恋愛は謎解きのあとで 作:滉大
同じ場所であっても昼と夜とでは、全く違う印象を受けた経験のある人は多いだろう。例えば学校。昼間はいくら教師が注意してもうるさいくらいに賑わっているのに、夜になると不気味なくらいに静まり返る。他にも昼はシャッターで閉ざされたシャッター街は、夜になると煌びやかなネオンが怪しい光を放つ大人の街へと変貌を遂げる。このように例を挙げると多岐に渡る。
東京都某所の住宅街にひっそりと存在する公園も、そのような場所だった。
親に連れられた子供が砂場で山を作る光景も、滑り台を滑り落ちるやんちゃ小僧の姿もそこにはなく、墨を塗ったような闇が覆っていた。
闇から浮き出るようにして、園内にある縦長の長方形の建物から光が漏れている。
一般的に用を足す、あるいはお花を摘むのに使用される建物内には3人の男性がいた。勿論、お花を摘む方ではなく用を足す方に。
三人の髪はそれぞれ赤、青、黄色。信号機かよ、とツッコミたくなる色に染め上げられている。だらしなく腰まで下がったズボンはぶかぶかで、首や指に光るじゃらじゃら音を立てるアクセサリー。
格好からも分かる通り彼等はチンピラである。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
緑髪の男は心配そうに何度も入口を振り返る。挙動不審な仲間を赤髪の男が笑った。
「なんだよお前、ビビってんのか?」
「別にそんなんじゃねぇけどよ……」そっぽを向きながら呟く姿は、どこからどう見てもビビっていた。
「それにしても遅いな。イタズラだったんじゃないのか?」
「前回も買ったんだ。間違いない」
とはいえ黄髪の言う通り確かに遅い。赤髪は自分のスマホを確認した。
画面に映っているのは所謂闇サイトと呼ばれるサイトの掲示板だった。悪い大人御用達のアンダーグラウンドで彼等が手を出した品が、ここに届けられる予定だった。
予定の時間から既に10分が経過していた。こちらからの連絡手段はないので待つしかない。
砂を踏む音が聞こえた。おっ、と黄髪が期待を帯びた声を上げる。緑髪は緊張した面持ちになる。
現れたのは40代くらいの男だった。黒いスーツにネクタイ。絵に描いたようなビジネスマンだ。鋭い目元に縦に入った刀傷のある顔を見なければ。
息を飲んで言葉を発せない3人に向けて、スーツの男は鋭い目が弧を描い。
「君たちかな。体に悪い薬が欲しいって子は」
「あ、ああ」
赤髪は返事をしてから気付いた。前に買った奴と違う。
「そうか」
男の声が低くなり、目がナイフのように鋭く光る。
「生憎とウチのシマじゃあクスリはやってねぇんだよ」
男が赤髪の胸ぐらを掴んで引き寄せた。赤髪は「ひいっ!」と情けない声を出す。
引っ張られた衝撃で、透明な袋が薄汚れたトイレの床に落ちた。袋の中には粉末状の白い粉が入っていた。素敵な幻覚を見せる粉なのか、はたまた小麦粉であるのか見た限りでは定かではない。
落ちた袋をスーツの男が拾い上げる。
「持ち歩いてんのか。バカだねぇ」
呆れたように嘆息するスーツの男。
黄髪と緑髪はもはや泣き出す寸前で、目の端に涙を溜めていた。ちなみに掴まれている赤髪は失禁寸前だった。悪ぶっても彼等は所詮、不良に毛が生えた程度の存在なのである。
「おじさんも鬼じゃないからね。何でこんな物持ってんのか、じっくりお話を聞かせ貰おうか。そしたら無事帰してあげるよ」
その言葉は言外に語っていた。嘘を吐いたら無事では済まさないと。
「お疲れ様です、アニキ!」
チンピラ3人を解放してトイレから出たスーツの男もといアニキは、調子良く現れた若い部下を睨んだ。
