「パルス」
籠手の指先が浸かった川に微弱な雷が走り、狙われた魚が痙攣する。ドーラは川に格子を作る竹に引っかかった獲物を取り上げ、手慣れた様子で捌いて、干し野菜やキノコの入った煮立った釜へ入れる。
(じゃあ俺が会ってきた人達はデータでもなければ、出目に任せたキャラクターでもない。ちゃんと命がある。もし、俺が途中で帰れば誰もかれもが死ぬのか)
踊る炎に村人やサバトが浮かんで消え、ドーラに意識を移す。彼女はまた泡立ってきた釜から杓子で灰汁を取り除き、ピンク色の岩塩で味をシメる。
(じゃあ俺はなんだろう? 精神は俺だ、間違いない。でも体はそうじゃない、データ上有っただったものになぜか俺が入っているだけだ。この強さも力も所詮キャラクターのものだ。今の俺はただの部外者、外来種……)
閃光の様に全てがつながり希望の光が見え始めた。
(だからコーヤもプレイヤーか! 人は在来種を守るために外来種を迫害してきた。だからその意志に呼び寄せられた。 帰れる! この問題さえ解決すれば帰れるぞ!)
「ほら、できたぞ」
「……ありがとう」(食えるのか?)
興奮冷めない内に深底のコップに満ちた白身魚のスープが差し出され、タウスはしばし持ち尽くして浴びるように口に流し込んだ。
(やっぱり感覚が無い)
「どうだ? うまかったか?」
フォークで身を取り分けたドーラの目にはある種の確信を目に宿していた。
「おいしかった」
「そっか、そっかぁ」
確かめるような繰り返す声が、返事が正解だったとタウスに告げた。それもわずか、ドーラはタウスを見ると不満を匂わせた。
「なんで昨日は私を抱かなかったんだよ。結構傷ついたんだぞ、私だって魅力があったと思ったのに」
あっけらかんとしてドーラはシャツの胸元を引っ張った。
(それ、即死コンボのおまけがもれなく付いてる
それが意味が無いと見るや彼女は急に真面目な表情を作った。
「なあ、シロテノイアを救ってくれるんだよな」
「できるかぎりの支援はする、だけど戦わない。俺はこの世界の創造主でもなければあなた達の神でもないからだ。それに、コーヤを倒したら信者になるだろ?」
「私はなるよ。他のソーサーはわからないけど」
「そうやって皆、人生持ち崩してきたんだ。未来を捨て、考えるのをやめて、幸せに見切りをつけて、どうなっても仕方がないと諦める。そうなって欲しくないから、神は姿を消したのに」
ドーラの唇は震え、頬には涙の川が流れた。
「あたしはそう望んでる! ……親を待ってる子どもの気持ちってわかる? 待っても無駄だって知ってるのに、だけど心はただいまを待ってる。コーヤと戦ってる最中だって神様に祈った、明日になったら神様が帰ってきて助けてくれますように、親が家で待っててくれますようにって、帰りを心配してくれてますようにって。だけど神様は見捨てて行った、私達なんて取るに足らないものだったんだ! なのに愛して欲しいって思っちゃいけないの、疲れたから休んじゃいけないの、見捨てないでって願っちゃダメなの!? 私の心を慰めてよ!」
(俺にもこんなの受け止めきれないよ、親が待ってるんだもん)
激情に任せた彼女の言葉はタウスに深く刺さって悩ませた。思いつくあらゆる言葉は薄く、とても心を受け止めるには足りなかった。
できるのはハンカチを渡して、ただ一緒にいることだけだった。
「もう元気出すからな」
「あぁ、うん」
ドーラは笑顔を向けるが、タウスは初めて見る痛々しい笑顔に気が沈む。
(無理しなくてもいいんだと、言いたいけど)
片づけの間、そう口にできれば良かった。
ワルプルギスと合流し青と白に移ろいゆく絨毯を南へ、果てしなく空を移動して穏やかな海を見下ろす。
「これが終末現象ですわ」
マウアが指さす世界の隅にできた空堀には、太陽が差して明るくなった海溝が露出していた。いかに自分たちが小さいかが教えてくれる生き物が命を謳歌しているその異常は氷山の一角、さらに下で待ち構える渦と比較すれば取るに足らないものだった。
(ゲームによくある限界点、か。でもこれは現実だろ、宇宙の4次元論とか?)
