4月1日、暖かな陽気に包まれ春の香りが辺りを漂う。
桜が至るところで咲き誇り、その隙間から差し込む陽光は優しく周囲を包み込む。
桜の花びらが風に乗り、雪のように辺りを舞う。
そんな桜に包まれた公園にて、一組の男女がレジャーシートの上に座っていた。
「で、なんで俺たちはここにいるんですかね」
「膝枕のためやで」
「そこは嘘でも花見のためって言いましょうよ」
前言撤回、レジャーシートに正座している男の膝に、少女が頭を乗せている。
いわゆる膝枕という状態だ。
この少女の名前は
千里山高校麻雀部、女子チームのエースである。
これといった特徴のないごく一般的な少女ではあるが、その容姿自体は非常に整っており、非常にかわいらしい見た目をしている。
そんな美少女を膝枕している羨ましい状況にある男、
「部活はいいんですか。今日は部活、休みじゃなかったはずですが?」
「ならタクも共犯やな」
「そういうことじゃないんですよねぇ」
部活について言及しても悪びれる様子もなく答える怜。これには苦笑いを浮かべるしかなかった。
「そういえば何度も言うてるけど、私には敬語使わんでええよ」
「勘弁してくださいよ。同じ部活の三年生、それも女子チームのエースに対してタメ口なんかで話してたら、俺がみんなから袋叩きにあいますよ」
怜の申し出をやんわりと断る辰玖に、怜は少しむくれながら反論した。
「それを言うたらタクやって男子チームのエースやん」
「学年が違うんですよ。二年生は三年生に対して敬語。これは不文律じゃないですか」
取りつく島もない返答に、怜はいっそう頬を膨らませる。
だが話はまだ終わってないとばかりに、辰玖は言葉を続けた。
「まったく……この時期は新入生とかも入ってきますし、部活見学に来たのにエースの園城寺怜がいない、なんて新入生からしたら拍子抜けですよ」
「その言葉、ブーメランなん気づいてないん?」
「俺は自分の意志でここにいるわけじゃないので」
そもそも部内で男子、女子それぞれのエースであるこの二人が、4月初旬の部員争奪合戦でクソ忙しいこの時期に公園で日向ぼっこなんかをしているのかというと、怜が無理やり辰玖を引っ張っていったからである。
この点を考慮すると、どちらかというと怜に非があるといえなくもないだろう。
まあ残された他の部員たちからすると、どっちも罪深さは変わらないのかもしれないが。
「まあ、いいんですけどね。先輩が突拍子もないことを言いだすのはいつものことですし」
「失敬やな。私が無茶振りするんはタクだけやで」
「できれば俺にもやめてほしいんですけどね」
「お断りやな」
そこで一旦、二人の会話が途切れた。
心地よい沈黙。
実は辰玖もこういう時間が嫌いではなかった。
怜には振り回されることも多いけれど、なんだかんだで一緒にいる時間が長いのは、穏やかな時間を好む辰玖とわりとのんびりした性格との怜の相性が良いからなのかもしれない。
「なぁタク」
「なんですか?」
「桜、きれいやなぁ」
「せめて見てから言ってください」
辰玖の膝の上で目を瞑ったまま怜がこぼした一言に、辰玖もまたいつもの調子でツッコミを入れる。
これが園城寺怜と壱之瀬辰玖の日常である。
※
「……で、二人は昨日、部活をサボっていったい何をしてたん?」
麻雀部のエースが二人揃って部活を休んだその翌日、昼休みに裏庭の一角にてサラサラの黒髪を腰の辺りまで伸ばした少女が目を細めて怜と辰玖を睨みつける。
千里山高校麻雀部の部長である
「……昼寝?」
「花見ですかね」
「正直に答えればいいわけちゃうんよ」
竜華は些かも反省の色が見えない二人の反応にため息をつく。
その間、怜は虚空をぼーっと見つめ、辰玖は嘘をつくよりは正直な方がいいのでは? と納得いかなそうにしきりに首を捻っていた。
「特にタク。あんたは去年もエースとして試合出てるんやし、憧れてるって子もいてるんやで?」
「え、マジ?」
確かに辰玖は入部当初から圧倒的な実力を披露し、監督の采配で一年生でありながら男子チームのエースを勤めていた。そして個人、団体ともに大きな存在感を見せつけている。
だが辰玖本人としてはそれほど大したことと思っておらず、ファンがいるという事実には信じ難い部分もあった。
「当たり前やん。一年生でレギュラーだったってだけでもすごいのに、全国ランキング3位のうちの男子チームのエースなんやから。それに――」
竜華はそこで言葉を区切り、目を閉じる。
そして再び開かれたその両眼にはわずかばかりの畏怖と敬意が込められていた。
「壱之瀬辰玖は、全国高校生麻雀大会男子の部、全国一万人の麻雀プレイヤーの頂点なんやから」
全国高校生麻雀大会。
そのチャンピオンということは、今現在、辰玖が男子高校生の中で最強であるということの証明でもある。