「テメェ今まで何処にいたんだ?」
「いやぁ、ちょいとお手洗いに」
「直ぐそこにあんだろうが。チッ、ガキなんぞにビビりやがって。よくそれでヤクザが務まるな」
「最近のガキは何しでかすか分かりませんからね」などとのたまう部下を無視して歩き出す。
「収穫はありましたか?」
「これだけだ」
後から追いかける部下にアニキは、赤髪から取り上げた袋を見せた。
袋に手を伸ばした部下の手が触れる前に、アニキは袋をポケットに締まった。
「意地悪しないで見せてくださいよー」
「ダメだ。テメェに触らせると碌なことにならねぇ」
落とすか、袋が破れて中身がなくなるか、袋ごと無くすかのどれかに決まっている。クスリの販売ルートの手がかりなのだ。簡単に失う訳にはいかない。
事務所に連絡する為、アニキはスマホを取り出した。
「あっ! アニキ、ようやくスマホに変えたんですね」
「ん? ああ。まあ、俺みたいなおっさんには使いこなせんがな。ジョギングの時に使うくらいだ」
「今度教えてあげますよ」
「余計なお世話だ」
アニキは適当に部下の相手をして、通話ボタンを押したのだった。
翌日アニキは後頭部を鈍器で強打された状態で発見された。
場所はアニキがいつもジョギングに使っている公園。ジャージ姿であった事からジョギング中に後ろから襲われたと思われる。
命に別状はないが、未だに意識は戻っていない。
○
同類とは同じ種類、同じたぐいのものを言い表す言葉である。
同じ種類といっても様々で、うどんとラーメンは麺の括りで同類といえるし、麺類の中にあってもカルボナーラとペペロンチーノはパスタという括りで同類となる。
ミステリにおける探偵にもハードボイルド、安楽椅子探偵、本格派、社会派など様々な種類が存在しジャンルによって分類されるらしい。だが、それらも結局は探偵という大きな括りで同類視される。
このように、大きな括りの前では多少の個性などないに等しい。だからこそ、大きな枠組みに囚われるのではなく、その中にある方向性の違いを大事にするべきでなのである。
何が言いたいかというと、名探偵とラブ探偵は別ものなのだから住み分けするべきなのだ。
早坂愛は益体もない思考で、現実からの逃避を図っていた。
しかし悲しいかな現実は今もそこにあり続けて、決して逃してはくれないのだ。
早坂は改めて目の前にいる二人の男女に目を向けた。
女の方はリボンの付いた鹿撃ち帽を、ふわふわとしたピンク髪の上に乗っけている。
男の方はひょろりとした長身が特徴的で、リボンの付いてない──つまりは普通の鹿撃ち帽を被っている。
二人の頭上にあるそれは、19世紀のイギリスにおいては名探偵の象徴であり、21世紀の秀知院学園においてはアホの象徴である。
それを恥ずかしげもなく被っている二人、藤原千花と讃岐光谷はアホという括りで同類にしても問題ないだろう。早坂は妙な思考に至った原因である二人に判決を下した。
「私ですよね早坂さん。いえ、答えは聞かなくても分かりますけど!」
「僕だよね早坂さん。いや、答えは聞かなくても分かるけど」
「じゃあ聞かないでほしー」
何しに来たのだろう、この二人。
内心の冷めた様子とは裏腹に、早坂の顔には笑顔が張り付いていた。引き攣った笑顔が。
新学期も始まって数日が経ったある日の昼休み。特に当てもなく廊下を歩いていると、唐突に現れたアホ2人。そして何の説明もなく藤原はこう言ったのだった。
「私と光谷くん、どっちが探偵に相応しいですか?」
意味が分からなかった。質問の意味がではなく、そんな問いを発するに至った経緯が。
取り敢えず、まだ話が通じそうな方のアホに早坂は目で訴えた。
どういう事態ですか?