終着地点である緑の縁取りに押し寄せた黄色の海は、道半ばで立ちはだかる地上の緑の蜃気楼に触れ、その先から蒸発し引きずり込まれていった。
「どう見える?」
「出会いを分かつようにあちらの海と、こちらの海の間に、空が居座っております。フォールが無ければ世界は端々で繋がり、今よりもっと広かったのです」
彼女が投げた石は放物線は描ききる前に砂埃へ変わり下へ引きずり込まれ、見えない境界線が露わにする。
(なぜ確かめたのだろう、同じものが見えている筈なのに。ひょっとしてデウス様には別のものが見えているか)
脇で聞いていたレイド・シアン・ミーズはやりとりに疑問を抱いた。
「こうなってはコーヤといえど、助かりません」
(痛し痒しか。とはいえ優先順位はこちら上)「さっさと埋めてしまいたい」
サバト達は顔を見合わせた。
(これをどうにかできてしまえるという事か。180年手取っている、これを)
(解決できるのならばもはや認めるしかない。が、到底できるようなものではない)
(まるで雑草でも引き抜くような物言いだ。万が一にもできたら、ワルプルギスの時代は終わるな)
(しかしどちらにせよ、我々にはどうすることもできないのが現実だ)
散々思惑があったものの、マウアのお言葉に落ち着いた。
「ワルプルギスはお願いする立場です、反対できません」
「じゃあ始める」
世界の隅々にモザイクの天蓋が付けられ、溝へモザイクが垂れ流されていく。
(!)
(魔法も科学も、この崖を超えられるものは無かった! 全てのものは渦に呑み込まれていったというに)
(崖より先は無、魔力も無しに物を作り出したとなれば、無から有を創り出しているという事になる。これは本当に
突貫工事で防波堤ができ、反対方角に繋がる境界線を上ったモザイクが世界を仕切る壁となった。投げ込まれた石は出鱈目に転がり海との出会い頭で日差しを楽しんだ。
「たいしたもんだ。オレ達の出番がない」
「どうしようもできなかった終末をこうもあっさり」
発言できたのはニムパスとマウアのみ、他はまだ信じられない様に壁を見つめていた。
「これで時間稼ぎにはなる。すぐにワルプルギスに戻りたい、コーヤについて聞きたい」
困惑、称賛、扱い方、議場にとって返したサバト達は落ち着きを無くし、それを止めるマウアさえ渦中に飲み込まれ、首を右へ左へ忙しなく振った。
混迷を極めた雑談は槌の打撃によって取り払われ、ようやく話し合いらしさを取り戻し、忌々しそうな声が口火を切った。
「我々が直接存じているのはコーヤと取り巻きの4体だけです。部下とおぼしき72体は祖父祖母と親が命がけで退治しております。コーヤはどのように見ても人の男性でした。とても強く、魔力を消耗していないような素振りで魔法を行使し、ドラゴンでさえ狩っていました」
「それにハーレムを築きあげておった。4人は黒い翼、絢爛な服を着て、72人は角に羽、尻尾を生やして、あまり闘うという指向の服装ではなかった。パーティーに行くような恰好で戦っておったのじゃ」
(つまり廃課金プレイヤーか。じゃあ課金アイテムの差を無くしてやれば勝利は見えてくるわけか) 「なにかいつも使っていたものとかって覚えているか?」
「あー、そうだな。剣を振り回してたぜ。割と大きいのに片手で軽そうに振るってた」
ここらへん、とニムパスが示した高さは床から掌まで2mほど。
「これが強くてよ、炎が出たり氷が出たり、棘っていうか槍っていうかが出て厄介だったな。他にもあったぜ」
「あたりが地獄と化す。大地はマグマ、空は灼熱の金属、川は肥溜、雨は毒、空気は氷、風は刃となって我々を苦しめたのだ。あれは非常につらかった、魔法が無ければ死んでいた」
「だというのに、コーヤはその中心で平然と次々と子を生み出し、それが殺されていくのを気にしてなどいませんでした」
「奴こそ悪魔そのもの!」
サバトは散々憤りを口にし、感情を止める者が居ないのでいっそう強くなった。
(地獄と悪魔、それに人間、元のゲームは天界と魔界の戦いがテーマか? でもそいつもPvPだと勘違いしたまま始めちゃって、気が付いた時には止められなかったんだろうな。コーヤだっけ、なにが原因で呼び出されたんだ? 考えるべきはそこじゃないな。どうやって彼女らを勝たせるかだ。訓練ができて、死んでも平気、課金アイテムと同様でこの世界に無い強いアイテムが自然と転がっている環境、そんな都合のいい物が……)