幼い子供がヒーローに憧れるように、草野球をしている少年がメジャーリーガーに憧れるように、人間は卓越した強い存在に惹かれるものである。
ゆえにその観点からすれば、辰玖にファンがつくのも半ば必然といえた。
「昨日やって、男子の方にあんたに憧れてるって子が十人くらい来てたんやで? せっかく来てもらったのにタクがおらん、なんてめっちゃ言いにくかったわ」
自身にファンがついているということに衝撃を受け固まっている辰玖に、竜華は追い討ちをかけるように言葉を続けた。
「へー、すごいなぁ」
「怜も他人事やない! 怜やって去年の秋季大会にエースとして出てるんやし、今年の春季大会やって怜がエースとして出るんやで?」
「でも別に、うちのファンやっていう子はおらへんかったやろ?」
「それはそやけど……」
他人事のような調子の怜に竜華が苦言を呈したが、怜にはあまり応えなかったようで不発に終わる。
「ま、園城寺先輩はレギュラーに上がったばかりで試合数も少ないですからね。これから春季、インハイと公式試合を重ねていけば、園城寺先輩なら嫌でもファンは増えますよ」
お世辞でもなんでもなく、辰玖は本心からそう言った。
怜の打ち方はまるで未来を予知しているかのような立直一発ツモである。それでいて立直をかけていないときには、ほとんど振り込むこともない。
麻雀という競技において、自分が和了るのと同じくらい振り込まないということも重要である。
それは当然だ。
振り込めばそれだけ自分の点が減る。
であれば振り込みを防ぎつつ、多くの点数を獲得することが勝つために必要なのである。
そういった観点から見れば、ほとんど振り込まず、かつ立直一発ツモにより最低限3翻が保証された和了りは非常に強力な
「タク……」
「なんですか?」
「私には敬語じゃなくてええよ?」
「どうしてこの流れでそれが言えるんです?」
空気を全く読まない怜の発言に――怜の場合、照れ隠しであえて読まなかった可能性も考えられるが――辰玖と竜華はため息をつく。
そこで予鈴が鳴り、昼休みの終わりが告げられた。
「はぁ、もうええわ。せやけど、今日は絶対来てな。新入生歓迎と部活動体験を兼ねた男女合同の麻雀大会があるんやから」
そこで一拍おいて、竜華は言葉を続けた。
「今日来おへんかったらホンマに知らんから」
竜華の鋭い眼光が辰玖を射抜く。
あ、これマジなやつだ。
辰玖の中からサボるという選択肢は消え去った。
機械のように何度も頷きながら、小さく了解です、と返すしかなかった。
※
「ツモ。チャンタ三色。2000、4000」
辰玖の和了宣言とともにオーラスが終わり、第三試合が終了する。
男女合同麻雀大会、またの名を新入生歓迎兼部活動見学会。
三試合が終わった時点で、辰玖はその全ての試合において一位をとっていた。
しかしこれはどちらかというと新入生のための大会であり、すぐに負けてしまった一年生が試合が出来ないなんてことになるとよくないので、トーナメントや勝ち抜きではなく、総当たりに近い形での開催となった。
試合数が少ない人が空いた卓にどんどん入り、五試合を終えた時点での総合収支で順位をつける。
ちなみに半荘でやる時間はないので東風戦である。
「お、怜一位やんか」
「今のところはな」
全員が三試合を終えた時点で、総合一位は怜であった。
それを目ざとく見つけた短髪の少女、江口セーラが怜に声をかける。
なお、なぜか学ランに短パンである。
「セーラの方は調子悪いなぁ」
「そやねん。なんか今日うまいこといかれへんねんなぁ」
セーラは総合収支が四位である。
それほど悪い成績とは言えないが、去年まで女子麻雀部のエースだったことを鑑みると、本来ならもっと高い順位だったとしてもおかしくはない。
「それで、二位が竜華でタクが三位か」
「タクが三位かー。あいつなに考えてるんやろうな」
「そやなぁ。ホンマならうちが一位っていうのがまずおかしいんよ」
怜がそう言うのには理由がある。
なにせ辰玖は今日、未だにその特徴的な打ち方をほんの少しだけしか解放していない。
本気になった辰玖に対して、怜は一回たりとも勝てた試しがなかったのだ。
「まあどうせ、新入生のために手加減してるとかそんなところやと思うけどな」
「正直俺も、あいつに勝てる気は全くせえへんからな。あいつなりの気遣いってやつか」
二人は新入生に囲まれている辰玖に視線を向ける。
「怜ー。卓空いたでー」
竜華が怜に声をかける。
セーラと別れ卓についた怜は、もう一度辰玖に視線を向けた。
「先輩流石ですね! 三試合連続一位なんて!!」
「先輩ってチャンタでの和了り多いですよね。チャンタとか好きなんですか?」
「先輩!」