「ああ、それはね──」
讃岐が語った内容は要約する必要もないくらい単純だった。
原因は覚えていないが、どちらが探偵らしいかで口論になったらしい。曰く「ラブ探偵ね……それってコスプレしてるだけだよね」「そっちこそ、探偵っぽい態度をとってるだけじゃないですか!」らしい。
2人とも自分の方が探偵であると言い張って譲らない。埒があかないので第三者に審査してもらう運びとなった。そこで審査員として、自分に白羽の矢が立ったのだった。実に迷惑な話である。
早坂は自分が審査員に選ばれた理由が何となく理解できた。
厄介なことに彼等はアホではあるが、バカではないし利口でもない。負けたくない勝負であれば、自分に有利な条件を整えた上で勝負を開始する人種なのである。
讃岐と藤原の思惑は同様で、共通の知り合いの内、自分を選ぶであろう人物を選んで審査員にした。それが早坂愛なのだった。
今もチラチラと期待を込めた2人の視線が早坂に突き刺さっていた。鬱陶しいことこの上ない。
「で、どっちですか?」
正直にいえばどんぐりの背比べ、目くそ鼻くそでしかないのだが。さて、どちらにするか。
悩んだ挙句「どっちもかな」と早坂は本音を隠してそう答えた。目くそか鼻くそを選べと言われたら、どちらも選びたくないのが本音だ。
「どっちもですか。それでは勝負がつきませんね」
むむむ、と唸っていた藤原だったが、ハッと顔を上げ笑顔になった。
「そういえばピッタリな問題がありました。解決するところを早坂さんに見てもらって勝敗を決めていただきましょう!」
「いい考えだね」
「勝手に決めるなし!」
こうなるなら適当にどっちか選べばよかった。早坂は後悔した。
「でも問題って?」
「ある人が悩んでいると聞いたので、その悩みを解決するというのはどうでしょう」
「なるほど。その人は誰なんだい?」
「それはお楽しみです」
藤原は可愛らしく片目をつむる。
「今からだと時間がないので、放課後はどうでしょう?」
「ああ、構わな──」
い、と続けようとした讃岐の襟首を早坂は引っ張った。ぐぇっ、と讃岐は潰れたカエルのような鳴き声を発した。
「ごめんね、書記ちゃん。放課後はウチとコイツ用事があって」
早坂は襟首を引っ張るのと逆の手で、申し訳なさそうに手刀を切った。
すると藤原は何かを悟ったように頰を染めた。
「そ、そうですよね。お2人は……」
みなまで言わずとも藤原が言わんとするところは分かっていた。というか分かっていたから利用したのだが。
早坂と讃岐は四宮かぐやの近侍である。その任務を遂行するため何かと連携を取る必要があるので、2人は一緒にいることが多かった。話題に飢えた獣達がそれを見逃す筈もなく、必然的にとある噂が生まれる。
早坂愛と讃岐光谷は付き合っている。
最初は厄介だと思ったのだが、これが意外と使える。
学生と近侍の2足のわらじを履くにあたって困るのが、友人からの遊びの誘いだ。今まではバイトと言って断っていたが、噂が流れ始めてからは「ちょっと今日は予定があって……」と思わせぶりな態度を取れば、勝手にデートかと納得してくれるのだ。
それに学校で2人になりやすいのは仕事上都合が良かった。
「まあ、私はとっくに気付いていましたけどね!」
藤原は得意げに指先を早坂に突きつけた。
とっくに、がどの時点か不明だが、実際は付き合っていないのでラブ探偵の推理は大外れだった。早坂は何も言わずに笑顔を持って応じる。
あくまで肯定もしないが否定もしない。そうすればそっちが勝手に勘違いしたと言い張れる。なにせ噂が一人歩きしただけで、讃岐とは恋人らしい行為など一切していないのだから。
そういう行為をしていれば、いくら否定しなかったところで意味がない。だからこそ以前紀かれんに誤解された時、もうこの手は使えないかと諦めていた。しかし幸いにも、かれんはあの日の出来事を吹聴したりはしなかったようだ。
「では明日の放課後はどうですか?」
「明日なら大丈夫かな」
予定を取り付けると藤原は「そういえば、まだご飯食べてなかったんでした!」と慌ただしく走り去ってしまった。