一斉に大人しくなるのと、タウスが答えを見つけるのは同時だった。
「ダンジョンを造ろう。ダンジョンというのは遺跡とか大きな建物で、入るとモンスターとかトラップなんかの試練が待ち構えているけど、最後にはお宝が待っている。そんな危険と魅力が渾然したものなんだ!」
「その考えには賛成です。ですがそれを設置するための場所がもはやありません。それにK.M.Aは人が取られれば田舎は食糧生産に困ってしまいます」
「それにP.G.SやJ.T.Dと競争になる。もしも先を越されるとなると勇者どころかK.M.Aの立場が無い。コーヤに止めを刺すのはあくまでK.M.A出身者でなければ」
生産性に欠いた言い合いの出鼻をシアンが挫く。
「たしかにそれも一理あるわ。でも、嫌われるのが怖い、プライドを傷つけられるのが怖い、努力が無駄になるの怖い、だからってどうするの? 260年前の様に戦い始め、190年前の様に先祖を失い、170年前の様に親を失って戦い始めた私達の様に、今の私達は戦い始めるの? なら封印されたあの日、コーヤは私達に勝ったわ、永遠にね」
あまりにも冷徹な言葉に屈服する様は、暗に昨夕のドーラの言葉を全肯定していた。
(たしかになぁ。ゲームだったから都合の悪い事は起きなかったけど、実際に侵略されてると夢物語なのかも。俺が北に行って直接手を下した方が早いだろうけど……、こいつの前じゃゲームマスターもアーカーシャも課金さえまるで意味無いし。でもそれじゃなあ、俺は帰るんだし、もっと別の方法で解決しないと)
「私達はどうすればいいでしょう?」
「考える」(何をするにも問題はもっと複雑みたいだ)
すがる様な目に背を向け、タウスは最初の村にモザイクを繋いだ。
守りの中に現れたタウスに女性達は驚き、悲鳴を聞きつけてやってきたリブエナに彼女達は謝った。
「どうかなさいましたか?」
「村人の、……村の人数について知りたい。これも違うな」
「ライアルを連れてまいります。その方がきっと答えられますから」
事態を察して呼びに出かけ、畑からライアルを連れて帰ってきた。
1日ぶりに会う老人は椅子に腰かけ、背負った赤ん坊を傍のロッキングチェアに寝かせた。
「もし人が欲しいと言ったら、村はどうなります?」
「……畑から、立ち行かなくなるでしょうね、次に村そのものが。若い人手が、必要なのでしょう?」
「はい」
赤ん坊が泣き始め、ライアルは椅子を傾けてあやし始めた。
「何のために?」
「コーヤを倒すために」
彼は手を止めると硬く目を瞑って皺の寄った目から涙を流し、赤ん坊は無邪気に手を伸ばす。
「畑仕事というのは辛いものです。日に焼かれ、腰は曲がり、肥料は臭く、虫と蛇とに噛まれ、手を切り、自然に振り回され、人に悩まされる。そしてなによりつまらない。楽しい時は結婚と出産と祭りの時だけ、収穫時期には税が待っております。行商が来れば外の話にあこがれ、大きくなったら町に行って、などのくだりは子供の時から口癖。ここからは抜け出せないと、友を見送ってようやく諦めがつく、それが大人に成るというもの。そんな若者を外に出せば、わかるでしょう?」
手が震えた。
(これは説得が難しいか)
息子の傷つけられた死体の重さが思い出された、首が座らない我が子を見て、自分が代わりになれたらどれだけよかったかと悔しさが蘇ってきた。
「町の灯りはすぐに故郷を忘れさせるでしょう。楽を覚えた者達に畑仕事を続きません」
火葬で残った骨の軽さが思い出された、自分が初めて抱えた時よりは重かったが、壺に納まってしまうほど小さく脆く、死んでしまったのだと実感させられた。
「ですがどうか連れて行ってやってください。言い訳ならいくらでもあります! しかし暑い寒いと言い訳すれば、畑は畑でなくなる。全てはコーヤに止めを刺すため、子の孫の、未来を守るため。そう言えば、親はもはや黙って見送るでしょう。でもこれだけはお約束を、例え死んでいても必ず会わせる、絶対に守ってください。家族は帰って来るのを待っております」
荒廃していく故郷が見えた。引き継いでから数十年、守り続けた村が山に飲み込まれていくのが見えた。
「わかりました」
それでも滲む命の未来まで、コーヤに奪わせるにはいかなかった。