「先輩!!」
後輩の女子に囲まれている辰玖を見て、なんだかイラっとした怜は、視線を鋭くして額に青筋を浮かべる。
辰玖を囲んでいたのは女子だけではなかったのだが、どうやら怜の目には映らなかったようである。
とりあえずタクはあとで100回しばく。
そう決意した怜は対局に意識を集中した。
どうしてこんなにイライラしているのかについては、怜はまだ気づいていなかった。
※
結局総合順位は怜が一位のまま終わった。
辰玖はあの後二位に順位を上げたものの、ついぞ一位に躍り出ることはなかった。
「先輩方強いねー」
「結局うちほとんど和了れんかったわ」
後輩たちが、今日の成績について話している。
結果だけ見れば、女子、男子それぞれのエースがそのままワンツーフィニッシュを飾った形だ。
何も知らない一年生から見るとこの結果は、自然なものなのだろう。
しかし怜や竜華、セーラなど、辰玖の実力を知っている者からすれば、違和感しかない結果だった。
壱之瀬辰玖を知る者にとって、その普通の麻雀がむしろ違和感だったのだ。
彼女は一年生ではあったが、江口セーラや園城寺怜、清水谷竜華らと親交があり、その繋がりで壱之瀬辰玖とも面識があった。
そのため一年生の中で、辰玖の闘牌に違和感を持った数少ない人物であった。
「久しぶりだな。泉」
そんな泉に辰玖が近寄って声をかける。
「ひ、久しぶりです。あと何度もいうてますけど私のことは苗字でええですよ?」
「どうして。もしかして俺のこと嫌い?」
「いや、そういうわけやないんですけど……」
そう。断じてそういうわけではない。
ただ名前呼び――しかも呼び捨て――に嫉妬した誰かさんの鋭い眼光が痛いだけで、決してそういうわけではなかった。
「まぁいいか。それより流石だな。総合収支16位だったか?」
「そんな褒めんといてください。また調子乗っちゃうんで」
泉はこの大会で総合16位を獲得した。
一位の怜や二位がの辰玖に比べると霞むが、男子、女子双方のチームより実力を持った二、三年が多数参加している中、一年生で10位台の成績というのは、泉に実力があるという証拠でもあった。
「それより壱之瀬先輩の方は調子悪かったんですか?」
「ん、いや別に?」
何かあるのだろうと思っての問いだったが、あまりにもあっけらかんとした答えが返ってきて泉は面食らった。
「で、でもいつもと全然打ち方ちゃいますやん。いつもの感じやったら――こういうと園城寺先輩に悪いですけど、壱之瀬先輩が一位やったと思いますけど」
「あー、それね。うん……」
辰玖は一呼吸入れてこう続けた。
「なんか…………違ったのよ」
「…………なんか違うってなんですか? というかまず『なんか』ってなんですか?」
「なんかはなんかよ。なんか違ったのよ」
正直泉は辰玖の言っている意味が理解できなかった。
というか理解できてたまるかと思った。
泉はかしこいので、そんなことはおくびにも出さなかったが。
「なんかうまく誤魔化された感ありますけど、まあええです。それじゃ、そろそろ帰りますんでこれからもよろしくお願いします」
そう言って二条泉は部室を後にした。
ちなみに何もうまく誤魔化せてなかったし、泉は誤魔化すにしてももっと他になんかあるやろと思ってはいたが、口には出さなかった。
泉はかしこいのである。
辰玖は泉が帰ったのを見て、ほっとため息をついた。
辰玖が手を抜いていた理由は単純だ。
怜とセーラが推測していたように、まだうちに来たばかりの新入生たちのためである。
麻雀部に興味を持ってもらうには、まず麻雀をして楽しいと思ってもらえることが重要だ。
そのため自分だけが和了り続けるのは避けたいと思っていた。
そんなことをすれば、麻雀の楽しさがわかってもらえないどころか、せっかく来てくれた一年生が逃げ出してしまうかもしれない。
辰玖はその可能性を危惧していた。
なにせ、辰玖は麻雀が強すぎるが故に、人を潰してしまった例を知っていた。
せっかくの新入部員ゲットのチャンスを自分のせいで潰したら針の筵である。
実際にはそんなことにはならず、むしろ尊敬の念が増すだけではあったのだが。
泉に下手な誤魔化しを入れたのもそれが理由だ。
一年生である泉に対して、俺は
「やっぱり、新入生のためやったんやな」
「園城寺先輩、気づいてたんですか」
「怜でええよ」
「勘弁してくださいって」
怜はわりと本気で提案していたのだが、辰玖には通じなかったようである。
どうして急にそんなことを言い出したのかについては、怜の中で色々もやもやした感情があったからではない。
断じてない。
「もう帰ろか。部室の片付けも終わったし」
「そうですね」
こうして二人は帰途についた。
街灯の灯りが、二人を優しく照らしていた。