藤原の後姿に笑顔で手を振った後、氷のような無表情になって襟首を掴んだ腕をぐいぐい引いた。
「貴方の脳味噌は今朝言った事も憶えていられないんですか? 無駄なものばかり詰めてないで、少しは必要なものを詰めてはいかがでしょう」
襟首が解放されると讃岐は首を手でさすった。
「ちゃんと憶えていたよ。嘘じゃない本当さ。屋敷に帰って掃除と洗濯、庭の手入れ、その他諸々。労働基準法を鼻で笑うスケジュールはしっかりと僕の頭に叩き込まれている。ただ何というか……売り言葉に買い言葉で咄嗟に口から出たんだ」
「脊髄の反射で会話をしないでください」
冷たい視線を注ぐ早坂をまじまじと見返して讃岐は首を傾げた。
「おや? いいのかい、ギャルモードを辞めて」
「周囲の人も少ないですし問題ないでしょう」
「それは残念、僕はアレ嫌いじゃないんだけどね。面白くて」
「……馬鹿にしてるんですか?」
「褒めてるんだよ」
どこがだ。
教室への帰り道、思い出したように讃岐が聞いた。
「そういえば実際のところ、どっちが探偵っぽかった?」
「聞かなくても分かるんでしょう」
「まあそう言わずに」
「そんなの当然……」
言いかけて早坂は口を止めた。開いたままの口をどうしようかと考え、 ──ため息を吐いた。
「いつまでもどうでも良いことに拘らないでください」
「どうでも良くないんだけどなぁ」
讃岐は肩をすくめた。
早坂はまたしても本音を隠した。本音を言えば、この男が調子に乗るのは目に見えていたからだ。
○
「準備はいいですか?」
聞いたくせに返事を聞かずに藤原はドアノブに手をかける。讃岐がその手を上から押さえて止める。
「いや待ってよ。藤原さん、この扉が何処に繋がってるか分かってる?」
「屋上ですよ」
約束通り次の日の放課後、早坂、讃岐、藤原の3人は屋上に、厳密には屋上の扉の前にいた。
放課後の屋上は天文部が使っているので、鍵がなくても入れる。
「天文部は1人だけ。つまり君の言う、悩んでいる生徒は彼女しかいない」
「そうですよ。早く行きましょう」
扉を押し開けようとする藤原。だが扉はびくともしなかった。答えは簡単、扉が開かないよう讃岐がドアノブを引いていたからだ。
「確認するけど、これって探偵っぽさを競う勝負だよね」
「はい、そうです」
「だったら人選間違ってるよ。彼女の悩みを聞いたって殺し屋っぽさしか競えないよ」
「心配いりません。私が聞いた限り、悩みは恋の悩みです」
これ以上ないくらい怪訝そうな顔をする讃岐。恐らく自分もそんな感じだろう。彼女がその手の話とは無縁に思われたからだ。
早坂は藤原に尋ねる。
「聞いたって誰から? 本人じゃないよね」
「エリカさんから聞きました!」
「ピンポイントで最も信用できない情報源を引いたね」
巨瀬エリカは筋金入りの恋愛音痴である。そのエリカが恋の悩みと言うのならば、きっと彼女の悩みは色恋沙汰ではないのだろう。
「僕は反対だね。うっかり指を詰める、なんて事態になったら目も当てられない」
「心配しすぎですよ〜」
藤原が押し、讃岐が引く。ガチャガチャガチャガチャ、攻防を繰り広げていると扉のすりガラスに人影が映った。
人影が扉を引いたのだろう。拮抗は崩れて扉が開く。
「うわっ!」
「うひゃあ!」
突然扉が開いたことで、讃岐と藤原が外に投げ出され顔から地面に倒れる。屋上側のドアノブを握った人物が不機嫌そうに見下ろす。
整った顔立ちに、凛々しく釣り上がった目。頭にはトレードマークのニット帽。
「ガチャガチャうるせえと思ったら……」
讃岐は倒れた状態のまま顔だけ上げた。
「やあ、
龍珠
「奇遇もクソもあるか。放課後に屋上使うのは天文部だけだぞ。お前ら何しに来たんだ?」
倒れていた藤原が勢いよく立ち上がった。制服を叩いて埃を落とすと、
「貴女は今悩んでいますね!」
「悩み? ……なくはねぇな」
「それは恋の悩みですね?」
「違う」
一切迷いなく否定され固まる藤原。
「恥ずかしがる事はありません。誰にも言いませんから!」
