立てた。
次々と繰り出される正論口撃に、石上は屁理屈を返しながら対抗する。
すっかり本調子に戻った伊井野を見て、やはり余計なお節介をするんじゃなかったと後悔する反面、どこかホッとした気持ちになる石上だった。