「ないもんはない。あいつと一緒にすんな」
いつの間にか立ち上がっていた讃岐は、ここぞとばかりに得意げに割って入った。
「藤原さん、だから言っただろう。龍珠さんがロマンス溢れる悩みを抱える訳がない」
「ブッ殺すぞ」
「やっぱり悩みってのはあれだよね? 誰を
「今悩みが増えたな。お前を
龍珠は突き刺さすような眼差しで讃岐を睨んだ。しかし一転して表情を変え口角を上げた。
「そんなに聞きたいなら話してやるよ。私の悩み」
「遠慮しておくよ」
「黙って聞け」
こうして龍珠はとある暴力団員が襲われた一件を語った。
○
「是非とも協力したいのですが、私は生徒会の仕事が残っていますのでこれで……」
話が終わった途端、藤原は青い顔で颯爽と屋上から退出した。物騒な話しだとは思わなかったのだろう。聞かれて都合の悪い部分は伏せたとはいえ、一般人には刺激が強すぎたようだ。秀知院に通う生徒を一般人と呼ぶかは知らないが。
龍珠としては藤原はどっちでもいい。重要なのは目の前の男だ。
「いいの? あれ」
「見逃してあげなよ。恋愛相談のつもりが、まさか社会の暗部を覗くとは思わなかったんだ」
早坂が半眼で問いかけると、讃岐は肩をすくめた。既に興味が事件に移っているのが分かる。狙い通り、讃岐は興味津々といった体で餌に食い付いた。
「ことがことだけに警察には頼れねぇ。一応言っとくが、他言はするなよ」
「善良な一般市民ってわけでもないし、僕は構わないけど……」
讃岐は言葉を切ると横目を隣の早坂に向ける。「私も言わないよ」と早坂も笑顔で答えた。
「アニキを襲った容疑者は絞れているのかな?」
「アニキ?」
「被害者はアニキだろう?」
「アニキは名前じゃねえよ。あー、そうだな。田中だ、田中」
「適当だね」
仮にも暴力団員。善良でなくとも、一般市民相手に本名は明かさない。
「容疑者は公園にいたチンピラ3人だ」
「ん?」讃岐が疑問の声を上げた。
「確かに一悶着あったみたいだけど、それだけで街のチンピラが暴力団員を襲うかな?」
「事件前夜の出来事だけが理由じゃない。田中の家が荒らされていて、チンピラから奪った粉の入った袋がなくなってた」
「チンピラが袋を取り返す為に被害者を襲撃した?」
「そう考えてる。悩ましいのはここからだ。田中が襲われたと思われる時間──普段ジョギングに出る時間のチンピラ3人の行動を調査した結果、全員にアリバイがあった。これがどうやっても崩せねぇ」
「へえ」讃岐は興味深そうに先を促した。「というと?」
「簡単な話だ。夜公園を出てから、近くのファミレスにずっと朝までいたんだとよ」
ファミレスのウェイトレスに確認を取ったので間違いない。
「トイレに行ったりして席を外したのも5分から10分程度。田中が殴られた公園までは車でも片道10分はかかる。田中の家なら片道5分で往復可能だけどな」
徒歩や自転車は論外。バイクであっても往復10分で戻るのは不可能。どうやっても10分で公園とファミレスを往復できず、龍珠組の捜査は暗礁に乗り上げたのだった。
「家が荒らされていたらしいけど、袋以外に盗まれた物はないのかな?」
「ない……いや、待てよ。家じゃなく田中本人からだと思うが、スマホが盗まれてた」
「ジョギング中に落とした可能性は?」
「それはない。スマホは既に公園の噴水で見つかってる。ぶっ壊された状態でな。中のデータも破損していた」
「スマホね。他に持ち物はあったのかな?」
「いや、スマホだけだ」
「スマホね」と再度呟いて讃岐は顎に手を添えた。目は次第に焦点を失い、無意味に前方へ向けられていた。そのまま眠ってしまうのではないかと心配になる。
早坂は慣れた様子で静観していた。
黙考開始から数十秒後、讃岐の瞳に光が戻った。
「念の為聞いておきたいんだけど、田中さんは独り身なんだよね?」
「はぁ?」
何だその質問は。
「僕が知りたいのは同居人の有無だよ」
「同居人は居ねえけど、だったら何なんだよ?」
讃岐は不敵に口角を上げるとこう言った。
「だったら、犯人が分かるのさ!」
相変わらず鼻に付く芝居がかった態度だ。それが様になっているがまたムカつく。
「勿体ぶらずにさっさと教えろ」
「焦らないでよ。僕だって好きで勿体ぶってるんじゃないんだ。今犯人を挙げたところで、君達は理解できないだろう。理解を完璧なものにするには説明の順番が大切なんだ」
「もっともらしい理屈並べてるけど、君はただ推理ショーがやりたいだけだよねー」
「否定はしないよ」
龍珠と早坂は呆れた視線を讃岐に注いだが、特に異論は挟まなかった。
「この事件には不自然な点が多くある。1つ目は家に侵入したにも関わらず、目的の袋しか盗まなかった点だ」
「目的の物を手に入れたなら、さっさと立ち去った方がいいだろ」
「そうかな? 目的の物だけを盗むより、金品も一緒に盗んだ方が空き巣の仕業に見せかけられるし、目的を隠すカムフラージュにもなる」
讃岐の言う事にも一理ある。チンピラ達なら袋だけ盗めば、真っ先に疑われるのは自分だと分かる筈だ。
「2つ目は犯人の狙いがよく分からない点」
「田中さんの襲撃と袋の回収。狙いは明確じゃない?」
疑問を呈した早坂に龍珠は頷いて同意した。
讃岐はゆるゆると左右に首を振って否定する。
「犯人の狙いが早坂さんの言った通りだと仮定する。その場合疑問なのは、何故、犯行現場を家と公園に分けたのかだ。わざわざ公園に出向くのを待たずとも、家から出て来たところを待ち伏せすればいい」
「襲撃した後、住所が分かったからだろ」
即座に龍珠が反論するが、讃岐は余裕を持って答えた。
「残念ながら、被害者の持ち物はスマホだけ。身元が分かる物は所持していなかった。犯人は最初から被害者の住所を把握していたんだよ。犯行現場を分けた理由は不明。かといって、どちらか一方が目的で不測の事態が起こり、両方行った可能性も低い。何故なら、回収が目的ならジョギングに行っていた被害者と出会わなかっただろうし、襲撃が目的なら事前に住所を調べる必要がないから家には辿り着かない」
龍珠の頭の中で複数の糸が複雑に絡み合った。
早坂が「犯人の目的が3つの内のどれか分からないけど、行動が矛盾してるってこと?」と要約したので要点は理解できた。
こいつら手慣れてるな。2人のやり取りを見た感想だった。そういえば、彼等は付き合っていると耳にした事がある。類が友を呼んだのか。
「龍珠さん、どうかしたのかい?」
「何でもねぇよ。次の疑問点は?」
龍珠はひらひらと手を振って話を進めた。
「3つ目は説明の必要もないけど、スマホが壊されていた点。犯行目的から考えてもスマホを壊す必要性は感じない」
3つ目の疑問をあっさり終わらせた讃岐は、最後にと、メインディッシュを差し出す料理人のように、事件において最大の謎を提示した。
「4つ目は犯行時刻と思われる時間、容疑者全員にアリバイがあった点だ」
厳密には短い時間ならアリバイはあるので、そこにトリックがあるのではないかと疑っていた。
「容疑者が席を外した時間はそれぞれ10分程度。どの移動方法を使っても公園とファミレスを往復できない。で合ってるかな? 龍珠さん」
「ああ、法定速度を無視したって無理だ」
龍珠は法律違反を堂々と断言した。尤も今から犯罪を犯そうとする人間が、本番の前に捕まるような計画を立てるとも思えないが。
「だとすれば答えは1つ」
龍珠は迷いなく紡がれる言葉の続きを息を飲んで待った。讃岐の隣で推理を聞いていた早坂は変わらず無表情だったが、続きが気になっているのは明らかだった。
「袋の回収と被害者の襲撃はそれぞれ被害者宅と公園で行われたのではなく、被害者宅でのみ行われていたんだよ」
讃岐が言い放ってから数秒の後、口を開いたのは早坂だった。
「被害者宅での犯行の後、被害者を公園に移動させたから犯行現場が2つになった……」
被害者を公園に移動させるのは後でもいいから、ファミレスから出た後でも──そこまで考えて龍珠は眉間に皺を寄せた。
「待て。公園で田中が発見された時間にも、チンピラ達はファミレスに居たんだぞ。襲撃はできるだろうけど、公園まで運ぶ時間がないなら結局アリバイは崩せない」
致命的な点を突かれても、讃岐は涼しい顔のままだった。
「君の言う通りだよ。これらの推論から導き出されるのは、チンピラ達に犯行が不可能だったという事実さ」
「はあ!? それじゃあ誰がやったんだよ!」
讃岐は詰め寄った龍珠を、まあまあと、両手で押すようにして制した。
「般若みたいな顔したら、難題女子から外れてしまうよ」
「誰が般若だ。それより、ここまで聞かせておいて、犯人は通り魔でしたとか言う気じゃないだろうな?」
「そんな消化不良なオチにするつもりはないよ。言っただろう? 犯人が分かるって」
龍珠が落ち着いて引き下がったのを確認してから、讃岐は流れるような口調で推理を再開した。
「さて、これまでの推理を踏まえて、最初に挙げた4つの疑問点にもう一度目を向けてみよう」
龍珠は4つの疑問を頭の中で整理した。
1つ目は疑われる可能性が高くなるにも関わらず、袋しか盗まなかったこと。
2つ目は犯人の目的と行動がちぐはくなこと。
3つ目はスマホが壊されていたこと。
4つ目はチンピラ達の犯行は不可能なこと。
「龍珠さん、1つ目の疑問にはどういう説明が付くかな?」
「他に犯人がいるなら、チンピラ共に疑いを向けたかったんだろ」
「そう考えるのが論理的だね。補足すると犯人はチンピラ達が疑われやすいと分かっていた。夜の公園での出来事を知っていた人物になる」
頷いて、讃岐は指を2本立てた。
「2つ目はどうかな? 早坂さん」
「回収と襲撃が被害者宅で行われたんなら、行動に矛盾はないよね。被害者を公園に移動させた理由が分かんないけどー」
「疑問については、被害者がスマホしか所持していなかった事から、説明ができる。ジョギングした後に欲しくなる物といったら何だろう?」
「飲み物だろ」龍珠が答える。
「僕も同意見だよ。でも被害者の持ち物はスマホしかなかった。これじゃあ飲み物も買えない。電子マネーという手もあるけど、被害者はスマホ初心者で使いこなせていなかった」
飲み物はともかくとして、不測の事態に備えて財布くらい持つのが一般的ではある。
「犯人は被害者を殴った後、ジョギング中に襲われたと誤認させる為ジャージに着替えさせた。だから持ち物が何もないんだ。スマホを持っていた風には見せかけていたけど、他の物にまで頭が回らなかったみたいだね」
残る疑問点は2つ。龍珠は複雑に絡まり合った糸が、徐々に解けていく感覚を憶えていた。
「被害者は移動させられていたという推理を補強するのが、3つ目の疑問点。スマホが壊されていたのは、スマホに見られたくないデータが入っていたからだと考えられる。ではそのデータとは?」
問いかけるように言葉が投げかけられた。龍珠と早坂は答えられずに首を捻った。
讃岐はポケットからスマホを取り出すと、アプリを起動して龍珠達に画面を見せた。
「ジョギングでよく使われる物は万歩計だけど、スマホにも万歩計アプリがある」
画面を龍珠達の方に向けたまま操作して、ある画面に辿り着く。画面を見た龍珠は目を見開いた。
「アプリには便利な機能があってね。時間帯別に歩いた歩数が記録される。犯人はこれを見られたくなかったんだ。ジョギングしている筈の時間に歩数が記録されていなかったら、襲ったのがジョギングの最中ではないと分かるからね」
最後に、と讃岐は4本目の指を立てた。
「4つ目は……といっても、さっき説明した内容と変わる点は、チンピラが犯人ではないところだけ。これで犯人の条件は出揃ったね。夜の公園での出来事と被害者宅の住所、被害者がジョギングを日課にしていて、スマホのアプリを使っているのを知っている人物」
チンピラは住所を知らなかった可能性が高い。仮に知っていたとしても、田中がジョギングを日課としている事まで把握しているとは考えられない。
龍珠の脳内で段々と犯人の姿が輪郭を帯びてきた。
「…………」
「非常に言いづらいんだけど」と前置きしながらも、讃岐は軽やかな口調で冷静に犯人を指摘した。
「犯人は田中さんの部下だよ」
○
早坂は階段を登っていた。
あの後事件がどうなったのかは知らないし、知る気もない。自ら深淵を覗き見る趣味はなかった。
犯行の動機は何だったのだろうか? 気になって讃岐に問うと、興味がなさそうに投げやりな態度で答えた。
『公園での一件で、部下はチンピラの前に姿を見せずに後から現れただろう。袋を秘密裏に売っていたのが彼で、チンピラから取り上げた袋に自分へと繋がる何かがあったから、とかじゃない? 想像でしかないけど』
なるほど、と納得できる理由であった。
階段を登り終えると目の前に扉が現れる。数日前も訪れた屋上の扉である。ただし、今日は讃岐や藤原はおらず早坂1人だった。
扉の先にはやはり昨日と同じように、龍珠が寝袋の上で寝そべってスマホでゲームをしていた。扉が開いた音で顔だけを上げた。
「また何か用か?」
「今日は龍珠さんに個人的に聞きたい事があってー。彼の事なんだけど」
「彼……ああ、讃岐か。お前ら付き合ってるんだろ。本人に聞けよ」
龍珠は首を傾げてから、思い出したように言った。
「いやー、昔の話したがらないんだよね……」
「それでも知りたいって? お熱いこって」
その勘違いは少し気恥ずかしいが、そういう役所を演じているのだから仕方ないと割り切るしかない。
実際は未だに謎の多い讃岐光谷を調査しているだけなのだが、正直に言える筈もない。
「だけど何で私なんだ? 白銀とか他にいるだろ」
「昔の事だからねー。それに彼は自分の能力が他者に知られるのを避けてるみたいだし」
理由は定かではありませんが。早坂は心の中で付け加えた。その行動は寧ろ積極的にひけらかしそうな讃岐の性格と付合しない。
「龍珠さんが事件について話したのは、彼の推理能力について知っていたからでしょ? でもあのレベルの事件って、ちょっと頭が良いくらいの人に言う内容じゃないよね。だから以前から知り合いで、何度か謎解きをする場面に遭遇してるんじゃないかと思ったんだよねー」
龍珠は珍獣でも見たかのように、パチパチと目を瞬かせた。
いや、気持ちは分かる。普段から知性の感じられない言動をするギャルが、急にベラベラ推論を述べたのだ。驚くなという方が無理だろう。
「それで私か…………讃岐には事件の借りもあるし、どうすっかな」
龍珠は内心の葛藤を表すように、面倒くさげに頭をかいた。情報提供は期待できないかと諦めかけた時、龍珠が口を開いた。
「最初に言っとくが私は秀知院に讃岐が転校して来るまで、一切の関わりはない。だから殆ど言える事はない、ってか1つだけだ。それでも良いなら聞け」
「聞く聞くー」
「私が讃岐の推理能力について知ってるのは。あのクソ……人から聞いたからだ」
「それって誰?」
「そこまでは言えねぇな。自分で探してみろ」
「ふぅん、まぁいっか。ありがとう、龍珠さん」
役目は終わったとばかりに、寝袋の上でうつ伏せになりスマホに目を落とした。
「まあ、せいぜい頑張れ。知ってどうするつもりか知らねぇけど」
屋上を出た早坂の胸に、龍珠の最後の言葉が引っかかっていた。
どうするつもりなのだろうか?
早坂は自問する。もしも、讃岐光谷が四宮かぐやに害をなす存在だったとしたら、その時は……。
主人の敵をどうするかなど、分かりきっている。だが今の早坂にはその言葉が出て来なかった。
スマホの振動で我に返った。どうやら適当に校内を歩き回ってしまったようだ。
スマホの画面にはこの2年間飽きる程見た名前。電話に出るとやはり、聞き飽きた声が耳に届いた。
『やあ、早坂さん。今どこにいるんだい? サボりは良くないよ、サボりは』
普段の自分の行いを棚に上げて、讃岐は声に不満そうな色を滲ませていた。
「その言葉、普段の貴方にそっくりそのまま返します」
『僕は信頼して仕事を任せているんだよ。君は僕の代わりが出来るからね。でも僕は君の仕事が出来ないんだ。能力が足りないからね。だから早く来てよ』
「よく堂々と言えますね」
いつも交わされるくだらない会話だったが、話している内に頭を悩ませているのが馬鹿馬鹿しくなって、鬱屈した気分はいつの間にか綺麗に霧散していた。